真っ白なテーブルクロスをかけた、長いテーブルを挟んで、オンディーナと公爵は約15分 にわたり睨みあいを続けていた。 オンディーナの前には、深皿に入ったスープとスプーン。公爵の前にはコーヒーの入った カップのみ。 「食べろと言っているだろう」 「いらん」 「お前の胃は、おそらく液体状のものしか受け付けんぞ」 「他に食べたいものがあるって言ってんじゃねぇよ。こんな怪しい屋敷で飯なんぞ食えるか って言ってんだ」 オンディーナの発言に、公爵は軽く眉根を寄せた。 「怪しい?どこがだ」 「いきなり攫われるわ、人形が動くわ、外に出られないわ、ワープ装置はあるわのこの 屋敷のどこが怪しくないってんだよ」 「攫ったなどと人聞きの悪い。保護と言え」 口を尖らせ睨みながら、目の前のスープに全く手を出そうとしないオンディーナの様子に、 公爵は重く息を吐き、一度コーヒーを飲んでから口を開いた。 「私は公爵という肩書きの他に、もう1つ持っているものがある。むしろ、これがあるから こその公爵の地位だ」 「何だよ」 「魔術師の存在くらいは知っているだろう。私は『ブラック・フィンガー』という対呪い専門の 魔術師であり、王家の解呪屋でもある」 「――解呪」 「オンディーナ、お前も体感したな?お前の中の呪い、『 癪ではあるが、確かに初めて出会って彼の首を絞めようとしたときに、オンディーナの中の 凶悪な呪いが初めて怯えを見せた。 公爵の指を恐れていたのだ。 ――『ブラック・フィンガー』だって? 確かに魔術師というものがあるのは知っていたし、何度か見たことはあるが、彼ほど魔術 をスムーズに使っている者はいなかったように思う。少なくとも、何の詠唱もなしに姿を 変えるような魔術師には会ったことがない。 だからこそ困惑していたのだが、それでも魔術師だと言われれば、動く人形も、あの小屋 からこの屋敷にワープしたのも全て納得は出来る。 この屋敷に魔術がかかっているのではなく、主人が魔術師。 ――魔術師の屋敷か。 オンディーナは、カーテンが開けられた窓の外を見た。外にはまだ雪が積もっていて、空 は暗く、月だけが静かに輝いている。まごうことなく夜だ。この食事も本来なら夕食と言わ れるはずなのだが、この男は朝食だと言う。 ――この変人っぷりも、確かに魔術師臭いな。 「まさか『 「何が目的だ」 「……目的?」 鋭く刺々しいオンディーナの質問に、公爵は訝しげに聞きかえした。 「こんな小汚い小娘をわざわざ拾うってことは、利用目的があるんだろうが。ほら、言って みろよ、誰を殺したいんだ?」 目の前の男を嘲笑いながら、オンディーナは吐き捨てた。 ――どいつもこいつも、みんな同じだ。 自分に呪いが憑いていると知りながら拾うのは、自分に利用価値があるからだと悲しすぎ るほどに知っている。 「はっ」 が、しかし公爵は、オンディーナ以上の嘲笑を吐き捨てた。 さらに小馬鹿にするように、黒い手袋をはめたままの指先で、トントンとこめかみを叩いて 見せる。 「やはり鳥頭だな、お前は」 「は……はぁ!?何だとこの野郎!!」 「解呪屋だという言っただろうが。呪いの解き方を知っているということは、呪い方も知って いるということだ。本当に殺したい人間がいたら、誰がわざわざ刺し殺したりなどするもの か。せっかく呪殺は法に触れないというのに」 もはやオンディーナには、絶句するということしか許されなかった。何か言おうにも、言葉 がのどを通ってこない。 そんなオンディーナを置いて、彼は話を進める。 「太古の呪い『 オンディーナは、左の鎖骨に手を当てた。 確かにその胸には、黒いバラの刺青がある。さらに細かく言うなら、そのバラには1本の 剣が刺さっている。それが正しい『 オンディーナの心に、黒いもやが現れる。 酷く、イライラする。 「どこの阿呆か知らないが、よくも危険な呪いを蘇らせてくれたものだな」 「そいつ、今は廃人だよ。そんなことどうでもいい、結局アンタは、あたしをどうしたいんだ」 ――何なんだよ。意味が分かんねぇんだよ。 テーブルに行儀悪くひじをついて、額に手を当てる。眉間にしわが寄るのを止められない。 「あたしに利用価値がないなら、何であたしを拾ったんだ」 「私がバラと呪いを愛するコレクターだからだ」 ――コレクター? 「……はっ。ずいぶんと趣味の悪い」 「失礼な。私がこの世で美しいと思う2つだ」 ――呪いが?美しい? 美の代名詞とされるバラはともかく、呪いが美しいなどと理解できない。こんなにも人の心 に土足で入りこみ、体の内側を黒く塗りつぶしていくようなものなど。 ――ああ、何だ結局。 オンディーナは、男の考えを悟った。この男は利用しないと言って自分をいいように操りた いのだろう。心を開いたところを、利用しようとしているのだ。 下手な嘘だと、オンディーナは心の中で嘲笑する。もっとマシな嘘もつけただろうに、何が コレクターか。けれどこの男をどうにかしないと、どうやらこの屋敷から出れそうにはない。 呪いを美しいという男。 ――呪いがどれだけ恐ろしいものか、知ればいいのに。 「じゃあ、何?あたしはコレクションとしてここにいるってことか」 「カッコ仮、としてだがな」 「――仮?」 公爵はまたコーヒーを一口飲んでから、口を開いた。 「『 「……外れるのか?この呪いが?どの魔術師も無理だって言ってたけど?」 「お前の呪いならまだ、私であれば外せる。が、それは時間を待たなくてはならん」 オンディーナが微かに首を傾げると、公爵はオンディーナの刺青がある場所を指した。 「今すぐにでも外そうと思えば外せないこともないが、それにはオンディーナ、お前自身に 体力がない。そして成長しきっていない身体に負担が大きすぎる。下手をすれば外したそ の瞬間に死ぬだろう。呪いを外せるのは早くても15,6になってからだ」 「あたし、今自分がいくつか知らない」 「11歳らしい」 ――らしい? なんとも不明確な答え方である。 「魔術であっても、正確な年齢は分からん。とりあえず11歳にしておけ」 「……ふぅん。魔術って便利だな」 「納得したら、とりあえず食事をしろ」 ――したわけじゃないけどな。 まだまだ、謎な部分は多い。が、ここから出るためには、納得したという演技も必要だ。 オンディーナは黙って一口、スープを飲み込んだ。 何のスープかはよく分からないが、白い色で、少し甘い。久しぶりに食道を動かした。 「無理はしなくていいけれど、食べれるだけ食べておきなさい」 今までと違う声に顔をあげると、そこにはあの小屋で会った銀髪の青年が、まるで最初 から座っていたかのようにそこにいた。 せっかくスプーンですくい取ったスープが、皿の中にポタポタこぼれて逆戻りした。 「……それも魔術かよ」 「ああ、びっくりした?この後、この姿で出かけないといけない用事があるから」 「変装……」 「何故、さっきの姿を『本物』として語るの?あっちの方が変装の姿かもしれないだろう?」 それはそうだ。ということは、こちらの方が本当の姿なのか。 先ほどの姿の時とは、性格も声もまるで別人だ。 「まぁ、この姿も本当の姿じゃないかもしれないけど」 「はぁっ!?」 「僕の姿や年齢は気にしないのが賢明だ。一生分かる答えではないからね」 ――いや、やっぱ性格の根底は一緒だな。 オンディーナは頭の中に、1つ彼のことについて書きとめた。 公爵は、かなりの性格の悪さだと。 ******** 公爵が出かけた後、オンディーナは与えられた自室の窓辺でイスに座って静かに、外で 舞う雪を見ていた。 真っ黒な闇と白い雪。この国は北国のため、1年間の半分が雪に覆われる。 その光景を、いつも寒く薄汚い所から見ていたというのに、今は暖かくて清潔な部屋から 見ているのが不思議でならなかった。 パチパチと、暖炉の薪が爆ぜる音を聞きながら、オンディーナは目をつむる。 ――このバラが、枯れる日は来ない。 鎖骨にある『 もはや記憶は定かではないが、確か自分と同じくらいの幼い子供たちがひしめくテントの 中から引きずり出されて、そのまま暗く陰気な屋敷へ連れて行かれたのだったと思う。 その前にも恐ろしい体験はしてきたはずだったのに、そのときの恐怖は今までものと比べ 物にならないほどだった。 不潔な地下室。真っ赤な汚れ。意味の分からない魔法陣に薬品。 身体を拘束されて、その訳の分からない魔法陣の上に寝転ばされた。 黒いフードで顔を隠した男が、長い呪文を唱えるといきなり体中に激痛が走り、焼かれ、 凍り、電気が流れ、ありとあらゆる苦痛を強いられた。 その後からの記憶はしばらくない。気がつけば目の前にいたのは、いい身なりをしている が、目の酷く濁った中年の男だった。 「――何だよ」 キィ、と人形が軋む音がしたので背後を振り返ると、人形がベッドの上をポスポスと叩いて いた。しばらくその行動に理解ができなかったが、やがて意味が分かると、オンディーナ はまたため息をついて、面倒くさげに手を振った。 「寝ない。いいから放っておいてくれ」 キィ、と首を傾げて、人形はそのままの格好で止まった。 それはそれでちょっと怖いのだが、オンディーナはあえて見ないふりをして、また外の景色 に視線を戻した。 もともと、夜に眠ることは少なかったし、眠ることも嫌いだった。眠れば呪いに身体を侵され て、自分が自分でなくなっていくような感覚がしたからだ。 実際に、理性を失った『 闇の中で、歌いながら殺める者。 結局その彼は、見境なく人に襲いかかるようになったため、その後以降姿を見ることは なかった。どうなったのかは、察せられる。 ――あんなふうには、なりたくない。 人を殺めるごとに、闇へ沈んでいく。それを恐れて、オンディーナは強靭な精神力で持って 殺害衝動を抑えてきた。しかしそれを、雇い主は許さなかった。 用済みの印を押される前に、オンディーナはそこから逃げ出した。けれど逃げたところで 殺人衝動と闘うのにも疲れ、死を望み――今に至る。 「『 そんな希望はとっくに忘れた。不可能なことだ。それは出会った魔術師全てに言われ、 周りから耳が腐るほど言い聞かされてきた言葉だ。だからこそ、公爵の嘘は通じない。 信用しない。 ――バカな夢は絶対に見ない。 行儀悪く椅子の上でひざを丸め、うつむく。 ――いっそここで死んでやろうか。 不意に思いついたその言葉が、空しく胸に響く。 ――そんなこと、出来やしないのに。 『 唯一の殺す方法は脳を破壊することだが、それも生半可な攻撃ではたちまちに再生し 治癒してしまう。頭部の原形をとどめないまでに破壊をしなければ、死なない。 だからこそ、基本的に自殺は無理だ。 「――気分悪ぃ……」 血生臭いことを考えすぎて、オンディーナは胸にむかつきを覚えた。暖炉の熱がこもった 部屋の温度が、さらにそれを増長させているような気がする。 オンディーナは少し考えると、立ちあがって窓をあけ、そこから下へと飛び降りた。 「寒い」 裏起毛のパジャマを着ているとは言え、何も羽織っていない上に雪がちらついている。寒 いのは当たり前だった。 オンディーナは駆け足で、昼間に訪れたバラの小屋を目指した。香りの良くて、適度な 温度のあそこであれば、気分も回復するだろう。 小屋の中に入ると、思ったとおりいい香りが漂ってきた。中はガス灯が弱々しい光では あるが点けられていて、十分辺りを見渡せた。 ベンチに座り、バラを観察する。 「……ふぅん。色んな種類があるんだな」 赤にピンク、オレンジ、黄色、紫。青っぽい色のバラもある。それに花びらの形も多種多様 で、バラと一口に言っても、色々と形があることをオンディーナは初めて知った。 ことん、とベンチに横になると、不思議と眠気が襲ってきた。 ――ここだけは、いい。 あの屋敷も、人形たちも、何より公爵も好きになれないし馴染めないが、この場所だけは 不思議と酷く落ち着いた。 心洗われるような香りと、求めていた優しい暖かさのせいなのか。 オンディーナは、重たいまぶたをゆっくりと閉じた。 ******** 果実のような甘い香りで、オンディーナの意識は底から浮き上った。 まぶたは重くて開かない。 けれど身体がふわふわと浮いているのが分かる。 あたたかな何かに包まれているのも。 キィ、と軋む音の後、やわらかいものの上に横たえられた。 ――離れる。 あたたかいものが自分から離れていくのが分かって、オンディーナは無意識にそれをつな ぎとめた。 額に何かが触れる。 その感触に、何故か泣きたくなるような気持ちを味わいながら、オンディーナは再び深い眠りについた。 |