申請書の手続きをやり直すわけにはいかないのか、っていうかそもそも養女としての申請を取り下げてもらうわけにはいかないのか、ということをやんわり問うと、同じようにやんわりと絶対養女の申請を取り下げたくない、と返された。 何故だ。何故、ダンラルグは私を養女にしようと頑ななんだ。 はっきり言って、何の知識も技術も持ってない小娘なんて、負担にしかならないだろうに。そういった利害は商人だと言うダンラルグならば一番わかっていそうなんだが。 いつまでも平行線な話し合いに助け船を出したのは、ガルマンさんだった。 「サク、この男はやると決めたら絶対に引き下がらん迷惑な男だ。諦めろ」 助け舟と見せたそれは、泥船だった。沈むから覚悟しろよ、的な。 「しかし戸籍の手直しくらいはできるだろう?」 ガルマンさんの問いに、ダンラルグは難しげな表情を向けた。 「お前、考えてみたまえ。13歳を12歳と書き間違えた程度なら書類不備として押し通せるが、13歳を8歳と書き間違えたなどと言ったら、私がサクと意思疎通ができる状態じゃなかったのではないか、と疑われるだろう」 「疑われるっていうか、純然たる事実ですもんね」 「そうなったら養女申請自体が取り消されるかもしれない」 「ものすごい自業自得感が否めない……」 「もしくは因果応報とも言うな」 ガルマンさんが止めの一言。 しかし、ダンラルグの言うこともわかる気はする。さすがに13歳を8歳と書き間違えた、なんて言い訳は通らないだろう。どう考えても養女にする子の年齢を知らなくて、見た目で判断したと思われる。そしてなんでそうなったかと考えると、私と意思疎通ができてなかった、という結論に落ち着く。 そうとなれば、養女となる、という意志も確認していなかったのではということに。 うん、事実だもんな。どうしようもないわ。 どうするつもりなんだろう、と悩むダンラルグを他人事のように眺めていると、彼は唐突に目を輝かせて、ぽん、と手を打った。 「うむ、このままサクは8歳で押し通そう!」 やばい、この人とんでもないことを言い出したぞ。 私がツッコむまでもなく、ガルマンさんが「待たんか!」と怒声を上げた。 「貴様の失敗を、サクに押しつけるんじゃない!」 「いや、これはサクにとっても利益のある提案だとも」 怒るガルマンさんを手で制し、ダンラルグは私に向き直った。 「サク、君の国では20歳が成人だと言ったね?」 「はぁ」 「そして君は13歳。つまりガイアでは大人になるまで7年の時がある」 「そうなりますね」 「対して、こちらでは成人が15歳だ。君が大人と認められるまでわずか2年の時しかない。こんな短期間でこの世界のことを知り、大人として世間を渡っていけると思えるかい?」 うぐ、と思わず呻いた。痛いところを突かれた。 正直言って、そんな自信はまったくない。今は子供だからダンラルグに保護してもらえてるけど、さすがに大人になってからも保護してもらおうと考えられるほど、私は図太くない。大人になったら自身でどうにかしなくちゃいけないだろう、という感覚がある。 でもその手段や自信をつけるまでに、あと7年はあると思っていたのだ。7年は長い。それが2年に縮まるとなると、大きな不安が私の胸を圧迫する。 あと2年でこちらの常識を覚えて、自活できるのかな。 だってガイアでは、まだ子供として保護される年齢なのに。 子供として甘えられない。 大人にならないと。 あと2年。 たった、2年で。 頬をあたたかいものが包む。 ふと見れば、ダンラルグが優しく頬を撫でてくれていた。 「このまま君を8歳とする。すると15歳になるまで同じく7年の月日がある。つまり、君が大人になるまでの時間は、ガイアでの時間と同じになるんだ。どうだろう、このまま8歳ということにしておいた方が、良くないだろうか?」 ――言われてみれば、そうかもしれない。 若いときのサバ読み5歳は大きい。けれど、歳を重ねるうちに5歳の差なんて気にならなくなっていくような気がした。10歳と15歳は相当な差だけど、70歳と75歳は大した差じゃない。そう考えれば、息苦しさが消えた。 「……うん。ダンラルグの言う通り、8歳で通そうと思います」 ダンラルグの意見に同意した私を見て、ガルマンさんはため息を吐いた。 「相変わらず、貴様は口ばかりが達者だな……」 「でもほら、妙案だろう?私はサクを養女として留めておけるし、サクは大人になるための期間をガイアと同じく与えられる。誰も損をしない」 「貴様が得をするのが腹立たしい」 そのまま罵倒時間が始まりそうだったので、慌てて口を挟んだ。 いやあの、私はまだもう少し他にも聞きたいことがあるんですよ! 「私が言葉を理解できるようになったことに、魔法書っていうのが関係してるんですよね?こちらの世界には魔法が存在するんですか?私でも使えそうですか?」 魔法、と聞いて思い浮かぶのは、やはりかの有名な魔法学校の話でしょう。杖振って、呪文を言って、大いなる悪と戦うみたいな。 いや、私は悪と戦いたくないんだけどね。平穏に暮らしたい。 でも使えるなら使ってみたいのが、魔法。魔法書なんて素敵なものがあるのなら、読めば私だって使えちゃうんじゃない?と思うよね!一度魔法発動に失敗している身としては、よけいに憧れるよね、でもヤバイ、あの恥ずかしさを思い出してきて、心が痛い。ステータスオープンが痛い。チートトリップなんじゃないって調子乗って本当にすみません。 目を輝かせて聞いたわりには、ずぅんと沈んだ私の様子を不思議がりながらも、ガルマンさんが答えてくれた。 「そうだな。この世界の魔法は、呪文を自身の中に入れることで使えるようになる」 ……ん?どういうことだ? 小首を傾げると、ダンラルグが補足した。 「そうだね、旅行鞄を想像するといいだろう。鞄は君自身が持つ魔力の器だ。もちろん最初は皆、中身が空だ。そこに魔法の呪文という荷物を入れる。これを 思い描いてた魔法の使い方と違って驚いたけど、なるほど。わかった。 つまりは私はスマホなんだ。もしくはパソコン。アプリやソフトをインストールしないとただの電子機器だけど、インストールしたものは自由自在に使えるようになるってわけだ。そう考えるとイメージしやすい。 さらにダンラルグが「見ていてごらん」と私の前に手を差し出した。 「 彼の手のひらの上で、ポッ、とマッチで起こした程度の火がついた。 ゆらりと怪しく揺らめいて、すぐに消えてしまう。 ……魔法? ぺたぺた、とダンラルグの厚い手のひらを触ってみる。タネも仕掛けもない。 ……魔法だ!ふぉぉぉっ! 「わぁぁぁ!ダンラルグ、すごいよ!魔法、魔法だ!私見たことなかったけど、ダンラルグも使えたんだね!おぉぉ。生ハリーポッターが見られるとは!杖がないのが残念だけど!」 はっ、として私はガルマンさんに視線を向けた。 「ガルマンさんも!?ガルマンさんも、魔法使えるの!?」 「あぁ、まぁ……」 私の矢継ぎ早な質問に押され、彼は指を軽く振った。 「 彼が向けた指先の空中。そこに氷の花ができた。 な、なんというメルヘン!ガルマンさん、口はちょっと乱暴ですけど、魔法が乙女!かわいいってどういう了見だ!下手したら私より乙女なんじゃないの!自分で言ってて心が痛い! 気分が浮き沈みする私に、ガルマンさんは若干引き気味だった。落ち着かせようとしてか知らないが、ガルマンさんはさっと氷の花を消してしまう。 「君に注目してもらいたい点は、魔法を使う場合は必ず使う魔法名を唱えなければならない、という点だ」 「……そういえば、2人とも唱えてましたね」 ガルマンさんの言葉で思い出す。ダンラルグも彼も、こ、コンパルト?って言ってから、魔法名らしきものを唱えて発動していた。 思い返せばこの屋敷に来たばかりのとき、ダンラルグがベッドの枕元で火をつけてくれたこともあったな。あれが魔法だったのか。なんだ、見ていたのか。気付かなかっただけで。うーん、何かごそごそ唱えていた気配があるので、魔法は必ずそうやって使わなければいけないものなんだろう。 でも魔法名だけか。いちいち呪文を言わなくていいのって、便利じゃない?あ、だから先に呪文をインストールしておくのか。なるほど。 「しかし何事にも例外と言うものは存在してだな、それが ぱっけーじ? パッケージ……加護魔法。 常の私なら、ラッピングの方を思い浮かべるはずなのに、どういったわけかガルマンさんが言う『パッケージ』とは『加護魔法』であることが理解出来た。 まぁ、加護魔法ってなんぞや、ってレベルなんですけれども。 「 ダンラルグが私の頬を撫でて、視線を奪う。優しげな野ブドウ色の瞳とぶつかった。 「一度 「生涯……あぁ、だから加護なんですね」 生涯ずっと発動し続けるって、便利な魔法だよね。 だって言わば、オートモードなわけでしょ?防御魔法を加護魔法にしたら最強じゃん。 なんて底の浅い考えは、ダンラルグに見通されていたようだ。 「魔法にはそれぞれ あー、わかった。強くて高性能な魔法は、その分だけメモリを食うんだね。スマホやパソコンで考えれば、メモリを食うソフトやアプリを入れると、他に使いたいものが容量不足で入れられなくなる、という状況が発生する。それがまんま、魔法を使う上でも起こるってわけだ。 ううむ。インストール型魔法は便利なようでいて、デメリットもあるってわけか。 「そしてサクは、すでに 「……へ?」 異世界用語が多くて、ちょっと混乱する。 一呼吸置いて。 ……ええと、魔法を覚えちゃってるってこと? 呆然とする私に、ダンラルグは苦笑を向けた。 「魔法書に手を置いて、呪文を唱えなかったかい?」 「あ」 手、というか、指で文字を追いながら読んだ記憶ならある。 あの、1ページだけ日本語だった本。 魔法書、だったのか。 「え、じゃあ、私、魔法使ってたりします?」 だってオートモードなわけでしょ?今現在、使ってるんじゃ? 私の問いに、ダンラルグはうん、と頷いた。 「サクは翻訳魔法を ……翻訳。 あぁー……それでか! やっと正しく現状を理解できた気がする。なるほど、翻訳の魔法が常時発動してるから、言葉が通じるようになったのか。あとついでに文字も。 なにこの魔法、めちゃくちゃ便利。願わくばもっと早くに手に入れたかったぞ! この数週間の異世界語への奮闘ぶりを返してほしい。 でも魔法を使ってるって事実が私を高揚させる。すごい、私。魔法使いだ。翻訳魔法っていうのが使えてるなら、きっと他の魔法も使えるよね!どんな魔法を覚えようかな。 「しかし少々心配だな」 「心配?」 何が?と小首を傾げると、ダンラルグだけじゃなくガルマンさんも苦い表情を浮かべた。 「そうだな……翻訳魔法を 「えっ」 「翻訳魔法は つまりあれか。ソフトの容量がすごく高い魔法なのか、翻訳魔法。 でもよくよく考えてみればそうかもしれない。だって世界の垣根を越えて、言葉を翻訳してくれちゃってるんだよ、この魔法。高技術じゃね?恐るべき魔法じゃね? 現代日本の翻訳アプリですら、だいぶ怪しい翻訳が残っているというのに、この魔法ときたら、今のところ何の問題もなく会話が成立してる。少なくとも「このパン屋さんへはどう行けばいいですか?」って文章を「このパン屋さんはどこへ行くんですか?」みたいな地味かつ致命的翻訳ミスはしてないと思う。 よく考えるまでもなく、高容量だ! 「えーと、えーと、高容量だと他に魔法を使えるか危うくなるんでしたよね」 パソコン、イコール私の残りメモリ数がどれくらい残っているかわからなくて、2人は他の魔法が使えるかどうか心配しているってことかな。 そんな心配をするってことは、この世界は魔法が使えることが前提の世界ってこと?もし他の魔法が使えないほど翻訳魔法がメモリを圧迫してるなら、便利さに涙を呑んでアンインストールも考えなきゃいけないのか。 あぁぁ、またあの片言生活に逆戻り? ちょっとげんなりする私に同情してか、ダンラルグが苦笑する。 「そう心配するな、愛娘。父が憂いを取り除いてやろう」 「……残り容量とか、わかったりします?」 「うん。私の種族の持つ……技術、のようなものでね」 ガルマンさんの方を見ると、ダンラルグの言葉を肯定するように頷いた。 種族……っていうと獣人?もしくは、獣人でもペレッペさんみたいにウサギの種族もいるわけだし、そういう意味での種類かも。つまりは山羊さん一族のスキル?的な? うんうん唸っていると、ダンラルグが私の手を取った。 刹那、ぽわん、とあたたかいお湯のようなものが、身体の内を巡った。 「あっ」 しかしながら彼から漏れた声は、大変不穏な物をにじませていた。 あっ、て。あっ、てどういうことなの!?何があっ、なの!?めちゃくちゃ恐い!私、訳わからないうちに恐ろしい事態になってるの!?今までで充分なってるけどな! 涙目でダンラルグを見上げる。 彼は――ふい、と視線を外した。 おい。おい、こちらを向きたまえ、ダンラルグ君。君には私に対する説明責任と言うものがある。そうだろう? 心の内ではダンディーに問いかけるも、実際はそんなテンションじゃなかった。 「ダンラルグ!?ダンラルグさん!?ちょっと、いったい私どうなってんの?目も当てられない状態なの!?」 「いや、サクはいつでも見つめていたいほどかわいらしいよ」 ちょっと食い気味な、どこの乙女ゲーの王子様だとツッコみたい否定が飛んできた。でも私の欲しい答えはそれじゃないんだ、ダンラルグ! 「ただ 「目も当てられない状態だった!」 やだ!せっかく魔法少女になれるのに、魔法が自在に使えないとかやだ! 「それって 覚えたい、と顔を上げると、ダンラルグとガルマンさんが、揃いも揃ってかわいそうなものを見る目をしていた。 貴方たち、正反対なようでいてそういうとこ類友ですよね。 しばしの沈黙の後、ゴホン、とガルマンさんが咳払いをする。 「あー……言いにくいが、その。 「ほどく……?」 「あぁ、すまん。つい俗語を使ってしまった。 解除、できない? え、それって。 「ま、待ってください。じゃあ、私の 「あぁ」 「ということは、私の中にある容量が不足して、他に魔法を使えない?」 「そういう……ことになるな」 「でもって、 「そうだ」 ガラガラ、と音を立てて魔法少女の夢が崩れた。 炎を生みだしたり、水を発生させたり、風を操ったりする魔法少女っ子になる予定が水の泡に!チートトリップなんてもんじゃなかった、むしろハンデ背負いトリップだった! 「どうにか 「無理だ。俗語のごとく、 ガルマンさんが大事なことなので2回も無理って言いました。 彼がそれだけ念を押すのだから、どうあがいても無理なんだろう。あぁぁ、私、せっかく魔法を使える世界に来たのに、使えるのがオートモードの翻訳魔法って!漫画とか小説なら、それってオプションでついててもいいくらいのものだよ! 頭を抱えて嘆く私を、ダンラルグが慰める。 「翻訳魔法が扱えるなら通訳としての仕事が見込めるから、損はないのだがね」 「……この世界も、違う言語が存在するんですか?」 将来の展望の切れ端を掴めた私は、顔を上げて尋ねた。 「獣人族は1言語なんだが、人間族は3言語ぐらいあったかな?」 ダンラルグやガルマンさんの表情を見るに、人間側の言語の多さは面倒だと思っているようだけど、ガイアなんて3か国語どころの話じゃないもんね……。主要言語だけでも英語、フランス語、スペイン語、中国語とあるし、イタリア語とかドイツ語とかカウントしていったらどれだけの数になるやら。ガイアにこそ翻訳魔法が必要なんじゃない? ガイアでの私が英語でどれほどの点数を取っていたか知らないけど、この頭の中にある英語の語彙量からすれば間違いなく底辺であることは想像できる。外国人に道を尋ねられても「日本語プリーズ」って返す自信があるもん。おぉ、この魔法、本当にガイアでこそ欲しかった。通訳としてキャリアウーマンになれそうだったのに。 「……サク。他に聞きたいことはないのかい?」 黙ってしまったからか、気を遣ってダンラルグが尋ねてくれた。 聞きたいこと、聞きたいこと……とりあえず、今はないかな。 聞きたいことは。 「聞きたいことはないですね」 「……そうかい?」 「でも申告しておきたいことが1つ」 うん?とダンラルグが小首を傾げた。 「私、ガイアにいた頃の記憶がないです」 それまで余裕綽々だったダンラルグの表情が崩れたのは、少し面白かった。 ******** 翌日、ハリネズミのお医者さんに診てもらったけど、今まで記憶がない状態で生活できていたから心配する必要はないだろう、とのことだった。 確かにガイアで過ごした記憶があったところで、こちらの世界で役立つことはほとんどないと思う。むしろ覚えていたら悲しいことがたくさんあったかもしれない。 友達……はいないみたいだったから、家族のこととか。自室の光景はぼんやりと思い浮かぶのに、家族の顔はまったく思い浮かばないので、あんまり郷愁に駆られることはない。どうしても、何が何でもあそこに戻りたい、という意志が薄弱だった。 むしろ、ダンラルグに自室としてあてがわれた部屋。あそこにある机の上に置かれたギフトボックスやダンラルグから返してもらった鞄や制服を見るたびに、なんとなく嫌な気分になった。いっそベッドの下にでも隠してしまおうかと思ったけど、悪夢を見そうな気がしてやめている。それに視界に入らなくなったらなったで、少々不安な気分もあるので、ガイアから持って来たものはすべて机の上に置きっぱなしだ。 私って薄情かな。でも仕方ないよね。忘れてしまったんだもん。 そんなことより今は、ダンラルグやペレッペさんと会話ができるようになったのが楽しい。 ペレッペさんは予想通り、おっとりとしたしゃべりと性格の人だった。私が突飛な行動をしても「あらあら」で済ませてしまう。……まぁ、8歳だと思っているからかもしれないけど。 年齢詐称しているのは心苦しいけれど、今のところはプラスに働いていると思う。成人近い女の子なら許されない行動も、8歳の女の子なら多めに見てもらえる。それはこの世界の常識を学んでいく上で、大いに役立った。 言葉が通じるようになったのでダンラルグから外出の許可が出たわけだけど(ただし保護者同伴)、通貨の価値とか買い物の仕方とか、時間をかけてゆっくりゆっくり教わった。あと、日本では必要がなかったスリへの注意方法とかも。これらはきっと、私が独り立ちするときに役に立つ知識になる。 ******** 「魔法を使わない火の付け方を覚えましょうねぇ」 今日はペレッペさんにそう言われて、キッチンで火を起こす練習中。 誰かがマッチとは偉大な発明品である、と言っていた気がするけど、そうかもしれない。 こちらの世界にもマッチに似た道具はあるんだけど、使いやすさが違う。軽く擦れば火が付くマッチの方が素晴らしい。こちらのマッチはこれでもか!というほど擦らないと火が付かないし、短時間で燃え尽きてしまう。 「ペレッペさん、難しいですよー」 火を付けたら付けたで、キッチン道具の使い方もなかなかに捗らない。こちらの世界では石窯調理がスタンダードらしい。日本で言うところのガスコンロみたいな? でも石窯の温度調節がすごく難しい。気を抜くと料理が焦げる。 お昼ご飯は若干炭になりかけたものを食べるハメになったので、夕飯はせめて炭っぽくならないでほしい、と願うけどはたして上手くいくことやら……。 ちょっと泣き言めいてペレッペさんを見つめると、彼女は「あらあら」と微笑んだ。 「私も若い頃はたくさんお料理を焦がしたわ。練習が一番よ」 ぐぅの音も出ない。 がっくりと肩を落としながら、また石釜に薪をくべる作業に戻る。もう少し温度をあげなきゃ。 …………ん?若い頃? 「……ペレッペさんって、何歳なんですか?」 「ふふ、173歳になるわね」 ひゃくななじゅうさんさい? お若いですね、とか、長生きですね、の次元じゃない気がする。 驚きで薪をくべる手が止まった私を見て、ペレッペさんはうんうんと頷いた。そうすると頭の上の耳がわずかに前後するように振られる。かわいい。 「そういえばサクは知らなかったかしらねぇ。獣人族の平均寿命は200歳なのよ」 「私が2回生きれる!」 うさミミのかわいさがブチ飛んだ。獣人族って長命なんですね!びっくりしたよ! いやだって、15歳って若さで成人っていうから、あまり長く生きられない世界なのかと。平均寿命が短い世界なのかと。人生50年とかなのかと。 「ち、ちなみにダンラルグは何歳なんですか?」 「旦那様は65歳だったかしらねぇ」 人間的感覚だと、パパっていうがグランパなんですけどダンラルグ。 よく考えてみれば、私に対する猫かわいがりっぷりって初孫にデレデレするおじいちゃんだよね。目に入れても痛くない的な。 あ、でも平均寿命200歳ってことを考えればダンラルグはまだ若い方なのか。外見年齢、高く見積もっても30代半ばくらいだもんな。……ガルマンさんも友人だって言ってたからそれくらいの年かな?もしくはダンラルグより若干上、か。 記憶がないんです、って言った場面に立ち合わせてしまったせいか、ガルマンさんはあれから週に1回ほど顔を見せてくれて、困ったことはないかとか、ダンラルグに困らされてないかとか、ダンラルグに迷惑をかけられてないかとか、ダンラルグのとばっちりを受けてないかとか、心配してくれる。そして心配してくれるたびに、彼が過去にダンラルグにどれだけ手を焼いたのかその一片を見られるので、泣けてくる。 ダンラルグさん、ガルマンさんに迷惑かけるようなことは止めましょうね!あの人、いらない苦労をホイホイ担いじゃう人だよ。現時点で、私のこと気にしてくれてるのもそうだからね。 つらつらと考えながら薪をくべていると、玄関の方からドアの開く音がした。 「ペレッペさん、サク、今帰ったよ」 ダンラルグの渋く低い声が、屋敷中に響き渡る。どんだけの声量だ。 「あらあら、旦那様。今日はお早いお帰りだったのねぇ。サク、お出迎えして夕食ができるまでお相手してさしあげてちょうだいな」 「お手伝いしなくていいんですか?」 「サクー!サクー!お土産があるんだよー!」 「えぇ、えぇ。まずは火の起こし方を徹底的に練習するつもりだから。お料理の練習はまたのんびりすればいいのよ」 「私の愛娘ー!私の子鼠ー!私の天使ー!どこにかくれんぼしているんだーい!」 「ええと、それじゃあ」 「サクー!父が帰って来たんだよー!」 「あのうるさい人をどうにかして来ます」 黙ってられんのか、あの人。 とりあえずこれ以上、私を形容するにふさわしくない言葉を吐く前に回収しに行こう。 キッチンをペレッペさんに任せて、速足で玄関ロビーへと赴く。 「お帰りなさい、ダンラルグ」 呼びかけに気付いたダンラルグは、満面の笑みを浮かべて近寄って来て、軽々と私を抱き上げた。 「やぁ、サク。今日は君を娘にしてちょうど2か月経ったから、贈り物を買って来たよ」 やだこの65歳、女子力高い。 私ときたら、今日がダンラルグの娘となって2か月目であることなんて知りもしなかったし、気付きもしなかったし、気付いててもたかが2か月で「今日はぁ、付き合って1か月記念日ぃ(ハート)」みたいなかわいい考えは一切しないぞ。 というか、ダンラルグ、そういう人種だったか。やばいぞこれは。何かあるごとに記念日記念日言われてたら、私の小さい頭がパンクする。 「ダ、ダンラルグ、別に娘になって何か月目、とか何年目、とかっていう記念日はいりませんからね。贈り物も同様ですからね。記念日とかなくても、私がダンラルグの養女であることは書類破棄されない限りないですからね」 だから「今日は何の日でしょう?」という恐ろしい質問とかしないでね、という想いをこめて、若干怯えを交えつつダンラルグを見つめると、彼はうんうんとご機嫌に頷いた。 たぶんこの人、絶対わかってない。『養女になって3か月記念日』がある気配が濃厚だ。 世に言う『愛が重い彼女がいる男』の気持ちを、何故に女の私が体験しなくてはいけないのか。おかしいだろ……おかしいだろ! 遠い目をする私を下ろして、ダンラルグは茶色い紙袋を差し出した。 なんというか……焼き芋とか入ってそうな感じの紙袋。受け取るとやたら軽かった。 「お菓子ですか?」 聞きながら、もらったものだしさっそく開けて、袋を傾けてみる。覗いてみるなんてことはしない。こういうときは、男らしくがさーと中身を確認するべきだ。中身がお菓子なら、早く食べたいし。じゅるり。 しかしながら、予想に反して手のひらに転がってきたのは――ペンダントだった。 ペンダントトップは金細工のバラっぽいもの。その中央には透明色の強い、まるでアメジストのような小さな宝石があしらわれている。 上品なのに煌びやかで、きれい。こんなアクセサリー、ガイアでも見たことなかったと思う。よほどのお金持ちの子じゃない限り、中学生が宝石のついたアクセサリーを身に付けられるとは考えられない。 ……宝石。 ひえっ、と一気に緊張して、ペンダントを持つ手が震えた。 ふぉぉぉ、宝石!?宝石ってめっちゃ高いじゃん!なんで、こんな、焼き芋でも入ってんじゃないかと思うような紙袋に入れた、ダンラルグ!騙し打ちか!騙し打ちなのか! 「気に入ってくれたかい?」 いや、気に入ったよ!?こんなキレイなプレゼントもらって気に入らないわ、とか言う女は悪女だけだよ! でもね、でもね! 「キレイで素敵で嬉しいけど!紙袋に入ってたから、粗雑に扱っちゃったじゃん!」 もっとこう、アクセサリーです、的な入れ物に入ってたらがさーっと開けなかったのに!「まぁ、何かしら」とか頬を染めながら乙女的に開けたのに!私の女子力が残念! 嘆く私に対し、ダンラルグはイマイチピンと来ないらしい。小首を傾げた。 「宝飾品は、紙袋に入れるものだろう?」 「え?」 「え?」 しばし、見つめ合う。 ……この世界では、宝飾品はそのまんま紙袋に突っ込んで渡すものなの?マジで? 「……ガイアでは違うのかな?」 「一定以上のお値段の宝飾品には、専用のケース……箱がついてますよ。布張りとか、木箱とか、紙箱とか、宝飾屋さんごとに違うけど、大抵はキレイな箱に入ってます」 「宝飾箱のことではなく?」 宝飾箱……ジュエリーボックスのことかな。 「アクセサリーとかを保管しておく箱は、また別にあります。そうじゃなくて、贈る用にキレイな箱に入れて売ってくれるんです」 「なんと」 ダンラルグは本当に驚いたらしい。目を丸くしてる。 「こ、こっちはパッケージにこだわらないんですか?」 「 「あ、そのパッケージじゃなく。ええと……包装。私がガイアから持ってきたものの中に、赤い色の紙箱があったでしょう?あれはギフトボックスって言って、何かを贈るための包装箱なんです」 「あれは……元は、贈り物を入れるための箱だったのか。宝飾箱ではなく」 こくり、と頷くと、彼は首を傾げた。 「しかし何のために、包装を美しくするんだい?目的は贈り物を渡すことなのだから、包装がどうであれ内容がすべてではないかな?」 何のため。 そう問われると、考えたこともないことを指摘された気分になる。だって日本は、包装の国と言っても良かったと思う。海外からは過剰包装だと言われるくらいに、パッケージにこだわり、それが当たり前の国、民族だった。 斯く言う私も、やっぱりキレイな包装には心躍ると思う。 そう、ダンラルグの言うとおり、包装は本当はよけいなことだ。 でもだからこそ――感じるものがある。 「私も内容と言うか、贈ってくれようとする心が大事なんだと思う。でも、包装が華美であればあるだけ、手間がかかってるでしょう?それを理解できない人は、いないと思います。だからこそその一手間が、贈り主からの心を強く感じられるような、気がします」 上手く言えない。 けど、パッケージにこだわるとき、人は贈る相手のことを深く考える気がする。 贈り物を選ぶときに、相手のことを考えて。パッケージを選ぶときも考える。 それは、とても素敵で――恐ろしい。 そう、美しい光景のはずなのに、恐ろしく感じてしまう。 どうして? 恐い。 だって、あの赤い箱。 あの箱は――。 「そうか」 ふわり、と身体が浮いた。 ダンラルグが優しい表情を浮かべて、私を抱き上げた。 「ガイアには素晴らしい習慣があるようだね。贈り主の心を感じられる包装、という考えは私たちにはない発想だった」 優しく、優しく、ダンラルグの手が私の頬を撫でる。 「私の扱う商品は、奇しくも贈り物として買われる物が多い。きっと相手に喜んでほしいと思って買っていく客が多いだろう。その喜びを包装でも補助できるなら、私は商人として君の言うパッケージを実現してみたい」 美しい包装。 それに喜びを感じる人々。 思い浮かぶのは誕生日やクリスマスにプレゼントを贈る行為。幸せに、幸せに、と願って真心をを込めて包まれた贈り物のこと。 そこにきっと、悪意なんて入る隙もないんだろう。 夢のような光景。 そんな包装なら、いい。 そういうパッケージなら欲しかったよ。 心の底から、欲しかった。 愛のこもった贈り物を愛で包んだものなら、ずっと、ずっと欲しかった。 そんなふうに思ってしまうの。 どうして? どうして? 記憶は、沈黙したままなのに。 感情だけが、欲しいと叫ぶ。 苦しい。 心が痛い。 「サク」 傷だらけの気持ちを覆うような、深くて優しい声が私を呼んだ。 「夕食ができるまで、私にガイアのパッケージを教えてくれないか?」 「うん……」 話す。 話すよ。 ビロード張りのジュエリーケースとか、キレイな模様の包装紙とか、キレイなリボンとか。 でもね、ちょっと待って。 なんでだろう。 胸がいっぱいで。 言葉が喉で詰まるの。何も言えない。ちょっとだけ待って。 一度視界が大きくにじんで、まばたきするといつもの視界に戻った。 でもまたにじむ。 ダンラルグの指が、やんわりと目尻を拭った。 それが不思議と心地よかった。 |