全身の血が、凍りついた。
――今、ルビーブラッドさん、ドラゴンって言った……?
そうだ。悠長に見ていたけど、この過去の時間は。
ルビーブラッドさんが、ドラゴンの毒を浴びる過去。
(静めなければ……被害が出る)
ダメ。逃げて……お願いです、ルビーブラッドさん!
木々が、風もないのに揺れる。それも、一部の木々だけだ。
あの方向から、ドラゴンがやってきてるんだ!
ルビーブラッドさんとブレックファーストさんは、密猟者たちを魔術で縛りつけ、卵を手にそちらへと向かっていった。
「来たぞ!」
ドラゴンが姿を現す。
――私が絵本で見たようなドラゴンとは、少し違った。
大きさは、この森の木の高さと同じくらい。思ったよりも小さかった。でも、目が金色にギラギラと輝いて、辺りを睨みつけるようにしている。
その金の瞳が、ルビーブラッドさん達を捉えた。
――いけない!
「俺が眠らせる。その間に卵をいったん隠してくれ」
「分かった」
ルビーブラッドさんとブレックファーストさんは、二手に分かれた。
ブレックファーストさんが卵を持って後方へ走り去り、ルビーブラッドさんが惹きつけるように前に躍り出る。
私は――その彼の裾を、握り締めた。
お願いです……行かないで。
でも、私の手は何にも触れられない。
ルビーブラッドさんは、止められることなく走り去っていく。
「こっちだ」
ロッドをドラゴンに向けて、魔力を込める。
それに、ドラゴンが反応しルビーブラッドさんの方を向いた。
『グリージオ 刹那の断罪者鳩羽鼠の雷鳥よ 瞬く灰白と轟く後進の道 我は汝の神速と髄撃を求める者 衝撃と轟音 汝の力を見せよ』
雷撃は、ドラゴンの肌に弾かれる。
本当に雷が落ちたような音がして、辺りが焦げくさくなった。
私がその音と匂いに圧倒されている間に、ドラゴンはルビーブラッドさんの身体を尾で打った。彼の身体はひとたまりもなく吹っ飛ぶ。
ボキン、っていう嫌な音を聞いた……。
ルビーブラッドさんは構わず、次の魔導を使う。
『ベルデ 馥郁の疾走者深緑の鶸よ 流るる緑と無の道 我は汝の気ままと自由を求める者 鋭利と飛揚 汝の力を見せよ』
竜巻のような風が、ドラゴンに当たったけれど、それでも倒れない。
――なんて、強い。
(やはり、攻撃では眠らせられん)
(それに怒りが痛みを凌駕している……シュヴァルツしかない)
ルビーブラッドさんのロッドが、今まで見たことないくらいに光りはじめた。
こんなにも魔力を注ぎこむルビーブラッドさんを見たことがない。
空気中のチリが、焦げるんじゃないかって思うくらいの熱さを感じる。
さすがにドラゴンが身構えた。
――それが、いけなかったのかもしれない。
ドラゴンの視線が、ルビーブラッドさんから一瞬ずれて――。
はるか後方にいる、ブレックファーストさんへと向かった。
たぶん、正しくは彼の持つ……卵に。
割れるような声が、響く。
風が巻き起こる。
ドラゴンが、ブレックファーストさんめがけて飛んだ。
「××××!」
ブレックファーストさんの目の前に、ドラゴンが下り立って、その鋭い爪を彼めがけて
振り下ろした。
ブレックファーストさんはギリギリで避けたようだったけど、もしかしたらかすかに爪に当たったのかもしれない。
パッ、と血が舞った。
「うっ……!」
顔に……傷が!
顔面の左半分が、血に染まる。
さらにドラゴンの息で、ブレックファーストさんが吹き飛ばされた。
――っ!
変な落ち方をしたせいで……また嫌な音が鳴った。
「かは……っ!」
「××××!!」
――私は、成り行きを見守るしかできなかった。
ドラゴンが口に紫色の光を溜めた。
呆然とするブレックファーストさん。
その前に、ルビーブラッドさんが立つ。
ロッドの光は、消えてない。
ドラゴンの、紫の光も。
放たれる。
紫の光は、ルビーブラッドさんに直撃した。
瞬間、液体に変わって、ルビーブラッドさんの身体にまとわりついて。
一気に、蒸発した。
「×××ーーーー!!」
ブレックファーストさんの絶叫が聞こえる。
ルビーブラッドさんが輝くロッドを構えて、呪文を唱えた。
『シュヴァルツ 永劫を彷徨する漆黒の烏よ 陋劣な獣と心神の腐敗 其の者共は汝が渇望せし奸悪なる芳香の果実 惨禍と懲戒 汝の糧とせよ』
光がドラゴンを捉えて、包み込む。
その光が収まった後、ドラゴンの巨大な身体は傾いて。
大きな音とともに、地面に沈みこんだ。
同時に、ルビーブラッドさんの身体も。
「×××……っ!しっか……りしろ……っ!」
「……ぐっ!」
ゴポ、とルビーブラッドさんが血を吐きだした。
黒い、血。
(――これで、いい)
(あのドラゴンが、次に起きたときは冷静で、目の前の卵に気付くだろう)
静かな声が、私の頭の中で響く。
酷く冷たくて……怖い。
嫌だ。もう見たくない。聞きたくない。
「何故……私なんかをかばったんだ……!」
「……今度は、間違えない」
(出来ることは、全てやる)
(悔いは、ない……のに)
「彼女はどうするんだ……っ!君を待っているんだろう!」
(――シシィ)
ルビーブラッドさんの手が、かすかに動いた。
「……頼みがある」
「嫌だ……聞くものか。君が果たせ!」
「ドラゴンの毒の……威力は知っている……だろう……。俺は、あそこには、もう行かないと……伝えてくれ……」
(――泣かせたくない)
(シシィを思い出すときは、いつも泣き顔ばかりだ)
(俺が死んだと知ったら、泣くんじゃないかと思うのは、思い上がりだろうか)
――目を逸らしたいのに。
ルビーブラッドさんが、こんなときまで、人のことばかりだから。
どうして。
何で、こんな時に私の心配をするんですか……!
「…………っ」
ブレックファーストさんが、崩れおちる。
すすり泣く声が聞こえた。
ルビーブラッドさんの手が、重そうに動いて懐を探り、懐中時計を探り当てる。
その、懐中時計の裏ぶたが、カツンと開いた。
ルビーブラッドさんの胸に、何かが落ちる。
「……幸福を、貰った」
震える手で、微笑みながらルビーブラッドさんが触れたそれは。
――持っててくれているなんて、思わなかった。
それは、彼の無事を祈って渡した馬蹄のチャームだった。
「……君が、拒んでも」
ブレックファーストさんの手が、ルビーブラッドさんの耳に触れる。
「私は、君を彼女に一目会わせよう……」
――違う、ピアスに触れている。
「止めろ……!無理だ、お前には」
「遠心力……魔術は、勢いでも、発動する……」
ブレックファーストさんの魔力が――勢いよく廻り始めた。
それに呼応して、ルビーブラッドさんのピアスも光りはじめる。
……もしかして、ブレックファーストさんは、魔術発動に足りない力を魔力を勢いよく巡らす力で補おうとしているんじゃ。
理論上は可能かもしれない。
でも、それは――かなりの無茶だ。
止めて、ブレックファーストさん!貴方の身体もボロボロなのに、それ以上の無茶はいけない!
「――恨んでくれていいよ」
◆◆◆◆◆◆◆◆
(何故、追ってきてしまったんだ)
ルビーブラッドさんを追って、丘を下りていく私が見える。
(追ってこなければ、知らずにいれたのに)
(あとは、ブレックファーストが誤魔化してくれただろうに)
(何故、わざわざ傷ができる方に来た)
――だって。
追いかけられずにはいられなかった。
ケガをしてれば、誰だって心配するじゃないですか。
それが……好きな人なら、なおさら。
何をおいてでも、追いかけてしまいます。
(傷になるくらいなら……嫌われた方が良い)
(最低なやつになった方がマシだ)
私が、ルビーブラッドさんの腕に触れようとする。
「触るな」
(――いっそ、思い出したくもなくなるくらい嫌いになって、忘れてくれ……)
◆◆◆◆◆◆◆◆
いつの間にか、目の前にモノクロのガーデンが広がっていて、シシィは溢れ出る涙をぬぐった。
――このペンダントには、空間転移と夢の魔術がかけられてる。
空間転移は、時間をも飛び越えるときがある。ルビーブラッドが現在魔術を制御できていないせいで、時間も制御ができず、主の過去に飛ぶことになったのだろう。
全ては、バランスを乱したために起こった現象。
けれど、あれは本当にあった出来事。
また、涙が溢れ出てくる。
止まらない。
一言では言い表せない、複雑な感情が胸の中で渦巻いて、シシィの頭を心を掻き乱し、思考をめちゃくちゃにする。
叫びたいのに、声にならない。
涙がぬぐってもぬぐっても流れて、頬を濡らしていく。
どうすればいいのか分からないのに、理解はしてしまった。
――ルビーブラッドさん。
その名前を呼ぶだけで、胸が苦しくなる。
苦しい。
痛い。
目の前にある現実が。
――分かってる……本当は分かってる……。
――ルビーブラッドさんを、救えないことくらい分かってるよ……。
彼を見た、全ての人が諦めていた。
今の魔術ではどうしようもないのだと。
それでも足掻いたのは、ルビーブラッドのことが好きで、留めておきたくて、そんな子供のような我がままで酷いことをした。
どうしたって、助けられない。
あの毒は、取り除けない。
――あの毒は……。
ポタリと。
目の前を光るものが落ちていった。
「!?」
足元を見ると、それはアステールで。
次々と上から降ってきた。
「な、何?」
空だけは変わらないと思っていたが、やはりこれも主が生死の境をさまよっている影響なのか、鳥たちが流星のように飛びながらアステールを落としていく。
まるで、星の雨のようだった。
あっという間に、地面が光で覆われる。
――光?
シシィの脳裏に、ドラゴンの紫色の光が思い起こされた。
――紫の光。
――ドラゴンの毒。
――ルビーブラッドさんの魔導。
――ロッド。
――反応したドラゴン。
――それは。
バラバラだったものは、一つと成り。
シシィは――涙を流しながら、地面のアステールを見つめた。
空の星と同じように瞬く宝石。
その瞬きが優しい。
ただ無心に見つめて、シシィは唐突に悟った。
――そっか……そうだね。
――私は……諦めなくちゃいけない。
『……シシィ』
雑音のような、声が背後から聞こえた。
振り返ると、噴水の前にモノクロのルビーブラッドの姿があった。
――きっと、あれも過去のルビーブラッドさん。
おそらくは、このガーデンにいたときの。
シシィ自身が見てきた彼だろう。
その姿を、地面のアステールが優しく照らす。
――諦めなくちゃ、いけないんです。
――努力、しますから。
――きっと、忘れられるようにしますから。
ルビーブラッドのもとに近づいていく。
瞬くアステールに照らされながら、ゆっくりと。
近づくごとに、鼓動で世界が揺れて、呼応するようにルビーブラッドの姿に色がついていく。
深い緑の髪。
赤い瞳。
優しい微笑。
――貴方を苦しめるだけの、この想いは言わない。
――でもせめて、ここでだけ。
――夢の中だけで、いいから。
「……私は、ルビーブラッドさんのことがずっと好きです」
オレンジの香りに、抱きしめられた。
シシィが大きな背中にすがるように抱きしめると、ルビーブラッドはさらにシシィを強く抱きしめた。胸が苦しくなる。
それは、抱きしめられているからでなく。
このときが、偽りだと知っているからだ。
「――大好きです」
ルビーブラッドの唇が髪に触れるのを感じながら、シシィは噛みしめるようにして、もう一度呟いた。
「大好きです」
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