(どこにいるんだ、××××)

 ルビーブラッドさんの旅が始まった。
 彼は冬に故郷を旅立った。ワークネームを手に入れただけで、他は何もない。
 最初は魔術師の資格しか持ってなかったみたい。
 でも、旅が1年過ぎると、ルビーブラッドさんは魔導師として認められた。
 若き魔導師のもとに、実力を見ようと山ほど仕事が舞い込む。
(必要とされているのなら、応えなければ)
 ルビーブラッドさんは、無我夢中で仕事を受けた。
(借金が、日に日に増えていく……いかん)
 そのうち、ご飯を食べなくなった。
 見る間にやつれていった。
 ただ、星を見上げる時間が増えていく。

「魔導師さま……これ、少ないけど……」

 山村の中にある、みすぼらしい小屋。そこにおじいさんと孫が住んでいて、ルビーブラッドさんはおじいさんの身体を治すために、魔術を使った。
 たまたま通りかかったルビーブラッドさんに、小さな男の子が依頼したのだ。
 ルビーブラッドさんはそれを受けた。
 孫の少年の手には、わずかばかりのお金が乗せられている。
 それを一瞥した後、ルビーブラッドさんは視線を森へと移した。

「お前の祖父から、もう受け取った」

 小屋の中に入り、ルビーブラッドさんはおじいさんの枕もとに、薬を置いた。

「魔導師様……どうぞこれを」

 おじいさんも起き上がり、枕もとの棚から銅貨を1枚差しだした。
 目もくれず、ルビーブラッドさんはロッドを静かに手に取る。

「孫から既に貰った」

 ――結局。
 ルビーブラッドさんは、弱い人たちを見捨てられないんだ。
 どんなにお金が必要でも、ルビーブラッドさんはこういうやり取りをたくさんしていた。
 依頼の数は多いのに、借金はなかなか減らない。
 全ての依頼でお金を受け取っていれば、1年は借金を返す時期を早められたはず。
 借金返済の催促をされながら、依頼をこなす日々。
 国からの依頼が増えて、貰えるお金は増えてきた。
 でも、陰口も増える。
 「化け物」「悪魔」だなんて、根も葉もない噂と陰口。
 その言葉は、確実にルビーブラッドさんの精神を蝕んでいった。

「――!!」

 ルビーブラッドさんが、森の中で足を止める。
 旅に出たときより大人っぽくなった……私が会ったときと、印象が変わらない。

「いかん……!」

 ルビーブラッドさんがいきなり走り始めた。
 同時に、地響きが耳をつく。
 ――すごい音。なに、これ?
 ルビーブラッドさんの後を追っていくと、いきなり森が開けた。眼下には村がある。
 でもルビーブラッドさんが見てるのはそこじゃない。その村の上。
 崖を下りてくる、土砂崩れだ。
 なんて……大きな!あれは、村を飲み込んでしまう!

『ブルーノ 愛育を施行(しこう)せし焦茶の(とび)よ 揺れる全色と動かぬ道 我は汝の頑なと寛容(かんよう)を求める者 誕生と促成 汝の力を見せよ!』

 早口でルビーブラッドさんが呪文を唱えると、土砂崩れのスピードが遅くなった。
 でも、完璧には止まらない。
 ……自然の力は強い。
 何とか、村をよけるように土砂を2分割にした。
 急いで村に下りると、村は騒然としていた。

「無事か」
「おぉ……魔導師様ですか……!貴方様のお陰で、村は助かりました」

 みんな、ホッとしたような顔をしてる。よかった……!
 でも、ルビーブラッドさんは目敏く、地面にひざをついている人を見つけた。

「怪我か」
「…………妻と、娘が土砂に……」
「……!」
「魔導師様のせいじゃねぇ……雨上がりだってのに、薬草を……崖の方まで取りに行ったのが悪りぃ……」

 ――土砂崩れが起こった瞬間に、奥さんと娘さんは巻き込まれたんだ。
(……もっと、早く発動してれば)
 暗い声が、私の頭の中だけで響く。
 目の前のルビーブラッドさんの表情は変わらない。
 ただ、男性を黙視している。

「でも……ばあさんのための薬草を摘むことの……何が悪かったんだ……!」

 男性は泣き崩れた。
(何をやってるんだ……俺は……)
(守れなかった。善良な人間を…………)
 ルビーブラッドさんの顔色が……青くなる。
 手が、震えてる。
(守れなかった。取りこぼした……この力は、守るためにあるのに)
(役に立たない力は、守れない力は、ただの暴力だ)
(何が魔導師だ……俺は、昔から変わってない)

(ただの、化け物だ――)

 ――見てられない。
 もう、見たくない。こんなにも、ボロボロのルビーブラッドさんを。
 誰か、助けてあげて。
 息が苦しいほど、私は嗚咽が止まらないのに、ルビーブラッドさん本人は泣かない。
 お願いだから、誰かルビーブラッドさんに光をあげて。
 違う。誰でもいいんじゃない。
 ブレックファーストさんだ。ブレックファーストさんだけが、ルビーブラッドさんの痛みを理解してあげられるのに。
 どうして、ここにいないんだろう……!





◆◆◆◆◆◆◆◆





 緑の森。どこか、見覚えがあるような……。
 ルビーブラッドさんは、木々の上を飛んで逃げていた。
 背後には借金取り。
(――疲れたな……もう3日も食えていないし……)
 ルビーブラッドさんにしては珍しく、ぼんやりとしていたせいか。
 彼は足を踏み外した。
 ――あ!?
 私が驚いたのは、ルビーブラッドさんが地面に落ちていくからじゃなく。
 その先に。
 ――私が、いたからだ。
 あ、これは、私がBさんにライランバ草を取ってくるのを頼まれた時のことだ。
(魔術師か……なら回避するだろう)
 いや。いやいやいや!ルビーブラッドさん!このときの私はひよっこどころか、卵です!魔術なんか全然知りませんから!
 一瞬後、何もしない私に慌てたらしく、ルビーブラッドさんは早口に風の魔導を唱えて身体をいったん浮かした。
 あー……なるほど。あの時ダメージが少なかったのは、そういうことですか。
 何て悠長に考えてるけど、確か、この後は。

「仲間だ!仲間がいるぞ!」

 ――逃亡劇だ。
 ルビーブラッドさんに引っ張られるまま、間の抜けた顔で私が後をついていく。なんだか、自分を見てるのって恥ずかしいなぁ……。
 体力も精神も限界のはずなのに、ルビーブラッドさんが楽々と私を担いだ。
 でも、私はじっとしてない。ああ、もう!じっとしてなさい!
(……動かれると走りにくい。仕方ない、じいさま直伝の脅しをするか)

「暴れるな。男が触って嬉しいところに意図的に触りそうになる」

 ……そうですね。効果は絶大でした。
 あの言葉、ルビーブラッドさんらしくないと思ったら、おじいさま直伝の脅しだったんですね……。おじいさまも、こんな場面によく出くわしたのかな?
 そういえば、魔導師の家系って言ってたし、おじいさまも若いころは旅をしてたのかも。そのときの知恵袋、ってところなのかな?
 この後は、ルビーブラッドさんに危ないところを助けてもらって。
(……危なっかしいのに、やけにトラブルの方へ首を突っ込む。大丈夫なのか)
(それにそもそも、俺を見ただけで逃げ出さないのも、ぼんやりしている)
 うわぁ……恥ずかしい。ルビーブラッドさんに、そう思われてたんだ……。
(……雰囲気が、××××に似ている)
 ――私が、ブレックファーストさんに?
 ルビーブラッドさんが、私にペンダントを渡してる。
 そのお礼に今度は私がオレンジケーキを渡した。
 そうだ、オレンジケーキをあげたんだっけ。
 あ、ルビーブラッドさん、ちょっと微笑んだ。やっぱり、あのときは笑ってたんだ。

「お、お名前を聞いてないです、よね?何て言うんですか?」

(――新人とは言え、名前は知ってるかもしれんな)
 戸惑ってる、ルビーブラッドさん。私が先に名前を告げる。
 ルビーブラッドさんが、重々しく口を開いて名前を教えてくれた。

「――とっても、あの、キレイな名前ですね」
「…………何?」
「うぇ!?ああああ、あのその、宝石みたいななな名前だ、だだと」

 そういえば、こんな会話もした気がする。
 あの時は『ルビーブラッド』が名前だと思ってたから、不思議な響きだと思って。

「……品種名だ」
「ひ、ひんしゅ」
「オレンジ」

 このころのルビーブラッドさん、単語でしゃべるから、推理するのに苦労したけど、
 たぶんあれはオレンジの品種名だ、ってことだと思う。
 本当に、オレンジケーキが好きなんだなぁ……。

「おいしそうな名前ですね」
「……」
「ああっ!しまったつい本音が、いや、違いまして、これは……」

(――本当に、おかしなやつだ)
(この名前は畏怖しか持たれない。なのにそれ以外の感想を持とうとは)

(化け物と忌み嫌われる俺に、何故彼女はこんなにも優しいんだ……?)





◆◆◆◆◆◆◆◆





 その後からは、ルビーブラッドさんの過去に私がチラチラと登場する。
 傍目で見ると、彼の警戒心が解けていってるのが分かった。
(口数が、自然に増える)
(××××がいた時以来か)
 時計台の上で、アステールとチャームを交換してる。
(――そうか。俺は……)





◆◆◆◆◆◆◆◆





「厳しくて、優しくて、オレンジケーキが好きな……親友を亡くしてしまって、途方に暮れている男の子にしか、見えません……っ!」

 ガーデンの中で、私が泣き叫んでる。
 この場面は――ブレックファーストさんが死んだと聞かされたときの。
(――まさか、そんな言葉をもう一度聞くとは思わなかった)
 ルビーブラッドさんが……私を抱きしめる。

(理解してくれるのは、××××だけだと思っていた)
(世界に、俺を人間だと理解をしてくれる人間が家族以外に2人もいる)
(もう充分だ。こんなにも幸福なことはない)

 ――それが、ルビーブラッドさんの幸福。
 何で……そんなささやかな……!ルビーブラッドさんは、誰が見ても人間なのに。
 そんな当たり前のことを幸福だなんて、思わないで。
 もっと、望んでほしい。
 欲張ってほしい。
 何でもいいから、それ以上のことを願ってほしい。

(今度は、間違えない)
(出来なかったことを全てしよう。そのためなら何でも捨てる)
(必ず助けになる)
(だから危ない道なんて、歩まないでくれ。そんなもの、俺がいくらでも行ってやる)

(ただ、シシィは幸せになってくれ――)

 ……どこまで。貴方は、人のことばかりなんですか。
 どうして自分の幸せを願ってくれないんですか。
 私は、ルビーブラッドさんが微笑んでくれれば幸せなのに。
 微笑むためには、幸せが必要じゃないですか。
 だから、私は、ルビーブラッドさんに幸せになってもらいたい――。