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 ぐすぐすと、鼻をすする音が聞こえた。
 どこから聞こえてるんだろう、と一面草だらけの中を見渡すと、おじいさんにあやされるように抱きかかえられた少年の姿が見えた。
 少年……でも、あれは。
 緑の髪に、潤ませた赤い瞳。
 幼い顔立ちでも、夜の闇の中でも、あれはルビーブラッドさんだってすぐ分かった。

「×××や、そんなに泣くでないよ」
「でも、じいさま。みんながおれを『ばけもの』っていうんだ。にんげんじゃないっていうんだ。おれはとうさんとかあさんのこどもじゃないの?だから2人とも、おれにあいにこないの?」

 おじいさんは、ルビーブラッドさんの頭を軽くあやすように叩いた。
 厳しそうだけど、ルビーブラッドさんを見る目は優しい。

「父さんと母さんがなかなか会いに来れんのは、2人が弱い人の味方をしておるからじゃ。お前を何より愛しておるよ」

 おじいさんはルビーブラッドさんを抱き抱え直すと、懐から――アステールを持つ鳥たちを呼ぶ笛を取り出した。
 思わず空を見上げた。
 満天の星。でもあれはきっと、アステールを持つ鳥たちなんだ。
 おじいさんは高らかに笛を鳴らした。

「×××。あの鳥たちは、酷く弱い」

 星が近づいてきて、目の前がちかちかする。

「人に触れられただけで、死んでしまうようなか弱い鳥だ。私たちはこれらを守らねばならん。それには強さが必要だ」
「……つよさが?」
「×××。お前の魔力の高さは、か弱い人々を守るためにある。人を守るのも、また人。どうしてお前が化け物であろうか」

(――じゃあ、かよわいひとのために、このまりょくをつかおう)
 後ろから声が聞こえた気がして、思わず背後を振り返った。
 でも、誰もいない。
(それならおれは、ばけものじゃない。ひとでいられる)
 これは……ルビーブラッドさんの声が直接頭の中で響いてる?

「×××。悪意に傷つくことがあっても、善意を傷つけることはないように生きなさい。そうすればきっと、お前の善意を傷つけない者が現れる」
「あくい……ぜんい……」
「今はまだ分からんかもしれんな。これをお前にやろう。きっとお前を守ってくれるじゃろうよ」

 おじいさんは、小さなルビーブラッドさんの手に懐中時計を握らせた。
 ああ。あの懐中時計は、リボンの呪いのときに見た。
 ――待って。じゃあ、これは。
 現実とリンクしてる。夢でも何でもない。
 これは――ルビーブラッドさんの過去だ。





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 風景が溶けて、今度は午後の昼下がりかな。チャイムが聞こえる。
 ドアがいっぱい並んでて、回廊がある。
 私は中庭の真ん中に突っ立っていた。
 ドアの隙間から部屋の様子が見えて、黒板がチラリと見える。
 あ、じゃあ、ここは学校なんだ。
 教室からいっぱい生徒が出てきた。みんな10歳前後ってところかな。でも男の子の方が多くて、女の子が少ない。
 観察してると、一番奥の教室から、一番最後にルビーブラッドさんが姿を現した。
 手にはお弁当箱みたいなものを持ってる。
 たぶん……お昼休み、かな?
 はぐれないよう、彼の後をつけた。
 みんなは中庭でお弁当を広げてるのに、ルビーブラッドさんはどんどん人気のない方へ行く。
 どこに……行くんだろう?
 みんなとご飯、食べないのかな……。

「お前、こんな程度の魔術も防げないのかよー」
「できそこないー」

 建物の角で、ルビーブラッドさんが立ち止まる。
 ……何だか、嫌な空気。
 ルビーブラッドさんを通り越して、私はその先の景色を見た。

「何で一般人が、魔術学校に通ってんだよ」
「もう来んじゃねーよ」
「…………」

 2人の男の子と、彼らの足もとにうずくまる泥だらけの男の子。
 泥だらけの男の子の方。
 あれは、幼いけれど……ブレックファーストさんだ。
 どうしよう。これって……いじめ?だよね?
 横を向くと、ルビーブラッドさんが悠長にお弁当包みを解いている。ルビーブラッドさん、そんなことしてる暇ないですよ!ブレックファーストさんがいじめられてます!
 あぁ、でも待って。この時点でこの2人に面識があるかなんて分からない!
 アワアワしてる私なんか目もくれず(っていうか……たぶん見えてないんだろうけど)ルビーブラッドさんは口の中でもごもごと何かつぶやいた。
 途端に、強い風が吹きつける。

「うわっ!?」

 その風に乗せるようにして、ルビーブラッドさんはお弁当の包みから手を離した。
 その包みは、ブレックファーストさんをいじめていた男の子のうちの1人の顔に直撃した。何気に苦しそう。

「ぶはっ!なんだよこの包み……」
「俺のだ」

 ――たぶん。
 同年代の男の子にしては低いと思う声で、ルビーブラッドさんが言った。
 同時に、彼らの前に姿を現す。

「返してくれ」

 その目は――鋭くて。

「ぎゃああああああああああ!」

 ……彼らを追い払うのに効果は絶大過ぎた。
 彼らは脱兎のごとく逃げ出し、ルビーブラッドさんは無言で落ちた包みを拾い上げて土を払う。

「――同情のつもり?」

 私が知ってる声より、いくらか高い声でブレックファーストさんが口を開いた。
 でも、なんだか刺々しい。
(――同情?そんな気持ち、俺が持てるはずもない)
 ――ルビーブラッドさん?

「もうたくさんだ、同情も嘲りも。僕だってこんなところに好きで来たんじゃない、魔力のコントロール法を覚えに来ただけだ、覚えたらこんなところ、言われなくてもすぐに出てってやる……魔術も魔法も魔導も、全部大嫌いだ」
「……でも、俺はそれがあるおかげで、人間になれる」

 ブレックファーストさんが、ゆっくりと起き上がる。顔にも泥がついていて、髪もぼさぼさで、鼻から血が出ていた。
 でも、瞳だけは輝いている。

「好きにしたらいい。魔術師にも魔導師にも魔法使いにもならないのも。ただ別に、俺はお前に同情したんじゃない」
「…………」
「いじめられないかわりに、避けられる。怖がられる。そんな俺が、お前と同じ気持ちになんてなるはずがない」
「……君、精霊なの?」

 ルビーブラッドさんが、お弁当のサンドイッチを口に入れようとして固まった。

「何で」
「なんか……この学校じゃめずらしい考えしてるし。怖がられて避けられる、って精霊なのかなって」
「……魔力で分からないのか」
「……僕は魔力が感じ取れないんだよ」

 うう。見てるこっちが痛い沈黙だ。
 何故か私がおろおろとしてると、ブレックファーストさんが口を開いた。

「……僕には、君が人間に見える」
「…………」
「君が人間ってことであってるなら――昼食を一緒に食べてもいい?」

 彼の言葉の一瞬後。
 ルビーブラッドさんの耳が真っ赤になった。





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「待て、××××。もうあんな奴らに会うな」
「×××、平気だよ。だってそれは、噂に過ぎない」

 また時間が流れて、別の景色になる。
 今度の声は聞き覚えがある。私が知ってる、ルビーブラッドさんとブレックファーストさんの声だ。
 でも、姿は若い。そうだな……14、5歳くらいに見える。
 まだちょっと、2人とも幼さが残ってる感じがする。

「だが、この時期にサークル活動を始めるなど……」
「疑いすぎだよ、×××」

 何だか――もめてるみたい?

「君は、僕が魔術の勉強をするのが気に食わないのかい」
「違う」
「じゃあ、何故僕が認められたことを喜んでくれないんだ」

(本当に、奴らが認めているなら何も言わない)
(が、あの瞳は――よからぬことを考えている気がする)
(それに、あの連中はみな、金遣いの荒い……)
 ルビーブラッドさんは考えてるだけで、何も言わない。ただ、眉間にしわを寄せて難しい表情をしてる。
 ……これって、まずいんじゃないかな。
 もしかして、ルビーブラッドさんとブレックファーストさんが、仲違いをしてしまった原因の出来事なんじゃないの?
 ルビーブラッドさん、それは心の中だけじゃなくて、ちゃんと言葉にして言うべきだ。
 じゃないと、ブレックファーストさんが勘違いをしてしまう。

「彼らは、僕を魔術師として認めて、勉強会に参加させてくれた」
「…………」

(――分かっているのに、言えない)
(××××の、夢を壊したくない。……嫌われたくない)
(俺を理解してくれる人間は、××××しかいない……)
 ――ルビーブラッドさん!
 だめだ、恐れちゃ。ブレックファーストさんなら、ルビーブラッドさんが真摯に忠告すれば絶対に分かってくれる!冷静に、穏やかに話し合えば……!

「…………好きにすればいい」

 どうして。
 2人とも、相手を大切に思っているはずなのに。
 ほら、ルビーブラッドさん。貴方が踵を返したその後ろで、ブレックファーストさんは傷ついた表情をしてる。
 胸が、痛い。





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 また、風景が変わった。
 どこかの一室みたい。とてもシンプルな部屋で、テーブルとソファしかない。
 ルビーブラッドさんは、かなり……強面なおじさん達と睨みあうようにしてソファに座っていた。
 テーブルの上には1枚の紙。
 何だろう?と思って恐る恐るのぞきこむ。

「このとおり、きっちり署名がある」

 ……これ。ブレックファーストさんの、借金の書類じゃないかな?
 何故か名前のところはモザイクのようなものがかかって読めないし、外国の字で書かれてるので契約事項すら読めないけど……金額は合ってる。
 5000万。
 ルビーブラッドさんの表情は、人形のように動かない。ただ、書面には目をくれず、おじさん達を黙視している。

「××××が払ってくれるって言ったから貸したって言うのに、奴はとんずらをこきやがった。しかもただのとんずらじゃない。アンタが払ってくれるって書き置きまでしてなぁ」

 悪い友達を持ったもんだ、とおじさん達が笑う。

「なぁ、どうしてくれるよ。アンタが払ってくれんのか?」
「…………」
「高利貸ししちまったから、アンタが払う金額はこんなもんじゃねぇけどよ。アンタなら払えるんじゃねぇのか?優秀な……化け物並みの魔術師なんだろ?」
「……グダグダ言わずとも、払ってやる」

 声が、暗い。
 ルビーブラッドさんの声じゃないみたい。
(××××。恨んでいるのか……止めてやれなかった俺を)
 違う。ルビーブラッドさん、ブレックファーストさんは恨んでない。むしろ、後悔してた。
 どうして、ルビーブラッドさんを信じられなかったのかって。
(すまない。友達なら……親友なら、嫌われてでも止めるべきだった)
(この借金……あいつらに背負わされたんだろう?お前は、人が好いから)
(もう迷わない。俺は、お前のために出来ることを全てしよう)
(だから、戻って来てくれ)

(――俺を人間だと思ってくれたのは、お前だけなんだ)

 頬を、涙が伝っていく。
 もう、やめて。
 ルビーブラッドさん、そんなふうに、自分のことを思わないでほしい。
 誰が何と言おうと、貴方自身がそう思おうと、私にはルビーブラッドさんは人間にしか見えないんです。
 大好きな人にしか、思えないのに。


(今の俺は、人間じゃなくなってしまったようだ)


 その言葉が、私の胸に深く突き刺さる。