「それで……『ラフォー』っていうのは誰ですか?」
とりあえず、図書館で立ち話もなんだということで。
一度自宅に帰り、シシィとBが淹れたお茶で3人はティータイムだ。
と言っても、シシィの方はそんなのんびりとした気分じゃない。
シシィの質問に、ルウスは紅茶を一口飲んだ後、静かにカップを皿の上に戻しながら答えた。
「貴女のおじいさんの名前です。闇色の帽子をかぶっていたでしょう」
「ええ……ルウスさんと同じような」
ルウスは帽子を取り、シシィに手渡した。
「この帽子は、シシィのおじいさんから頂いたものです。彼には息子のようにかわいがってもらいまして、彼の帽子コレクションのうちの1つを頂いたのです」
「コレクション」
どうやら祖父は、帽子をコレクションしていたらしい。
帽子をまじまじと見つめ、結構いい作りの帽子だなぁ、というのんびりした感想を思いながら、シシィは再びルウスに帽子を返した。
あの帽子を見て、自分のワークネームを決めた。
ということは、間接的に祖父が名付け親、と言うことだろうか。
「ルウスさんは……」
祖父と面識があったんですね、と言いかけてシシィは固まった。
そう言えば、今まで何も思わず呼んでいたが。
「闇色ハット?」
「……ルウスさんのこと、師匠って呼んだ方が良いですか」
おずおずと尋ねると、ルウスはぷっ、とふきだした。
「結構ですよ。もう師匠と弟子ではないんですし」
「そうなんですか?」
「旅立ちの儀式を済ませましたから。先に言うと、師匠と弟子の関係でなら本名を知っていても大丈夫なんですよ。私の魔力が少し、貴女にも流れたはずです」
――魔力。
それはあの、魔法陣が消えかかるときに胸に入ってきた、銀色の魔力のことだろうか。それなら確かに、体の中に入ったが。
「魔力を混じらせれば、同一人物として認識されるので、『名前を知られた』ことにはならないのです」
「いや……でも、そもそも師匠と弟子になった覚えが」
とんとないのですが、とシシィは言うが、ルウスはにっこりと微笑んだ。
つられて、Bも笑う。
「一緒に食べたんですってね、オレンジケーキ」
「……は?」
「私と出会って最初、本を探したでしょう?あの途中でオレンジケーキを食べたじゃないですか」
「あぁ……食べましたね」
お腹が減って、あのとき持っていたオレンジケーキを、ルウスを分け合って食べたのは覚えている。しかしあれが、何だというのか。
「『師匠と弟子』になるには、魔法陣の上で同じ食べ物を食べればいんですよ」
紅茶を取ろうとした手が、思わず止まった。
「……え?な……何?何ですか?」
「だから、私は貴女からオレンジケーキを貰う際、こっそりと魔法陣を敷いていたわけです。その上で、同じ食べ物を食べた。これで師匠と弟子の契約は完了です」
シシィは頭を抱えた。
今まで魔術師になったのは、魔術師としての登録を済ませてしまったときからだとばかり考えていたが、それまでに既に魔術師見習いにはなっていたらしい。
しかも、自分の知らないところで。
結局、魔術師となる運命は変えられなかったということだ。
Bが紅茶を息で冷ましながら言う。
「この名前云々があったから、貴女に魔術師のルールブックを渡せなかったのよ。今度仕入れて、貴女に渡してあげるわね」
「是非とも……お願いします……」
「名前のルールに関しては、私の嘘も入ってますからちゃんとしたルールを覚えてください」
――できれば、最初からちゃんとしたルールを教えてほしかったなぁ。
その辺りは恨めしく思うが、かと言って最初から「貴女は魔術師になりなさい」などと言われたら、おそらく自分は逃げただろう。
何故だかそんな確信だけは、妙にある。
――まぁ、色々あるけど。
今、彼らに言いたいのは、1つ。
「――ありがとうございます、見守ってくれて」
感謝をしたい。
師の頼みとはいえ、犬になってまで自分の力になってくれたルウス。
それを支えてくれたB。
たくさんの想いに支えられて、自分は魔術師になれたのだ。
ルウスとBは、笑みでその礼に答えた。
「さて、そろそろ闇色ハットは眠る時間ですし。B、お暇しましょうか」
「そうね」
ルウスとBがソファから立ちあがる。
時計の針は9時を指そうとしていた。
「あ、あの……」
「さみしがることはないわよ、闇色ハット。私にも、ルウスにも会いたくなったら店まで来ればいんだから」
――あ、そっか。
ルウスは何も、遠くに行くわけじゃない。
みんな近くにいてくれる。
シシィはルウスとBを見送ろうと立ち上がった。
ガタン、と外から音がした。
「――何かしら?」
Bの言葉に、ルウスもシシィも首を傾げる。
外から、と言ってもそれは近い所から聞こえた。
キッチンの勝手口の近く。
3人で顔を見合せてから、シシィが恐る恐るドアの外を確かめた。
何も、ない。
ただ、いつも通りの静かな夜があるだけだ。
――あ、星月夜だ。
月はないが、星が月と同じくらい明るい。
シシィが一歩外に出ると、視界の端に黒い物体が入った。
「!?」
もしや幽霊!?とビクリと体を震わしながら、ドアの陰に隠れて見えなかったものに
目をやると、それが何だったのか理解できた。
――え?
理解は出来たが、到底信じられなかった。
「……闇色……ットく……」
ドアの陰、壁にもたれかかるようにしていたのは――ブレックファースト。
いつもなら優しげな表情を浮かべるその顔は血に塗れて、左のまぶたから頬の辺りまでざっくりと縦に深い傷がつけられている。
血まみれなのは、顔だけじゃない。
手も、足も、胴体も、あらゆる所に血がにじんでいる。
気が遠のくのを、シシィは必死に引き留めた。
「ブレックファーストさん……!どうしたんですかっ!!」
震える声で、シシィはブレックファーストに話しかけた。
肩に手をおこうとしたが、触っていいのか分からない。ただ、目の前にオロオロするばかりのシシィに、彼は血とは違うものを目からこぼす。
――痛い、よね……!どうしよう、お医者さん……!
シシィの声にただ事でないものを感じたらしいルウスとBが外を覗き、ブレックファーストの姿を見て息を呑んだ。
「B!治療薬を持ってきてください!」
「闇色ハットのところにはないの!?」
「少量なら……っ」
ある、と言いかけて、シシィは止まる。
ブレックファーストが、震える手でシシィの服の裾をつかんだからだ。
「…………て……れ」
「何ですか……!?」
「追いかけてくれ……」
ブレックファーストは、涙をこぼしながらシシィに嘆願する。
「追いかけてくれ……あのバカを……!頼む、恨むなら私を恨んでくれていいから」
「え……あ……?」
「後生だ……取り返しのつかなくなる前に!」
胸が、ざわめいた。
ブレックファーストの言葉に気圧されるように、シシィは後退する。
――何を、追いかけるの?
ざり、と後ずさりした地面を見る。
血が、点々と丘を下る方に続いていた。
胸の、ルビーブラッドから貰ったペンダントが熱くなる。
焼けつきそうなほどに。
不快で、気持ちが悪い。
頭が痛い。
殴られたように。
――この、感覚は。
「頼むから……ルビーブラッドを追ってくれ!!」
――ルビーブラッドさんも、ケガを!?
シシィは弾かれるように、血の跡を追っていった。
その様子を見て、ルウスも追いかけようとしたが、ブレックファーストを見やり、一瞬戸惑った後、彼の傷に手を触れた。
傷は深い。
処置が遅れれば、命に関わる。
その傷を見つめるうち、ルウスはあることに気付いた。
「貴方……まさか、この傷……これは……!」
「すまない……すまない……っ」
ブレックファーストは、熱に浮かされるようにつぶやく。
「恨むなら、私を恨んでくれ……。それでも私は……彼の最期を彼女に見届けてほしかった」
********
血の跡は、丘を下りていく。
地面が真っ赤に染まっていく面積が、丘を下りるごとに多くなっていき、それとともにシシィの胸の不安も大きくなっていく。
――どうして、こんなケガを。
不意に、本当に殴り合いのケンカになったのかとも思ったが、ここまで酷くなるほど2人は憎み合っているだろうか。
相手を責めるどころか、自分を責めているあの2人が。
それは考えにくいことだった。
「! ルビーブラッドさん!」
夜の闇に、ルビーブラッドの背中が見えた。
どことなく、歩き方がおかしい。足を引きずっているようだ。
ルビーブラッドはシシィの声に、珍しく体を震わせた。
その間に、距離は縮まる。
「ルビーブラッドさん、どこかケガをしてるんじゃないですか!?」
「…………」
「どこを……足ですか!?ブレックファーストさんが、酷いケガで……」
「…………」
「痛いところは……向こうまで、歩け……」
いつものように、ルビーブラッドの腕を取ろうとした。
その手が、弾かれる。
「触るな」
他ならない――ルビーブラッドの手によって。
「…………」
言葉にすら、ならない。
耳鳴りがする。
今起こったことが、信じられなかった。
――拒絶、された……?
「あ……い、痛いから、触っちゃダメ、なん、です、よね」
「消えろ」
今まで聞いたことないような、冷たい声。
――違う。……ある。
その声は、敵対する人間に向けられる敵意の声。
「二度と、俺の前に姿を見せるな」
「…………る」
「理解したか。消えろ。帰れ」
取り付く島もない。
ルビーブラッドの背中から、拒絶が強く感じられる。
息が、できない。
胸が痛い。
苦しい。
自分がちゃんと生きてるのか、分からなくなる。
――余計な、お節介だったから?
ブレックファーストと会わせたことに怒っているのだろうか。
彼の逆鱗に触れてしまったのだろうか。
じわじわと、シシィは後ずさりする。
涙がこぼれた。
――だって、私はこんなにもルビーブラッドさんが好きなのに。
好きだと言う前に、嫌われてしまった。
嫌われた、なんてかわいいものじゃない。
――憎まれてる。
シシィは耐えられず、家に帰ろうと振り向こうとした。
その刹那、かすかに見えるルビーブラッドの頬から光るものがこぼれたのを見た。
――涙?
「……き、えません。帰らない、です」
震える声で、シシィはルビーブラッドに向かって言う。
「だ、だって、ルビーブラッドさん、ケガをしてる、から。私のこと、嫌いでもいいです、から、手当てだけはさせてください……っ」
「帰れ」
「嫌……です。手当て、します……!」
ルビーブラッドの腕を取ろうとしたその手は、宙をかいた。
彼の身体は大きく傾き、地面に吸い寄せられるように倒れた。
「ルビーブラッドさん!」
「見る、な……」
うつ伏せで倒れたルビーブラッドは、肘をついてシシィから顔を隠すように下を向く。
ゴプリ、と嫌な音を立てて、ルビーブラッドは大量に血を吐きだした。
シシィのスカートにも、血が飛び散る。
赤くは、ない。
鉄臭いのに、真っ黒な液体。
――黒い血?
「ま、待ってください……すぐにお医者様を……!」
「呼ぶな。このまま……捨て置いて、帰れ」
青白い横顔が見える。額に浮かんだ汗も。
こんな状態の人間を捨て置いていく人間などいやしない。
シシィは首を横に振った。
「嫌です……お、お医者様が嫌なら、何とかしますから……っ!」
「……見るな……」
彼は最後の力さえ失ったかのように、地面に崩れ落ちた。
息ができなくなるのでは、とシシィは重いルビーブラッドの身体を仰向けにする。
ルビーブラッドの瞳から光るものがこぼれた。
「泣かせたくない……捨ててくれ」
――分からない。貴方が何を言いたいのか。
彼の瞳に、光が見えない。
それでも、今ここで本当に捨て置けば、二度と会えなくなる気がしてシシィはルビーブラッドの頭を自分の膝に抱きよせた。
血と涙でスカートが汚れる。
「消えない傷に……なりたくない……シシィ」
冷たい手が、シシィの手を握る。
それはまるで――さよならの握手のようだった。
「俺の死を、見ないでくれ」
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