――親友?
 何を根拠に、と思うが、ブレックファーストは確かに一瞬だけルビーブラッドを見たことはあるが、それだけでルビーブラッドの好物が分かるはずがない。彼の好物は誰にも教えていないはずだ。
 ならば、ブレックファーストは本当に、ルビーブラッドの親友で。
 けれどそれは――シシィにとって、複雑なことになる。
 あらゆる感情が渦巻いて、シシィは堪えきれず声を荒げた。

「なら……っどうして、ルビーブラッドさんを裏切ったんですか!」

 ブレックファーストの目から、輝きが失われて、それを見たシシィの胸も酷く痛んだ。
 違う。言いたくないのに、言ってしまう。
 どうしても、ルビーブラッドの味方をしてしまう。
 ブレックファーストの苦しさや、闇も知っているはずなのに。
 ブレックファーストを責める声が、震える。

「あんまりです……ルビーブラッドさんは、貴方が、死んでしまったと思っていて」
「……それなら、そのほうがいい」

 シシィの声とは違い、彼の声は酷く冷静で穏やかだった。

「もう、会わない方が良いんだ、私たちは。彼は世界的な魔導師で、私は復讐者。こんな人間は近くにいない方が良い」
「なっ……」
「それに、裏切り者だ、私は。闇色ハット君、君の言うとおり、私は1番の親友だった彼を信じなかった、愚かな裏切り者なんだよ」

 ――貴方は自分を裏切り者だと言うけれど。
 ルビーブラッドは、それでも泣いていた。あの時、涙は見せなかったけれど、絶対に泣いていたのだ。
 すがっていたモノが、消えてしまったような。
 酷く不安な心で。
 ――ルビーブラッドさんには、貴方が必要だったのに……!

「じゃあ……ルビーブラッドさんの、この4年間は、何だったんですか……無駄だったって言うんですか!」

 シシィはブレックファーストの腕をつかんだ。
 それで気持ちが伝わることはないのに、強く。

「ずっと、貴方を探してルビーブラッドさんは旅をしていたのに!不安と戦いながら、1人で、孤独に、ずっとブレックファーストさんを探してたんです!」
「え……」
「自分が払う義務のないブレックファーストさんの借金だって、代わりに肩代わりして今もまだ払ってるんですよ!?なんで……なん……っ!」

 ――何で、あんなに不器用なんだろう。
 涙がこぼれた。
 裏切った親友の借金など、払う義務などない。なのに、彼は友情を捨てきれず、かすかなその繋がりを宝物のようにして、ずっと払ってきた。
 あんなにも不器用な人を知らない。
 自分のことには無頓着で、人のことばかり器用で。
 出会ってきた人の中で、1番報われてほしい人だ。幸せになってほしい。
 なのにこれでは――あんまりだ。

「……肩代わり?何だ、それは」

 ブレックファーストが、硬い声でシシィに尋ねた。

「ルビーブラッドさんは……ブレックファーストさんの借金を、今も払ってるんです」
「バカな……ありえない」

 ふるふると、首を横に振る。
 彼の表情は青かった。

「私は、完済したんだ」

 ――え?
 聞き間違えかと思ったが、ブレックファーストは「バカな」と繰り返す。
 そういえば、とシシィは矛盾点に気がついた。
 ブレックファーストの借金は5000万。
 ルビーブラッドの借金は少なく見積もっても、億単位。
 金額が違う。

「もう、完済してだいぶ経つ。半年以上は経っている」
「で、でもルビーブラッドさんは……」

 あと少しだと。
 つまりそれは、残っているということで。

「何故ルビーブラッドが払っているんだ?私は、自分で借金を払っていた」
「わ、わからない、です……ルビーブラッドさんは、すでに億単位で返してます」
「バカな!それは私の借金の額じゃないぞ!?」

 シシィとブレックファーストは互いを見つめた。どちらもその瞳には、困惑と焦りが見える。
 ――何かが、ねじ曲がっている。
 シシィは直感で感じた。
 この2人は、何かがねじ曲がったままここに来てしまったのだと。
 ――会わせなくちゃ……。
 ルビーブラッドと、ブレックファーストは会わなければならない。

「ルビーブラッドさんに……会いに行ってください」
「しかし……」
「私には、何か、2人とも誤解をしているように思うんです!気持ちがすれ違ったままここにいるんじゃないかって……!」

 何かルビーブラッドがいる場所を知る道具はないか、と考えてシシィは胸元に視線を送る。
 ルビーブラッドから貰ったペンダント。
 これに魔力を送れば、ルビーブラッドのもとへ行けるようになっていたはずだ。
 ――でも、ブレックファーストさんが行けるかどうか。
 それに、これは自分以外の人が見ると消えてしまう。
 一瞬躊躇し、シシィは結局ブレックファーストを見つめた。

「……ルビーブラッドさんに、会いに行きますか?」
「…………」
「会いに行くなら、私、何としてでも2人を会わせます」

 ブレックファーストの瞳が泳いで、目をつむる。
 ――お願い、どうか。
 シシィの祈りが通じたかのように、ブレックファーストは目を開いた。

「……行くよ。そうだね、私たちは気持ちをどこかに置き去りにしたままなのかもしれない」

 シシィはブレックファーストの目元を手で覆いながら、胸元のペンダントを取り出す。
 いきなり視界をふさがれて、ブレックファーストは困惑気味に身じろぎした。

「ルビーブラッドさんから、魔道具を貰ってるんです。これに魔力を送れば、ルビーブラッドさんのもとに行けます。でも、絶対にこのペンダントは見ないでください、そういう条件がついてるんです」
「わかった」

 ブレックファーストの両手を、ペンダントへと誘導させる。しっかりつかませて、シシィもその手を握った。
 おそらく、ブレックファースト1人での魔力では足りない。だから、自分が補助をする。
 もしかすると、この魔道具は自分にしか使えないのかもしれないが、試すだけでもやってみる価値はある。
 ブレックファーストの手を握ると、彼はそれを合図にペンダントに魔力を注ぎ始めた。
 けれど、やはり足らない。
 ペンダントは光るだけで、魔術発動の前兆が見られない。
 シシィも遅れてペンダントに魔力を注ぐ。
 ――飛ぶのは、どっちなんだろう。
 今までこんな使い方をしたことがないので分からない。最初に魔力を注いだブレックファーストがルビーブラッドのもとへ飛ぶのか、持ち主のシシィが飛ぶのか、あるいは2人とも飛ぶのか。
 不安に思っていると、ブレックファーストの体が傾いた気がした。

「ブレックファーストさん!」
「体が……引っ張られ……」

 手を打ったような音とともに、ブレックファーストはシシィの前から姿を消した。
 風が吹く。
 木々が揺れる。
 見覚えのある景色――シシィ自身は飛ばなかったらしい。
 ブレックファーストだけが、ルビーブラッドのもとへ行った。
 ――どうか、2人が話し合えますように。
 ペンダントに祈ってから、シシィは地面に転がっていたアンティークキーと指輪を拾い上げた。
 苦い気持ちで、それを握りしめる。
 ――私も、訊かなくちゃ。今まで訊かなかったことを。





********





「ただいま、帰りました」
「おかえりなさい、シシィさん」

 ソファでくつろいでいたルウスが、顔をあげた。耳がピンとはねて、しっぽがふさふさと揺れている。
 いつもならその愛らしいしぐさに思わず抱きつきたくなるところだが、シシィは唇を噛みしめてルウスを見つめた。
 材料を抱えたまま動かないシシィを、ルウスは訝しげに窺っている。

「……どうしたんですか?」
「……ルウスさん。この、魔術薬、本当に私が作ったんでいいんですか?」

 心臓が破裂しそうなほど、鼓動を打っている。
 口の中が酷く乾いて、水が欲しい。
 けれど今、何も口に含みたくない。
 ――真実以外は。

「何を……シシィさんに作ってもらいたくて、私はこの時まで待っていたんですよ」
「じゃあ、いいんですね。私が作っても」
「当たり前じゃないですか」

 微笑むルウスにシシィは、

「私が作った魔術薬では、ルウスさんは戻れないのに?」

 真っ向から、向きあった。

「……なんですって?」

 シシィの言葉に、ルウスは目を鋭くさせた。
 知らなかった、ようにも取れるし、知っていた、ようにも見える。

「……本名を依頼人に知られると、魔術が効かなくなるそうですね」
「けれど、私はシシィさんが魔術師になる前に知り合ったのですから……」
「じゃあ、知り合うきっかけになった、不可思議な点から質問します。どうしておばあちゃんの名前を知っていながら、ここへ来たんですか」

 ルウスが、祖母と昔馴染みの知り合いだというのなら、『パール』の本名を知ることもあるだろう。けれど、そんなことがあるだろうか。
 正確な歳は知らないが、ルウスの歳はおそらく40歳は超えていない。
 『パール』と名乗る前の祖母と出会うには――年齢が足りない。
 ――でも、可能性はある。
 パール以外の本名を知る可能性は、いくらかあるだろう。高くはないとはいえ、絶対にないとは言い切れない可能性。
 けれど黙り込んだルウスの沈黙こそが、答えだった。

「――私の作る魔術薬では、ルウスさんを戻せないと知っていても、私の傍にいた理由は、目的は何ですか」

 今まで、ずっと目を逸らしてきた。
 心のどこかで、真実を知るのが怖かったのかもしれない。知ってしまえばあとに引けなくなって、ルウスが離れていってしまいそうで。
 いつのまにか、ルウスが離れることがさみしくなるくらい、そんな日が来てほしくないくらい信頼を寄せていた。
 いつも見守ってくれる目が、父親のようで心地よかった。
 なのに、彼の謎は多すぎて、知るのが怖い。
 けれど、知るべき時がきたのだ。
 もう――誤魔化せない。

「……戻せないことはない。シシィさんの魔術薬は、必ず私に効きます」

 ルウスは目を逸らさず、シシィをその銀色の瞳で見つめた。
 彼が初めて、自分と向き合ったような気がした。

「シシィ・アレモア。私が貴女の本名を知っていても、問題はないのです。貴方が気付かないうちに、儀式は済ませておいた(・・・・・・・・・・)のですから」
「なっ……」
「今はただ、魔術薬を作りなさい。もう明日まで待つ必要もない」

 疑問の声をあげようとしたシシィの口を、ルウスは見えない圧力で抑えつけた。
 彼の瞳が厳しく光り、くせものの笑顔がシシィに向けられる。

「この姿では、私は何も語れません。約束をしたのです。覆せない。それほどに、あの方の存在は私にとって強力なもの。けれど『闇色ハット』。貴女が私の魔術を解いたとき、謎は全て解けるでしょう」
「…………」

 ――圧倒、される。
 ルウスは、こんなに大きな存在だっただろうか。
 シシィはごくりと唾を呑んだ。今まで、一緒に入れたことが不思議なくらい、目の前のルウスに気圧されている。
 嫌な感じはしない。
 ただ――恐れ多い、というような。

「さぁ、始めなさいシシィさん。貴女がすべてを知りたいと望むなら」

 シシィは黙って、腕に抱えた材料を抱きしめた。