性質が逆だと言うのなら、こちらも逆のモノをぶつけてやればいい。
 祖母は、封印の際に「月属性」の石を使った。
 だから――封印しきれなかったのだ。
 月とは影。つまり闇。その属性の石を入れても、白い呪いには効いても、黒い呪いには効き目がない。
 そして太陽属性の石を入れても、やはり効果はない。
 それならば、どちらの属性でもないものを入れればいい。
 月と太陽。光と影の両方を持つモノ。

「それが――アステールだと?」

 ルビーブラッドの言葉にシシィは頷いた。
 確証なら、ある。今まで思い出さなかっただけで。

「ルビーブラッドさん、最初に町に入って、襲われた私を助けてくれたことを覚えてますか?」
「ああ」
「あの時、ルビーブラッドさんの魔導が私を守ってくれる前に、呪いの動きが止まったんです」

 もうダメだ、と思った瞬間に、呪いは確実に、一瞬だけだが動きを止めた。
 あれは呪いがルビーブラッドの魔導の発動を感じ取ったからだと思っていたのだが、良く考えれば、あのとき自分は呪いに対して攻撃をしていたのだ。
 自分自身が気付かなかっただけで。

「そのとき、私はこうやって、手で顔を守るようにしていたんです」
「――そうか……!指輪のアステール……!」

 顔を守るように手を交差させると、手の甲が呪いの方へ向く。そして自分はずっと、船の上から指輪を外していなかったのだ。
 ――守ってくれてた。
 ブラック・フィンガーに連絡を取りに行こうとして、呪いに襲われた時も、手の甲を向けるようにして自分をかばった。だからアステールの光が、呪いへと向き、結果呪いは一時的に散ったのだろう。

「月でもなく、太陽でもない。光でも闇でもない、瞬きこそが孤独共存の呪いの弱点だと思うんです」

 アステールの不規則な瞬きに、呪いは白と黒の交替を上手くできないはずだ。だからこそ長く閉じ込めていれば、そのうち孤独共存は弱っていく。
 それは――封印だ。
 シシィの言いたいことは、ルビーブラッドにも伝わった。

「……そもそも、疑問ではあった。俺の場合はコートや防衛アイテムがある程度呪いを弾いていたのだろうが、シシィが町に無防備で出て、それでも無事だったことが信じられなかった」
「え」
「怖がるだろうと思って言いはしなかったが」

 出来れば今の時点でも言って欲しくなかった。

「しかしそれが、アステールの守護だったのなら頷ける。そのアステールは、普通に流通しているものよりも輝きが強いからな」

 このアステールの輝きには、ヴィトランが見惚れたほどだ。それほどまでに輝きの強いアステールだったからこそ、シシィを呪いから守ってくれていたのだろう。

「……となると、封印の魔術も新しく作らなければいかん」
「……へ?」

 目をぱちくりさせるシシィに、ルビーブラッドは難しい表情で告げる。

「属性が一緒なら平気だが、石の属性が変わった。魔術は全てが作用し発動する。ということは、パールが記した魔法陣も魔術も使えん」
「う、え?」
「シシィ、これのグラムは分かるか」

 言いながら彼が腰に下げたポーチから取り出したのは、小瓶に入った黄色の液体だった。
 シシィはじっと見つめて、あっさりと言いかえす。

「6グラム」
「正解だ」

 半ば呆れ気味に、ルビーブラッドは再びその小瓶をしまう。

「『風の雫』の調合法は紙に書いておく。俺はこれから新しい封印魔術と魔法陣を作る」
「つ、作れるものなんですか!」
「……基本はパールが作っている。それを少しいじればいいだろうが……何せ時間がない。遅くとも、日が変わる前には封印しなければ」

 ――ということは、決行は今夜。
 タイムリミットが迫っている。ぐずぐずしていると、本当に死者が出てしまうのだ。
 ルビーブラッドも少し焦っているように見えた。

「とりあえず、俺の持っているアステールを聖水に漬けておこう。2日もは漬けられなかったが、少しでもマシなはずだ」
「は、はい」
「それで、調合はお前に任す。俺はおそらく集中するから何も答えられんと思うが、平気か?」

 シシィは胸の前で手を握り、深くうなずいた。

「――大丈夫です」





********





 夜が明けて、完全に朝はやってくる。
 白い霧が外を覆う中で、シシィは少しでも手元が明るくなるようにろうそくに火をともした。
 読書スペースに置かれた机の上が、少しだけ明るくなる。
 少年はその近くの床で、まだすやすやと眠っていた。
 ――ごめんね。
 あの眠りは、少年の意志ではない。ルビーブラッドが眠らせたものだ。
 一般人に魔術を見られることがあってはいけない。それを悪用される可能性がある以上は、絶対に魔術薬を作る過程は見せてはいけないことになっている。
 そもそも、同じ魔術師であっても調合過程を見せあうことはなかなかないらしい。
 なので、魔法陣と魔術の改良の研究をしているルビーブラッドも、近くにはいなかった。正反対の方向で、1人研究しているはずである。
 シシィはルビーブラッドの書いたメモに目を落とす。
 ――大丈夫。ちょっと複雑なだけ……。
 ただ、材料が少ないので失敗が許されない。
 そのプレッシャーが、大きくのしかかる。
 ――落ち着け……。

「まずは……ラスカシアの根を細かく刻んで……」

 根は太く、ナイフで刻むたびにザクザクという音が図書館の中に響く。
 普段の生活でなら支障はないほどに白い霧は太陽の光を通してくれるが、魔術の調合をするには手元が暗くて困る。自分の手を切らないように気をつけながら、シシィは細かく刻んでいった。

「その根を水に漬ける……っと」

 不意に、シシィは奇妙な違和感を覚えた。
 ――あれ?何か足りないような。
 それは材料についてのことではない。この状況についてのことだ。
 シシィはあたりを見渡して、首を傾げた後――それに気付いた。
 ――ああ、ルウスさんがいないんだ。
 今までずっと、魔術薬調合のときはルウスがいたので、それで何かが足りないような気がしたのだ。
 調合で自分が詰まると、ルウスは色々なアイデアを出して、シシィにヒントをくれた。
 一見犬にしか見えない彼が、どれほど頼もしかったことか。
 ――今は、いない。
 彼もまた、人形になってしまった。
 ――でもルウスさん、よく私が帰ってくるまで人形にならずに……。
 彼はいつ、この町に帰ってきたのだろうか。もしかすると、自分と同じくらいに帰ってきたのかもしれない。
 しかしそう考えても、何かがおかしい。
 ――ルビーブラッドさんは、よく私が人形にならなかったって言ってた。
 あのわずかな時間の間のことでも、ルビーブラッドにとっては奇跡だったとでも言いたげであった。もしルウスが町に入り、図書館まで急いだとしても、どんなに最短最速を考えても1時間はかかる。
 1時間もの間、一般人が呪いにかからずにすむだろうか。
 胸の中が、もやもやとする。
 シシィは己に湧いた疑問を振り払うようにして、再び作業に集中する。

 ――ルウスさん。貴方は何者なのですか……?





********





 調合をし終えたときには、すでに昼過ぎとなっていた。
 シシィは目頭を押さえながら、ため息をつく。
 ――ここまで、失敗はなんとかないけど。
 緊張からとりあえずは解放されて、手が震えている。
 ルビーブラッドがいる方を振り返るが、何も音がしない。彼もまた、魔法陣や魔術の調整に全神経を集中させているのだろう。

「はぁ……」

 ――ダメだ、緊張する。
 決戦が今夜だと思うと、不安で胸が押しつぶされそうになる。本当に封印は出来るのか、自分の推測に間違いはないのか、勝てるのか、どんどん不安が渦を巻いて、
 気持ちを混乱させていく。
 ――ルビーブラッドさんは、不安にならないのかな。
 そう考えて、シシィは自分の頬をパチンと打った。
 ――バカ!ルビーブラッドさんだって、不安に決まってる!
 彼だって、焦りをにじませた表情をしていたではないか。この状況下で、不安にならない人間などいない。
 ――自分が一番弱いなんて、思っちゃダメ。
 シシィは近くで眠る、少年を見つめた。
 彼だ。彼のような子こそを、自分が守らなくてはいけないのだ。

「……よし!」

 シシィはロッドを片手に持ち、調合薬を床に置いた。

『我は有為(うい)門扉(もんぴ)を創る者 全てはここから始まりここに終わる』

 ロッドがオレンジ色の光を放つ。
 ――どうか、噛みませんように!
 ルビーブラッドの書いた、長い呪文を思い出しながらシシィは懸命に祈る。

『二重の荊棘(けいきょく)は万物の緑を包み 重なる安定は四方に輝きをもたらす 過去を語る造詣(ぞうけい)よ 荊棘(けいきょく)に沿い歪みの永遠と成り 内側に包囲を飼いならせ 包囲は角を落とし 角は安定と成りて 造詣(ぞうけい)を支えるものと成る 飛躍せよ骨の鳥 種をもたらしたる子を貫き 緑の血は目覚める 其は羽ばたくモノ 示せ道と軽重 其は流すモノ 示せ雫と煌めき』

 円の中に、びっしりと隙間なく模様が描かれる。
 ――うっ……!
 その複雑な陣に、これまでに無いほど魔力を引っ張られる感覚がした。
 魔法陣が強く輝く。やはり難易度の高い魔術だ。
 ――でも、あと少し……。
 瞬間。
 地面が大きく揺らされた。

「きゃっ!?」

 ロッドを手放しかけて、シシィは慌てて握りしめなおした。
 この揺れは地震ではない。
 窓の外は、あまりにも白が深すぎて、周りが見えないほどだ。
 ――孤独共存の呪い!

「シシィ!」

 ルビーブラッドの声にシシィが顔をあげると、彼は焦りの表情で魔法陣を指した。

「集中を散らすな!魔法陣が消えかかっている!」
「――っ!」

 光の円が途切れかけていて、シシィはさらに強く魔力を送った。何とか途切れることはなくなったが、今度は円が歪みはじめている。
 ――揺れで、平衡感覚が……っ!
 まるでシシィの感覚が作用しているかのように、魔法陣はゆらゆらと歪む。その中央で『風の雫』の調合薬が七色に光りはじめていた。

「――っいかん!」

 その声に、シシィの背筋は冷える。
 ――失敗しかかってる……!
 ルビーブラッドが防衛を強くしようと、ロッドに魔力を込めようとするが、それを邪魔するかのように、2人の耳に不快な音が大音量で聞こえてきた。
 100人以上の人間が、いっせいに窓に爪を立てて引っ掻いているような音。
 体中の神経と言う神経の癇に障る。
 シシィが思わず耳をふさいだ瞬間――それは起こった。

「――え」

 調合薬を入れていた瓶が傾いて。
 液体が、光る床へと染み渡っていく。
 ――材料は、あれだけしか……。

『――っ防げ ゴルドフレリアッ!!』

 片方の耳を押さえながら放たれたルビーブラッドの魔術で、揺れは収まった。

「シシィ!陣を安定させろ!魔術を最後まで発動するんだ!」

 反射的にシシィは魔力を送りこみ、魔法陣を安定させ――魔術薬を完成させた。
 しかしそれは、残っていればの話で。
 立ち尽くすシシィの代わりに、ルビーブラッドがそれを確認する。
 瓶をつかむ手は、重さを感じさせなかった。
 真っ青なシシィに、ルビーブラッドは瓶を見せた。

「……の、残って、ない……」
「よく見ろ」

 崩れそうな足取りで、シシィは瓶に近づいた。

「まだ――残っているだろう」

 残っていると言えば、確かに残っている。
 けれどそれは、1ミリ分もあるだろうかという程度。
 本当に、『雫』にしかならない程度だ。
 ルビーブラッドは――苦々しい表情を見せている。

「……これでやるしかない」

 不安が一気に、シシィの胸を襲う。

「だって……だって、これで、呪いを集めなくちゃいけないんでしょう?こんな、これだけの量でなんて、そんなの」
「シシィ、今はとにかく休め。封印は俺がするつもりだったが……お前にやってもらわなければいけなくなったようだ」

 目を丸くすると同時に、顔先にロッドを突きつけられる。

『シュヴァルツ』

 ――ダメ、眠らない。
 また、1人で何かを背負おうとしている。
 シシィは頭を振り、眠気を覚まそうとしたがそんなことでは振り払えない。
 ならば、と腕に爪を立てようとすると、その手をルビーブラッドにとられた。

「な……んで……」

 封印をルビーブラッド1人がやろうとしていたなど、初めて聞いた。
 おそらく自分を危険に遭わせないためからの考えなのだろうが、それは悲しかった。

「いっつも……誰かを……守ってばかりで……」
「シシィ……?」
「貴方自身は……誰が守ってくれるんですか……?」

 ――誰かを守ることで負った傷は、誰が癒してくれるんですか。
 優しい暗闇がシシィを包む。
 目を閉じる前に見たルビーブラッドの表情は、やはり苦しげな表情だった。