「ごめんね」って母さんは言って泣いて、父さんは黙り込む。
そんな2人を見て、妹は不安そうにベッドに横たわる僕の手を弱々しく握る。
これがいつもの光景。
珍しく学校に行けた後、必ず僕が寝込むから。
それを家族は体質的なものだって思ってる。
違うよ。
理由は分かってるんだ、精神的なものなんだって。
僕があいつらのからかいに負けるから、寝込んでしまうんだって。
「ごめんね」
母さんは泣く。
父さんは黙る。
妹は不安がる。
だから学校の奴らなんて大嫌いだ。
僕の家族をこんなふうにするから。
こんなふうに。
あいつらなんて、消えてしまえばいいのに。
********
「――そう思ったから、僕はここへ呪いを取りに来たんだ」
読書スペースで、シシィと少年は向かい合って座り、ルビーブラッドはシシィの隣に立って、一人違う方向を向いて黙っていた。
痛いほどの静けさが、3人に突き刺さる。
「貴方は、どこでここに呪いがあると知ったの?」
「……僕のおじいちゃんが、昔こっそりと教えてくれたんだ。自分は昔、大きな呪いに憑かれてしまって、それを封じ込めるのに協力したことがあるんだって。その呪いは魔術師さんが丘の上に図書館を建ててそこへ隠したって」
「協力?」
協力者。
媒介者。
――ああ、そうか。
いまさらになって、シシィは思い至った。祖母はちゃんとヒントを与えてくれていた。
おかしいと思わなければいけなかったのだ。
『封印する者が憎しみに縛られてはならない。』
この記述、『封印する者』は『封印者』という記述で良かったはずなのに、祖母はわざわざそう書き残してあった。
『封印する者』にはおそらく『協力者』も含まれていたのだ。
『協力者』は『媒介者』。
だからこそ『封印する者が憎しみに縛られてはいけない』。
隣に立つルビーブラッドが、少年が話し始めてから初めて口を開いた。
「何故、呪いに手を出した」
その低い声に、少年はおろか、シシィすらも震えあがった。
「祖父から聞いていたなら、分かっていただろう。この呪いを放てばどういうことになるかくらい」
「ぼ、僕……知らなかった……」
「ならば何故、知らないものに手を出した」
「ルビーブラッドさん……っ!」
シシィは立ち上がり、少年の傍に立って手を握った。
彼の手は汗がにじみ、冷たくなっている。
「もう、この子は十分反省してます。だからそれ以上は……」
「知らないことは罪だと思わん。知ろうとしても知れないこともある。が、知らないまま使おうとするのは罪だ。お前のしたことは許されることじゃない」
「……んで、僕は許されなくて、あいつらは許されるの」
涙をにじませながら、震える声とともに少年はルビーブラッドを睨みつけた。
「あいつらのほうが、僕にいっぱい酷いことしたのに!呪いにかかって当然だ、あいつらはいっぱい酷いことしてきたんだ、悪い奴なんだ!」
熱のこもった言葉に、ルビーブラッドは淡々と返す。
「『悪い奴』は呪いにかかって当然か。なら、お前をいじめなかったクラスメイトは」
「い、いじめられてる僕を見過ごして……」
「お前がいじめられていることすら気付かなかった、学校の人間は」
「それは……」
「学校の通り道で会う人々は、お前がいじめられていることに気付いていたのか。学校の通り道ですら会わない人間はどうなる。お前の住む場所とは正反対に住む人間は、お前がいじめられてることに気付けるのか」
「う、あ……」
「町中の人間が知っていて、見て見ぬふりをしていたならそれは悪いことだ。呪いにかかって当然なのかもしれない。けれど、知らなかったらどうなる。俺は知らないことは罪だと思わない。けれど、お前は知らなかったはずの人間まで、呪いで人形にした。お前の理屈でいけば、知らないことも罪になる。それなら、知らなくても呪いを使ってしまったお前は許されない」
ルビーブラッドの視線が、少年に向けられる。
自分に向けられている視線でないのに、シシィは骨の髄から凍りついた。
――怒ってる。
視線が、魔力が、彼が怒っていることを告げていた。
「――何故、呪いに手を出した」
少年はとうとう声をあげて泣きはじめた。
「だって敵わないんだ!あいつら、僕みたいに細くないし、強いし、ケンカしても絶対に敵わない!でもなんだっていい、勝ちたかった……僕の気持ちを、惨めな気持ちを味わせてやりたかったんだ!だから、ちょっとくらいなら、大丈夫だって、思って」
「広がるとは思わなかったのか」
「お、おじいちゃんはきっと、大げさに言ったんだ、って思ってた……僕が呪いたい奴をちゃんと思ってれば、他に広がることなんて、ないって…………父さんたちに危険はないって、思ってたんだ」
そうして、彼は開けたのだ。
少年が憎いと思っている子らが、学校へ行く時間を狙って。そうすれば彼らは学校に行けない苦しさを味わうことになるだろうと考えた。
けれど呪いは少年の手に負えないものだった。
憎いと思っていた相手ばかりか、大好きな人たちまで呪ってしまった。
――怖かったよね。
シシィは少年の頭を撫でた。
次々と人々が人形になって行く光景を、目の当たりにしたはずだ。よく、心が壊れなかったと思う。
「ほ、本当は分かってるんだ。消えるべきなのは、僕なんだって」
しゃくりあげながら、少年は必死に言葉を紡ぐ。
「消えなきゃ、いけないのは、弱い僕なんだ。すぐに、諦めて、負けちゃう僕の心こそが、消えなくちゃいけないもの、なんだ」
「――それが分かったのなら」
ルビーブラッドの視線が和らぐ。
声のトーンも穏やかさが見えた。
「お前はもう平気だ。ケンカで勝てなくても、勉強で勝てるかもしれない。勉強で勝てなくても、お前の素晴らしさを見つけてくれる人間は必ずいる。こんなにも世界中、人であふれているのに、たった1人もお前の素晴らしさに気付かないことなどあるものか。それを磨けば、呪いの力など使わなくても見返してやれる」
「……うっ、うぅ……っ」
目をごしごしとこすりながら泣く少年の背中を、シシィはさすってやった。
――きっと、この子は呪いをもう使おうと思わない。
弱さを認められる人間は、反省できる人間だ。彼のやったことは、確かに許されないことで、もうどうにもならないことだけど、これからならどうにかできる。
そのために、自分たちがいる。
「……協力してくれる?呪いを封じ込めるために」
小さな頭がかすかに頷くのを、シシィとルビーブラッドは見つめていた。
********
『――あの少年に、呪いを封じ込めた本が見えたのはおそらく、封印に協力した祖父の血を継いでいたことと、少年自身が呪いを求めていたことで、孤独共存の呪いが呼びかけに応えたんだろう。封印の力も弱まっていたようだしな』
少年が泣き疲れて眠った後、ルビーブラッドは囁くように言った。
浅い眠りの中にいるシシィは、夢の中で思考を巡らせていた。
――何かを忘れている気がする。
全て謎は解けたはずなのに、何かが引っかかっている。何かを見逃している。
黒い呪いと白い呪い。
引っかかりはそこにあるような気がするのだ。
けれど、何が気になるのかが分からない。
――性質は真逆……。
白と黒は相反する性質だ。日の光の強さをきっかけに、孤独共存の呪いは性質を変える。
1つの呪いが真逆の性質を持つとは珍しい。
太陽が沈めば黒と成り、太陽が上がれば白と成る。
――だめ、思考が空回りしてる……。
同じことを何度も考えてしまって、シシィの頭は妙に冴えてしまった。ゆっくり目を開けると、夜の静かな図書館が見える。
少し目を遠くへやれば、窓の縁に座って眠るルビーブラッドの姿も。
――ああ、夜明けだ。
ルビーブラッドの向こうの景色は、朝やけを映している。そもそも、ルビーブラッドが眠っているのは夜明けの時間帯だからだろう。休め、というシシィの言葉を頑なに拒み、結局今夜もルビーブラッドが寝ずの番をすることになってしまった。
シシィは音をなるべく立てないように、そっと体を起こした。
窓の向こうには、町を覆う呪いの姿が見える。
――あれ?
シシィは目を瞬かせた。
――灰色じゃなくて、まだらだ。
夜明け時、孤独共存は灰色という色を経て、白になるのだと思っていたのだがどうやらそれは違うらしく、白と黒のまだらである。
そういえば、あの少年を探しに降りた時もまだらだった。
――何だっけ。ああ、そう牛の模様みたい。
シシィは、何に似ているか思い出し、満足した後もう一度眠ろうとしたが、
「――っ!?」
体を横たえようとする動作を止めた。
――あれは、まさか。でも……。
シシィはルビーブラッドが腰掛ける窓へと駆け寄り、窓ガラスに手を置いて顔を近づける。
――やっぱり……!
シシィは殴られたような衝撃を受けた。とんでもない勘違いをしていたのだ。
シシィの見つめる先は、まだらの白と黒の呪い。
今まで、孤独共存は2つの顔を持つ1つの呪いなのだと思っていた。
しかし、今見ているものは違う。
「……シ、シシィ?」
目が覚めたらしいルビーブラッドの困惑気味な声も、今は届かない。
シシィが今見ているのは。
「――2つの顔じゃなく、2種類の呪い……」
町を覆う呪い。
夜明け時の呪いは、意外な姿を見せていた。
黒い呪いが地面に吸われていく。
なのに、白い呪いは地面からじわじわと噴き出ている。
――黒い霧が白い霧に変わってたんじゃない。
またその逆でもない。
2つは別物なのだ。
つまり、孤独共存の呪いとは――2種類の性質の異なる呪いが、同一の呪い効果をもたらすもの、ということだ。
「そんな……」
これは……確かに封印は難しい。
種類は違うと言えど、その2つの呪いは『孤独共存の呪い』なのだ。もともとは、小さな呪いやその欠片が集まり、再構築されて1つの意思を持ったモノ。おそらく性質は別でも、白と黒の呪いは『1つの呪い』なのだ。
人間を人形にするという呪い効果の下に。
けれど性質が違うため、一方の呪いを封じ込めたところでもう一方は抑えられない。
相反する性質の、1つの呪い。
太陽と月。
光と闇。
――ああ、どうしよう。おばあちゃん、これは封印は無理かもしれない。
さらに顔を窓に近づけようとすると、ルビーブラッドが再び声をあげた。
「待て、シシィ」
「違うんです、外に出ようとしてるんじゃなくて、外の様子を……」
「当たる」
「そう当たる……当たる?」
宝くじ?と首をかしげかけて、シシィは自分の体勢を思い出した。
ルビーブラッドは、窓ガラスを背もたれにして眠っていた。
そしてそこへ窓の外を見ようと駆け付けた自分は、ルビーブラッドの肩幅より少し広い程度しかない窓の縁にひざを置き、ルビーブラッドに抱きつくような体勢で外を見ていたのである。
では当たる、とは何か。シシィはふとルビーブラッドを見下ろした。
ちょうど胸のあたりに、ルビーブラッドの顔がある。
「ひっ……こっ!」
思い切り悲鳴をあげかけて、少年が眠っていることを思い出したシシィは寸でのところで声を抑えることに成功したが、奇妙な声は出してしまった。
顔を真っ赤にして、混乱してしまったせいかバランスを後ろに崩したところを、まるで予想していたかのようにルビーブラッドがシシィの手を取り、後頭部からのダイブは免れた。
「あ、ありがとうございます……」
「……頼むから、こういう行動を不用意にとらないでくれ」
懇願の声に、シシィは首をかしげた。
――走るなってことかな。それとも縁に足をかけるなっていう?
「危ないから、ですか?」
「そうだな。危ない…………。俺も男だということを忘れないでくれ」
――んん?話がつながらないような。
何せルビーブラッドが男性であるということを認識しないときはない。ということで忘れようもないし、『危ない』が何にかかるのかが分からない。
とりあえず「はぁ」と返事になっていない返事をした後、シシィは目の端で何かチカチカと瞬くものを感じた。
見るとそれは、自分の左手につけているアステールの指輪。
――ああ、そうか。船の上から外してなかったっけ……。
あれだけ走り回ってよく落とさなかったものだ。
チカ。チカ。
瞬いたアステールを見た瞬間。
シシィは――閃いた。
「あ、ああ……!」
「……何だ?」
「ルビーブラッドさん……分かりました」
訝しむルビーブラッドに、シシィはアステールを見つめながら言葉を続ける。
「孤独共存の呪いの、最大で唯一の弱点が……!」
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