白い昼は過ぎて、黒い夜は来る。
軽く仮眠をとっていたルビーブラッドは起き上がり、孤独共存の呪いについて色々と思考していたシシィは顔をあげた。
いつのまにか窓の外は白から黒に変わろうとしている。
つまり――日が暮れ始めたのだ。
目をこするルビーブラッドに、シシィは水を差しだした。
「眠れましたか?」
「ああ……どうも、日暮れと夜明けが一番呪いの力が落ちるようだな……この時間帯に仮眠をとるのがよさそうだ」
ルビーブラッドのその言葉に、シシィは魔力を研ぎ澄まし呪いの気配を探ってみた。
言われてみれば確かに、呪いの気配が薄まっているような感じだった。インクに水を混ぜたとでも比喩をすればいいのか、とにかく濃さがない。
――ということは。
「行くなら今が絶好のチャンスですね」
「そうだな……白い呪いが気がかりではあるが」
ルビーブラッドは、シシィに視線で問いかけた。
『もう一度行く気はあるか』と。
シシィは一度深呼吸をして、ゆっくりとうなずいた。
今を逃せば、今度は暗闇の中を呪いに追い回されることになる。それは避けるべき状況だろう。
今の時間に呪いの力が弱まっているのなら、これを利用しない手はない。
「あの、でも、今さらなのですが」
「何だ」
シシィは非常に言いにくそうに、ルビーブラッドから目を逸らした。
「……あの子をどうやって見つけようかと」
自分で言って情けなくなってきた。
探す意気込みはあるものの、どうやって探せばいいのか皆目見当がつかない。
やみくもに探しまわるには大きすぎる街であるし、かと言って少年の魔力は邂逅が一瞬すぎて覚えていない。
うなだれるシシィに対し、ルビーブラッドは。
「……試してみてほしいことがある」
とつぶやくように言った。
「昨日一番初めに町へ出たとき、あまりにも静かで様子がおかしかったので辺りの魔力を探った」
「そ、それで?」
「魔力は全く感じられなかった」
シシィはがっくりとうなだれた。
もしかしてルビーブラッドの魔力探索にあの少年の魔力がかかっていたのか、と淡い期待を抱いたのだがそういうことではないらしい。
ルビーブラッドはさらに続ける。
「よく考えてくれ。辺りの魔力を感じ取れないなんてことはないはずだ。人形になったとはいえ、元は人間で、大抵の人間は目覚めていないが皆魔力を持っている。そしてそれは感知できる。なのに今回はできなかった」
「……人形になると魔力が感知できなくなるってことですか?」
「俺の仮説でしかないが。だが、試す価値はある。人形ばかりのこの町で生きている人間……つまり魔力が感知できる人間は1人しかいないんじゃないか?」
「……そう、か!」
少年の魔力を覚えていなくても、感じるであろうたった1つの魔力が少年のモノなのだ。シシィは目を輝かせた。
それに今なら呪いの力も弱まっている。魔力は探りやすくなっているだろう。
とりあえず探す手段が定まった。
考えられることは考えた。
後の成果は――神のみぞ知る、である。
********
空間転移魔術で町に出ると、町を覆う霧は薄くなっており、白と黒の霧が入り混じっているようだった。その光景はまるで希望と絶望の入り混じるシシィの心を表しているようにも思えて、胸騒ぎすら覚える。
――呪いの気配は薄くなってる。
そもそも最初に飛んだときよりも、今回の魔術の方がズレがかなり小さかった。ルビーブラッドの考えるとおり、どうやら孤独共存の呪いは日暮れと夜明けに力が弱まるらしい。
それが分かっているなら、今は十分だ。
――夜が来る前にあの子を見つけなくちゃ。
目を閉じて、意識を潜らせる。
ルビーブラッドの言っていたとおり、魔力の気配が全く感じられない。いつもは探ろうとすれば、カーテンの向こう側に色のついたろうそくが灯っているように感じるのに、今は真っ暗で何も見えない。感じない。
――今探っている範囲には、いない……。
町は広い。がシシィが魔力を探れる範囲は、どんなに頑張っても町の面積の4分の1程度。この場所で感知できないのならば、また別の場所に飛んで探らなければならない。
シシィが意識を浮上させようとした瞬間――。
青い何かが、シシィの感覚の端をかすって行った。
「――今っ!」
シシィは目を開けて、青い気配の方角を確かめる。南西。端をかすって行ったということは、ここから遠い。
シシィはロッドを握りしめ、走りだした。
********
「――はぁっ、はぁっ……!」
息を整えるように空を仰ぐと、薄い霧の向こうで茜色の空がうっすらと見えた。茜色というよりももっと紫の濃い色だったかもしれない。
夜が確実に近づいている。
黒い呪いが静かに迫ってきている。
――この辺りだったはず……。
魔力を感じたのはこの辺りだった。シシィはもう一度意識を潜らせて辺りの魔力を探ろうとした。
が、背後で音が聞こえて集中が散ってしまった。
――足音?
後ずさりしたような音だった。
辺りをざっと見渡す。
人形が横たわるのを霧が薄く覆う光景の中で、シシィはカフェの看板に隠れる影を見つけた。
――あれは!
「君……!君は、図書館に来た子じゃないの!?」
シシィの声に、影は逃げ出した。
今度は見失わまいとシシィは慌ててその後を追う。
「待って……どうして逃げるの!?私は君を助けたいの!」
「――……じゃ、ない」
「何!?」
「僕のせいじゃない、僕のせいじゃない……!」
――?
少年が何を言いたいのか分からない。
しかし遠くから、しかも霧がかる中で見ても分かるほど少年は怯えを見せており、まるで悪魔にでも追われているようにして走っている。
なのでいかに少年と言えど、シシィでもなかなか追いつけない。
――夜は近づいてるのに。
日暮れは早い。空はもう紫で、夜の黒さえ見え始めている。
呪いの気配も濃くなり始めた。
「お願い……ここにいたら人形になってしまうかもしれないから!それに、君が協力してくれるなら人形になった人たちも戻れるかもしれないの!」
シシィのその言葉に少年は反応を示し、ゆるゆると立ち止まって空を見上げた。
「……らいだ……」
「え?」
彼に駆け寄りながら、もう一度訊き返す。
「嫌いだみんな嫌いだ痛い思いをしてみればいいんだ僕がされたみたいにみんなみんな」
黒い霧が、白い霧が彼の周りに集まって少年を覆い隠すように渦を巻く。
それは混じり合ってグレーとなり。
「死んじゃえ」
シシィに襲いかかった。
「――っ『拒めブランシェリーア!』」
シシィも魔術で応戦したが、完全に呪いの動きを止めることはできず、転がるようにして間一髪で灰色の呪いを避けた。
――半分しか効いてない。
魔術を撃った感触としては、それを一番強く思う。
――白い呪いが混じった分、魔術が効いてないんだ。
肩で息をしながら、シシィは冷静に分析しようとしていた。恐れるだけでは勝てないのは嫌と言うほど知っている。
黒い呪いには対呪いの魔術が効いている。なのに白い呪いには効かない。
黒い呪いは日暮れから行動し、白い呪いは夜明けから行動する。
――性質が反対、ということ?
黒には対呪いの魔術が効いた。
ならば白には――黒魔術が効くのではないのか?
胸で引っかかっていたモノがなくなった感覚だった。
ありえないことだが、現に白い呪いには対呪いの魔術が効いていないのだ。もしもこの仮説が正しければ、祖母の残した記述にもうなずける。
『通常の封印魔術は効かない』
「……でも、それはそれで困ったな」
シシィは苦笑を禁じ得なかった。
使えないのだ、シシィには。
黒魔術はまったく勉強をしていない。
ルビーブラッドの『シュヴァルツ』のような闇属性の魔導なら呪いに効くこともあったかもしれないが、シシィは魔導師ではない。使えない。
――こんなことなら、多少危険でも夜にすればよかった。
ルビーブラッドが最初に言っていたとおりに。
しかし、普通に考えるなら呪いの力が落ちる時間の方が安全ではあったのだ。
シシィは空を視線だけで見上げた。日は暮れかかっているが、先ほどとは違い、夜が遠く思えた。
少年の周りには、相変わらず灰色の呪いが渦を巻いて壁を作っている。
やはり、彼が解印者なのだろうか。
どう聞いても、先ほどの少年の言葉からは憎悪しか読みとれなかった。
――みんな、死んでしまえなんて……。
「……君は誰かが憎いの?」
「みんな嫌いだみんなみんな」
「友達も?」
「嫌いだ」
「――家族も?」
灰色の渦が、少しぶれる。
「ねぇ、この町で魔力は君しか感じない。君の家族も人形になってしまっているの。人形でいたままだと死んでしまう。家族も死んでしまっていいの?」
「……」
彼以外の魔力を感じない。
それはシシィの家族も人形になっていることを示していた。
あの陽気な父と母が、苦悶の表情で人形になっているところなど考えたくもない。家族でなくても知り合いが人形になっているところを見れば、素直に悲しい。
「私は、私を知っている人たちが死んでほしくないよ……!」
「……んなの、僕だって!」
渦の壁の向こうから、震える声が届く。
「死んでほしくないよ!嘘だ、死んでほしくなんかないんだ!ただ、僕は思い知ればいいって……思っただけなんだ!」
渦が散り、少年が姿を現した。
夜の闇が迫る中、彼は涙を流し大声で泣き叫んだ。
空気が重くなったような感覚と共に、シシィの目頭が熱くなる。
一緒に泣きたくなった。
「――君が、呪いを解いたんだね……」
彼の手には、黒いカバーの本が握られていた。
「こんなっ、ことに、なるっ、なんて……!僕は、仕返しをした、かっただけっ!」
息苦しい。
大きくなりすぎた事態に、ただ小さくなって泣いている少年を見るのはあまりにも痛かった。シシィは駆け寄って、少年を抱きしめた。
少年は泣きやまない。
「みんな、僕が弱いって……!すぐ病気になるって、からかって、病気がうつるって、仲間になんか入れてくれないんだ……っ!僕だって、好きでこんな体になったんじゃないのに!」
「うん……」
それで――呪いを使うことへと傾いてしまったのか。
身体が弱い人、というのはいるものだ。けれど、子供のころは何でもからかいのネタにしがちで、それがどれだけ相手を傷つけるか分からず、からかうこともある。
もしくは、どれだけ相手が傷つくか分かってやる。
人を傷つけることの快感に逆らえずに。
それをやられたから、彼はやりかえしたのだろう。
やったことは必ず返ってくる。因果応報。普通ならそんな話で済んだのだろうが、少年が仕返しに選んだ道具は因果応報の枠を超えてしまった。
傷つけたくない人まで傷つけるほど、大きなものだったのだ。
「ちょっと、思い知ればいいって、思っただけ、動けない辛さを知ればいいって」
けれど孤独共存の呪いは、そんなことなど考えない。自分が広がる範囲にある者はすべて呪い尽くす。
例外はなく、特別もない。
そういう――呪いなのだ。
「知らなかったんだ、こんなことになるなんて……!」
シシィは少年を強く抱きしめた。
「助けて……っ」
「うん……うん……っ、やっと、会えたね、『依頼人』さん」
ロッドを強く握りしめる。
自分が魔術師であることを言い聞かすようにして。
「初めまして、私は『闇色ハット』。あなたを助ける魔術師です」
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