一通り目を通したシシィとルビーブラッドは、とりあえず分かったことを箇条書きで書き出していった。

 孤独共存の呪いについて
 ・呪いの霧は黒と白、2種類ある。
 ・黒は太陽が落ちた時間、白は太陽のある時間が活動時間。
 ・呪いは個体が集合し、チームとなって同じ呪い効果をもたらす。
 ・故に1匹を倒しても、すべてを倒さなければ意味がない。
 ・通常の封印魔術は効かない。
 ・1人の人間を媒介にして、呪いは動き回っている。
 ・媒介者の憎しみが薄くなると、呪いの動きも鈍くなる。
 ・媒介者の存在は探りがたい。呪いが隠している。
 ・呪いに触れられた魔道具や材料は使い物にならない。

 留めた方法
 ・瓶の聖水に2日漬けこむこと。
 ・瓶の中に、魔力を込め、聖水に2日漬けこんだムーンストーンを入れる。
 ・『風の雫』を使い、呪いを1か所に集める。
 ・集める場所は高く、空気の澄んだところであればある程良い。
 ・封じる際に、封印者と協力者の血を瓶の中に垂らすこと。
 ・封印する者が憎しみに縛られてはならない。

 その他
 ・人形になっても心臓は動いているが、早い者で5日で心肺停止に至る。
 ・心肺停止に至った者は、呪いを祓っても人形から人間には戻らない。
 ・人形から戻らなかった者に関する記憶は、全ての人から忘れ去られる。
 ・例外は魔力が目覚めている者・魔術師・魔導師・魔法使い。

 これだけ書き出しても、まだ終わらない。それほどに、祖母の書き残した孤独共存の呪いに関する記述は膨大な情報量だった。
 シシィとルビーブラッドは、図書館の読書スペースで揃って頭を抱えた。

「この記述に沿うなら、今の町の霧の様子からして発生して2日目というところか?いや、すでに3日目か?どちらにしろ時間がないというのに……」
「歴史棚に無題の黒い表装の本……?どうしよう、ない……それに呪いを封印したビンを隠してるって記述があるのに見つからない……」

 悩むところがありすぎて、どこから着目すればいいのか分からない。
 改めて魔術師パールの偉大さを知る。この膨大な量の情報を、彼女は1人でかき集め書き残したのだ。

「そもそも、媒介者がいるというのはどういうことだ?この町で、俺たち以外に動ける者がいるという意味か?」
「あ……」

 ルビーブラッドの言葉に、シシィも混乱する。言われてみれば分からないことだ。
 媒介者、というのはルビーブラッドの言うように動ける者のことを言っているのか、それとも動けなくても憎しみの感情だけを糧にされているのか。
 小さなことのようで、それは大きく状況が違ってくる。
 もしも前者であれば、町が呪いに覆われていく様子をその人物は見ているはず。そこから得られるものもあるだろう。
 しかしながら、あの惨状の町で生き残っている者がいるだろうか。
 生き残っていたとしても、その人物は精神を保っていられているのだろうか。
 ――やっぱり、感情だけを糧にされている確率が高い……?
 まだ分からないことがある。『協力者』の存在だ。
 協力者、とは一体何なのか。封印する際に血を提供してくれる人物をもう1人探せと言うことなのか。

「血を垂らさなければいけないのは何故なんでしょう……」
「呪いが血を好むからだ」
「え……っ!」
「どちらかと言えば動脈血の方が好みらしい」

 さらりと教えられたが、少し気味が悪い。
 教えた本人は気にすることなく、難しい表情で箇条書きのメモを睨む。

「『風の雫』……固体でない以上、風でかき集める方が早いか」
「聖水に2日漬けこむ、ってだけでも時間がかかるのに……」

 ――聖水?
 シシィのその言葉で。
 悩みに悩んでいた2人は、再び同じように顔をあげた。

「待て、マズイ」
「あ……!」
「封印するための魔道具がない」
「封印するための材料がない!」

 今、一番に考えなければならないのはそれだ。

「……とりあえず、持っているものを机の上に出せ」
「は、はいっ!」

 シシィはトランクから、ルビーブラッドは腰につけていたウエストポーチから、すべてをひっくり返す勢いで机の上に持ち物を出した。
 ごろごろと、両者の持ち物が机の上に転がる。

「…………ラスカシアの根、ボトーフォ。『風の雫』の材料はあるか……」
「ムーンストーンはさすがにないです……」
「ラブラドライトなら持っている。同じような属性の石だから代用できるはず」

 数ある石の中で、ルビーブラッドはチラチラと色の変わる石を指差した。緑に見えたり青に見えたり、黄色に見えたりする。
 ――石に属性とかあるんだ。
 初めて知った事実にシシィは感心した。ルビーブラッドの示した石の横には、アステールが瞬くように輝いている。
 ――アステールの属性って、何なんだろう?

「聖水が問題だ」
「聖水、は……祖母の記述によると、図書館のカウンターの下に大量に貯蔵してあるそうで……え!嘘!気付かなかった!」

 記述に従い、2人でカウンターの下のじゅうたんを部分的に切り抜き、めくると地下収納の扉が見えた。それを開けると中には確かに、消毒液のような匂いのする聖水がみっしりと詰まっていた。

「シシィ、すぐ閉めろ」
「あ、はい」

 ぱたり、と閉じると、ルビーブラッドは険しい表情を見せる。

「……この聖水は持ち運べん」
「どうしてですか?」
「聖水は地下の清浄な空気と環境を好む。呪いの気配が横行するこの地上に出せば、一気に効力を失うだろう。聖水自体は本来弱いものだからな」
「……なるほど」

 それでもとにかく、材料はある。
 安堵するシシィと裏腹に、ルビーブラッドはますます頭を抱え込んだ。

「どうしたんですか、ルビーブラッドさん。まだ足りないものが?」
「魔道具が足りん」
「……へ?」

 間を丸くするシシィに、ルビーブラッドは読書スペースの机に置かれた持ち物たちを指す。

「基本的に、俺は調合するための魔道具は持ち歩かない。旅ではかさばるので、現地調達をしている」
「はぁ。でも、私のがあるじゃないですか」

 誘拐されるとき、騙されていたシシィは本当に依頼に行くつもりで魔道具を用意したため、調合器具もちゃんと持って行っていた。
 が、ルビーブラッドは頭を振る。

「あれは使えん」
「ど、どうしてですか!」
「……目盛りがないだろう」

 シシィはその言葉を理解できず、固まった。
 ――目盛り?

「目盛りがなければ分量も何も量れん。シシィの自宅のも呪いに侵されて魔道具は使えんだろうし、ヴィトランのところから借りようにも同じことだろう」
「な、何で目盛りが必要なんですか。量れるじゃないですか」
「何?」

 シシィは、特に他意無く。
 あっさりと言ってのけた。

「目分量で出来ますよ」

 今度はルビーブラッドが固まる番だった。

「……ちょっと待て」
「目盛りなんかあった方が邪魔です。手元が狂います」
「いや、いるに決まっている」
「いらないですって!最近ではいちいち材料ごとにビーカーで量るのも面倒になってきたくらいで」
「いや、おかしい。おかしな会話になっているぞ。それだとシシィ、お前は今まで目盛りを使わず魔術薬を調合してきたように聞こえるんだが」
「そうですよ?最初から今まで、材料をきちんと量ったことなんかないです」
「じ、じゃあ、どうやって調合してきたんだ」
「だから、目分量で」

 完璧に困惑した様子で、ルビーブラッドは手で顔を覆った。
 信じられない、と頭を振る。

「そんな話は聞いたことがない。どんな高名な魔術師であっても、必ず分量は量る」
「い、言っておきますけど、これはうちの祖母の太鼓判をもらってます。だから本当のことです!」
「それはそうだろうな……シシィの性格からして、この場面で虚勢を張ることはない」

ふぅ、と深くため息をつき、ルビーブラッドは動きを止めた。

「シシィ、分かっているか?」
「へ?」
「俺は『風の雫』の作り方を知っているが、魔道具の事情で調合出来ん。ということは、だ、調合はお前に任せることになる」
「――あ、ああ!」

 そういうことなのだ。
 ルビーブラッドが魔道具の問題で調合出来ないということは、必然的にシシィしか調合ができないことになる、それをすっかり失念していた。
 ――でも、確か『風の雫』って上級も上級魔術だったような!
 名前は知っていても、シシィは調合の仕方を知らない。その辺りはルビーブラッドの知識を借りればいいが、材料が限られている以上、失敗ができない。
 ――う、うわぁぁ!緊張する!
 色々と切羽詰まった状況下にいることを思い知らされる。

「自分を追い詰めるな。今はそれは置け。準備しなくてはいけないことは、山ほどある。まず瓶と宝石を聖水に2日漬けなくてはならん」
「そ、ですね」
「その間、呪いを観察する。パールの記述と合わせれば、封印法が見つかるかもしれん」

 それも、重要な仕事だ。
 ――ルビーブラッドさんは冷静だなぁ……。
 それに比べて、自分の情けなさと言ったらない。自分の町なのに、当事者本人がオロオロして何一つ自分で案を出せないまま、ルビーブラッドの言う通りにしか動けていない。足手まといだ。
 ――うぅ、へこみそう。
 けれどへこんでいる暇はない。ルビーブラッドの言うとおり、やることは山ほどある。
 ルビーブラッドから瓶と石を貰い、それを布で包んでひもで縛り、聖水のある地下へと吊り下げた。

「とりあえず、情報を整理する。今一番気になるのは、『媒介者』と『協力者』の2つ」

 シシィも異論はなく、コクリと頷く。

「この呪いの中で、媒介者が意識を保っていると思いますか?」
「正直、予想がつかん。普通の呪いなら意識は保っていられんだろうが、孤独共存の呪いは知能が高い。意識を保たせていることも考えられる」
「なるほど……。もしかすると、意識はなくても『人形』にはなっていないかもしれませんね」
「ああ。それと『媒介者』を呪いがどうやって選んだかだが……」

 ――たまたま、目についた者を?
 シシィはそう考えたが、ルビーブラッドは違う見解だった。

「封印した本がないと、言っていたな」
「あ、はい。郷土歴史の棚にあるはずらしいんですが」
「――俺は、『媒介者』とは『解印者』ではないかと思う」

 シシィはルビーブラッドを見つめた。
 解印者、とは封印した者に対し、封印を解く者のことだ。つまりこの場合は、孤独共存の呪いを解印した者、という意味だが。
 つまりそれは。

「――誰かが、故意に解印したということですか?」

 まさか、と首を振るシシィに、ルビーブラッドは窓の外の様子を窺いながら続けた。

「孤独共存の呪いは、この国以外の世界中でも何度か封印されてきた。正しく言うとパールの言うとおり留めたに過ぎないのだろうが……蔓延を防いできた。それでも世界の視野で見れば、孤独共存の呪いは何十年かに1度の割合で、復活を得ている。それは『留められる期間』の限界である年数なのかもしれんが……」
「私はそうだと思いました。封印でない以上、呪いの力は削がれないわけですから」
「今までの曖昧な文献だけなら、俺もそうだと思っていた。このパールの記録にしてもだ。が、今回は俺も当事者で、現場を目の当たりにしている。シシィ、封印されていた本がないと言っていたな?」

 話が思わぬところに飛んで、シシィは戸惑いながら頷いた。
 祖母の記述によると、郷土歴史の本棚に黒い本があるらしいのだが、それがなくなっている。そもそも、そのような本を見かけたことなどないのだが。

「何故ない?」
「そ、それは……呪いが放たれてしまったから?」
「それなら、本や瓶は残っていてもおかしくない。なのにない。それに、もっと説明のつかんことがある」
「え?」
「封印されていた本は、ここにあった。呪いが勝手に自力で封印を破いたのなら、何故ここが呪いに侵されていない(・・・・・・・・・・・・・)?」
「――あっ!」

 それは――そうだった。
 呪いが解かれたのなら、まず真っ先にこの図書館が呪いに侵される。
 が、実際はここが最後の聖域だ。
 なっていなければいけない事態と、全く逆の方向に進んでいる。
 この図書館が呪いに侵されておらず、けれど町が呪いに侵されている。

「つまり、誰かが呪いを封印した本を持ち出していた……?」
「偶然か確信的なのかは分からんが、呪いからすれば解印者に憑くのが一番手っ取り早い。それが望んでの解印だったのなら、呪いのエネルギーとなる憎しみや憎悪の深さは願ってもないものだろう」
「で、でも!呪いは恐ろしいものです!誰がそんな……」

 解印を望むだろう、という言葉はルビーブラッドの瞳の中へ消えた。
 赤い瞳の中に、険しさと悲しみが映し出される。

「――誰しもが、呪いを『恐ろしい』と考えるわけではない。『使える』と考える愚か者もいる。言っただろう、お前の抱く恐ろしさは尊いものだと」
「…………」
「……まぁ、大抵の人間は使おうとは考えん。心配するな」

 ――あ、気を使わせた……。
 視線をさりげなく反らしたルビーブラッドに、強くそれを感じた。
 確かにショックだった。頭の中で、その可能性があるのは分かっていたのに、こうして実際にそういう人がいて、そういう事態が起きたのかもしれないと思うと、胸が痛い。何故、と何かに向かって声を荒げたくなる。
 ――でも、ルビーブラッドさんはそれを知ってた(・・・・)
 頭の中だけでなく、体全てで理解していたのだ。そういう人間もいると。
 理解していてなお、彼はシシィをそこから離そうとしている。
 遠ざけようとしている。
 シシィはルビーブラッドの腕をつかんだ。

「どうした」
「あ、え、ええと……」

 ――どうしよう。何か、さみしくなったから、なんて口が裂けても言えない!
 時間と沈黙がシシィの肩にのしかかるにつれて、顔が赤くなっていく。
 言い訳が思いつかない。

「……シシィ、もしかして」

 ――まま、ま、まさか心の中を読まれた!?

「眠いのか」

 ある意味ルビーブラッドの的を外した爆弾発言に、シシィは一瞬固まった。

「――え?」
「シシィ、じゃなかったか。この時間になると眠るのは」
「今、何時ですか?」

 ルビーブラッドは懐から懐中時計を出し、時刻をシシィに見せた。

「夜の9時半だ」

 意識したら、一気に眠気が襲ってきてしまった。
 ふらりと揺れて、そのまま床に顔面から激突しにいきそうになったシシィを、慌ててルビーブラッドが支える。
 ――ああ、ダメ!ただでさえ魔力消費して眠い……っ!
 けれど、この状況下で眠るのは許されない。呪いを監視しなくてはいけないのだ。

「いいから、眠れ。ただでさえ魔術を大量に使ったんだ」
「そ、れは、ルビーブラッドさんも同じです……」
「基礎体力が違う。大人しく眠っておけ」
「いいえ、ダメです……呪いを監視しないと」
「俺がやっておく」
「ルビーブラッドさん、ばっかりに、そんなこと、を、させるわけには」
「寝ろ」
「ひえっ!らめです!」
「……分かった。交代だ。6時間後に起こす。それでいいだろう」
「はひらりるれろーふれふ。ふぉんはひなひへふ」
「何を言っているのか分からん」

 とりあえずシシィはコクコクと頷いた。6時間、なら起きれるだろう。
 ルビーブラッドがゆっくりと体を横たえさせてくれるのを感じながら、シシィはまぶたの重みに耐えきれず目をつむる。

『シュヴァルツ 永劫(えいごう)彷徨(ほうこう)する漆黒の(からす)陋劣(ろうれつ)な獣と心神(しんしん)の腐敗 其の者共は汝が渇望せし奸悪(かんあく)なる芳香の果実 惨禍と懲戒 汝の(かて)とせよ』

 ――ん?
 ルビーブラッドの呪文が聞こえた気がして、シシィは目を開けようとしたが、体が言うことを訊いてくれない。それどころか、やわらかな闇へと優しく誘われる。

「ゆっくり休め」

 優しい声を聞きながら、シシィは夢も見ないほどの深い眠りへ落ちた。