「封印しろ、と言われて、も」
シシィは混乱しながら、戸惑いながら必死に自分の中の記憶を呼び覚ます。
何か。
手掛かりはなかったか。
「祖母は、呪いに関する記述を残してなんて……」
孤独共存の呪いの話を聞いてから、シシィは祖母が何かを書き残していないか探したことがある。しかし、祖母の隠し部屋でも、この図書館の中でも、そのような記述を残した本は見つからなかった。
それは果たして、残さなかったのか、残せなかったのか。
自分の魔力の目覚めの遅さが歯がゆい。
――もう少し、私の魔力が目覚めるのが早ければ。
何か教えてもらえていたかもしれない。けれど、後悔するには遅すぎる。
――何か……。
『隠し部屋に……』
――ルウスさんが。
シシィはハッ、と思いだした。
ルウスが最後に伝えようとしてくれた言葉。
「隠し部屋……」
「隠し部屋?そこに何かあるのか?」
「あ、いえ……」
けれど前はそこを探しても、何も出てこなかったのだ。今さらもう一度探したところで何かが出てくるとは思えない。
――ううん。よく、思い出して。
あの空間転移の魔法陣だって、条件がそろわなければ出てこなかったのだ。
ならば、あの隠し部屋にも『条件がそろわなければ発動しない魔術』というものがあるのではないだろうか。
それは例えば、呪いが復活したときにしか見られない書物、伝言。
――あり得る、かもしれない。
ルウスは、それを言いたかったのではないだろうか。
「隠し部屋に、行ってみてもいいです、か。もしかし、たら、何かあるかもしれません」
「ああ」
声を詰まらせながら言うシシィの頬を、ルビーブラッドは手で拭う。その仕草があまりにも優しくて、せっかく拭ってくれたのにまた涙がこぼれそうになった。
――泣いちゃダメ。今は、やるべきことをやらなくちゃ。
ここで泣きわめいているだけでは、事態は解決しない。
「自宅に電話はないんだったな」
「でん……わ」
「……いや、あっても無駄か……。今は魔術師の集まりで、近隣諸国の魔術師はほとんど……」
ルビーブラッドはそこで言葉を切ったが、シシィにも彼が何を言いたいのかは理解できた。
Bが言っていた。この時期、どこかの国で魔術師の集まりがある。それに大抵の魔術師は出かけてしまうので、この近辺に残っている魔術師はほとんどいないだろう。
つまり、助けは期待できない。
助けに来てくれる頃には、呪いは今よりもっと広まっているはずだ。
――それでも、助けなくちゃ。
この町の魔術師は自分で。祖母から呪いを封印する役目を受け継いだのも自分なのだから。
「……行きましょう」
この深い闇の中で、一縷の希望は祖母の記述だけなのだ。
********
ギシリと不気味に階段が鳴る。いつもよりその音が大きく聞こえるのは、シシィ自身が外の黒い霧に怯えているからなのかもしれない。
シシィは手に持つロッドを、ぎゅっと握りしめた。
隠し部屋の灯りをつけると、そこにはいつもと変わらぬ部屋がある。
シシィは部屋の中を見渡した。
――どこに、あるんだろう。
モザイクの魔術は上級編を習うにあたって全て解けたので、もう読めない本はない。
なので呪いに関する記述があるとすれば、それは隠されているはず。
「おばあちゃん……」
「『パール』ならどこに隠すか分かるか」
「……分かりません」
部屋から見える外は、やはり気味悪く思えた。あんなところに、ルウス達を置き去りにしていることが酷く悲しい。
早く助けたいと思うのに、気持ちだけが空回りする。
情報が足りない。
――どうして、もっと孤独共存の呪いについて知っておかなかったんだろう。
心のどこかで、復活するはずがないと思っていた。安穏としていた。
祖母が封じたのだから、安心していたのだ。
――私の馬鹿。今さら後悔したって遅すぎる……。
いつも、後から悔やむ。でも、助けるのは今からでも遅すぎるということはない。
「おばあちゃん……私、知りたいよ。お願い、どこかに隠してあるのなら、教えて。おばあちゃんが、『パール』っていう魔術師で、『聖なる魔女』って呼ばれてたくらいすごい人だったんなら、残してくれてるよね?『孤独共存の呪い』をどうやって封じたのか……!」
シシィが叫ぶと、部屋に魔法陣が現れた。
「……っ、これは、おばあちゃんの!」
水色の、優しく清廉な魔力の気配。
いきなり現れた魔法陣に困惑するシシィに代わり、ルビーブラッドが気付く。
「そうか……『キーワード』だ」
「え?」
「おそらくこの部屋で『ある言葉』を『続けて何秒以内に』言えばこの魔術が作動するようになっていたんだろう」
――何の言葉が引き金で?
目を丸くするシシィを置いて、光は徐々に収縮されていき。
本棚と窓がカタカタと揺れはじめた。
「え」
スコーン!と。いい音を立てて、シシィの額に真っ白な本が飛んできた。
「いっ!いた!痛い!」
「…………」
悶絶するシシィと、どうすればいいのか分からないルビーブラッド。
微妙な沈黙が流れた後、シシィは宙に浮いている本を改めて観察する。
何のタイトルも書かれていない、真っ白な表紙。本と言うよりは、それはノートや日記帳に近いものだ。
――見たことない。
やはりそれは、魔術によって厳重に隠されていたということか。
「……おかしいぞ」
「な、何がですか?」
本を胸に抱き、シシィはルビーブラッドの言葉に顔をあげた。
彼は険しい表情をして――窓を見つめていた。
カタカタと、細かくガラスが揺れている。
「本棚の揺れは収まったのに、何故窓は揺れている?」
答える暇もなく。考える余裕もなく。
地響きのような音と一緒に、家が縦に大きく揺れた。
「きゃああああっ!」
「……いかん!」
珍しく緊張したルビーブラッドの言葉で、窓が開く。
黒い手が、シシィとルビーブラッドに伸ばされた。
『ヴァイス!』
ルビーブラッドの光が、黒い手をなぎ払う。その瞬間を逃さず、ルビーブラッドはシシィの腕を取り、階段を下りようとしたが足を止めた。
階下から、黒いトラや蛇が上って来ようとしている。
その足を止めたわずかな間に、背後から再び黒い手が伸ばされる。
『拒めブランシェリーアッ!』
シシィが震えながらロッドを向け、黒い手を撃退する。しかし黒い霧がすぐに集まってより大きな手を作る。
――ダメだっ!
並みの呪いなら、あの魔術で退く。が、この呪いは怯むどころかより巨大になってまた挑んでくる。
『拒めブランシェリーアッ!』
『ヴァイス!』
『拒め……っ!』
――キリが、ない。
「ルビーブラッドさんっ、逃げなく……『拒めブランシェリーア!』」
「分かっているが、この群れを何とかしなければ……『ヴァイス!』」
ルビーブラッドはほんの一瞬考え込んで、シシィに告げる。
「空間転移魔術を、シシィが唱え始めろ」
「え、でも……『拒めブランシェリーア!』」
「その隙は作る……」
深く息を吸い込んで。
「唱えろ!」
「は、はい!『開かれし門は我が名を呼び 声無き力はその名に呼応する』」
ルビーブラッドは深くため息をつくように、呪文を吐きだした。
『廻れ眠る水流よ我が求むは流麗でなく神速と絶大なり激浪をもたらせ我は剛毅なる者地に伏せず空を見上げず耐える者上昇せよ駆け上れ表の真実は真実にあらず水面に水滴を落とし幽暗の底深くから我が真実を見せつけろ』
『風の音よ 天空の色彩よ 伸ばされたる迷い子の手を導き 故郷の土に抱かれる至福を知らしめよ』
――速い!
自分の方が先に唱え出したのに、ルビーブラッドの方が先に終わった。
ルビーブラッドをぼんやりとした光が包んでいるようだが、何の魔術なのか分からない。彼が唱えた魔術は、シシィの知識にはないものだ。
――オリジナル魔術?
それでも何か呪いに攻撃するものでなければ、この状況はどうしようもない。いくらルビーブラッドの詠唱が速くても、もうすでに呪いが2人を囲みつつあった。
黒い手が、トラが、蛇が、襲いかかってくる。
『ヴァイス 静謐を寵愛する雪白の鷺よ 純良な獣と心神の方正 我は汝を渇望せし佳良なる芳香の果実 加護と太平 我の糧とする!』
ルビーブラッドとシシィを中心にして。
白くまばゆい光が辺りに一気に広がった。
――いつもよりまぶしい!
まるで太陽を直接見たときのようなまばゆさに、シシィは目を閉じそうになり、呪文も頭から飛びかけたが、ルビーブラッドに腕を握られたことにより、何とか意識を散らさないことが出来た。
痛いほどの光が、自分たちを守ってくれている。
これを逃せば、もう逃げられない。
『涙の渇きより早く キャンナット!』
白い風景が溶けて。
辺りは薄暗い図書館のロビーになった。
しかし安堵する暇なく、図書館の玄関扉が外から乱暴に叩かれる。
ゴンゴン、と。ドアを破壊するような音だ。
「なっ……!」
「……よほど、この場所に恨みがあるのか……孤独共存の呪い」
ルビーブラッドが苦々しく言い放ち、ロッドに魔力を込める。
「『パール』の防衛魔術が弱くなっている」
「え……!?」
「このままだと、破られる。悪いが、防衛魔術を奪わせてもらうぞ」
――奪う?
『時は流れ運命は変わり 其は我に寄り添う時 認めよハイデリキッシュ!』
呪文が唱え終わった瞬間、シシィは感じ取った。
――水色の魔術が、赤黒く……!
図書館を包んでいた防衛魔術の色が変わった。
祖母の色からルビーブラッドの色へ。
同時にドアを叩く音が止む。
「――っはぁ、はぁっ……!」
「ルビーブラッドさん!」
ロッドを支えにして、床にひざをついたルビーブラッドを心配するように、シシィは彼の背をさすった。薄暗い中でも分かるほど、ルビーブラッドは額に汗をかいている。
「……さすがに、『パール』の防衛魔術は壁が高い」
「大丈夫ですか」
「平気だ。それより、本を……記述を見てみろ」
言われるがままに、シシィは白い表紙の本を開いた。
ページに魔法陣が浮かび上がり、その魔法陣が垂直に光を飛ばす。
「うわぁ!」
驚いてシシィが思わず手を離すと、その光が人影を映し出した。
「――う、あぁ……」
――嘘だ。
その懐かしい姿。
忘れたことなどない。会いたいと願っていた。
『後世の者へ。私はかつて『孤独共存の呪い』と闘った者。魔術師『パール』』
「おばあちゃん!」
白い髪のお団子頭。自分と同じオレンジ色の瞳。
けれどその表情は、記憶にあるものと違って凛々しく。
そこにあるのは、シシィの祖母ではなく、魔術師『パール』の姿だった。
『これを見つけたのが、私の孫なのか、その子供なのか、あるいは別の人物なのか分かりませんが、『パール』『聖なる魔女』『孤独共存の呪い』というキーワードを言ったからには、この記述が必要なのでしょう』
――そうか。それがキーワードだったんだ!
ルビーブラッドもそれがキーワードだったのか、と納得した表情だった。
『私はかつて『孤独共存の呪い』と闘い、勝利を収めました。しかし、公に語られなかった事実があります。それは私は『封印に成功した』ということではないのです』
「何?どういうことだ……?」
ルビーブラッドは困惑を隠せず声に出すが、シシィは声すら出ない。
――封印に成功、していないってこと?
ルウスは『封印した』と言っていた。なのに、祖母はしていないと言う。
呆然とする2人に、祖母は語る。
『私は呪いを『留めることに成功した』だけ。封印とは封じてなお、呪いの力を抑え消滅に導くもの。私の封印は封印にあらず、呪いは消滅へ向かいません。私の研究では、呪いをビンの中に留めることしかできなかった』
「……じゃ、あ」
――どうすれば。
封印はできなくても、また留めるだけでもしなくてはならない。封印ができないからと言って、あれを放置しておくのは被害が大きすぎる。
『私には、時間がなかった。呪いが発生して2週間も経ってしまった。本当に人形になってしまう者が、もう何十人も出ていた。あるいは百人を超えていたかもしれません。孤独共存には通常の封印魔術が効かない。封印する方法を探るより、留める方が被害を抑えられた。これは封印するための記述でなく、留めるための記述であることを念頭に入れておいてください』
祖母の姿が消えると、本は宙に浮かび、バラバラとページを勝手にめくりはじめた。
その間に、次々と膨大な量の文字が書きこまれていく。
印字ではない、パールの直筆の、いわば研究書。
――希望と絶望。
それを同時に与えられた気分だった。祖母の記述に従えば、孤独共存の呪いを封じられると思っていたのに、この記述に沿ったのでは封印できない。
あると思っていた道はない。
――封印はできないとしても。
「せめて、呪いは留めなくちゃ……」
「ああ。封印できないからと言って、放っておくのは余計にマズイ」
シシィは研究書に手を伸ばす。
完全な希望でなかったとしても、今はこれにすがるしかない。
「――始めましょう」
シシィの手が、古びた紙をめくった。
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