「それでは、頑張ってくださいシシィさん」
「うぅっ……」
机の上に材料と必要な道具を置いて、シシィは頭を抱える。
とうとう一般人だと思っていた自分が、訳の分からないものを作らなければいけなくなってしまった。
怖い、ものすごく怖い。緑のうねうねしていそうな魔術薬が出来てしまったら自分にどう対処しろというのか。
材料を目の前にして怯えるシシィに、ルウスは軽く笑う。
「大丈夫ですよ、失敗して何かが襲ってきても守ってさしあげます」
「!? お、おおお襲うものが出来るのですか!?」
「まれに」
泣きたい。
それでも人の人生がかかっているため、シシィは涙を拭って魔術薬精製にとりかかる。
まずは、ウォルノル液が300cc。
シシィがビンから直接メモリが書いていないビーカーに入れようとすると、
「!? ちょっとシシィさん!?」
「はい?」
ルウスに止められたため、仕方なくビンを机の上に戻す。
「300ccちゃんと量ってからじゃないとダメです!魔術は少しでも量が違ってると正しく働いてくれませんよ!?」
「だ、大丈夫ですよ。お菓子作りと同じ要領でしょう?」
「それはそうですが……いやいや!違いますよ、ちゃんと……」
「タダでさえ魔術で時間がかかりそうなのに、省くところは省きたいじゃないですか。大丈夫ですってば」
「ああ!」
止める暇もなく、彼女はビンに入っていた液を恐ろしいことに目分量でビーカーに入れてしまい、さらに目分量で100グラム分ルッティーナ草を量ってすりつぶしてしまった。見るからに大雑把過ぎる。
怖がりなのに、どうしてそんなところは大雑把なんだ、とルウスが頭を抱えているにもかかわらず、彼女はウォルノル液にルッティーナ草を投入。
ぐるぐるとガラス棒でかき混ぜた後、確認のために魔術書を見て、よし、とつぶやいたが、ルウスから見れば全然よし、じゃなかった。頭が痛い。
そんな彼に構うことなく、彼女は緑色の液体を不思議そうに眺めている。
「これが本当に効くのかなぁ……」
「……成功すれば、効くかと」
「ルウスさん、トゲがありますね」
む、と表情を渋くするシシィにルウスは頭を振りながらつぶやく。
「いや……世界どこをさがしても目分量で魔術薬を作る人はいませんよ」
「もう、全然信用してませんね?私目分量で間違ったことないんですから。いいです証明して見せますっ!ええと『ロッド』がいるのか……」
と、彼女が机に立てかけておいた自分専用のロッドを取ろうとしたとき、ロッドがいきなり飛んできて、かがみ込んだシシィの額とぶつかってしまった。
「うぅ……痛……何故に飛んできたのですか」
「すごいですね、シシィさん。呪文省略ですか?名前を呼んだときに貴女が強く『ロッドを取る』と思ったので呪文詠唱しなくてもロッドが手元にやってきたんですよ」
「そ、そんなことができるのでひゅか……痛ひ……」
できれば正しく手元に飛んできて欲しかった。額に、ではなく。
ちょっと泣きたかったシシィだが、この後の作業はどうやら魔法陣を描かなければいけないらしいので泣いている暇はない。額をさすりながらロッドを右手に持ち、
魔術書を左手にシシィは詳しく読み進める。
「えっと……『アンジュ法を描き』……アンジュ法って……」
確かこの『法』というのは魔術の中では魔法陣の図柄だったはず。
絶対読んだ、という記憶を頼りにシシィは額にロッドを当ててどの本に書いてあったのか思い出す。
「……『初心者のための魔法陣辞典』!」
『来い!』という強い思いを込めて本のタイトルを呼ぶと、本棚の中から一冊だけシシィのところへ飛んできた。
「あうっ!」
額めがけて。
飛んでくるようになったのは便利だが、何故に額にめがけて飛んでくるのか。
というより。
「ああっ、もう一般人にできないことをやるようになってしまいました!」
「何を今更」
「……今更、ですけど」
それでも嘆きたいときもある、と口には出さずに思いながらルウスを無言で見つめた後、額に当たってからプカプカと浮いたままの状態でいる辞典を手にとって目次から『アンジュ法』の載っているページを探して開いた。
そこには図柄と呪文が書かれている。
先に図柄を描くべきなのか、と思ったがどうやら説明を見るに呪文を唱えながら魔法陣を描かなければいけないらしい。シシィは出来るかどうか不安になりながらもとりあえず説明どおり、ロッドを軽く持ちながら前へ突き出す格好で呪文を唱え始めた。
『我は有為の門扉を創る者 全てはここから始まりここに終わる』
と、言い終えたところで不意に鉛筆や紙を用意してないことに気がついた。紙とペンがなければ描くものも描けることが出来ないというのに何故気づかなかったのか。
シシィがどうしよう、と内心焦っていると、それを脇で見ていたルウスが「早く呪文の続きを唱えてください」と促してくる。
――でも、紙とペンが。
おろおろとしている間にも、ロッドの石はオレンジ色に光り輝きつつある。
――ええい、どうとでもなってしまえ!
『荊棘の中に安定あり 四囲を埋めたる造詣よ 真理の歪みを我に示せ』
その呪文をシシィが詠唱し終えた後、床には直接オレンジ色の光の線で円の中に三角形を描かれ、円と三角形との間にはシシィには読めない字がびっしりと覆った。
目の前で起こった奇怪な出来事に、彼女がまじまじと見ていると光の線は徐々に弱くなり、代わりにオレンジ色のチョークで描いたようなぼそぼその線が浮かび上がってくる。
――これが、魔法陣。
用意するものに、紙とペンが無かったわけである。
「呪文言っただけで描いてくれるなら、魔法陣は覚えなくていいのかな……」
「覚えておいたほうがいいとは思いますよ。手元にいつもロッドがあるということもないでしょう?そのときは魔術師はみんな手で描いてるようですから」
結局勉強はしなければいけないらしい。それでも別に勉強が嫌いだったわけではないので、それほど苦ではない。覚えることは楽しくて好きだ。
ただ、身体を動かす方はサッパリなのだが。体育はいつも1だった。正確に言うと一度だけ先生が哀れに思ってか2にしてくれたこともあるのだが、それも1学期の間だけ。いっそ1と言ってしまった方が清々しい。
「とりあえず、これをこの魔法陣の上に置いて……と」
先ほど混ぜておいた液体を魔法陣の真ん中において、その液体の中にディア鉱石という小指の爪ほどの灰色の石を入れる。魔術書によると、現在緑のこの液体が魔術をかけた後、なんと黄色になるのだという。
つまり黄色になれば成功。緑のままなら失敗。
シシィはちらり、と目だけで背後にいるルウスを見る。
――目分量には、自信があるもん。
『ディアッソ・ソカルナ 吐き出せ不純なる物!』
ピカッ、と魔法陣が光ったおかげで部屋全体が一瞬明るくなり、術をかけたはずのシシィ自身も思わず目をつむってしまった。目がチカチカして痛い。
まぶたの裏の暗闇がチカチカしなくなったころ、やっとシシィが目を開けると足元に描かれていたはずの魔法陣は跡形なく消え去っており、ただぽつんと置かれた
魔術薬の出来上がりが自然と目に入った。
「――はぁ」
ルウスは呆れたようなため息をつき。
「まったく……成功してしまうとは」
と、苦笑しながら言う。
魔術薬は、黄色になっていた。
「だから言ったじゃないですかっ!」
昔から勘がいいのか、目分量で量っても1グラムも違えたことはなかった。そのことばかりはあまり動じることのない祖母もとても驚き、よく褒めてくれたのだ。
『その特技は将来役に立つね』と。
――ああ、役に立ってしまった。
その事実を目の当たりにし、シシィは舞い上がっていた気持ちがひゅー、と下がっていくのを実感していた。魔術薬の前に座り込み、頭を抱える。
その当時は何の疑問もなくその言葉を聞いていたが、今になって思うと意外と祖母はシシィに将来のことを暗示していたような気がする。それならそれで、もう少し分かりやすく暗示していてくれば、とも思うがすぐさまいやいや、と首を振る。
違うのだ、自分はルウスの魔術を解くために魔術師になっただけで。ルウスの魔術が解けたら魔術師の称号をどうにかして返したいと思っているくらいだ。
が、それは祖母の期待に背くことでもあり、何より。
「本当、シシィさんは魔術師に向いてますね」
「………………」
そのことが、頭の痛い問題だった。
********
「え……これが、お薬なんですか?」
翌日、再び図書館まで足を運んでくれた依頼人の少女は目を丸くしながら机の上に置かれている――レモンスカッシュをまじまじと見つめた。確かにこんなものが薬だとは思わないだろう。事実、このレモンスカッシュは普通の飲み物である。
――ただ、薬を混ぜてるけど。
「貴女の「のどが渇く」という症状はおそらく、魔力を何かしらの事故で飲み込むか、魔力を出すのに失敗してしまったことによるものだと思います」
「魔力……?」
「あ、えっと、魔力って誰でも持ってるものなんです、ただ目覚めてないだけで」
と、ルウスが言っていたので間違いないだろう。彼は魔術は使えないが魔術については詳しく正しく知っているようだ。信頼できる。
普通に魔術薬を渡して飲んでもらうだけでもいいのだが、シシィからするといきなり訳の分からない黄色い液体を「はい、飲んで」と渡されるのは気持ち悪いし怖いものだ。
魔術書に『普通の飲み物と混ぜても効果に変化はない』と記述されていたため、飲み物に薬を混ぜるという方法を取った。飲み物なら何でもいいだろうか、とも思ったがコーヒーが黄色になったりすると余計気色が悪いので、もともと黄色っぽいレモンスカッシュに見事白羽の矢がささり、その役割を果たしてもらうこととなったわけだ。
「えっと、味は普通のレモンスカッシュですけど、薬ですからその……。へ、変なせきとか出ると思うのでそれだけは覚悟しておいて下さい。それが治すために必要なので、どうかご理解ください」
この薬(正式名称をコホルク薬というらしい)は、せきを誘発させて魔力を外へと押し出す目的の薬らしい。なのでどうしても飲んだ瞬間にむせるような感覚を覚えるはずなのだ。
そのあたりは覚悟してもらわなければならない。
「わ、わかりました」
「ええっと、それからもう一度確認しておきますね……」
じ、と少女を見つめながらシシィは慎重に口を開く。
「のどの渇きがこの薬で癒えて治っても、魔術師に……『闇色ハット』に治してもらったとは絶対に口外しないでください。いたずらに魔術の力を求めてくる人もいるそう……いますから」
これは、シシィではなくルウスの言い分だ。魔術師の存在はこの国では公にされて歓迎されるものではないし、それにシシィは『ルビーブラッド』に本名を教えてしまっている。彼が何かの用事でこの街を歩いたときに『シシィ』が『闇色ハット』だとバレないように予防線を張っておく意味合いでも必要なことなのだ。
そこまでの事情はおそらく飲み込めていないだろうが、依頼人の少女はこくりと真剣な表情で頷いて同意してくれた。
これでとりあえずは一安心だろう。
「じゃあ……飲んでみてください」
シシィの言葉に少女はレモンスカッシュの入ったコップをつかみ、ぐ、と一口飲んだ。
のどがごくりと鳴って、上下する。
「……。……っごほ!」
そのせきと共に、少女ののどの光が強く光り始めた。
「ごほっごほごほ!」
「頑張って……っ」
「ごほごほっごほっごほっ!」
「……っ」
「ごほっ!」
「出た!」
せき込んでいるため開いている口から光の球が転がり落ちてきて、机の上でゴムボールのようにはずんだ後、ぱ、と霧のように散り散りになってしまった。
シシィはよく彼女ののどを見てみたが、もう光っているような様子はないし他に光っている場所もない。やっとせきが治まりはじめてきた少女にシシィは恐る恐るのどの渇き具合を訊いてみる。
「のどは渇いてますか……?」
「こほっ……あ……いえ……!」
慌てて自分ののどに手をあてた後、少女はシシィを見つめながら言う。
「普通です!のどは渇いてませんし……辛く……ありません……っ」
そう言うのが精一杯のように。
少女は口元を押さえながら涙を流す。
表情が、仕草が物語っていた。
やっと――解放された、と。
「あ……りがとう……ございます……っ!」
「え、えっと」
「ありがとう……っ本当にありがとうっ……!」
嗚咽を堪えながら、彼女はシシィに向かってお礼をくり返す。
よほど辛かったのだろう。だからこそ辛さから助けてあげれたことが嬉しくて、微笑みがこぼれそうになる。
自分が出来ることで人を助けてあげれたことが、とても嬉しくて誇らしい。
こんな気持ちになれるなら、本当に少しちょっと悔しいけれども。
――魔術師ってお仕事、好きかもしれない。
********
夜、ルウスはシシィに用意してもらったクッションの上で毛布を前足で整えながら(彼の行動がどんどん犬化していっている気がする)ベッドの上に座っているネグリジェ姿のシシィを見上げる。
「目の法楽ですねぇ」
「ほうらく?って何ですか」
「おや、意外ですね知りませんでしたか?辞書を読めば分かりますよ。それより」
何だか分からないことを言うルウスを、シシィは首をかしげながら見つめた。相変わらず帽子をいつも被っている彼だが、室内の中では帽子を脱いだ方がいいのではないかとシシィは思っていたりもする。
それとも彼は今現在犬なので人間のマナーは無視なのだろうか。
「結局、彼女が魔力を出し損ねた、あるいは飲み損ねた原因は何だったんでしょう」
「それ、彼女が思い出してくれましたよ」
「思い当たることがあった、ということですね?」
シシィはこくり、と頷いて依頼人の少女が語った話を話しはじめた。
「せきを誘発する薬……コホルク薬を飲んでせきをしたときに思い出したそうなんですけど、のどに痛みが奔る前にですね」
「はい」
「くしゃみを我慢したそうなんです」
ルウスの目が点になった気がする。かくいうシシィも驚きのあまり「くしゃみをがまんですか」と馬鹿みたいにくり返し尋ねてしまったほどだ。
「学校で静かにしなければいけないときに、くしゃみが出そうになったらしいんですけれど我慢したんですって。そうしたらのどが痛くなって渇きはじめたみたいで」
「……まぁ、原因なんて馬鹿らしいものが多いですからね……」
確かに原因はくしゃみを我慢した、というなんてことない、日常的で可愛らしいものでシシィは密かに安心していた。もしも彼女が興味本位で魔力を飲み込もうとしていたのであれば、以後危ないから止めるようにと言わなければならなかったからだ。
そういう心配があったのも、魔術の情報が表に出回ってしまう場合もあるとルウスから聞いていたからだ。ルウス曰く、おまじないなどは魔力を持つ者がすれば、本当に効いてしまうものが混じっている、という。失敗するとそれ相応のしっぺ返しをくらうらしいのだが。
実は、シシィは密かに運動オンチが治るおまじないを試したことがあったりする。
まさか、失敗したから運動オンチというわけでも、ないはず、だ。ないはず。
「だ、大丈夫……その頃は魔力目覚めてなかったし」
「何がですか?」
「いえ!」
とにかく、薬を作った側から見れば、そう深刻でもないことから偶然が重なって始まってしまった出来事だったということだ。
しかし彼女にとってはその症状が出てから治るまでの時間は、地獄でしかなかっただろう。頼みの医者にも分からないといわれて不安だったはず。そんなときにBから紹介状を――貰って。
紹介状。
「……それより私は彼女がどうしてBさんから紹介状をもらえたのかが気になります」
シシィは首をかしげながらつぶやく。
あの店に行けばBに会えることは不可能ではないが、彼女は一般人であり一般人である以上あの店に足を運ぶことはおろか、存在すら知らないはずなのだ。Bの店は魔力が目覚めていないと入れない仕掛けになっている。
ううん?と悩んでいるとルウスが説明してくれた。
「Bさんは連絡役……というか仲介者でしょう?仲介者はお客が分かるんですよ」
「……わか、る」
「ええ、『魔術を求めている者』が分かる道具を持っているらしいですよ。その道具が反応したら街に出かけて話を持ちかけるそうです」
「……押し売り?」
「そうとも言います」
そこは否定しないらしい。
「まぁそれはともかく。シシィさん、初仕事お見事でしたよ」
「……いえっ、これ以上お仕事はしません!」
「そんなこと言っても、シシィさんはお仕事しちゃうと思いますけれど」
「ルウスさん!」
不吉な言葉にシシィがルウスに手を伸ばそうとすると、彼はスルリと避けてベッドサイドのテーブル上のろうそくをふ、と消して部屋を暗くしてしまった。
部屋は暗く、しかもルウスも黒いので完全に見えない。
いわゆる保護色。
見つからないことを確信しているのか、ルウスは余裕ある声音で子供を諭すようにシシィに寝ましょうか、と言う。
「さ、おやすみなさい」
「〜〜っおやすみなさい!」
気分が乱れたときは早く眠るに限る、とシシィは目をつむった。
――今日はとても疲れた。
目をつむるだけで意識がぼんやりとしてくる。
「――ったよりも、早く……で何より――……」
そうつぶやかれた言葉は、ルウスの声のような気がしたのは現か夢か。
そんなことも考えられず、シシィは深い眠りに落ちた。
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