――愚かさって、何だろう?
 先ほどのルビーブラッドの言葉の意味を考えるが、未だに答えに至れてないシシィは悩みながらとりあえず従業員たちをひもで縛り上げていく。
 今はブラック・フィンガーの魔術で眠っているが、起きて自由の身であれば厄介なことになる。なので今のうちに動けなくしておいた方が良い。

「そっちは終わったか」
「この人たちで最後です……そういえば、ルビーブラッドさん、オークション会場の方から来ましたよね?あっちは……」
「司会も客も眠らせてきた。会場は機能していない」

 ――ああ、そういえば。
 ルビーブラッドが来てから、会場の方は静まり返っている。それはこちらに来る前に魔導で眠らせてきたからだったようだ。

「……で、これからどうしましょう?」
「警察に引き渡すのが一番だが、何せ船の上だ。船長に報告しようにも、十中八九船長も絡んでいるだろうから……」

 と、そこでルビーブラッドは喋るのをやめた。
 代わりにロッドを構えてシシィを背後に庇い、何もないはずの闇の空間を見据える。

「――立ち聞きは好かん。出てこい」
「……待ってください。私は貴方の味方です」

 闇がうごめいたように思えたが、それはカーテンだったようで、彼はその後ろから静かに姿を現した。
 闇の中で際立つ、白いセーラー服。
 船乗りの格好をした彼は、手に持ったエンブレムを見せながら微笑んだ。

「私は『リーツ』の使いの者です」

 聞き覚えのない名前にシシィは首を傾げるが、ルビーブラッドは納得したようにロッドを下ろした。その様子から敵でないことは確かであるようだ。
 シシィも少し警戒を解き、ルビーブラッドの背後で2人の会話を聞く。

「依頼は果たした」
「確かに確認をさせていただきました。本来なら貴方の手を煩わせるまでもないことですが、『エルガレイオン』がとある依頼中に消息を絶ちましたのでお力をお借りしたまでのこと」
「『エルガレイオン』が消息を絶った?何故」
「分かりかねます。ただ、ぷつりと連絡が途絶えました」
「…………刺されたか」
「さて、ああいうお方(・・・・・・)ですから、そういう可能性も」

 ――行方不明になって、刺されたかもって思われる人って……。
 どういう人物なのかさっぱり分からないが、とんでもない人物であるようには思える。
 色々と想像をめぐらすシシィに、使いの男はそれを確認するように見てから、ルビーブラッドに視線を戻した。

「そちらのご令嬢は」
「魔術師のシ」
「ぎゃあぁぁぁっ!」

 シシィの大声に、男性2人は目を点にして彼女を見つめる。
 ――あ、ああ、あぶなっ!危なかった!
 今まさに、ルビーブラッドに本名を言われてしまうところだった。使いの彼もまさかそれが本名だとは思わないだろうが、なるべくなら危険は減らしておきたい。知っているのはルビーブラッドのみでいい。

「な、名もなき魔術師Aです!通りすがりなのでお気になさらず!」
「そうですか、『名もなき魔術師A』様」

 ワークネームだと思われた。

「此度はご協力をいただき誠にありがとうございます。貴女様にも依頼料をお支払いいたしますので、口座番号を」
「……こーざばんごー?」

 何かの料理名か、と分からずルビーブラッドに視線をやると、その意図を正しく読み取ってくれたらしいルビーブラッドは、訳の分からぬ本人に代わって男に説明してくれた。

「彼女の国には機械がない」
「ああ……失礼しました。では」

 つかつかと男はシシィに歩み寄り、にこりと微笑みながらシシィの手を取ると、その上にどちゃり、と。
 思わずとり落としてしまいそうな重さの小袋を乗せた。

「どうぞ、お納めください」

 その袋の口からかすかに見えた――金色のコイン。

「うわぁぁぁぁっ!だ、ダメですっ、無理です、すみません!」
「ご心配せずとも、後でもっとお渡しします」
「ああああぁぁっ!余計に無理です!お返しします受け取れません過ぎたモノですこれを受け取る価値がありません返品します!」

 言葉通り袋を返品された男は、困ったようにルビーブラッドを見るが、そのルビーブラッドも背後で金の重さに怯えるシシィに困り果てていた。
 しかし、やがて溜息をつき。

「……彼女は金アレルギーだ。銀で払ってやってくれ」

 シシィはがしり、とルビーブラッドのコートを握りしめる。

「……銅でいいそうだ」
「いえ、それでは主の示しがつきません。金でなければ」
「むむむ無理です!私はたいしたことしてないですから、それはルビーブラッドさんにまわしてください!」
「お前も1人魔術師を倒しただろう」
「なんと。では、やはり金で」
「嫌です嫌です嫌ですっていうか、お金はいりません!」

 金貨の入った袋を押し付け合う2人を見下ろしながら、ルビーブラッドは考える。
 値上げ交渉をする魔術師や魔導師は嫌ほどいる。値下げ交渉をする依頼人もいる。
 が、自ら値下げ交渉をする魔術師と、値上げ交渉をする依頼人は見たことがない。
 今目の前で、争っているが。

「……とにかく、この場はお前に預けていいのか」
「ああ、はい。私の他にも、リーツの使いが紛れ込んでおりますので、この船は次の停泊地には着きません。進路は我が国の港町に向きます」
「つまりは船長もリーツの息がかかっているのか」
「苦労いたしました。なかなかガードが固く、潜入が難しい」

 ――潜入してる人、他にもいたんだ。
 なら、正直言うと助けてほしかった。どれだけ大変な思いをして逃げ回ったことか。

「俺達は引き上げるがいいか」
「はい。問題ございません」
「分かった。それを開けてくれ」

 それ、と指差され、男はルビーブラッドに言われるがままに袋の口を開けた。中にはやはり輝く金貨がごっそりと詰まっていて、シシィは眩暈を起こしそうだった。
 そんな袋の中にルビーブラッドは無造作に手を突っ込み、引き抜き。

「手」
「は、はい?」

 水を受けるようにしてシシィが手を出すと、ルビーブラッドはその手のひらの上に金貨をザラザラと落とした。

「ひっ!」
「顔を立てるつもりで貰っておいてやれ。受け取らんと叱られるのはそいつだ」

 と、視線で男を差しながら言うルビーブラッドに同意するように、彼はコクコクと勢いよく頷いた。

「それでも少ないくらいなのです。私の主は『花好き』ですので」
「……飛び入りで、男だったと伝えておけ」
「ルビーブラッドさん、『花好き』ってなん……」
「帰るぞ」

 『花好き』の意味を問う前に断ち切られた。
 すたすたと出口に向かって歩いていくルビーブラッドを追うようにして、シシィはトランクを手に持ち、使いの男に一礼するとその場を走り去った。
 進んできた廊下に戻ると、ちらほらと人が立っていたが、襲ってくる気配はないので先ほどの男の仲間なのだろう。
 ルビーブラッドも気にすることなく進んでいく。

「よ、よかったですね、解決して」
「まだだ」
「へ?」

 と、シシィが疑問の声をあげたところで。
 その後方から、男の声が飛んできた。

「ルビーブラッド様!依頼料は明日の16日には振り込まれておりますので!」

 ――え。
 その男の言葉で、シシィは頭が真っ白になった。
 ――明日、16日?
 シシィの記憶では、今日は14日であり。
 明日は15日である。
 呆然とするシシィの表情を見て、やはりか、という思いをにじませるようにルビーブラッドはため息をつく。

「……思っている日にちとずれているだろう」
「は、はぁ」
「攫われた時、『シュヴァルツ』を使われたな」

 驚いてルビーブラッドを見ると、彼は歩みを止めて、シシィの肩のあたりを指差す。

「残っている」
「魔導の気配が、ってことですか?」
「ああ。それでだ、『シュヴァルツ』は魔導の中で最も自由な魔導だが、最も扱いづらい魔導でもある。眠らせる場合は、時間指定を組みこまなければ、丸1日対象者は眠ることになる」
「はぁー……」
「残っている気配に、それを組み込んだ跡がない。おそらくは出航時間の関係で、お前を1日眠らせておかねばならんかったんだろう」

 ――あー、なるほど。
 と、納得は出来るが、冷静に対処はできない。

「うわぁ!どうしよう、ということは、私、あっちで行方不明に!あ、でも1日……」

 Bやヴィトランとはそう再々と連絡はとらないし、依頼も毎日あるわけではないし、なにより一番説明に困るルウスは、今はいないはずだ。数日離れると言っていた以上、1日では戻らないだろう。
 つまり、シシィの失踪を現時点で誰かが知っている可能性は低い。
 ――心配は、かけてないかも。
 今から急いで帰れば、誘拐がバレることはない。

「って、あぁ!どうやって帰れ……そうかロッドがあるんだから家に帰れるはず!」
「ちょっと待……」
『開かれし門は我が名を呼び 声無き力はその名に呼応する 風の音よ 天空の色彩よ 伸ばされたる迷い子の手を導き 故郷の土に抱かれる至福を知らしめよ 涙の渇きより早く キャンナット!』

 魔法陣の光どころか、風すらも起きない。

「……術範囲と言うモノがあるだろう。魔術には」
「……うっ、魔導には、ないんですか……っ」
「己の魔力の限界が範囲だ。心配しなくても送る」
「え、でもそれは……」

 悪いですから、と断ろうとしたシシィは、ルビーブラッドの鋭い眼光に射止められてがっちりと固まった。

「……このまま停泊を待っていたら、2日はかかるぞ」
「え」
「しかもそこからどうやって帰るつもりだ?金は?交通は分かるのか?」
「あ、うう……」

 よく考えれば。
 シシィは今まで、たった一人で旅行どころか町の外まで出たことがない。出たところで行くのは町の外れにある森程度。
 圧倒的に、絶望的に、シシィはそういう面で世間知らずだ。
 ちらりとルビーブラッドを見ると、彼は鋭い眼光を幾ばくか緩め、その目の中になんとも言い難い感情を見せながら口を開いた。

「――この目で、シシィが『あの町』に帰ったところを見なければ安心できない」

 ――そんな表情で、そんなこと言われたら。
 断ることなどできるはずがない。彼の恐れているものが、分かってしまう。
 頑なに断ろうとしていた意志は、その目を前にして、もろく崩れ去る。

「こんなところに、長くいるべきじゃない」
「――わかり、ました」

『君はこんなものに関わらない方がいい』
 ルビーブラッドと同じようなことを、ブレックファーストも言っていた。
 ――そういえば、ブレックファーストさんはどうしたんだろう。
 魔力を探ってみるが、やはり彼の魔力は探すことができない。闇に同化している、というよりは空気そのものになっている、という感覚だ。

「……どうした」
「あ、いえ……」

 ――無理、かぁ……。
 悪あがきしても、ブレックファーストは見つけられない。それにあちらも、再びここでシシィの前には姿を現さないだろう。

「何でもないです」
「……道具は全部あるか。取り返し損ねたものは」
「ないです」

 オンディーナの無事も確認でき、魔道具もすべて戻ってきた。大切な指輪も。
 ――あ、やっぱりこれはしまっておいた方がいいかも。
 指にしていたから容易に取られてしまったのであって、いつものようにチェーンに通して服の中に隠しておけば、見つかる可能性も低かったのだ。
 服の中にしまおうとして、指輪に手をかけた瞬間。

「外すのか」
「え、あ、は、はい」
「そうか」

 2人の間に、微妙な沈黙が落ちる。
 ――……な、なんか、外しにくい……?
 そんなことはないはず、なのだが、何故かルビーブラッドの視線を感じて、指輪が心情的に外せない。
 シシィはルビーブラッドをちらりと見る。
 視線があう。
 やはり、外しにくい。

「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………や、やっぱり、もうちょっとつけてます」
「そうか」

 何かのプレッシャーから逃れたシシィは、やっと暖かい空気を吸えた気分だった。

「お前の家まで飛ぶぞ」
「はいっ!」

 ルビーブラッドのコートの裾をつかみ、トランクを握りしめ、シシィの準備が整ったことを確認した後、ルビーブラッドは長いロッドに魔力を注ぎこむ。

『イオス 誇り高き二藍(ふたあい)のかわひらこよ 妖艶な羽と神秘の羽 我は奇怪の扉を開く者 浮き世に囚われず汝の力を望む』

 それはたった一瞬の出来事。
 それまでの光景が溶けて、構築され直して。
 体が浮くような違和感がほんの一瞬ある程度で目的地につく。
 はずだった。
 光がシシィ達を覆い、連れていった先は。

「……あれ?」

 シシィの家からは遠い――町外れにある、暗い夜のクロアの森だった。