「そういうの、嫌です」

 すねた、と言うよりはいささか不機嫌そうな声音と表情で、シシィはルビーブラッドに言った。
 何が嫌なのか、そもそもシシィがこういう態度をとるのが珍しいのか、ルビーブラッドは少々意外そうな表情でシシィを見つめ返す。

「『利用』なんて言葉、嫌いです。協力してもらうんです」
「…………あ、ああ」
「協力、ですよね」
「……あ、あぁ」

 挑むような、睨むようなシシィのまなざしに、ルビーブラッドは気圧されバツが悪そうに視線を逸らした。
 ――ときどき、ルビーブラッドさんは変な言葉を使うんだから。
 少しだけ怒りながらシシィは自分のトランクを開けた。中にはきっちりと、何も欠けることなく魔術薬と魔道具が収まっている。
 数もあっていて、種類もあっている。
 特に中をいじられたわけではなさそうだったので、シシィはホッとしたが、そこで血の気が引くようなことに気がついた。
 ――指輪。
 アステールの指輪がない。
 慌ててその辺りや、ジュエリーボックスらしき中の物も調べてみるが、指輪は見つからない。どこにも見当たらない。
 ――まさか、もう売られてしまったの……?

「どうした」

 いきなりその辺りにあるものをひっくり返し始めたシシィに、ルビーブラッドは彼女の手元を覗きこみながら尋ねた。

「ゆ、指輪が」
「………指輪?」
「指輪が、ないんです」

 微妙な間が開いた後、ルビーブラッドが再び口を開く。

「……自分で買ったものか」
「ち、違うんです。あれは、贈られたもので」

 石はルビーブラッドから。デザインはヴィトランから。
 たくさんの想いの詰まった、大切な指輪だ。ロッドやトランクと一緒にあるものだとばかり考えていたが、よく考えればあれは魔術道具ではない。ということは、普通にアクセサリーとしてオークションにかけられるので、もうすでに運ばれてしまったのかもしれない。
 シシィはロッドとトランクを握りしめた。
 ――あれも、取りかえさなくちゃ。
 オンディーナも指輪も、オークション会場にあるだろう。諦めずに探せば、かならずこの船の中にはあるはずなのだ。

「って、ルビーブラッドさん?」
「…………いや、何でもない」

 顔をあげると、ルビーブラッドは酷く青ざめた様子だったが、すぐに顔を背けて長いロッドを抱え直した。

「急ぐぞ。どちらも、取り返せばいい話だ」
「はい」





********





 ロッドとトランクを持って部屋を出て、シシィとルビーブラッドは長い廊下を走る。
 ここも入り組んだ迷路のような廊下だったが、オークション会場までの道のりはすぐに分かった。従業員も迷うことがあるのだろう、ところどころに小さく張り紙が張られてある。
 最中、シシィは何度か魔力の気配を探ってみたが、ブレックファーストの気配を読みとることはできなかった。ここまでくると、彼はやはり魔力を隠しているのだろう。
 ――私に、邪魔をされないように……?

「誤解と言っていたな」
「は」
「もみ合った男だ」
「あ、あの人は私の知り合いの魔術師さんで、助けてくれようとしたらしく」
「どこの出身か知っているか」

 意外な質問にシシィは驚いた。
 ――出身?
 どこの国か、ということだろうか。彼は故郷を愛していることを話してはくれたことがあるが、そういえばどこの国のことかは聞いていない。

「い、いいえ、知りません」
「そうか」
「な、何か気になることでも?」

 ――もしかして、ルビーブラッドさんも魔力の気配を追ってみたのかな。
 もし彼の探索能力を持ってしても追えなかったのなら、それは相手のことが気になるかもしれない。
 ルビーブラッドは少し迷ったように口をゆっくり開く。

「あれ、は――」

 空気が焼けたような気配がして。
 それに気付いたシシィは左を向き、ルビーブラッドはロッドを掲げた。

『グリージオ!』

 閃光が、閃光によって逸らされる。
 ――今のは、雷……!
 ちょうど廊下が十字に重なったところで、シシィとルビーブラッドは足止めを食らった。
 このようなところで、雷が発生するわけがない。これは明らかに魔導だ。
 シシィは見据える。
 前方に立つ、敵の姿を。

「やぁ、しばらくぶりだな」

 そこにいたのは、自分を誘拐した長髪の男で。
 シシィはロッドとトランクを握りしめ、キッ、と睨みつけた。

「そう威嚇しないでくれる?殴っちゃったこと、謝ってあげようか?」
「結構です」
「強気だな。でもその強気、後ろの怖い顔した彼がいるからだろ?」

 彼は長いロッドで、同じく長いロッドを持つルビーブラッドを差す。

「こんばんは、ルビーブラッド」
「…………『カード』か」
「光栄だね、知っててくれるとは」
「否応にも噂が飛びかう仕事だろう」

 普段から低いルビーブラッドの声が、さらに低くなる。同時にルビーブラッドの魔力が炎のように揺らめきはじめたのをシシィは感じていた。
 ――怒ってる……?
 敵意を自分に向けられているわけではないのに、冷や汗が流れる。
 じりじりと退がりたくなるような圧迫感だ。

「行け」
「……え?」

 ルビーブラッドのいきなりの言葉に、シシィは意味を測りかねた。

「こうしている間にも友人は危険にさらされる。先に行け、すぐに追いつく」
「へぇ、言ってくれるな、ルビーブラッド」
「貴様如きに後れを取るなら、俺はとっくに死んでいる」

 一気に緊張感が増した。
 これは珍しいことだった。ルビーブラッドが――喧嘩を売っている。

「どのみち、魔導師には魔導師しか対応できない。行け」
「で、でも……」
「早く行け。取り返しがつかなくなってもいいのか」

 ――ここで、必要なのは。
 ルビーブラッドと一緒に、ここに留まることではない。
 先に行って、オンディーナを助け出すことだ。
 シシィは一度目をつむり、オークション会場の方へと走り出した。
 その動きを、長髪の男――『カード』のロッドが追う。

「行かせられると思ってるのか!」

 ロッドが黒い光を帯びていく。
 が、それが1つにまとまる前に、光は分散した。
 ルビーブラッドがカードのこめかみめがけて、ロッドを思い切り振りかぶったからだ。

「思っている」
「っく!」

 ぎりぎりでルビーブラッドの攻撃をかわし、カードは距離を取る。その間にシシィはカードの死角になるところまで走り抜けることが出来た。
 そこから先は、ルビーブラッドとカードの戦いである。
 ルビーブラッドはひゅんひゅんと、ロッドを回し、構えた。

「……魔導師の面汚しが。自分が何に加担しているのか分かっているのか」
「はっ、誓いのことを言ってるのか?あんなもの建前だろ。『我らは悪に利用されず、染まらず、流されず、ただ心念に沿うべし』だっけ?」
「儀式は受けたらしいな」
「当たり前だろ?そういうあんただって、あの女に利用されてんじゃないの?」
「協力、だ」
「ははっ、『協力』!?」

 カードは嘲るように笑う。

「協力ってのは、同じくらいの力を持つ者同士が行って初めて協力って言うんだよ!あの女、完璧にアンタの足手まといだろ。ルビーブラッド、アンタはあの女に利用されてるだけだよ、自分の力ではどうしようもないことを、アンタにやらせてるだけだ」
「……別に構わない」
「やけにあの女に入れ込んでるみたいだけど、もしかして惚れてるのか?たいして可愛くもない……っと!?」

 風を切る音と共に繰り出されたルビーブラッドの蹴りを、再びギリギリでかわし、カードはまたルビーブラッドから距離を取るように離れた。

「……さっさとかかってこい」
「ふ、ふふっ、そんなに大事か。笑わせるなよ、ルビーブラッド!お前のような化け物と付き合う奴なんていない」
「お前は口ばかりか」
「……あの女、顔はイマイチだけど」

 ルビーブラッドの怒りを誘うように。
 カードは挑発的な表情で、口を開く。

「――いい身体は、してそうだったかな」
「…………下衆が」

 不快感をあらわに、ルビーブラッドは吐き捨てた。

「――その口、二度と開くな」





********





 オークション会場に近づくにつれて、廊下の景色が変わっていく。
 と言っても、装飾が変わっているわけではない。
 人がバタバタと倒れているようになったのだ。
 ――何、これ。
 廊下に無造作に倒れているのは、明らかに従業員。中には品物を持ったままの人間もいて、ここで何かが起こったことが容易に想像できる。
 ――眠らされているみたいだけど……。
 魔導、というよりは魔術の気配に近い。そして魔術よりは――呪いに近い。
 ――黒魔術。
 ずっと走った甲斐があって、やっとオークション会場に通じる扉が見えた。
 従業員通路から入ることになるので、会場の裏につながっているだろう。
 オンディーナの身に危険なことが降りかかっていなければいいが、と思いながらシシィは扉を開けた。
 瞬間、黒い手が迫ってきた。

「きゃっ!?」

 驚いて飛び退いても、手はシシィを追ってくる。
 ――これは……っ、呪い……黒魔術!?
 それなら。

『悪しき一閃(いっせん)は茨に阻まれ 正しき蝶は触れし者の企図(きと)を排除するだろう 拒めブランシェリーア!』

 そのシシィが放った魔術に、黒い手は怯えたように退き、ドアの向こうの闇へと消えていった。
 その様子を見て、シシィは途端に安心すると同時に動揺した。
 心臓が激しくなっている。
 ――何、この魔力……っ!
 ドアを開けた瞬間に、放たれたように感じ取れる魔力。
 その色は真っ白でありながら、残酷なような。
 ――怖い、け、ど。
 進まなくては。オンディーナを助けに行けない。
 シシィは震える自分の足を叱咤して、ドアの向こうへと向かった。奥は薄暗くて、はっきりとは見えないが、ここでもあちこちに 従業員が倒れているのが見て取れる。
 ――こ、こは、舞台袖?
 品物も数多く置かれているし、立派な台に乗せられているものもある。おそらくあの台のまま観客の前に出されるのだろう。
 奥に見えるカーテンの外は、まだ騒がしい。
 ――お客さんは、眠らされてない……?

「私の魔術で眠らないとは」

 ゾクリとするほど、色気のある低い声だった。
 ルビーブラッドとはまた違う低さの声に驚きながら、シシィが背後を振り返ると、ストレートの黒髪が印象的な美青年が、闇に紛れ込むように立っていた。
 ――いつの間に……!
 シシィが思わずロッドを向けると、青年は「ああ」と納得がいったような声を出した。

「君が『闇色ハット』か」
「な、んで私の名前を」
「理由を聞いているのか?私の『コレクション』が何やら喚いていたのでね」

 そこでシシィは、彼が何かを抱えているのに気がつき、そして何を抱えているのかにも気がついた。
 横抱きされている真っ白な髪の子供――少女。
 眠っているオンディーナだ。

「その子を――離しなさいっ!」

 ロッドに魔力を込めるシシィに動じず、青年はオンディーナを抱え直した。

「何故。私のモノだ」

 その言葉にシシィは激しく動揺した。
 ――モノ。
 遅かった、ということだろうか。あの青年がすでにオンディーナに値をつけて買い、今まさしく受け取りに来たところなのだろうか。
 シシィの目に、憤りで涙がたまる。

「人間はお金で売買されていいものじゃない!オンディーナは人間なの!」
「私だってそんな悪趣味はない」

 ――は?
 青年の意味不明な言葉に、シシィの構えるロッドが少し下がる。

「私がコレクションしているのは、この子供が持っている『セレナーデ』だ」
「呪い、を……?」
「ああ、思い出した。闇色ハット、とは以前どこかで聞いた名前だと思っていたが、確か前に助言を求めてきていたな」

 呪いを、コレクションしている。
 オンディーナが言っていた、『ヌワールドワ』。
 ヌワール。
 ノワール。
 ――ブラック。

「『ブラック・フィンガー』……!」
「いかにも」

 言葉と同時に、ブラック・フィンガーの姿がかすみ、金髪の美女の姿が現れる。

「私がここへ来たのは、自分の『コレクション』を取り戻すため。無粋な輩にこの美しき『セレナーデ』の価値は分からないわ」

 低い声とはうって変わって、今度はどこか甘い声音に変わる。
 同じ女性であっても照れてしまいそうなほどの甘い声だ。
 ――あ、えっと、ってことはルビーブラッドさんが言ってた魔術はこの人の?
 困惑するシシィを置いて、今度はブラック・フィンガーは少年に姿を変えた。

「分かってくれた、闇色ハット?僕はこの子を買っちゃいないよ。これでも彼女のことは大切に扱っているんだから」
「で、でもっ、オンディーナは『デュク』って人を呼んでた……!」
「ああ」

 また姿が変わる。今度は青年に戻ったが、先ほどの黒髪の姿ではなく、銀髪の儚げな印象のする、また違った系統の美青年だった。

「デュク、とは公爵のことだよ。私は公爵の位を持っているからね」

 声も姿も、話すごとに変えられて、シシィは目を回しそうだった。おまけに話の内容も衝撃が多すぎて、何に驚けばいいのか分からない。
 固まるシシィに、ブラック・フィンガーは思い出したようにポケットから何かを取り出して、それをシシィに放り投げた。

「わっ!」

 その声に反応したように、眠っていたオンディーナが目を覚ました。

「……闇色ハット」
「オンディーナ!」
「なんだ、あんた無事だったのか……トロそうだから捕まったかと」

 かすれた声で、青年の腕に大人しく包まれたままオンディーナは笑う。思ったよりは元気そうで安心し、シシィは力が抜けそうになった。

「用は終わった。帰るよ、オンディーナ」
「くそ……嫌味かよ。公爵、あたしはそのキャラは嫌いだって言ってんだろ」
「勝手に攫われた罰だよ。我慢しなさい」

 ブラック・フィンガーたちの足元に魔法陣が浮かび上がり、光を放つ。多少模様は違うが、その魔法陣はシシィの空間転移魔術の陣と似ていた。
 ――基本は同じで、組み方が違うのかしら。
 じっと見ていたシシィだったが、オンディーナに呼ばれて顔をあげる。

「保管庫で見つけたから、守っといてやったよ」
「――?」
「じゃあな」
「何か面白い呪いがあれば、そこに連絡をくれ」

 さよなら、を告げる前に、2人は強い光をともなって姿を消し。
 残ったシシィは何とかキャッチできた手の中の物を確認した。
 1つはメモで、店の名前と住所、11桁の数字が書かれていた。
 そして、もう1つ。
 それは――。

「オンディーナ……!」

 それは手の中で光輝く、アステールの指輪だった。