「よし、出るぞ」
ルビーブラッドの合図で、シシィは彼の後について部屋を出た。
自分を追ってきた警備員はいなくなっているが、それはこの階にいないだけであり、下に下がれば嫌でも出くわすだろう。
そのことを考えながら、こっそりと出ようとしたシシィに対し、ルビーブラッドは堂々と隠れることなく部屋を出た。
それに慌てたのはシシィである。
「る、ルビーブラッドさん!もっとこっそり移動しないと」
「コソコソしている方が怪しい。それにオークションが始まれば帰ってこないものが出てくるぞ」
それはとても困る。魔道具もそうだが、なによりオンディーナが売られるのは嫌だ。
――そうだ、もう時間との戦いも始まっているんだ。
いつの間にか、陽が沈もうとしている。青かった海はオレンジがかりはじめた。窓から景色を眺めた後、シシィは前を歩くルビーブラッドに質問した。
「オークションは、どこで行われるんでしょう」
「十中八九、最下層だろうな。やましいものは下に隠したがるのが人間だ」
そういうものなのか、と思いながらシシィは前を見て。
ルビーブラッドのコートの裾をつかんだ。
「何だ」
「もも、もも、ももももしや、あれに乗る気ですか」
「そうだが」
シシィがあれ、と指差したのはシシィが動かそうとしても動かなかった、壁が開く四角い箱の部屋のことだ。
――空間転移の魔術より気分が悪い。
いまいち仕組みが分からないし、あの感覚を再び味わうのかと思うと、ぞっとする。
「あ、あの魔術はどうやったら発動するんですか」
「は?」
珍しくルビーブラッドが呆気にとられた声を出して――ああ、と何か納得したような声を続けて出した。
そういえば、と。
「シシィの国には『電気』……機械がないんだったな」
「で、でん……?きか……?」
「あれは魔術じゃない。『エレベーター』という機械で、階段より楽に上下階を移動できるものだ」
「えべれーた?……あの箱が階段を上り下りしてるんですか!どうやって!?」
「いや……階段を上り下りしてるのではなくてだな……」
「だ、だって階段じゃなくちゃ上の階には上がれませんよ!」
「…………まぁ、そうだが」
「ということは、『えべれーた』はかなりの高速で階段の上り下りを!?とっても頑張ってるんですね、『えべれーた』って!」
「……本当に努力したのは、この機械を発明した人物なんだが」
まぁ、いいかと説明を放棄したルビーブラッドだった。
『それ』が身近にない人物に身近にありすぎる人物が説明をしようと思うと、かなりの根気がいるのだ。その根気も時間もあいにく今は持ち合わせていない。
さっさとシシィを連れて乗り込み、ルビーブラッドはボタンを押して階下に下がった。
瞬間的に感じる、あの奇妙な感覚にゾワゾワしながらもシシィは黙ってそれに耐え、ルビーブラッドに尋ねた。
「ま、まずはどうしたらいいんですか」
「魔術の結界を感じるところがある。おそらくそこに、シシィのロッドや魔道具があるだろう。運が良ければお前の友人もそこに閉じ込められているだろうが……」
「もしかしたら、捕まっていないかも」
「そんなバカな」
「だ、だって、オンディーナは……『セレナーデ』に憑かれてたんです!」
ちーん、と音がして、扉が開く。
ルビーブラッドはシシィの言葉に驚きが隠せない様子で、その場で固まっていた。
「……絶滅した太古の呪いに、か?」
「本で見たのと同じだったんです!真っ黒なバラを剣で貫いた刺青がありました」
「……なるほどな、何故攫われたのかよく分かる」
首を傾げるシシィを連れて、ルビーブラッドは豪奢な廊下に出た。先ほど乗ったエレベーターとは別のエレベーターだったらしく、こちらはお客用らしい。
「それは、どういう……」
「……シシィは知らなくていい」
「待って……教えてください」
「…………」
「ルビーブラッドさん!」
腕の裾を引いて、シシィはルビーブラッドの迫った。
何故、彼女がさらわれたのか。
それがセレナーデとどう関係があるのか。
ルビーブラッドは一度目を伏せて、シシィを見てから、また目を逸らした。
「……『殺人衝動』は、ある種類の人間には『使える』。軍隊に限らず、殺してほしい人間がごまんといる人間、なんかにな」
――それは、オンディーナを暗殺者に、ということ?
あまりにも非日常的な言葉に、シシィは混乱した。
美しいが、普通の子供だった。彼女はちゃんと怒ることもあれば不安になることもあり、悪態をつく相手がいる少女だ。
――デュク、と言ってた。
彼女には帰る場所があるのだ。
「……そんなことには、させません」
流れる前に涙を拭う。今やるべきことは泣くことではない。
オンディーナを助けることだ。
「そうだな。だからシシィ、後ろを振り向くな」
「へ」
「つけられている」
言われて、振り向きそうになったのをシシィは渾身の力で止めた。
――分からなかった……。
ルビーブラッドに言われてからも、全然どこにいるのか分からない。廊下に人影が全くないのだ。明らかに、上の階まで来ていた警備員とは違う。
これはかなりの確率で、闇オークション関係者である可能性が高い。
そう考えているのはルビーブラッドも同じらしく、彼はこっそりとシシィに、次の角を曲がると伝えた。
素直に従い、ルビーブラッドと共に角を曲がる。
しかしルビーブラッドはそこで何をするわけでもなく――。
ただ、音が聞こえた。
パン、と。
乾いた音だった。
驚いたシシィが後ろを振り返ると、先ほど曲がった角の所で、黒いスーツを着た男2人が倒れているのが見えた。同時に、魔法陣が敷かれているのも。
その魔法陣は――魔力の気配は、ルビーブラッドのものだ。
思わず鳥肌が立った。
――いつの、まに。
こんなに近くに、隣にいたのに、魔術を施行したタイミングも気配も分からなかった。
恐ろしく静かで、速い。
――これが、依頼をこなしているルビーブラッドさん……。
良く考えれば、仕事をしているルビーブラッドを見るのは初めてだ。しかも、こんなに切羽詰まった状態にあることも、そうそうなかった。あると言えば呪いのときくらいだろうが、あれはシシィに消滅させる程度の余裕が彼にはあった。
しかし今、彼は急いでいる。
シシィのロッドや、友人が返ってこなくなる前に依頼を終わらせようとしている。
ルビーブラッドは引き返して、倒れている2人の近くへと歩みよった。
「動けないだけで、口は利けるだろう。闇オークションの品はどこに保管されている」
「…………っく」
「どこだ」
「……我々は、その女に用があるだけだ。その女を寄こせば……」
ルビーブラッドの表情が険しくなる。
「俺達は急いでいる。穏便でない訊き方も知っているぞ」
穏便にいきましょう、とは言えない雰囲気だった。脅されているのは自分でないのに何故かシシィも冷や汗が出る。
男たちは数秒迷った挙句、重く口を開いた。
「……この先に、関係者以外立ち入り禁止の階段がある」
「十分だ。1時間もすれば動けるようになる」
踵を返して、ルビーブラッドはシシィのもとへと帰ってきた。
「行くぞ」
「あ、はい」
慌ててシシィは先行くルビーブラッドの後を追う。
魔法陣にかかった2人のことが気になったが、おそらくアレは動きを封じるだけで、他に危害は加えないものなのだろう。
シシィは改めてルビーブラッドの背中を見つめた。
彼はロッドは常に持って歩いているが、ロッドが光った様子はなかった。
敵にもシシィにも悟られないように、密やかに魔法陣を敷いていたのだろう。
――呪文も言わずに。
それを行うには、相当な魔力と経験がいる。今のシシィには無理なことだ。
――やっぱり、私は足手まといになるかもしれない。
――ダメ。そう考えて、逃げてばかりに何の意味があるの。
心が2つに割れて、対峙する。
弱い心と、それを叱咤する心。
「余計なことは考えるな」
驚いて顔をあげると、ルビーブラッドは前を見たまま続ける。
「お前のことは、必ず守る」
――苦しい。
言われれば、嬉しい言葉のはずなのに。何故かシシィには心苦しかった。
さみしくて、悲しくて、切ない。
ルビーブラッドのその言葉のどこかには、強迫観念のようなものを感じる。
――どうして?
その疑問に答えは出ないまま、シシィはルビーブラッドを黙って見つめる。
――どの口で、言えるだろう。
守られたいから傍にいたいのではなくて。
――貴方を支えたいから、だなんて。
「あれか」
ルビーブラッドの声につられて前方を見ると、確かに『関係者以外立ち入り禁止』と書かれたドアがポツンとそこにあった。豪奢なつくりの廊下にはふさわしくない、無骨なドアだ。
――あの先に、オンディーナは……。
「急ぎましょう!」
「ああ」
シシィとルビーブラッドは扉を開けると、階段を下りていった。
********
階段を下りると、一気に雰囲気が変わった。
一気にシンプルなつくりの廊下になり、照明も薄暗く、静かだった。
その様子に、ルビーブラッドは首を傾げる。
「――何故、こんなに静かなんだ」
「オークション、始まってるんでしょうか」
「ならば、余計にだ。イベントの裏側はごたごたするものだ。オークションの品を出すのに、今ここは騒がしくなくてはいけないはず……」
言われてみればそうだ。あの2人の言うことが正しいのなら、この先にはオークションに出す品があるはずで、その近辺はバタバタとしているはず。
なのに、目の前に広がる光景は静寂だ。
「……結界の気配はやはりこっちだ。嘘をつかれたわけでもなさそうだな」
「じゃあ、何で……」
「さぁな……だが、警戒するに越したことは」
ない、というルビーブラッドの声は轟音によってかき消された。
「なっ!?」
照明も声と一緒にかき消され、辺りは自分のことすら分からないほどの、深い暗闇に包まれる。シシィは自分の目が開いているのかよく分からないままで、手探りでルビーブラッドを探した。が、手は空を切るばかりだ。
「ルビー……ブラッドさん!?どこに……」
『ヴァイス 静謐を寵愛する雪白の鷺よ 純良な獣と心神の方正 我は汝を渇望せし佳良なる芳香の果実 加護と太平 我の糧とする』
――そうか光を。
その魔導の効果を理解するのと同時に、ルビーブラッドのロッドが光を宿し、辺りを照らした。これがロウソク代わりである。
灯りをともした彼は、シシィの方に振り向きながら問うた。
「気付いたか」
「何にですか?」
「轟音と一緒に、魔術の発動も感じた。あの感じは、黒魔術……」
「え……」
黒魔術、と言えばあの短髪の男が使っていた魔術がそうだ。もともと『呪い』とは黒魔術から派生したものなので、黒魔術は良くないものとされている。
それがどこかで使われた。
――もしかして。
今の状況は、シシィ達が思っているより悪くなっているのかもしれない。
ルビーブラッドもさらに表情を険しくした。
「……とにかく、シシィのロッドや魔道具を取りに行こう。結界の気配はあっちだ」
ルビーブラッドが振り返りロッドを掲げた瞬間――それは彼の手からこぼれ落ちた。
「下がれ!」
「え」
否。こぼれ落ちたのではなく、払われたのだ。
シシィがやっと理解した瞬間に、肉体と肉体がぶつかり合う音が聞こえた。
音しか、聞こえない。
ルビーブラッドのロッドは、もう光を失った。辺りは暗闇。
何もかもを飲み込む、黒だ。
「くっ!」
――闘ってるのは、ルビーブラッドさんと、1人……?
物音と足音から察するに、おそらくルビーブラッドに仕掛けてきたのは1人。
風を切る音と、肉体を打つ音。
どちらがどうなって、どちらが優勢なのか分からない。
――でも、ルビーブラッドさんが負けたところなんて見たことない……。
「――っ!」
バン、と床にたたきつけられた音が聞こえた。
――ルビーブラッドさんが、勝った?
思わず物音のした方へ駆け出しそうになったが、シシィはぐっと堪えた。大きな物音がしただけで、まだ決着はついていないかもしれない。
ルビーブラッドの許可なしで動かない方がいいだろう。
じっとしていようと、身を強張らせているといきなり体が浮いた。
――へ。
これはいわゆる、お姫様抱っこされているという状態だ。
シシィは慌ててルビーブラッドにつかまった。
つもり、だった。
「……え」
――違う。
香りが違う。ルビーブラッドの香りではない。
――じゃあ、この人は誰?
一気に、体温が下がる。
ルビーブラッドでないのなら、今一緒にいる人物は敵でしかありえない。
「いやっ……!」
――ルビーブラッドさんが、負けた!?
暴れながら、シシィはその事実に気付いた。でなければ、自分がこうして敵に攫われることはありえない。
――どうしよう。ケガをしていたら。
大きな物音がした後、うめき声すら聞こえなかった。
シシィは暴れるが、敵はそうそう手を緩めない。
――動けない。
――ルビーブラッドさん!!
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