痛みが眠りを妨げて、シシィは呻きながら目を覚ました。
 頭が割れそうなくらい痛くて、気分が悪い。
 しかし弱音ばかりも言っていられず、シシィは痛むこめかみを押さえながら体を起こした。
 ひんやりとした床は土でも石畳でもない。灰色の床に、壁。真正面は重そうな鉄の扉が静かにそこにある。まるで触られることでも拒絶しているかのような、重々しいドアだ。
 そのことにも驚いたが、シシィが気になったのは部屋の明るさだった。周りに窓は一切ないのに、かなり明るい。明らかにランプの明かりではないそれは、シシィの家にある隠し部屋のランプに似ていた。
 魔力を通す、宝石のランプ。
 しかし、魔力の気配は一切しない。

「な、なんで……?」

 ――とにかく、お、落ち着かないと。
 とりあえず手近にはロッドも、トランクもない。魔術師に魔道具を持たせることはないだろうから、取り上げられたのだろう。
 どうしよう、と手で顔を覆った瞬間、シシィは絶望的な気持ちになった。
 ――指輪が、ない。

「――うそ」

 慌てて体中を探ってみるが、どこにも引っかかっていなかった。もしかすると連れ去られる途中で落としてしまったのかもしれない。
 ルビーブラッドにも、ヴィトランにも申し訳なさ過ぎて、会わせる顔がない。縋りたい一心で、シシィは胸元のペンダントを握りしめたが。

「……ない」

 アンティークキーは、ちゃんと胸元にある。のに、ルビーブラッドから貰ったペンダントがない。

「ど、どうして!?どこで……」
「落としたんじゃなくて、消えたんだ」

 背後から突然聞こえてきた声に驚いて、シシィが跳ね上がりながらふりむくと、部屋の隅にひざを抱え込んで、うずくまるようにその子はいた。
 子供だ。まだ12歳かそこらだろう。髪の色は真っ白で、ショートヘア。キリリとした瞳の色は一見紫のように見えるが、よく見ると左右で微妙に違う。右の方が少しだけ青っぽい。何にしても、容姿端麗すぎて男か女かシシィには判断がつかなかった。
 服装だけをみるなら、襟のついたシャツにリボンタイ、半ズボンにロングブーツなのでいいところの少年らしい恰好なのだが。

「あんたの指輪は下衆が持ってったよ」
「……え」
「ボヤっとしてる姉さんだな。だから指輪だ。不思議な石がついてた、星の」
「あ、ああ、アステールの指輪!」

 少年の声にしては高い、少女の声にしては低い、不思議な声に聞き惚れて危うく話から置いてけぼりをくらうところだったが、シシィはなんとかくらいついた。
 ――指輪を持っていった?
 何故だろう、とシシィは首を傾げる。あれには何の魔力も込められていない、価値のないものだ。
 ――価値。違った……価値はあるんだ。

「あれ、めちゃくちゃ高ぇ石なんだって?奴ら、オークションに出すって言ってた」
「お、オークション?」
「……姉さん、何にも知らないんだな」

 白髪の子供はため息をつくと、説明を始めた。

「『コルボー・オークション』つって、闇オークションがこれから始まるんだ。まぁ、普通のオークションもやってんだけど、限られた人間は会場の裏口から闇オークションに参加できる。そこでは何もかもが値札をつけられるのさ」
「な、何もかも?」
「そう。普段は値が付けられないもん……人間とかな」

 一瞬、その言葉が理解できなかった。
 頭の中で反芻して、意味が分かったとたんシシィは青ざめた。
 『商品なんだろ』と。
 あの2人組のうち、短髪の男が言っていなかっただろうか。
 あの場合『商品』という言葉が指すのは。

「ようやく分かったか、姉さん」
「わ、私……私たち……」
「そうだ。『商品』なんだよ」

 目の前が、一気に暗くなった。
 ――お父さん、お母さん。
 両親の顔が思い浮かぶと同時に、シシィの目には涙がうかぶ。理性を放り捨てて、混乱のままに泣きだしてしまいたかった。
 それをかろうじて引き止めているのは、目の前にいる存在。
 自分より幼いのに、取り乱すどころか冷静な子供の存在だ。
 シシィはにじんだ涙を拭いて、白髪の子供に問いかけた。

「何で、私たちが捕まったんだろう……?」

 あの男たちは、わざわざ自分を迎えに来ていた。ということは、どこかで自分の存在を耳にして、計画的にあそこまでやってきたのだろう。でなければ、あんなへんぴなところまで来ないはずだ。
 子供は首筋を撫でながら、あっさりと問いかけに答えた。

「あんた、魔術師なんだろ。女で魔術師って珍しいんだとさ。金だけは腐るほどあるモヴェ・グーどもがこぞって欲しがるだろうよ」
「……『モヴェ・グー?』」

 聞きなれない言葉にシシィが首を傾げると、子供はしまった、というように手に口を当ててから言い直した。

「悪趣味どもが、ってことだ」

 ――同じ国でも、分からない言葉ってあるんだ。
 いわゆる方言というものだろうか。シシィは不思議に思ったが、今はそれが優先させるべき質問ではない。

「アナタ、も魔術師?」
「はっ、まさか。でも何処に売られるかは予想がつく」

 シン、と牢内が沈黙で埋まる。

「……とにかく、アンタがいるのはそういうところ。だからあの指輪もオークションに出されて、戻ってこないね」
「あ…ペンダントが消えたっていうのは……?」

 白髪の子供は「それこそこっちが訊きたい」と肩をすくめた。

「何か隠し持ってたら困ると思ったんだろ、胸元に見えた鎖を引っ張ったら、鍵の方は大丈夫だったけど赤い石のペンダントは溶けて消えちまったみたいだ」

 ――溶けて消えた?
 今までずっと持っていたが、ルビーブラッドのペンダントが溶けて消えた、ということは1度もない。考えられるとすれば、それは他人に見られたことだろうか。
 ルビーブラッドはあのペンダントを渡したとき、誰にも見せるな、消えるからと言っていた。今まで訳が分からずただ忠告に従っていたのだが、まさか本当に消えるとは思わなかった。
 しかし、それはそれで問題だ。
 ――結局、ルビーブラッドさんから貰ったもの、2つとも無くしちゃった……。
 そう考えると、せっかくひっこめた涙がまた出てきそうになる。

「う……」
「泣くなよ」
「分かってる……泣いても、どうにもならないって……」
「じゃあ泣くなって」
「分かってるけど……」

 涙がこぼれてしまう。
 もう戻れないのかと思うと、色々やりたかったことが頭に思い浮かんで、それができないことが悲しくなってくる。
 ――ルウスさんの魔術、解けなかった。
 もう2度と、みんなと会えないと思うと絶望が胸を塗り潰す。

「うっ……うう……」
「……んだよ、泣くなよぉ」
「ごめっ、ごめんね……」
「泣くなよイディオッ!あ、あたしまで泣きたくなってくるだろ!!」

 『あたし』という言葉に反応してシシィが前を見ると、子供――彼女はひざに顔をうずめて肩を震わせていた。
 グスグス、と鼻をすする音。
 ――私、最低だ。
 彼女もまた、我慢していただけだ。平気だったわけじゃない。
 それでも冷静を保っていたのに、自分が泣いてしまったせいでつられて不安になってしまったのだ。

「イディオッ、イディオッ、何だよデュクめ!何がヌワールドワだっ!これだからジャンティヨムは甘ちゃんで困るんだ!」
「え、えっと?ジャン……?」
「ズュット!!」

 ――言葉が分からない。
 あまりの剣幕と言葉のわからなさに、シシィはとりあえずその混乱で涙を止めることが出来た。あまりに聞き慣れていなさすぎる言葉でよく分からないのだが、誰かを罵っているようだ。
 それが逆に彼女の不安の濃さを表しているような気がした。

「…………助けてくれるっつってたじゃんよ、デュク」

 ――そうだよ。
 シシィは彼女の細い首を見つめた。
 彼女は子供で。自分よりきっと動揺しているのだ。落ち着いて彼女を導かなければならないのは年上の人物で、そしてここではシシィしかいない。
 そう思うと乱れていた心が冷静になってきた。
 ――よく、考えて。
 絶望するにはまだ早い。ここはどこか分からないが、少なくとも出口はあるのだ。
 それは今閉ざされているだけで、閉じ込められた訳じゃない。
 ――最近の私は、諦めが悪いんだから。
 もしかすると魔術道具もオークションに出されるのかもしれない。それは絶対に阻止しなければいけないことだ。魔術道具が一般人の手に渡ってはならないことだし、何よりあれのほとんどは祖母の遺品、形見だ。
 必ず取り戻す。
 アステールの指輪も含めて。
 ――うん。

「ねぇ、貴女名前は?私は……闇色ハットって言うの」
「…………変な名前」
「魔術師だから、本名は名乗れないの。貴女は?」

 白髪の彼女は、顔をあげない。

「ない」
「そんなことないでしょ?教えてほしいな」
「……どうしても呼びたいなら、オンディーナでいい」
「わかった、オンディーナ」

 シシィは立ち上がって、冷たいドアノブに触れた。
 一応ノブを回してみるが、音が鳴るだけで開く気配は一切ない。セオリー通り、鍵をかけられているようだ。
 それは予想範囲内。
 まずは、ここを抜け出すことが第一関門だ。

「オンディーナ。ここから出よう」
「はぁっ!?頭おかしくなったのかよ!?」

 シシィのとんでもない提案に、さすがにオンディーナと名乗った彼女も顔をあげた。
 その表情は驚愕と言うよりは、呆れ顔だ。
 そんなんこと無理に決まってるだろ、と目が言っている。
 ――ある意味、おかしくなったのかもしれない。
 シシィは苦笑しながらその言葉を聞いていた。魔術道具もロッドもなくて、八方塞がりの魔術が使えない魔術師。
 ――ああ、もう最近、私無茶してばっかりだ。
 けれどここにいるくらいなら、無茶をして出た方が百倍いい。
 無茶をして――魔術を使う。
 こめかみから汗が流れるのを感じながら、シシィは息を整えた。
 そして覚悟する。
 両手でしっかりと、シシィはドアノブを握りしめた。

『我は全てを(ほど)く者 汝の責を解放しよう 紐解けラゴールエ!』
「なっ……イディオッ!」

 パン、と乾いた音が聞こえて、錠がガチャリと外れる音が響いた。
 瞬間、シシィの骨の髄に衝撃が奔る。

「あああぁぁぁぁあああああぁっ!!」
「おい!」

 骨を業火で焼かれたような激痛。
 魔術師や魔導師が必ずロッドや魔道具、魔法陣を使うのには、こういう理由がある。
 何かを媒介にして身体から魔力を放出しないと、自分に激痛が奔るのだ。
 魔法使いは精霊の力を借りるからなのか、ロッドを使用しなくても激痛に悶え苦しむことはないようだが、魔術師と魔導師は己の力を多く使うため、ロッドを用いることが原則となっている。

「イディ……この馬鹿!!デュクでもこんな無茶しねぇよっ!おい、生きてるか闇色ハット!」

 シシィは半開きになった扉の前にうずくまりながらも、コクコクと頷いた。両腕はしびれて痛くて感覚がない。しばらくは感覚が戻らないだろう。
 しかしこれで突破口は切り開けたのだ。

「あと、は、見つからないように、外に、出れば……」
「……ああ、くそっ、闇色ハット!」

 オンディーナは座りこんだシシィに、その小さな肩を貸して扉を開けた。扉の向こうは先ほどまでいた監禁部屋よりも少し薄暗く狭い廊下で、不思議な音が響いていた。
 ゴウンゴウン、と。
 まるで地響きのような音だ。
 耳障りな音の中を、オンディーナはシシィを引きずるようにして進む。
 彼女の向かう先には、やはり灰色のドアがあった。

「マヌケな警備で助かったけど、あたしらの絶望的状況は変わらないんだよっ!」
「なん、で……」

 その問いには答えず、彼女は慎重にドアを開けて誰もいないことを確認すると、ドアを開けた先にあった鉄の階段を上りはじめた。
 カンカンカン、とリズミカルにオンディーナの足音は響き、カカンカカン、とシシィの足音は少し乱れて響く。
 ――いつもなら、なんてことない階段なのに。
 ロッドなしの魔術を使ったため、体中が軋んでいる。これでは逃げる際にオンディーナの足を引っ張ってしまうのでは、とシシィが懸念していると、彼女はそれを察した
 かのように「関係ない」と吐き捨てた。

「逃げられないんだ」
「鍵は開けてきたのに……」
「そういう意味じゃない」

 階段を上りきり、シシィを踊り場に座らせると、彼女は一度ドアをこっそりと開けて狭い隙間から外の様子をうかがい、シシィに視線を送った。

「見ろ!」

 開け放たれた扉。
 そこから入りこんできた空気は、潮の匂いがした。
 ――海。

「外に出たはいいけど」

 シシィの前に青い絶望が広がる。

「どうやってこの船から脱出するんだよ」