どんな力だっていい。
 あいつらに思い知らせてくれるなら。
 さぁ、答えてくれ。応えてくれ。

 あいつらに、『絶望』というものを思い知らせてくれよ。





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「それじゃあ、本当に数日間だけ離れますけど、大丈夫なんですね?」
「平気ですよ、ルウスさん」
「と言われてもね……」

 珍しく日差しの暖かな昼下がり。シシィは包帯を巻いた左腕を庇いながら、図書館の玄関先でルウスと話していた。
 ケガをしてから1週間。医者には全治2,3週間だと言われているため、左腕は極力動かさないようにしている。そのかいあってか、最初の頃より痛みは薄らいでいるので普通に家事くらいならできるようになり、こちらに戻ってきたのが2日前のこと。

「心配ですよ、ケガ人を置いていくのは」

 ルウスはどうしてもこの町を離れ、行かなければいけない場所があるらしいのだが、シシィを置いていくのに踏ん切りがつかないらしい。
 ――まぁ、不自由と言えばそうだけど。
 しかし、使えないのは左腕なので、利き腕でなかったことが幸いし、そうそう困り果てた状況にはならない。不便ではあるが、右腕が使えない以上の不便ではない。
 シシィはニコリと微笑んだ。

「用事があるのなら、行ってきた方が良いですよ。お店、持ってるんですよね?様子とか気になるでしょう」
「ええ、まぁ……」
「なんなら、この腕でオレンジケーキを作ってみましょうか?」
「やめてください」

 切り捨てられるように言われて、シシィは苦笑する。ルウスの心配症は、ある意味、実の両親たちよりも酷いかもしれない。

「本当に、シシィさんを1人にするのは心配なんですよ……。こう、ぽんやりとしてるから誘拐でもされそうで」
「私、それほどぽんやりしてませんよ」
「だといいんですけどねぇ……知らない人について行かないでくださいよ」
「子供でもありません!」

 むっ、とシシィが怒るとルウスは視線を逸らす。

「とにかく!私は大丈夫ですから、安心して行ってきてください」
「……確かにここで言い合っていても仕方ないですからね。なるべく早く帰ります」
「はい、いってらっしゃい」

 チラチラとこちらを振り返るルウスを見送って、シシィは図書館の中へと引き返した。
 外が暖かいおかげで、図書館の中も暖かい。シシィはカウンターのイスに座って、ひざかけをかけて、ポットの紅茶をカップに注いだ。
 湯気の出る紅茶を見て、思わずニンマリしてしまう。先日『時を止める魔術』を覚えたので、その魔術をポットにかけておけば、いつでもあたたかい紅茶が飲めるようになったのだ。術自体は高度だが、ポットの底に陣を描いておけばいいので、最初に施行すれば後は簡単だ。
 ――そう、魔術を使えばよかったんだよね。
 以前まで風呂は薪で沸かしていたのだが、最近になって水を沸騰させる魔術があるのだから、それを使えばいいのだと気がついた。ちなみにその魔術は初級の魔術なので、かなりの時間を無駄にしてきたことになる、と思うと悲しいので考えないようにしている。
 ふぅ、とため息をついてから、読みかけていた魔術書に手を伸ばそうとして、シシィはその手を止めた。

「…………」

 じっ、と自分の指を見つめる。
 ――ルウスさんは、これから数日いない。
 ならそれは、いわゆるチャンスというものではないだろうか。
 ルビーブラッドから貰ったアステールの石がついた指輪をするチャンス。
 ヴィトランに作ってもらったはいいが、ルウスの目が気になってずっとつけることができず、ペンダントのチェーンに通しているだけのものになってしまっていた。
 だが、ヴィトラン特製の美しいデザインの指輪。シシィだって女の子で、身につけたいとは思っていたのだ。
 ――い、いい、いいよ、ね?
 図書館で、このカウンターに座っているときだけ。その間だけなら無くすこともないだろうし、落とすこともないだろう。
 シシィはいそいそと、チェーンから指輪を外して自分の左手の人差し指にはめた。
 星をモチーフとしたデザインは、アステールと調和している。
 ――やっぱり、ヴィトランさんはすご……。

「お姉さん」
「ひゃぁいっ!?」

 突然声がして、シシィが跳ね上がりながら正面を向くと、いつの間にか少年がそこに立っていた。色白の線の細い感じで、少し気弱げな少年だ。
 ――何だろう。どこが悪いのかな?
 見た目からすると、ただ細いだけで何の異常もなさそうだし、声も出ているし、目も見えていそうだし、耳も聞こえていそうだ。
 ――とすると、外見じゃなくて、内側かな。
 そればかりは、症状を聞いてみなければ分からない。

「ええと……今日はどんな用件で?」
「え?あ、本を……」
「本?」

 シシィが首をかしげると、少年も首をかしげる。
 ――本。
 本がどうしたというのか、今回の依頼に関係があるのだろうか、と考えを巡らせたところでシシィは重大なことに気がついた。

「ああ!本、で、すねっ!」

 ――ここは図書館だよ!
 つまり、だ。この少年は本来のこの図書館の果たすべき役割に用事があってやってきたのだ。大変、とても、珍しいことに。
 危うく、何の関係もない人物に魔術の話をするところだった。
 ――変な人だと思われる前で良かった!
 シシィは笑顔を作りながら、本来の役目に戻った。

「どんな本をお探しですか?」
「この町の歴史を記した本。学校の授業での資料にしたいんだ」

 シシィは頷きながら深く感心した。かなり勉強熱心な子だ。だからこそこんなへんぴな図書館にもやってきたのだろう。
 シシィは立ち上がって、郷土歴史関係の棚へと少年を案内してあげた。
 少年は棚を見てつぶやくように言った。

「持ち出し禁止の本もあるんだ」
「あ、そうなの。だから、そういう本はここで読んで帰ってね」
「うん」

 おそらく持ち出し禁止の本は出版数が少なくて、無くなってしまったら二度と手に入らないものなのだろう。この本棚に限らず、図書館全体を見れば結構そういう本は多かった。
 少年が本を選び始めたので、シシィが邪魔しないようにカウンターの方へ戻ると、ロビーの方に人影が見えた。
 ――また、お客さん?
 イスには座らず、ロビーの方に出向くと、そこには黒いスーツで決めた男性2人が立っていた。
 1人は髪が黒くて肩まであるほど長く、もう1人は対照的に短髪の茶髪だ。

「――闇色ハット、という魔術師はこちらにおいでですか?」
「……あ、はいっ、私です!」

 今まで管理人の仕事をしていたので、すぐには魔術師という言葉にピンと来ず、おもわず解答に間を開けてしまったが、シシィは頷きながら答えた。
 私が闇色ハットです、と。
 すると、2人のうちの肩まである黒く長い髪をした男性の方が、とたんに安堵したような表情でシシィの手を握りしめてきた。

「どうか、私たちの主をお助けください!大変な事態に陥っているのです!」

 その背後ではもう片方が、辛そうに顔をそむける。
 ――どんな事態に?

「ま、まず落ち着いて。詳しく説明を」
「ここでそんな悠長なことをしている暇がないのです!外の馬車を待たせてありますから、どうぞ我が主のもとへおいでください!事情はその中で追々お話します!」
「え、え、でも」

 ――ルウスさんもいないのに、遠出なんて。
 一瞬そう思ったが、彼らは本当に焦っているように思えた。よほどの緊急事態なのだろう、でなければ大の男2人がこれほどまでに焦るはずがない。
 ――なら、助けてあげなきゃ。

「わ、わかりました!準備してきます!」

 シシィは身を翻し、図書館の中を突っ切って、家へと戻った。階段を飛ぶように上がって隠し部屋へと行き、トランクの中に入るだけの魔術薬と材料、魔術書と魔道具を詰め込んで、リビングへと戻った。
 ――いつ戻れるか分からないし。
 ルウスに書置きをしておくべきだろう、と書置きを残し、戸締りをする。ルウスが戻ってきても入れるようにキッチンの勝手口には鍵はかけなかった。不用心かもしれないが、悪意のあるものはこの家に入れないようなので、泥棒も追い払ってくれるだろう。おそらくは。
 一抹の不安を残しながらも、また図書館へと戻る。

「えっと、あの男の子は……」

 まだ借りる本が決まっていないようなら、後日また来てもらうように言わなければならない。あの男性2人は一刻の時間も惜しいようだったので、少年が本を選ぶ時間もないだろう。
 そう思って、先ほど案内した棚を覗いてみたのだが、そこには誰もいなかった。
 隣の棚も覗いてみるが、誰もいない。辺りにはいないようだ。
 シシィは大声で、ロビーにいる2人に声をかけた。

「男の子がそちらに行きませんでしたか?」
「外に出て行きましたよ」

 ――欲しい本は見つからなかったのかな。
 何の手続きもせずに帰った以上は、そういうことなのだろう。しかし、今はその方が都合が良い。
 大慌てで図書館の戸締りをして、再びロビーに戻る。

「お待たせしました!さぁ、行きましょう!」
「助かります」

 慌ただしく図書館の鍵も閉めて振り向くと、2人が言ったとおりそこには馬車が用意されていた。かなり高そうな馬車で、彼らの主のすごさが分かる。
 ――かなり、身分の高い人なんじゃ。
 不安を覚えながらも、男性たちに導かれるようにして馬車に乗り込もうとしたところで、シシィは見てしまった。
 肩まであった男性の髪が、風によってなびいた。
 隠された耳が露わになって、その耳にはピアスがしてあった。
 ――魔道具。

「……」

 シシィは乗り込もうとする動作を止めた。
 一瞬だけ見えたピアスは、魔道具だった。Bの店のカタログで見たことがある。

「闇色ハット様?」

 とたんに、シシィの頭の中で警報が鳴る。
 ――この人、魔術師なんだよね?
 ならば、何故自分を呼びに来たのか。
 ブレックファーストのような事情も考えられるが、彼の場合は魔力は一般の人と同じでも、魔力が開花していることは感じ取れる。しかし彼からは感じられない。
 隠している。魔術師であることを。

「……あの、行き先はどこへ」
「私たちがお連れしますから、今はとにかくお乗りください」

 何か、理由があるのかもしれない。しれないが――。
 シシィは馬車に乗ることをためらった。それは本能で感じ取った部分が大きい。
 最近、呪いと対峙することが多かったせいなのか。
 彼らは――嫌な感じがする。

「……あの、少しだけでもいいので、どんな依頼内容かを聞かせてください」
「簡単に言いますと、主の肌にあざのようなものが大量にできまして、それに熱が下がらないのです」

 その症状は覚えがある。確かレベルとしては中級程度だ。
 しかし、だからこそ余計に疑わしい。なぜ、彼は魔術を使わないのか。周りに知られたくないという事情があるにしても、何とか隠して主に薬を飲ませることも可能なはずだ。これほどまでに焦るくらいなら、それくらいできないはずもない。
 ――どこか、この2人は。
 嘘っぽい、のだ。まるで模範的な演技を見ているような気分だ。

「闇色ハット様、お急ぎください」
「…………」
「魔術師様」
「…………」

 黙り込んだシシィを見て、長い髪の男はため息をついた。
 ふぅ、と。
 そのため息に何故か、シシィはぞっ、とした。

「ぽやっとした顔して、案外鋭いな」

 空気が変わる。
 シシィは慌てて2人から距離をとった。トランクを握りしめて、睨みつけるように彼らの
 一挙一動を探る。
 そんなシシィを、彼らは嘲笑った。

「そんなに怯えなくても平気だよ、うさぎちゃん」

 短髪の男がからかうように、笑いながら肩をすくめる。ビクリ、と体を震わせたシシィを見ながら、髪の長い男は耳にしていたピアスを外した。
 ちゃりん、と音を立ててピアスが地面に落ちる。
 その瞬間、男の手には――長いロッドがあった。
 ルビーブラッドの持っているような、長いロッド。やはり彼は。
 ――違う、彼は。

『シュヴァルツ 永劫(えいごう)彷徨(ほうこう)する漆黒の(からす)陋劣(ろうれつ)な獣と心神(しんしん)の腐敗 其の者共は汝が渇望せし奸悪(かんあく)なる芳香の果実 惨禍と懲戒 汝の(かて)とせよ』

 ――魔導師、だ……!
 シシィは電光石火のように、手元にロッドを呼ぶ。

『我が意志は其に背く意志 拒絶の幕を引け 汝にこの幕は破れぬ 我は其を認容せぬ 摧破(さいは)せよ!』

 ルビーブラッドと争ったときに使った魔術破壊の呪文をシシィは口にした。もっともこの呪文はあの時よりレベルの高いものだ。
 しかしそれでも、魔術破壊の呪文で魔導が破壊できるわけもなく。
 大部分は破壊出来たが、少量の魔導をシシィは身に受けてしまった。

「うあぁっ!」

 ――何、あたま、くらくらする……。
 止まろうとする思考で、シシィは必死に思い出そうとしていた。ルビーブラッドはどういうときに『シュヴァルツ』を使っていたか。
 それは、闇を見せるときと。
 ――眠らせるとき。
 眠らされようとしているのか、と理解できたところで、術を受けてしまった以上はどうしようもない。
 ――違う、まだ、方法が……。
 髪の長い男が、足掻くシシィをニヤニヤとしながら観察する。

「へぇ、がんばるな」
「なぁ、もういいだろ。連れて行って、とっとと仕事を終わらせ……」

 ――このケガで、無理はしたくなかったのに。
 しかし失敗したところで、眠気覚ましにはなるかもしれない。

『ヴァイス 静謐(せいひつ)寵愛(ちょうあい)する雪白の……』
「なっ!?」

 短髪の男が驚きの声をあげ、長髪の男は目を丸くする。シシィが魔導の呪文を知っているのが意外だったのだろう。そして、それを使おうとしていることにも。
 もちろん成功できるはずはないだろう。けれど、失敗の反動が体に返ってくれば痛みで目は覚めるだろう。あの痛みは強烈だ。
 一縷の望みをかけて、出来そこないの魔導を――。

(さぎ)よ 純良(じゅんりょう)な獣と……っ!?』

 ガツン、と、
 視界が大幅に横にブレた。
 ――え?
 シシィは訳が分からず、地面へと倒れ込んだ。その際ケガをしていた左腕から落ちてしまったので痛いはずなのだが、もはや感覚がなかった。
 ただ、右のこめかみ辺りが熱を持っているような気がした。
 起き上がろうとしても、世界がグルグル回っている。

「おいおい、頭殴るなよ。商品なんだろ?」
「この国では珍しいだけで、他には腐るほどいる。ダメだったら別を当たればいい」

 訳が分からない。話も分からない。
 が、シシィはマズイ状況にあることだけは身が凍るほどに理解できていた。
 ――逃げなくちゃ。
 分かっているのに、体が動かない。気分が悪い。
 ――怖い。
 震える手で胸元を握りしめた。

 ――お母さん、お父さん、おばあちゃん。
 ――Bさん、ヴィトランさん、ブレックファーストさん。

 ――誰でもいいから、助けて……!

 ――ルウスさん……。

 シシィの目から、涙がこぼれる。
 その感覚が、シシィの覚えている最後の感覚だった。
 後は、落ちていく暗闇の中で叫ぶだけ。

 ――ルビーブラッドさん!!