リンゴに夕日、ルビーにバラ。
 みんな大好き、みんな愛している。
 全て私のものよ。私の周りになければいけないもの。

 ああ、でももっと欲しい。
 もっと深い――。





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 キョロキョロ、と路地裏で辺りを見渡したシシィは、周りに人がいないことを確認すると荷物を持っていない方の手でロッドを前にかざした。

『開かれし門は我が名を呼び 声無き力はその名に呼応する 風の音よ 天空の色彩よ 伸ばされたる迷い子の手を導き 故郷の土に抱かれる至福を知らしめよ 涙の渇きより早く キャンナット!』

 シシィの足もとに、魔法陣が浮かび上がる。複雑であり、図書館のロビーと同じ陣のそれはシシィを光で包みこむと、らせん状に渦巻いた。
 ――うわ!?
 ぐい、と前へ引っ張られてような感覚がした後、また後ろから引っ張られたような感覚がして止まる。
 気が付くと、もう図書館のロビーに帰ってきていた。

「ふ、わぁー……」

 ――空間転移魔術、成功した!
 実は今日、帰りの呪文を覚えて、初めて空間転移を使ってみたのだ。上手くいったことが何よりもうれしいのだが、それとは別に、自分が魔術師なのだという実感が一気に起こり、それにも感動している。
 やはり、ワープというものは憧れだったのだ。自分で出来ると、感動もひとしおというものである。
 感動のあまり腰が抜けて、その場にへたり込んでいると、声を聞いたのかルウスがロビーに顔を出した。

「おかえりなさい、成功したようですね」
「たっ、ただいまです……!」

 目をキラキラさせながら微笑むシシィを見て、ルウスは少し呆れたような笑みを浮かべた。どうやらよほどワープに憧れを持っていたらしく、今日の朝から彼女はそわそわしていた。
 まぁ、その気持ちも分からなくもない。これで、日常生活における移動はずいぶんと楽なものになるはずだ。シシィの魔力なら、クロアの森からでも帰ってこれるだろう。
 つまりそれは、町の中からならどこへでも行けるということだ。両親にも会いに行きやすくなるし、喜ばしいことである。
 そんなふうに見守るルウスの気持ちを知ってか知らずか、シシィは子供のように、いつもなら荷物になるから、と買ってこれなかったものを袋から取り出し、ルウスに見せた。

「見てください!じゃがいもを買いだめしてきたんです!ポテトコロッケを作りたい放題です!」
「そうですね」
「あとにんじんも!それに大根丸々1本ですよ、すごいです!あとは食料品と一緒にシャンプーなんかも買ってこれちゃいましたし」
「良かったですねぇ」
「牛乳!牛乳も!」
「それは宅配でも良かったのでは……」
「あと新聞です!」
「それも定期的に取ったらいかがですか……」

 というか、喜ぶところがなにか不憫だ。哀れすぎる。
 とは言えず、黙り込むルウスをよそに、シシィは買ってきた新聞を床に広げた。
 都会の方ではお祭りのパレードがあったやら、地方の漁師が変わった魚を発見したとか、そんな記事が目に入る中でシシィはとある記事に目を留めた。
 それは地方欄――つまり、シシィの町に関するニュースが載る場所。
 平和な町には似合わない、物騒な見出しでその事件は書かれていた。

「――切り裂き魔?」

 記事によると、ここ数週間連続で、夜の人気のない場所に切り裂き魔が現れているらしい。死亡者や重症者は出ていないものの、軽傷者は多く出ており軍警も手を焼いているようだ。
 町にはなかなか下りられなかったし、夜は寝ているシシィには全く関係のない話であったため、今初めて知った話だ。
 ルウスも記事を読み、顔をしかめた。

「何だか物騒なことになっていますねぇ。そもそも、夜中に1人で出歩くものじゃないですよ」
「ですよね……って、あれ?」

 ルウスに同意しかけたシシィだったが、記事の中の1文に目を留める。

「……違いますよ、ルウスさん。被害者の人たちみんな、『自分は外になんか出ていった記憶がない』って言ってるんですって」

 奇妙な話に、ルウスは首をかしげた。内心、シシィもそうだった。
 詳しく読むと、被害者のほとんどはパジャマの格好で外出をしており、確かに夜中といえども外に出ていくような格好ではなかったという。
 これが1人2人なら夢遊病も疑えただろうが、すでに犠牲者が10人以上。全員を夢遊病だと疑うには無理があり、そこが捜査の混乱につながっているらしい。
 さらに被害者全員が、犯人の顔を見ていないと言う。
 シシィはルウスを顔を見合わせた。
 ――これは。

「……何だか、魔術に関係してそうな感じがしませんか、ルウスさん」
「ふむ。あり得ないこともない、ってところですね」

 慎重ではあるが、ルウスもその可能性を視野に入れている。
 呪われたリボンのときも、軍警にとっては不可思議な事件だっただろう。魔術が盛んでないこの国では、おそらく怪奇事件として扱われたはずだ。
 それと同様に、この事件にも不可思議な点がいくつかある。
 シシィの脳裏に、あることがよぎる。

「……呪い、なんかではないですよね」
「シシィさん。この町には『孤独共存の呪い』が眠ってるんですよ?そうそう呪いなんて現れやしませんよ」

 ――それじゃあ、あの男の人に憑いた呪いは?
 口には出さなかったが、シシィは自問する。あの、過度な幸福感を感じていた男性に憑いた呪いは、いったい何だったのか。
 ――Bさんも不思議そうにしてた。
 ルウスと同じようなことを彼女も言っていたのに、呪いは現れた。

「……何か、嫌な感じですよね」

 何であろうと、呪いが現れてから1ヶ月ほどしか経っていないこの時期に、こんな怪事件が起こると気分が滅入る。

「確かにいい気分はしませんが、暗い顔をしていると本当に悪いものを呼びこみますよ。楽観的に考えましょう。まぁ、気になるようでしたらBさんのところへ様子を窺ってきたらどうですか?」

 それはいい提案のように思えた。彼女なら依頼人の気配が分かるし、魔術関係の事件が起こったらなら察知してくれているだろう。
 シシィは「そうですね」と頷き、Bの店へ行ってみることにした。





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「――邪魔されている?」

 午後3時。
 店を訪ねたシシィに、ケーキと紅茶を差し出しながらBはため息をついた。

「そうなの。貴女の町だけ何かに邪魔をされているようで、最近になって全然魔道具が反応しないのよ」
「でも、私は普通に魔道具を使えます」
「ええ。中に入るといいみたいだけど、外からの干渉はすべてシャットアウトされるみたい」

 シシィはその話に、不安げな表情を見せる。
 Bのところへ来れば何かつかめるのでは、と思っていたぶん、その衝撃は大きい。
 外からの干渉をすべてシャットするなど、穏やかな話ではないのは明らかだ。
 ――呪い、が関係している……?
 シシィの町だけ、外からの干渉を受け付けない。現在自分の町で気になることと言えば、あの呪いの気配だけだ。
 しかし、呪いはあれ以降全く気配を感じさせない。それがシシィの探索から隠れているようで不気味でもあった。

「……嫌ね。こんな時期にこんなことがあるだなんて」
「こんな時期?」
「前に話したでしょう、魔術師の集まりがあること。その開催地に行くのに、国内の魔術師たちはほとんど発ってしまったのよね」

 ――ああ、2月のアレかぁ。
 シシィは以前聞いた、魔術師の集まりのことを思い出す。確かに2月に開催されるなら、もう発たなければ交通事情の関係で間に合わないだろう。

「貴女、本当に良かったの?行かなくても」
「ええ。まだ見習いですし、行っても分からない事の方が多いと思うので」

 それならまだ、家で基本のことを習っていた方がマシというものだ。基本があるからこその応用であり、基本を知らなければ理解もできない。行きたい気持ちもあるが、それは来年に回しても大丈夫だろう。
 ――基本、かぁ。
 その言葉で、シシィはとあることを思い出した。

「Bさん、ちょっとお願いしたいものがあるんですが」
「なあに?」
「魔術の基本、みたいな本ってありますか?」

 シシィの質問に、Bは首をかしげた。確かに店は魔術本も扱っているが、今さら「基本の」、というフレーズに違和感を覚えたようだ。

「初級はマスターしたんでしょう?」
「そうなんですけど。でもそうじゃなくて、『魔術師は本名を名乗っちゃいけない』っていうのを書いたような……ルールブックというか」

 頼もう頼もう、と思っていて、すっかり忘れていた。もう遅すぎるくらいだが、魔術師についてのルールを知らないよりはマシだろう。
 大抵のものはBの店でそろうと思っていたシシィだったが、彼女は少し困惑した様子で首を横に振った。

「ご、ごめんなさい。そういう本って、なかなか手に入らないの」
「え、そうなんですか!?」

 意外な返事に、シシィは目を丸くした。

「そういう本は、悪用防止のためにも出版数がね、少ないの。手に入ったら貴女に回してあげるけれど、すぐに手に入るとかは期待しないで」
「はぁ……」
「ごめんなさいね」

 Bの謝罪に、シシィは慌てて首を振った。手に入らないものはしょうがない。
 ――そっか。そんなに大事なものだったんだ。
 けれど、だからこそ気になる。なぜ、そんなにも大事なものが祖母の隠し部屋の中にある本棚になかったのか。
 捨てた、ということもあるかもしれないが、ロッドは用意していてくれたのに、心得を書いた本を用意してくれていないのはどこか違和感を感じる。自分なら、何も分からない孫に、できるだけのことはしておきたいと思うのに。
 ――あるいは、意図的に……?

「闇色ハット」
「は、はい!?」

 思考が深く沈んでいきそうになった瞬間呼びかけられて、シシィは体を硬直させるほど驚いた。そんなシシィにBは首を傾げながらも告げる。

「貴女の町に行ってみましょう。町に入れば魔道具も反応すると思うし、依頼人がいるかどうか分かると思うわ」
「は、はい」

 立ちあがりドアを開けたBに促されるようにして、シシィはその後を追った。
 ドアをくぐると見慣れた路地に出て、シシィとBは大通りに向かって歩く。
 Bの手の中にある魔道具は、まだ何も反応を示さない。

「……普通の事件だった、ってことかしら?」
「でも、何か変な事件だから……」

 魔術絡みの事件だと思ったのに。
 この場合当てが外れた方がいいのかもしれないが、やはりあの呪いのことが頭の片隅にある。シシィと戦うことから逃げた呪い。
 あの呪いがまだ、この町にあるのなら何があってもおかしくない。
 じりじりと、焦されるような不安を抱えるシシィの耳に、Bの声が入りこむ。

「待って。今、反応したわ」
「本当ですか!?」
「ええ、微弱だけど……あ、ほら、今のよ!」

 じっと見ていると、Bの言うとおり魔道具の針は一瞬だけ北東を指し示し、赤色に変わった。
 ――赤色。
 それは、危険信号の色だ。

「行きましょう!北東の方でしたね!?」
「ええ」

 シシィとBは針が示した方向へと走りはじめた。魔道具の針は、時折思い出したように北東を指し示し、針の色を赤に変える。
 その間隔は、シシィ達が針の示す方向へ走っていくほどに短くなっていく。
 ――依頼人に近づいている?
 心臓がいつもより速いペースでリズムを刻む。
 ドクドク、と。

「――闇色ハット!」

 Bの厳しい声に驚いたシシィは、彼女が指で指し示した方向に顔を向けた。
 そこには、美しい白髪の少年がいた。
 子供らしからぬ、暗い表情で店のウインドウを眺めている。何か深く思いつめたような、そんな危うい雰囲気だ。
 じ、とその表情を見ていると、不意に伏せた眼の奥に沈んだ感情がチラリと見えた。
 ――助けてほしい、と。
 Bが、その少年のもとへ駆け寄っていく。

「貴方……最近、何か悩んでいることがない?」

 突然後ろから声をかけられた少年は、ゆっくりとBの方を振り向いた。
 酷く、不安げな表情をしている。

「大丈夫。私たちは貴方の味方よ。何でもいいわ、貴方の周りで不可思議な出来事が起こって、困ってない?」
「不可思議な……」
「何でもいいわ。どんなことだって、私たちは信じるから」
「…………」

 少年は、涙をこぼした。

「助けて……姉ちゃんが、切り裂き魔かもしれないんだ……!!」