認識してしまったら、もう後戻りなんか出来なくなってしまった。
 守りたくて、大切にしたくて、傷つけたくなくて、そばにいたい。
 醜い欲ばかりが、溢れ出てしまう。
 どこまで私は最低なんだろう?

 私なんかが好きになっていいのか、不安でたまらなくなってしまう。





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「新年おめでとう!」

 ガヤガヤと賑やかな中で、ワイングラスが鳴り響く。
 新年が明けて3日。世間の店がようやく営業を再開しはじめたので、Bと話したとおり、シシィは新年のパーティーに来ていた。
 メンバーはルウス、B、そしてヴィトラン。最初はどうなることかと思ったが、話を聞いてノリノリだったヴィトランが、店を予約してくれた。
 彼のお得意の店、ということで、どんな高級店かと身構えたシシィだったが、ヴィトランが選んだ店は意外にもカジュアルな店だった。犬であるルウスが店内の空気に酔わないように、どうやらオープンテラスのある店で予約を取ってくれたらしい。
 席もテラス席だ。夜を迎えようとしているこの時間帯、本来なら肌寒いはずだが、町じゅうが新年のお祝いムードに包まれ、熱気であふれているためか気にならない。
 ――ヴィトランさんに、感謝しなくちゃ。

「ふふふ、三方に花!僕は幸せだ!!」

 こういうことを言いさえしなければ、きっとヴィトランは素敵な人だったに違いない。
 自分のお気に入りの店で、自分の気に入っている人たちに囲まれて、彼は幸せの絶頂にいた。おかげでテンションが明らかにおかしいが、周りも新年の浮かれムードで似たり寄ったりなものだった。

「はい、ポチ!あーん」
「……」

 ちなみにBも、ちょっとお酒が入ってハイテンションだ。
 さっきからお気に入りのルウス(ポチ)につきっきりでご飯を食べさせている。最初は拒否していたルウスも、今では根負けして大人しくムシャムシャと食べているのが、なんともおかしい。
 シシィはジュースを飲みながら、密かに微笑んだ。
 世は新年のお祝いムード。
 なのに、置いてけぼりをくらっているような孤独感があった。自分もお祝いの中にいるはずなのに、さみしい。
 ――失礼だ、こんな気持ちでいるなんて。
 せっかくのお祝いなのに、楽しまなくてはヴィトランやBに失礼すぎる。
 ――気持ち、切り替えなくちゃ。

「ごめんなさい、お化粧室に行ってきます」
「あら、待って闇色ハット。私も一緒に行くわ」

 化粧室へ行こうとしたシシィの後を追うようにして、ルウスににんじんを食べさせたBもついてきた。彼女の頬はいつもより赤くなっていて、少し酔っているのが分かる。
 ――ワイン1本も空ければ、そうなるよね。
 苦笑しつつ、店内の化粧室に入ると自分とB以外には誰もいなくて、一気に周りの音が聞こえなくなり静かになった。ある意味、あちらの騒がしさは非日常的なものなので、ここだけ日常に戻ったようである。

「さて。女同士だから、多少長くても怪しまれないわ」
「はい?」

 長くても、という言葉に違和感を覚えて、シシィが首を傾げると、Bはじっ、とシシィを見つめながら口を開いた。

「闇色ハット。貴女――何をそんなに悩んでいるの?」

 シシィは思わず――息を呑んだ。
 冷静に、静かな青い瞳で見つめてくるBを見つめ返す。何故、いつ、悩みがあることを気付かれたのか分からない。
 それほどまでに、自分は露骨に落ち込んでいたのだろうか。
 その疑問を見越したかのように、Bは洗面台の鏡を見ながら先に解答する。

「私は人間観察が得意だから気付いただけよ。きっとヴィトランや貴女の近しい人たちも気付いてないと思うわよ。自分の気持ちを抑えるのが上手ね、闇色ハット」
「……」
「怒ったり、説教してるんじゃないのよ?魔術師には向いてると思うわ」

 ――気持ちを抑えるのなんて、上手じゃ……ない。
 それが本当なら、あのとき、自分の気持ちを抑えて、もっと優しくルビーブラッドのことを労わることが出来たはずだ。
 自分の気持ちを、エゴを優先させて傷つけた。
 じんわりと、鏡に映る自分が歪んでいく。
 ――どうしたら、いいんだろう?
 こんな気持ち、初めてでどうしたらいいのか分からない。

「闇色ハット……何でもいいわ、話してごらんなさい?」

 Bの優しい声に、シシィの緊張の糸は切れた。

「び、Bさんは……っ」
「ええ」
「Bさんは……好きな人を傷つけたら、どうしますか……っ?」

 意外な質問だったのか、Bは目を丸くした。
 が、それも一瞬のことですぐに冷静な瞳に戻る。

「――ルビーブラッドね?」
「な、なん……で……」
「ふふ、女の勘?」

 自分の勘は当てにならないが、彼女の勘は当たりそうだし、実際に当たっているので怖い。彼女の方が魔法使いのようだ。
 シシィは鏡から、手元近くにある蛇口へと視線を移す。

「……力になりたいって、思って、傷つけたんです。話すことを、迷ってたみたいなのに……私が、無理やり話させて、傷を広げてしま……っ!いつもっ、私のときには私を傷つけないように、悩みを聞いてくれていた、のに……!」

 辛いときには優しく聞いてくれたのに。自分がしたことは、彼の心を踏み荒らしただけのようにしか思えない。
 ――どうしてもっと、優しくできなかったんだろう。
 本当に、自分のことが嫌になる。後悔ばかりが胸にくすぶっている。
 ――こんなことなら……。

「無理に聞かなければ良かったと思ってる?」

 言葉を先読みされた驚きで、シシィは体を固くさせた。

「私には詳しいことは分からないけれど、でも、それでも貴女はきっと後悔したと思うわ。どうして無理やりにでも聞きださなかったんだろう、ってね。違う?」

 それは――そうかもしれなかった。
 Bの言うとおり、きっと見て見ぬフリをしたとしても、心の中に後悔は宿ったはずだ。
 あんなに辛そうな目をしていたのに、どうして聞いてあげることができなかったのか、と。自分からは言い出せない、それでも人に聞いてもらいたいことだってあるかもしれないのに、と。
 そう思って、シシィは黙ってうなずいた。

「そう、どちらにしても後悔するの。でもね、私はそういうとき、聞いておいてよかったと後になって思う。傷つけて、傷つけられるっていうのは必ずしも悪いことばかりじゃないわ。お互いの痛みを知りあうことだもの」
「お互いの……痛みを……」
「だって、どんなに言っても相手は『私とは違う人間』なんですもの。言ってくれなきゃ分からないし、言わなくちゃ向こうに伝わらない」

 にこり、とBはどこかさみしげに微笑んだ。

「……頑張って、闇色ハット。貴女のさっきの言葉が本当なら、ルビーブラッドは弱音を吐かせるのに、とても苦労する人だと思うわ」
「え……?」
「自分を傷つけないように悩みを聞いてくれる。それは、本人がたくさんの傷を抱えて、辛さを知っているからだと思うの。そういう人は他人の痛みにも敏感で――自分の痛みにも酷く敏感よ。……弱音を吐く辛さにすら、耐えられないほど」

 ――弱音を吐く辛さにすら……。
 シシィの脳裏に、ルビーブラッドの震えていた手が思い出される。何かに怯えるように、耐えるようにしていながらも、抑えきれなかったような震えだった。
 あのとき彼は――辛さに押しつぶされていたのだろうか。よくよく思い出せば、確かに彼は自分がさらけ出す弱みを嫌っているような節があった気がする。
 先日と、それからアステールを貰ったときのことと。
 ――そう、だ。やっぱりあのときも、落ち込んでたような気がする。
 それが本当なら、とてもルビーブラッドの心は繊細だ。

「私の夫も、そんな感じだったから。手強いわよ、闇色ハット」
「あの……Bさんは、そのことは解決できたんですか……?」

 シシィの質問に、Bは自信たっぷりに笑って見せた。

「一緒に乗り越えたから、夫は私を伴侶に選んだのよ」





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「やぁ、闇色ハット!待ちわびていたよ、さぁ、踊りに行こう!!」
「え、え!?」

 席に戻るなり、酒に酔ってハイテンションになっているヴィトランに腕を取られて、シシィは仰天した。
 ――お、踊り?
 ふ、と見ると、道のあちこちで人々が音楽に合わせて踊っている。ワルツ、などというシャレたものじゃなく、村祭りなどで踊られるシンプルな踊りだ。
 誰かが弾くアコーディオンが軽やかに音を奏でている。

「いざ行かん!はははははは!」
「え、ちょ!」
「いってらっしゃーい」

 助けを求めてBを見つめるものの。彼女は再びルウスに食事を与えていた。ルウスはもはや抵抗していない。
 ――ヴィトランさんと一緒よりはいい、ってことかな……。
 乾いた笑いでそれを見つめながら、シシィはヴィトランに手を引かれて踊りの輪の中へと入っていった。

「楽しいね、闇色ハット!」
「え、え、ええ……そ、うですね……!」

 返事を返しながら、シシィは横目で近くにいる人たちの踊りを盗み見る。
 ――どうやって踊るんだっけ?
 学校に通っていたときに、確かに体育で習ったはずなのだが、すっかり忘れている。
 一方のヴィトランには、動作によどみがない。踊り慣れているように見えた。

「ヴィトランさんって、ダンスでも習ってるんですか?」
「ははは!僕かい?僕はバラのジャムが大好きだ!」

 話が噛み合わない。いつも以上に。

「そうじゃなく、ダンスを習って……」
「ミルクティー?もちろんMIF派さ!ミルクが先じゃないなんてありえないとも!」
「いえ、ダンス……」
「宝石はよく磨くと、魔力の通りが良いよ!」
「……ありがとうございます」

 無理だ。今日、少なくとも今、彼と話すのは無理だ。
 しかしながら、本当にヴィトランはダンスが上手い。ぎこちないはずの自分の踊りも難なくエスコートしてくれている。
 ダンスは男性のリードが大切だと聞いた覚えはあったが、それを実感したのはこれが初めてだ。おかげで安心して、周りが見渡せる。
 シシィは夜空を見上げた。もう満月と星が光っている。
 それに気付いたのか、ヴィトランも空を見上げてから、「あ」と声をあげた。

「そうそう、忘れるところだったよ。手を出してごらんよ、闇色ハット」
「はい?」

 踊ることをやめて、懐に手を伸ばしたヴィトランを不思議に思いながら、シシィは言われたとおり手を差し出した。
その手の上に、彼は小さなベルベットの袋を落とす。何か中に入っているらしく、ほんの少しだけ袋は膨らんでいた。

「開けて」
「は、はい」

 ひもで閉じられていた袋を開けて、中の物を取り出して見てシシィは目を丸くした。

「あ、アステールの指輪……!」

 キレイ、というよりはかわいらしいという印象を受けるシルバーの指輪だった。
 中央に輝くアステールが取り付けられていて、その両サイドを小さな星が連ねるようにして、アステールの輝きを邪魔しない程度に飾っている。
 かわいらしいけれど、上品さも兼ね備えているような指輪。
 自分にはもったいないほどの出来に、シシィは指輪を持つ手が震えた。

「こ、ここ、こんな立派なものを作っていただいて!」
「ん?いや、それは石が素晴らしかったからさ!石が美しいとデザインがどんどんあふれてくるからね!」

 指輪を見て、改めて彼の美的感覚の素晴らしさを思い知らされた。
 普段はどんなに困った人でも、仕事となるとこの出来だ。アステールが、以前よりも輝きを増しているようにさえ思えた。

「サイズの指定がなかったからどうしようかと思ったのだけどね、とりあえず左手の人差し指にピッタリにしておいたよ。ピンキーリングでもいいかと思ったのだけれど、このデザインを捨てるには惜しくてねぇ」
「す、すみません」

 そういえば確かに、どの指のサイズで作ってほしいと言わなかった気がする。指のサイズは以前『銀幕の指輪』を作ったときに全て測っておいたため、困ることはなかったのだろうが、悪いことをした、とシシィは頭を下げた。
 それにはヴィトランは気にした様子もなく、ただ思い出したように口を開いた。

「そういえば知ってるかい?アステールの宝石言葉」
「え、いいえ。宝石にも花みたいに言葉があるんですか?」
「もちろんだとも。アステールの宝石言葉は『秘めたる想い』だったかな」

 ――秘めたる想い。
 シシィはアステールの指輪を持った手を、胸に置いた。
 ――本当は、気付いてる。
 どんなに自分を汚いと責めても、もう後戻りなんてできないことを。一度でも気付いたら、どんどん近付きたくなってしまう。
 ルビーブラッドが、離れていくことを恐れている。
 でもそれと同じくらい、彼が傷つくことも恐れている。
 ――『忘れてくれ』と、貴方が望むならそれに従います。
 これ以上、彼を傷つかせない方法はそうすることくらいだ。あのガーデンでの話も出来事も、すべて自分の中で封印する。無理矢理には踏み込まない。
 ただ。
 もし、いつか。あんな失態をした自分にでも、ルビーブラッドが弱音を吐いてくれるときが来てもいいように、やはりもっと強くなりたいと思う。

 ――私、強くなろう。

 深くなったその決意を胸に、シシィは指輪を握りしめた。





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 その晩、シシィは久しぶりに深く眠った。寝がえりすら打たないほどの、深い眠り。
 その様子をルウスは自分の寝床から見て、安堵のため息をつく。

「……元気になったようですね」

 一言つぶやいて、彼はあくびをすると自分も眠りについた。