「……変なことが起きはじめたのは2週間前くらいからでさ」
少年はBの店に並んでいる商品が珍しいのか、周りを見渡しながら説明を始めた。
シシィの町で起こったことならば、図書館の方に来てもらって事情を聞くこともできるのだが、今回は別の町のことであるし、依頼人の年齢が年齢であるためシシィの町に来てもらうのも気が引ける。
というわけで、急遽Bの店が簡易的な相談場と化したわけである。
「俺が行ってないところで、友達が俺を見た、って言うんだよ」
「他人の空似じゃなくて、なの?」
「ああ。絶対俺だってって言うんだ」
シシィの質問に、少年は戸惑うことなく頷いた。
――これは、もしかして。
少年の話と、先ほどの光景からシシィにはとある症状が頭に思い浮かんでいた。
他人の空似でない、自分がいるはずのないところで自分を発見される。
そして少年の周囲で、今もなお続いている異常事態。
それはずばり。
「『グラフィス』……だね、それは」
「グラ?」
「たぶん、こっちの方が有名かな。『ドッペルゲンガー』っていうの」
そちらの言葉はさすがに聞き覚えがあったらしく、少年は口をぽかん、と開けて呆けてしまった。
その気持ちはよく分かる。いきなり『ドッペルゲンガー』と言われても困るだろう。
だが、少年には魔術で言うところの『グラフィス』である特徴が、如実に今も現れているの間違いがない。
シシィは少年の足元を指差した。
「自分の足もとに出来た、影を見て。それを私の影と比べてみて」
「――あ」
どうやら少年も気付いたらしい。
彼の影はシシィの影に比べると――かなり、薄いのだ。
「『ドッペルゲンガー』っていうのは、自分の影が何かのきっかけで分裂しちゃって、その分裂した影が勝手に出歩いちゃうことなの」
「へぇ」
「これは放っておいても、そのうち自分のところに帰ってくると思うけど……早く帰らせたいなら、それもできるよ?」
「えー、じゃあ早く帰ってきてほしい。毎日、行ってもないところに行っただろって言われるのは辛いんだよ」
確かに毎日続くと、否定するのも馬鹿らしくなってくるし、周りも一度なら見間違いかと思ってくれても、何回もあるとそのうち信じてくれなくなる。
シシィは少年に頷いてから、Bへ視線を移し、彼女の近くへ歩み寄った。
「あの、家から魔術薬を持ってくるのでゲートをつないでくれますか?」
「あるの?」
「ええ。『グラフィス』は初級の魔術ですから、薬は作り置きがあります」
「そうなの。分かったわ」
Bはカウンターの裏に回って、ゲートを操作する。そのとき、ドアの方から少し光が漏れたが、少年は気付かなかったようだ。もしかすると、魔力が目覚めている者にしか見えない光なのかもしれない。
シシィは改めて少年に向きなおった。
「今から薬を取って戻ってくるから、ちょっと待っててね」
「うん」
Bに「お願いします」と言い残し、シシィはドアを開けた。
そこは見慣れた路地裏で、何となくほっとしながらも、シシィは早く少年の『ドッペルゲンガー』を治してあげるため、家までの道のりを走っていった。
********
「――確かなのか」
隠れるように地下に構えられた薄暗い店の中で、青年は低い声で淡々と、目の前に座る男に念押しした。
その情報は、確かなものなのかと。
男は酒の入ったグラスをまわしながら、にんまりと笑って答える。
「アンタに嘘をつく度胸はないな」
「『本当かどうか』でなく、『確か』なのかと」
「確かだよ。もしかするとそういう死に方じゃなかったかもしれねぇが、死んだことには間違いねぇ」
青年は黙りこむ。男のグラスに入った氷だけが、カランと音を立てた。
「ずっと探してたにしては、間抜けなオチだったな。なぁ、ソイツを探し出してどうするつもりだったんだ、アンタ」
「…………」
「……ふ、まぁいいさ。俺なんかにゃ、わかりゃしないんだろうからさ」
ゴクリ、と男が酒を飲みこむのを、青年は感情を隠した双眸でただ見ていた。
無表情というよりは機嫌の悪そうな表情からも、特に何も感じ取れない。
無念も、怒りも、悲しみも、喜びも。
何一つ。
「誰からも恐れられる、ルビーブラッド様のことなんてよ」
そのとき、青年――ルビーブラッドの瞳が揺らいだことに、男は気付かなかった。
********
「はい、おまたせ」
「……これで、治んの?」
少年が疑いの目で見る先には、グラスに注がれたグレープジュースがあった。このグレープジュースこそ、シシィが家まで取りに帰った魔術薬である。
――正確に言えば、違うんだけれど。
もともと『グラフィス』の魔術薬は液体なのだが、少年の年齢を考えるとなかなか飲んでくれなさそうな気がしたのである。
何せこの魔術薬の色、恐ろしいほど紫色なのである。
とてもじゃないが口にしていい色と思えないので、大人でもきっと飲むのをためらうと予想されるのに、彼の年齢であればなおさらだ。
なので、グレープジュースと魔術薬を混ぜて、色をカモフラージュしたのである。
「大丈夫、これで治るよ」
促すと、少年はコップをつかんで、一気に喉へ流し込んだ。
まさか一気飲みするとは思っていなかったので、これにはシシィの方が慌てた。
何故かと言うと。
「あんまぁーー!甘い!」
「あ……うん……ごめん、ね?」
激甘なのだ、この薬は。
しかしその理由はきちんとあって、この甘い薬を飲むことで、逃げてしまった影の大好きな香りを体から発することができるようになるのだ。
普通の人には分からないが、魔力が目覚めている者と、影にはこの香りが分かる。
現に、シシィには少年の方からキャンディーのような甘い香りが漂い始めてきたのが分かっていた。
――甘ったるい。
どちらかというと甘党であるシシィですら、甘いと感じる香りなので、影というものはかなりの甘党なのかもしれない、と密かに思う。
「その薬を飲むと影にしか分からない、影が大好きな香りが出るの。それにつられて戻ってくると思うから」
「へぇ」
「一週間経っても影の色がまだ薄いようなら、またこのお店に来てくれる?彼女に言ってくれれば、私がまた薬を持ってくるから」
「うえ、俺、もうこんな甘い薬飲みたくねぇなぁー」
本気で嫌そうな顔をする少年を見て、シシィは思わず笑ってしまった。
「そっか。じゃあ、影が戻ってくるといいね」
「うん、ありがと、姉ちゃん」
甘い香りを漂わせながら、お礼を言って店から出ていった少年を見送った後、シシィはふと不安になった。
が、それを見越したように、すかさずBが「大丈夫よ」とウインクしながら言う。
「扉の『位置』は戻しておいたから」
「そうでしたか」
さすがに抜かりがない。シシィはそこでやっと安心した。
ドアを開けたら自分の町でなかった、ということにでもなったらあの少年は驚くか、かなり怯えるだろう。そういう状況にならなくて、本当によかった。
「ところで」と、Bはコップを片づけながらシシィに尋ねた。
「貴女、空間転移魔術は使えるようになった?」
「え、あ、まだですけれど。どうしてそれを?」
「パールは私の店の前まで、その魔術をよく使っていたから。先に注意しておくけれど、空間転移ができるのは私の店の前まで。中には入れないようになっているの」
店の前、というとシシィの場合はあの行き止まりの路地までということだろう。
しかし中にまで入れないのは、少し不便そうだ。
「どうして入れないんですか?」
「ゲートでつながっているからよ。ただでさえこの店は7つものゲートとつながっているから、これ以上空間転移が重なると、ちょっとマズイの」
「マズイんですか」
「空間が歪んじゃうわね。でも、この国の魔術師たちとは連絡を取り合うようにしておきたいから、ゲートを減らすことはできないし。だから外からの空間転移ははじくような魔術をかけてるの」
改めて聞くと、自分の家に勝るとも劣らないほど魔術だらけの店だったらしい。
店の中は魔道具や魔術の材料が並んでいるため、魔術の気配がしても気にならなかったのだが、どうやらそれは商品だけのものじゃなく、この店自体にかかった魔術もあったようだ。
「とにかく、空間転移を使ってくるときは注意してね」
「はい、分かりました」
魔術がはじかれる、というのは、案外術者にとって負担になる。そろそろ自分が転移魔術を使える頃になったかもしれないと思って、Bは忠告してくれたのだろう。
それはとてもありがたい。
「そうそう。話はたびたび変わって申し訳ないんだけど、貴女、2ヶ月後に魔術師の集まりがあるって知ってるかしら?」
「え、そんなものがあるんですか?」
そんな話は初耳だ。
シシィがきょとんとしていると、Bは詳しく説明してくれた。
「集まり、と言ってもこの国であるわけじゃないの。西の方に魔術が盛んな国があって、そこで開かれるお祭りに世界中の魔術師が参加するのよ。他の人から研究内容を聞いて、自分のスキルをレベルアップすることもできるし、どう?」
「い、行ってみたい気はしますが」
レベルアップができる、というのは魅力的だが、それはあくまで『魔術師』の知識を得てからだろう。見習いの身分である自分が行って、有効なものが得られるとはとても思えない。むしろ、恥をかきに行くだけのような気さえする。
――それに、図書館を空けるわけにいかないし……。
得られるものがあるなら行ってもいいだろうが、ないなら辞めておくべきだ。
「私は遠慮しておきます」
「そう?この国の魔術師はたぶん、ほとんど行っちゃうんだけど……まぁ、年が明ければ考えも変わるかもしれないし、覚えておいて」
そのBの言葉で気付いたが、そういえばもう年末だ。新しい年になる。
魔術の勉強に気を囚われていたが、新年のお祝いに、色々と食材を買い込んでおかなければいけないし、年始は店も閉まるので餓死してしまう。
――ルウスさんもいるし、結構買い込まなくちゃ。
それまでに空間転移魔術を覚えれば、楽な買い物が出来そうである。
俄然と、やる気が出てきた。
「新年のパーティーとか、したいわね」
「いいですね、それ!やりたいです」
「そうよねぇ……ヴィトランにでも頼んでみようかしら」
――ヴィトランさんに?
それは、何というか、かなりとんでもないパーティーになりそうなことが容易に予想出来て、シシィの顔色は微妙に青くなった。
――いや、もしかして、もしかすると、大丈夫かもしれないし。
悩む間にも、Bの中ではヴィトランに話すことが決定したようで、「今度会ったときに伝えておくわ」と微笑みながら言った。
「ポチもぜひ一緒にね」
「あ、はい……」
果たしてパーティーに参加してくれるかは、ヴィトランの登場によって一気に不安になったが。
――あ、そういえばヴィトランさんのところへ指輪を取りに行ってないや。
このあいだ会ったときは、依頼が入ってしまってゴタゴタとしたし、その後も寝込んでしまっていたので取りに行けていない。
いつまでも預かっておいてもらうわけにもいかない。今日の帰りにでも彼の家に寄って、もらって帰らなければ。
――どんなデザインになってるんだろう。ヴィトランさんのことだから、キレイに……。
瞬間。
魔力が激しく揺らされた。
平衡感覚が乱れて、シシィはその場に座り込んでしまった。
「闇色ハット!?どうしたの!?」
分からない。それは、座りこんでしまったシシィ本人ですら分からなかった。
ただはっきりとしているのは、魔力が揺らされている。
揺れているのではなく、揺らされているのだ。
何に揺らされているのか、は分からない。
頭が酷く、混乱している。
「どうしたの?どこか具合が悪い?どこか痛い?」
「い、え……痛くは……」
「でも、貴女泣いているわ」
――泣いてる?
Bにそう言われて、シシィは自分の頬に手を触れた。指先が濡れる。
彼女の言うとおり、自分は泣いていた。
――どうして?
(――……何故……だん…………ない)
声が頭の中で聞こえた。ノイズのようなものが混じって、何を言っているのかは分からないが、声だけは確認できた。
低い声。
その声は聞き覚えがありすぎるほどに、あった。
――ルビーブラッドさん……?
シシィは服の上から、ルビーブラッドから貰ったペンダントに触れた。
ペンダントは熱を持っている。熱くはなく、ぬるい温度だ。
混乱する頭で、シシィは思い出していた。
『――魔力が揺れたぞ』
それはルビーブラッドの言葉。
言われたとき、シシィは不安に陥っていたときだった。
――もしかしてこの魔術は相手に動揺が伝わる?
それがもし、真実なら。この尋常でない魔力の揺れは自分のものでない以上。
ルビーブラッドの、ものだ。
|