友達と会ったらあいさつをする。
先生と会ってもあいさつをする。
家族と会ったら話しかける。
でも、自分と会ったらどうすればいい?
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「じゃあ、もう身体の具合はいいのね?」
「はい……ご心配をおかけしました」
いいのよ、と言いながらBはグラスを拭く。
そのグラスは魔道具であり、商品でもある。
つまり、今シシィがいるのはBのお店で、ずっと寝込んで心配させてしまったのを謝りに来たところであった。
「まさか、2週間も寝込むハメになろうとは……」
「本当に……3日も目を覚まさないとは思わなかったわ」
『フォアン』の依頼が終わった後、シシィは自力で自宅まで帰ってきたが、その後バッタリと倒れてしまい、そのまま3日間目を覚まさなかった。
シシィとしてはせいぜい1日、ぐっすり眠っていたという感覚しかないのだが、起きたときにはルウスに泣きつかれるわ、説教されるわで大変だった。
しかも、その後は激しい筋肉痛と胃痛、関節痛で起き上がることもできなかった。
どんなに疲れる魔術を使ったとしても、ここまで寝込んだ記憶はない。
――魔導を使った、反動か……。
正確に言うなら、あれは呪文が魔導なだけであって、魔力の使い方はまるっきり魔術と同じだったのだ。正しい手順を踏まえなかったため、リバウンドとして術者に返ってきてしまったのだろう。そこを力でゴリ押ししたにすぎない。
――たぶん、ルビーブラッドさんに見られてたら怒られる魔導発動だよね……。
けれど今回のことで、魔導のすごさ、というのを理解したのも事実だ。
「魔導って、すごく魔力を削られるんですね」
「場所と時間を選ばないのがメリットだけれどもね。あと、呪文短縮をするのも難しいらしいわよ。基本的に魔導って、自分の魔力との格闘技みたいなものだから」
「あー……それは分かる気がします」
格闘技という比喩は、実に的を得ていると思う。
己の魔力をコントロールする感覚は、まさに戦闘と呼ぶにふさわしいほどの激しいイメージがある。きちんと習えばそのコントロール法も身につくのだろうが、シシィはそれどころの話じゃなく、まだ魔術の修行中の身だ。だからこそ余計魔力を持って行かれ、リバウンドも激しかったのかもしれない。
冷静に考えなくても、何とも無茶なことをしたと我ながら思うシシィだった。
「でも貴女、いつのまに魔導の呪文なんて覚えたの?」
「あの移動魔導は、ルビーブラッドさんが何回も使っていたので呪文を覚えちゃってたんです。あとは…『シュヴァルツ』っていうのと『ヴァイス』っていうのも何となくなら覚えてますよ」
「闇と光の魔導ね」
『シュヴァルツ』の方が闇の魔導であることは知っていたが、『ヴァイス』が光だとは知らなかったので、シシィは「そうなんですか!?」と驚嘆の声をあげた。
「そうよ。確か魔導は闇・光・火・水・風・地・雷・回復に空間転移で全てだったはず」
「そんなにあるんですか。そういえば雷や火の魔導は見た覚えがないです」
「その2つは下手をすると死んじゃうからかしら。焼死体なんて見たくないし」
想像しそうになって、シシィはすぐさま思考を停止させた。危うく想像して、しばらく食事ができなくなるところだった。
一方Bはきれいに磨いたグラスをカウンターに置いて、対面するシシィを見つめる。
どこか探るような視線に、シシィは心持ち背を逸らした。
「闇色ハット。貴女、そんなにルビーブラッドの魔導を見たことがあるの?」
「え?」
「魔導師って、あんまり魔導を使わないのよ。それを7つも見てるなんて」
――そういえば。
よく思い出してみれば、ルビーブラッドと会っているときは間違いなく事件が起こり、彼が魔導を使わざるをえないような状況になっている。
まず出会いからしてそうだったし、2回目に会った時も魔力コントロールアイテムを無くした騒動で使ってもらい、祭りのときと呪いのリボンのときは魔導のオンパレードだった。
――あ、れ?
こう考えてみると、ルビーブラッドと会ってる回数はかなり少ない。夢の中のガーデンで会っていることもあるので、正確に数えるともっと増えるが、それでもシシィは気付きたくないことに気付いてしまった。
――私って、トラブルメーカー……?
最初をのぞいて、騒動の原因は自分にあるような気がする。
「な、何だか私が一方的に迷惑をかけてしまった結果のような……」
「?」
当然のことながら、訳の分からないBは首を傾げたが、暗い表情で沈むシシィを見てこれ以上深く聞くことはやめにしたのか、話題を変えた。
「それにしても『呪い』が出てくるなんて……どういうことかしら」
「ええ、私もそれが気になってるんです」
青年にまとわりつくようにしてやってきた呪い。
結局あれから気配は消えてしまって、今も感じ取ることはできない。もしかすると、別の町にでも行ったのかもしれないが、後味が悪いのは確かだった。
「そもそも、この町で『呪い』があるなんて」
「――え?どういうことですか?」
「貴女は知っているでしょう?この町のどこかに『孤独共存の呪い』が封印されていることを」
戸惑いながらシシィは頷いた。
『孤独共存の呪い』はシシィの祖母が昔に封印した、最悪の呪いだ。
「あの呪いは、生半可なものではないらしいのよ。その地に『孤独共存の呪い』が眠っているというだけでも他の呪いはよりつかない。新しく呪いを作ろうとしても、新しい呪いが『孤独共存の呪い』を恐れてしまうから、失敗する確率がかなり高くなるの」
「そう……なんですか」
「だから、この前リボンの『呪い』が現れたとき、とてもビックリしたのよ。でも一度ならこういうこともあるかもしれないと思ったけれど、また『呪い』が出てくるなんて」
――あれ、でも確か。
リボンの呪いを解いた後、別れる前にルビーブラッドは言っていなかっただろうか。
『…気をつけておけ。また呪いに遭遇するかもしれん』と。
彼は自分の祖母のことを知っていて、この町に眠る『呪い』のことも知っている。
ならば、Bのように考えるのが普通であるのに、なぜ彼はあんな忠告を残して去っていったのだろうか。
単なる用心からの言葉だったかもしれないが、実際に呪いは現れた。
「…………」
よく分からない、が、もしかするとルビーブラッドの言うとおり気をつけておいた方がいいのかもしれない。
「あら?」
Bの声で、シシィは我に返る。Bは「ごめんなさいね」とシシィに一言断ってから、衣服のポケットから先日見た、懐中時計のような形をした魔道具を取りだした。
「依頼人の、その、気配ですか?」
「ええ……なんだけど」
しばし彼女は黙思しながら、針の色を見つめていた。シシィの場所からでも見えるその色は白のようで、差し迫って危険な状態ではないようだ。
少し安堵したが、困っている人がいるのは確かである。
シシィはBの方へ身体を乗り出した。
「あの、もう体調も戻りましたし、引き受けることはできますよ」
「ええ……」
ようやく魔道具から視線を外し、Bはシシィを見つめる。
「――そうねぇ。黙っている理由もないし」
「はい?」
困惑するシシィに構わず、Bは何やらカウンターの下でごそごそ探ったかと思うと、立ち上がってカウンターから出て、シシィの手を取った。
そのまま手を引いて、店のドアを開ける。
目の前には大通りが広がっていた。
「……は」
――ちょ、ちょっと待って。
目の前の光景は、ありえないものだ。太陽の下で、大勢の人々が行き交う大通り。
そんなことがあるはずない。
Bの店は路地を入ったところにあり、いつも彼女の店から出れば入ってきたときと同じように路地に出るのだ。
が、今目の前に広がる光景は、大通り。しかも――自分の町の大通りでない。
「びっくりした?」
笑うBに、シシィは困惑しすぎて泣きそうな目を向ける。
「ごめんなさいね、隠していたわけじゃないのだけれど。気付いたとおり、ここは貴女の町じゃなくて、別の町よ」
「べっ、べべべべべ?」
そう、と頷きながらBが歩きだしたので、シシィはそれに続いた。
本当に見た事のない場所だった。自分の町にはない店がたくさんあって、道の造りも違うし、人々の様子も違う。
風が吹くと潮の香りがするので、海が近い町であることは予想できた。
「この国には魔術師が少ないってことは言ったわよね?でも、私は貴女以外の魔術師と連絡を取ることができる。それは何故かっていうと、あの店の出入り口は貴女の町以外にもあるからなの」
「ぜ、全然意味が分かりません」
「うーん、つまりよ。魔術なしであの店に入ることができるのは『この町』だけ。でも魔力を使って入るなら貴女の町からでも入ってこれるし、『ゲート』がある町なら魔力さえ目覚めていれば、それを使って入ってこれるのよ」
混乱する頭で、シシィは必死に理解することに努めた。
Bの話をまとめると、どうやら今まで自分が使っていた出入り口はBの言うところの『ゲート』――空間転移魔術と思っていいだろう――というもので、それがこの国の各地にあるらしい。『この町』では魔力を使わずとも店の中には入れるらしいので、この海の町こそが本来店がある場所なのだろう。
「でも、お店から帰るときはドアから出てもちゃんと私の町だったのに」
「店のドアは、最後に使われたゲートに固定されるようになっているの。私がいじれば別だけれどもね」
それでさきほど、カウンターの下で何をやっていたのかが分かった。
店のドアはシシィの町へ固定されていたので、出口をこの町に戻したのだろう。
「で、でもBさんはどうやってお店から移動してるんですか?魔力って……目覚めてないですよね?」
「私はマスターキーを持っているから。行きたい町の鍵をドアの鍵穴に差して回してドアを開けるだけでその街に出られるし、その鍵さえ持っていればゲートから帰れるのよ。魔力はそのカギ自体が持っているから、私の魔力は関係ないの。魔道具には
必ずしも魔力が必要っていうわけじゃないのよ」
「そうなんですか」
「ええ。だって、ヴィトランも魔力なんて目覚めていないでしょう?魔道具師は『道具』を作るだけで、私の持っているマスターキーのように『魔力付加』が必要なときは魔術師に頼むの」
なるほど、とシシィは頷いた。
「他にも、私は色々な魔道具を持ってるわよ。相手の魔力が分かる魔道具とか……一番最初、貴女のロッドに魔力をインプットさせるときに使ったのも魔道具が関係しているわね」
「あの……魔力が目覚めてないと、魔術関係のお仕事って大変なんじゃ?」
「そうねぇ、大変よ。でも魔道具店や魔道具師の多くは魔力が目覚めていない人がやっているわ」
「な、何故でしょう?」
「簡単よ。魔力の目覚めた人は魔術師か魔導師、魔法使いになるから」
大変納得のできる答えだった。言われてみればそうである。せっかく魔力が目覚めたのなら、魔法を使ってみたいと思うのが人情だ。
――ん?でも?
シシィの頭の中に、ささいな疑問が思い浮かぶ。
「Bさんは、どうやって『魔術』とか『魔法』のことを知ったんですか?この国で魔力が目覚めてないなら、魔術師とかってあまり知りませんよね?きっかけは何だったんでしょうか?」
その質問に答えるとき、Bは妖艶に微笑んで見せた。
「ふふ、『恋』よ」
「……こっ!?」
「夫に恋をしてから、この世界を知ったの。元々彼はこの世界の人だったから」
「そ、そそ、そうなんですか」
顔を真っ赤にしながら、シシィは何とか相槌を打った。こういう話を聞くのは好きという気持ちもあるが、実際に聞くとなると気恥ずかしくて照れてしまう。
そんなシシィを微笑ましく思いながらBが魔道具に視線を向けると、反応が大きくなっているのに気付いた。針が大きく揺らいでいる。
「近くにいるわ」
大通りの真ん中で、シシィとBは立ち止まった。人々は彼女たちを避けるようにして流れていく。
シシィは周りを注意して見てみたが、特に変わった様子の人はいない。
――それにしても、町が違うと服装もちょっと違うや。こっちの方が明るいかな。
そんなことを思っていると、ふと違和感を覚えた。
流れていく人々。立ち止まって、ショーウィンドウを覘く人々。
視界の違和感。
――あれ?同じ服を着た人がいる。
ショーウィンドウを覘いている少年と、それを後ろから見守る少年の格好は全く同じだった。背格好も似ているので、見分けがつかない。
双子だろうか、と思った瞬間。
少年の片方がゆらりと消えた。
「!?」
残ったのは、ショーウィンドウを見つめる少年だけだ。
「あれだわ」
その光景はBも見ていたようで、彼女は落とすようにそうつぶやいた。そうしてシシィと目を合わせたかと思うと、少年のもとへつかつかと歩みよっていき、その肩に手をかけた。
「ねぇ、貴方」
「何だ――うぇ!?な、なな、何!?」
(見た目だけは)同じ年頃の美人な女の子に声をかけられて、少年は驚いたのだろう。返事する声がちょっとだけ裏返っていたが、Bはそれを気にすることなくにっこりと微笑みかけた。
「最近、自分自身に会わなかったかしら?」
「え――」
「それで、困ったことになっているでしょう?それ、どうにかできるわよ」
次の言葉は容易に想像できたので、シシィはとりあえず微笑んでおいた。
いきなりのことでびっくりしているだろう少年を、少しでも安心させるために。
「あのお姉さんの力を借りればね」
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