盗賊たちに近づいて、もう立ち上がれないことを確認した青年は(酷いことにロッドで入念につついていた)、芋虫のように横たわったまま固まっているシシィのもとへ戻り、体に巻きついている網を取り除いてくれた。

「あ、ありがとう、ございます……」
「礼をしただけだ」

 ちらり、と彼はシシィの顔を見て眉間にしわを寄せた後、ロッドの先を彼女に向ける。

「ひぃ!?」
『ジャッロ (きら)めき損なわぬ黄金(こがね)鶺鴒(せきれい)よ 満身の涙と心魂(しんこん)の血 其の者は汝を希求せし苦悶と苦痛の羊 慈愛と甘美 其の身とせよ』

 先ほどの黒い光とは違って、黄色というよりは黄金に近い光の球が青年の持つロッドの先に出来て、呪文が終わると同時にその光はシシィの体を覆った。
 ――甘い香りがする。
 そのなんとも言えない香りと光はすぐ消えてしまって、シシィは呆然としながら青年を見つめた。彼は何も言わずにロッドを宙で消して立ち上がる。

「痛みは」
「え?……あ、ない、です」

 は、と気がついて体のあちこちを触ってみたが痛みはないし、頬のじんじんするような熱い痛みもない。もしかしてさっきのは傷ついた体を治してくれたのだろうか、と思いながら礼を言って、シシィも立ち上がった。
 それを見ながら未だ名前も知らない青年は、シシィに向かって問う。

「何故魔術を使わなかった」
「……え?」
「魔術師なら何か持っているはずだろう。俺と最初に会ったときも何も使う気配がなかったから、俺の方で対処したが」
「ああ!それでやけに軽いと思ったんです!」

 やっと男性1人木の上から落ちてきて無事だった理由が分かった。シシィが1人納得したのを青年が睨んで「話を逸らすな」と低い声で言ったため、彼女は怖がりながら使わなかったのではなく『使えなかった』のだと説明する。

「わわ、私、し、新人で。何も魔術のこと知らないんです」
「なのにこの先にあったライランバ草を使う気か」
「え?なな、何で知ってるのですか!?」
「独特の匂いがする。それは魔術師が調合すると高度な解毒剤になるが、配合を間違えれば猛毒のガスを発生させるものだぞ」
「ひぃ!」

 思わずカバンを放り投げたくなったが我慢した。配合を間違えれば、というだけで現在の状態の草では何の危険もないだろう。
 しかしながら、やはり彼ら盗賊に易々と渡さなくてよかった、とシシィは密かに安堵し、その誤解も解いた。

「これは人に頼まれて……あ、ちゃんと魔術関係の人ですよ。その人に渡すのに取りに来ただけなんです」
「……そうか」

 無表情ではあったが、どこかホッとした様子だ。もしかしたら心配してくれていたのかもしれない。
 それなのに怖がってしまって悪かったな、と思いながらシシィがその場で動いた瞬間、カチ、と。
 嫌な音がして。

「ぎゃあ!」
「!?」

 シシィは――再び網にて木から宙に吊るされてしまった。

「……お前」
「ああ!な、何で貴方は無事なんですか!?」
「避けた」
「ううっ!」

 そんなふうに言われると自分がトロくさいように思えてくる。と、いうか。

「よく運がないと言われるだろう」
「今、実感しました……」

 おそらくはあの盗賊が仕掛けていた別の罠にもう一度かかってしまったのだろう。
 恥ずかしさと情けなさで顔を真っ赤にしながらシシィは泣く泣く下にいる青年に助けを求めた。

「すみません……助けてください……」

 彼はふぅ、とため息をついてロッドを再び何もないところから出した。

『ベルデ 馥郁(ふくいく)の疾走者深緑の(ひわ)よ 流るる緑と(ゼロ)の道 我は汝の気ままと自由を求める者 鋭利と飛揚 汝の力を見せよ』

 ロッドの先から放たれた光は緑色で、半円状のものだった。月が満ちる途中のような形の光はシシィの頭上を通過して網を支えているロープをばっさりと切る。これで
 宙吊りではなくなったのだが、支えているものを失うと当然モノは下に落ちる。
 ――2回目!?
 来るであろう衝撃にシシィが宙で身を丸くさせたところで、青年はさらに詠唱する。

『ブルーノ 愛育を施行(しこう)せし焦茶の(とび)よ 揺れる全色と動かぬ道 我は汝の頑なと寛容(かんよう)を求める者 誕生と促成 汝の力を見せよ』
「うわ!?」

 シシィの体が地面に触れた瞬間、地面はず、と大きくへこんで落ちてきた彼女の体を優しくまるでスポンジのように包み込む。シシィが驚いている間に地面は反動で再び戻って、後に残されたのはいつも通り硬い地面とシシィ、それに青年。
 目を丸くしている彼女を覆っている網を、彼はまた解いてくれた。

「お、お騒がせしてすみません……」
「生きていけるのか」

 人生の心配までされてしまった。
 洒落た返す言葉も見つからず、シシィは「大丈夫ですよ」と言っておいたが、青年は胡散臭いものを見る目でシシィを見つめる。
 シシィは大丈夫であることを信じてもらおうと力を込めて見つめ返したが、青年は少し間を置いて、小さなウエストポーチから1つのペンダントを取り出すと、それを彼女の手のひらに無理矢理押し付けた。

「身につけろ」
「え……そんなもらえませ」
「つけろ。外すな」
「ハイ」

 拒否は、出来ない。
 ガタガタと震えながらシシィはそのペンダントを受け取ってすぐに身につけた。
 ペンダントトップに赤黒い石がついた、とてもシンプルで可愛いデザインだ。

「そのペンダントは誰にも見せるな。消えるから」
「? は、はぁ」

 よく分からないが、胸元にさえ気を付けておけば見られることはないだろう。しかし貰ってばかり助けてもらってばかりも悪いなぁ、とシシィは思い、自分のカバンの中を探るとあるものを取り出し、青年の手のひらに乗せた。
 何なのかを説明する前に、彼は香りで気づいたらしくずばりと中身を言い当てる。

「……オレンジケーキ」
「はい!手作りなので不恰好ですけど、お腹が減ったときに食べてください」

 昨日の夜、祖母の作ったケーキは食べきってしまったので新たにシシィ自身が焼いたものだ。少し多めに作って置いたのでどこかで食べようと思って持ってきたのだが、こんなふうに役に立つとは。
 他にはないよね、とカバンの中を探るのに青年から視線を外す。
 その時、「ふっ」と。
 どこか気の抜けたような、あたたかいような。
 そんなかすかな笑いが聞こえて気がした。

「好物だ」
「!?」

 バッ、と顔を上げてみたがやはり彼は見慣れた仏頂面でそこにいる。
 笑った、と思ったのは気のせいか、と内心がっかりしていると思い切り青年と目が合ってしまったため、シシィは慌てて話題を作ろうと思い、そういえば、と思い出したことを青年に尋ねた。

「お、お名前を聞いてないです、よね?何て言うんですか?」
「お前は?」

 名前を聞くときはまず自分から。そんなことを思いながらシシィは自分の名前を彼に教えた。

「シシィです」
「……変わってるな」
「そう、ですか?」

 シシィ、などどこにでもある名前だと思っていたのだが、彼の育ったところでは違うのかもしれない。自分にそう言い聞かせシシィは黙って青年に名乗ってくれることを促した。
青年は重々しくその口を開く。

「俺は――……」





********





「ルビーブラッド……?」

 場所はシシィの家のリビング。
 無事帰ってきたシシィが家に帰ると、リビングではルウスが紅茶を飲んでいた。どうやって淹れたのか謎だったので思い切って聞いてみたのだが、彼はその質問をさらりとかわし、逆にシシィに手に持っているロッドについて説明を求めてきたので、仕方なく彼女はソファに腰掛け、今までの経緯を全て話したのだが(ペンダントの件や細かいことは省いた)、何故かルウスは思い切り固まっている。
 シシィは新しく手に入れた短い30cmほどのロッドを握り締めながら、ルウスに恐る恐る尋ねた。

「ルビーブラッドさんのこと、知ってるんですか?」
「知ってると言うか……著名です。彼は正確に言えば魔術師であり魔法使いであり、魔導師であるのですよ」
「ま、魔導師……?」

 聞きなれない言葉にシシィが目を丸くすると、ルウスは「最初から説明しましょう」とそれまで座っていたソファから下りて、シシィの近くにやって来た。

「魔術師と魔法使いの違いを覚えていますか?」
「えっと、魔術師は内的な効果、魔法使いは外的な効果、ですよね」
「一応魔術師も炎や水を作ることはできますが、その労力を考えるとマッチで火をおこしたり井戸から水を汲むほうがはるかに簡単です。けれど魔法使いは精霊の力を借りることでその労力を削っている。だから彼らは炎や風を自在に操ることが出来ますが、彼らにも操れないものがあります」
「何なんですか?」
「闇と治癒。精霊とは神の眷属であるがため、支配下にない闇は操れず、また治癒も神のみが持つ力のため操ることが出来ないとされています。しかし魔術は精霊に頼らないため手間はかかりますが、治癒の魔術は存在します。もちろん黒魔術と呼ばれる闇の魔術も」

 「黒魔術の方は禁忌ですけれど」と軽くルウスが言い流したことは聞かないことにした。黒魔術は存在しない、習う気がない。
 とりあえずルウスを元に戻せさえすれば自分はそれでいいのだ。

「魔導師とは、端的に言えば闇と治癒を操れる魔法使い、もしくは魔術薬を使わずに魔術を使える魔術師と言ったところでしょうか」
「?」
「もっと噛み砕きましょう。彼らは精霊と契約を行わず自分の力のみで超常現象を起こす、いわば魔法関係のエリートですよ」
「ひぃ!」

 そんなすごい人にあんな醜態を見せてしまい、助けてもらったのかと思うと顔から火が出そうなほど恥ずかしい。
 頭を抱えて落ち込むシシィに追い討ちをかけるがごとく、ルウスはさらに「彼」のことについて詳しく述べる。

「それに、『ルビーブラッド』ですが……彼は一流の魔導師ですよ」
「や、ややっぱりしょーなんですかっ!」

 あまりの動揺に噛んでしまった。

「まぁ、魔導師を名乗れるだけで一流ですが彼はその中でも特別でしょう。彼が請け負う仕事は“国からの依頼”がほとんどだというのは著名な話です」
「そそっそ、それって……」
「彼に仕事を依頼すると、莫大な金額が動きますよ」

 ふと、彼の言葉が頭をよぎる。
『頑張れば返せる額だろ』
 ――あれは、本当だったんだ。
 ああ、そんなすごい人だったのに自分は何てモノを渡してしまったんだろう。自分のところで作ったりんごジュースに安いパン、安いクッキー、極め付けが手作りの不恰好なオレンジケーキだ。彼は好物だと言ってくれたがもしかすると気を使ってくれたのかもしれない。
 ぐるぐると頭をめぐる出来事にシシィは泣きたくなってきた。

「しかし、話に聞く彼のイメージとは全く違いますね。噂では涙も血も情もない冷徹で恐ろしい人で、姿を見れば消されるとまで言われる人だったのですが」
「そ、そんな。すごく優しい人でしたよ。……怖かったですけど」
「どっちですか」

 どっちも本当なのだから、なんとも言えない。

「とりあえず、ロッドが手に入ってよかったですね」
「はい」

 手に持っているロッドを、シシィは大切に扱う。なにせこれからルウスの魔術が解けるまで一緒に頑張ってもらわなければならない相棒なのだ。ルビーブラッドのような長いロッドもカッコいいが、このロッドもコンパクトで可愛いのでよしとする。
 先っぽについている丸い石は、オレンジ色ではなく透明に戻っている。Bの話によると魔術を発動するときにのみオレンジ色に光るそうだ。

「そういえば、この鍵祖母のときは水色だったのに、私の時はオレンジ色になったんですけれど何か意味があるんですか?」
「特にはありませんよ。しいて言えば個人識別の目安ぐらいです。魔力の色は人それぞれ同じ系統の色でも微妙に違うのですよ」

 へぇ、と思いながらシシィは鍵を見つめる。
 魔力コントロールのアイテムはそれぞれ違うらしいが、彼は何なのだろうか。

「ま、いいか。今日は散々でしたけど、すごい人と会えましたし」
「ルビーブラッドと遭遇するなんて、本当に奇跡ですよ」

 ルウスの『ルビーブラッド』という言葉。それでシシィは彼に「名前が変わっている」と言われたことを思い出し、本当に自分の名前が変わっているのかルウスに尋ねてみることにした。

「ルビーブラッドさんに、私の名前は変わってるって言われたんですけれど、私の名前って変わってると思いますか?」
「そうですね……素敵な名前ですがなかなかいない名前ですから」
「そうなんですか?『シシィ』だなんてどこにでもいそうな気がするのに……」

 と、シシィがつぶやいた瞬間、
 その場の空気が凍った。

「……何と?今、シシィさん何とおっしゃいました?」
「え?『シシィ』なんてどこにでもいそうな……って」
「彼に『シシィ』と名乗ったんですか!?」

 珍しくルウスは大声を上げながらシシィに詰め寄った。何か、まずいことでも言ってしまったのだろうか、とシシィは不安に駆られながらその質問にゆっくり頷く。

「名前、聞かれたので……」
「何故『闇色ハット』だと名乗らなか……っ!……ああ、違う。私のミスですね……」
「あ、あの?」
「……説明しましょう」

 はぁ、とルウスはため息をついて下を向く。
 関係ない話だが彼の頭の上に乗っている帽子はどうして落ちないのかが気になって仕方ない。接着剤か何かでくっつけているのだろうか、とシシィが覗き込もうとしたところでルウスが顔を上げたため、彼女は慌ててキリリとした表情に戻して姿勢を正した。

「いいですか、まず『ルビーブラッド』は本名ではなくワークネームです。そして魔術師がワークネームを使うのは理由があります」
「理由ですか」
「ええ。その理由は『秘密が魔力を強くする』からです」

 秘密が魔力を。
 シシィは不安が渦巻く神経を落ち着けさせるため、深呼吸する。

「その、秘密ってもしかして……」
「そう、本名です。魔術師が本名ではなくワークネームを名乗るのは意図的に名前を秘密にして魔力を上げるため」
「で、でもっルウスさんも私の名前知っちゃってるじゃないですかっ!?」
「私は適応外です。私の場合はシシィさんがワークネームを得る前に知り合いましたからね。それに魔術に関係してない人も適応外ですよ」

 それを聞いて安心したが、そもそも本名を知られたら何故まずいのか。シシィが問おうと口を開く前に、ルウスがそれも説明してくれた。
 とても、苦しげに。

「……秘密はリスク。力を求めるならば、代償は同じく力」
「? どういう、」

「本名を同じ魔術師に知られた場合、魔力は本名を知った相手に奪われます」

 つまり。

「シシィさんの場合は、『ルビーブラッド』に」

「え、でで、でもっ、あの人は『魔導師』なんですよね!?」
「だから言ったでしょう……魔術師であり魔法使いでもある、と。彼は全ての称号を持っているから魔術師でもあるんですよ」

 思わず言葉を失った。
 それは、結果的にルウスを犬から元に戻してあげれないことになる。
 彼はどうなってしまうのだろう、この近くに魔術師はいるのだろうか。
 目に映る全てが歪んで見えてきた。

「う……っ、どうしよう、ルウスさん!ごめんなさっ、私、私……!」
「シシィさん」
「ルウスさんを元に戻してあげれなくなっちゃ……っ」

 ソファから崩れるように下りて、ルウスの真っ黒な首に抱きつく。このまま犬として生きるしかないなんてかわいそう過ぎる、Bに相談したらいい魔術師を紹介してくれないだろうか。

「シシィさん泣かないで、よく考えてください」
「……っ?」
「ロッドはもらえたのでしょう?お店に入るには魔力が必要だったはず。けれど貴女はその時にはルビーブラッドに本名を知られていましたね?」

 シシィは涙を拭いながらよく考えてみる。言われてみるとBの店にロッドを取りに行ったのはルビーブラッドに本名を教えて、別れた後。魔力がなくなったのならそのときに既に店の中に入れなかったはずだ。

「『秘密』の効力がまだ生きているんですよ」
「え……でも、本名は」
「だから、もう一つの方。あべこべでおかしな感じはしますが」

 もう一つの名前。それは『闇色ハット』というワークネーム。

「彼は『シシィ』をワークネームだと思い、それが本名であることを知りません。何故ならば普通魔術師は本名は名乗らず、ワークネームを名乗りますから。まず疑わないでしょう。彼の中で貴女は『シシィ』というワークネームの魔術師。だから『闇色ハット』がワークネームだとバレない限り秘密は守られているんです」
「え……っと」
「つまりは『ルビーブラッド』の前でのみ、貴女のワークネームは『シシィ』で隠さなければならない名前は『闇色ハット』です」

 それは、かなり綱渡りな危険である。
 魔術をこれから使う場面があって、名前を名乗らなければならないとき普通はワークネームを名乗り、彼の前でだけ本名を名乗る。頭がこんがらがりそうだ。
 うーん、と悩むシシィを見つめながら、ルウスは大丈夫ですよと慰める。

「ルビーブラッドは定住する魔導師ではなかったはずですから。もう会うことはないでしょう、この小さな町にいる限り」
「そ……っか……」
「まぁ、例外として一つ、知られてしまっても魔力を取り戻す方法はありますが」

 その言葉にシシィは目を丸くして、ルウスを責めるように見つめた。
 何故もっと早く言ってくれなかったのかと。

「どうすればいいんですか!?」
「……あ、いやぁ……」

 明らかにしまった、という雰囲気をだしながら、ルウスは目を逸らす。が、そんなことをシシィが許すはずもなく彼の顔をしっかりつかんで自分と目を合わさせた。

「教えてください!」
「……ルビーブラッドの本名を知ること」
「へ?」
「絶対に、しないでくださいよ、いいですか、そんなことしたらシシィさんの人生、終わりますよ。取り返しがつかなくなりますよ。絶対にルビーブラッドにしないでください、いいですね」
「は、はぁ」

 そこまで言われるとなんだか恐ろしくなって、シシィは思わず頷く。

「とにかく、気をつけていればなんでもない話です。いいですね、これから名前を名乗るときは細心の注意を払ってください」
「分かりました」

 頭が痛かった。
 まだ全然魔術のことなど知らないのに、何故にこんなに問題が起こるのか。
 思わず窓の外を見ながら、シシィは現実逃避をする。

 彼は、あのオレンジケーキを食べただろうか、と。