「お、お腹が、減ってるんですか?」
「……まぁ。3日ほど何も食ってない」
「ひっ!」
シシィとしては考えられない断食記録日数を聞いて、彼女は肩からかけていたショルダーバッグの中を探り、自分のお昼のお弁当用に買っておいたパンを倒れている青年の目の前に差し出した。
そのパンを青年は不思議そうに見つめてから、シシィに視線のみで問いかける。
どうしろと言うのか、と。
「あ、あげます」
「悪いが金がない」
「こ、ここ、こんなときにお金を取るなんて悪魔だってしません!!」
問答無用、と青年の口にパンを突っ込んだ後、またショルダーバッグの中を探って今度は家から持ってきておいた、朝絞ったりんごジュースが入ったボトルを取り出し、コップに注いでから青年の目の前に置く。
その様子をぼんやりと見つめた後、青年はゆっくりと起き上がって突っ込まれたままだったパンをちぎって一口飲み込んだ。
「……生き返る」
人間水なしでは3日、水ありの食料なしでは1週間ほどしかもたないらしい。彼はおそらく水分くらいは取っていただろうが、それでもギリギリに挑戦していたことには変わらない。3日も何も食べていないのに、よく人一人抱えてあれだけ走れたものだ。
シシィはカバンの中からクッキーを取り出して、青年に差し出す。パンを食べ終えた
彼はありがたそうに手を合わせてから、クッキーを食べ始めた。
「あの、とりあえずあの人たち何だったんですか?」
「借金取りだ」
「へぇー借金取り……借金取り!?」
思わず青年の顔を見て年齢を見極めようとするが、見極めるまでもなく、仏頂面で怖い人相ではあるけれども、どう見てもまだ10代後半から20代前半だ。
その若さで負われるほどの借金なんて、よほど切羽詰っているに違いない。しかも追いかけてきていた人たちは見るからにブラックゾーン金利やってます、とキャッチコピーをつけたくなるような人々ばかりだった。
シシィは恐る恐る、彼にその金額を尋ねてみる。
「どのくらい借りちゃったんですか……?」
彼は指を5本立てた。
5万、ではあるまい。
「500、万?」
「50億」
「ごごごごごじゅうおくっ!?」
「これでも減ったほうだ」
50億だなんて金額、聞いたことなかった。ただでさえその金額だけで聞いて驚いていると言うのに、青年はさらにまだ衝撃的事実を涼しい顔で話す。
「言っとくが俺の借金じゃない、3年前に知人が俺に国家予算並みの借金をなすりつけて行方をくらましたから払ってる」
「こっかよさん……どうやっても返せないでしょうに……」
国家予算、と言えば兆に上るのではないだろうか。そんな大金をこの3年間の間で彼がどうやって億の単位まで返したのかがものすごく気になった。
が、聞いたら後戻りできない職業(ルウス談)も世の中には存在してしまっているらしいのでシシィは知らぬフリを決め込んだ。 世の中知らない方がいいこともある。
知っていた方がいいことも、多々あるように。
「いや。頑張れば返せる額だろ」
「ままっ、まさかっ」
「? お前も稼げると思うが」
りんごジュースを飲みながら見つめられて、シシィは思わず目を逸らした。変な人に稼げると言われてしまったら、どうしたらいいのだろうか。喜ぶべきか悲しむべきか。
どちらにしろ図書館の管理では返せない額には違いない。
恐ろしいのでこの話は打ち切ることにして、シシィは引きつった微笑を顔に張り付かせながらバッグを握り締める。
いつまでもここで道草を食っている訳にはいかないのだ。現在お昼の12時半過ぎ、
もたもたしていると3時が来てしまう。彼には悪いがここで別れて自分の目的を果たすべきだろう。
「あ、あの、私急ぐ用事があるので」
「そうか」
短くつぶやくと、彼は使っていたコップのふちを拭い(意外と礼儀正しい)、シシィに返してきた。別にコップくらいあげてもよかったのだが、よく考えれば彼は小さなウエストポーチ一つを持っているだけで、荷物になって邪魔かもしれない。
それを受け取って自分のカバンの中にしまうのと同時に、青年が腰を上げる。
どうやら彼も、ここで別れるべきだと悟ったらしい。
「それじゃ、」
「どこへ行く」
「…………は?」
貴方の目的地を自分に聞かれても、とシシィが目を丸くしていると、彼は眉間にしわを寄せ、思い切り怪訝そうな表情でシシィを見つめる。
もしかしなくとも、会話が噛みあってない、のだろう。
「食料をもらった礼はする。用事に付き合おう」
「や、ああ、あの、そんなのいいですよ」
「いいもんか。ここら辺は盗賊が出る」
「いや、本当大丈夫……」
と言うか困る。
これから行く場所はよく考えてみるとこの場所から上手い具合に近いようだ。さっきこっそりと地図を調べたので間違いない、のだがその薬草が生えている場所はむや
みやたらに一般人に教えたくないのだとBが言っていた。おそらく荒らされることを恐れて、なのではないだろうか。
そんな訳で彼についてこられると非常に困るのだ、が、青年の決意は固いらしく、ついていくと言って全然譲ろうとしない。
どうするべきか。
「あ」
「?」
シシィはいいことを思いついて、再びカバンの中を探ってクッキーを取り出す。
「……いくつ持ってるんだ」
「魔法のカバンなんですっ女の子のカバンは。それよりまだお腹が空いているでしょう?どうぞ!」
「あ、ああ」
ズイ、と差し出されたものを断れず、半ば手の中に押し付けられるような形で青年はクッキーの入った包みを受け取った。それを見てシシィは頷き、青年に言う。
「どうぞ、ここでお腹を満たしていてください。私はすぐ帰ってきますから、帰りは一緒に帰りましょう」
「別に、食べながらついていっても構わないが」
しまった、それを考えていなかった。
シシィは極端に慌てながら何か言い訳を探す。
言い訳、言い訳――。
「たっ、食べ歩きはお行儀が悪いです!」
「なるほど」
苦しい、しかし何故か彼はものすごく納得してくれた。
彼が意外に純真であったことに感謝し(というか礼儀正しいと言うべきか)、シシィは安堵のため息をつきながら「追いかけてくるなら絶対食べきってからですよ!」とだけ言っておいて、その場をそそくさと離れた。
彼があのクッキーを食べきる前に、ライランバ草という薬草を取ってこなくては。
背後を気にしつつ全速力で森の中を駆けて行き(何せ彼は食べきるのも早そうだ)、しばらくすると急に視界が広くなった。
「わぁっ」
円形に、緑の草が生い茂っている。
近寄ってよくよく観察してみるが、Bに言われた特徴どおり葉脈が平行線のようになっていることからこれがライランバ草だろう。
これを200gほど摘んできてくれと言われたので、シシィは目分量でこれくらいだろう
という量の草を摘んでバックの中につめた。これでよし。
「早く戻らなきゃ、あの人来ちゃうよ……」
と、そこで不意に彼の名前を聞いていないことに気がついた。そういえば自分の名前すら名乗っていない。
元の場所に戻ったら聞いてみよう、とシシィは森の中に再び足を踏み入れて、
カチ、という音を聞いた。
「は……ぁぁああああぁぁああっ!?」
ザバ、という音と共にシシィの体は空中へ。体を網で捕まえられ木から吊るされた状態でシシィが訳も分からず暴れていると、下から「馬鹿が引っかかったぞ」という男の声が聞こえた。もがもが、と暴れて体制をなんとか変えて下を見てみると、明らかによろしくない職業に就いてますという風貌の男が3人。
「おいおい……獣用のトラップにかかる馬鹿なんぞ初めて見たぜ」
「そうっスね」
「けっ獣用トラップ!」
それはいくらなんでも恥ずかしい。獣用トラップは狩猟に使われる罠だが獣相手なのでそんなに複雑な仕掛けではないし、バレバレな仕掛け方をしている。
なので、人間で間違ってかかる人などまずいない、のだが。
いない、はず、なのだが。
――まさか、自分がかかっちゃうなんて。
「馬鹿だな」
「馬鹿っスね」
「馬鹿だ」
「う、うわぁぁああん!そこまで言わなくてもいいじゃないですか!!」
さっきから年頃の女の子に「馬鹿」と言い過ぎだ。
いつもなら絶対引っかかるはずなどないのに、さっきはたまたま考え事をしていたからかかっただけなのだ、とシシィが説明しようとする前に、男のうちの1人が網に繋がるロープを荒っぽく切る。
当然のごとくシシィの体は重力に従い、下にドサッと落ちた。おかげで腰を思い切り打った、というか、下ろし方が酷い。
「もっ、もうちょっと優しく助けて欲しかったです……」
「はぁ?助けるだぁ?何ヌケたことほざいてんだ」
はぁ?と言う言葉に、は?とシシィは顔を上げる。
目の前にはグループのリーダーらしき、30代ほどの男。その男は細い目をさらに細くさせてシシィを嘲り笑いながら、網に手をかけた。
「俺ら盗賊だぜ。このまま返すとでも思ってんのかよ」
凶悪そうな顔をしながら、ニヤニヤ笑っている。シシィはとりあえず思ってはいなかったが希望を口にはしてみた。言うだけならタダ、な精神だ。
「でき、ればそうして、ほしーなぁーと……」
「荷物置いて行け」
「ひぃっ!」
確かに持っているカバンの中にはお金が入っているのだが、これを持って行かれたら困る。今日の食費なのだ。
シシィはカバンを抱き込むようにぎゅ、と丸まってガードする。
「ダメです!お、お腹を空かせて待っている犬がいるんですー!」
本当は人間なのだが。
「うっせぇんだよ!!」
ドッ、と背中に衝撃が走って一瞬息が出来なくなる。ゴホッ!と咳をすることで何とか肺に新鮮な空気を送り込むが、背中が猛烈に痛い。
たぶん、彼らのうちの1人に蹴られたのだろう。女の子を蹴るなど最低だ。
「い……った」
呻いているところを頭に足を乗せられてぐ、と踏まれる。何も頭蓋骨が粉砕しそうなほど力で踏まなくとも、と思いながらシシィは必死に堪えた。
絶対に渡してはいけない。渡したくない。
「オラ、早くカバンよこせ」
「ヤです……っ大切なものが入ってるんですから!」
お金もそうだが、Bに頼まれた薬草もそうだ。あのBが欲しいと言ったくらいだから、用途は魔術に関するものだろう。
祖母の隠し部屋にあった高レベルの魔術所が読めなくなっていたところから察するに、魔術は便利なだけでなく危険であるにも違いない。その原料である薬草を、おいそれと一般人に渡してはいけないような気がした。
さらに固く丸くなろうとしたところを頭を引っ張られて、頬を叩かれる。
「……っ」
――おかしい。
シシィはふと気がつく。カバンを持って行きたいだけなら、こんなか弱そうな小娘1人に3人でよってたかって暴力を加えなくても力ずくで取れるはずなのだ。なのに彼らのやり方は、まるで人を殴ることを楽しんでいるような節がある。
――そう、楽しんでいる。
ならば今更カバンを渡そうが、大人しくさっき渡していようがこうなることは変わらなかっただろう。最近は本当にツイてない。
ニヤニヤと嫌な微笑を浮かべている男たちを見ていると気分が悪くなって、彼らが遠のいて見えてきた。
「おい、しっかりしろ」
「あう……痛いですけど残念なことにしっかりはしてます」
「ちっ、殴られたか」
「だからさっき貴方がなぐ……ん?」
遠く見える、のではなく、本当に男たちとの距離が遠い。
先ほどの木の根っこ近くに倒れていた場所とはちょっと違って、寝転んでいるのは草の上だ。網に捕まった場所は、今視界に捉えている場所。
つまり、体がいつの間にか移動している。
アレ?と混乱していると、体と一緒に横向きになっている顔をグイ、と捉まれて無理やり仰向けにさせられる。瞳に映るのは空と、木の先端部分と、先ほどの、青年。
「……3発」
「え……?な、何がですか」
ぱ、とシシィから手を離して彼はザクザクと盗賊たちの近くへ歩み寄って行く。
その様子をポカン、と思わず傍観してしまっていたシシィだったがハッ、と思い出したように青年に向かって叫んだ。
「危ないです!逃げてください!!」
「面倒臭い」
「……は」
青年はこちらを向くことなく、言う。
「さっき分かったが、逃げる方が体力を使う」
「い、いや……だからってどうする気ですか」
「目をつむれ」
「え?」
何故か固まっている盗賊たちの内の細目の男に向かって青年は走り出し、軽くジャンプして男の鼻の下あたりをめがけて蹴りつけた。
――う、アレは痛い!
バッチリ、細目の男が吹っ飛ぶところを見てしまった。聞き苦しい叫び声を上げながら地面に横たわるしかない男を見て、青年は確認するようにつぶやく。
「――1」
「て……めぇっ!何しやがる、どうやってあの女移動させやがった!!」
移動、させた。
やはり彼らが後退したのではなく、自分の体が動いたようだ。だからこそ先ほどやられた男は何が起こったのか理解しようと固まっている間に、青年に蹴られてしまったのだろう。
しかし青年はその質問に動揺することなく、涼しい顔で答えになってない答えを返す。
「細かいことは気にしない主義になれ」
「いやっ気にするでしょう!?う、痛い」
あまりの理不尽さに味方と言えどツッコんでしまった。しかも大声を出したので背中が痛い。微妙に踏んだり蹴ったりな気持ちのシシィをチラリと見て、青年はどこか呆れたような表情を浮かべる。
何を言っているんだ、と言わんばかりに。
「お前は分かるだろ」
「へ?」
「――同業者だろうが」
――彼も図書館の管理人?
しかしそれがどうして自分を移動させた手段が分かるということになるのか、とシシィが頭を悩ませている間に青年はもう1人にも蹴りをくらわせて地面に沈める。
「2」
そのカウントが恐ろしい。
同じく最後に残った盗賊の彼も思っているだろう、と哀れみの目を向けようとした瞬間シシィの視界から彼は消え失せてしまった。青年の肘鉄をくらって。
ゴッ、と音だけが一瞬遅れで響いた気がする。
「3」
あっという間に盗賊3人を倒してしまった事実にシシィが顔を引きつらせていると、何故か彼はさらに奇妙な行動に出た。
左の手のひらを上に向けて、軽く腕を伸ばす。
シシィが瞬きをしたわずかな間に、彼は――左手にロッドを持っていた。
「!?」
目をごしごしこすって、よく見てみるがやはり左手にロッドを持っている。そうか、彼は左利きだったのかって違うそこじゃない、という言葉が一瞬で頭の中を駆け巡り、あるひとつの結論に達した。
『同業者だろうが』
――ああ、ルウスさんで分かっていたくせに、彼も言っていたではないか。
魔術師は、変人が多いと。
『シュヴァルツ 永劫を彷徨する漆黒の烏よ』
ロッドはシシィがBの店で見たものと違って、彼の背丈より少し短いくらいでシシィの感覚で言えばかなり長い。棒の部分は鈍い銀色の金属製のようで少し装飾がついていてカッコいい。先端にはBの店で見たもの同様透明な丸い石(大きさはやはり違うのだが)がついていた。
その透明な石の先に、黒い光が球状に膨れていく。
『陋劣な獣と心神の腐敗 其の者共は汝が渇望せし奸悪なる芳香の果実 惨禍と懲戒 汝の糧とせよ』
青年が呪文を言い終えると1mほどまで膨れ上がった黒い光は3つに分かれて、恐怖や痛みの叫び声を上げながら倒れている盗賊たちの胸にしみこむようにそれぞれ体の中へ入っていってしまった。
途端に盗賊たちから声が上がらなくなる。
「し、しし、しっ死んじゃっ!」
「死ぬはずない、これくらいの脳みそ過少共が」
意外に辛口だ。
それでもシシィはなんとなく心配で、芋虫のようによいせよいせと這って盗賊たちに近づこうとしたが、青年の鋭い視線によりその行動を止めた。視線が怖い。
にへら、と笑ってみるが顔が引きつっている自信があった。
「何をする」
本当に死んでないか確かめようとしました、とはさすがに言えない。疑ったことで罪悪感もあるが、大きくは彼の顔と気迫が怖すぎて泣きそうだからだ。
青年はため息をついて、眉間にしわを寄せながらシシィに言う。
「人でも殺してない限り死にはしない。死んだらそういう人間だ」
「は、はぁ」
「自業自得。『アレ』は己の悪行の大きさに比例して闇を見せる」
――闇。
それは、どんなものを見せるのか。
「聞くな、失神するぞ」
「うぇっ!?はっはい!」
心のうちを読まれたようで、シシィはビクリと跳ね上がりながら鋭く睨んでくる青年に返事を返す。そこまで言われたら聞きたくはない。
失神するとは脅しやからかいかもしれないが、彼が言うと本当っぽいのが怖い。
「知らない方がいいことは、たくさんある」
まさしくそうだ、とシシィは心の中で同意しながら守りきったカバンを抱きしめて、叩かれたことで痛む頬をひんやりとした土に押し付けたのだった。
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