音を食う貝、というものが存在する。
その貝に食われた音はなくならず、中にそのまま留まって音を発し続ける。
そういう貝は普通の貝殻と混じって、浜辺の中に存在する。貝殻を耳に当てると波の音が聞こえる、というのはたまたまそういう貝を拾ってしまったから、波の音が聞こえてくるものなのだ。
そして、音を食う貝は、波音だけでなく音なら何でも食べる。
今回の依頼解決は、その性質を利用するのだ。
つまり――魔力の音を、その貝に食べさせればいい。
「知ってますよ、確かそういう貝は『レンダー』と呼ばれるんですよね」
ルウスの言葉にうなずきながら、シシィは隠し部屋の中にある棚と言う棚の中をひっくり返していた。床にはいろいろな魔術道具や材料が散らばっている。
「そうなんですよ。でも『レンダー』はBさん曰く、数が出回らないそうなんです」
「何故?」
「普通の貝と『レンダー』の区別方法は、波の音が聞こえるか聞こえないか。それだけなので、一目で区別できず、獲るのにすごく手間がかかるんですって」
「なるほど。同時に人手もかかるわけですね」
なので、現在Bの店に『レンダー』の在庫はないし、あったとしても高い。
魔術は上級になっていくほど術が複雑になっていくが、実は材料の値段も上がっていく。中には手に入りにくい材料が入っているから上級魔術に分類されるものもあるほどだ。
「で、シシィさんはさっきから何故、棚の中をひっくり返してるんですか」
「どこかにですね、『レンダー』があったはずなんですよ。初級の魔術を習ってるときに、なんで貝があるんだろう、って思ったことがあるんです」
自分で買った覚えはないので、祖母がもともと持っていたものだろう。
当初は分からなかった材料も、今ではほとんど分かるようになった。なので、あの貝が『レンダー』であることは間違いないのだろうが、どこにあったのか思い出せない。
「あれが見つかれば、すぐにでも魔術に取り掛かれるのに」
――困ったな。
材料が貴重なので、すぐには出来ないかもしれない、と伝えてはあるが、自分としては一刻も早く良くしてあげたかった。帰る時も、少女の具合は悪そうだった。
体質的なものだから、完治させることはできない。けれど、『レンダー』を身につけ、魔力の音を食わせることによって、少女の耳に魔力の音を入らせないようにすることは可能だ。
完治はできないが、状況を改善させることはできる。
「『呼んで』みてはどうですか?」
「……貝殻って、案外もろいんですけれど。ルウスさん、大丈夫だと思いますか?」
「ああ、そういう心配をしてたんですね。大丈夫でしょう」
少し心配だが、このまま時間を浪費する方が良くない。
腹を決めて、シシィは立てかけておいたロッドを手に取った。
『名を呼ばれしモノ主の下へ レンダー』
部屋全体がカタカタ揺れたかと思うと、次の瞬間、後頭部に衝撃が加わる。
スッコーン、となかなか聞く事の出来ない、いい音だった。
「……っ!……っ!」
――忘れてた。
最近は魔術に使う原材料も見分けがつきだしたので、久しくこの魔術を使っていなかったが、これのコツは『手元に引き寄せるイメージ』をすることだった。
そのイメージを忘れるとこうなるか、もしくは額に直撃だ。
ふと横を見ると、ルウスの身体が震えていた。
「ルウスさん……笑ってるでしょう」
「そ……んなことは……くくっ」
「笑ってるじゃないですか!酷いです、人がこんなに痛い思いを」
「そ、それより、それが『レンダー』のようですよ」
話をそらしたな、と思いながらも、シシィは宙に浮いている貝殻を見つめた。大きさとしては2センチくらいの巻貝で、本当に普通の貝と見分けがつかない。
手に取ると、よけいに小さく思えた。けれど、この貝が魔力の音をあの少女から遠ざけてくれる。
「それじゃあ、まずは下準備を」
「準備?」
首を傾げるルウスをよそに、シシィは机に向かうと、引き出しの中から錐を取り出した。机の上に貝を置いて、慎重に錐で穴を開けるところを調整する。
貝は壊れやすい。穴を開ける場所を間違うと欠けてしまって、すべてが台無しだ。
無事に穴が開いたところで、今度は細いひもを通す。あっというまに、貝殻のペンダントの完成だ。
これからあの少女は、この貝殻を常に持っていなければならない。なので、持ち歩くことができやすいように、という配慮だ。
「さてと。じゃあ、始めましょうか」
今回の魔術に、薬は必要ない。必要なのは魔法陣だけだ。
シシィはロッドを手に取り、貝を床に置いた。
――最初は、『逆戻り防止』の魔術だったよね。
『レンダー』に耳を当てると、波の音が聞こえてくる。それはつまり、音が外に漏れてしまっているということだ。魔力の音が漏れてきてしまったら、少女の体調は改善されない。それを防ぐために、『逆戻り防止』の魔術は必要だ。
ロッドの先を貝殻へと向ける。
『論理の螺旋に逆らうモノよ 汝の後門には蒼き獣の息吹 恐れよ後退を 怯えよ後背に 我が意のうずまきに従わぬは滅とする ラキンアーラ!』
ロッドの石がオレンジ色に光り、ロッドの先にできた球状の光が『レンダー』の中へ入っていく。
休むことなく、シシィはロッドに魔力を注ぎ続けた。
――まだ、終わってない。
魔術はあと2つ。
次は食べる音の指定だ。何もかも音を食べられてしまったら、『レンダー』のまわりは無音状態となってしまう。少女にとって必要な音すら拾えなくなる。
それでは困るので、これは魔術で指定する。
ロッドの先を『レンダー』に向けたまま、シシィはまた口を開いた。
『見えざる力 見えざる記号 ひた隠す責を今赦す』
呪文を言い終えると、部屋中に大音量の鈴の音が響き渡った。
――うわっ!!
鼓膜を破りそうな音に思わず耳を防ぎかけたが、全神経を持ってそれを止める。
視線だけでルウスを見ると、毛並みが逆立つほど彼は悶絶していた。犬の能力を持っている以上、人間より耳がいいはずなので、この音は耐えられないだろう。
ルウスがシシィを涙目で見つめる。
――分かってます!何とかしますって!!
これはシシィ自身の魔力の音だ。普段は、魔術師であっても聞く事のない音。
本当なら人の耳では到底拾えないほど、この音は小さいのだ。生まれたときに鳴る音が人生で最大の音だと言われている。
それを今は魔術で無理やり大きな音にしているのだ。
――『レンダー』に音を食べさせるために。
『汝が前にあるのは唯一つの道 左方は壁 右方は崖 道が示すは一つのものでしかあらず 汝の求めるモノも唯一つ 最大の強きモノであれ エイジースミツ!』
『レンダー』はその呪文が終わるや否や、カタカタと小刻みに震えはじめた。
同時に風の音が聞こえ始める。洞窟の中で聞くような風の音。
――いけ!
後押しするように、さらにシシィがロッドに魔力を込めると、『レンダー』は宙に浮き、ゴクリ、と。
音を呑んだ。
部屋の中に、静寂が再び戻ってくる。
「……はぁー……」
とりあえず魔術が上手くいったことに安堵して、シシィは床にひざをついた。
さすがに3つ連続の魔術施行は辛い。
「ああ……でも、出来ましたって連絡しないと……」
「休憩しなさい、シシィさん。連続で魔術を使うと倒れますよ。それに今日はもう遅い
ですから、渡すのは明日にしなさい」
「うう……今のところ、3回連続が限界のようです」
と言っても、3つのうち2つは中級魔術だ。初級魔術だけなら5回から6回は連続で使えるだろうが、中級魔術ともなるとやはり魔力と体力を削られる。
『レンダー』に上級の魔術を使うことはないが、中級魔術を連続で使うため、上級の魔術本に載っていたのだろう。
――確かに、これはキツイかも。
これを考えると、よくもまぁルビーブラッド相手にホイホイと魔術を使えたものである。
しかもその後に、呪いに対しても魔術を使ったのだ。我がことながら信じられない。
――あのときは緊急だったしなぁ……。
火事場の馬鹿力、というものだろうか。
何にしても、後日身体がだるかったのは事実だ。できればあんなことは2度とあってほしくない。
「しかし、シシィさんの魔力の音はやはり大きかったですね」
「え?みんな、あれくらいの音なんじゃないですか?」
シシィの質問に、ルウスはとんでもない、と首を横にふる。
「いくら魔術で音を増幅しても、耳をふさぎたくなるような音量にはなりません。シシィさんの魔力が高いからこその大音量です」
「そういう……ものなんですか」
残念ながら魔術師とはあまり交流がないため、基準値は分からないが。
――音、か。
そういえば、あの少女が不可思議なことを言っていたのを思い出した。
『ごんごん、音がするよ』
魔力とは違う音。一体何の音なのだろうか。
「ルウスさん、依頼人の子が『ごんごん』って音を聞いてるらしいんですけど、その音って何なんでしょうか?」
「鈴の音ではなく?」
頷いて見せると、ルウスはしっぽを振りながら考え込んだ。
「……ときどき、人間世界ではありえない音を聞く者もいるそうですが」
「はぁ……例えば?」
「有名なのは『精霊の声』を聞く者でしょうか。シシィさんのお父さまがそうでしょう。あの能力は案外レアですよ。魔法使いなどは羨ましがる能力です」
ルウスの言葉から察するに、魔法使いは精霊の力を頼って魔法を発動するのであっても、精霊の声を聞くことができる、というのはまた別であるらしい。
そうであるならば、確かに精霊と意思疎通できるのはいいことなのだろう。
けれどあの少女の聞いたものは、『声』でなく『音』だ。
それはルウスも承知のようで、ますます彼は考え込む。
「人外のものの音を聞く人は、大抵聴力が異常に発達していますからね……。爆発前の空気の軋みなんかも感じ取れるそうです。なのでどこかの音を拾ってしまったのかもしれませんよ」
「……そうなんでしょうか」
それなら、いいと思う。シシィ自身もそうであってほしいと思っている。
しかし、自分の中の『何か』が騒ぎ立てるのも無視できない。
これは――胸騒ぎ、というものなのだろうか。
「何か引っかかるのですか?」
「……根拠はないんですけれど……不安な感じがするというか」
不安で表情を曇らせるシシィを見つめ、ルウスはしっぽを振るのをやめた。
「たまに、ですけれどもね」
「はい?」
「『音』でね、予知をする人もいるんですよ」
――予知?って何を?
「昔、そういう話を聞いたことがありますが……その場所によくないことが起きる前には、必ずと言っていいほど空間が歪むらしいです」
「歪む?」
「そういう感覚らしいですが。それで歪んだときに生じる音を聞くことがあるのだと。それを聞いたあと、必ず良くないことが起きるらしいのです。泥棒に入られただとか、ガラの悪い連中が集まるようになっただとか、大量殺人が起こっただとか」
そんな話を聞いて、シシィの顔色は本人の意思に反して青くなっていく。
――何だか、良くないことばかり想像しちゃうよ。
シシィの重い表情に気付いたのか、ルウスが慌ててフォローを入れる。
「そういうこともある、という話ですよ。その少女は予知能力者ではないでしょう?ですから何の意味もありませんよ」
「ですよ……ね」
そうであってほしい。
そうでなくては――ならない。
不安を覚えながらも、シシィは自分にそう言い聞かせた。
********
「このペンダントを首からかけるだけでいいんですか?」
昨夜、Bに連絡を入れておいたので、翌朝から依頼人親子が図書館へやってきた。
母親のほうは、目の前に差し出された貝殻のペンダントに不安の色を隠せない。
確かに、こんなどこでもありそうな貝殻で解決できるものだろうか、と事情を知らなければシシィ自身も不安に思う。
しかしこの場合、論より証拠だ。
シシィは『レンダー』を手に持ち、少女の前にひざまづいた。
「これ、かけてくれる?」
「うん」
シシィの手から『レンダー』を受け取ると、少女は素直にそれを首にかけた。
この時点では何の変化もないらしく、彼女はただ興味深そうに『レンダー』を触ったりのぞいてみたりしている。
――緊張するのは、ここからだ。
現在シシィは、魔力を遮断するショールをかけている。この状態であっても昨日は聞こえていたようだが、今日は『レンダー』を身につける前から魔力の音は聞こえていないようだった。どうやら聞こえ具合も日によるらしい。
彼女に魔力の音が聞こえなくなったかどうかは、自分の身につけているショールを脱いでみなければわからないのだ。
「音が聞こえたら、聞こえたって言ってね?」
「うん」
頷いたのを見て、シシィはゆっくりとショールをとった。
「……どう?」
眼をパチパチとしばたかせる少女を、母親と2人緊張しながら見守る。
やがて少女は、
「――きこえないよ」
と、微笑んだ。
「よかった……」
「えへへ、ほんとうにきこえないよ!すごいすごい!」
『レンダー』を手に取りながら無邪気に喜ぶ少女の姿を見て、シシィは安堵した。
これで彼女も魔力の音に悩まされることもなくなり、体調も崩すことはないはずだ。
それは喜ばしいことだが――。
「……あのね?昨日、ちょっとおかしな音を聞いたんだよね?」
「うん、ゴンゴンってにぶい音」
「それって、昨日が初めて?」
少し悩んでから、少女は口を開いた。
「んーと、そういえば、1か月とか、それより前くらいからきいたかも」
――やっぱり、不安だ。
胸騒ぎがする。自分の中の何かが、危険を告げているような。
――これは私が臆病だから?
喜ぶ母子の姿を見つめながらも、シシィの胸は不安で満ちていた。
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