朝、シシィの家のキッチンはホットケーキの甘い香りで覆われていた。フライ返しでこれで4枚目となるホットケーキを皿の上に盛り付けて、蜂蜜をかけてできあがり。
 シシィは満足げな顔で1皿は自分の為、もう1皿は不本意ながらの同居人ルウスの為である。
 2枚のホットケーキが乗った皿を手にリビングの机へと運びながら、彼女は思わずため息をついた。

「はあ、起きて来ないなぁ」

 そのルウス、昨日までの疲れが溜まっているのか外は晴れていいお天気だというのに起きてこないのだ。ちなみに最後までベッドで寝るかどうか討論となったが今日だけは、ということでシシィと一緒にルウスはベッドで眠ったのだった。
 ――まぁ、ルウスさんも被害者?だし時々ならいいかな……。
 甘く考えながら、ルウスが自分がいない間に起きて来ても食べれるようにホットケーキが2枚重なった白いお皿をシシィは床の上に置く。

「うう……憂鬱……」

 そう、いなくなった間に、ということは出かけなければならないということ。
 シシィはイスに座りホットケーキをフォークでつつきながら、今朝起きてからの一番ショッキングな出来事であろうことを思い出す。
 ――爽やかな早朝のはず、だったのに。
 ベッドの脇にいつのまにか置いてあった、メモ用紙一枚でシシィの爽やかな朝は陰鬱としたものとなってしまったのだった。
 『魔術師に必要な道具をそろえること』と書かれたメモのせいで。

「……おばあちゃん、だよねぇ」

 もうそろそろ何が起きてもああ魔術、で終わってしまいそうな自分が怖い。
 ポケットからそのメモを取り出し、内容を確認する。どうやら祖母には馴染みの道具屋がいるらしく、そこにいって必要なものをそろえるように、とのことだった。何が必要なのかは分からないがご丁寧に地図まで描かれてある以上、行かないわけにはいかないだろう。

「ルウスさん起こして一緒についてきてもらうのも悪いし……」

 やはり1人で行くしかないか、とシシィは紅茶を最後一口飲んだ後ため息をついたのだった。





********





 地図に描かれたとおりに行くと、そこは行き止まりだった。
 赤い赤いレンガの壁が目の前にそびえ立つ。

「……迷った?」

 と言っても迷うほど複雑な道のりではなかった。グレーフノル通り、という大きな通りから1本の小さな路地に入るだけの道のりだったし、住み慣れたこの街で間違うほどシシィは方向音痴でもない。
一応カバンからメモを取り出し場所を確認してみるが、やはりここのようだ。
 何か仕掛けでもないかな、とシシィが壁に手を触れたところ急にペンダント風に首からかけていたアンティークキーが震えて光り始めた。

「わわっ!?」

 そのまぶしさにシシィは思わず目をつむり――何秒かした後に目をそっと開ける。
 そこは、店だった。
 まるで雑貨屋さんのような印象。白いテーブルの上にはかわいい、カッコいい指輪やブレスレット、ペンダントが何種類も並べられていて、壁際の棚にはたくさんビンが並べられている。ちょっとおかしいのは、傘立ての中にロッドが入っていたり剣が入っていたり、何か分からない嫌な感じのミイラも並べられているところだろうか。
 シシィが訳が分からずキョロキョロと辺りを見渡していると、

「いらっしゃいませ、『ドルチェッドの魔道具店』へ」
「ぎゃああああぁぁぁぁああぁぁぁあっ!?」

 と、後ろから声をかけられた。
 叫び声を上げながらシシィが後ろを振り向くと、いつの間に立っていたのかそこには金色の長い髪が美しい美少女が立っていた。
 そう、美少女だ。
 12歳くらいだろうか、目は青くてパッチリしていてまつげは風が起こせそうだと思うくらい長い。にこり、と笑っている表情は愛らしい、のだろう、が。
 ――何故か、色っぽいというか。

「意外とかわいらしいのね、『闇色ハット』さん」
「え、えぇ!?なな何でその名前をっ!?」
「通知が来たから」

 鈴の鳴るような声、なのにやたらと自信満々に喋る。後ずさりしながら聞いた『通知』という言葉に思わずシシィの頭に黒い犬がよぎる。あの犬のせいで、こんなことに。
 ――でも、ちょっと待って。
 通知が来た、ということは彼女も魔術師だということなのだろうか。

「あ、貴女も魔術師……?」
「違うわよぉ。私は基本魔道具を売るけど、魔術師と一般人を繋ぐ連絡役も兼ねてるの。そういう人間にも通知は来るのよ。ちなみに私のワークネームは『B』」
「う、売るって……こんなに小さいのに」

 シシィのつぶやきに、Bはふふ、と笑いながら髪をかきあげる。

「ありがと、これでも28歳よ」
「何ですとっ!?」

 お若く見えますね、の域を超えすぎている。彼女の言うとおり本当に28歳ならそれはもはや化け物だ。まじまじと彼女の顔を見ながらそんなことを考えていると、Bはにこりとミステリアスに微笑む。
 大人の色気、とでも言うのか、これは確かに子供に出すのは無理だ。

「闇色ハットはかわいいから教えてあげるわ。この容姿は魔術でそう見せてるだけなのよ。別に不老不死な訳ではないけれど」
「ま、じゅつ」
「そ。『パール』特性の『子供返りの薬』なの。愛らしくていいでしょう?」
「は、ぁ」

 しかし、『パール』とは誰のことだろう。
 シシィが首をかしげる様子を見て、彼女はああ、と思い出したようにつぶやいて、シシィのオレンジ色の瞳を覗き込む。続いて彼女が首からさげているアンティークキーを指しながら話し始めた。

「貴女のお祖母さんのワークネームよ。私は本名を知らないからごめんなさい」
「あ、あの……そういえば祖母が亡くなったことは……」
「知っているわ。残念な人を亡くしたけれど、もちろん彼女から貴女の事も事情も聞いてる。『パール』が惚れこんだ才能、早く見せて頂戴ね」
「は、ははは、は」

 笑うしかない。そんなこと言われても自分はまだ魔術の初級も知らないのだ。シシィは空笑いでごまかしながら、手っ取り早く本題に入ってしまおうとここへやって来た理由をBに説明する。

「あの、魔術師に必要な道具をそろえるように言われたんですけど」
「ああ、話は聞いてる。お代も預かってるわよ」

 と言いながら彼女が店の奥に歩き出したので、シシィも遅れないようにBの後についていく。一番奥にあったカウンターの影から彼女が取り出したのは、長さ30cmほどで先端に丸くて小さい透明な石がついている茶色い棒だった。
 Bはそれを軽く振りながら説明する。

「これは『ロッド』よ。魔術師に必要な杖、ってところ」
「杖、が必要なんですか?」

 その質問にビックリしたようにBは目を丸くして、シシィを見つめた。

「だって、魔法陣を描くのに必要でしょう?」

 必要、なんだ。
 全くもって無知であることを証明してしまったようで、シシィは恥ずかしさから気まずげにBから目を逸らしたのだが、彼女はまぁ仕方ないわよねと明るく慰めてくれた。
 そう、知っているほうがおかしいのだ。どうもあの黒い犬のおかげで自分は世間の常識からだいぶ外れてしまっているような気がする。
 そんなシシィの思いはおそらく知らずに、Bは手を差し出す。

「じゃ、その首からさげている鍵を貸して」
「へ?」
「貴女の魔力をインプットさせるのよ」

 ああ、と慌ててシシィは首からアンティークキーを外し、彼女に手渡す。その鍵をBは透明な石にかざし、何かをつぶやきはじめた。
 耳を澄ましてみるが、何を言っているのかは分からない。
 しばらくするとアンティークキーはやんわりと光りだし、透明の石はそれに反応するように、かざされたアンティークキーについている石の色を映しはじめる。
 つまり――オレンジ色に。
 まるで透明な水の中に色付きの水を流し込んだように、それは酷くゆっくりと色づいていく。

「はい、ありがとう」

 渡された鍵はもう光っていなかったが、透明な石の方はまだ光を放ちながらオレンジ色に染まろうとしている。それを不思議な面持ちでシシィが見ていると、Bは笑いながらそのロッドをカウンターの上に置いた。

「これから貴女の魔力をインプットするのに……そうね3時までかかるわ」
「えぇ!?そんなにかかるんですか!?」

 現在10時、なのに3時までとなると5時間ほどかかる計算になる。
 そういえば魔術とは時間がかかるものだとルウスが言っていた気がするなぁ、と言われたことを思い出したところ、Bは首を横に振って否定する。
 貴女が特別なの、と。

「普通なら2時間くらいだけど、貴女の魔力は大きいのよ」
「は?」
「大きければ大きいほど時間はかかるものなの。あ、けど安心して、世の中にはインプットに1日かかるって化け物もいるから」

 どこで安心しろと言うのか。
 絶対自分は普通なはずなのに、と静かにショックを受けているシシィに関係なしに、Bはやけにうきうきした様子でその長い髪をいじりながらシシィに話しかけてきた。

「ねぇ、闇色ハットはこれからすることがあるかしら?」
「い、いえ……特には」

 げっそりした様子で答えたシシィの手を取り、Bは微笑みかける。

「それならちょっとね、街外れのクロアの森に行ってきて欲しいんだけれど」
「クロアの森、ですか」

 その森は確かに街から外れたところにあって、隣町からやってくる人々や旅人の通り道なのだが少し物騒なところでもある。
 そういう人々を狙った盗賊が出たりするからだ。
 何故そんなところに、とシシィが問うとBは説明してくれた。

「ライランバ草、っていう薬草がなくなっちゃって困っているの。それを取ってきてくれたらおまけに何かいいものをつけてあげるから、行ってきてくれない?」

 どんな薬草かは教えてあげるから、と言われてシシィは悩む。確かにやることはないがルウスの様子も気になる。けれどオマケというのも捨てがたい。
 ううーん、と唸るシシィの様子を見てもう一押しと見たのかBは人差し指を立てて、にこりと微笑んだ。

「分かったわ、もうひとつつけてあげる」
「んー……分かり、ました」

 ここまで言うくらいなら本当に困っているのだろう、とシシィは頷いた。それに安堵した様子でBはため息をつきながら「それじゃあどんな薬草なのか、写真を見せてあげるわ」と言って写真を取りにカウンターのさらに奥のドアへ入ろうとし、ピタ、と止まった。
 シシィが首をかしげると、彼女はシシィのほうを見て真剣な表情で忠告する。

「その鍵は、人目につかないように服の中にしまっておきなさい」
「な、何でですか?」
「魔術を勉強すれば後々分かると思うから、従って」

 命令形で言われ、思わずシシィは鍵を服の中にしまった。それに満足してBはドアノブに手をかけて止まっていた状態から、ノブをひねって中に入って行ったのだった。





********





「んーと……もうちょっと先か」

 森の小道を歩きながら、シシィは手に持っている紙を見てそうつぶやいた。どうやらライランバ草というものはどこにでも生えているものではないらしく、決まったところにしか生えていないのだと言う。
 その場所を示した地図を貰ってやってきたわけだが、その場所はけっこう奥にあるようだ。
 盗賊に会ったらどうしよう、と思わないでもないが最近はここら近辺に出没しなくなったとも聞く。もしかしたら場所を移動したのかもしれない。

「そうだといいなぁ……」

 一度家に帰ってルウスについて来てもらえばよかったかもしれない、という考えが頭に思い浮かび、何故もっと早く気付かなかったのかが悔やまれた。
 後悔先に立たず、だ。

「……ん?」

 がくり、と肩を落としていたところ服の中の鍵が震え始めた。
 細かく、振動している。

「え、な」

 に、と言おうとしたところ。
 不意に影が自分を覆った気がした。

「あ」

 断じて自分の声ではない低い声が上から――そう、上から降ってきて見上げると
 そこには人がいた。
 人、それも青年。
 青年が、自分めがけて落ちて、来る。
 落ちて。

「っぎゃあああぁぁあああぁぁああああああああぁぁああ!?」
「っ――――――――――――――――――――――――!!」

 自分の叫び声のおかげで青年が何を言っているのか聞き取れず、シシィはただそれを頭の中では呆然としながら見つめて、

「ぶふっ!!」

 彼の下敷きとなったのだった。

「悪い、大丈夫か」
「く、へ……何とか」

 青年はすぐさまシシィの上からどきながらそう尋ねてきた。男性に下敷きにされた割にダメージが少なく、どこも折れていたり痛くないのを不思議に思いながらシシィは上半身を起こして、落ちてきた青年をまじまじと見つめる。
 前髪は長くて髪の色は深い緑、瞳は赤く――背が高い。
 とにかく背が高かった。おそらく180cmは確実に余裕であるだろう。それだけ背が高いとただでさえ威圧感があるというのに、よりによって彼は難しげと言うか仏頂面と言うかそんな感じに無表情なのだ。目つきも愛想がなく、ようするに怖い。
 顔はそこそこ整っているだけに、怖い。
 青年がシシィに何かを喋りかけようとした、その瞬間前方からものすごい怒鳴り声が聞こえてきた。

「ひぃ!?」

 シシィは恐ろしげに、青年は忌々しげにそちらを見る。
 そこには10人ほどの強面な団体様が走りながらやってくる光景があった。

「いたぞ!!こっちだ!!」
「ちっ」

 シシィは青年の舌打ちを聞きながら、冷や汗を流す。
 ああ、最近嫌な予感しかしてないな、と。
 思ったとおり青年は黒いコートを翻し、シシィの脇を走り抜けようとしたのだが。

「仲間だ!仲間がいるぞ!!」
「………え、なか、ま?」

 呆然とその言葉を脳に入れて、よく考えてみる。
 追われている青年、状況的に仲間とは自分の事を指すのだろう。
 と、いうことは。

「お前も来い」
「ええ!?」
「人には言えないような職業に就かされることになるぞ」

 あれ、そんな言葉をどこかで最近聞いた。
 呆然としているシシィの腕を取り、青年は思い切り駆け出した。しかし何せ速いのに腕を取られているのものだから、シシィは足をもつれさせて何度も転びそうになる。
 その様子を感じ取ったのか、青年はちらりとシシィを見て言う。

「遅い、担ぐぞ」
「え……うぇお!?」

 ぐい、と引っ張られてバランスを崩したところをすくわれるようにキャッチ、その後は体ごと肩に担がれた。いわゆる、荷物を運ぶような。
 しかしこの体勢、意外とお腹にきてしんどい。
 青年の体が走ることによって揺れるたび、お腹に肩がめりこむ、と言うか。
 バタバタ位置的に楽なところを探して動いていると、青年がボソリとつぶやいた。

「暴れるな。男が触って嬉しいところに意図的に触りそうになる」
「おおお、下ろしてくださぁぁぁいっ!」

 最近セクハラ男にしか会ってない気がするのは何故だろう。
 シシィは少しだけ泣きたかった。

「そうすると、お前はトロそうだから捕まると思うが」
「も、もうちょっとオブラートに包んで……」

 泣く、絶対泣く。何故初対面の人にこんなことを言われなければならないのか。
 断固たる微妙な決意をしながら前方(青年にとっては後方)を見てみると、先ほど団体様と縮まった距離が再び開き始めていた。
 やはりこの青年、足がとてつもなく速いのだろう。
 と、言うかそもそも。
 何したんだ、この人。
 最近ルウスと言い、祖母と言い、Bと言い、この3人だけでもやけに謎が多すぎると言うのに、この人で極め付けで謎の四天王だ。

「伏せろ」
「へ?」

 物思いにふけっていたところ、急に彼は90度直角に曲がって木々の中に入ろうとしていた。そんなことを言われても、とシシィが後方を振り返ると時既に遅し。
 目の前には太い木の枝があって。

 ――ごん!

「ぶはぁっ!!」

 顔面を強打して、悶絶。

「……すまん、今のは遅かったな……悪かった」
「ふく……っぷ、ひ、ひえ……ろうぞ、おかまひにゃく……」

 猛烈に痛かったが、森の中に入ったおかげで木々がシシィたちの姿を隠してくれたので追っ手を撒くことは出来たようだ。もともと距離が開いていたため、こうなっては探すことも難しいだろう。
 しかしながら青年は用心深い性格のようで、シシィを担いだまま結構な距離を走り、森の奥へと進んでいく。シシィがもうそろそろいいんじゃないか、と思ったところでやっと彼は走ることをやめて、シシィを地面の上に下ろした。
 ――この場合、やはりお礼を言うべきだろうか。
 彼女がううーん、と悩んでいると再び頭上に影が差し、シシィは上を見上げる。

 そこには、青年の顔のどアップがあって、

「ぎゃあ!」

 シシィは思わず右へ体をひねって避けた。
 すると当然のごとく青年の体は重力に従い地面へ倒れていく。
 ――地面へ、倒れる?
 疑問に思ったときには、バタンと青年が倒れこんだ音が聞こえ。

「だっ大丈夫で」

 ぐぅぅぅうううぅうううぅぅぅうぅうきゅるきゅるきゅるきゅるきゅる。
 きゅこ。

 奇怪な音も同時に聞こえたのだった。


「ダメだ……腹が減って動けん」


 うつ伏せになったままつぶやかれた言葉の意味をシシィが理解したのは、それから5秒後のこと。