「呪いに対する対処法はおおよそ2つに限られる」
「封印か消滅ですね」
「そうだ」
シシィが書物で事前に得ていた知識を言うと、ルビーブラッドは頷いた。
封印は呪いを抑えこみ、消滅は文字通り呪い自体を無くす。
こう聞くと、後々のことを考えて消滅の方法をとった方がよさそうに思えるのだが、ルビーブラッドはそれとは逆のことを勝手口のドアに触れながら言った。
「これから行うのは消滅の方だが、できるなら呪いの対処は封印の方がいい」
「え?」
「魔力の消費量が全く違う。封印は道具を用いて行うが、消滅は術師の力技だからな。それ相応の技量と魔力が……」
言いかけて、ルビーブラッドはハッと気づいて、言いかけたことを止める。
が、それはすでに遅く。
彼が振り向いたときには、シシィは完璧に固まっていた。
「………………」
「………………」
「………………」
「………………」
「……いや、大丈夫だお前なら」
「で、も、よく考えたら、わたわたし、私、あの呪いに対抗する術を知らないとイイマスカデスネ!」
自分で言いながら、シシィはやっとそこで問題点に気がついた。
そう、知らないのである。
今回に限っては依頼に対する予備知識を何もいれてない。なので、あの呪いに対抗する魔術も知らないのだ。
――な、何でこんなことに気が付かなかったんだろう!
その理由は半分はシシィ自身が混乱し、半分はルビーブラッドがあまりにも堂々としているためであるのだが。
「兎にも角にも落ち着け。でないと何も始まらん」
「そ、そうですねっ、おお落ち着いて本で調べていけば」
「いや。今回は書物に頼るな、時間がない。口頭でいくぞ」
ルビーブラッドの爆弾発言にシシィの視界は、思い切り揺れた。
「ここここここっここ口頭!?」
「俺の言う言葉を、後からくり返せ」
――む、無理だっ!
手の中にあるロッドを握り締めながら、シシィはブンブンと頭を横に振る。
今まで、そんな無茶なやりかたなど、普通の依頼の時ですら行っていないというのに、それを対呪いでやれというのはあまりにも無謀すぎる。
それでもルビーブラッドは折れなかった。
「さっきはああ言ったが、あの呪いが今夜中お前をつけ狙うという保証はない」
「うっ……」
それを言われると、先ほど気休めでも大丈夫と言われ、時間を取って弱音を吐いてしまった自分に選択権はないように思えた。
時間を大幅にロスしたのは、自分の責任。
だから、書物で確認する時間がない。
――ああ、見事に自業自得な気がする……!
後ろめたさからシシィがガチガチに固まりながらも、コクリと小さく確かに頷いたのを確認して、ルビーブラッドは再びその視界に古びたドアを入れた。
ドアノブに、静かに彼は手をかける。
「――ドアを開けた瞬間に、呪いは家に入って来ようとするだろうが、お前の祖母の魔術で弾き飛ばされる。その間に外に飛び出て、ロッドをリボンへ向けろ」
「は、はい」
「援護は出来るが、あまりそれを期待するな。基本的に俺の助けはないと思った方がいい」
その理由は、シシィにもよく分かる。
――いつも、ルビーブラッドさんがいるとは限らない。
これから呪いに対峙しなければならないときに、ルビーブラッドの手助けがなければ呪いに対抗できない、なんてことになってはならないのだ。
それに、頼る癖がつくと自分の魔術の腕も上がらなくなってしまう。
――分かってるけど、もうヘロヘロだよ……。
望んだことではなかったと言え、ルビーブラッド相手にバトルを繰り広げてしまい、魔力の消耗は激しい。呪いから受ける感じからして、ルビーブラッド向けて放った魔術ほど大きくなくていいだろうが(これもよく考えると恐ろしい話である)、それでもロッドと言葉のみの魔術はせいぜい撃てて、2,3回。
その回数は、そのままチャンスの数だ。
呪いに対抗できる魔術を作り出せるのは、最多で3回。
これは、かなりシシィにとって厳しい現実だった。
――それでも。
――それでもやらなくちゃ、呪いを見過ごすことになってしまう。
「構えろ」
「……はい」
ルビーブラッドのいつもより低い声で、シシィはロッドを体の前で構えると同時に、いつでも走りだせるように足に体重をかけた。
正面には、ルビーブラッドとドア。
リボンが弾かれた隙に飛び出す準備は、できた。
「開くぞ!!」
ルビーブラッドが扉を開き、シシィが目を見張った瞬間。
「っ……!」
地響きのような音が鳴り響き、同時に真っ白い光が部屋へと流れ込んでくる。
光そのものが、衝突したような感覚。
――これがおばあちゃんの、魔術だなんて……!
シシィが唖然としていると、ルビーブラッドがその腕を取ろうとしてきたので、シシィは慌てて自分から扉の外へ飛び出した。
外は暗い。
先ほどと違って、暗闇は敵のように思えた。
――か、まえなくちゃ……!
ぼんやりと見ているわけにはいかない。弾き飛ばされたとしても、あの呪いはまた自分を狙ってここへ舞い戻ってくるだろう。
シシィはまっすぐ、ロッドを前へ突き出すように両手で持つ。呪われているリボンがどんなに動いても、狙いを定めることができるように。
――どこ、に?
リボンは暗闇にまぎれて見えない。
だからこそ、恐ろしい。
「右方向!」
「っ!!」
ルビーブラッドの厳しい声に、シシィはほとんど反射神経のみで右を向く。
暗闇の中に、さらに黒いもやのようなものが視認できた。
――呪われたリボン!
「『ラディーン・デイズ・ウォレッティ』!」
どこからか響く声に、シシィは『呪い』を視界に入れたまま続く。
『ラディーン・デイズ・ウォレッティ!』
「『我は歪みの意志を排除し 聖浄し 汝の往くべき場所を示し正す者』」
『我は歪みの意志を排除し 聖淨し 汝の往くべき場所を示し正す者!』
――よく、聞け……間違えちゃダメだ……っ!
何の魔道具も用いらない魔術の場合は、呪文を一言でも間違えるとそれはダイレクトに魔術者自身の負担となって降りかかる。
負担は重圧を生み、ミスを招く。
――だから、ルビーブラッドさんの言葉をよく聞かなくちゃ……。
「『透明の断絶を赦さず 我は道を繋ぐ 黒き願いは煌めきに流せ』」
『透明の断絶を赦さず 我は道を……っ!!』
――呪いが!
あと一息、というところでリボンは大きな黒いもやを蛇のような姿に変えて、シシィに真正面から襲いかかってきた。
動揺して一歩退いたと同時に――それまでどこにいたのか分からなかったルビーブラッドが、シシィの背後から腕を伸ばして、向かってきた呪いを振り払った。
――素手で……っ!?違う、何か……。
手の中には光るものが見えたが、それが何か理解する前に、ルビーブラッドの身体に自分の背中が当たる。
肩に手を置かれたのが分かった。
「退くな!」
「――っ!」
ビクリとはねたシシィの肩を抑えこむように、ルビーブラッドの手に力がこもる。
「いいか、呪いを恐れてもいいが対峙したら決して退くな!呪いは獣だ、お前が退けばアレは追ってくるぞ!」
「獣……!」
「恐ろしかろうが何だろうが、お前が『魔術師』として呪いの前に立ち向かった以上、その後ろに守るべきものがあることを忘れるな!」
守るべきもの、それは――。
――おばあちゃんが、昔そうしたように。
町そのものが守るべきもの。
その安全は、今、自分の背後にある。
「お前が退いた距離だけ敵と守るものは近くなり、守るべきものを危険に晒す!前へ出ろ、シシィ!自分の方が強いと、態度でまず示せ!強者に対して、呪いは必ず怯えを見せる!」
危険に、晒す。
――それだけは、いけない。
それだけは避けなくてはいけない。もうすでに、たった一人でも犠牲者が出ている以上は遅いことかもしれないが。
それでも、これからの平穏を譲るわけにはいかない。
――譲りたく、ない……!
この町の平穏は、祖母が守ったものなのだから。
『――ラディーン・デイズ・ウォレッティ…!』
再び呪文を言葉にしながら、シシィはロッドを構えなおした。
――変わろう、私。
変わらなくちゃ、ではなく、変わろう。
自分から想うことで、自分を支えるものは強くなる。
『我は歪みの意志を排除し 聖淨し 汝の往くべき場所を示し正す者!』
――どこにいる?
呪いはルビーブラッドに弾かれたあと、また暗闇の中へ姿を消してしまって、視認はできない。呪いにとって夜は、味方なのだ。
――目で探るんじゃなくて、何かを感じ取るんだ……。
ルビーブラッドにだって見えていたわけではないだろう。なのに、彼に呪いの位置が分かったのは、何かを感じ取ったからだ。
肌で、全身で、動かないまま暗闇の中を探る。
『透明の断絶を赦さず 我は道を繋ぐ』
辺りは黒く、音はない。
色もない。
――目で、見るな。
左肩がチリっ、と焦げるように痛くなった。
左へ視線が向く。
そこに、呪いのリボンの姿があった。
――譲るものなんて、何もない。
シシィは一歩そちらへ踏み出した。これでプラスマイナスゼロ。
踏み出しても、元の距離に戻っただけなのだ。
――私は、この町を守る……!
さらに一歩踏み出した瞬間、
リボンを包む黒いもやが、ゆらりと揺れた。
『――黒き願いは煌めきに流せ!』
ロッドの先の石がオレンジに染まり、さらにその先からオレンジ色の光の帯が呪いへ向かう。いつもの魔術とは、輝きが違った。
対呪い専用の魔術は、神々しいほど輝く。
普通なら目をつむってしまいそうな光の中で、何故か術者であるシシィはその輝きに視界を奪われることなくリボンを見つめていられた。
だからこそ、確認できた。
――かわされた!
『ラディーン・デイズ・ウォレッティ 我は歪みの意志を排除し 聖淨し 汝の往くべき場所を示し正す者』
ひらひらと舞うリボンを追って、シシィもロッドの狙いを定める。
――1回、失敗した……もう何度も撃てない……!
花びらのように舞うリボン。よく動きはするが攻撃してくる気配はなかった。
――怯えてるんだ。
ルビーブラッドの言ったとおり、こちらが強気に出ればあちらは退く。しかしそれはそのまま、呪いが逃げてしまうことにもつながる。
逃げられれば、また町で被害者が出る。
迷宮入りの絞殺事件。
魔術師としても、人としても、それを許すわけにはいかない。
『透明の断絶を赦さず 我は道を繋ぐ 黒き願いは煌めきに――』
もう、チャンスはない。
リボンの動きとロッドが重なった瞬間、シシィは叫んだ。
『――流せ!!』
「!」
最初の魔術より、今回の魔術は格段に速く呪いを捕らえた。
そのスピードはルビーブラッドも目を見張るもので、キラキラと輝く光の帯は呪いを包み込むように渦巻いてボール状になった。 球形となったシシィの魔術は、中で呪いが暴れることによって大きくなるが、すぐにまた小さくなる。
それをくり返すこと、数回。
緊張しながら、一つの異変も逃すまいと目を皿のようにして事の成り行きを見守っていたシシィの前に、ルビーブラッドが不意に立った。
こちら側に背中を向けているため、表情は分からない。
「ルビーブラッドさん……?」
「動くな」
瞬間、辺りは暗闇に包まれた。
――違う。
黒い光が、辺りへ広がったのだ。
不思議な光だった。光でありながら、まるで水のような質感でいて、ルビーブラッドによって遮られた光は方向を変えて、水と同じで流れるようにシシィの横を通り過ぎていく。
その中で、少女の姿を見た。
――誰?
光の中にいる少女は青いリボンを手に持っているが、瞳に暗い影がある。
やがて手にしたリボンが、黒いもやを帯びていき――。
「あ」
そこで、光は突如消えた。
「今の……何だろう……?」
「呪いの解除は成功したようだな」
声のした方へ視線を向けると、いつの間にかルビーブラッドは自分から離れていて、件の呪いのリボンを手にして観察していた。
離れているシシィの目からでも分かるほど、リボンの禍々しさはなくなっている。
「よくやった」
「え、あ、いえ、ありがとうございました……ってルビーブラッドさん!今、女の子がそこに立ってたんですけど」
あまりにもあっさりとしているルビーブラッドに逆に混乱しながらも、つい先ほど見た少女をルビーブラッドも見なかったか訊こうとしたのだが。
「立っていない。気のせいだ」
質問する前から真顔でバッサリ切り捨てられたため、言葉は胸の奥に逆戻りした。
同時に恐ろしいことが頭によぎる。
――ゆ、ゆゆゆゆゆゆーれ……っ!?
それまで殺された人々の怨念が、この場面になって現れたとでも言うのだろうか。
シシィはその恐ろしい考えから逃げるため、若干引きつった笑みでルビーブラッドに別の質問を投げかけてみた。
「さ、さっき呪いを払ったときに持ってたものって、何ですか?」
「祖父から受け継いだ懐中時計だ。大抵の呪いなら弾く」
そう言って懐から出したのは、確かに銀色の懐中時計。先ほど彼の手の中で光っていたのはそれらしいが、その懐中時計は不思議なことに、いくつもの魔力が重なっているように感じられた。
もちろんルビーブラッドの魔力も感じるが、多くの別の魔力も感じる。
「……何と言うか、不思議な時計ですね」
「ああ。持ち主全員が呪いを弾く魔術をかけてきたから、そう感じるだろう」
「……持ち主全員?ええと……?」
「祖父は曾祖父から、曾祖父はそのまた父親から受け継いできたらしい」
歴史ある懐中時計、というのは分かるが、その全員が魔術を使ったとなると。
シシィの頭にある推論が浮かび上がる。
「つ、まり、ルビーブラッドさんのお家は、代々魔術師さんなのですか……?」
「どちらかというと、魔導師の家系だな。魔術師もいるが」
後頭部をいきなり殴りつけられたような衝撃だった。
――つまり、ルビーブラッドさんってエリート!
いやいや、とシシィは1人首を横に振る。ルビーブラッドがエリートなのは、魔導師の説明をルウスに受けた時点で分かっていたことだし、自分でも魔術の勉強を進めていくうちに魔導師がどういうものなのか、少しばかりでも知ることができた。
ルビーブラッドほどの若さで、魔導師を名乗っているのは珍しいことなのだと。
と、考えて懐中時計をしまうルビーブラッドを観察する。
――う、うん……若い、よね……20から25歳までくらいだよね?
そういえば、ルビーブラッドの年齢を訊いていない。
「あの、つかぬことをお伺いしますが、ルビーブラッドさんっていくつですか……?」
「冬が来れば19になるが?」
思わず持っていたロッドを落とした。
「落ちたぞ」
「じゅっ……じゅじゅじゅー!」
「……何か焼いてるときの擬音か?」
特に何か焼いている音を表現したかったのではなく。
――じゅうきゅう!10代!予想よりはるかにお若い!!
という、驚きであった。
「あ、いえ……何でもないです……」
「そうか、ならもう行かなくては」
「え?どこへ?」
首を傾げるシシィに歩み寄ると、ルビーブラッドはリボンを渡しながら説明する。
「もともとここへ来たのは、依頼が入ってこの町を離れると告げに来たんだが、ちょうど首を絞められているお前を見たんでな」
「うわわ、す、すみません!おお、お仕事大丈夫ですか!」
「支障はない」
と言われても、やはり罪悪感はぬぐえない。端的に言えばルビーブラッドは完璧に巻き込まれてしまっただけなのだ。
わたわたと、シシィは慌てた。
「お、おおお礼もできてないですし、何と言えばいいのやら……」
「………………」
「ええ、と……」
「……オレンジケーキ」
「……へ?」
呆然としながらルビーブラッドを見つめると、真顔で見つめ返された。
――オレンジケーキって、オレンジケーキだよね……?
もしやこれは、食べたいということなのだろうか。
「つ、次お越しになったときに、お作りします……ね……?」
こっくりと頷かれて、シシィの胸に微妙な興奮が湧きあがる。
言うなれば、野良猫の餌付けに成功したような。
油断すれば緩みそうになる顔を、必死に強張らせるシシィの前で、ルビーブラッドはそんな想いなど露ほども知らず、ロッドを構えると呪文を呟いた。
『イオス 誇り高き二藍のかわひらこよ 妖艶な羽と神秘の羽 我は奇怪の扉を開く者 浮き世に囚われず汝の力を望む』
「え、あ……!あの……」
「……気をつけておけ。また呪いに遭遇するかもしれん」
「は、はい!あの、それじゃあまた来てくださいね!いってらっしゃい!」
シシィは慌てながらも微笑みを浮かべて、ルビーブラッドへ言葉を贈る。その言葉に足元からうっすらと、姿が消えかけていた彼は、
『――確かに、心強い』
昨日、そう言ったときのように微笑んで。
シシィの前から、溶けるように姿を消した。
「………………」
さわり、と風が吹く。
同時にシシィの頭の中は、混乱で満ちた。
「あああ、れ?ま、ままた動悸が……っ」
――な、何か病気だったらやだなぁ……。
不安に思いながら、まだ動悸のおさまらない胸に手をそっと当ててみる。思った以上に心臓は激しく鳴っていた。
「…………病気じゃ、ありませんように……!」
そんなシシィの赤くなった頬を、夜風が優しく撫でていった。
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