いなくなれ。
お前も、お前も、お前も。
許すものか。
許すものか。
これをつける奴らは、みんな――。
********
――ガーデンの、中。
相変わらず、ここに咲く花はきれいで、夢の中だと知っていても心がなごむ。
ルビーブラッドさんに教えてもらってから、空にある夜空の星は鳥だということを知って、ますますこのガーデンが好きになった。
ここは、私の好きな場所。
――ィ。
何だろう、誰かが呼んでいるような。
キレイなガーデンの中でなら、夜だとしても怖くなんてない、むしろ、好き。
そういえば、どうして私の幸福だと思う瞬間はこれだったんだろう?
どうして、ルビーブラッドさんはあの夜空なんだろう?
――シィ。
分からない。
たくさん、ルビーブラッドさんには助けてもらって、お話もたくさんしているのに、私はあの人の年齢すら知らない。
ただ、背が高くて仏頂面で厳しいけれど、どこか優しいオレンジケーキ好きの魔導師さん。私が知っているのはそれだけ。
――シシィ。
いきなり背後から声が聞こえて、振り返ると。
そこには、微笑みをたたえたルビーブラッドさんが、私を見ていて――。
********
「ゥヲォレンジケーキは持ってませぇぇぇぇええええええぇぇぇぇぇぇぇぇぇんっ!!」
辺りが崩壊するんじゃないか、と思われるような大声をあげながら飛び起きたシシィは、しばらく茫然とした表情と涙目で固まり。
「………………かつあげにでも、遭ったんですか?」
ルウスの声で、初めて状況を把握した。
現在、午後。ポカポカと陽気な気候で、図書館の貸し出しカウンターにいながらも、思わずこくりこくりとシシィはうたたねをしていた。
そんな穏やかな雰囲気の中でのシシィの叫び声は異常とも言えることで、その証拠に、隣で同じようにうたたねをしていたルウスは、シシィの声に驚いて耳としっぽがピンと立ってしまっている。
「る、るるルウスさん、わた、び、び、びっくりしました……っ!」
「私の方がびっくりしましたよ」
その声は、シシィの耳に届かない。
頭をかき混ぜながらシシィはうろたえるように、イスに座ったままの状態で前のめりに。うつむいた状態で、シシィはぐるぐると悩む。
――ななな、な、何っ何ですかっあれは!!
頭に残るのは、昨日初めて真正面から見たルビーブラッドの微笑み。
シシィは「ああぁぁぁっ」と苦しむように声をあげる。
――リフレインする……っ!あの、表情が……あああ!!
実はあの笑顔を見てから後、何があったのかろくに覚えていない。
気付くと、ちゃんと家に帰りついていたわけで。
「うぁぁぁぁっぁぁぁあああぁっ」
奇声を発しながら、シシィは必死に昨日のことを思い出そうとした。あの後から、ルビーブラッドは何と言っていたのだろうか。
――確か、まだこの町にいると聞いたような……っ。
しかし本当かどうかわからないし、彼の宿泊先も聞いていない。
もしかしてまた野宿なんじゃ、という考えが脳裏をよぎるとともに。
『――確かに、心強い』
――うわぁぁぁぁああああ!違うんだって違う違う違うっ!
また『例の表情』を思い出し、いたたまれなくなった彼女は上半身を起こすと、カウンターの上に置いてあった本をひざの上に乗せ、バシバシと叩きはじめた。
「うううっ、おかしい……!」
「ええ、ちょっとシシィさん、おかしいですよ、聞いてます?」
またもやルウスの声は届かず、シシィは自分の考えに没頭しながら本を叩く。
――ど、動悸がするし汗が出るしなんか苦しいし……。
バシバシバシと叩く。
――めまいもするし、体が熱くなるし……。
バシバシバシバシ。
――も、もしや、これは……!
バシバシバシバシバシ。
「更年期障害!?」
「その奇行が?」
奇行?と、シシィが顔をあげると。
「……あ」
「こんにちは、闇色ハット」
そこには、金色の髪をかきあげながら微笑む、Bの姿があった。
「こ、こんにちはBさん」
「何だか分からないけれど、本を叩くのはやめた方がいいと思うわよ。来たお客さんがびっくりしちゃうから」
「お客しゃま!?」
確かにお客の前で本をバシバシ叩きまくる管理人がいたら、ドン引きだろう。シシィは慌ててひざに置いていた本を体の後ろに隠しながら、勢いよく立ちあがった。
が、Bの後ろには誰もいない。
小さな子どもの依頼人かな、と思ってBの後ろも体を傾かせてのぞいてみたが、誰もいなかった。
「あの……依頼があるんじゃないんですか?」
Bがわざわざ図書館へ足を運ぶときは、依頼のとき。
それ以外は自分の店にいる。
なので、今回もそうなのだろう、と思ったのだが何故か依頼人の姿がない。これはどういうことなのだろう、とシシィがBを見つめると、彼女は複雑そうな表情でシシィを見つめ返した。
「ええ……その前に貴女、今朝の新聞を見たかしら」
「え、いいえ」
新聞は日曜日、買い出しに町へ行ったときくらいにしか買うことがない。町の中にありながら、町から外れている丘の上に住んでいれば、町のことはほとんど別世界のような感覚なので、自ら知ろうとはあまり思わないのだ。
なので、今朝の新聞のことなど知るはずもなく、シシィは首を横に振った。
「そう……やっぱり持ってきてよかったわ。これを見て頂戴」
と、手渡されたのは今朝の新聞。
これが何だと言うのだろう、と不思議に思いながらも、シシィは第一面に目を通した。
「……殺人?」
記事は殺人があったことを記していた。殺害されたのは17歳の少女だ。犯行時刻は一昨日の夜中から昨日の朝にかけてで、殺害方法は絞殺。どうやらその少女が持っていたリボンが1本なくなっているらしく、そのリボンで少女を絞殺し、犯人は逃げたのだろうと推測される。現在、軍警が捜査中とのことだ。
「昨日のお祭り最中に、こんなことがあったんですか……」
昨日はシシィ自身も祭りを楽しむところではなく、自分の身内がしでかしてしまった事の処理に駆け回っていたので、そんな騒ぎがあったとしても気付かなかった。
「ええ。亡くなった子には申し訳ないわ……」
Bの言葉に、シシィは新聞から顔を上げる。
「どういう、ことですか?」
「……犯人を知っているのよ」
「なっ!?なら軍警に行くべきですよっ!!」
「無駄よ。軍警は信じない」
Bは――手の中に握っていたものをシシィにさらした。
「17歳の女の子を殺したのは、これだから」
彼女が持っていたもの。
それは――青い、リボンだった。
何の変哲もない、どこにでもあるリボンのように見えるのに、シシィは。
一歩、その場から退いた。
――嫌だ。
「な、んですか、それ……とても、嫌です……っ!」
「闇色ハット」
「とても、良くないものです、それは……!怖い……っ!」
青いリボンのはずなのに。
それは、黒い蛇のように見えた。
命を狙う、恐ろしいもの。
「……貴女は魔力が強いから、余計に感じ取ってしまうのね」
「な、んなんですか、それは……」
怯えるシシィをなだめるように、いつの間にか傍まで近よってきていたルウスがシシィの足にしっぽを当てる。
その感触にいくらか安心しつつも、視線はリボンから離せなかった。
Bはリボンをすぅ、となぞりながら説明する。
「これはね、呪われたリボンよ」
「呪わ、れた」
「被害者の女の子が持っていたリボン。このリボンは所持者を絞殺するように呪いを受けていて、運悪くあの子のもとへいってしまったのね……。元々の所持者は分からないけれど、呪いの状態からして相当な人数を絞殺していると思うの。主を殺したら行方を消して次の主を待つ。私はこのリボンが逃げ出していたところをちょうど捕まえたのよ」
呪われたリボン。
被害者の女の子が所有していて。
軍警に言っても信じない。
――あのリボンが、女の子を殺した。
それが、本当であるのならば。
「も、しかして、Bさん」
「そうよ。今回の依頼は、このリボンの呪いを解いてほしいの」
魔術の話以外に、何があるだろう。
「――無理、です」
「……闇色ハット」
「だって、私、呪いを解いたことなんか、ないんです……!」
――私、何を言ってるの。
シシィは震えながら、混乱する頭で考える。
Bがこの依頼を持ってきたということは、自分の力量でも解決できるということ。
できない理由など何もないのに、何故拒絶の言葉を吐くのだろう。
やらなければいけないことだ。
あのリボンは尊い命を奪っていて、自分にはそれを浄化できる力がある。
――やると、言わなく、ちゃ。
シシィは、重く口を開く。
「……――でき、ません」
――どうして。
目が熱くなる。口にしたいのはこんな言葉じゃない。
蒼い顔で、呆然としたように答えたシシィを見て、Bは目を伏せた。
「……そうね。本当なら、もっと簡単な呪いから始めるべきだわ。いきなりこんな依頼から始めるのは怖いもの。これは知り合いの魔術師に依頼を回すから」
「……っ」
「大丈夫よ。数をこなせば、貴女もできるようになるから。これは少し難易度が高かっただけよ、気にしないで」
違う、と言いたいのに声がのどに張りついて離れない。
そんなシシィにBは優しく微笑んで、肩を軽く叩くと踵を返した。彼女の鳴らす足音はどんどん図書館の出口の方へ行ってしまう。
――行って、しまう。
シシィは口を開いて、
また、閉じた。
「…………っ!」
――Bの姿は見えなくなってしまった。
「……わ、たし」
「気にしないことですよ、シシィさん。魔術師の修行の中で、一番難航するのが呪いに関すること。それだけ人の負の念は恐ろしいものなのですから」
落ち込むシシィにルウスがフォローを入れるが、彼女はそれをぼんやりと聞きながら考える。
――負の念は、恐ろしいもの。
それならば、自分は恐怖に負けたのだ。
自分の恐怖に。
「――シシィさん?大丈夫ですか?」
「……はい」
結局、何も変わっていない。
恐怖に怯えて、しり込みして、またこうやってウジウジと悩んで。
このままではいけないことは、自分が一番分かっている。変わらなければいけないことを一番自覚しているのは、自分なのに。
このままでいたら、いずれ――。
シシィは、ぎゅっと手を握りしめた。
「……」
一方、それまで近くにいたルウスはシシィから離れて、Bが去って行った出入り口の扉をしばらくじっ、と何かを考えるように見つめる。
その表情は、普段のルウスからは想像できないほどに険しかった。
「シシィさん、本当に大丈夫ですか?」
「……大丈夫ですよ」
「……すみません、実は用事を思い出しまして。これから出かけたいのですが、今日の夜は帰りません。よろしいでしょうか?」
背中を向けたままのルウスに、シシィは顔をくしゃりと歪めた。
その表情は泣くのを我慢して、無理やり微笑もうとする子供のようで。
――いずれ。
「いいです、よ」
――私は、見捨てられてしまう。
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「――何だ……?」
ルビーブラッドはオレンジ色の光を浴びながら、時計台の屋根の上から町を見下ろしてつぶやいた。
さわさわと、風が彼の髪の毛を触っていく。
「………………漆黒。呪い……」
ロッドを呼びよせ、ルビーブラッドは目をつむる。額をロッドの先についている丸い石につけて、何かを探るようにしばらくの間そのままでいた。
しかし、苦い顔で目を開ける。
「町が脈打っている……が、反応が微弱だ」
自分の探査能力を持ってしても、反応を追い切れない。微弱であると同時に、向こうの察知する能力が高くて、呪いの在りかを特定するのは無理だった。
険しい表情で、ルビーブラッドは再び町を見下ろした。
「――何もなければいいが」
そのつぶやきは、夕闇になりゆく空間へ溶けて消えた。
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