「るるるるるるるるるるるるるルビ、ブラ、ドさ……!」
「騒ぐな。俺だって恥ずかしい」
ルビーブラッドが解除薬をばらまいてくれたおかげで騒ぎは収まり、徐々に本来の祭りの雰囲気に戻りつつある中での、横抱き。思ったほどの注目は浴びないが、それでも見られたり口笛を吹いてはやされたりということを、時々された。
それが堪らなく恥ずかしいし、ルビーブラッドにもそういう思いをさせているということが大変申し訳なく、シシィはしょんぼり、と顔をうつむけた。
「以前ああいう輩に近づくなと、言っておいたはずだが」
「や、やや、輩……?あの人、ど、どど、同級生、で、す」
シシィの答えに、ルビーブラッドは立ち止まる。
「……しまった。軟派な輩かと」
「いい、いえ!とても助かりました、ありがとうございます!」
ルビーブラッドにしてみれば同級生に会った場面を邪魔してしまった、ということなのだが、それで助かったとはどういうことだ、と言外に、ルビーブラッドの視線が説明を求めているような気がして、シシィはひきつった笑顔を見せた。
「に、苦手、な……ひ、とで……」
と、そこでシシィは改めて自分の格好を思い出し、狼狽しながら自分の体を包んでいるルビーブラッドの真っ黒なコートを胸の前で合わせた。その仕草を見てコートの持ち主であるルビーブラッドが不思議そうに問う。
「寒いのか」
「いいいいえ!さ、さむ、寒くは、ない、ですけど……」
「けど」
「………………家に、帰りたい、です」
「そうか。どの方角だったか……」
こっちか、と方向転換して、シシィの家がある方角へ歩きはじめたルビーブラッドに慌てて、シシィは彼の着ているタートルネックの布を引っ張った。
「だ、大丈夫です、歩いて、帰れます……」
「足の傷が酷い。無理するな」
「だい、じょうぶですから……」
「……そんなわけ、ないだろう」
「本当に……っ1人で帰れます……っ」
「………………」
シシィの言葉に黙り込んだルビーブラッドは、再び方向転換をして今日何回目になるか数えるのも面倒なくらい入った裏路地へと足を進め、雑然とモノが置かれたそこで適当な木箱を見つけると、その上にシシィをゆっくりと下ろした。
――な、何……?
困惑しながらシシィがルビーブラッドを見上げると。
「……悪かったな。そこまで嫌がっているとは思ってなかった」
凶悪的、としか他に言いようがない表情で、彼はシシィを見下ろしていた。
――おおおお、お、お、怒っていらっしゃる!
何を嫌がっている、と勘違いしたのだろう、と混乱で動かない頭を必死に回転させてルビーブラッドの眉間に刻まれたしわを見たとき、シシィは答えにたどりついた。
――お、お、お姫様だっこされたことを私が嫌がったと、思って……?
「るる、るび、ちが、違うですっ」
「なら何だ」
「ドレ……ッ」
ドレスが似合わないことを思い出して、それをルビーブラッドに見られるのが嫌だったとはあまりにも情けなさすぎる答えなので言えず、シシィは口をつぐみ、うつむいた。
――ピンクの、ドレス。
シシィはドレスのスカート部分をぎゅ、と握る。
本当はピンク色が嫌いなわけではないし、嫌いではないのにこの色の服を着なくなったのも、厳密に言うと先ほどの同級生のせいばかりではない。ただ、タイミングが悪かっただけなのだ。
10歳の時、初めて着て彼に『似合わない』と評されたピンク色のドレスは、祖母が初めて自分のために作ってくれたドレスだったから。
――そう、タイミングが悪かっただけ、なんだって、分かってる……。
もし、あのとき祖母が作ったドレスでなければ、もう幼いころの話だ、今は何の戸惑いもなく華やかな色の服だって着れていただろう。
ただ、あのときのドレスは『祖母が作った』ドレスだった。
シシィにとって、特別だったのだ。
だからこそ『似合わない』と言われたとき、そう言われた自分ではなく、せっかく祖母が作ってくれたドレスがかわいそうになって、同時に申し訳なく思った。
作ってくれたドレスが、似合わない私でごめんなさい、と。
他の人から見れば大したことのない、けれど自分にとっては大きな傷が心に残ってしまった。
「ドレ?」
ルビーブラッドの声にシシィは顔をあげて、何とか申し開きをせねば、とうろたえながらも懸命に言葉を紡ぐ。
「あ、うっ、な、何でも!あの、でも、ルビーブラッドさんが嫌だったわけじゃなくて、あの、えっとその………」
が、結局理由は言えず。
再びがっくり、と力尽きたように頭をうなだれるシシィを見て、ルビーブラッドはため息を深くつきながら頭を掻き、視線をシシィから逸らして狭い路地の入口から大通りの様子を眺めた。
2人のいる路地には、大通りから聞こえてくる雑踏の音だけが転がり込んでくる。
――あああ、気まずい……!自分で招いたことだけど、気まずい!!
自分の目の前に立つルビーブラッドは何も言わず、自分も何も言えない。
「……そういえば、尋ねそびれていたが」
「ふぁい!」
突然口を開いたルビーブラッドがくれた、話すためのきっかけを外してなるものか、と気合を込めて返事をしたら見事に噛んでしまったシシィを無表情で見下ろしながら、ルビーブラッドは一呼吸間をおいて。
「この、人の多さと正装の団体は何だ?」
と、真顔で尋ねた。
「……は、い?」
「行事か」
行事か、と問われれば、行事である。何せ祭りだ。
シシィは呆然とした表情で答えた。
「お、祭り、ですけど……今まで、何とも思わず走り回ってたんですか」
「いや、人ごみさえなければと何度も思ったが……そうか。それでシシィも」
も、とルビーブラッドにドレスを見つめられて、シシィは慌てふためきながらコートでドレスを隠す。
「こ、これはっ!これは、は、母に無理やり!本当はもっと地味な茶色っぽいドレスだったんですけど何の間違いかこんな色になってしまって似合ってないのは分かってるんですけどこれしか着ることが出来なく」
「……似合ってないのか?」
「そ、そそそそれはもう!お墨付きで!おおお、おお見苦しいものを……」
――自分で言ってて、悲しすぎる……。
がくり、とシシィは肩を落とす。その様子たるや、人生すべての幸福を泥の中に落としてしまった、と言わんばかりで、そんなシシィの様子を見たルビーブラッドは少々動揺しながらも口を開いた。
「……べ、別に、見苦しくは……」
「いいんですよ、ルビーブラッドさんは優しいからそう言ってくれるけど、私、似合わないの自覚してますから……」
落ち込むシシィを見てルビーブラッドは額に手を当て、ほとほと困り果てたようにオレンジ色の空を仰いだ。今にも泣きそうな様子のシシィだが、決死の褒め言葉をあえなくあっさりと交わされたルビーブラッドも泣きたかった。
が、そこは一流と称されるルビーブラッド、鋼と呼ぶにふさわしい精神力でなんとか持ちこたえ、脳の回転をあげると再びうなだれるシシィを見下ろし。
「……色彩心理学、というものがある」
「……は、はい……?」
聞きなれない単語に、思わずシシィが顔をあげると、そこには至極真面目な、まるでこれから授業をする、気難しい教授のような表情をしたルビーブラッドがいた。
「色彩心理学とは簡単に言えば、色彩が人の心にどう作用するかという効果を追求する学問であり、たとえば暖色系の色は食欲が増進、寒色系の色は食欲を減退させる効果があるとされている。分かるか」
「は、はぁ」
「この色彩心理学とは少し違うが、よく一緒に名前をあげられるものとして、『パーソナルカラー』という単語がある」
ぱーそなるからー、とよく分からずも真似して言ってみると、ルビーブラッドは満足げに一度、大仰に頷いて見せた。
まるで本当に授業を受けているような錯覚に陥るが、ルビーブラッドは何か意図してこの話を切り出したのだろう。しかし意図がよく分からないため、シシィは頭を混乱させつつも、大人しくルビーブラッドの説明に耳を傾けた。
「『パーソナルカラー』はいわば、その人物によく似合う色。服におけるパーソナルカラーを決める重要なポイントは肌の色だ。そこで」
じ、と見つめられて、シシィは体を固くする。
「日焼けはしやすいほうか。赤くなるほうか」
「……え?あ、えっと、赤くなる、ほうです」
「ということは、シシィの肌は色が白いタイプということだ」
色が白い、と言われて、シシィはロング手袋をのけて腕の肌色を見てみるが、自分では色が白いかどうかの判断はしにくい。
が、戸惑うシシィに構わず、ルビーブラッドはさらに説明を続けた。
「いいか。肌の色が白い人間には、一般、基本的にモノクロ、ベージュなどの自然な色か淡いパステル系統の色が似合うとされている。だから肌の色が白く、なおかつ今まさにお前が着ているパステル系統のピンク色ドレスは主観や客観からでもなくそういう学問に近い観点から見てもシシィに似合っていると言える分かったか」
最後は一気に吐き出すように述べて、ルビーブラッドは息を使い果たしたかのようにその場にヒザを折って額に浮かんだ汗を拭う。事実、彼の息は微妙に乱れていた。
そんな珍しいルビーブラッドの様子を呆然としばらく見つめていたシシィは、ハッ、と気がつくと慌てふためきながら腕をぶんぶん振りまわす。
「ああ、あの!でも、わた、私、似合わないって言われ……」
「それに」
ぴしゃり、とそれ以上の言葉を拒絶するように、ルビーブラッドが厳しい視線を送りながら掌でしゃべるなと合図をして見せる。
「……母親が選んでくれたんだろう。お前はだれかに服を選ぶとき、似合わないものを無理やり勧めて着させるのか」
「――――――!」
「普通ならしない。そういうことだ」
シシィは目を丸くさせながら、目の前に座り込むルビーブラッドを凝視した。
――おばあ、ちゃん。
ルビーブラッドの言葉で、シシィは祖母の言葉を思い出す。それは、作ってくれたドレスに初めて袖を通し、満面の笑みで祖母に見せたときのことだ。
『ああ、やっぱりシシィにはピンクが似合うと思ったんだよ』
――優しく微笑みながら、そう言っていたのに。
あの祖母が、自分に似合わないものを作るはずなんて、なかったのに。
大事な祖母の言葉より、同級生の何気ない一言の方を信じてしまっていた。
「……また、泣く……」
「へ!?いぇあ、こ、こっこれは、違うですっ!じゅ、ジュースが目から!」
と、言い訳しても涙であることには変わりなかった。
――悔しい、悲しい…。
祭りから帰った後、シシィは祖母に「もうピンクは着ない」と泣きながら叫んだ。その様子に祖母は珍しく悲しげな表情を見せながらも、泣きわめく自分を優しく包み込み泣きやむまで背中を叩いてくれていた。
幼いあのころは、今までは、分かっていなかった。
その言葉は、どれだけ祖母を傷つけただろう。
「もう着ない」などという言葉は、祖母が懸命に作ったドレスを無碍にする言葉だったのに。
――ごめんね、ごめんね、おばあちゃん……っ!
どんなに謝りたくても、祖母はいない。代わりに、目の前にはいきなり泣き出したシシィに困っているルビーブラッドがいるだけで、だからこそ早く泣きやまなければと分かっていた。
分かっているのに、涙が止まらない。
「ま、待って……待ってくださ……っ……今、止めます、からっ」
「ちょ……っ」
シシィの動作を見たルビーブラッドは、慌てて止めようとしたが。
――ばちーん!
いい音が、路地裏に響き渡る。
「……痛い、れす」
「…………そうだろう」
己で叩き、赤くなった頬をさすりながらシシィは涙を流した。もはや痛くて涙が出ているのか、悲しくて涙が出ているのか、悔しさや情けなさから涙が出ているのか全く分からない。
そんなシシィを見て、ルビーブラッドは呆れたようにため息をつき。
「……少し我慢しろ」
「ひぃえ!?」
シシィを軽々肩に担ぐと、ロッドを呼び出して、その低い声で呪文を唱える。
『イオス』
――うわわっ、またあの、奇妙な感覚がっ……!
何度体験しても慣れない一瞬の浮遊感の後、閉じていた目をそっと開けてみると、そこはオレンジと紫色の空が近い場所。
時計台の屋根の上だった。
――夜が、来る。
時計台は、シシィの家をのぞいた建物の中で空に一番近い。ぼんやりと、紫色とオレンジ色のグラデーションの中で光るものを見つめていると、そっ、と体を屋根の上に下ろされた。ルビーブラッドは、いつも通りの無表情で夕日を眺める。
――そう、か……。
「……美しいものを、ですか?」
「ああ」
「……ありがとうございます。キレイです」
シシィは微笑みながら礼を言うが、ルビーブラッドは首を横に振りながら、困惑するシシィの隣に座り込む。ちょうど2人とも、夕日を真正面に捉える位置だ。
赤っぽいオレンジの光を浴びながら、ルビーブラッドはウエストポーチの中から何かを手の中に握ると、そのままこぶしをシシィの前に差し出した。
「ふぁ、ファイティングですかっ!?」
「……手を出せ」
「あ、ああ、はいっ!」
言われた通り、手のひらを器のようにして差し出すと、その中に硬くて小さく、けれどキラキラと光るものが転がり落ちてきた。
闇の中でも、決して消えないような。
自ら輝く星のような――。
「って、ここ、これっ、アステールじゃないですかっ!!」
「やる」
「や、やややややややややや!?」
あっさりと、余った菓子だからやるよ、というようなノリで言われ、シシィは混乱で泣くどころじゃなくなり手の中にある小指の爪くらいの大きさの貴重な宝石『アステール』を震えながら見つめる。
――ここ、これって、すごく高価なんじゃ……!
夢の中で見た『アステール』と、寸分違わぬ現実の『アステール』にシシィは現実逃避をしはじめる。たとえば、まだ夢を見ているのだ、とか。
「お前は起きてるぞ」
「ええええ、エスパー!」
「……いいから、とっておけ。どうせカットしなければ、ただの小石と変わらない。落ち込んだ時にでも眺めれば、いくらかは心も落ち着くだろう」
そういうふうに言われてしまえば、受け取らない方が失礼のような気もしてくる。
シシィは瞳に涙を溜めながら震える両手でアステールを握りしめ、ルビーブラッドに心からのお礼を言った。
「あ、ありがとうございます……!絶対、大切にしますっ!」
ふい、と顔をルビーブラッドが背けたのは照れているからだ、とその行動をシシィは微笑みながら見つめたあと、改めて手の中のアステールに視線を落とす。
とある不思議な鳥からしか作れない、不思議な宝石。
まるで冒険小説に出てくる伝説上の宝物みたい、と思いながら星色に輝く宝石を見つめていると、不意にルビーブラッドが夢の中で説明していた言葉を思い出した。
「……ルビーブラッドさん、この宝石って、一定時間以内に熱処理をしないと輝きを失って、灰色の石になっちゃうんですよね」
「ああ」
それがどうした、とこちらを向いたルビーブラッドに、シシィは質問する。
「じゃあ、あのガーデンのイスの下に置いてあった石の山がそうですか?」
かちん、とルビーブラッドの体と表情が凍る。
「…………………………………………見、たのか」
「ぐ、偶然……」
アンティークキーをなくした騒動のあと、ルビーブラッドがルウスを犬にしてしまった人だと分かって、落ち込んでいた時期のこと。
ブレックファーストに励まされて、ようやくガーデンへ行ったところ、ひょんなことからガゼボの中に置いてあるイスの下に、隠すように置かれた大量の灰色の石を見つけたのだ。あのときは、どこからこんなに大量の石を、と不思議に思っていたのだが、あのガーデンの空の上を流れるものが星でなく、宝石を生む鳥だと分かればそう不思議な話ではなくなった。
推測だが、ルビーブラッドは自分を待っている間に、時間を潰すものとしてあの鳥から宝石を貰いうけ、輝きがなくなるまで観賞していたのではないだろうか。そしてそれを、日数を数える道具としても使い、イスの下に溜めこんだ、と。
その推測を肯定するように、ルビーブラッドは恥いるように背を丸める。
「え、あ、見ちゃいけないことでしたかっ!?」
「………………女々しいだろう。来るとも分からないのに」
シシィは首を横に振って否定した。来るとも分からないものを、ずっと待つことができるから強いと、優しいのだと、なぜ気付かないのだろう。
ぎゅ、と手を握りしめると手の中にアステールの感触を覚えた。
――そう、いえば。
「あ、ああ、あの私も渡すものがありまして!!」
「?」
ゆっくりと顔をあげるルビーブラッドを横目に、シシィは持っていたドレスによく似合う小さなバックから、手のひらに収まりきるサイズの白い紙袋を取り出す。
それは以前、ルビーブラッドにお礼をしたくて町の洋服屋に置かれた雑貨を見て購入したもの。シシィはその小さな袋を、彼の前に差し出した。
「こ、ここ、これを」
「……何だ?」
「あ、開けてみてください」
シシィに言われるまま、紙袋を受け取ったルビーブラッドは丁寧に包装のリボンをほどくと袋の中に入っているものを滑らせるように手のひらへ落とした。
ルビーブラッドの手の中で夕日に照らされて、それは輝く。
「……U?」
「ば、馬蹄をモチーフにしたチャームなんです。旅のお守りなので、る、ルビーブラッドさんは世界を旅する人なのでちょうどいいか、と思ったんです……け、ど」
「………………」
「い、いい、今までいろいろ迷惑をかけましたし、お礼もしそびれていたので、でも、かか、かさばらない方がよいかと思って、ですね、あの、ともかく……ずっと、ガーデンで待っていてくれたんだって分かったときは、心強かったんでしゅ!」
――ああっ、噛んだ!
ルビーブラッドの呆然とした表情が見るに堪えれず、シシィは慌てて眼下に広がる町の景色へ視線を逃がした。せっかく勇気をだして言ったのに、噛んでしまっては格好がつかない。
決して夕日を浴びているせいだけではない、赤く染まった頬を、アステールを持っていない方の手を当てて冷やしながら、シシィが人ごみを眺めていると、ぽつり、と低い声が聞こえてきた。
「……そうか」
その声に惹かれるように、シシィの視線はルビーブラッドに戻る。
彼は手の中にある、シシィから贈られたチャームを見つめていて、不意に顔をあげ。
「――確かに、心強い」
夕暮れの中、少年のようにシシィへ微笑んで見せた。
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