――泣くことって、できるかな……。
 屋根から降りて、裏路地から大通りに出ようとしたシシィとルビーブラッドだったが、その大通りの光景に思わず足を止めてしまった。

「好きだーーーー!」
「ぎゃああー!」
「結婚してー!」
「いやーー!」
「愛してるーー!」
「うぉぉぉ!」

 叫びの言葉は、愛を告げる言葉か悲鳴。
 シシィとルビーブラッドの懸念は見事的中し、町中のいたるところで追いかけっこが展開されていた。追いかける者の目はとろんとしていて正気を失っており、逃げる方は愛を告げる異性の多さに怯えた表情で逃げまどう。
 ――やってくれたよ、お母さん……!
 今回ばかりは身内がやらかしてしまった出来事なので、他人事ではない。しかしこの中から母一人を見つけ出すのはかなり骨が折れそうなことで、シシィは頭を抱えて少しばかり母を恨んだ。
 それを横目で見ながら、ルビーブラッドは額に当てていた布を外し、シシィに言う。

「現実を見ろ」
「うっ」
「あの効果は、解除しないと一生続く」
「え、ええっ!そ、それは駄目です!」
「だろう。やるぞ」
「は、はい!」

 大通りに足を踏み出したルビーブラッドに続き、シシィも勇気を持って一歩を踏み出す。とりあえずの目的地は、ドレスに着替えている最中に聞いた、両親が泊まっている宿屋だ。朝早くからシシィに会わなければいけなかった2人は、昨日から宿に泊まっていたらしい。
 ――う、わ、わかってる、けど……!
 進まなければ、と思うシシィの心に逆らうように、町の中は人込みでただでさえ人が多いのに加えてパニックでごたついているので、人に押されてなかなか体が進まない。一方先を行くルビーブラッドは体が大きいので、少々押されても体が流されるこ
 とはなく、シシィよりは楽に進めるようだ。
 ――い、いいなぁ……。
 このときほど、体の大きいルビーブラッドを羨ましく思ったことはない。

「うぐっ、すみませ……通して……いたっ!あわわ、わわっ!」

 ――ダメだ、人ごみに流される。
 背の高いルビーブラッドも、今日だけは人々がかぶる帽子やきぐるみの頭などで見つけにくい。完璧に見失ってしまえばアウトだ。

「る、るる、ルビーブラッドさ……うぐぐっ」

 呼びかけてもみるが、やはり声は届かない。シシィは置いて行かれないように必死に人ごみの流れに逆らうが、流れに逆らうということはかなりキツイ。そもそもそんなに体力もないシシィは、あっという間にルビーブラッドとはぐれそうになり、それに間一髪のところで気がついたルビーブラッドが来た道を引き返してきてくれた。

「……大丈夫か」
「だ、大丈夫です!これからは、ちゃんと、ついていき、いきますっ!」
「……聞こえん」
「は?」

 ルビーブラッドの「聞こえない」という言葉をきちんと聞きとったシシィは、頭の中がクエスチョンでいっぱいになる。ルビーブラッドの声が聞こえたということは、それ以上に大きな声でしゃべっている自分の声も聞こえているはずなのだ。しかし彼は聞こえない、と言いながら自分の耳を撫でたあとシシィの腕をとり、強引に人込みをかきわけて路地裏に再び戻った。
大通りは賑わっていても、細い裏路地は別世界のように静かで誰もいない。ルビーブラッドは大通りに背を向けるようにして立ち、腕を引っ張っていたシシィを自分の前に誘導させた。

「……あの混雑の中、誰かを探して動くのはやはり無理だ」
「あ、あの、今度は足手まといにならないよう、が、がんばりますから……っ!」
「そういうことを言っているんじゃない」

 ルビーブラッドは軽くため息をつきながら、首を横に振る。

「あの混雑の中歩いて行っていたら、かなりの時間がかかる。それでいて、宿に両親がいないとなってみろ、目も当てられん」
「うあっ!」

 ――そ、そうか、そういうこともあるんだ。
 宿に両親がいること前提で動いていたが、確かにいないことも考えられる、というよりいないことのほうが可能性としては大きいだろう。彼らはシシィのドレスを届けに来たのもあるが、もともとは祭りに参加しに来たのだ。
 シシィは頭を抱え、さすがのルビーブラッドも手詰まりだと言わんばかりに空を仰ぐ。
 ――せめて、今日がお祭りじゃなかったら。
 それならば、両親も大人しく家にいたことだろう。
 ――あ、お父さんは仕事でいなかったかも……。
 と、考えたところで。

「ああ!」
「どうした」
「お、お父さんの魔力を見つければいいんですよ!」
「……父親は、魔法関係者なのか」
「はい!魔法使いなんです!!」

 最近まで、マジシャンだとばかり思っていたが。
 それは(身内の恥なので)あえて黙っておくことにして、シシィは早速父の魔力を探すことにした。父、コーファの魔力は、色で言うならあたたかみのある黄色。ブレックファーストのように極端に低いわけでもないので、遠くからでも探すことはできる。
 目を閉じて、集中するシシィを邪魔しないようにルビーブラッドは一歩シシィの前から遠ざかり、成り行きを見守る。

「…………」

 暗い湖の底の底を行くイメージ。
 そこには――。

「あ、あれっ!?」

 ――色が、ない。
 いや、正確には色んなところで魔力を感じるが、すべて知らない魔力だ。おそらく、今日は大きな祭りなので街の外、もしかすると外国からでも魔術師などがきているのかもしれない。
 もう一度、より深く集中をして探ってみるも、やはり父の魔力を見つけることは出来なかった。

「……大丈夫か」
「る、るる、ルビーブラッドさ、ど、どうしましょう……!お、お父さんの魔力が、見つからなくて」
「……シシィ、今の限界は?」

 限界、と問われて、シシィは涙目でルビーブラッドを見返す。

「げ、限界?」
「個人で魔力を探れる範囲は違う。限界はどれくらいだ」
「え、えっと……」

 ――ど、どうしよう、知らない……。
 今まで魔力は、本人を目の前にして探ることが多かった。遠いところから探ったのはアンティークキーを無くしたときくらいなもので、あのときの距離がだいたい300メートルくらいだろう。
 ――で、でも、それが限界なのか、分からない……。
 言いよどみ、目に涙をいっぱい溜めるシシィを見て、ルビーブラッドは静かに言う。

「……そのうち計測しておけ。限界は知っておく必要がある」
「は、はい……」
「それに、お前の父親が眠っている可能性もある。眠っている人物の魔力を探るのは熟練の魔術師でもかなり難しい」

 しょんぼりと、肩を落とすシシィにルビーブラッドは彼なりのフォローをいれるが、シシィは情けなさから顔をうつむけたままあげることができなかった。
 ――役に、立ててない……。
 アンティークキーを無くした時も、今回も、全部自分がまいた種なのに、ルビーブラッドを巻き込むだけ巻き込んで、彼に全部頼ってしまっている。それが申し訳なくて情けなくて、シシィはさらに首を垂れた。
 そもそも、『ルビーブラッド』の役に立とうという考えこそがお門違いかもしれないが、頼りっぱなしで彼に負担をかけさせることこそ、お門違い。
 ――せめて、探索が得意だったらなぁ……。
 不謹慎ながら嗅覚の鋭いルウスが、羨ましくなる。あの姿ならば嗅覚は半端じゃなくよくなって、母の匂いでも探すことができるだろう。

「………………」

 ――犬の、姿。
 シシィはハッ、として、目の前にいるルビーブラッドを正視する。
 ――犬の姿になれば、見つかるかもしれない。
 けれどシシィは犬になる、変化するような魔術は知らず、それをかけてもらうならルビーブラッド以外にいない。
 ――犬、に。
 ドッドッ、と心臓が早鐘のように脈打つ。
 ――ルウスさんにかけたように、私も、ルビーブラッドさんに。
 なんとも言えない複雑な思いだった。もしブレックファーストの仮説が正しかったとしても、ルビーブラッドは事実としてルウスを犬に変えている。
 彼が悪いのでも、ルウスが悪いのでもない。ただ、複雑なのだ。

 ――でも、やれるのは私だけだ…!

「何だ」
「あ、ああ、あ、あ、の、い、ぬに」
「……犬?」

「私を、犬にしてくれませんかっ!?」

 ――言った。
 背中に冷や汗を感じながら、シシィは訝しげな表情をするルビーブラッドと真正面から向き合った。もう、この方法にかけるしかないのだ。
 限界が分からないまま魔力を探っていても、それは街の中で歩いて両親を探すのと変わりないほど不確かなのは目に見えて分かっている。かといって、ルビーブラッドに探索してもらったとしても、今日は祭りなので魔法関係者がいっぱいいるようなので、どれが父なのか彼には分からないだろう。
 そして、両親の匂いを知らないルビーブラッドが犬になっても仕方ない。
 やれるのはシシィだけで、その薬を作ることができるのはルビーブラッドのみ。
 そのことは、ルビーブラッドも重々分かっている様子で、考えるようにシシィから目を逸らし、あごを撫でた後、再びシシィを視線を合わす。

「……できるが、道具と材料がいる」
「ざ、材料は……?」
「フラックチュート、コルボンラッセ、ドルドゴルフォ、レイレ、アンアトーナ、フォルボ草、ワイアンセ草、グロコラッセ花とそのつぼみに葉と根、あとはオブシディアン」

 ――ひ、一つとして分からない。
 やはり姿を変える魔術は上級らしい。でなければそんなに材料がいるわけがない。

「ちょ、ちょっと分かりません……でも、あ、あの、まだ私が名前を知らない材料とか、おばあちゃ……祖母が作り置きしておいたらしい魔法薬もたくさんあるので、その中に材料があるかもしれないです」
「……行ってみなければ分からないということか」

 ルビーブラッドは一瞬渋い顔をしたが、緊急事態と割り切ることにしたらしく、ロッドをその手に呼び出した。

「コート、掴んでおけ」
「は、はい」

 シシィがルビーブラッドの着ている黒いコートの端を掴んだのを確認すると、彼はロッドを掲げて呪文を詠唱する。

『イオス 誇り高き二藍(ふたあい)のかわひらこよ 妖艶な羽と神秘の羽 我は奇怪の扉を開く者 浮き世に囚われず汝の力を望む』

 足もとに魔法陣が浮かび上がり、紫色の微弱な光がルビーブラッドとシシィを包む。
 まず足から透けていって、透けていく部分から別の場所に移っているような気分を味わうのと同時に、体が軽いとも感じる、不思議な感覚だ。
 慣れない感覚にシシィが目をつむると、その瞬間一気に体が浮いた感覚になり。
 そして、一気に高い所から落ちたような感覚がシシィを襲う。

「ひぎゃ!」
「ついたぞ」

 ルビーブラッドにそう言われ、情けなくも腰から下が力の抜けた状態でシシィが目を開けて周りを見てみると、確かにすでにシシィの家の前だった。小高い丘の上にあるシシィの家は町の喧騒から離れるため、辺りは静かだ。
 コートから手を離したシシィは、腰の抜けた状態でありながらもフラフラとキッチンの勝手口の扉に手をかけ、持っていたバッグからアンティークキーを取り出し、鍵穴に入れて――止まった。
 ――だ、だだ、大丈夫っ、ルウスさんは朝一緒に、私と家を出たんだしっ!
 不意にルウスがいるんじゃないか、と心配になって止まったシシィだったがすぐにルウスがいないことを思い出し、安心して家の扉を開けた。

「調合室は?」
「に、2階です」

 慌ただしく家の中に入り、キッチン、ダイニング、リビングと抜けて廊下に入ったところでシシィは奥の突き当り右にある階段を指差す。

「あの階段を上った部屋がそうです」
「……どこにある?」
「え?」

 ルビーブラッドに問われて、シシィは思わず立ち止まった。
 ――もしかして、見えてない……?

「え、あ、あれ?」
「魔術なら、お前が許可さえすれば俺にも見えるようになる」
「きょ、許可っ」

 許可と言われても、と戸惑いつつ、シシィは家じゅうに張り巡らされている祖母から受け継いだ魔術に呼びかけてみる。
 ――ど、どうかルビーブラッドさんにも見えるようにしてください!
 これは許可というよりお願いかもしれない。

「――よし、見えた」

 隣でルビーブラッドがつぶやいたのを確認して、シシィはとりあえずホッと安堵する。
 自分の家に張り巡らされている魔術はシシィ自身がかけたのではなく、祖母がかけていたものをそのまま受け継いだだけなので、仕組みを理解できていない。が、自分の家にある魔術くらいは操れないと、さすがにかっこ悪いだろう。
 なので密かに緊張していたシシィは、成功したことで冷や汗を拭いつつ、急な階段を上って祖母の隠し部屋にルビーブラッドを案内した。

「こ、ここがいつも魔術薬を作るところです」
「材料は」
「えっと、こっちの棚に……」

 階段を上がって、すぐ右側にある棚を開けて、ルビーブラッドに中身を見せる。シシィが調合した魔術薬も混じっているが、それよりも祖母が調合したらしい魔術薬の方がまだ多い。上級の魔術薬になるとさっぱり分からないので、ルビーブラッドに判断をゆだねると、彼は大量の魔術薬の中からヒョイヒョイといくつか手に持った。

「あ、ありました……?」
「幸運なことに魔術薬はそろってるが……」

 ルビーブラッドは手の中にある魔術薬を見たあと、シシィを見つめる。

「いいのか。遺品だろう」

 ――ああ。
 その言葉にシシィは泣きそうになって、慌てて微笑みを形作る。
 泣きそうになったのは、祖母の残した魔術薬が使われることではなく、そんなところにまで気を使ってくれるルビーブラッドが優しかったからだ。

「……このまま、眠らせておくより、使われた方が祖母も喜ぶと思います」
「シシィは」
「私も、そっちのほうが嬉しいです。ちゃんと、扱ってくれる人に扱ってもらった方が、とても嬉しいです」
「……そうか」

 ――こういうところが、一流なんだろうなぁ……。
 せっぱつまっている状況のはずなのに、気遣いを忘れない。それはシシィが依頼人に対してそうでありたいと思っている姿で、ますます彼はシシィの中で目標で憧れの人物となる。
 一方ルビーブラッドは、魔術薬でなく材料の方を見てみて、そこからもいくつか葉や根などを拾っていった。

「……全部、揃っている」
「よ、よかったです!」
「作る。机と道具を借りるぞ」
「あ、はい」

 材料を一揃い机の上に並べたあと、ルビーブラッドは机の上を一通り見渡して、首を傾げながら背後にいるシシィを振り返る。

「……ビーカーやフラスコは」
「え、あの、そこに」

 シシィが指さす先、机の上には確かにビーかもフラスコも試験管も、魔術に要るものすべてが一通りそろっている。が、ルビーブラッドはそれらを無言で見つめたあと、材料のひとつである花のつぼみを見せながら、シシィにもう一度言う。

「材料を正しく計るのに、目盛のついたものや、計量器が欲しいんだが……」
「…………………………あ、あー!」

 そういうことか、としばらくたってからシシィはようやく事態を飲み込み、慌てて棚からほこりをかぶるほど使っていない目盛つきのビーカーやフラスコ、試験管、計量器などをルビーブラッドの前に差し出した。
 その一連の様子を不思議そうに眺めていたルビーブラッドは、何か訊きたそうな表情だったが、あえてその質問は見送ることにしたらしく黙ってそれらの器具を受け取った。

「あ、あの、ルビーブラッドさんの調合、見ててもいいですかっ」
「……」

 シシィの質問にルビーブラッドは黙って彼女の頭を撫でて、自分の隣を指示した。シシィは撫でられた頭を不思議に思いながらも、大人しくルビーブラッドの隣で調合を見学する。
 ――ひ、人の調合を見るのって初めて……。

「始めるぞ」
「はい!」

 一流と名高いルビーブラッドの調合を見られるということで、シシィは真剣なまなざしでもって、ルビーブラッドの動かす手に神経を集中させた。