銀色の髪に、瞳。人形のように整った面立ちは、ベッドで眠る女性とよく似ていて、彼女の幼いころの面立ちを見ているようだった。
ベッド近くで姉である女性を見つめる少女を観察しながら、シシィも少女と対面するようにイスを置き、そこに座っていつ話を切り出そうか、と迷っていた。足元に座るルウスは「これ以上首を突っ込むのはやめろ」と言わんばかりに厳しい視線を送ってくるが、シシィとしても引けなかった。
――どうして、眠りにつかなくちゃダメだったの?
それが分からなければ、諦めることも出来ない。
だからこそ、こうして部屋の中に少女を招き入れて対面している。
「――ねぇ、お姉様は治るかしら」
少女に問われて、シシィは身体を固くした。
――聞かなくちゃ。
「……あ、の……。お姉さん、は、何か悲しい出来事に遭ったのですか……?」
「……」
少女の視線は女性からシシィに移る。表情はなく、美しい彼女が笑みを浮かべていないと本当に人形のようで、シシィは内心恐ろしく思った。この少女の美しさは、ヴィトランとはまた違う。ヴィトランはあくまでも人間的で生きている美しさだが、彼女は無機質で人形のような美しさ。どこか冷たさを感じるのだ。
「どうして?」
「あ……の、それ、は」
じ、と見つめられて怯んだシシィを見て、少女はやっと微笑みを浮かべる。嘲笑ではなく、彼女なりにあたたかみのある笑みだった。
「遭ったわ」
気づいたのね、とでもいうようなふうで少女はシシィに言う。
「ねぇ、この家はとても冷たいでしょう」
「え……」
「冷たくて当たり前なのよ。家を継ぐのには男が必要だったのに、生まれてきたのは姉と私で女ばかり。父は母に冷たく当たって、母は私たちに冷たかったわ」
幸福な思い出を語るような笑みで、少女は冷たい現実を語る。
その表情を見てシシィは――泣きたく、なった。
「お姉様には恋人がいたの。けれど家柄がつりあわなかったのよ」
「い、えがらなんて、今の時代に……」
「特定の家にはまだあるのよ。むしろ普通よ。だからこの家も例外なく、お父様は怒ったわ」
「無理矢理……別れさせてしまった、んですか……」
それならば悲しいだろう。シシィはまだそういう体験をしたことがないので分からないが、きっと身を引き裂かれるような思いに違いないはずだ。相手も思っていてくれたなら尚更に。
しかし少女は首を横に振った。
「そんな、ロマンチックな話だったら良かったのにね」
「――?」
「お姉様の恋人は、喜んで別れたの。支払われたお金を持って、別の女性と知らないどこかへ行ってしまったわ」
――そんな、酷い……!
それならばまだ、愛し合っているのに引き裂かれた話のほうが幸せに思えた。引き裂かれても、気持ちは同じなのだから。
けれど、少女の姉の場合は違う。愛する人と引き裂かれたうえ、その愛する人は自分のことを愛していなかったに等しいのだ。
「お父様はその後すぐに、お姉様に婚約者を決めたけれど、そんなの無理よ。だって愛する人に裏切られて愛も信じられないのに、誰が愛してもない男性と結婚できると思う?」
そして彼女は――耐え切れなくなったのだろう。
悲しみに絶望に、押し潰されそうになって。
「ある日、お姉様は私にだけ言ってくれたの。私はこれから悲しみを癒すために眠り続けるって。死にたくもないけど生きたくもないという思いを変えるために、とある人から不思議な薬を貰ったって」
魔術師に、頼ったのだ。
彼女がどうやって魔術師の存在を知ったのかは定かではないが、得体も知れない魔術師などというものを頼らなければいけないくらいに、彼女は弱り果てていたのだろう。シシィのもとにやってきた、依頼人たちのように。
シシィはスカートを握り締めながら、視線を足元に落とす。
「……やりきれ、ません……」
「……貴女、いい人ね」
ぼんやりとシシィが顔を上げると、少女は寂しそうに微笑みながら肩までしかない髪の毛をくるくると手でいじっていた。その動作はとても幼く見える。
「私の中で、闇色ハットさんは2番目にいい人よ」
「2番目……」
「そう。安心して、いい人には貴女も含めて2人しか会ったことがないの」
その言葉に、シシィは思わず口から言葉が滑って出てしまった。
「――貴女は、今、幸せ……?」
少女は髪をいじる手を止めて、シシィと視線を合わせる。
美しい銀色の瞳に、よどみは見つからない。
「私、来月結婚するの。お婿さんが来るのよ」
「――それ、は、」
「大丈夫、好きな人と一緒にいられるわ」
少女の幸せそうな微笑みを見て、シシィはホッ、と安堵のため息をついた。もしかすると姉の代わりに婿を無理矢理取らされるのではないか、と一瞬考えたのだが、彼女の場合は好きな男性と一緒になれるようだ。
――でも、どうして、だろう……。
「……私、お姉様を診に来てくれた魔術師が、闇色ハットさんでよかった」
その微笑みは、どこか儚げに見えた。
********
シシィは、ますます厚くなった空の雲を窓から見つめる。
灰色の空は今にも泣き出しそうであり、シシィの今の心境を如実に現しているかのようだった。
廊下に敷かれた高そうなじゅうたんにため息を落とし、シシィは足元にいるルウスの帽子を眺めてから、反対の右側に置いてあるトランクを見つめた。
少女の話を聞いてから、ずいぶんとシシィは悩んだ。依頼は女性を起こすことであり、それは出来るが、女性にとって起こすことが最善の策だとはとても言えない。
けれど悲しみが癒えるまでの時間を待つのは、辛い時間だ。
どうにか他の方法はないかと調べてみたし、もしかすると他の魔術薬ではないのだろうかと調べてもみたが、結果は変わらずシシィは選択を強いられたのだった。
依頼を続行するか、辞退するか。
――この依頼は、続行できない。
そう結論付けたときには、すでに時刻は午後4時を回っていた。依頼を辞退するとこの家の主人と奥方に報告に行くのは怖かったが、このままグズグズしているとまた泊まることになってしまう、というルウスの提案でシシィは勇気を出して今、主人とその奥方がいる部屋の前に立っていた。事前に使用人に話がしたいと伝えておいてもらったのだ。
「大丈夫大丈夫、言える言える……言う……」
呪文のようにつぶやいてから、シシィはコンコンとドアを軽くノックした。
部屋の中から「どうぞ」という声が聞こえて、シシィはルウスとトランクを伴って「失礼します」とドアを開けて部屋の中に入った。
「おお、闇色ハット様!どうなさいました、娘はどのような様子で?」
幾何学的な模様のじゅうたんに、薄く淡い紫色の壁紙、モダン的な家具。上からシャンデリアが吊り下がる広い部屋の中央には、黒い皮のソファが2つローテーブルを挟むようにして置かれていた。
そのソファに座っていた、恰幅の良い男――この家の主人はシシィの姿を視界に入れると微笑みながら立ち上がって近くまで歩み寄ってきた。主人の隣に座っていた奥方は立ち上がりはしたものの、シシィのそばまでは近づかない。
そのことは特に気にせず、シシィはペコリと男に向かって頭を下げた。
「――お詫びに、きました」
「詫び?」
シシィはごくり、とつばを飲み込む。それと同時に恐怖も必死に飲み込んだ。
「お、嬢さんの眠りは……解くことは、不可能、です」
そこまで言って、シシィは頭を上げて主人の目を見ながら説明する。
「お嬢さんは、悲しみを癒すために眠っています。今起こしても彼女の悲しみは癒されていないんです。だから、お辛いとは思いますが」
「起こすことは、できないんですか」
「いえ、解除法はあります……。でも、それをしてもお嬢さんの悲しみは」
「起こしてください」
――え……?
シシィは信じられない気持ちで、目の前にいる男を見つめた。
「アレには、待たせている婚約者がいますので。一応下の娘も結婚させますが、家を継がせるならやはり長女の婿の方がいいんですよ。金ならいくらでも払いましょう」
これくらいならいかがです、と目の前でシシィにとってはとんでもない金額を提示する男を呆然としながらシシィは見つめ、クラリとめまいを覚えた。
――気持ち、悪い。
その後方にいる奥方も見てみたが、彼女も特に表情は変わらない。止める素振りすらもなかった。
「……いくら、支払われても、私は彼女を起こしません」
「もう少し高くですかね」
「違います……っどんな金額を提示されても、目覚めさせません!!」
「では、いくらなら?」
――言葉が、通じない。
シシィは愕然としながら男と、その後ろにいる女を見る。どんなに真摯な言葉も彼らには届かない。何故自分の娘が眠ってしまったのかすらも、きっと真実を教えても分かってくれないだろう。
シシィは肺の中に鉛が溜まっていくような気分を覚え、胸を押さえた。
――家族、なのに、なんでこんなに……っ!
「闇色ハット様!!」
その声にシシィが背後を振り返り、開いたままだったドアから顔を覗かせると、廊下の向こうから昨日の夜シシィを脅したはずの青年が走ってきている。
「闇色ハット様……お嬢さまが、眠られて起きないんです!」
「それは、彼女を起こすことはしてないですから……」
「そのお嬢さまのご令妹がです!!」
――あの、子が?
考える前にトランクを引っつかみ、シシィは青年に向かって走り出した。彼はそれを見ると足を止めて、シシィの道案内のために来た道を引き返す。
ルウスもそれに続き、さらに遅れて主人と奥方も続いた。
長い廊下を走り、階段を上がってさらに走って、ようやく部屋にたどり着く。
「――――――っ」
かわいらしい、部屋だった。真っ白な家具にはレースがかけられていて、じゅうたんは淡いピンク、壁紙は花柄。少女らしい部屋であることから、ここがあの少女の部屋であることは容易に推測できる。
人形のような美しさを持つ彼女に、よく似合った部屋。
「……そ、んな」
ベッドの上で仰向けに倒れこんだように眠る彼女を、弱く青い光が覆っていて。
「ど、して……!」
シシィはフラフラと倒れそうになりながらも、少女の眠るベッドへと近づいた。
ベッドの上には魔術薬が入っていたと思われる、ガラスの小ビンが転がっている。
――眠ってる、本当に。
あの女性と全く一緒で、青い光をまといながら、悲しみを癒すように。
――悲しみ、を?何が悲しかったの……どうやって、魔術薬を……。
何が悲しかったのかは分からないが、魔術薬の入手経路は考えてすぐに分かった。
彼女は唯一姉から魔術師に会ったと告げられている。そのときに、姉が魔術師の住んでいる場所なども教えていれば、魔術師に会うことは出来るだろう。
「なんてことだ……」
後方から聞こえた声に、シシィがゆっくり振り返ると、ちょうど少女の両親がドアのそばにいた青年を押しのけて入ってくるところだった。
ルウスは素早くシシィのそばに駆けよって来て厳しい目で彼らを見るが、シシィのほうは哀れみの表情を浮かべながら、主人と奥方に近づいていった。
――言って、あげなく、ちゃ……。
「……彼女、もお姉さんと、一緒の、症状で……す」
絞るような声で、やっとの思いでシシィは彼らに伝える。
しかし。
「――使えん小娘がっ!!」
興奮したように、鼻息を荒くしながら男はシシィに向かって叫んだ。
「お前のような庶民の小娘を呼んで、チヤホヤしてやったのはアレを治すためだぞ!治すどころか大事な予備まで眠らせてしまいおって……!役立たずが!」
「――――――っ」
「そもそも……っお前が!女ばかり産むからだ!!」
「いやぁぁ!」
「あぶな……っ!!」
男がそばにあった机の上からグラスを掴み、そばにいた自分の妻に投げつけようとしたのを見て、シシィは彼女を守るように飛び出して体を押した。勢いでシシィも彼女と一緒に床へ転げたが、グラスは誰もいない空間を通りじゅうたんの上で砕けた。
当たらなかったことに安堵し、シシィが彼女に怪我がないか確かめようと身体に触れた瞬間、
「触らないで汚らわしい!!」
誰でもないその彼女に手を振り払われて、呆然とする。
呆然として――ぐらり、と世界が揺れた。
――いた、い。
シシィは痛みから胸に手を当てたが、それとは別のことに気がつく。
――ルビーブラッドさんからもらったペンダントが、熱い……!
魔力が高まっていて、後少ししたら発動して――強烈な眠気が襲うだろう。シシィの異変に気付いたのか、彼がガーデンに来い、と呼んでいるのが分かった。
――ダメ。ダメです、嫌です、ルビーブラッドさん……!今は、ダメ……っ!!
必死でその魔力を拒むと、熱が収まっていくのを感じてシシィは安堵する。
しかしそれで、現状がよくなったわけでもない。
「だから嫌だったのよ、魔術師なんて訳の分からないオカルトを呼ぶなんて!全部貴方のせいじゃないの!」
「私のせいじゃない、女ばかりを産んだお前の責任だ!だからこんなペテン師に頼らざるを得なく……」
「黙れ」
怒気を孕んだ声。
いつもそばにあって、けれど人前では聞けないその声をシシィはよく知っていた。
「それが、貴方たちの礼儀か。それならば、この家の高が知れる」
「ル、ウス、さ」
ルウスが、しゃべっている。
人前で、それも一般人の前で。
普段なら絶対にしないことをするくらい、ルウスは激怒していた。
「彼女に感謝することはあっても、けなすなど……恥を知れ!」
「な、な……っ!これもお前のペテンか!出て行け悪魔どもが!疫病神め!か、金は一切払わんからな!絶対に払わんぞ!!」
シシィは――ダメだ、と思った。
唇を噛みしめながら黙ってトランクを拾い、ルウスに目で合図を送るとビクビクして腰を抜かしてしまっている夫婦と、さきほどから立ちっぱなしでいる青年を視界に入れないようにして、シシィはその部屋から出た。
何事かと集まってきていた使用人たちの波を押しのけつつ来た道を戻り、広いエントランスに出る。大きな玄関扉を引いて開いた。
「闇色ハット様……!」
ゆっくりと振り返ると、玄関に向かってきていたのはシシィを嫌っていたはずの青年で、そのことにシシィは鈍く驚いた。その手には膨らんだ麻の小袋を持っており、彼はシシィのそばまで来ると彼女にその小袋を持たせる。
「報酬です」
「……な……?」
「私からです。貴女のような優しい方を、巻き込みたくなかったのに、巻き込んでしまったお詫びも……お受け取りください」
その一言で、シシィはすべてを察した。
――だから冷たい態度をとって、帰そうと……。
青年の今までの態度の意味が分かっても、それとこれとは別で、むしろだからこそずっしりとその小袋は重く感じて、シシィは受け取れないと首を横に振る。
依頼は成功していない。最悪の形で、失敗した。
「お受け取りください……貴女は、私と、私の愛しい人の望みを叶えてくださった」
「いと……」
「たった今、眠ってしまった彼女の」
青年は、寂しく微笑む。
「そばにいてくださると、あの方は誓ってくれた。彼女が眠っている間だけは、私はあの方のおそばにいられる」
彼は姉のほうではなく、妹のことを言っている。
――ああ。
あの少女も言っていたのに、とシシィは今更になって――理解する。
『私の中で、闇色ハットさんは2番目にいい人よ』
『大丈夫、好きな人と一緒にいられるわ』
――1番目は、彼で。眠っても、私が解除しないと、分かった、から。
「……ありがとうございました、闇色ハット様。彼女も、彼女の姉も、貴女のおかげで幸福だけを抱くために眠っていられる」
切なくて、悲しくて、辛くて、苦しくて、泣きたくなるような彼の笑みを。
一生忘れないだろう、とシシィは思った。
一生、忘れられない、と思った。
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