望んだのです。
 だから、壊さないで。

 幸福は今、胸に抱えているの。





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 図書館のカウンター……に、座っているのではなく、図書館の中でもシシィは珍しく絵本を並べた本棚で、とある本を探していた。
 ふと、思いついたことがある。
 ――ガーデンの絵本は、どこ?
 ルビーブラッドの魔術の中で見る夢、そこは確かにシシィが昔、祖母に読んでもらった絵本の中のガーデンそのままだ。祖母が気に入っていたその絵本は、この図書館の蔵書だったと記憶しているのだがどんなタイトルだったかは忘れてしまったし、話も覚えていない。ただ、絵だけを覚えているだけだ。
 ――けど、絵本なら。絵だけでも見つけられると思ったのに……。
 図書館を開けた朝から、ずっと昼過ぎの今まで探しているわけなのだが、一向にこれだ!と思う絵本に当たらない。

「やっぱり、絵だけで探そうなんて無謀ですよシシィさん」
「……うーん……」

 グイグイ、とスカートのすそを引っぱるルウスを見ながら、悔しくもそれが正しいか、とシシィは思い直す。何せこの図書館、2階もあるほど大きな図書館で、個人が所有しているにしてはありえない広さだろう。
 そんな広い図書館で、名前も分からない絵のみを頼りに本を探すのは困難。
 シシィは手にしていた絵本を閉じて棚に戻し、はぁ、とため息をついた。

「そもそも、何でいきなり思い出の絵本を探そうと?」
「え、あ、それは」

 ――今日、夢の中のガーデンに行って、ふと思ったんだよね……。
 相変わらずルビーブラッドのいないガーデンを見渡したとき、ふと思ったのだ。このガーデンの絵本をもう一度読みたいと。

「夢で、見て、思い出してですね。久しぶりに読みたいなぁ、なんて……」
「なるほど」

 嘘はついていない、断じて嘘は。
 なんだか最近隠し事ばかりしている気がする、とシシィは心の中で少し涙ぐみながら絵本の並べてある棚の前から移動しようとしたが、再度未練がましく棚を視界に入れる。諦めきれない以上、また探してみるつもりだ。

「――あれ?」

 そこで、シシィはとあることに気がついた。
 ――この本棚、魔力の気配がする。
 そう気づいて図書館内を探ってみると、なんと図書館内は魔力の気配でいっぱいであり、シシィは思わず固まった。
 ――な、何で?
 しかもその魔力、今は亡き祖母の魔力のようで、その彼女の魔力があちらこちらに散らばって残っており、今までまったく気がついていなかったシシィは困惑する。
 祖母の魔力が残っているのは、自宅だけだと思い込んでいたが、実際はこの図書館の方が魔力の気配が濃いようだ。
 そしてさらに。
 ――ん?
 自分の魔力の、気配もするのだ。
 それも、図書館のロビーの方に。
 しかしそんな場所で魔術を使った覚えはなかったし、そもそもこの魔力の気配が何を意味するのかシシィには分からない。

「シシィさん?」
「………………」

 ルウスに分かるかどうかは知らないが、一応聞いてみたほうがいいだろう。
 そう思って、シシィがこちらを見上げてくるルウスに尋ねようと口を開いたとき。

「どなたか、おられませんか」

 と、いう声が入り口の方から聞こえてきた。
 ルウスと視線を交わしたあと、シシィは棚の影から顔を出して入り口を確かめる。
 そこには確かに人――大変身なりの良さそうな青年がいて、キョロキョロと辺りを見渡していた。

「どなたか――」
「あの、御用でしょうか?」

 棚の影から姿を現したシシィを視界に捉えた青年は、シシィをじ、と観察するような目つきをしながら口を開く。

「闇色ハット、という魔術師はここに?」
「あ、はい。私ですが」

 その言葉に、青年は押し黙る。
 ――し、信じてもらえてない、のかな……。
 微妙に悲しい気持ちになりながらも、シシィは青年をよく見てみることにした。どうやら彼は依頼をしに来たらしいので、依頼人に傍目からでも分かる異常がないか確かめておくのは大切なことだ。
 ――でも、住んでる世界が違うというか。
 本当に身なりのいい青年で、黒い燕尾服風のジャケット、同じ色のベストとズボン、白いシャツ、どれをとっても仕立てがいいのがよく分かる。顔立ちは至って普通、あえて言うなれば少し凛々しめの顔立ちをしている。
 と、傍目から見て分かるのはこれくらいで、特に青年に変わった様子はない。
 声も普通に出ているようだし、もしかすると依頼内容は端からは分からない、身体の内面的な部分のことかな、とシシィが予測を立てていると、再び青年が口を開いた。

「失礼しました、予想以上にお若かったので」
「い、いえ」
「改めて闇色ハット様に、助けていただきたいことがございます」

 ――さ、様!
 なんともまぁ、堅苦しい人だ、とシシィは感じ、様まで付けられて固まったが、いつの間にそばに来ていたのか、ルウスにスカートのすそを引っぱられ、は、と我に返る。
 とにもかくにも、やりにくくはあるが依頼を聞かなければ始まらない。

「あ、で、では、読書スペースにどうぞ。依頼内容を……」
「いえ、お構いなく。私は説明と迎えにあがっただけです」
「む、迎え?」
「はい。外に馬車を用意しております」

 どういうことか、とシシィは思い詳しく訊こうとしたのだが、その前にルウスが彼女を守るように前に躍り出たので、シシィは思わず口を閉じた。
 ――どうしたんだろう、ルウスさん。
 彼がこんな反応をしてみせたのは、初めてである。もしかして青年が強盗だとでも言うのだろうか、という考えが一瞬頭をよぎったが、どう見ても身なりのいい彼を強盗だとは思えない。そもそもそんなことするような人物にも見えない。
 なら何故?というシシィの悩みなど知らぬように、青年は淡々と話を続けた。

「私が仕えさせていただいている家の、総領娘であられるお嬢様が原因不明の病に冒され、眠りから覚めぬ状況が早や1ヶ月も続いているのです」

 総領娘、というとその家の長女を指す。そういう言葉が出てくることと、お嬢さまという単語、それに青年の身なりから、彼はさぞ大きくやんごとなき家に仕えているのだろうということが分かる。
 ――それにしても、1ヶ月も眠りから覚めないって……。
 原因不明の病、と彼は言ったので相当な数の医者には診せたのだろう。それでもことごとく「分からない」と診断されたので、魔術師である自分にダメもとでも頼みに来たのだろうか、とシシィは難しい顔をしながら頬に手を当てた。
 ――本当に、それって魔術で治るのかなぁ……?
 現代の医学で治らない病気、というだけなら魔術では治らない。魔術と医療はまた別の分野であり、似ていることはあっても同じであることはない。
 と、そこでシシィは彼からBの紹介状を貰ってないことに気がついた。

「あの、紹介状は……」
「紹介状?依頼には紹介状が必要なのですか?」
「い、いえ。そんなことはないですが、めずらしいな、と」

 大抵シシィ――『闇色ハット』を頼ってくる人たちはBから魔術師の存在を知らされ、その彼女からの紹介状を持ってここに来る。
 しかしBの紹介状を持っていない、ということは、彼はBの仲介なしでここまで来たことになるのだが、何故『闇色ハット』を知りえたのかが分からない。
 ――ん?待って、おかしくは、ないかも。
 ブレックファーストが『闇色ハット』の名前を広めていたので、一般人と言えどもそのときに何かの拍子で耳に入ったということもあるかもしれない。

「闇色ハット様」
「ふぁい!?」

 深く考え込んでいたシシィは、いきなり名前を呼ばれて驚き飛び上がった、が、それは幸い青年に見られずに済んだ。
 彼が、ふかぶかとお辞儀をしていたからだ。

「どうか、お嬢さまを――お救いください」
「え、えっと……」

 ――自分に出来ることなら、助けてあげたい。
 そう思っているのだが、何せ先ほどから見上げてくる視線が痛い。
 ――何なんですか、ルウスさん。
 彼は真剣な表情で、先ほどからシシィを見ている。おそらく何か伝えたいのだろうが今は青年がいるため、何も言えないのだろう。だからこそ目で何かを訴えているよう
 だが、何を訴えているのかがよく分からない。
 完璧に悪循環。意味のないループ。
 ――小言は、後で聞くことにしよう。
 シシィは覚悟を決めた。

「分かりました、依頼をお受けします」

 ――そのとき、シシィは確かに感じた。

「……感謝いたします」

 青年の持つ空気が、暗く重くなったことと。
 そばにいるルウスが、ため息をついたことを。





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 今日の空は生憎の曇り模様で、空気は重い。
 重い。
 まさに今、この馬車の中も。

「……」
「……」
「……」

 馬車、と言ってもシシィが普段乗っているような乗合馬車ではなく、ちゃんと屋根がついて座席が設けられた、お金持ちが乗るような馬車だ。向かい合うように作られた座席で、進行方向に向かう座席に座っているのはシシィ、その横には大量に魔術書を詰め込んだトランクがあり、その下の床にはルウスが座り込んで向かい側に座る青年を見つめている。その青年は馬車に乗ってから微動だにせず、姿勢正しくシシィとも視線を合わさず座席に座っていた。
 ――き、気まずい……。
 シシィは密かに冷や汗を流しながら、耐えて馬車の窓から街の景色を眺めていた。
 彼の仕えている家は、一応街の中にあるらしいが少し遠いので馬車を用意したのだと、青年自身が教えてくれた。事実、もう30分は馬車に乗っている。
 ――そうやって、教えてくれるから悪い人ではなさそうなんだけど。
 何せ彼はとっつきにくい。行動一つ一つがきびきびしていて、ルビーブラッドとは全然違う怖さがある。
 ――ルウスさんも、ピリピリしてるし……。
 早く着け!と願っていたのが効いたのか、青年がピクリと身体を動かして窓の外の景色を見た後、馬車に乗ってから初めてシシィと視線を合わした。

「そろそろ到着いたします」
「え、あっ、はいっ!」

 それから5分ほどした後、馬車は止められた。
 不思議に思ってシシィが窓の外を見ると、前方には門と屋敷があり、それを騎手が馬車から降りて開けているところだった。開けられた門を馬車はくぐり、やっと屋敷の玄関前にたどり着く。
 青年は流れるような動作で扉を開けて地面に降り、す、と馬車の中で座ったままのシシィに手を差し伸べた。

「――へ?」
「……お手をどうぞ」
「え、あ、え、すすっ、すみません!」

 と、慌てて立ったので。

「いった!」

 ガン、と馬車の天井で頭を打ってしまい、シシィは悶絶しながら青年の手を借り馬車から地面に降りた。その際青年からどこか呆れられたような視線を受けたが、シシィはあえて気にしないことにする。気にしたら負けというより、悲しい。
 ルウスも続けて降りたので、トランクを取ろうとシシィは手を伸ばしたが先に青年にそのトランクを持たれてしまった。あわあわ、とどうしたらいいのか分からずオロオロするシシィを放って、青年は馬車の騎手に何事かを告げてから、玄関の扉の前まで歩み寄り、ドアノブに手をかけて動きを止めた。
 慌ててシシィは彼に続いてドアの前まで行き、身なりをきちんと整える。
 ――おっきい家……。
 改めて屋敷を見ると、とても大きい。白を貴重とした概観は見る者にある意味、威圧感を与えるほどだ。

「では、どうぞ闇色ハット様」
「う、あ、はいっ!」

 ギィ、と扉は開かれ。
 シシィは自分の目を疑った。

「……うわぁ……」

 エントランスは図書館のロビーほど広く、これが個人の家の玄関だとは思えない。
 ピカピカに光る白い床に、白い壁、天井には大きく豪奢なシャンデリアが吊られていて、あちらこちらに壺や絵画、彫刻などの美術品が飾られている。入って真正面に見える階段は広く大きく、色彩的には白が貴重とされている空間だ。
 ――ああ、服が。自分の服がみすぼらしい気がする……。
 この屋敷の中で一番みすぼらしいのは絶対自分だ、という変な確信を抱くシシィの隣に、ルウスは大人しく座った。慣れないところで、緊張しているのが分かってそばに来てくれたのか、と思ったが、険しい雰囲気を見るとそうでもなさそうだ。
 なんだかルウスは、この依頼を受けたことに賛成していないような気がする。
 ――何でだろう……変なルウスさん……。
 ふぅ、と高い天井を見上げたところで。

「……?」

 シシィは違和感を覚えた。
 天井に、ではなく、この家の空気、雰囲気にだ。
 ――なんだろう……青い、感じ。
 どこからか、空気の流れに乗って青いものが流れ込んできているような。
 シシィが違和感を不思議に思っている一方で、青年は扉を閉めると、シシィのトランクを持ったまま声を少々張りあげた。

「旦那様、奥様、闇色ハット様をお連れしました」

 その声がエントランスに響き渡ってから数十秒後、シシィから見て右側にあった白い扉がゆっくりと開かれる。
 現れたのは、大変恰幅の良い、口ひげを生やした身なりのいい中年男性と、きらびやかなドレスに身を包んだ、中年女性だった。
 彼らが青年の言う『旦那様』と『奥様』なのだろう。

「はっは、ようこそ闇色ハット様」
「あ、えっと、あ、は、初めまして!闇色ハットと申します!」

 ぺこり、とお辞儀をするシシィに、彼らはにこりと微笑んだ。

「まぁ、かわいらしいお嬢さんですこと」
「魔術師、というからどんなご老人が来るかと思いましたが、こんなにも若いお嬢さんだとは思っておりませんでしたよ」

 一般のイメージからすると、確かに魔術師と言われれば老人や、なんとなく男性をイメージしてしまうだろう。まさか自分のような小娘が来ると思っていなかったろうにと、少々気持ちが萎縮しながらシシィは視線だけを彼らの足元に落とした。
 こういう慣れない場所で、しかも自分とは縁のなさそうな生活を送っている人たちと話すのは、少し苦手だ。失礼のないように、とどうにも緊張する。

「それで、眠り続けているという、お嬢さんは……」
「ええ、まだ今も眠っております。色々なところから医者を呼び寄せてみたものの、誰もが首を傾げるばかりで使い物になりませんでして。これはもう、魔術師様におすがりするしかないと」

 ちらり、とシシィは足元に座っているルウスを盗み見るが、まだ機嫌は悪いようだ。
 ――って、いうか、アレ?さっきより、機嫌が、わ、悪いような……。
 視線を逸らすことで気のせいだ、と思うことにして、シシィは再び主人を見つめながら尋ねる。

「よ、様子を見せていただくことは、できます、か?」
「ああ、どうぞ。その者が娘の下まで案内しますので。おい」
「はい。どうぞこちらへ」

 トランクを持っていてくれた青年が、どうぞ、と言いながら先に歩き出したのを見て、シシィは困惑した。この家の主人と奥方は動く気配がないし、ということは自分1人が様子を見に言っても構わないということなのかと。
 ――何か、おかしい。
 胸の中にもやもやするものを感じながらも、ルウスも先に青年の後をついて行き始めたので、仕方なくシシィは彼ら2人にお辞儀をすると、青年が歩き出した方へと向かった。

 その方向からは、青い気配が、した。