ヴィトランの住居兼工房は、本当に図書館のすぐそばにある。
図書館の建つ丘を下りて、ちょうどすぐ右側に見えるレンガ造りの美しい2階建ての家が彼の住んでいる場所だ。
もともと1階に店、2階に自宅が構えられるような物件だったらしいので、ヴィトランは1階を工房に、2階を住居にしているらしい。朝市には近いし、メインストリートに接している場所だし、と羨ましい一等地に建っているのだが、彼がそこに入居を決めた理由は「外見が美しかったから」だとか。
シシィは、外見こそ眺めていたものの訪ねたことはこれまで一度もなかった。以前依頼の時に一度訪ねることになるかと思いきや、あのときはBが代わりに行ってくれたので来なくて済んでいたのだ。
「いい人、なんだけどなぁ……」
どうにもコミュニケーションのとりにくい人である、と思いながらシシィはカツカツと階段を上がっていく。2階に住居があるため、玄関は外についている階段を上がらなければいけない。
結局何だかんだと言いながらついてきたルウスも、シシィの後について階段を上る。
「本当にいい人なら、周りを困らせたりしませんよ」
ボソリ、とつぶやかれたルウスの言葉に苦笑しながらも、一応スカートやシャツを整えてから木製のドアをノックする。彼と一緒に帰ってきたわけではないので確かなことは言えないが、おそらくもう帰っているだろう。
間を置かずして、すぐさまドアが開けられた。
ものすごい、勢いで。
「闇色ハッ」
ドアの開くスピードで、早くも嫌な予感がしていたシシィとルウスは、入り口から一歩右によって避難したところ、その嫌な予感はバッチリ的中した。すさまじい勢いで飛び出してきたヴィトランが激突したのだ。
本来ならシシィ、がいたはずであるスペースの後ろの柵に、
「ドふぅッ!」
変な声と一緒に。
――ああ、みぞおちに入った……!
階段の柵は、ヴィトランにとっては少々低め。なのでみぞおちにキレイに入ったことだろう。シシィは心配して、お腹を押さえながら呻いているヴィトランのそばに駆け寄る
が、ルウスは相変わらず警戒した目で彼を見ているだけだ。
「だ、だ、大丈夫ですかっ、ヴィトランさん!」
「ふふふ……愛の痛み」
「……だ、大丈夫ですか」
一歩引きながら、それでもシシィが声をかけると、ヴィトランはすっく、と優雅に力強く立ち上がり、シシィを改めて見つめてにこりと微笑んだ。
「やぁやぁ、僕の闇色ハット!」
「いえ、ヴィトランさんのじゃないです……」
「早速魔術薬を持ってきてくれたのかい?」
一応否定したのに我関せず、でキレイにシシィの言葉を無視したヴィトランを見上げながら、シシィはいつか彼とコミュニケーションが取れるようになるだろうか、と遠い目で思う。そんな日が来るとは今のところ夢にも思えないが。
悲しい現実に心で涙を流しながら、ショルダーバックの中から魔術薬を取り出す。
「これが魔術薬です」
「先に飲んでもいいかい?」
「どうぞ」
シシィから魔術薬を受け取ったヴィトランは、ポンッとコルクの栓を開けるとワインを飲む前の仕草のように、ビンをくるくる水平に回してから口に含んだ。
シシィはその行動に首をかしげながら尋ねる。
「どうして回したんですか?」
「この魔術薬は美しく素晴らしい出来なら、水のりのように粘り気があるのさ!君のは素晴らしい出来だったよ!」
「え、あ、え……あ、ありがとう、ございます……」
褒めてもらうのは慣れていないので照れて困るが、嫌な気分にはならない。ありがたくその言葉を受け取っておくことにして、シシィは少し下がった所で待っているルウスを視界に入れると、再びヴィトランに視線を戻す。
ここでのんびりしていると、家に帰れなくなってしまう。
「う、う、腕、外れそうじゃないですか……?」
「ああ、うん。ほらこの通り」
ブンブンと腕を回す様子を確認して、シシィはひとまず安堵した。魔術薬を飲む前なら、そんなことをしたら腕が外れることになっただろうが、今はちゃんと腕がくっついている。成功したようだ。
――よし。撤退しよう。
さながら敵地にいるような思いである。
「それじゃあ、あの、私急いでるのでこれで失礼します!」
「え、あ、ちょっと闇色ハット」
ヴィトランが止めるのも聞かず、シシィはお辞儀をするときびすを返し、ルウスと共に階段を駆け下りて、人ごみの中に紛れ込んだ。平日の昼時も昼時なので、人はそれほどいないが街のメインストリートである以上は人がそれなりにいる。
「えっと……馬車……」
シシィは乗合馬車を見つけようと、キョロキョロと辺りを見渡しながら道を走る。乗合馬車は運が良ければ道で見つけて乗ることが出来るが、見つけられなければ乗り合い所まで行かなければならない。
――今回は、乗り合い所まで行ったほうが確かかも。
別に遠いわけでもないし、と考えたとき、
「―――アレモア?」
という声を確かに聞いた。
ふと、声のしたほうを見ると、それほど多くない雑踏の中、自分と同じくらいの年の少年がこちらを呆然と見ている。
鋭い目つきに、海を写したような青色の髪。ラフそうなTシャツとズボン。
――あの、人。
その顔を見て固まったシシィを見て、ルウスが「どうしたのか」という意味合いで片足でシシィの足でつついたところ、
「行きましょう!」
「!?」
シシィは、彼がいる方向とは別方向に猛ダッシュした。
訳が分からず、それでも置いて行かれてなるものか、とルウスも遅れて走り出したが、そこは姿だけでも犬なのですぐさまシシィに追いついた。彼女の表情を走りながら彼は盗み見てみたが、まるで天敵にでも遭遇してしまったかのように、厳しく強張っている。
――何だ?
シシィのこんな反応は初めてだ。名前を向こうが知っていて彼女も知っているふうだったが、知り合いであるなら普段のシシィなら逃げ出したりしない。例えヴィトラン相手でもこんなにも強い反応を示すのはありえない。
しばらく走ったところで、さすがに疲れたのかシシィは速度をだんだんと落として、やがてどこかの店の壁に手をついて立ち止まった。
「はぁっ、はぁっ、はぁっ……!」
「……シシィさん、どうしたんです?」
周りには聞こえないだろう小さな声で、彼女の前にまわりこんだルウスが尋ねた。
「はぁ……っ、はぁ………………同、級生です……」
「……本当に?」
「本当、です……。ちょっと、苦手な人で……」
――あの逃げっぷりは、どう考えても『少し苦手』の域じゃない。
と、言おうとしたルウスだったが、言おうと口をあけた瞬間シシィの身体が何かに当たって後方に倒れた。ばたん、とそれはもう、見事なしりもちをついて。
「い、たた」
痛む肩を抑えながら、シシィが顔を上げると青年が立っていた。キレイな、女の子ならカッコいいと思うような顔の造作をしている。
ぼんやりとシシィが見上げていると、彼は顔をしかめた。
「気をつけろ、ブス」
「……え?あ、すみません」
どうやら彼にぶつかってしまったらしい、とシシィは判断し、慌てて頭を下げたところ、彼はその謝罪には何も言わずに、シシィが走ってきた方向にそのまま去って行ってしまった。
しりもちをついたまま、その光景を見ていたシシィだったが、スカートのすそをグイッと引っぱられた気がして後方を見ていた目を前に向けた。
何故か――ルウスが怒っている。
「ど、したんですか……?」
「謝る必要なんてなかったんですよ、ちゃんと道の脇に避けていたのに。当たってきたのは絶対あいつです」
「でも、当たっちゃったし……」
「向こうは謝罪もなしじゃないですか。オマケに暴言まで」
「はぁ……」とシシィが訳の分からないまま返事をしようとしたとき、後方から「ドン」という何かが当たったような音が聞こえて、彼女は再び後方を振り返った。
見ると、先ほどの青年が5,6メートル先でしりもちをついている。
その彼の前には同じく人がいて――
「周りを見て歩きなよ。その目が顔と同じように出来損ないじゃないならだけど」
そんな言葉を青年を見下しながら放ったのは、先ほど別れたはずのヴィトランだった。
「ヴィ、ヴィヴィ、ヴィトランさん、すごいこと言っちゃった……!」
ヴィトランの言葉に青年は顔を赤らめ、屈辱に耐えているような表情をしている。何も言い返せないだろう、何せヴィトランは美形なのだ。青年には悪いが、顔の造作の美しさで言うなればヴィトランのほうが格段に上。
ヴィトランはしりもちをついている青年には、それ以上目もくれずシシィとルウスのいる方へと微笑みながら歩いてくる。
「やぁ、愛しの君!忘れ物だよ」
と言いながら彼はシシィの手をとって立ち上がらせ、その手にお金を握らせた。
「お代を忘れて行ってしまってどうするんだい?」
「あ、はぁ……わざわざ、すみ、ません……」
呆然としながら受け取ると、ヴィトランは「全く」とその美しい顔をしかめながら腰に手を当て怒りはじめる。
「酷い醜男だったね!自分から当たっておいて、その上謝罪もせず美しい僕の闇色ハットを『ブス』呼ばわりするとは。ああいうのがいて呼吸するから大気が汚染するに違いない」
あの顔立ちを醜男と一蹴できるのはこの世でヴィトランくらいではないだろうか。
と、考えつつも、どうやら今まで一連の出来事をヴィトランが見ていたことにシシィは気がついた。
――あ、もしかして、仕返しを…?
その思考にシシィは頭を振る。そんなはずがない。
「顔、整ってらっしゃいましたよね……?」
彼は美しいものが好きだ、困ったことに男女の壁も越えて。
しかしシシィの発言が気に入らなかったのか、ますます彼は顔をしかめて、まつげの長いその美しい目でシシィをじっ、と見つめながら言った。
「確かに顔が美しいに超したことは無いけれど、僕が人を美しいと思うのに一番重要な点は『魂の美しさ』だよ」
「魂の、美しさ…」
「僕は物を作る人間だからよく分かる。あの男が仮に魔道具を作ったとしても、最悪の出来だ。ロッドは曲がり、計量カップは不正確。物を作ると内面のものが出る。僕の魔道具が一流だと言ってもらえるのは、僕が魔道具師という職業に誇りを持っていて、魂が美しくあるよう努力しているからだ」
例えば、美しいものを身に付け、そばに置き、感覚を磨く。
それが彼にとって、一流であるための秘訣なのだ。
「だから僕は美しい人が好きだよ。ルビーブラッドの魂の美しさは崖に咲く一輪の花で、闇色ハットの美しさは草原に咲く小さくとも風に負けない花。もしも君たちが魔道具を作ったなら、その魔道具は美しいものに違いない」
――ああ。
今まで彼のことは複雑で、分からないと思っていた。けれど、何てこと無いのだ。
彼は、何を差し置いても魔道具が一番なのだ。
ヴィトランの世界は、魔道具を中心にしか回っていない。一流の魔道具を作るために美しいものをそばに置き、美しい人を好む。
これ以上分かりやすい人なんて、いない。
シシィはヴィトランを見つめて――ふ、と笑った。
「……ヴィトランさんの魔道具は、一流です」
「当たり前だとも!!この僕は美貌に溢れているからね!」
そう言いながら、ヴィトランの表情はどこか子供のように嬉しそうで。
足にやわらかいモノが当たった気がして、シシィが視線を下げると、シシィの足元にはルウスが座っていた。今までヴィトランの近くには、例えシシィがいたとしても近づかなかったというのに。
――ルウスさんも、ヴィトランさんのこと理解できたのかな。
そう思うと嬉しくなって、シシィは自然と笑みを浮かべた。
********
「おかえりなさい、シシィちゃぁん……っ!!」
ドアを開けた瞬間に抱擁されて、シシィは思わず「うぷ」と変な声を漏らした。
「お母さんね、お母さんね、すっごい寂しかったんだからぁ!!」
「ご、ごめん……ね……?」
寂しかったのは分かる。
帰ってこなかったのも謝る。
だから。
「……とりあえず、包丁を握ったままの抱擁は止めてお母さん……」
人に住所を教えたなら、真っ先に「え、そんなところまでこの町なんだ」と必ず言われる町外れも外れにシシィの実家は建っている。周りに民家は少なく、平地で畑が多い。田舎である街の中でも特に緑の多い場所だ。
赤い屋根にレンガ造りの2階建ての家、白い柵で覆われた敷地内はミニガーデンとなっていて、少女趣味の母の願望が全て実現したかのような家である。
その母、アンリーヌはようやっとのことでシシィを抱擁から解放し、包丁を手に持ったまま、にっこりと花も恥らう乙女ばりの微笑みを見せた。
「お父さんもね、昨日まで出張だったんだけど今日の朝帰ってきたのよ!」
寂しかった、というのは多分にそれがあるに違いない、とシシィは額に手を当てた。
万年新婚夫婦、特に寂しがり屋である母は、昔はよく父が出張で家を空けるたびに子供であるシシィを抱きしめながら涙を流していたものだ。ここ近年ではそんな覚えは無いが、それでもやはり寂しいのは変わらないのだろう。
と、そこでアンリーヌは視線をシシィの足元に落とし、「まぁ」と声を上げた。
「シシィちゃん、犬を飼ったの?」
「え、あ、うん、あの、そうなの」
アンリーヌの視線の先には真っ黒な毛並みで、帽子を頭に乗せた犬――ルウス。
彼はアンリーヌが包丁を持ったまま玄関を開けて、シシィに抱きついたことにまだ驚きと怯えを持っているようで完璧に固まっていた。ときどきする瞬きさえ見れなければ像だと思ってしまう。
「名前は?」
「ポチ……」
と言ってからシシィは気づいたが、別に母に紹介するときまでポチなんて悪趣味な名前でなくともよかったかもしれない。
――ああ、ルウスさんの視線が痛い気がする。
事実、ルウスは恨みがましい気持ちでシシィを見つめていた。
「ポチなんてかわいくなくて、お母さんヤダ」
「え」
アンリーヌの言葉に、ルウスが期待のこもった瞳で彼女を見つめる。
「フランソワにしましょ!」
――フランソワって、女性名じゃあ。
シシィとルウスは別個体でありながらも、ほぼ同時にその思考にたどり着き、さらにフランソワとなったルウスを想像してそれぞれそっぽを向いた。
微妙だ。絶妙な微妙さだ。
アンリーヌは満足げにしているが、ルウスとしてはこれも満足のいく名前ではないだろう。かと言っておそらく『ポチ』がいい名前な訳ではなく。
葛藤に全く気がついていないアンリーヌは、にこにことルウスの顔を撫でる。
「フランソワ、リボンつけてあげよっか?」
――すみません、ルウスさん。私にはどうしようもないです。
と、シシィが哀れみの目をルウスに送ったとき、アンリーヌと戸口の隙間から見える家の奥で部屋の扉が開き、そこから低い声が聞こえてきた。
「アンリーヌ、もしかしてシシィが帰って……」
声の持ち主は、部屋から出てきてリビングに来たところで固まった。
銀色のクセ毛の強い髪に、茶色の瞳。黒ブチで分厚いめがねをかけていて、服装は半袖シャツに袖なしの薄いベスト、灰色のズボンを穿いている。
まごうことなくシシィの父親――コーファ、なのだが。
「あ、お父さん!あのね、シシィがやっと帰ってきてくれて……」
コーファと――シシィはお互い固まって、見つめ合う。アンリーヌの言葉など右から左。耳にも入らない。
耳にも入らないわけが、ある。
「むむむむむむむむっ、むむむ娘よ!」
「おおおおおおおお、おおお父上!」
いきなりの大声に驚いたアンリーヌをよそに、シシィは家の中にダッシュで入り、またコーファもダッシュで己に向かってきたシシィを迎え、手を取った。
手を取り合って、叫ぶ。
「「お話したいことがございます!!」」
そう2人は叫んだ後、リビングから奥の部屋――コーファの仕事部屋に揃って
駆け込みバタン!と音を立ててドアを閉め鍵をかけた。
「――どうしたのかしら、2人とも……」
「……わん」
呆然とするアンリーヌとルウスを置き去りにして。
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