『変わったことがなかったなら、日常の中に溶け込んでいるのさ』
ムーンストーンの明かりのおかげで明るい隠し部屋で床に座り込み、シシィはたくさんの本とにらめっこをしていた。ブレックファーストがせっかくくれたヒントだが、シシィにはどれだけ考えてもさっぱり分からない。
なので地道にこうして、数々の本をひっくり返して探しているのである。
「はぁ……こういうとき、速読は助かります……」
「そうですねぇ。シシィさん、そういえばその速読は誰かに習ったものなんですか?」
パラパラ、と一見すると読んでいるとは思えないような速度でページをめくるシシィを見ながら、ルウスは尋ねた。
「え、いえ?いつのまにか出来るようになってました」
「いつのまにか……」
「私、もともと本を読むのが好きで。この図書館に置いてある本を全部読破しようと思って、読むスピードを上げる努力をしてたらいつのまにかこんなことに」
もともと本が好きになったのも、幼いころ祖母が絵本を読んでくれたときの、あたたかくて懐かしいような声、そのとき乗せてくれるひざのあたたかさ、優しい雰囲気全てが好きだったからだ。
幼いころのシシィの世界は、祖母で出来ていたと言っても過言ではない。
――いや、今も、だよね……。
自分がおばあちゃんっ子である自覚は持っているつもりだ。だからこそこの生活に慣れた今となっては、本来の自分の家よりも祖母の残り香のするこの家のほうが安心する。
『魔術が働いている。悪意を持ってこの家に入ることは不可能だ』
ルビーブラッドの言ったとおり、祖母の魔術が残るこの家のほうが。
――そういえば、ルビーブラッドさんにもずいぶん会えてないなぁ……。
そもそも、ガーデンにもなかなか行っていないし、行ったとしても会えない。やはり生活リズムが違うのだろう、眠る時間がずれている気がする。けれどとりあえず、
あのときテーブルの上に置いておいた花はなくなっていたので、了承した、という意味合いにとっていいのだとは思っている。
事実、あれからイスの下に石を見ていない。
ぼんやり、ページをめくる手を止めて本を見つめていると、その様子を見てルウスがシシィの顔を覗き込む。
「見つかりましたか?」
「あ、いえ。すみません、ちょっとボーッとしていて」
――いけない、今はそのことより、依頼に集中しなきゃ。
「何か、飲み物でも飲んではいかがですか?集中力が戻るかもしれません」
「あぁ……そうですね……紅茶でも飲みましょうか……」
確かに集中しようにも、集中力が落ちている。これでは見つけられるものも見つけられないだろう、とルウスの提案にのることにして、シシィは立ち上がり、
「――――――」
何かが、引っかかった。
「シシィさん?」
「待って……何か分かりそうな……」
ブレックファーストは、原因は日常の中に溶け込んでいると言っていた。
日常、いつものこと、あたりまえのこと。
習慣。
『私、眠る前にオレンジジュースを飲む習慣があって』
『その日はりんごジュースを飲んだんです』
りんご。
「あ、れ……」
以前、似たようなケースを扱ったはずだ。
シシィは額に手を当てながら、必死になって思い出す。
『……ベリー……』
『あの、ベリーを食べませんでしたか?』
「……魔術に使う果実……」
「はい?」
ルウスの唖然とした声に構うことなく、シシィは本棚から果実に関する本を抜き取って、目当てのページを見つけようとパラパラめくった。
「シシィさん、分かったんですか?」
「以前、イチゴの味しかしなくなってしまった依頼人さんが来たじゃないですか。その人は知り合いの人からベリーを貰って食べたって言ってましたけれど……」
もしも。
「もしも、今回の依頼人さんが買ったというリンゴが魔術に使う果実だったら?」
可能性は、ある。
ヴィトランの触った果実だって、洋ナシのような形だった。あれがもしも本物のナシのような色だったら、間違って食べたり、収穫したりしてしまう。
店に並んでしまってもおかしくないのだ。
シシィの手がページをめくることを止める。
「ルウスさん、ビンゴです!」
「ほほう」
シシィがしゃがみこんで、ルウスにそのページを見せる。
確かにそのページにはリンゴの写真が載っていたが、説明では『リンゴ』という言葉は書かれていない。代わりに『ラッボール』と書かれてあり、ラッボールを食べた際に起こる症状が記されてあった。
「……声が7つになる。これで間違いないようですね、頑張りましたねシシィさん」
「いえ……そもそも、お店で売られているものなら大丈夫、魔術には無関係だと思っていた私がダメなんです」
依頼人である彼女はきちんと言ってくれていたのに、シシィには『店で売られていたものなら大丈夫』という既成概念があった。これは反省しなければいけない。
しょんぼり、と気落ちしそうになったが、そんな暇はないと自分に喝を入れて再びそのページを視界に入れる。
「治すために必要なものは……『フォバッド』『レイレシシア』『コンポー』」
どれも魔術薬であり、常備しているものだ。なのでこの材料を準備するのに時間はかからないのだが。
気になる材料が一つ。
「………………水あめ?」
「……と、書いてありますね。シシィさん、ありますか?」
「は、ぁ、まぁ、一応……」
幸い水あめなら、料理にもお菓子にも使うので常備してある。
が、いまいち分からない。今まで魔術薬に使うものといったら、日常では見ない特別なものかせいぜい水だったのだが、ここにきて水あめとは。
――でも、いるみたいだしなぁ。
いらないものなら、最初から材料の中に書かれていないだろう。
仕方なくシシィは一度隠し部屋を出て、キッチンから水あめのはいったビンを持ってきた。直径10センチほどの大きめなビンの中に入っている水あめの量は、魔術で使う分には十分あるだろう。なければ明日になってから水あめを買いに行かなければいけない、と思っていたが、今からでも作ることは出来そうだ。
「よく水あめなんて常備してありましたね」
「お料理とかお菓子作りに使うんですよ。砂糖の代わりにいれると、味が少し違っていいんです。ときどきはちみつも使いますけれど」
まさか、魔術で使うのにそんな役割がいるとは思わない。
ここで悩むより、さっさと作ってしまったほうがよっぽど分かるだろう。
シシィは机に向かい、そこにおいてあったビーカーを1つとる。その中に魔術書に書いてある通りの分量の水あめを入れた。こんなにドロドロしていて、普通なら量りにくいはずのものも、シシィにかかればピッタリの分量、それも目分量で量れる。
「これに……えっと、『フォバット』『レイレシシア』『コンポー』!」
呼ぶと魔術薬は棚からフヨフヨと飛んできて、机の上にコトンと置かれる。
それを横で見ていたルウスは「ほぉ」と感嘆のため息をついた。
「上達しましたね」
「いっぱい魔術薬、作りましたから」
今まで学習した魔術薬は、必ず常備してあるようにしている。なのでそれだけの分は魔術薬を作ってきたので、最初の頃よりは上達しただろう。
「これを、混ぜる、と……」
魔術薬3つを、水あめに混ぜる。混ぜたことで透き通った赤色になった水あめを見てイチゴの味を想像させたシシィだったが、何となく作業工程を見ると食べづらいものだ、と密かに思った。
「さて、後は魔法陣です!」
「……今回は呪文短いみたいですね」
と、ルウスに言われて、シシィが改めて本を見ると確かに短い。中級の魔術ともなると初級とは違い長ったらしいものが多いはずなのに、この呪文はやけに短かった。
何か特別な条件でもあるのかもしれない、と思いよく見てみるが、特に何か注意書きなどを見つけることは出来なかった。
――もしかすると、ものすごく魔力を取られるのかな?
そう思いながらも、とりあえずビーカーを床に置き、ロッドを手に取る。
『我は有為の門扉を創る者 全てはここから始まりここに終わる』
オレンジ色に光り始めたロッドの石を見て、シシィは呪文を続けた。
『荊棘3つ重なる一刻 その上に一筋の川が流れ 造詣はそれに寄り添うものなり 満目支える安定よ 真理の歪みを我に示せ』
――おかしい。
魔法陣はきちんと描かれている。もう見慣れてしまったオレンジ色のチョークで描いたような魔法陣。いつも通りだ。
しかし、魔力が思ったほど奪われない。魔術を使う以上、魔力は使うものだが今回覚悟していたほどは奪われていないのだ。それどころか、この感覚は初級の魔術を使うのに近い。
何故、これで中級なのか。
『カジザス・クーガ 弾け木霊!』
光が奔って、何も見えなくなる。
この反応と感覚なら成功したはずだ、とシシィが目を開けると、古ぼけた床の上に置かれたビーカーの中には丸い――飴玉が一つ出来ていた。
小さな、手の爪くらいの大きさの飴玉だ。それ以外、何でもない。
シシィがしゃがみこんで、思わず「何故これが中級魔術?」と悩んでいると、その背後でルウスが「あ」と声を上げた。
「シシィさん、シシィさん」
「何ですか?」
いつのまに移動したのだろう、と思いながらも机に手(というか足)をかけて机の上に置かれてある魔術書を覗いている彼に従い、シシィも魔術書を覗きこむ。
するとルウスは、とある箇所を鼻先で示した。
「ここ、読んでください」
ルウスに言われたとおり、目を通すと。
『なお、この飴玉は6つ必要である。ので、6つ準備すること』
「…………ん、んん?」
「シシィさん、だから、6つ必要なんですよ。今1つ作りましたから、最低後5回は同じことをしなければ……」
ガクッ、と力が抜けた。これだ、おそらくこれだ。
この魔術が中級だったのは、同じ魔術を6回行ってワンセットだから。
「……あぁ、はい。何となく魔術書に書かれていたことが分かってきました……治療は6回行うわけですね……もうちょっと親切に書いてほしいです」
「それ、わざとなんですよ。もし一般の人に見られても、なかなか使われないように」
「なるほど……」
ルウスにそう説明されてしまえば、シシィはそうですか、としか言えない。
とにかく。
「あと、5回かぁ……」
遠くを見る目で微笑みながら、シシィは再び水あめの入ったビンを手に取った。
********
翌日。
午後の太陽の光りが差し込む図書館の、読書スペースにてシシィは依頼人と対面していた。ルウスはいつものように、シシィの隣に座しており、依頼人である女性は不安そうに目の前に置かれた――小瓶の中に入っている小さな飴玉を見つめる。
その様子を見て、シシィは苦笑した。
おそらくこんな飴玉で本当に治るのかが心配なのだろう。
「それでは、あの、まず初めに……貴女のその症状は少しややこしいものなんです」
「……ややこしい?」
少年の声で聞き返してきた女性を見つめながらシシィは頷く。
「貴女がそんな症状を起こしてしまったのは、ラッボールというリンゴによく似た果実を食べてしまったからなんです。おそらく店で売られていたモノがそうだったんだと思います」
「はぁ……」
女性は頬に軽く手を触れながら頷く。それだけなら、不幸な出来事という範囲内でありシシィの言う「ややこしい出来事」ではないと思っているのだろう。
確かにそれだけならややこしくはないが、食べたものはややこしかった。
「その果実、正しく調合すれば声を変える魔術薬になるものなんですが、いわゆる……原液を飲んでしまったようなものですから。声が複数作られてしまったんです」
「はい……」
「だから、貴女本来の声以外をこの飴玉で消していきます」
シシィは小瓶を手に取り、コルクのふたを開けると、まず一粒赤い色の飴玉を手のひらに取り出した。
――気をつけなくちゃいけないのは、ここから。
シシィは厳しい表情で飴玉を見つめ、依頼人に視線を移す。
「この飴玉を、声を出しながら口に入れてください」
「は、はい」
「けれど、口に入れるのは貴女の声じゃないときだけです。貴女本来の声が出たときには絶対口に含んではいけません。この飴玉は声を消去するので、貴女の声が消されることになります」
「……はい」
きり、と表情が引き締まった依頼人を見てから、シシィは彼女の手のひらに飴玉を落とす。うっかり飲み込んでしまってからでは取り返しがつかないので、この治療は慎重に行わなければいけない。だからこそ、傍にいるルウスもいつになく緊張した様子でシシィの隣にいるのだ。
シシィと依頼人はお互い見つめあい――シシィが頷くと、それを見てから彼女は口を開いて声を出した。
「あーーーー」
――男性の声。
これは明らかに彼女の声ではない。彼女は声を出したまま飴玉を口の中に含む。
「――っ!」
依頼人は衝撃を受けたような表情で固まった。
「……どう、です?」
「な、何か……勝手に飴玉が口の中で飲み込まれたと、いう、か」
「……すみません、我慢してください……」
勝手に飴玉が飲み込まれるからこそ、できる治療なのだ。気持ち悪くて仕方ないだろうが我慢してもらうしかない。幸い飲み込んでも、のどに詰まるような大きさではないので大丈夫だ。
小瓶からさらに飴玉を取り出して、彼女に渡した。
「もう一度、お願いします」
「はい」
手のひらに飴玉をのせたまま、また依頼人は声を出す。
「あーーーー」
今度は女性の声。
シシィが無言で依頼人を見ると、彼女は声を出すことをやめて首を横に振った。おそらく自分の声だったのだろう。口に含まなくて正解だ。
もう一度、彼女が声を出してみる。
「あーーーー」
――また、さっきと同じ。
声は順番どおり、規則正しく出てくるのではなく、どうやらランダムで決まっているらしいので、こればかりは気長に待つしかない。
落胆する依頼人に、シシィは明るい笑顔を見せる。
「大丈夫ですよ、もう少しです!気長にいきましょう!!」
それから、口に含み含まずをくり返し。
「――――――」
「――――――」
依頼人とシシィ、おまけにその横からルウスが机に顔を乗せるようにして覗き込み、視線を合わせた。
机の上に置かれた小瓶の中は――空。
飴玉は全て依頼人が飲み込んだので、正しく治療できているのならば、成功できているはず。
シシィは恐る恐る、依頼人に声をかける。
「……どう、です?」
「……」
彼女は、ゆっくり口を開き、
「これは、私の、声です」
一区切り一区切りで、話した。
息継ぎをしても声は変わらない。女性らしい高い声だ。
「私の、声です。私の……っ」
彼女は嬉しそうに微笑んだかと思うと、言葉を詰まらせ、そのまま肩を震わせながら顔をうつむかせた。ぐす、という音が図書館内に響き渡る。
「……がんばりましたね」
「ありが……とう……っ!」
――ああ、頑張ったかいがあったなぁ……。
女性の言葉にシシィは密かにルウスと目を交わし、にっこりと満足げに微笑んだ。
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