おはよう。
こんにちは。
こんばんは。
はじめまして。
さようなら。
ありがとう。
おやすみ。
7つの言葉。
自分の声は、1度しか聞こえない。
********
とある手芸屋にて、午前10時。
シシィは色とりどりの布地を前に、真剣な表情で悩んでいた。店内にはシシィと同じような年頃の少女たちが溢れ、友達、あるいは母親と楽しげに、やはり布地を見ている。この店だけではなく、このシーズンはどの手芸店もそんな光景だ。
その理由は、1ヵ月後にある祭りのため。
シシィの住む町は、年に大きな祭りが一度だけある。その祭りは『衣装祭』というもので、その祭りの日は普段着ないような服を着て、パレードに参加するというもの。
確か何故そのようなことをするのか、という起源と理由がきちんとあったはずなのだが、最近では知らない人も多く、シシィも詳しくは知らなかった。
祖母が『もともとは厄を祓うための儀式だった』と言っていたのは記憶があるのだが、その程度。お祭りで騒げれば楽しい、という風潮の方が強いため、この町ではそれほど格式ばったものでもない。旅人でも気軽に参加できる祭りだ。
衣装も自由で、多くの人はドレスとタキシードを着たりするが、一部の人はもっと派手に着ぐるみなど着たりして祭りを盛り上げたりもする。
「……んー」
しかしながら、シシィ自身はあまりこの祭りには乗り気でない。
目立つ服装が嫌いだからである。
「かといって、普段着で外に出ると……」
かえって、浮くのだ。周りの女の子たちはきらびやかなドレスを着ているのに、自分だけ普段着だとこれ以上なく浮いて逆に目立つ。それならば、いっそ祭りに参加しなければいいだけの話なのだが、何せ彼女はその祭りの日に屋台で売り出されるプラリーヌという、アーモンドに溶けた砂糖を絡ませて冷やした甘いお菓子が好きなのだ。それに、クレープやりんご飴も。
誰に言われずとも、まず先に自分で「食べ物か!」とツッコむがこればかりはどうしようもない。祭りのような特別な日にしか食べられないものだ。
とりあえず、そのおいしいおいしい食べ物を買うのに目立たないよう、ドレスを作るのに布地が必要なので、シシィはこの手芸店にて大量の布地を前に悩んでいる。
どの布地にしようかと。
「値段も安いし……これにしよっかなぁ」
「そんな茶色より、ピンクの方が似合うと思うな」
「ええー……ピンクは私、似合わな……」
ピタリとシシィは止まる。
背後から聞こえた声。この声をシシィは嫌というほど知っていた。
「お母さん!?」
「シシィちゃん、偶然ねぇ!」
勢いよく振り向いたシシィに――母、アンリーヌは抱きついた。
シシィの母親であるアンリーヌは、レイモルルの実の娘。
身長はシシィより低く148cmしかなくて、シシィと同じ薄く茶色い長い髪をくるくると巻いている、娘のシシィから見ても若くかわいく見える母親である。
――と、いうか、実際若いけど……。
シシィは現在16歳。それに対し母は現在33歳。
彼女はこの国で結婚できる年、16歳で父と結婚しその翌年にシシィを出産。見た目と違ってすごくパワフルな人だ。
「お、お母さん、こんなところで何してるの……?」
「もうっ、シシィちゃんってば!あと1ヶ月もしたら衣装祭でしょう?ドレスの布地を見に来たに決まってるじゃないの」
「……自分用の、だよね?」
「シシィちゃん用の」
今日、この日という日にこの店に来ておいて本当によかった。
シシィは遠い目をしながら、本気でそう思った。
なぜなら。
「それでね、あの布地たちが候補なのよ」
アンリーヌはすぐ近くに置いてある、裁断用の机の上に並べられている布地の数々を指で指し示した。恐ろしいことに、店員がまだ運んできている。
しかもその布、ピンクや花柄やフルーツ柄にレース、といかにも乙女らしい女の子が好きそうな布地ばかりで、シシィはぐらりとめまいがした。別に嫌いなわけではなく、むしろ見るなら好きだが、あの柄で色のドレスを着るとなると全く別の話だ。
シシィはカツカツカツカツ、と素早く布地を持ってきている店員に近づき「全てキャンセルします」ときっぱりと告げた。
それに驚いたのは店員ではなく。
「ええ!?どうして、シシィちゃんっ!!」
母である、アンリーヌ。
――そう、彼女は困ったことにかなりの少女趣味なのだ。
そしてその趣味を、娘であるシシィにも求めるのである。シシィは再び母のいる方向へとふりかえり、ブーブーと文句を垂れている母を少し睨みながら言う。
「どうしてはこっちだよ、お母さん。私はああいう、派手な色は似合わないって毎年毎年言ってるでしょ」
「それはシシィちゃんの思い込みなの!お母さんは娘のこと、よぉく知ってるんですから!シシィちゃんには絶対ピンク!お花!レース!」
「だから似合わないの、本人が言ってるんだから間違いないの。そういうかわいい色より茶色とか黒とか紺とかの方が似合うからそれでいいんです」
「ダメよそんな汚い色!お母さん、今年は許しませんからね!」
「汚いって、それは茶色とかに失礼だよ……」
なんと言われようが、この色と柄でドレスを着る気はない。作る気もない。
シシィのその態度にアンリーヌは少し涙目で、しかも上目遣いで甘えるようにシシィの弱点を突いた。
「おばあちゃん……レース好きだったわよねぇ……」
「うっ」
「天国からでも、見てくれてると思うわ……」
――なっ、なんて姑息な!自分の母親をだしに着させようとしてる!
アンリーヌはシシィが祖母のことを好きであり、弱いのを理解してそこを突いてきたのである。祖母の名を出されると、シシィは折れるしかない。
ため息をついて、彼女は妥協した。
「……レースだけだよ」
「シシィちゃんっ、大好き!」
うんざりとしながら、出来るだけ華美ではない地味めなレースを選び、布地は自分の思い通り枯葉色の地味な布地を買って手芸店を出た。
その色のチョイスにアンリーヌは不満そうな表情を浮かべていたが、毎年この時期になると必ず意見が対立してきたので、シシィはもう気にしていない。とにかくピンクや赤、といった女の子らしい色は絶対に嫌なのだ。
「シシィちゃん、去年と同じ所で作ってもらうんでしょ?」
「うん」
ドレスは専門の店で作ってもらう。専門の店でなら店の人が布地からリボンまでコーディネートしてくれるがその分値段が高くなる。なのでそのドレスに気合を入れてない限り、大抵の人は自分で布地やリボンなどを持ち込んで作ってもらうのだ。
シシィも、これから馴染みの店に持ち込むつもりなので頷いた。
「家には帰ってこないの?お父さん寂しがってるわよ」
「うーん……こんどまた帰るね」
「もー、年頃の女の子は薄情ねっ!図書館ずる休みしてもいいじゃない」
「そういうわけにはいかないよ……」
そうでなくても、今日はこの布地を選ぶために午前だけ閉めてきてしまった。図書館を利用する人こそ少ないが、あそこには別の客が来る。
その思考にたどり着いたところでシシィはハッ、と母の顔を見つめた。
――お母さんは、おばあちゃんの仕事知ってたのかな。
魔力を探ってみる限り、母は魔力に目覚めていなさそうであるし、また一般人並み。
何せ孫であったはずの自分はあの図書館に行くまで、祖母が魔術師であることを知らなかったくらいであるが、さすがに娘となれば知っていただろうか。
探るような眼差しで見ていると、アンリーヌは首をかしげた。
「なあに?」
「や、何でもない……」
かと言って、軽々しく尋ねても良いことではないだろう。だからこそ、シシィは図書館に行くまで知らなかったのだから。
シシィは静かに首を横に振り、不思議がる母に微笑んでから彼女と別れた。
母の登場で思った以上に時間をロスしたが、この後は縫製店へ出向き、サイズを測ってもらってからデザインの指定をしなければならない。祭りが終ればすそを短くしてワンピースにでもしようと思っているので、いっそワンピースのようなデザインのドレスにするつもりだ。
どんなデザインにしようか、と布地を見つめながら考え歩きをしていると、ふと前方から呼びかけられた。
「あれ、闇色ハット君?」
「……あ、ブレックファーストさんじゃないですか」
滅多に呼ばれない名前で呼ばれたため、少し離れていても予想がつく。前方に少し変わった格好をした青年――ブレックファーストを見つけて、シシィは彼へと歩み寄った。相変わらず、大きなリュックを背中に背負っている。
「お久しぶりですね!Bさんのお店に?」
「そうそう。君は何をしてたんだい?」
「1ヵ月後にお祭りがあるので、それのためのドレスの布地を選んでたんです」
「へぇ、祭りか。いいね」
「1ヵ月後ですから、ブレックファーストさんも来てみたらいいですよ」
そのシシィの提案に、ブレックファーストは唇に手を当て思案顔で「うーん」と唸った。
どうやら決めかねているらしい。
「その頃、どこに居るかによるな」
「そうですねぇ……」
「近くに居たら参加しよう。こっそりと闇色ハット君のドレス姿を見ることにする」
「こっそりって……」
「いやいや、私の隠密行動を舐めてはいけない。私の魔力は低いから、どんな魔法使いに魔術師、魔導師でも見つけられないんだ」
「そ、そういえば!」
シシィも先ほど、前方から知り合いである魔術師が近づいてきていたというのに、声をかけられるまで全く気がつかずにいた。彼の魔力は一般の人に隠れやすい大きさであるのと、色のイメージでいうと無色に近いので見逃しやすい。こうして直に明るいところで会わなければ、分からない自信がある。つまり、魔力での人物判断が難しい人なのだ。恐ろしい特技である。
「かくれんぼは得意だったよ」
「そ、それはそうでしょうね……」
「その代わり、魔力を探るのさっぱりなんだ。知り合いの魔力でも探れなくてね、顔で判断するしかない」
それで、顔が見えるようになったところでシシィに気がついたらしい。
シシィは苦笑いしながら「おあいこですね」と言っておいた。
「それはそれとして、闇色ハット君はどんなドレスを……」
と、ブレックファーストはシシィの腕の中にある布地を見て。
「………………ドレス?」
「はい」
「それにしては、地味めではないかい?色とか」
やはり、ドレスとは華やかなイメージがあるらしい。
シシィは曖昧に笑いながらドレスの布地を背後に隠し、別の話題をふる。
「こ、ここに来る前はどこにいらっしゃったんですか?」
「ああ、この国の北東にあるところだよ。キレイなところだったんだが、少し前にそこの王都でクーデターみたいなものがあったらしい」
「えぇ!?物騒ですね……」
「と言っても1日で治まったらしい。死傷者は出たみたいが、今はもう国の機関の働きは戻ったようだしね」
北東にある国というと、かなり大きな国だ。やはり大きな国って物騒だなぁと思いながらシシィは「へぇ」と頷いておいた。
「それじゃあ、私はこれから宿にチェックインをしなければいけないから」
「あ、はい。疲れを癒してくださいね」
「ありがとう。ああ、それと」
「?」
首をかしげたシシィに、ブレックファーストは微笑みながら言う。
「闇色ハット君の歳なら、ドレスはもっと明るい色でいいと思う、とだけ言っておくよ」
********
「そもそも、何故そんなにピンクが嫌いなんですか」
「……聞かないでください、ルウスさん」
昼下がり、シシィはいつものように魔術書を読みながら図書館のカウンターに座っていた。ルウスも、やはり隣でくつろいでいる。
ドレスは結局初心貫徹で、枯葉色でワンピースのようなドレスになる。祭りがすぎればすそを短くして普段着るからこれでいい、と言うシシィにルウスは不満げな顔でシシィを見上げた。
「だいたい、シシィさんは普段着が地味すぎます」
「放っておいてください」
「もっと年頃なんですから、可愛らしい色とか柄とか……」
「似合わないから良いんです」
「似合いますよ」
「ルウスさんは私に近しい人だからそう言ってくれるんでしょうけど、客観的に見れば全っ然似合ってないんです。だからこれでいいんです」
シシィの言葉にルウスは重くため息をついた。彼女がこうなると、もうテコでも動かないのだ。シシィは変なところで頑固であるため、意見を変えることはないだろう。
まぁ、本人がそんな色のドレスでも良い、と言っているのだからそれでもいいか、と自分自身を納得させ、ルウスはそれ以上とやかく言うことは止めておいた。どうにもそこら辺、彼女にとって何かがあったようである。
一方シシィは、珍しく不機嫌な表情で魔術書に目を通している。
――私だって、かわいい色とか柄の方が良いけど……。
似合わない、と昔同じ学校に通っていた男子から散々からかわれて以来、シシィはかわいらしい色や柄の服を着るのが嫌になってしまったのだ。
そのときを思い出して憂鬱になっていると、図書館の入り口から「あの」という控えめな声が聞こえてきた。
見るとそこには、20代後半から30代前半くらいで、深紅色で胸の辺りまである長い髪の、ロングスカートにシンプルなシャツを着た女性が立っている。
「『闇色ハット』さん、は貴女でしょうか……?」
「は、い」
――あれ?
シシィは首をかしげる。先ほど聞こえた声とは違う気がしたのだ。
不思議に思いながらシシィがカウンターから出て女性の前に立つと、彼女は白い紙をシシィに渡した。
黒い便箋ではなく、白い紙。
――Bさんの紹介じゃ、ない。
「ブレックファースト、という方から貴女の事を聞きました」
「ブレックファース……」
そのことにも驚いたが、何より。
声が。
「……お気づきになったかもしれないですが、これを治してほしいんです」
彼女は――青年のように低い声で言う。
「一言発するたびに、変わってしまう声を」
声が、変わっているのだ、ころころと。
それは声の高さを単純に変えているのではなく、声の本質から違う。ハスキーボイスのような声もすれば、少女のように澄んだ高い声も出る。
七色の声。
シシィはとりあえず話を聞くため、彼女を読書スペースに案内し、カウンターに置いておいたポットから紅茶をカップに注いだ。 その間にルウスがシシィにしか聞こえない声で訊いてきた。
「『ブレックファースト』とは?」
「……少し前に会った魔術師さんです」
「なるほど」
シシィの答えに違和感を感じなかったらしいルウスは、それ以上のことは追求してこなかった。シシィにとってそれはありがたい。ブレックファーストにルウスの正体をばらしてしまった、とはどうにも言いづらいのだ。
内心冷や汗を拭いつつ、紅茶の入ったカップを持って依頼人のもとに戻り、彼女の前に置いた。
「お話、聞かせてください」
依頼人の正面に座ったシシィに頷いて、彼女は先ほどとは違う声音で話し始める。
「1週間前からこのような状態になってしまって。朝起きたらこんなふうになってしまっていて、最初は風邪かと思ったんですけど、言葉の区切りがつくたびに声が変わるので違う、と思ったんです」
確かに依頼人の言うとおり言葉の区切り、彼女が話の合間で呼吸をするたびに声は変わってしまっているようだ。
「どのくらい、違う声が出ますか?」
「おそらく、私の本来の声を含めて7種類程度だと思います」
7つの声。
どこかで確かに読んだ記憶がある、ということは初級か中級の魔術で何とかなるものなのだろう。しかし、あまりにも情報が少なすぎるのでシシィは依頼人に細かく説明を求めた。
「前日までに、何か変わったことをしませんでしたか?」
「変わったこと……」
「何でも良いんです。普段とは違うことをしたとか、食べたとか」
食べた、という言葉で依頼人が、「あ」と声を上げる。
「あの、本当にささいなことなんですけれど」
「構いません」
「私、眠る前にオレンジジュースを飲む習慣があって」
「はい」
「だけど、その日売られていたりんごがおいしそうだったので、買って帰ってその日はりんごジュースを飲んだんです……」
――りんご。
普通のりんごであれば関係ない。もしこれが、山の中になっていた果実、などであれば話は別だが、彼女が飲んだのは売られていたりんごを絞ったジュース。
関係はないと見ていいだろう。
――てことは、これ以上絞り込めない、かな。
難しいが、7回も変わる声。何とか原因が探れるだろう。
不安げにうつむく依頼人に、シシィは安心させるようににこり、と微笑んだ。
「大丈夫です、必ず治ります」
「………………」
「……なかなか、人と話せなくて辛かったでしょうがもう少し辛抱してください。なるべく早く薬を作ります」
その言葉に女性はハッ、と顔を上げる。どうしてそのことが、といったふうに驚いたような表情だった。
――やっぱり。
声がそんなに変わってしまうなら、日常の会話をすることですら難しい。だからあまり人とはしゃべれていないだろう、と思ったのだ。
「大丈夫です、治りますから」
その言葉に、彼女は涙を流しながら弱々しく頷いた。
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