熱い。
 熱い。

 融けて、しまう。





********





 ――今から私は戦士になります。

 シシィは目の前の風景を見つめ、固く決意した。そう、決意しなければ生きて帰れないのだ、ここからは。
 時は日曜の朝。
 場所は――――

「いらっしゃいいらっしゃい、安いよー!」
「もう一声!」
「これ買うから、これくらいオマケしてよ」
「こっちの卵は新鮮だよ!!」

 朝市である。
 毎週日曜日、シシィの住んでいる町では大規模な朝市が開催される。その朝市では新鮮な野菜や魚などが安く買えるため、人が大勢出向き文字通り戦場と化すのだが、そこで戦う戦士は家計を守る主婦たち。母親は強いことをシシィはよく知っていた。自分の父親は母親に頭が上がらない。
 ――あれは、お父さんがお母さんにベタ甘だからだけど…。
 別に母は恐妻家ではない。普通どころか、娘の自分から見ても乙女思考が過ぎている人で、永遠の少女と呼ぶにふさわしい人だ。
 そういう母に、父はいつまでも新婚気分でベタ甘なだけなのだが、その光景を16年間見てきた身にもなってほしい。
 本人たちは恥ずかしくないだろうが、見ているほうは恥ずかしい。そういう両親だ。
 と、思考がずれたのを頭を振ることで矯正し、シシィは改めて目の前に広がる人と人と人と人と人しか見えない風景を見つめて気合を入れた。
 ――よし!

「お、おじさぁんっ!」
「よっ、シシィちゃん!来ると思って残しておいたぜ卵!」
「あ、あり、ありが、ああああ!」

 意気込んで人ごみに入ったのはいいが、朝市の場では露天のような店が道に連なっているため、人ごみに押され自分の止まりたい場所で踏ん張ることが出来ない。
 流されてゆくシシィをみて、卵屋のおじさんは。

「あっはっは!シシィちゃん、『今日も』ちゃんと置いておくから取りにきな!」
「ううーっ!いつか、いつかちゃんと買えるようになりたいですぅーー!」

 人に流されながら叫んだ言葉は、果たして届いたかどうか。そんなことは叫んだ本人であるシシィは全く分からず、今日も毎週同じように人に押され流され潰されかける。毎回のことながら苦しい。

「シシィちゃん、野菜置いといてやるからな!」
「嬢ちゃん、ミルク取り置きしとくぜ!」
「シシィさーん、魚はボラでいいですかねー!」
「すみませんすみませんすみません、みなさん…!」

 朝市の人たちはおそらく、主婦や婦人が多い朝市の中でシシィのような子供が混ざっているのを見て、哀れに思ってくれているのだろう。シシィのためによく取り置きをしておいてくれて助かっている。
 結局市場から押し出され、シシィは泣く泣くそこで人ごみが一段落する時間を狙って戻り、露天の人たちから取っておいてもらったものを買った。

「これで1週間分の食料はよし、と」

 1人暮らしにしては多い材料だが、シシィは1人暮らしのようで1人暮らしでない。
 ルウスは見た目犬とはいえ、れっきとした人間なため食事はシシィと一緒だ。なので、シシィが現在腕いっぱいに抱えている材料でちょうどいいくらいなのだ。
 よいしょ、と腕に抱えている買い物袋を持ち直し、シシィは家へ帰るため朝の空気の濃い中、足を速めた。
 しかし。

「……あれ?」

 道の隅のほうで、うずくまっている青年を見つけた。
 シシィが現在いるこの場所は住宅の連なる場所で、道は狭くはない。それなりの、分相応な広さというものだ。そんな所で、とある家の前の金属製ポストにもたれかかるようにして、青年がうずくまっているではないか。具合でも悪いのだろうか。
 シシィは恐る恐る、その青年の背後に近づいた。

「あ、あの……お体の調子でもわるいんですか?」
「……放っておいてくれ」

 冷たく拒絶された。
 そのことで少し涙目になりながらも、なおも調子の悪そうな青年にシシィは「放っておけません」と肩に手を触れ。

「あつっ!?」

 軽いやけどを、負った。
 ――やけど?
 そんな、馬鹿な。シシィは触れた手を庇いながら、青年を見つめた。
 触ったのは確かに青年、人の身体だ。あたたかい、と思うのならばまだしも、熱いというのはありえない。
 一方青年は、シシィの言葉を聞いて背後を振り返り、その視界にシシィを捉える。
 表情は驚きに満ちていた。

「……あんた、俺の体温が分かるのか」
「え……?」

「まぁ、闇色ハット。偶然ね」

 艶やかな声。
 聞き覚えのある声にシシィが背後へ振り向くと、そこにはBがにっこり、(あで)やかに笑いながら立っている。
 なかなか外出しない彼女。彼女と店の外で出会うのは――。

「ねぇ、お兄さん?」
「!?」

 深く、怪しげな笑みを向けられて明らかに青年が固まった。それはそうだろう、Bの艶やかな色気は、同性であるシシィですらも顔を真っ赤にさせるほどだ。
 そして、見た目と話し方のギャップ。それが人を驚かせる。

「その、人には分かってもらえない体温、どうにかできるわよ」
「何だと……?」
「貴方次第よ。どうにかしてほしいのなら」

 ぽん、と腕を叩かれた。

「この闇色ハットにお願いしてみなさい?」

 ――彼女と店の外で出会うのは、
 大抵魔術の依頼のとき、だ。





********





「………………」
「あの、別に普通のお茶ですよ」

 所は変わって、シシィの図書館、読書スペースにて。
 朝っぱらからの依頼人に、シシィは大慌てで紅茶を用意し、ルウスも重たいまぶたをこじあけつつシシィの座るイスのそばにいる。依頼人である青年はシシィと机を挟んだ反対側に座っていて出された紅茶を胡散臭げに見つめ、Bはその横で優雅に紅茶を飲んでいる。
 かなり異様な雰囲気に飲まれつつ、シシィは改めて青年を観察した。
 青年は頭にバンダナを巻いていて、髪の毛自体は短いダークブラウン。瞳も髪と同じ色で、どうやら堅苦しい服は嫌いらしくTシャツと少し緩めのズボンをはいている、どこにでもいそうなお兄さんだ。

「えと、じゃあ依頼内容を」
「待てよ」

 ぴしゃり、と言われ、シシィは目を丸くしながら青年を見つめる。

「いきなり言われても訳わかんねぇ、何だよ魔術師とか魔術とか依頼とか。お前ら魔女なのか、怪しい緑色の薬とか作って売ってるのか、俺、何かの生贄にされるんじゃねぇだろうな!!」
「まぁ。案外体格に似合わず、臆病なのねぇ」
「チビは黙ってろ!答えろよ、お前!!」

 お前、と指さされたシシィは――感動していた。
 ――やっぱり、これが普通のリアクションなんだよね。
 そもそも、最初からここに来る人たちは追い詰められて、もう藁でも何でもすがる思いで来る人たちが多いのでシシィのことをあっさり信じてくれる。
 が、本来なら彼のように、疑って当然なのだ。実際シシィも最初聞いたときは信じられなかった。
 シシィは青年の手を、がっちり握った。
 が、熱いのを忘れていたので。

「あっつ!!」
「……何やってんだ、あんた」

 呆れられてしまったが、それにめげず手を振って冷やしながら青年に言う。

「そうですよね、それで普通なんですよね!良かった、私だけかと思ってちょっと心配だったんです。疑って当たり前なんですよね、そう、当たり前に受け入れられちゃうほうがおかしいです!」
「お、おう」
「よかった、同じリアクションをとってくれる人に会えて」
「闇色ハットってば、それはそうだけど、貴女は魔術師なんだから。信じてください、って言わなくちゃいけないでしょ」

 は、とそれに気がついてシシィは喋るのを止める。そう、自分は何と言っても魔術師である立場なので、普通は信じてもらわなければいけないのだ。なのに共感してしまうとは。
 隣にいるルウスを盗み見ると、呆れたような雰囲気をかもし出している。
 気まずい。
 シシィはとりあえず、青年に紅茶を勧めた。

「こ、紅茶、どうぞ。あの、落ち着きますから」
「………………」
「信用できないならお帰りなさいな、坊や」
「誰が坊やだ!!」

 Bの言葉に腹が立ったのか、青年はぐい、と紅茶を飲み干した。
 とりあえず依頼をする気はあるようだ、とシシィは判断し、そのまま青年の様子をじっと観察した。
 身体が火傷を負いそうなほど熱い、ということは体温が異常なほど高いのだろう。
 しかし、彼が触れているものには異常がない。
 そして、出会ったとき彼は「俺の体温が分かるのか」とシシィに訊いた。それは彼の周りの人は、その異常な体温に気づかなかったということで。
 ――やけどしそうなほど高い体温。
 確か、一通り目を通した中級魔術書の中にそのようなものがあった。

「ステロベッド・ストーン……」
「あ、何だ?」
「あの、最近真っ赤な、宝石みたいな小石に触りませんでしたか?」

 青年に分かるよう、親指と人差し指で2,3センチほどの幅を作って示すと、彼は驚きの表情でそれを見つめた。

「何で、知って……」

 力なく彼はそう呟いたあと、頭を軽く振りため息をつく。
 そして、シシィへ苦い笑いを向けた。

「……悪かった。ちょっと、誰にもこの事が分かってもらえないんでイライラしてたんだ。あんたが悪いわけじゃないのに、すまなかったな」
「い、いえ、いいんですよ。私だってそうなっちゃうと思います」

 シシィは安心してもらえるよう笑顔を作って、首を横に振る。青年からピリピリしていた空気がなくなったのは、祖母直伝の紅茶のブレンドレシピがうまく鎮静作用を果たしてくれたからだろう。まず、依頼人が落ち着いてからでないと話も出来ない。
 青年は静かにもう一度息を吐き出して、落ち着いた様子で話し始めた。

「あんたの言うとおり、俺の体温が高くなったのは何週間か前に、森の中で真っ赤な小石を触ってからなんだ。触った瞬間、すげぇ熱風を浴びせられたみたいに感じて、その後からずっと身体の中が熱い。けど、周りの奴らは触っても平熱にしか感じないみたいだし、確かに体温計で測っても平熱なんだよ」
「い、今も熱さは感じてますか?」
「ああ。熱が出たときみたいにだりぃ」

 熱を感じ身体が重いのなら、風邪と同じような症状だろう。けれど、それは本人の感覚だけであって、周りや体温計は平熱を示す。
 分かってもらえないのは辛い。

「で?俺のこの事態は、あの石に触っちまったからなのか?」
「詳しく調べてみないと断定は出来ないんですが、おそらくそうだと思います」

 シシィはこくりと頷く。一通り魔術書は読んだ後なので、この青年のような症状が載った項目を覚えていた。

「ステロヘッド・ストーンという赤い小石で、その石は熱と火を溜める石なんですね。で、それになんの用意もせずに触ってしまうとその熱が触ったものの体内に移ってしまうんです」
「訳分かんねぇ」
「あ、うぐ……えっと、どう説明すれば……」
「いや、違くて。あんたの説明は分かんだけど、その石自体が訳分かんねぇ」
「そ、それなら大丈夫です!私もですから!」
「……」

 安心させるために言った言葉が、逆に不安を煽ってしまったらしい。胡散臭げな視線をモロに受けて固まるシシィの代わりに、青年の横に座っているBが口を挟む。

「どちらにせよ、彼女にしか治せないわよ」
「……でも、女だろ」
「いいじゃない、かわいい女の子に治してもらえて」
「そういう問題じゃねぇよ!」

 ――というか、かわいくなくてすみません。当てはまってるの女の子だけです。
 シシィは両の手のひらで顔を覆いながらうつむいた。いたたまれない。

「あら、男の方が好み?」
「怪しい言い方をするな!つーか、何でお前チビのクセにそんな堂々としてんだ!」

 この2人、というか青年にとってBは最悪の相性のようだ。明らかにBの方が軽くあしらって手の上で転がすどころか泳がせている。
 Bは青年の質問を軽く受け流し(どうやら彼に本当の年齢を教える気はないようだ)、まだ心の中で嘆いているシシィに向かって訊く。
 それで、と。

「そこまで分かっているなら、何がいるか分かってるのよね?」
「がはっ!!」

 グサッ、と胸に来た。これだ、この問題。
 自然、視線はルウスに向いたが彼はあえてシシィから目を逸らした。自分も関わりたくないのだ、という意思表示である。薄情だ。

「……なんだよ、必要なものって」
「そ、その前に!私に依頼、しますか?それともしませんか?」

 シシィの言葉に、青年の表情は厳しくなる。迷っているのだろう。
 シシィだって助けてあげたいが、依頼するかどうかは彼の意思だ。シシィが嫌ならBに他の魔術師を紹介してもらえばいい。
 しかし青年は、ひとつため息をついた後。

「……依頼する。あんたが一番ここらで近い魔術師なんだろ」
「そうよ。闇色ハットが嫌なら、王都まで行かなければいけないわ」
「じゃ、頼む」
「は、はい」

 王都。それは――遠い。
 シシィの住んでいる町は、王都から遠い田舎町。王都まで行こうと思えば馬車で2週間はかかる長い旅路となるのだ。
 ならば、青年のために受けなければいけないだろう、この依頼。
 たとえそれが。

「じゃあ、頑張ってね。場所は知っているでしょう?」
「……とっても残念なことに、ご近所ですから」
「で?俺はどうしたらいい」
「あの、お兄さん申し訳ないですが30分ほど待っててください」
「何でだよ」

「……魔術専用道具が、いるから、です……」

 ヴィトランの元へ行かなければいけないとしても。

「あ、はは……」

 シシィは憂鬱げに笑うという器用なことをしてみせた。