――話せ、と言われても。
シシィは道の脇にあった岩の上に腰掛けた状態で、同じように隣に腰掛けているブレックファーストを盗み見た。ご機嫌そうに空を見上げている。
――どうしろと?
シシィのため息を聞いて、ブレックファーストは視界にシシィを捉えた。
「何でもいいよ、話してごらん」
「はぁ……でも、その」
こればっかりは、シシィの一存でどうにかなるものではない。この問題の大きくは、ルウスのことが関わってきていて、なおかつ彼があまり人に知られることを良しとしていないのだ。むやみやたらに人には話せない。
眉間にしわを寄せるシシィを見て、ブレックファーストはやわらかく微笑む。
「どうせ私は旅商人、流れ者なんだから。それだけ悩むことなんだ、身近な人には話せないことなんだろう」
「うっ」
「と、なるとその悩みの元凶が身近な人とか」
「ぐはっ」
「え、当たったのかい?何々、男友達2人に告られてドロドロ三角関係……」
「違います、何でそんなキラキラした目をしてるんですっ!」
残念というか、幸いというべきか、一部の乙女憧れのそんなドロドロした関係には一切なくこの16年間生きてきた。ただ単に男友達がいないだけだが。
ふぅ、とため息をついて、シシィは改めて考える。
彼に、話してみようか。しかし危険じゃないだろうか、それは。
「ちなみにね」
「へ」
「私が旅商人をしているのは、人を探しているからなんだ」
にこりと微笑んで言う彼に、シシィは目をぱちくりとさせる。
「どんな、人を?」
「んー……多いからね。あと10人くらい」
「そんなに!?ど、どうしてそんなに人を探してるんですか?」
10人、とは人を探していると言っても多い。せいぜい多くとも普通は2,3人ほどだ。
ブレックファーストは微笑をたたえたまま、話を続ける。
「謝罪と復讐を求めて」
「ふく、しゅう」
「昔、酷い裏切りにあってね。私は彼らを信じていた。けれど彼らは、私を一番酷い方法で裏切った。だから、その謝罪と、謝罪させることで私は復讐を果たしているんだよ」
謝罪させることで、復讐を。
その意味は、シシィにはよく分からなかった。けれど、彼が果たしている、と言ったことから、きっと彼を裏切った人数は10人を超えていたのだろう。長い間世界中を旅して、裏切った人物を見つけて謝罪させる。
それは、シシィにはさみしく思えた。
――さみしくて、潰れてしまいそう。
「私の事情はそんなところだ」
やはり彼は強くて、そしてさみしくて――誠実な人だ。
簡単に言えない悩みだ、と悟ったブレックファーストは少しでもそれをシシィが言いやすくするために、話さなくていい自分のことを話してくれたのだ。
見た目のつかみどころのなさと違い、誠実さを見せてくれた。
なら、それに応えなければ。
さっきも、本当ならシシィを見捨てて逃げることも出来たのだ。それをせずに彼は戦ってくれて、シシィが拘束されたときはシシィの身の安全を最優先して戦うことを止めてくれた。
悪い人だと思え、という方がシシィには難しい。
――ルウスさん、この人には、話してもいいですよね……?
シシィはゆっくり、震える口を開いた。
「私――本当は見習いの魔術師なんです」
「……うん?」
さすがにこれでは分からないだろう。シシィは苦笑しながら話を続けた。
「ルウスさん、という人がいて、その人はとある魔術師に犬にされてしまったんです。それで、魔術師であった私の祖母を訪ねてきたんですが、既に祖母は亡くなっていて。だから祖母の後を継いで、私が魔術師になることにしたんです」
「つまり、君は魔術師としてはまだあまり知識を得ていないんだね?」
こくり、と頷くと彼は「続けて」と先を促す。
「その後、ルビーブラッドさんという魔導師に会いました」
「ルビーブラッド?」
「はい、ご存知ですか?」
「名前だけなら。彼は有名だからね。色々噂も聞いているけど…よく、無事だったね」
どんな噂かは、最初ルウスが言っていたようなもので相違ないだろう。シシィは苦く笑いながら「そんなことないんですよ」と付け加えた。
噂なんかじゃなく、本物のルビーブラッドは。
「優しくて、いい人です」
「へぇ」
「……あ、あの、ちょっと厳しいですけど」
ちょっとどころじゃないかもしれないが。
かなり、かもしれないが。
冷や汗を流すシシィを、ブレックファーストはあたたかく笑う。
「厳しいのはいいことだ。優しい人だけの世界なら、まちがいなく世界は終っている」
「そ、ですか……?」
「ああ。優しさに甘えすぎる人もいるから」
「?」
「分からないならいいんだ。そっちのほうがいい」
首を傾げるシシィに微笑みかけながら、ブレックファーストは「話の腰を折ってしまったね」と言ってシシィの言葉を静かに待った。
慌てて、シシィも話を戻す。
「そのルビーブラッドさんに、私は色々助けてもらったんです。悩みとか聞いてくれたり危ないところを助けてもらったりして……」
「つまり、懇意にしていたと」
「えっと、思ってるのは私だけかもしれないんですけれどっ!お、お友達みたいな感じで、それでいて尊敬できる目標の人なんです!」
「……うん?うん……んん……まぁいいか。どうぞどうぞ」
何かひっかかりのある言い方だ。
シシィは疑問を覚えながらも、ブレックファーストの言うとおり素直に話を進める。
「でも、その……ルビーブラッドさんが、ルウスさんを犬にしてしまったことが最近になって分かったんです」
「うわ……それは、また別の意味でベタにドロドロだな」
「うっ……そ、うです。でも、私、ルビーブラッドさんがそんなことする人だなんて思えなくて……けど、それはルウスさんを疑うことになるんです」
ルウスは、魔術師になるきっかけをくれた人。
ルビーブラッドは、魔術師としての道を示してくれた人。
どちらも大切で、だからこそどちらを信じればいいのか分からない。
黙り込んだシシィの横で、ブレックファーストはアゴに手を軽く当て、しばらく黙って悩んでいたかと思うと、急に口を開いてシシィに質問をした。
「つまり、どちらを信用すればいいのか分からないと」
「は……い……」
「なるほど、それじゃあ私が解決してあげよう。こういうときはね」
「こういうときは……?」
ごくり、とつばを飲むシシィに、ブレックファーストは、
「そんな奴ら、どっちも信用するな」
と、微笑んだ。
「………………は?」
「どっちも胡散臭い、と言っている。そもそも女性を不安にさせて泣かすような男は男じゃない、最低最悪ヘタレのクズ野郎と罵られてもしょうがないくらいだよ」
「いや、いやいやいや」
「君が庇うことはないと思うけれど。ルウス……という名前からして男だと仮定するが、その彼とルビーブラッドは、君の弱りようから見るに、あまり自分のことを話さない性質だろう?」
エスパーだ。エスパーがここにいる。
確かにルウスもルビーブラッドも、かなり謎の多い人物で、おかげでこの状況に陥っている節もあるというか。固まるシシィをよそに、ブレックファーストはそのまま話をつらつらと述べる。
「なんとなくだけれど、君は人を疑うのは罪悪だと思っていないかい?」
「ぐはっ……!な、何でお分かりに!?」
「だからなんとなく。まぁ、確かに人を疑う行為っていうのは美しいものじゃないけれど、それはもう人間の本能なんだよ。自分を守るための本能」
「ほんのう、って」
「獣だって、見慣れないエサや初めて食べるものは警戒して、慎重に口にする。これも突きつめれば疑っているわけだ、『これは本当に食べれるものなのか』ってね。それと同じだ」
――ど、動物と一緒……。
人間だって動物だが、いざこういうときに言われると、大変微妙なものである。理屈としては分かるが、もう少しいい例えはなかったものか。
「と、本来の私なら言うんだけれどもね」
「?」
「闇色ハット君、君の場合はどちらも信用してもいいんじゃないだろうか」
「へ?」
シシィは、完璧に混乱した。
――どっちも、信用できるって。
それは、無理な話だ。ルウスのことを信じるならルビーブラッドは悪人であるし、ルビーブラッドの人柄を信じるなら、ルウスは何らかの理由で嘘をついていることになる。
頭を抱えて、クエスチョンマークを浮かべるシシィの肩を、宥めるように叩きながらブレックファーストはさらに続けた。
「騎士、という職業を知っているかい?」
「……お馬に乗って、剣を振り回してる人ですよね?」
「んー……、まぁ、よしとしようか?」
思っていることをそのまま口にしたのだが、どうやら微妙に違うらしい。なら正しい情報を知りたい、とブレックファーストに頼むと、彼は嫌がることなくすらすらと教えてくれた。
「いや、やってることはそれでほとんど正しい。ただ彼らにも道、というものがある。これを騎士道、と言うんだが、騎士は強く勇気があり、正直で高潔であり、主君に忠誠心を示し、寛大であり信念があり、礼儀正しく親切で信心深く弱者を保護するべきという教えがある」
「うっわぁ……すごいんですね!」
実際にはこの騎士道を実践できている騎士は、数えて覚えられるほどしかいないだろう。騎士と言ってもやはり色々あるものだ。しかしここでそれを言って、彼女の夢を壊すこともないだろう、とブレックファーストはそのことを黙っておくことにした。
「魔導師は、騎士に並ぶほど誇り高い職業と言われている」
「……ルビーブラッドさんが、ってことですか?」
頷いたブレックファーストを見つめながら、シシィは頭の隅で今までのルビーブラッドの行動を思い起こしていた。
強く、礼儀正しく、弱者を保護する。
――確か、に?
微妙に違うところはあるが、当てはまることも多い。
「魔導師っていうのはそういう人が多くてね。彼らの多くは、危険な仕事で報酬が少なくとも、人々が望んでいると思えば受けるし、どんなに金を積まれても悪徳に手を染めるようなことはしない。一流と名高い彼なら、なおさらだろう」
「は、ぁ」
「で、おかしいとは思わないかい?」
首を傾げるシシィに、ブレックファーストはにたり、と笑う。
「人を犬に変えることは、果たして悪徳か、そうでないか」
「あ!!」
「そのルウス、という男が悪党だったなら別だろうけれど」
それは、確かに。ルビーブラッドは悪党には情け容赦ない。
しかし、とシシィは首を振った。ルウスは怪しいところだってあるし、謎の多い人物だが、シシィ自身に危害を加えようとか、そういう悪党ではないと言いきれる。
「だから私は、こう考える。ルビーブラッドはルウスに恨みのある人物から、この男は悪党だから懲らしめるために犬にしてくれ、と騙されて依頼を受け、ルウスを犬にした。ルビーブラッドとしては懲らしめたのだから善の行為だと思っている。けれどルウスはそんなこと知らないから、ルビーブラッドに犬にされた、と事実を述べる」
「それなら2人に嘘は――ない」
「そういうこと」
目の前が明るくなった気がした。
どちらも疑わなくてもいい。そのことはシシィにとって、心を軽くする一番の特効薬で、いつの間にか頬をあたたかいものが流れていた。
慌てて、それを拭う。
「す、すみませ……何だか、安心してしまって」
「いや、お役に立てて嬉しいよ……と言いたいところだが」
「?」
「できれば、商品を買ってくれると嬉しい。もう食料を買うお金がなくてね」
その言葉に――シシィは思わずふきだした。
「あはは、いいですよ。あの、『シフォーの枝』ってありますか?」
「ああ、それならあるよ」
ブレックファーストが取り出した赤茶色の枝を見て、シシィもカバンから財布を取り出し、モザイクを解く魔術に必要な材料を彼から買った。さすがにいろいろな場所を旅しているだけあって、リュックの中身はめずらしいものばかりだ。
「うわ……見たことないものがいっぱい……。これってお店の人とかとも交渉します?」
「うん、するけれど?」
「なら私の町に『ドルチェッドの魔導具店』というお店があります。そこで買ってもらうといいかもしれません」
「へぇ……それはいいことを聞かせてもらったよ。ありがとう」
いえ、とシシィは微笑み、さらにカバンからあるものを取り出して、ブレックファーストの手に握らせた。柔らかい感触といい香りに、彼は目を丸くする。
「オレンジケーキです。よろしければどうぞ食べてください」
「………………」
「あの……?もしかして、お嫌いでした?」
「あ、いいや」
オレンジケーキの入った包みを見て、彼はやわらかく微笑んだ。
「実は闇色ハット君の悩みを聞いたのは、君が故郷にいる私の大事な人に似ていて、何だか放っておけなかったからなんだ」
「は……」
「不器用と言うか、何と言うか。一言で言い表すのは難しいけれど、懐かしく思ってしまってね」
故郷にいる大事な人、というのはニュアンス的に恋人のことを指すのだろう。出会ったばかりの自分にこんなに優しくしてくれるなんて、と思っていたが、そう言う理由なら納得がいく。なかなか故郷に帰れないのなら、恋人が恋しくなるだろう。
シシィは微笑ましい気分で、ブレックファーストを見つめた。
「早く、故郷に帰れるといいですね」
「ありがとう」
そう言って微笑んだブレックファーストは、少年のように見えた。
********
「ああん!これって、『ギャリーの実』じゃない!こっちは種!」
「葉もありますよ」
「やぁん、夢みたいだわ……!こんなレアな魔術材料に、大量に会えるなんて!」
ブレックファーストをBの店まで案内してきたシシィは、Bの狂喜乱舞ぶりにかなり驚いていた。こんなに子供みたいに嬉しそうに喜ぶBをいまだかつて見たことがない。
カウンターの上に置かれた材料を、壊れ物を扱うかのように触る彼女からは、魔術アイテムに対する愛を感じた。
「はぁぁ……、今日は素晴らしい日だわ。ありがとう、闇色ハット。彼を捕まえて連れてきてくれて」
「い、いえ」
「いや、私もこれがこんなに高く売れるとは思っていなかった。この国ではこれがめずらしいものなのか」
「と、言うより、この国では魔術師が少ないから材料も少ないのよ」
「なるほど」
頷くブレックファーストと共に、シシィも密かにそうなのか、と思った。少ない、少ないと言われてはいるが、本当にこの国には魔術師が少ないらしい。
「だから……モノは相談なのだけれど、ブレックファースト?」
妖艶に微笑んで、Bはブレックファーストの目の前に羽をモチーフにしたペンダントトップのシルバーアクセサリーを出した。シシィはそれを初めて見る。何か特別なアイテムなのだろうか、と思って黙ってみていると、ブレックファーストがそのアクセサリーを手に取った。
「契約……か」
「そう。定期的に材料を仕入れて欲しいの。あなたの目利きは確かなようだし、材料も私好みだわ。このアクセサリーでどこに居ても、このお店に飛んでこられるから」
そういうものらしい。確かに彼が契約してくれたなら、Bとしては大助かりなのだろうし、この店を使うシシィとしても助かる話なのだ。
ヴィトランの時に経験したが、いざ魔術薬を作るときに材料がないのでは困る。時間が惜しい依頼もあるのだ。
ブレックファーストは真剣に、そのアイテムを見つめる。
「……条件をつけても?」
「どうぞ」
「ここに来たときの宿を、確保してくれるのなら」
「お安い御用よ」
微笑むBに、ブレックファーストもようやく微笑みを返した。
「それなら、交渉成功」
「よかったわ」
微笑みあう2人を見て、シシィも笑みをこぼした。どうやら上手くまとまったようで嬉しい。これからもブレックファーストには運が良ければ会えるようだ。
一仕事終えたような気分になって、シシィは思いっきりのびをした後、何気なく壁にかかっている可愛らしい時計を見た。
時刻、5時26分。
――5時?
「ああっ!」
どうやらここでブレックファーストとBのやりとり、というか魔術材料鑑賞会を眺めすぎていたらしい。日が暮れるまでにはルウスに戻ると言ってあるので、そろそろ帰らなければ心配する。
シシィは慌てて、ブレックファーストとBの2人に頭を下げた。
「すみません、私もう帰らなくちゃ!」
「あら、そう?」
「今日はありがとう、闇色ハット君。おかげで契約が出来た」
「いえ、それはブレックファーストさんのお力です!それじゃ、失礼します!!」
あっという間にドアの向こうに消えてしまったシシィをポカン、と2人して眺めた後、彼と彼女は堪えきれないように笑った。
「闇色ハットは、いい子だ」
「それはそうよ、『パール』の孫なんだから」
「! あの子が『パール』さんの……」
そうか、と納得したようにつぶやいた後、彼はまた微笑む。
「なるほど、通りで『噂の彼』にも物怖じしないのか」
「まぁ、何の話?」
「ああ」
にたり、を悪巧みするように微笑んでから、ブレックファーストは小声でBにささやく。
内緒話でもするように。
『お、お友達みたいな感じで、それでいて尊敬できる目標の人なんです!』
「『尊敬ということがなければ、真の恋愛は成立しない』と言ったのは誰か、という楽しい話だよ」
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