魔術に関する記述、と言われてもここは図書館であり、図書館である以上は記述しているものなど腐るほどある。ここは本の倉庫なのだから。
 なので探そう、と言われても現実問題、何処から手をつければいいのか分からない。
 悩みながらも、外は無情にも夜を知らせるように暗くなっていくのでシシィはトランクの中からランタンを取り出して明かりを灯した。これで暗くなっても図書館内を探すことは出来るだろう。

「それじゃあ、二手に分かれて探しますか」
「ええっ!?」

 ルウスのあっさりとした提案に、シシィは本気で焦ってしまった。何せあたりは静かでこれからどんどん暗くなっていくのだ。図書室内はかなり広いため、本棚と本棚の間に姿を消したら最後、もう会えなくなってしまいそうな気さえしてくる。
 つまりは、怖い。
 しかしながらこの広く、2階まである図書室を一緒に探し回っていたでは効率が悪すぎるだろう。結局彼の言うとおり二手に分かれて探すのが無難なようだ。
 なけなしの勇気を絞るときが来た。

「なな、なんでもない、です。ががががんばりましょー!」
「……後ろ」
「ぎゃああああぁぁああぁぁあぁあぁあぁああああああああぁぁぁぁあっ!!」

 思わずルウスに抱きついて、からシシィはハッ、とした。
 彼を見てみるまでもなく、体は震えていて笑い声が漏れている。
 ――騙された。

「やはり一緒に行動しましょう。シシィさんのその様子だと何かある度に叫び声を上げるでしょうから私もこのほうが都合がいいです」
「……ううっ」

 残念ながら反論の余地はなしで情けないことこの上なかったのだが、正直ありがたい提案だ。先に歩き出したルウスに遅れをとらないように、シシィもランタンを手に後をついていく。
 ルウスの様子から1階の本棚から探してみるようだが、この図書館に魔術に関するような本などあっただろうか。

「呪いとか、おまじない系統の本でしょうか?」

 しっぽをパタパタ振りながら歩くルウスを不本意ながらかわいらしいと思ってしまいつつ、シシィは聞いてみる。可能性の高さで言うならそこらへんだろう。
 しかし彼はその言葉を否定する。

「いえ、魔術師というのは思慮深く用心深い人たちですからね。もっと言えば変人であることが普通です。だからレイモルルさんも露骨な場所には記していないでしょう」
「そう、ですか」

 ルウスの言葉、そっくりそのまま返してやりたかった。彼も十分変人の類に入ることだろうが、まあ、それはそれとして。
 ならばどこに記されてあるというのか。
 悩みながら歩いていると、不意に一つのドアが目に止まった。確かあのドアは居住スペースに通じる扉だったはずで、祖母が住んでいた場所に通じる扉。
 住んでいた、場所。

「ルウスさん、もしかするとおばあちゃんの部屋に何か残されてるのかもしれません
よ!日記とかに何か手がかりがあるかも、行きましょう!」
「あ、シシィさん!」

 呼び止めるルウスの声を無視して、シシィは玄関扉を開けた鍵を手にドアへと近づいていった。鍵はこのアンティークキー1本で開くようになっているので、鍵を間違えることはない。ランタンで手元を照らし、鍵穴に鍵を差し込む。
 すると。

「……えっ!?」

 鍵が、溶けてしまった。

「どうしたんですか、シシィさん」
「い、今、今っ!鍵が溶けたんです!!」

 シシィは手のひらを広げてから、鍵穴を指さす。アンティークキーが消えてしまった。
 まるで、気化されていくように。
 グルル、とルウスは少しだけ獣らしく唸ってシシィを見つめながら言った。

「魔術、でしょうね。その鍵は玄関扉を開けたら後の扉は開けさせないよう、消える魔術を仕掛けられていたのかもしれません」
「そ、そんな……じゃあ、おばあちゃんの部屋に行けないじゃないですか」
「そうですねぇ。けれどだからこそ、『ここ』に何かがある線が強くなりましたよ。ここ以外行けるところはないですから」

 結局は、この広い図書室の中から探し出せと言うことなのか。
 消えた鍵はどうすればいいのか分からないのだが、もしかしたら放っておいたらまた再生するものかもしれないし、とシシィは前向きに考えることにして、そのことについては深く考えないことにした。
 なにより、魔術に関する手がかりを探し出さなければ。

「さ、のんびりしていると夜中になってしまいますね」
「そ、それはいけないです!私起きていられませんよ、きっと」
「おや、早寝早起き派ですか、感心ですね」

 褒められたはずのシシィは、微妙にルウスから視線を外してつぶやく。

「……夜、起きてると怖いじゃないですか」
「………………………………」
「………………………………」

 沈黙の後。
 ルウスも微妙にシシィから視線を外し、仕切りなおした。

「……ここらへんから探しましょうか」
「はい……」





********





 それから、約2時間。
 様々な本を調べて回ったが、特にめぼしいものは見つからずシシィは疲れて荷物を置いていた場所に座り込んでいた。ちょっと動けば読書スペース用に置かれてあるテーブルとイスがあるのだが、移動する元気すらなく赤いじゅうたんの上に座り込んでいるので精一杯。
 いい加減お腹も減ってきた。

「うー、ダメです、何か食べましょうルウスさん」
「と言っても私は何も持ってませんよ」
「私が持ってますから、あげます」

 言いながらカバンの中を探り、お弁当箱のような入れ物を取り出してルウスに見せる。ふたを開けると甘酸っぱい香りが漂ってきた、それは。

「ほほう、オレンジケーキですか」
「手作りだから不恰好ですけど」

 一切れ手に取って、ルウスに差し出すと彼は本物の犬らしくパクリとかじりついて咀嚼する。その様子を見ながらシシィも一切れ口に入れた。
 いつも通り、甘酸っぱい味。

「おいしいですよ、疲れが取れます」
「そ、そうですか?」
「ええ。人類憧れの『あーん』もしてもらえたことですし」

 個人の憧れを人類の憧れにするのはどうかと。
 と、思ったところでこれまで食事はどうしていたのか気になった。

「ルウスさん、これまでご飯どうしてたんですか?」

 まさか姿が犬だから買い物なんて出来ないだろうし、ましてや作ることも出来なかっただろう。すると彼はあっさり、しかし重みのある台詞一言でその疑問を片付けた。

「人間、生きようと思えば何だって食べれますよ」
「……オレンジケーキ、もっと食べてください」

 犬になったのは自業自得なのかもしれないが、それでもそんな生活をしていたと聞くと、かなりかわいそうでいたたましい。オレンジケーキの入った容器を差し出しながらシシィは涙を拭った。

「しかし、ほんとうにおいしいオレンジケーキですね。シシィさんお手製ですか?」
「はい。あ、レシピは祖母から教えてもらったんですよ」
「そうなんで……」

 言いかけて、ルウスはピタリと止まる。
 もしかして焼けてない部分があったのだろうか、と心配になってシシィが声をかけようとする前に再び彼が口を開いた。

「しまった……冷静に考えたらこの可能性が高い」
「へ?」

 大失態を犯した、と言わんばかりにへこんだ後ルウスは銀色の瞳で真っ直ぐシシィを見つめる。

「レイモルルさんから、教わったことはこれだけですか?」
「え、ええ」
「よく思い出してください、きっと貴女だけに分かるようなメッセージを残されて逝かれたはずです。何でもいい、最後に交わした言葉でもささいな約束でも」

 そんなことを言われても全く思い浮かばない。
 最後に交わしたのはこの図書館を譲ってくれると言う話だけで、他は特に変わったことなど言ったりしていなかった。だから他にと言われても――。

「……あ」

 思い、出した。
 ささいな、小さないつもの儀式。

「私、いつもここに来ると祖母からオススメの本を言われて、それを探し出して祖母のもとに持っていくのが習慣になってたんですけど」
「はい」
「祖母が亡くなる前も、1冊言われてたんです。その時は忙しくて探し出せなくて」
「……探す価値はありそうですね」

 祖母はこうなることを予測して、だからこそ言われた本を探し出させることをシシィに習慣付けていたのだろうか。だとしたら幼い頃から始まったこの遊び、魔術師になるための準備だった、というところか。
 ――おばあちゃん、ちょっとへこむよ私。

「ほらほら、へこんでないで本のタイトル言ってください」
「えー……と、確か『キャロットの冒険』だったと」
「名前からすると冒険ものかファンタジーもの、もしくは児童書ですね」

 確かに児童書のような感じもするが、シシィの年齢を考えると児童書である可能性は低いような気もする。ということで、ひとまず除外して探しやすい方から探すとすると、この位置からならファンタジーものの棚が近かったはずだ。
 シシィはケーキを入れた容器をカバンの中にしまうと、手にランタンを持って立ち上がり、ルウスと共にファンタジーものの本が並ぶ棚へと歩いていった。

「ジャンルは絞れたとしても、本自体が多いですからねぇ」
「あ、明日になってから探した方がいいのでは」
「ここで一晩明かすことになりますよ」
「う」

 それは勘弁願いたい。
 仕方なしに膨大な数の図書を照らすようにランタンを掲げて、一つ一つ丁寧に調べていく。あ、い、う……え、お。か、き。

「きま……む……も……」
「シシィさん」

 ルウスが指、じゃなく鼻で指した先には『キャロットの冒険』という文字。

「中を見てみてください」

 ルウスに言われて、シシィは恐る恐る本を手に取りタイトルの書かれてある茶色い表紙を開いてみる。が、特に変わったことは何も書かれていないし、何かが挟まっている様子もない。
 ――はずれ、だったのかも。
 ルウスと目を合わせて、何も収穫がなかったことにため息をついたときだった。

 本が、光り始めたのは。

「きゃあ!?」

 シシィはその光に驚いて思わず本を投げ捨ててしまったのだが、本は床に落ちることなくふわふわと浮いている。

「ほ、ほほ、本のオバケ!」
「魔術でしょう」

 冷静なツッコミをありがとうございます。
 そんなシシィの思考に関係なく本はゆっくり回転しながら光を放ち続けて、
 ―――消えて、しまった。
 アンティークキーのごとく、気化されたように。

「え、これってどうしたら……っ!?」

 いいのか、と問う前に、
 体が、熱くなった。
 熱い。
 胸が焼ける。

「うあああああぁぁぁあっ!!」
「シシィさん!……これは、魔法陣か!?」

 胸が焦げ付くような感覚を受けながら、シシィが床を見るとそこには訳の分からない模様と文字が光って浮かび上がっていた。それがずっと、床を覆っている。
 何かが、始まろうとしているのだろうか。
 何にしても――熱くてたまらない。

「ル、ウス、さん……っ!!」
「くっ……まさかこんな手荒な……!!」

 ルウスが何かを言っているが、もう熱くて分からない、聞こえない。
 熱い。
 熱い。
 熱い。
 ――死んでしまいそう。

「う………あ?」

 いきなり熱いのが、なくなった。
 シシィは戸惑いながら自分の体を見てみる。自分の体が光を放っているだけで他は何も異常はない。もう熱さも感じない。

「シシィさん、上」
「はひ?」

 ルウスに言われたとおり上を向くと、カツンと自分の額の上に何か当たって床に落ちて、同時に自分の体と床は光らなくなり、もとの薄暗闇に戻った。
 しん、と静まり返る図書室。
 あまりに日常的な風景に、シシィは泣けてきてしまった。

「う、ううっ、うえぇっ」
「あー……まぁ、今のは大の男でも泣きますからね……」
「なっ、なに、何がっ」

 ルウスはシシィに近づいて、彼女に当たって床へ落ちたものを拾ってシシィの手のひらに渡す。見るとそれは、消えてしまっていたアンティークキー。
 なのだが、少しだけ違う。
 祖母より渡された古めかしいあの鍵は装飾として水色の石がはめ込まれていたのだが、この鍵は形体こそ同じであれ、はめ込まれている石がオレンジ色なのだ。
 じ、と見つめているとルウスが説明してくれた。

「魔術師には、魔力をコントロールするアイテムが必要不可欠なんです。レイモルルさんの場合は鍵だったようですね」
「つ……つまり……っこれが、そうなんですか?」
「今までの水色の石のついた鍵は、レイモルルさん専用。オレンジ色の石がついたそれは貴女専用の魔力コントロールアイテムですよ。常に身に付けてください」

 自分専用の、魔力コントロールアイテム。
 ――と、言われても。
 魔力などと言われても、まだ彼女にはピンと来なかった。だいたい魔力になんて目覚めていたら今まで待たずとも、祖母に魔術を教え込まれていたはずだ、と思っていると何故かその思考を読んだようにルウスはそれについても説明する。

「だから、さっき目覚めたわけです。先ほど体が熱かったでしょう?」
「あ、アレが目覚めたってことなんですか!?あ、あ、あ、あんな死ぬ思いでみんな魔力を目覚めさせるんですか!?」

 その質問については、微妙にルウスは視線をそらす。

「さっきのは……無理矢理目覚めさせましたから……いわゆる裏技みたいな?」
「かわいく言われても……死ぬかと思いました……っ」
「レイモルルさんも決死の決断だったのでしょう……かわいい孫にそんな苦痛は与えたくなかったでしょうが、時間が許さなかったのでは」

 魔術を伝授する前に――この世を去ってしまったから。
 そう思うと責めるに責められず、シシィは言葉を呑みこんだ。

「まあとりあえず、これで鍵は開くと思いますよ。先ほどの魔法陣でこの図書館全てが貴女の魔力に反応するよう書き換えられたみたいですし」
「ほあー……便利ですね」
「とんでもない、魔術は馬鹿みたいに時間がかかりますから大変ですよ」

 そうなのか。
 意外に思いながら自分専用アンティークキーを握りなおし、荷物のある場所まで戻ろうとしたとき、もう一つ足元に何か落ちているのをランタンの灯りが照らし出した。
 紙、のような。
 拾い上げてみるとやはり手のひらサイズの白い紙で、一言だけ書かれてあった。

 『オレンジケーキを食せ』と。

「……え?」

 オレンジケーキ、ならばもう食べてしまったのだが。

「シシィさん?」
「い、いえ!」

 ――意味がない、と願いたい。
 冷や汗をかいているのを自覚しながらシシィはその紙をポケットにつっこみ、先行くルウスに遅れを取らないよう駆けていった。