『ガレオロン』とは何なのか。
まずはそこからの調査なのだが、案外シシィには見当がついていた。そう、今回に限っては情報が意外とたくさんあるのだ。
まず、ヴィトランは『汁』に触れたと言っていたので、おそらく植物か果実だということになる。きっと生物だったなら『体液』と言うだろう。
そしてあとは、ヴィトランの性格からその『ガレオロン』とは美しいものだと思われた。
彼は美しいものはこよなく、分け隔てなく愛してやまなさそうだが、普通と言うか醜いと言うか、そういうものには目も向けず触ろうとさえしないような気がする。
美しい植物か、美しい果実。おそらくこの2つにしぼられるだろう。
シシィは数ある辞典の中から植物や果実に関する記載だけを集めたものを抜き取り、得意の速読で『ガレオロン』という文字を探し始めた。なくてもいい。ダメなら最初から、全部考え直せばいいだけなのだ。
シシィはそう思いながら祖母の隠し部屋にて、本のページをめくり続ける。
「……私が来るまでの30分の間に、やっぱり何かあったでしょう?」
「え?」
やけに前向きなシシィを胡乱げに見つめながら、ルウスは訊いた。
実はあの後、すぐにシシィの後を追おうとしたのだが、居住スペースへ繋がる全ての扉が全く開かず、何故か30分間、ルウスは軽く閉め出しをくらっていた。
おそらくはシシィ自身の「誰にも会いたくない」という思いに鍵が敏感に反応し、本人の意思に関係なく扉を閉ざしてしまったのだろう。
その30分の間、彼女は寝ていたと言っているのだがどうにも嘘くさい、とルウスは思っているようだ。
「そっそそっ、そんな!まったくもって全然これっぽっちもないですよ!」
「………………」
「ない……です」
シシィは嘘がつけないタイプである。これは魔術師にしてはとても珍しく貴重な人物ではあるが、歓迎されるものでもない。何せ魔術師は秘密を多く持っていたほうがいいところもあるのだから。
「まぁ、いいでしょう。私が閉め出されていた30分の間に何もなかったのであればそれで全然構わないです、ノープロブレムです」
「う、あああ……あっ、ホラホラ、ルウスさん!ありましたよガレオロン!」
完璧に拗ねてしまっているルウスに、『ガレオロン』が載っているページを開いた果実図鑑を差し出しながら、シシィは今日の夕飯をローストビーフにすることを密かに決めた。ルウスの好きな食べ物なのだ。
「ガレオロン、やっぱり果実だったみたいです。すごくおいしそうですけど、ルウスさんは食べたことあります?」
「魔術用の果実ですからね……ああ、ホラ。透明薬の原料になってます」
「透明薬の……それでですか……」
ガレオロンは洋ナシのような形で、モノクロの写真なので詳しくは知れないのだが、美しい赤色をしていると記載している。美しいものが好きなヴィトランなら思わず手に取ってしまうだろう。それが魔の果実だと知っていても。
「きっと熟しすぎちゃったガレオロンに触っちゃったんでしょうね」
「人騒がせな……私はあの男は苦手です」
「……何か、されたんですか」
「彼には動物と人類の境がないらしいですよ」
つまり、熱烈にルウスも気に入られたらしかった。とても気の毒で気の毒としか言いようがないが、それはそうかもしれない、とシシィは思う。
何せルウスの黒い毛並みはつやつやで触っていると気持ちいいし、犬としてだが、顔が整っているからだ。
その彼の人物は閉め出しをくらってしまっては仕方ない、と潔く(その前にルウスに絡むだけ絡んで)帰ったらしく、現在、書き残された住所を見る限り宿に泊まっていることが分かっている。それを見たシシィは密かに安堵を覚えていた。
『気に入った相手にはしつこい。シシィの町に居座るかもしれない、アレが』
このぶんならきっと、依頼さえこなせば帰ってくださるだろう。
ということで、シシィは素早く魔法薬を作る作業にとりかかった。
「ええっと……ガレオロンの果汁に触れてしまったときは……色彩薬を患部に塗る」
「塗り薬のようですね」
「はい。色彩薬、色彩薬……。これかな?材料は『ペンドラン』、『ニュオレ』、『コンポラフト』に『レン』、『ミットカエン』……『アメジスト』?」
依頼が進むにつれて、やはり魔術薬の調合が複雑になっていっている。今回は
以前の依頼で作った魔術薬と違い、全て材料から調合するようだが今までと材料の多さが比でない。こんなに多くの材料を調合するのは初めてだ。
シシィは一度に材料をここに呼べるかどうか、とりあえず試してみることにして、手を前へとかざし先ほどあげた材料の名前を呼んだ。
『名を呼ばれしモノ主の下へ、ペンドラン、ニュオレ、コンポラフト、レン、ミットカエン、アメジスト』
戸棚が勝手に開き、材料たちが集まってくる。最近では呼ぶときに手のひらの中に集めるようなイメージでいると額に当たらないことが分かったため、もう額に当たることもなくなっている。立派な進歩だ。
しかし。
「……ルウスさん、これって1個、材料が足りませんよね」
「ええ……何が足りません?」
「ええとええと……『レン』です」
集まった4つの草を前に図鑑を開いて確かめると、レンという花のつぼみが足りなかった。やはり呼ぶ数が多かったので漏れてしまったのだろう。
シシィはもう一度足りなかった材料を呼ぶ。
『レン!』
――しかし、来ない。
「あれ……?『レン』!『レン』!」
「……シシィさん、もしかして材料がないんじゃないですか?」
「あっ!」
それは充分に考えられることだった。むしろ今まで材料がない、という事態に遭遇せずに魔術薬を作ってこられたことのほうがすごいのかもしれない。
シシィはとりあえず棚の中のものをざっと見渡してみて、『レン』がないことを確かめるとため息をつきながらルウスに向かって言った。
「たぶんルウスさんの言うとおりです。Bさんのお店まで買いに行ってきますね」
「分かりました、気をつけて」
そうしてシシィはBの店まで出かけていったのだが――。
「ごめんね、在庫切れなの」
「へ」
「そうね……5日待ちってところ?」
「そっ、そんな!!」
無情な結果を聞かされた。
カウンターの向こう側で悠々とイスに座りながら、相変わらず妖艶に微笑むBの前でシシィはどうしよう、と頭を抱えた。5日待つ、ということは彼がここに5日留まるということに他ならず、それは避けたい事態である。
ヴィトランはきっと基本いい人なのだろうが、何せ変だ。変で怖い。出来るなら関わりたくない人物には変わりないので、さっさと依頼をすませてしまいたいと思っていたのに、これは思わぬアクシデントだった。
「ふふ、やっぱりヴィトランに気に入られちゃったのね?」
「……殴っても、怒られませんでした。喜ばれました」
「気に入られちゃったわね」
みんなこういう確認の仕方をするが、それで本当にあっているのだろうかとシシィは何気に心配になってきた。ヴィトランがどんどん気に入った人に殴られると喜んでしまうような変な人になっていっている気がしてならない。
「あの人、困ったさんでしょう?」
「いえ、あの、困ったくらいで押しとどめていいんですか……?」
「ふふ。ねぇ、モノは相談なんだけど」
より深く妖艶で何か企んでいるような笑みを向けられて、シシィは頭がくらくらしながらも微妙にBから距離をとった。こういうときのBは危険なのだ。
彼女はカウンターに備え付けられている小さな棚から、ブレスレットを一つ取り出す。
「これね、『少年になれるブレスレット』なんだけれども売れなくて困っているの」
「はぁ……」
「半額でいいわ。引き取ってくれたら3日でお望みのもの手に入れてあげる」
悪魔の誘惑のような言葉だ。
シシィは恐る恐るブレスレットに付けられている値札を見る。―――高い、がこの値段の半額だとそこそこな値段になるので買ってもいいかな、と思うくらいだ。
まさしく微妙で巧妙。3日で『レン』が手に入れられるというおまけつきなのが、また心を揺さぶられるポイントなのだ。
「それも、魔術なんですか?」
「ええ。こういうアクセサリー類にはあらかじめ魔術をかけてるか、カスタマイズ用の何も魔術をかけてないものか、2つあるのよ」
何よりそのブレスレットは、デザインがかっこいい。皮の紐に、クラウンの飾りがゆらゆらと揺れている。
「どうしちゃう?どうしちゃおう?」
「う……っ、分かりました、買います」
「お買い上げありがとうございます。じゃあちょっと待ってて、包むから」
包まなくてもいいですよ、と言おうとしたのだが既にBは包み始めていたのでシシィはそれを止めることなく、手持ち無沙汰に店内を見渡した。
改めてみると色々な物が置いてある店だ。何か知らないが、雑誌まで置いてある。
手にとって見ると『月間・魔術師』と書いてあった。
「……」
世の中には色々なモノがあるんだなぁ、と思ってスルーすることにし、シシィはアクセサリー類が置いてあるテーブルの上に目を向けた。意外にもシルバーアクセサリー類が多いようだ。
――あれ、ルビーブラッドさんに似合いそうだなぁ……。そういえば泣き言聞いてもらったお礼をしなくちゃ……。
「まぁ、闇色ハット!」
「はい!?」
「どうしたの、すっかり乙女の顔をしてたわ!!」
乙女の、顔。
ということは、今まで自分は少年に見られていたということなのだろうか、とシシィが密やかに方向違いなショックを受けているにも関わらず、Bはさらに言葉を続ける。
「どんな人なの、貴女にそんな顔させるなんて」
「へ?」
「だから、今、貴女が思い浮かべた人のこと」
ルビーブラッドのことを言っているのだろうか、とシシィは首を傾げながらどんな人かと言われれば、と頭を働かす。
ルビーブラッドは。
「……尊敬できる人、でしょうか」
「……かっこいいとか、優しいじゃないの?」
「ええと、たぶんそれも入ると思います。だから尊敬できる人」
強いからカッコよくて、不器用だが優しい。だから尊敬できる。
これがシシィの頭の中に思い浮かんでいるルビーブラッドへの感情全てである。
「………………ぶぅー」
「な、何ですか、その顔!?きれいな顔がぁっ!」
Bは眉間にしわをよせ、口を尖らせて、そんなきれいな顔なのにもったいない、と叫びたくなるような表情でシシィを見つめている。
何がそんなにお気に召さなかったのか、さっぱり分からない。
「まぁいいわ、そうやって始まるものもあるかもしれないし。ねぇ、闇色ハット?」
「はい?」
「貴女の中で何か変わったら、私に相談に来なさい?料金は取らないから」
包まれたアクセサリーを渡されながら言われたが、シシィには全く何もかも意味が分からなかったので、
「はぁ……」
と、曖昧に返事をしながら受け取ったのだった。
********
「闇色ハットォォォォーー!」
ヴィトランの泊まっている宿は高級宿屋で、その上一番値段の高い部屋だった。
彼は本当に醜いものに耐えられないんだな、と思いながらシシィはタックルしてるんじゃないか、と見間違えそうなほど勢いのいい抱きつきを、全力で身体をひねって回避した。人間死に物狂いなら何でも出来る。
「ああっ、つれない!素敵だ!」
「い、いえ」
「この間はすまなかったね、あんなつもりじゃなかったんだ、僕はちょっと口が悪いらしくてねぇ。許しておくれ」
「お、お構いなく。あの、私も、悪かったと思っているので」
美しい壁紙に美しいじゅうたん、品の良い家具に囲まれた高級で彼好みの部屋の中で、シシィはヴィトランのなおも続く抱きつき攻撃をかわしながらさっ、と懐から薬を取り出した。やっと完成させた塗り薬だ。
「これが薬です、お待たせしてすみません」
「ああ……ありがとう。さっそく使わせてもらうよ」
薬を出されたことで、ようやっと落ち着いたヴィトランはシシィから薬の入った容器を受け取ると、ふたを開けて中を確かめた。さすがにその辺りは魔術関係の人間であるため、頼んだ薬が本当に使えるかどうか確かめているのだろう。
しばらく薬を見つめていたヴィトランは薬から視線を外し、シシィを見てにこりと微笑んで「君に頼んでよかった」と言った。
「素晴らしい調合だ。美しい薬だよ……」
「あ、ありがとうございます……」
言い方は色々問題があるかもしれないが、彼は褒めてくれているのだろう。シシィは少し頬を赤く染めてうつむきながらお礼を言った。
「さて、それじゃあ早速使ってみようかな」
袖をひじまでめくり、包帯を外したヴィトランの腕はやはり骨が見えている。その骨にしか見えない腕にヴィトランがゆっくりとシシィの薬を塗った。
――効いてくれるだろうか。
じ、とシシィは不安げな表情でヴィトランの骨の腕を見つめる。
「………………」
が、何も起こらない。
「……え……失敗しちゃった!?」
しかし薬の調合は魔術書どおりに行ったはずで、反応も完璧だった。何も間違った手順などしていないはずなのに、とシシィがこの世の終わりを見たような表情で悩みはじめたので、ヴィトランはおかしそうに骨の手をひらひらとふる。
「塗り薬は誰が調合しても効きにくいものなんだ。だから君のせいじゃ……」
と、ひらひらさせていた自分の手が目に留まり、ヴィトランは息を呑んだ。
肌が、半透明ながらも見えてきている。
普通この段階までくるのにベテランの魔術師の薬をもちいても3時間ほどかかるし、新人であるというのなら半日かかってもおかしくないというのに、シシィの薬は効きめがありえないくらい早かった。
「素晴らしい……」
「へ?あ、手が元に……」
「素晴らしいよ、闇色ハット!この感動はルビーブラッド以来だ!!」
「きゃあーー!」
感動に感動を重ね、限界を超えたヴィトランは踊るようにシシィに近づき(シシィからするとそれが恐怖だったのだが)手をぎゅっと握り締めた。
「僕は今まさに、素晴らしく美しい魔術を体験している……」
「ひ、ひぃっ!」
目がイってしまっている。
焦点が完璧合っておらず、5キロ先どころか天国を見てるんじゃないかと思うような危なげな瞳で、おまけに至近距離で見つめられシシィの頭はパニック寸前だった。
何故、陽も高いお昼からこんなにハイテンションでいられるのだろう。
やはり、どんなに嫌だと言われてもルウスを連れてくるべきだったのかもしれない。
涙目ながら、本気でそう思うシシィだった。
「決めたよ、僕は愛しき君に宣言する!君の住むこの町に、僕も住もう!!」
『気に入った相手にはしつこい。シシィの町に居座るかもしれない、アレが』
ルビーブラッドの声が、頭の中でリフレインした気がした。
――予言、的中ですよ、ルビーブラッドさん。
目の前が真っ黒になりかけたその時、
「え?」
「何!?何だいこれは……!?」
部屋が真っ白な光に包まれた。
「……っ!!」
強い光が去った後、正常な明るさが戻ったその部屋にはシシィとヴィトランがいて、
――そして、ルビーブラッドがいた。
シシィとヴィトランを横から見るような位置に、今まで誰もいなかったのに彼は突如としてそこに現れた。2人は突然のことに呆然とし、何故か現れたルビーブラッド本人も呆然としていた。
静寂が部屋を支配する。
「……」
「……」
「……」
「………………夢だろうか、これは」
やはり、一番最初に動いたのはヴィトランだった。
「今僕は地上で一番美しい場所にいるに違いないだって僕の愛する君たち2人がこの場所に存在し同じ空気を吸っているなぐふっ!!」
次に動いたのはルビーブラッドだった。
呆然としたまま、現実に帰ってきていないシシィの手を握り締めて己に近寄ってくる敵に慄然としながらも、それこそ手刀と呼ぶにふさわしい手刀でヴィトランののどへガツンと横に払うようにヒットさせた。ちなみに首は人間の急所であり、人間である以上ヴィトランもその衝撃に耐えれるはずもなく、音を立てて床へと落ちていく。
シシィはヴィトランが攻撃を受けた際、手を離していてくれていたので一緒に床へ沈まずにすんだのだが、ばっちり今までの光景を見ていた。
静寂が再び部屋を支配する。
「……出るぞ」
「え、あ、え!?」
「いつも出会って真っ先に気絶させているから気にするな」
どうなのだろう、それは。
そこまでしてでも買うほど彼の魔道具には価値があるのだろう、とシシィは心の中で結論づけ、床に沈んだまま気絶しているヴィトランに一応お辞儀をしてから、ルビーブラッドの後を追うように部屋を出た。
宿から出たところで、ルビーブラッドがため息をつく。
「……まさか、いるとは」
「あ、あの、どうやって来たんですか……?」
驚いた、と言わんばかりのルビーブラッドの口ぶりに、シシィも思わず驚いて不思議に思ったことを質問した。魔術か魔導で現れたのは分かっているのだが、何故よりにもよってあの場所に飛んできたのか。
ルビーブラッドは無言で、自分の両耳につけている赤黒い石のピアスを指さした。
「シシィのペンダントについているのと同じ石から作っている。だからこのピアス経由
の魔力で飛ぶと、お前の近くに飛ぶ。逆も然り」
「そ、そうなんですか……って、あれ……?このペンダントは夢の……あれ?夢?」
「2種類、魔術をインプットしてある。『夢』と『飛ぶ』ことだ」
「と、いうことは……夢じゃなかったんですね……」
日が経つにつれて、やはりルビーブラッドに会ったのは自分の妄想が作り出した夢なのではないかと心配だったのだ。
けれど、今のルビーブラッドの言葉を聞く限り、やはりこのペンダントがあの夢でルビーブラッドと本当に会わせてくれているらしい。
「いや、夢だが」
「いえ、あの、夢なんですけれど」
微妙にややこしい話である。
「で、アレの狂喜乱舞はどうした。さすがにひいたぞ」
「ひ、ひいてたんですね、アレで……。あの、ヴィトランさん実はですね、ルビーブラッドさんが言った通りここに……住みたいとおっしゃられて」
「……」
「ど、どうしましょう……」
なんだか彼と会うときはいつも泣きたい事態に陥っている気がする、とシシィが空しく晴れた空を見上げていると、ルビーブラッドも先ほどより重くため息をついた。
眉間のしわがこれ以上なく寄せられていて、いつもより迫力5割増しである。
「諦めるか、諦めさせるか」
「諦めてもらうことなんて出来るんで……そういえば、ルビーブラッドさんのときはどうやって諦めてもらったんですか?」
夢の中で話したとき、彼は確かについて回られたと言っていた。けれど現時点ではそういうこともなさそうなので、どうにかして諦めてもらったのだろう。
その方法を習おうとして、シシィは尋ねたのだが。
「ついて来る度、実力で話し合った」
「…………」
「噛み砕いて言うなら、」
「いいです、諦めます。腕はいいお人らしいですから、大丈夫ですきっと」
「そうか」
この場合どちらを褒めればいいのかシシィには全く判断がつかなかった。一流と呼ばれるルビーブラッドと戦って生き残っているヴィトランをすごいと言うべきか、あの恐ろしいまでのテンションに屈服せず戦いきったルビーブラッドをすごいと言うべきなのか。きっと結論は出ないだろう。
微妙に視線を外して微笑むシシィを不思議に思いながらも、ルビーブラッドはちらりとヴィトランの眠る宿を見上げる。
「4、5日はこの町に滞在する」
「え?」
「アレが暴走しないか気がかりでもあるし、この町は平和で休息に向いている」
「あ、そうですよね、お仕事ばかりじゃ疲れるし。この町なら休息の滞在に向いて……」
滞在。
と、いうことは――。
「あああああっ!」
「何だ」
「いいえ、いえっ!あの、その!!」
『名前』の問題があったのをすっかり忘れていた。
この町にはシシィを『闇色ハット』と呼ぶ人間が2人いる。ヴィトランとBだ。
そしてルビーブラッドは『シシィ』と呼ぶ。
どちらにも、自分の名前を呼ばれてはまずい事態が発生してしまったのだ。呼ばれたら最後、おそらくシシィの魔力はなくなってしまうのだが、それはルウスのためにも絶対に避けなければいけないことで。
実は先ほどの3人の邂逅はかなり危ういものだったのだ、と気がついてシシィは冷や汗を拭う。
さて、どうしたものか。
「どうした」
「お、おおお礼を!お世話になってばかりなので何かさせてください!」
「……」
じ、と見られているその視線がかなり痛い。やはり不自然な誤魔化し方だっただろうか、万事休す、とシシィは軽くパニクッていたのだが、彼はおかまいなしにボソリとつぶやいた。
「オレンジケーキ……」
「へ?」
「うまかった」
ぽかん、としてルビーブラッドを見つめる。
食べたい、ということなのだろうか。
「あの、オレンジケーキを作るだけで……いいんですか」
「うまかった」
「あ、あの、じゃあ、ルビーブラッドさんがこの町にいる間は毎日作って差し上げますけど……それで、本当にいいんですか?」
「毎日……」
なんだか嬉しそうだったのでそれでいいか、と思いつつもやはり頭の隅のほうではこの事態にどう対応すべきか、フルパワーで考えるシシィがいたのだった。
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