――ああ、またあのガーデンだ。
 流星群が流れる夜のガーデンで、シシィはブランコに座りながら考える。
 この夢は、結局何も出てこない。静かに時間が流れていくだけだ。
 ただ、安心する音は相変わらず聞こえる。
 この音が、シシィの不安を落ち着かせてくれていた。

「私……どうしたらいいのかなぁ……」

 迷子の羊のような気分。
 何かに追い詰められるような、そんな不安。
 けれどこの夢を見れば、不安はどこか遠くへいってしまうのだ。

「……」

 キィ、キィ、とブランコは揺れる。
 相変わらずこのガーデンには花が咲かない。
 流星群はいつまでも流れていく。
 キィ、キィ、と。

「……おばあちゃん……私、魔術師に向いてるの……?」

 その答えは、永遠に聞けない。
 また、安心する音が聞こえてくるだけだ。

 涙が、出てきそうだった。





◇◇◇◇◇◇◇◇





 いつものように、誰も来ない図書館は静かだ。
 シシィはその耳が痛いくらいの静けさの中、眠気と人知れず戦っていた。今日はあの不思議なガーデンの夢を見たのだが、あの夢はとても懐かしくて安心する分、何故か起きたときに疲労が残っている。眠っているのに眠っていないような感覚だ。
 ――何だろう、あの夢……。
 祖母が残した魔術なのだろうか。今のところそれくらいしか思いつかない。
 ルウスに相談しようかと思ったが、なんとなくこのことは秘密にしておいた方がいい気がして、シシィはこのことを話していなかった。
 そのルウスはというと、シシィが眠気と戦っているというのに隣ですやすや眠っていらっしゃる。
 ――羨ましい。

「……本当に犬みたいですよ、ルウスさん」

 ちょっとだけ嫌味を言ってみたが、本人が寝ているので効果はない。
 そんな時間を過ごしていると、1時を過ぎたころだろうか、ある1人の訪問により静けさは脆くも崩れ去ったのだった。

「ごきげんよう!闇色ハットは君?」
「……へ」

 魔術書を読みながらカウンターに座っていたシシィは、本から顔を上げて自分のことを――ワークネームの『闇色ハット』で呼んだ青年を見上げた。
 見上げて、息を呑んだ。

「びっ……」

 美形、だった。肌は陶磁器で出来てるんですかと問いかけたくなるほど白く、まつげはまばたきすれば風が起きるんじゃないかと本気で思うくらい長かったし、目は女の子でもこんなにパッチリ二重の人なんていないんじゃないかと思うくらいで、とにかく顔が整っていらっしゃる。
 なのに、ちゃんと男性的なのだ。
 髪は薄い茶色で少し毛先が巻き気味、瞳はエメラルドグリーン。
 微笑んだ唇からのぞく歯は、当然のごとく白い。
 緑のVネックのサマーセーターと、ラフな感じの白いズボンがよくお似合いだった。

「美形です!!」

 思わず、叫んでしまった。
 その叫びで、隣で寝ていたルウスが何事か、と身を起こす。
 一方青年は美しい微笑をシシィに向けて、彼女が「?」と首をかしげた瞬間、まさにその一瞬を狙ったかのようにいきなり彼女を抱きしめた。

「ぎゃあぁぁああ!!」
「素晴らしい!予想以上のかわいらしさにこの魔力、合格だ!神は二物を与えたもうたね!君のかわいさは、そう、風に揺れるピンクの可憐なる野花としよう!!」

 ピンクの野花、とまで決めたなら花の名前を言って欲しかった。
 ではなく。
 青年はシシィを力ずくで(細そうな腕だったのに、どこにそんな力があったのかシシィは不思議でならなかった)カウンターの向こうからシシィを引きずり出し、さらに力強く抱きしめてきた。腰を撫でられて、ぞわり、と鳥肌が立つ。
 何故自分に関わる男性はセクハラを実行してくるのか。厳密に言うとルビーブラッドはしていないのだが、そんなこと今のシシィには考えられず、とりあえず。

「いやですーーーー!!」
「うぐっぶは!!」

 思わず顔面めがけてグーで殴ってしまったが、彼はそれを避けることなくその美しい顔面でもって受けてしまい、そのまま後方に倒れた。めちゃくちゃ弱い。
 そのまま慌ててシシィは後ずさりしたが、彼が倒れたまま一言、

「ふふ……美しく強いものにいたぶられるなら本望さ」

 と言ったのを聞いて、シシィの中で確実に何かがさざ波のように引いた。
 生きてきて初めてのドン引きだった。
 ――ロープで縛って、軍警を呼んでこよう。
 そう思うのに全然抵抗がなかった。
 彼が次の一言を言わなければ。

「お遊びはこのくらいにして――君に依頼だ、美しき闇色ハット」

 彼は起き上がりながら不適に笑って、セーターのすそをを二の腕まで引き上げて、ひじを覆うほどまで右腕に巻いていた白い包帯を取り外す。
 その、腕は。


「この状態――どうにかしていただけるかな」


 骨、だ。
 まごうことなく骨だ。
 そこにあるはずの筋肉は見当たらない。明らかに普通でない光景を目の当たりにしたことで、魔術関係だ、と気を引き締めたシシィを見つめながら、彼は正しく完璧に美しく微笑んだ。

「僕の名前は『ヴィトラン』。以後お見知りおきを」
「や、『闇色ハット』です……」

 以後お見知りおきを、とはとてもじゃないが言いたくなかった。出来ればこの依頼で最後にしたい。
 とりあえず座って落ち着いて話すことにして、シシィはイスを勧めたのだが、ヴィトランと名乗ったこの美しき青年は彼女の正面ではなく隣に座って、シシィに微笑みかけながら話を進めはじめた。
 もちろん、シシィのそばにはルウスが控えているのだが――ルウスの、ひしひしとした警戒心がシシィに伝わってくると言うか、彼の瞳孔はさっきから開きっぱなしだと言うか、単刀直入に言えば怒っていらっしゃるのがよく分かる。
 ヴィトランに噛みつかないか、それがかなり心配だ。

「一応ね、Bの紹介状。僕は『この世界の人間』だからいらないかと思ったけど」
「……魔術師さん、なんですか?」
「まさか、あんな陰気なやつらと一緒にしないでくれ……ああ、一部例外はいるけど」

 魔術師本人を目の前に、とんでもないことをおっしゃる。

「僕は『魔道具師』。この世のあらゆる魔術に使われる魔道具を作る職人だ。君に分かりやすいところで言えば、ロッドを作ったり魔術専用フラスコを作ったり、ね」

 その言葉でシシィはいつも使っていたフラスコや試験管、ビーカーが普通のものではなかったことを知った。彼の言葉から推測するに、魔術専用のフラスコなどは何かしらの加工がされた道具らしい。
 と、いうことは彼もまた魔術に関係する人間なので『ヴィトラン』という名前もおそらくワークネームなのだろう。
 しかし関係ない話だが、微妙に距離を縮めてくるのはどうにかならないだろうか。

「それで、その……右腕は」

 ヴィトランの右腕。
 彼の右腕は見た目的には少々グロテスクに、白い骨が見えていた。
 というより、まったく筋肉や神経が目に見えず、まるでクリアなレントゲン写真でも見ているか、人体模型の骨をいたずらでつけているんじゃないかと疑いたくなるほどはっきりと見えている。
 しかも奇妙なことに、ひじまで。
 ひじから上は普通に肌がちゃんとある。

「ああ、僕としたことが本当に困っていてね」
「はぁ」

 それは、困るだろう。骨が丸出しの右腕では包帯を取ることが出来ないはずだ。

「僕は利き手が右だから、魔道具を作るときに支障が出てしまったんだよ。筋肉が見えているのといないのでは勝手が違ってね」

 忌々しそうにつぶやく彼を見る限り、右手の見た目と感覚が違うため思ったとおりの魔道具が作れなくて困っているのだろう。確かに仕事が出来ないのは困る事態だ。
 魔道具、というからには技術職であるだろうし、そうであるからには手が基本。
 少々グロテスクな彼の右腕を見つめながら、シシィはそう思う。

「助けてくれたら君に、最高の魔道具をプレゼントしよう」
「はぁ…」
「いや、君にならお礼でなくともプレゼントしたいね。貢物だね!」
「いえ、け、結構です」

 できるだけ関わりのあるものは避けたい。普通ならこんなにも美形な男性からプレゼントを貰ったなら少女としては嬉しいし、憧れの夢だ。が、彼に関してはNOだ。
 ――だって、何か変だよ……。
 シシィは近よってくるヴィトランを手で遠ざけながら、思う。

「つれないな、つれないね。僕はいつもこうなんだ、気に入った相手にはいつも冷たくされる」
「そう、なんですか」
「そしてそれに、とてつもなく燃える」

 どうしよう、としか感想が出てこない。人間本当に困ると、どうしようもなくなって立ち止まるんだな、とこんなところで知ってしまったシシィだった。

「僕を懇意にしてくれている人がいるんだけどねぇ、その人もさっさと商品だけ受け取って、風のようにいなくなってしまうんだよ!おお、つれない!」
「き、きれいな人なんですか?」
「そうだね、笑えばいいのにいつもしかめ面だからねぇ」
「し、しかめ面」

 女性なのに、珍しい。というかヴィトランが残念ながら嫌われているのだろうか。

「強くて美しい、彼ほどの逸材はいないのに」
「…………彼?」
「彼」
「……だ、男性……ですか?」

 今、微妙に横でルウスが下がった。ということは、ルウスは人間のときはモテる人だったのかもしれない、とシシィの頭の中にめぐる。
 現実逃避だ。

「僕は美しく強いものに差別はしない」
「す、すさまじいですね」
「お褒めの言葉ありがとう!君は心も美しいね、闇色ハット!」

 褒めたのではなく、他に言いようが思いつかなかったのだと言っても信用してくれなさそうな勢いで、ヴィトランは喜んでいる。どうしよう、本当にどうしよう。
 あまりにも困ってしまったのでシシィはとりあえず、先ほどヴィトランから貰ったBの紹介状をあけてみた。便箋は以前同様、やはり黒い。

“闇色ハットへ。ごめんなさいね、その困った人、驚いたでしょう?”

分かっているなら紹介して欲しくなかった、と思わず思ってしまう。

“でもねその人、腕だけは一流なのよ。だから知り合っておいて損はないと思う。
あんまり心配してないんだけどその人、気に入らない人間にはすごく冷たいから気をつけて。あと、気に入った人間にはしつこいから気をつけてね。
それじゃあ、健闘を祈るわ。”

「……」

 なんて困った人なのだろう、とシシィは思わず頭を抱えた。本気で抱えた。
 気に入っても気に入られなくても気をつけて、と言われる人間を見てみたい、目の前にいるのだが。
 その困った人物は甘い微笑みでコチラを見ている。
 ――素早く確実に正確に、依頼を終らせよう。
 もうそれしかない。そうしないと困るのは自分だ、依頼を受けるしかない。
 シシィはそう思って自分を奮い立たせ、何が原因だったのか、思い当たることはないか訊いてみることにした。

「あの、何か思い当たることは……」
「ああ、『ガレオロン』の汁に触れてしまったんだ」
「……『ガレオロン』?」
「え?」

 意外にも心当たりはあったようだ、が、しかし。
 ガレオロン、とは何だろう、ニュアンス的に魔術に関係するもののようだが、とシシィが首をかしげたとき、ヴィトランが呆然、呆気に取られた顔で言った。


「――もしかして、知らないのかい?」


 その言葉に――シシィの顔は赤くなる。

「………………っ」

 ――無知だと思われた……!

「え、あ、すまない。そういうつもりで言ったんじゃなく……」
「いえ……っ、あの、分かりました!『ガレオロン』というのを調べて魔術薬をお渡ししますからっ!今日は連絡先だけ書いておいてもらえますか……!?」

 ――恥ずかしくて、情けない。
 目の前がにじんでいくのが分かった。頬は熱いし、頭も熱いし、目の奥も熱い。
 自分が世界で一番愚かでマヌケで、どうしようもなくダメな人間に思えてきて仕方がなかった。ここから今すぐにでも逃げ出したかったが、今は依頼を頼まれている最中だから、と自分に言い聞かせてシシィは己の身体をイスに縛りつけるような思いでそこに留まる。ヴィトランの顔は、見れなかった。

「闇色ハット……」
「だ、大丈夫、です。ちゃんと調べておきますから……!」

 と言いながらも不安が拭いきれない。
 ――もし、調べても分からなかったら?
 もし、調べたところでこの症状は自分に治せないことが分かったら?
 身体が熱い。
 ぐらぐらと目の前がゆれる。

「わん」
「……ル、ウスさ……」

 そばにいたルウスが、わざわざ犬の鳴きまねで励ましてくれたのが分かる、が、それが余計に情けなく思えてしまう。そういえば彼もまた、自分を頼ってきた依頼人であるのに、こんな無知な魔術師に魔術薬を作ってもらわなければいけない立場にいるのだった。
 ――すごく、不安に違いないよ……。
 そう思うと、

「……っ!」

 涙がこぼれた。

「闇色ハット!」
「わん!」

 ――私、最低だ。こんなときに泣くなんて。

「ご、ごめんなさい!私調べてきますから、連絡先は書いておいてくださ……っ!」

 限界だった。
 イスから立ち上がって、シシィはルウスとヴィトランをそこに置き去りにして、家の隠し部屋へと走った。何も目に入らない。焼いておいたはずのオレンジケーキも、紅茶もソファも寝室も、何もかもがシシィには関係ないもののように思えた。
 隠し部屋に上がると数ある魔術書を手当たり次第にとって、イスにも座らず床に座り込んで魔術書をパラパラとめくる。
 『ガレオロン』とは何なのか。見つけなくてはいけない。知らなければいけない。
 シシィは無心でページをめくった。
 めくってめくってめくって――

「――――っ」

 めくっても、何も見えない。

 ただ、ポタリとしずくが本に落ちて染みてしまっただけで。

 情けなかった。
 恥ずかしかった。
 知らないことが多すぎて、けれど知っていなければいけないことが多すぎて、他の魔術関係の人々と話が合わない。困らせる。
 ルウスも内心、不安なのではないだろうか。頼ってきたのは凄腕だったらしいシシィの祖母だったのに、既に亡くなっていて、いたのは跡継ぎと言っても何も知らない小娘1人で。

 祖母が生きていたら、生きていてくれたら。
 きっとルウスはすぐにもとに戻っていた。
 シシィも、きっと祖母に教えを請えた。
 ――けど、おばあちゃんは、もうどこにもいないんだ。

 どんなときでも味方だと思っていた人が、いない。

「う……ううっ……おばあちゃあん……っ」

 本とひざを胸に抱え込みながら、シシィは涙を流した。

 ――パチ。

「……ひっく……っく……?な、に……今の音……」

 ――パチ、パチパチパチ。

 どこからか音がする。そう思ったシシィが顔を上げた瞬間、胸の辺りで何かが強烈な赤黒い光を放った。眩しくないけれど、目を細めたくなるような光。
 赤く、黒い。
 ――これって……。

「ルビーブラッドさんの……!」

 ペンダントが胸から離れるように浮かんで、光を放つ。
 その光を見ていると突然――まぶたが重くなった。
 起きて、いられない。

「は……れ……?」

 ――意識が、遠くなる。
 シシィはそのまま横向きに倒れて目を閉じ、現実世界と一旦別れた。