依頼を一挙に2つ受けるなど、初めてだ。
 とりあえず話を聞くことにしたシシィは、いつもの読書スペースにあるイスに依頼人に座ってもらった。

「まず、あの、どうして祖母の名前を?」

 彼女の前に座りながら、シシィは疑問に思っていたことを訪ねた。ルウスもどこか緊張した様子でシシィのそばにいる。よほど彼もそのことが不思議なのだろう。
 依頼人は頬に手を添えながら、その訳を話してくれた。

「私の母が、昔『パール』という魔術師さんにお世話になったんです」
「なるほど、それで知っていたんですか」
「ええ」

 そういえば祖母も魔術師であった以上、依頼を受けていたはずで、そして依頼人にはワークネームを名乗っていたはずだ。それで昔治してもらった母親から娘である彼女が、その名前を聞いていたとしてもおかしくはない。
 彼女自身に問題が起こったのだとしたら、なおさら。
 シシィは依頼人の女性をじ、と見つめる。
 特に変わった様子はなさそうだし、元気に見えるのだが、『パール』――魔術師を頼ってきたからには何かがあったのだろう。

「それで、困っていることは……?」
「味覚、なんです」

 味覚?とシシィが首をかしげると、彼女はさらに付け加えた。

「何を食べても、イチゴの味しかしないんです」

 ――何を食べてもイチゴの味。
 シシィは額に手を当てて、必死になって思い出す。どこかで、この症状を読んだ気がする。ということは、これは初級の魔術なので自分で解決できるということだ。
 上級や中級魔術であれば、シシィでは対応できないのでBに頼んで別の魔術師を紹介してもらうことも考えていたが、そんなことにならずに済みそうで、シシィは安堵した。
 出来るならやはり、早く解決してあげたいと思う。

「それは最近のことですか?」
「はい。ええと……5日くらい前からだったと思います」
「何か変わったことをなされませんでしたか?」
「……ええと……」

 依頼人が悩んでいる間、シシィも悩む。必ず読んでいたはずなのだ、この症状は。
 読んでいたなら思い出せるはずだ。
 ――ええと……なんだっけ、なんだっけ……。
 シシィは思考しながら、図書館のいたるところに目をやって。
 不意に、思い出した。

「ベリー……」
「はい……?」
「あの、ベリーを食べませんでしたか?黒い、丸いので。山になってるような」

 手で丸を作りながらシシィが依頼人に尋ねると、彼女はその質問で思い出したようで、驚きながら首を縦に振って頷いた。

「あ、はい!食べました、知人から山で取ってきたベリーを貰って……」
「その中に、魔術に使うような果実が含まれていたんだと思います。ちょっと待っててください、薬は作ってありますから」

 以前の依頼以降、薬は常備してあるようにしている。いつ、その薬を使うか分からないからだ。幸い魔術書には魔術薬は半永久的に効き目があるのと、特に賞味期限もないということを書いていたので作り置きをしておいたのだが、こういう形で役に立つとは思っていなかった。
 しかし、よく考えればこういうふうに作り置きしておいた方が依頼人のためになりそうだ。シシィは内心頷きながら立ち上がり、図書館を後にして自宅へと向かった。
 リビングと廊下を抜けて、一番奥のつきあたりにある階段を上る。
 古ぼけた匂いのする、祖母の隠し部屋。その部屋においてある棚に並んだ薬ビンの中から、青い色の液体が入った薬ビン1つを取り出して、きびすを返した。
 図書館に戻る途中、リビングを通り抜けるところでシシィははた、と気がつく。

「何か食べないと、成功したか分からないで不安だよね……?」

 そこでキッチンへと入り、今朝焼いておいたアップルパイを切って皿に乗せ、一緒に出すことにした。これで味覚が戻ったかどうか分かって安心だろう。
 ――戻る、よね?
 また不安になってきた。もし、この魔術薬がうまく働かなかったら。
 手に嫌な汗を握る。嫌な緊張感だ。
 少し震えながら、図書館に繋がる扉を開いた。

「……持って来ました、これです」

 依頼人の前に、青色の魔術薬を差し出す。その色に彼女は目を丸くして、目の前に差し出されたものを不安げに凝視した。当たり前だろう、シシィだってこんな色の薬を差し出されたら、まず引く。真っ先にしり込みする。

「ふ、不安に思う気持ちは分かるんですけど、これが薬なんです……。それで、このアップルパイは飲んだ後に、味覚が正常に戻ったか確かめたいと思うので食べてみてください」
「は、はい」
「それじゃあ……あの、ど、どうぞ」

 微笑んで勧めてみたが、彼女が不安そうなのは見てとれた。
 色、というのもあるだろうがやはり――作ったのが自分だということが彼女の不安を煽っているのかもしれない、とシシィは思う。
 ルウスのように、彼女は『パール』を頼ってきた。
 が、今彼女の前にいるのは『パール』ではなく、自分。どう見ても凄腕の魔術師には見えないし、逆に頼りなさげに見えるであるだろう。
 ――私じゃ、やっぱりダメなのかもしれない。
 シシィがそう思って、視線を床へと下げたとき。

 ごく。

 そんな、小さな音が聞こえてきた。

「…………!」
「……案外、変な味はしない、んですね」

 ビンの中は、空。
 彼女は、飲んでくれた。
 のどに手を当てている彼女に、シシィはハッとしてアップルパイを勧める。依頼人はフォークを手に取って、アップルパイに一口大の大きさ分だけ突き刺し。
 パイを、口の中へ。
 サクリ、という音がなった。

「…………」
「ど、うでしょうか……」

 恐る恐る訪ねたシシィに、彼女は、

「アップルパイだ……」

 とびっきりの、笑顔を向けた。

「ちゃんと、アップルパイの味がします!イチゴじゃなくて、甘いアップルパイです」
「よ、よかった……!」
「アップルパイ、焼くのお上手ですね」
「い、いいえ!あ、で、でも、ありがとうございます……」

 顔を赤く染めながら、シシィは恥ずかしさでまたうつむいた。褒められるのに慣れていないので、体中が燃えるように熱い。
 その様子に依頼人はふふ、と笑う。

「ありがとうございます、魔術師さん」
「え?」
「母の言ったとおりでした。昔、症状を治してもらったときにとても優しくしてくれたと。魔術師はそういう人たちだから、心配要らないと言っていたんです。こんなふうに、すぐ成功が分かるように、食べ物まで用意してくれてありがとうございます」

 目を丸くして、依頼人を見つめるシシィに彼女はさらに微笑みを深くする。


「私にとって、貴女は最高の魔術師です」


 その微笑みと言葉は、シシィの中に、確かに何かを灯した。





********





 そこに書かれた言葉に、シシィは歓喜の声を上げそうになった。

「ル、ルウスさん」
「ありました?」
「ありました……!」

 その日の夜、7時55分。色々あって疲れていたが、シシィは最初に受けた依頼の症状と対処を祖母の隠し部屋でずっと調べていて、ついにその項目を発見した。
 何故、この症状が見つからなかったかと言うと。

「同じだったんですよ、ルウスさん!」
「同じ?何とです?」
「最初の依頼とです!」

 ルウスが最初の依頼?と首をかしげる。
 シシィにとって最初の依頼とは、のどが渇くと訴えてきたあの少女。あの少女の原因は魔力を出し損ねたことだったのだが、それと同じということになると。

「あの少女……魔力の出し損ねだと?」
「厳密に言えば違うみたいです。このページの最後に……ホラ。循環ミスが起こった場合もこのような症状がでるって書いてます」

 シシィがルウスに広げて、指し示した箇所には確かに書いてあった。
『魔力は血液より遥かに遅い速度だが、同じように身体の中で常に循環している。その循環が滞ると上記と同じような症状が起こる。』と。
 ルウスはそれを見て、ふむふむと頷く。

「なるほど……盲点でしたね」
「お昼から来た依頼人さんを治した後に、何かモヤモヤするなぁって思ったんです。それで、あの依頼と同じように実は知ってるんじゃないかと」

 そういう意味で、あの依頼を受けたのはとてもツいていた。まさか、すでに覚えたところに書いているとは思っていなかったので、あのままだったら見つけ出せなかったかもしれない。
 ――まだまだ、勉強不足な証拠だよね。
 自分で突っ込んで、かなりへこんだ。全く持ってその通り。自慢できるような手柄ではなく、むしろ恥ずべきことだろう。

「ははぁ……それは、いい勘をしてますね」

 フォローかと思ったそれは、あまりに声音に含みがありすぎた。
 にやり、とルウスが笑ったような気がして、シシィは固まる。
 ――違う。これはフォローじゃない、絶対。
 彼が笑うと、嫌な予感がするのはどうしてだろう。

「ほほう……うんうん」
「な、何なんですか」
「いえ?何でもないですよ?」
「う、嘘です!絶対何かあります!」

 と、言ってからシシィは激しく深く重く後悔した。

「本当ですよ。シシィさんが、魔術師になる気が起こったのかなぁと思っただけで」
「そっ、そんなことはないと思います!!」

 内心、ドキリとした。自分はそれほど分かりやすい人間なのだろうか。
 ――だって、あんなこと言われたら。あんな笑顔を見たら。
『私にとって、貴女は最高の魔術師です』
 誰だって、嬉しいに決まっている。
 少なくとも、背中を押されるような勇気を貰った。まだ不安は残っているが、シシィは魔術師の仕事がようやく楽しいと思えるようになってきたのだ。
 ――ルウスさんには、まだ言えないけど。
 もう少し。
 もう少し、自分に自信がついたら、そのときは。

「……そういえば、ルウスさん」
「はい?」
「あの依頼人さんが来たとき、何故か……そう、依頼を受けるのを止めていたように思えたんですけど、どうしてですか?」

 その言葉に、今度はルウスが固まった。

「いや、あのですね」
「……ルウスさん?」
「……彼女は、Bさんの紹介状を出さなかったでしょう?」

 そういえば、とシシィも改めて思い出す。今までの依頼人はBの真っ黒な紹介状を差し出していたのだが、今回のあの彼女は差し出してこなかった。
 自分の母親が『パール』を知っていたので、Bに頼るまでもなかったのだろう。
 それが、どうしたと言うのか。

「Bさんは、おそらくシシィさんのレベルにあったお仕事をくれていると思うんですよ」
「それは分かってますよ?」
「だから、彼女の紹介状なしで来たあの依頼人は、もしかすると中級や上級魔術でなければ解決しないような問題を持ってくるかもしれなかったでしょう?そういうものに当たって、シシィさんが彼女を助けられずにへこんでしまったらどうしようかと思ったので、止めたんです」

 気遣い、だったようだ。
 彼女が持ち込んだ問題がシシィの手に負えないものだったら、Bに別の魔術師を紹介してもらわなければ、と考えていたが、その後自分はどうなっていただろう。
 ――へこんでた、だろうなぁ……。
 自分の力量じゃ、助けてあげられなかった、と。へこんで落ち込んで、もしかすると魔術自体にも嫌気がさしたかもしれない。

「まぁ、杞憂だったようで安心しましたが」
「ありがとうございます、ルウスさん」

 何だかんだで、彼はシシィのことを心配してくれる。
 そのことがシシィには嬉しかった。

「――さて、ともかく早くコホルク薬を作っちゃいましょう!」

 コホルク薬は以前作った薬なので、作る手順も分かっているし、あの時と違い結構な数の魔術薬を作ってきたので要領もつかんできた。そう時間はかからないだろう。

「お、やる気ですね、シシィさん!」
「はい!早くしないと、私が眠くなっちゃう時間になります!!」
「…………」

 時計の針は、今8時を指した。
 シシィの就寝時間は、夜9時だ。





********





 翌日、午前10時。
 シシィと依頼人である少女は読書スペースで、向かい合って座っていた。ルウスはいつものようにシシィの隣で成り行きを見守ってくれている。
 机の上には、最初の依頼と同じようにレモンスカッシュ。
 彼女もまだ小さいので、そのまま薬を飲むよりかはジュースに混ぜて飲んだ方が精神的にも飲みやすいだろう、と配慮して同じ方法をとった。
 案の定、レモンスカッシュを見つめる彼女の表情は拍子抜けした、というようなもので恐怖や怯えは見えない。思惑は当たりだったようだ。

『これが、薬なんですか?』

 昨日と同じように、メモ用紙に書かれた彼女の言葉にシシィは頷いた。

『飲んだ後に咳が出るけど、我慢してね。それが雑音を治してくれるから』

 飲んだ後は、強制的に咳が出る。けれど、その咳こそが、滞っている場所の魔力を排出させて再び流れをスムーズにさせてくれるらしい。
 そのことも筆談にて一通り説明すると、納得して少女は頷いてくれた。それを見て、ひとまずシシィは安堵する。飲むのを拒まれたら、シシィにはどうしようもない。

『味は普通のレモンスカッシュだからね』
『はい』
『それじゃあ……飲んでみてくれる?』

 少女は緊張したように頷いて、震える手でコップを持つ。
 ――どうか、成功しますように。
シ シィにも緊張が移る。彼女はやはり、昨日も眠れていなかったのだろう、クマが濃くなっている。彼女が安眠できるようにしてあげたい。
 ぎゅ、と机の下で、祈るように手を握り締めた。それに気がついたルウスが、しっぽを振ってシシィの足に軽く当てる。
 大丈夫、と励ましてくれているのだろう。その密やかな応援が、心強い。

「……」

 少女はしばらくコップの中の液体を見つめて――決心したかのように目をつむって一気にレモンスカッシュを口へと含み嚥下した。
 ごくん、という音が図書館内に響き渡る。
 ――この、後だ。
 咳が出始めたら。

「……っごほ!」

 少女が苦しげに、のどを押さえる。
 まだ、魔力は外に出ない。

「ごほ……っ、ごほ!」

 少女ののどが、ぼんやりと光り始める。魔力が押し上がってきているのだ。

「ごほ!!」

 その一際大きな咳で、やっと魔力が外に押し出されて床に落ち、パ、と散った。
 不思議な光景を見届けた後、シシィは再び依頼人の少女に視線を戻す。
 ――彼女は、両耳を手で押さえていた。

「……あ、の、聞こえる、かな?」
「……聞こえない……」

 びくっ、とシシィの体が震える。
 ――『聞こえない』……?
 ということは、失敗したのだ。彼女が雑音が聞こえるようになったのは、この原因ではなく別のもの。また、最初から原因を見直さなければ。
 すぅ、とシシィの心は落ち込んで視線は床へと落ちたのだが、少女はパチパチと瞬きを繰り返している。

「聞こえないの……魔術師さん」
「うん……」

「『雑音』が聞こえないの……!」

 シシィは、顔をあげた。

「私の声が、聞こえる!!」

 そこには、少女の満面の笑顔があって。
 ああ、とシシィはその瞬間、素直に思った。
 ――この笑顔が好き。この笑顔が見れる、魔術師っていう仕事も。

「……よかった……」
「ありがとう、魔術師さん!!」
「ううん……こっちこそ、ありがとう」

 首を傾げる少女に、シシィは柔らかく微笑んだ。
 初めて、カチリとピースがはまったような感覚がして、視界が澄んで見える。
 ――出来るとか、出来ないとか、今だけはどうでもいいよ。


 それがシシィの中で、夢の芽が出た瞬間だった。