※少々残酷な表現有り。ご注意ください。


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 メイファルバ基地の薄暗く静かな仮眠室で、クランケは密かにため息を吐いた。
 ひとまず、絡まった疑問の糸がまず解けたのはライダン分隊長が知る傭兵のことだった。
 メルが描いた似顔絵を元に、傭兵たちを中心に聞き込みを続けると一週間ほどで本物の傭兵の行方がわかった。
 彼は先の大戦後、しばらくは他国で傭兵稼業を続けていたらしいが足を負傷したのをきっかけに、傭兵を辞めた。貯めていた金でオルヴィア王国の南の領地に小さな居酒屋を開いたらしい。およそ五年ほど前の話だと言う。
 兄とシェストレカ師団長に頼まれ、クランケはライダン分隊長とともにその居酒屋に足を運んだ。
 会った男はライダン分隊長のことを覚えていた。
 そして「10年ぶりだな」と言った。
 念のため確認したが、男は本当にライダン分隊長とは10年ぶりに再会したらしい。分隊長が彼――だと思っていたらしい別人の男と会った時期も、店を休まず営業していた。南の領地からメイファルバ領までは日帰りで行ける距離ではない。例え転移魔法を使ったとしても、ライダン分隊長がリャラン行きを勧めた話をしたのは酒場、つまり夜のことだった。
 居酒屋も夜に営業する。どう考えても傭兵の男が分隊長と会えるはずがない。
 これで考えられるのは傭兵とリャランの自警団長を務めていた男は共犯ではなかったということ、そしてリャランの自警団長、もしくは別の誰かが傭兵を騙り、変装魔法を使って分隊長と接触したのではないかということだ。
 その可能性に気づいたのは、傭兵の男の店から戻る道すがら、分隊長にその夜の話を詳しく聞いたときだった。
 分隊長は話が上手かった。それは簡潔で要点を得ている軍人と言うよりも人を楽しませることに長けた貴族的な喋りだった。
 だからこそ、ふと気になったのだ。
 まるで情景が浮かぶように話す彼だが、どうにもその夜の傭兵の描写に関してはふわふわと曖昧であると。
 クランケは分隊長に、その夜に再会した傭兵についての印象を尋ねた。
 毎日会っている人間相手ならば印象も何もないだろうが、久しぶりに再会した相手だ。記憶と比べて痩せたとか、逆に太ったとか思うことは必ずある。
 なのにライダン分隊長は返答に窮した。
 少し時間を置いて、彼は呆然と――おそらくは自分でも信じられなかったのだろうことを告げた。

 何も思わなかった、と。

 それは問題となっている変装魔法の特徴と一致する。
 ――なんなんだ、この事件は?騎警団は、妖精にでも化かされているのか?
 再び重いため息が漏れるのは仕方ないことだった。
 なにせこの変装魔法の特徴は、村に(・・)対しても働いている。
 フェンナーの事件が起こったとき、第2部隊員は当然現場となった村へ出向いているのだが、その捜査に関わった全員が全員村の印象をまったく覚えていなかったことがわかった。そして全員が、特に変わった様子はなかったと言う。
 おそらく、彼らは村の退廃的な様子に気づかなかったのではなく気づけなかったのだ。
 シェストレカ師団長も兄も、クランケと同じ結論を出した。
 どんなに考えても、出した答えが我ながら馬鹿馬鹿しいと笑えても、村全体(・・・)に変装魔法がかけられ、都合の悪い部分を隠していたとしか思いつかない。
 子爵や村の女性たちは、自警団の人間に余計なことをしゃべらないよう厳命されていたと聞き取りで判明している。女性たちは日ごろの暴力により完全に抵抗する気力を奪われていたし、子爵たちも誰かにしゃべれば村の女性たちに何をするかわからない、と脅されていた。年老いた子爵夫婦は先の大戦で一人息子を亡くしており、親戚も老いている者が多く、跡取りとなる養子を探すのに苦労しているほどだったらしい。加えてクランケの家のように私兵を雇っているわけでもなかったため、暴力に屈するしかないうちに、自警団長には逆らえないのだと洗脳された。
 しかしだ。村人全員が悪事を隠そうとしていたとしても、騎警団員があの堕落した村の様子を見逃すはずがないのだ。
 普通ならば。
 だから――それに気づかなかった騎警団員の様子から察するに、村全体に魔法がかけられていたとしか考えられない。
 まるで幻覚だ、とクランケは思う。
 変装魔法だと言うには、あまりに大掛かりすぎる。これらは幻覚魔法、とでも言うべきなのではないか。
 そして真に不気味なのは魔法ではない。
 傭兵の男を騙ってライダン分隊長に近づき、紹介状を得てリャランを暴力と薬で支配し、それらがバレないように工作した。

 ――この面倒なことをやったのは、いったい誰だ?

 死んだ自警団長は間違いなく駒だ。背後に誰かいる。
 しかしここまで手をかけて村を手に入れておきながら、騎警団の目が向けば自警団長を殺して雑に村を放棄したその人物の目的がまったくわからない。
 あまりに理解不能な行動は、第4師団員としては嫌な予感を覚える。
 ――まさか背後にいるのは第4師団(うち)で扱うべき異常者の類じゃあるまいな。
 唾棄すべきことに、時折いるのだ。人を従えられるだけの知能がある狂人の犯罪者が。
 自分の考えに思わず顔をしかめたそのとき、仮眠室の扉が静かに開いた。入室してきた騎警団員の印象が覚えられるか確かめ、変装魔法は使われていないと確信する。そんなクランケの姿を、その騎警団員が見つけた。
 いくつもベッドがあり、何人か寝ている中でまっすぐ自分の元へ向かってくる姿を見て、自分に用事があるのだと察したクランケは板金鎧を装着し、ベッドから立ち上がった。

「何か?」

 寝ている者に配慮し、声を潜めて問う。申し訳なさそうな表情を浮かべ、向こうも薄く口を開いた。

「お休みのところを申し訳ありません」
「ちょうど起きたところだったので構わない。用件は」
「閣下が尋問なさったという神父から得た人間のことですが、行方を掴めました。メイファルバを根城とする裏組織の一派でした」
「主戦力は薬か」
「ご名答です。近年急激に勢力を伸ばした組織だと」

 ――セハンヘナクトの生産元を突き止められたか?
 クランケはわずかに期待した。シェストレカ師団長が神父から引き出した情報は、薬の売買をしていた人間の顔だ。セハンヘナクトを売っていた、ということは製造、生産していた可能性もある。

「シェストレカ師団長閣下より第1部隊(わがぶたい)と第4師団員に、討伐命令が下されました」
「決行時刻は」
「本日2時です」

 つまり2時間後だ。
 急な討伐命令の意図はクランケにもわかる。シェストレカ師団長は今回、賊のいっせい討伐よりも薬のことを詳しく知っているかもしれない賊が殺される前に逮捕することを選んだのだ。捜査不足による少々の賊の取り逃しは致し方ないと割り切ったのだろう。
 クランケもその意見に賛成だ。今回の事件は拙速を尊ぶ類の事件である。

「すぐに準備に取り掛かる」

 クランケはそう言って、仮眠室を後にした。





********





 ――うえぇぇ。何あれぇ?
 冷えた空気で痛む鼻を擦りながら、ロンカは怪訝そうに目を細める。視線の先には森に囲まれた一軒の家があった。
 まるで避暑地に建てる豪華な二階建ての家だが、そこが組織の根城であることは突き止めている。
 庭付きであったため、そこに植えられている植物にとりあえず目を配ったが、一見して麻薬になる植物は植えられていないようだった。庭に植えられる量だけで薬を供給できるわけはないとわかっていたので、がっかりはしていない。
 しかしひしひしと、家の様子が異様であることを感じる。
 深夜なのに明かりがついているのはいい。ろくでもない人間の夜が遅いのは百も承知だ。しかしそこから唸るような声が聞こえてくるのは理解したくなかった。
 苦しそうな声ではなく、まるで獣のような声だ。知性も何も感じられない。
 ロンカだけではなく、周りにいる第1部隊員やシェストレカ師団長たちも嫌な予感がしているだろう。家の裏手側にいるクランケ分隊長もそう感じているに違いない。
 ――これ、手遅れなんじゃない?
 異様な唸り声。これを聞いて無事な人間がいると考える甘い者は、騎警団には存在しない。
 かと言って帰るわけにもいかないのが辛いところだ。無駄足とわかっていても逮捕はしなければならない。
 シェストレカ師団長もそう判断し、合図を送って部隊を家へ近づけた。
 中の様子を窓から慎重に探った者が顔をしかめた。ロンカも覗いてみれば、この寒い中、半裸の男が銃を持って部屋をうろうろしているのが見える。明らかに正気ではなかった。

「ロンカ君」

 小声でシェストレカ師団長に言葉なき命令を受け、ロンカは家の扉の前に立った。扉は別の部隊員が鍵を開錠し、いつでも開けられるようノブに手をかけている。
 ロンカは腰に下げた剣の柄に手をかけ、抜剣術の構えを取った。
 それを見届けたシェストレカ師団長が合図を出す。
 扉が開いた。
 開いた先はそこそこ広い玄関広間だった。そこを呻きながらうろついている男が3人。ロンカは真っ先に銃を持っている男に向かって走り出し、剣を抜いた太刀筋で銃を持った腕を斬り落とした。

「ガアアアァァァ!」

 腕を押さえて喚きだした男に蹴りを入れて吹っ飛ばしている間に、第1部隊員たちが他2人の無力化にかかる。同じくして、家の裏手側からも派手な物音が聞こえ始める。クランケ分隊長側も突入したのだろう。
 ロンカは剣の血を振って払い、鞘に納め直した。
 シェイ家特有の抜剣術は常人には見えぬほどの抜剣速度を誇るが、それには条件がある。
 それはシェイ家に連なり、剣を持つことを生業とする人間にしか教えられない秘伝魔法を加護魔法(パッケージ)とし、そのうえで正しい型で抜剣することである。
 ただ単に型を真似ても、シェイ家の人間が使うような抜剣速度には到達しない。目にも止まらぬ速度を誇る秘密は加護魔法(パッケージ)にあるということはシェイ家の人間以外は知らないことだ。一族以外の人間は、シェイ家の者が幼い時より訓練を重ねているからこそできる剣技なのだと疑いもしていない。
 今回相手は銃を持っているので、早さが何より求められる。なので面倒ではあるが、一人無力化したら剣を収め直していつでも抜剣できるように構えておく必要があるのだ。
 玄関にいた人間が捕縛されたのを見届けて、ロンカは数人の第1部隊員とともに他の部屋を見て回り、組織の人間がいれば斬って捕らえた。
 途中クランケ分隊長とも合流したが、彼は見事に繊細な剣技で相手が持つ凶器だけを弾き飛ばし、体術と手錠で相手の動きを封じていた。言動に似合わず、クランケ分隊長は剣術と体術をバランスよく使いこなすのだ。
 ――素で剣術も体術も強いって、卑怯だよねぇ……。
 ロンカはシェイ家の抜剣術と加護魔法(パッケージ)があって初めてクランケ分隊長に勝てることもある、という腕だ。それを考えるとクランケ分隊長は化け物じみてるなぁ、と思うし、イザラント副師団長に関しては人間を辞めていると思っている。
 部隊員たちの働きもあって、シェストレカ師団長率いる第1部隊とロンカたちは10分とかからず家にいた人間を捕らえたが、予想通り家の中には正気を保った人間はおらず、17人全員薬――セハンヘナクトを大量摂取し、正気を失っていた。
 念のため衣装箪笥の中や屋根裏部屋なども調べたが、隠れている者はいなかった。
 玄関広間に集められた正気でない捕縛者たちと、彼らの手当をしている部隊員たちを眺め、ロンカはため息をつく。
 ――嫌がらせっぽいなぁ。
 こうして薬を盛られている時点で、この組織が黒幕ではないことは予想がつく。そして口封じであれば全員殺しているはずなのに、正気を失わせる程度で生かされているのは騎警団に対しての嫌がらせや煽りにしか思えなかった。
 ロンカでもイラッとくるくらいだから、クランケ分隊長やシェストレカ師団長ははらわたが煮えくり返っているに違いない。
 と思ってロンカがシェストレカ師団長を見れば、穏やかな表情で指示を飛ばすその姿に思わず鳥肌が立った。
 ――わぁぁ。怒ってる。あれ、絶対怒ってるぅ。
 師団長は怒りが深いほど、穏やかな表情になるのだ。眉間にしわを寄せて怒られたときはお小言の範囲内なので問題ないが、微笑を湛えながら怒られたときは膝をついて謝るべき事態である。
 クランケ分隊長もブチ切れてないだろうな、とロンカが途中で別れた上官の姿を求めて玄関を見渡したときだった。

「ウォォォォォォ!」

 捕らえて寝転ばせていた男たちのうち大柄な男が奇声を上げ、あろうことか手錠の鎖を引きちぎってシェストレカ師団長の元へと駆けだした。
 ――マジで!?手錠、特殊合金なんだけど!
 ロンカよりも男の方がシェストレカ師団長に近い。
 視界の端にクランケ分隊長がいるのが見えたが、彼もまた師団長から遠いところにいた。

「師団長!」

 ロンカが叫ぶ前にシェストレカ師団長は男を目視しており、剣を抜かずに素手の状態で構える。

「殺さないでくださいよぉぉ!」

 治療すれば正気に戻せるかもしれない可能性を考えると、どの男が頭なのかわからないこの状況下で殺しはマズい。
 ロンカの懇願とほぼ同時に、大柄な男がシェストレカ師団長の首を絞めるように襲い掛かった。
 師団長は自分に伸びた腕を左手で素早く払い、右手で男の襟首を掴んで一度自分の方へと引き寄せた。重心が狂った男は体勢を崩し、隙だらけになる。師団長が左腕の内側を男のあごにかけながら襟首を突き放すように倒すと、シェストレカ師団長より大柄な男はまるで人形のように回転しながら背から落ちた。
 バァン!とけたたましい音が玄関広間に響く。

「げぇっ!」

 師団長を襲った男は正気ではないなりに痛みを感じるらしい。何の受け身も取らないまま背から落ちたせいでせき込む男を蹴り転がし、シェストレカ師団長は男の腕を脱臼させた。

「手錠をかけ直しなさい」

 服についた埃を払いながらそう命令するシェストレカ師団長に、第1部隊員たちは頬を引きつらせながら従った。その顔には『何のためらいもなく両腕を脱臼させたうえで手錠!?』という恐れと困惑が見える。
 あのいかにも優しそうな紳士顔に騙されてはいけない。日頃書類仕事しかしていないので第4師団員以外には忘れられがちだが、シェストレカ師団長は第4師団を率いる者だ。指揮はともかく、実戦となれば非常に攻撃的なのである。
 ちなみに現在在籍する第4師団員は体術訓練の際、全員もれなくシェストレカ師団長に吹っ飛ばされている。攻撃を誘うフェイントが異常に上手すぎるのだ。あのファルガ・イザラントでさえも吹っ飛ばされた、と第4師団の古株であるドストロ分隊長から聞いたとき、ロンカは体術でシェストレカ師団長に挑むのはもう止めようと決意した。
 そう、決意させた上官がこちらに目を向けたので、ロンカは大人しく師団長の元へ駆け寄った。

「ロンカ君。人に殺すなと命じるなら、君も犯人の腕を斬り落とすのは止めなさい。失血死してもおかしくないんですからね」

 シェストレカ師団長は呆れた表情を浮かべていた。先ほどの怒りはとりあえずどこかへやってしまったようだ。

「申し訳ありません」

 ロンカは素直に謝った。
 抜剣術は速さは誇るが、精度はそこそこだ。腕を磨いて行けば銃のみを弾けるだろうが、現在の時点ではロンカにそういった技術はない、精進あるのみである。

「シェストレカ師団長。先ほど頭の部屋らしき場所を見て回ったのですが、書類は一枚残らず焼けていました」

 横からクランケ分隊長がそう報告してきた。表情は苦いモノでも口に含んだかのようにしかめられている。

「証拠は残さず、人間は薬漬け……となれば、彼らが正気に戻る可能性は低いでしょうね」

 シェストレカ師団長の言葉に、クランケ分隊長とロンカは頷いた。
 これまでの経緯からするに、黒幕は絶対に己に繋がる証拠を残さない。ここにいる男たちが生きているのは、壊れた精神が元に戻ることはないと確信しているからなのだろう。

「……結局、ここまでして解決できたのはフェンナーに関する事件だけですか」

 はぁ、と師団長は軽く天井を仰いでため息をつく。
 フェンナーの無罪は、村の女性や子供たちの証言により確証された。彼が自警団の人間を斬ったとき、窓の外から覗いていた人間が幾人もいたのである。
 事情聴取の最初の方は恐怖による洗脳で口が重かった彼女らも、元凶から解放されたことにより支配が解け、その晩に何があったのかを詳しく述べてくれた。それがフェンナーやロロフォ令嬢の言と一致したうえ、酒や薬物にどっぷり浸かった自警団連中の証言は信用に値しない、という判断により、フェンナーの指名手配は解除された。
 ――まぁ、フェンナーの事件が片付いただけでも幸いかなぁ。
 ロンカはフェンナーの事情聴取には立ち会っていないが、ロロフォ令嬢とフェンナーの妹であるフォーランが心配している様子を見たため、肩の荷が下りた気分である。女性の表情が不安で曇るのは良くない。

「後は令嬢の死亡届が訂正されたらいいんですよねぇ」

 それで事件は解決だ、と思って言えば、上官二人は呆れた表情でロンカを見つめた。

「君、貴族として一番大切なものを忘れていませんか?」
「え?」
「ロロフォ令嬢には貴族籍除籍届も出されていただろう」

 ロンカは一瞬固まって――「はぁ?」と思わずつぶやいてしまった。

「え、でも、だって伯爵家には令嬢が生きてますよって連絡はしたんですよね?」
「そうでなければ死亡届が取り下げられるわけがない。まぁ、ゴネたそうだが」
「なら普通、除籍届も取り下げるでしょう?」
「取り下げるわけがありませんよ」

 切り捨てるように師団長が断言した。

「いらない総領娘をやっと処分できたんです。貴族籍は抜いたままで、相続権を取り上げるに決まっています」
「ロロフォ卿はクズ野郎(シャイズ)だなぁ……」

 ついうっかり下品な言葉(バルバ)を漏らしてしまったが、シェストレカ師団長もクランケ分隊長も注意してこなかった。2人も同じように思っているらしい。

「まぁ、それに関しては私が手を回しますから君は気にせず、撤収作業を手伝ってきなさい」
「了解しました」

 ――へぇぇ。シェストレカ師団長が面倒見てあげるんだ?
 ロロフォ令嬢に恩を売っておくことが後々に何かに繋がると踏んだのかな、と思いながら撤収作業に加わろうとすると、師団長の隣にいるクランケ分隊長が若干遠い目をしていた。というか、あれは哀れみの目だ。
 よくわからなかったが、ロンカは企みごとを暴くのは苦手である。
 裏を探るのはすっぱり諦め、撤収作業に徹した。





********





 気が滅入る牢とこの取調室からこれで解放される、と思うとフェンナーの心はいくばくか軽くなった。
 いくばくか、と言うのはここから出たあと、確実に泣きわめきながら自分を詰るだろう妹の存在があるからだが、今回のことに関しては自分が悪いとわかっているので、甘んじて受け入れるつもりだ。
 書類に署名して、机を挟んで目の前にいるシェストレカ師団長に紙を渡すと、彼はぱらぱらと書類をめくった。
 不規則な軽い音が、しんとした取調室に響く。

「君、というか君とご令妹はこれからどうするつもりですか?」
「ごれ……?」
「失礼。妹さんですよ」

 書類を読みながら何気なく問われたが、フェンナーの目下の悩みはそれであったため、すぐに答えることはできなかった。
 リャランに帰るのがいいとはわかっている。家があるし、母親の墓もある。けれど今更帰ったとしても、残った村人たちとなんのわだかまりもなく協力して村を盛り上げていけるか、と問われると難しいところだった。
 自分はともかく、フォーランへの脅迫が何より許せなかったし、あちらもフェンナーが自警団連中を傷つけたことに恐れを抱いているだろう。
 フェンナーは追い詰められれば味方にも武器を向ける人間だと知られたし、あちらは追い詰められれば暴力や脅迫をすることに疑問を抱かない人間なのだと知られた。不和は、どうしても残る。村でそれがあるのは良いことではない。

「……妹と話してみねぇと何とも言えね……ませんが……たぶん村を出ると思います」

 たぶん、フォーランも村を出た方がいいと言うだろう。恐怖で支配された村は、人間関係がめちゃくちゃになってしまった。自分たちはあの村の者たちを、誰も信じられない。

「村を出て、王都に残りますか?」
「いや、それはわかりません。俺は学もないから、王都で仕事にありつけるかわかんねぇし……」
「おや。てっきりサリア嬢と同じように、王都に残るものだと思っていましたよ」

 ――サリア嬢?……あぁ、リシーのことか。
 鳥の鳴き声が窓の外から聞こえて、フェンナーは陽が零れてくる格子窓の向こうに目を向けた。
 鳥を見るのが好きだと言っていたリシーナイン。たとえ王都に残ったとしても、もう彼女と会えることはない。そもそもの身分が違うのだ。
 ――いや、待て。王都に残る?
 フェンナーは視線をシェストレカ師団長に戻した。

「リシー……いや、ロロフォ令嬢?は、王都に残るんですか?領地に帰るんじゃなくて?」

 死亡届の偽装が証明されれば、家に帰るのだと思っていた。なのに王都に残る、というのはどういうことなのか。
 シェストレカ師団長は書類をまとめながら、フェンナーの問いに頷いた。

「ええ。彼女は王都で仕事と家を探す、とおっしゃっていましたので紹介しました」
「ま、待ってくれ……ください。なんでだ?ロロフォ令嬢は、伯爵令嬢だろ?働く必要なんかないんじゃないですか?」

 平民の女性は働くが、貴族の女性、しかも伯爵令嬢ともなれば労働とは無縁のはずだ。なのに彼女が仕事と家を探す、という状況が掴めず、フェンナーは半ば唖然として矢継ぎ早に問いかけた。

「彼女は正式に、リシーナイン・サリアになりましたので」
「は?」
「ロロフォ卿は死亡届は取り下げましたが、貴族籍除籍届は取り下げなかったんですよ」
「きぞくせき、じょせき?」
「貴族籍から籍を抜く、ということです。彼女はもう貴族ではなくなりました」
「……なんでだよ!」

 カッと頭に血が上り、フェンナーは机を拳で叩きつけた。
 リシーナインをここまで連れてきたのは、ここに来れば死亡届が間違いだったことが証明され、家に帰せると思ったからだ。
 なのにこんな顛末、許せるはずがない。

「ロロフォ伯爵家の内情は、まぁ貴族にはよくあるドロドロしたものでしてね。彼女は貴族としていると家を継ぐ立場にあるので、早い話がロロフォ卿が愛しているもう一人の娘に財産を継がせるため、切り捨てたわけです」
「なんだ、それ……」

 殺されかけて逃げた先でも殺されそうになって、指名手配犯となった自分と食うのがやっとの長い旅を続けさせられて、家に帰ったら冷たく追い払われて、大事な髪も切って、苦しい旅をして。
 彼女はひとつも文句を言わなかった。
 伯爵家の令嬢なのに、粗末で量も十分じゃない食べ物でも美味しそうに食べて、くたびれた服も妹と色違いのお揃いでうれしい、と微笑んで、馬車じゃなくて歩くしかない旅路も風景が良く見えるからと楽しそうだった。
 ささいなことで喜ぶ姿は一つ年上の貴族女性だと思えないのに、どこか無邪気で世間ずれしてない姿は貴族女性だと思えて、目が離せなくなって。
 気づけば、惹かれていた。
 惹かれたからこそ、元の世界に帰さなければと思ったのだ。
 伯爵令嬢として育った彼女が、平民の世界で幸せに暮らせるはずがない。何不自由なく食事も衣服も手に入る場所で、穏やかに微笑んでいてほしい、そう願ったから罪が重くなるのを承知で連れて来た。
 ――なんでだ!
 フェンナーは無罪を証明されて自由を手に入れたのに、リシーナインは何もかもを失ったままだ。

「リシーナインを貴族に戻すことは、できないのか?」
「戻すことができるのは当主か、国王陛下だけです。サリア嬢はロロフォ卿に嫌われていますし、国王陛下とのつながりもないので貴族には戻れません」
「そんな……」
「彼女、どうなると思います?」

 シェストレカ師団長は、冷たく微笑んだ。

「どう……?」
「質素な生活をしていたとしても、その基本は伯爵令嬢なんですよ?一応治安の良い手ごろな家賃の家とお針子の職を紹介しましたが、見知らぬ土地での平民としての生活は精神を擦り減らすものとなるでしょう。あの世間ずれのなさからして、性質の悪い人間の餌食にもなるかもしれませんね。誰かが支えてあげなければ、どうなることやら」

 フェンナーは思い出した。旅のはじめ、彼女は宿の取り方も知らなかった。食堂での注文の仕方も知らなかった。
 そのときは自分が教えてやれた。一緒にいる大義名分があったから。
 リシーナインに、平民として生きるに必要な常識を教える必要があるのはわかっている。けれど、それを傍にいて導いてやれるだけの理由をフェンナーは今、持っていない。
 身分が違った。
 旅を終えた。
 目的が達成された。
 彼女との関係が終わってしまった理由ならいくらでも言えるのに、彼女のそばにいてもいいだけの理由が見つけられない。
 はぁ、と目の前の男が呆れたようにため息をついた。

「君ねぇ……自分の潔白と彼女の身元を証明するために、人魚の涙を得てここまで来たんでしょう?騎警団から逃げおおせるとまで決めた覚悟を、何故サリア嬢を得ることへ情熱に転換しないのですか?」

 一瞬意味を理解できず呆けたが、すぐにフェンナーの顔は羞恥で赤くなった。

「なっ、なんっ、知って」
「事情聴取の語りっぷりで、君がサリア嬢に好意を抱いていることなんてわかりましたよ」
「み、身分が……」
「だから言ったじゃないですか。彼女はもう庶民になりましたって」
「リシーは、その、俺のことなんてなんとも思ってないだろうし……」
「君に我が第4師団きっての愛妻家の言葉を教えてさしあげましょう」

 シェストレカ師団長は、にこりと微笑んだ。

「曰く、愛する女の横に立つ資格があるのは愛に傷つくことを恐れない男だけ、だそうです。彼はその信念で並み居る競争相手を押しのけて美人な奥方の心を射止めましたから、説得力がありますね」

 そう言ってシェストレカ師団長は書類を持って席を立ち、扉を開けた。

「彼女が住む家は教えません。先ほど宿泊施設から出ていく許可を与えましたので追いかけるなら今しかないですよ」

 ――今しか。今しか、リシーに会えない。
 フェンナーは何かに背を押されるようにして駆け出した。

「フェンナー君。またお会いしましょう(・・・・・・・・・・)

 背後から笑うような声がかけられたが、その言葉の意味を深く考える前にフェンナーは廊下を走り抜けた。
 階段を跳ねるように下りて、通りすがった団員に宿泊施設の場所を聞く。よほど必死な形相をしていたのか、相手は少々ぎょっとしながらも場所を教えてくれた。
 慌ただしいながらもお礼を言って、外に出て、宿泊施設へと駆ける。
 ――どうか。どうか、まだいてくれ!
 指名手配されていたときは神なんていない、と思っていたのに、フェンナーは神に祈りながら走った。彼女に今追いつけるのであれば、人生の幸運をすべて投げ出してもいい。
 果たしてその願いが通じたのか、フェンナーの目に金色の髪が映った。
 宿泊施設の玄関口の端で、どこか不安げに立っている。

「リシー!」

 呼びかけると辺りをきょろきょろ見渡してから、フェンナーを見つけて目を丸くした。

「ドルキさん」

 彼女の元へ駆け寄って立ち止まり、痛くなった肺で必死に呼吸を整える。

「あぁ、良かった……今朝、貴方の容疑が晴れたと聞いて」
「俺、も、さっき釈放された、ばっか、で」
「大丈夫ですか?」
「それで、リシーが……王都に残るって聞いて」

 月色の瞳がさみしげに細められた。
 それだけでシェストレカ師団長の話は本当だったんだ、と察するほどフェンナーはリシーナインのことをわかっていた。

「申し訳ありません。ずっと、お力添えをいただいていたのにこんな結末となって……」
「あんたが謝る必要はない……つうか」

 心臓が落ち着かない。けれど落ち着くのを待っていたら、言葉が逃げてしまう気がした。

「ごめん。卑怯なことを言う」
「え?」
「俺、リシーのことが好きだ」

 リシーナインの目が大きく見開かれた。

「一緒に旅をしてる間に、好きになった。リシーは貴族だから諦めるしかないって思ってた。だからリシーが貴族に戻れないって聞いて、少しだけホッとしたんだ。ごめんな」
「い……え……」
「右も左もわかんねぇ状態のときに言うのは卑怯だと思うけど、俺、リシーと一緒に生きたい。あんたがこれからの生活で戸惑わないよう、一緒にいたい。結婚してほしいけど、別に断ってくれてもリシーが後々困らない程度の生活の知恵は教えるから、頭の片隅にでも置いておいて少しの間そばに」
「ずっと、がいいです」

 ――え。
 目を瞠るフェンナーの前で、リシーナインは穏やかに微笑みながら月色の瞳から涙をぽろぽろ流した。

「一生が、いいです。貴方が望んでくださるなら」
「リシー……」
「ドルキさん。お慕いしております」

 彼女の静かでいて、愛に溢れた言葉に胸がいっぱいになる。
 心が、満たされる。
 フェンナーは衝動のままにリシーナインを抱き寄せようとして――横から飛んできた何かに先を越された。

「わぁぁぁぁん!リシー!リシー!良かったよぉぉぉっ!」

 ひゃ、とよろめいたリシーナインを支えながら、フェンナーは彼女に抱きついて離れない妹に呆れた目を向けた。

「なんでお前が俺より先に抱きついてんだ……」
「お兄ちゃんがさっさと気持ちを伝えなくて私がやきもきしたからよ!」
「何だその理論……」

 まったく理由になってない、とは思ったが美しい顔を歪めて泣いている妹を見て、よほど心配をかけていたのかもしれないと思い直し、フェンナーは文句を言うのを止めた。
 それに抱きつかれたリシーナインも、幸せそうに微笑んでいるから何も言えない。

「リシーみたいなお淑やかで博識でかわいいお義姉さんができるなんて幸せすぎる!」
「私もキレイでかわいい義妹ができるの、うれしいわ」
「あー、いや、籍を入れる前にまず働き口と家を探さねぇと」
「そういう現実的なことは後で考えるの!今は夢いっぱいの幸せを噛みしめる時間!」

 楽天的なようで今を大事にしているフォーランの言葉にフェンナーは声を上げて笑い、愛すべき2人をまとめて抱きしめた。












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