メイファルバ領地の冬は、空気が乾いていて寒すぎる。 と言っても、南の領地出身であるロンカには故郷以外の冬はなべて寒く感じられるものだった。こればかりはどれだけ年月が経とうとも慣れないような気がしている。 「お疲れさまです」 「お疲れさま」 ロンカは資料室から出て来た騎警団員に挨拶をしながら指先を揉み、寒気から身を守るように縮こまる。この冷えきったメイファルバ基地の、仄暗い廊下を颯爽と歩いていく上官たちに置いて行かれないようにするので精一杯だ。 辺境となるこの地の基地は、王都と同じく飾り気皆無、頑強な造りだ。ものの見事な機能美を追及しているぶん、非常に地味な内装と外観である。灰色の石壁や床であるため、石の冷気が殊更に足から伝わってくるような感覚がするのだが、快適さよりも襲撃された際の安全性を取った結果なのだろう。 そしてこの基地に団員を輩出しておきながらも、その仕様にまったく文句を言わないあたりが「メイファルバ辺境伯家は第4師団狂いかつ、脳みそが筋肉でできている」と他の貴族に言われる所以であろう。 ロンカの生家、シェイ伯爵家も武官、つまり騎警団員を輩出する家ではあるが、そのロンカから見てもメイファルバ辺境伯家は控えめに言って変人武官一家としか言いようがない。 「分隊長、実家に戻られたりしますぅ?」 ロンカがのんびり問うと、先を歩くクランケ分隊長が視線だけ振り向いた。 「帰る理由がない」 「えぇ……?分隊長、何年も母君に顔を見せてないんじゃないですか?まとまった休み、取っていた覚えがまるでないんですけど」 「……確実に、3年ほどは帰っていない記憶はあるな」 「母君が泣きますよぅ」 「あの母がそれくらいで泣くものか。むしろ私だけ顔を出せば『何故義娘と孫を連れてこなかった』と詰られるに決まっている」 メイファルバ辺境伯夫人は、社交界では凛としながらも女性らしいやわらかさを持つ女性として知られているのだが、家庭では違うらしい。息子が顔を見せて詰る母がいるとは思いもしなかったロンカだが、すぐにそれも仕方ないことかもしれないと納得した。 なにせメイファルバ辺境伯家はむさくるしい男所帯である。娘がいれば社交界デビューなどの華やかな準備も楽しめただろうが、クランケ分隊長に女姉妹はいない。そして息子の社交界デビュー準備は総じて地味と決まっている。ドレスなどと違って燕尾服のデザインは大幅に変わらないし、せいぜいがスカーフやブローチに気を配るくらいだろう。母親としてはウキウキしながら用意すべきものがないので、娘という存在に焦がれるのは無理もないことだと思えた。 ロンカが生温い視線を送ったところで、先を歩く師団長とクランケ分隊長が第2部隊の勤務室を通り過ぎた。 「……あれ?勤務室、通り過ぎましたよ?」 小首を傾げながら指摘すると、こちらを軽く振り向いたシェストレカ師団長の目が鋭く眇められる。 「『虎』の部隊長に今回の事件と件の分隊長について話したところ、まずは内密に、とのお話がありましてね」 ――えー?この案件ってどう考えても『犬』の管轄なのにぃ? 第1と第2の管轄区分は騎警団員から見ても曖昧である。この事件は第2が捜査すべきだろう、という事件を第1が捜査することもあるし、その逆もしかりだ。 だが基本的には、事件の主体が戦闘行為であるか否かで管轄が決まっている。賊退治であれば戦闘が容易に想像されるので騎士である第1が受け持ち、麻薬精製組織の摘発であれば戦闘行為よりも捜査の方に重点が置かれるので第2の管轄になる、といった具合だ。 実際フェンナーが指名手配されている事件は、メイファルバ基地では『犬』の管轄として扱われた。事件の概要だけ聞けば、戦闘を主体とするものではないので、『虎』に預けられるわけがない。 なのでシェストレカ師団長が第1部隊の部隊長に話をしたのは、クランケ分隊長の兄がメイファルバ基地第1部隊の部隊長だからというだけだったはずだ。縁もゆかりもない人間相手よりは、身内の上官ということで件の分隊長について情報がもらいやすくなることもある。それを狙って師団長は部隊長に話をしたに違いないが、返事が内密な話をしたい、とはこれいかに。 ――うえぇ。僕、そういうわずらわしい密計が無理だから第4師団にいるんだけどなぁ。 物事の裏の裏の裏を読むなどという頭がないからこそ、ロンカは騎警団に入団したのだ。貴族だからと言って、全員が全員謀りごとや腹芸が得意だと思われるのは困る。素直に表だけ読ませてよ、とロンカは常々思っているのだ。 あからさまに顔をしかめると、シェストレカ師団長は呆れたような表情を浮かべた。 「君……相変わらず隠し事をしない性質ですね……」 「ありがとうございます」 「褒めてないですよ。やろうと思えばできるんですから、やりなさいと言ってるんです」 「正直であるのが僕の長所なんで!」 クランケ分隊長も呆れた顔をした。 脳みそが筋肉で出来ている家だ、と揶揄されるメイファルバ辺境伯家だが、謀略に疎いというわけではない。むしろそちらの方面にも強くなければ、国境線を守ることなど不可能だ。故に、この上官も外見や言動の誠実さとは裏腹に、割とえげつない腹芸をしれっとやることもある。 「機密を扱う、とだけ思っておけばいい」 「難しいことは何にも考えなくていいんですね?わーい、じゃあそうしまーす」 さすがのロンカも、機密情報の取り扱い方ぐらいは心得ている。何も考えず、ただ自分の中に仕舞いこんでおけばいい。難しい考え事は上官たちが引き受けてくれるらしいので、気が楽になった。 足取りが軽くなったロンカとは対照的に、上官二人は頭痛に襲われたような表情になる。が、ロンカがそれを気にすることはなかった。 ******** 「ご足労いただき、感謝申し上げる」 「こちらこそ、ご協力いただき感謝します」 暖炉の火だけが照明となっている仄暗い小会議室の中で、シェストレカはメイファルバ基地第1部隊部隊長であるクランケ部隊長と握手を交わした。 部下であるアモン・メイファルバ・クランケ分隊長と面立ちがよく似ている彼は、名前が示す通りクランケ分隊長の兄である。ただし、その声は歌手すら惚れ惚れしそうなほどの美しく深みのある声で、弟の声とはあまり似ていない。騎士らしい剣ダコのある手を離すと、部隊長は切れ長の目を弟に向けた。 「息災だったか」 「はい」 そこまでは至って普通の、久しぶりに顔を合わせた兄弟の会話であったのだが、 「嫁は逃げていないか」 「はい。兄上は?」 「大丈夫だ。よくはわからんが母上の助言通り、喉の手入れと妻への挨拶をかかさずしている」 「私もよくはわかりませんが、母上の助言通り筋力向上訓練をかかさず行っておりますので」 などと、意味のわからない確認をし始めた。一瞬、メイファルバ家の冗句のようなものかと思ったシェストレカだが、普段クランケ分隊長を率いる上官であるだけに、その表情が至極真面目なものであることに気付いてしまった。 クランケ分隊長の隣に立つロンカも、部下であるからこそ上官である分隊長の真面目な返答に気付いたらしい。 ――この兄弟、何故揃いも揃って母君のよくわからない助言に従っているんでしょうか。 断片から繋ぎ合わせて考えてみると、メイファルバ家は母親の助言に従うことで妻に逃げられずに済んでいる、という認識を持っているらしいという答えしか導きだせなかった。理解ができない。 ――さすが変人一家と名高い家ですね……。 若干遠い目をするシェストレカと同じく、遠い目をするロンカと握手を交わしたクランケ部隊長は、本題を切り出した。 「内密に足を運んでいただいた理由ですが、部隊内にネズミが潜んでいる可能性があるからです」 パチ、と暖炉の薪が爆ぜた。 「……間諜が紛れ込んでいると?」 シェストレカの問いかけに、クランケ部隊長は険しい表情になった。 「間諜、というのも少し違う気はするのですが、結果的にはそう言えるでしょう。閣下の話をお聞きしたところ、麻薬に関する情報を含んでいるようでしたのでこちらに足を運んでいただきました。それくらい慎重になるほど、麻薬に関する捜査情報が詳細に洩れているように思えてならないのです」 「その根拠は?」 「生産者から麻薬を買ったと思わしき売人が捜査上に上がるたび、死体で見つかります。それも必ず、麻薬の過剰摂取で」 ――死人に口なし、ですか。 売人が死ねば、麻薬の生産者は暴かれることがない。そういった手口は別にめずらしいものではなかった。運悪く、捜査上に上がった人間が消されるのは十分ありえる話だ。しかし騎警団の捜査上に上がった人間が逮捕する前に必ず死んでいる、となれば話は別だ。そんな偶々が何度もあるはずがない。 これは明らかに騎警団の捜査情報を得て、売人が口を割らないように先回りして殺している。 ――なるほど。どうりで秘密裏に来てくれと言うわけですね。 シェストレカの緑色の瞳が、冬の湖畔のように冷たく煌めいた。 「麻薬捜査は基本的に『犬』の管轄でしょう?何故貴方が捜査状況をご存じなのですか?」 「この麻薬捜査は第1部隊を中心として行っています。麻薬を売人に渡しているのが賊たちだ、というところまではわかっていますので。ただ、山賊たちが生産者であるかは定かではありませんし、根城までは掴めていません」 「ネズミの目星はついていますか?」 「恥ずかしながら、皆目見当もついていません」 「……失礼ですが、リャランの自警団長と親しいという分隊長の素行はどうでしょう?」 傭兵と付き合いがあるのは悪いことではない。親交の幅が広いのは良いことだと思うし、シェストレカも先の大戦で知り合い、現在も親交がある傭兵は何人かいる。彼らの持つ情報が重要な場合もあるので、それなりの付き合いをしておくに越したことはない。もちろん売ってくれた情報の礼ははずんでいるので、持ちつ持たれつの関係だ。 ただし付き合う人間の質は、精選すべきである。まがりなりにも騎警団員を名乗るのであれば。 フェンナーとロロフォ伯爵令嬢の証言を鑑みるに、自警団長は善良的な人間だとは言えない。フェンナーの証言を信じるなら、自警団長と分隊長は戦場で知り合ったらしい。戦場、という人間の本性が出やすい場所で相手の本質を見抜けなかったのであれば、その目は節穴と言わざるを得ない。 ――あるいは見抜けなかったのではなく、似た者同士故につるんでいたか。 その分隊長が、誰かに騎警団の捜査情報を洩らしているのではないか? シェストレカの含んだ質問にクランケ部隊長は気分を害することなく、しかし迷うように答えた。 「ご連絡いただいた事件の話で、私が一番腑に落ちないのは該当する分隊長がそういった類の男と親交があった、という点なのです」 「傭兵と付き合うような男ではなかったということですか?」 尋ねながらも、シェストレカはそれはないだろう、と自身の言葉を否定した。 フェンナーは自警団長と親交があったという分隊長の名前を知らなかった。故に、こちらからメイファルバ基地へ話をした際、シェストレカは分隊長の名前を言わなかった――言えなかったのである。 なのにクランケ部隊長は 思ったとおり、クランケ部隊長はいえ、と首を横に振った。 「出自差別の薄い男ですし義に厚いところがあるので、先の大戦で命を救ってくれた傭兵たちに対しては礼を尽くします。私も何度か、彼が傭兵に対して礼儀正しく接している場面を見たことがありますので、間違いありません。だからこそ申し上げさせていただくが、そういった男であるからこそ悪人に対して鼻が利くのです」 「身持ちの悪い人間を寄せ付けない、と」 「少なくとも私事で、彼が問題事に巻き込まれた記憶はありません」 シェストレカは考えを改めた。部隊長がここまで庇い立てするのだ。少なくとも勤務中の素行に問題はない、どころか優良であったのだろう。 ――二面性を持っているということも考えられますが、疑い出すとキリがないですからね。 あらゆる可能性を考えておくのは大切なことだが、それに付随する選択肢のことを考慮するといずれ身動きが取れなくなる。すべてを疑う、という行為はすべてを信じる、ということと同程度には愚かなことだ。ある程度低い可能性は切り捨て、選択肢を狭めることも必要だ。 現時点では、分隊長の素行を知っているクランケ部隊長の言葉を信じておくのが良い。 シェストレカは頭を切り替え、別の可能性について考えてみる。 ――外部から侵入して、情報を得たか?いや、可能性は限りなく低いでしょうね。辺境伯が治める領地の基地は、他の基地よりも侵入対策がしっかり施されている。 領都へのいっせい転移魔法は5人以下と定められ、それ以上の人数が一気に領都へ転移しようとすると弾かれる。さらに大量人数の転移魔法が行われた後三十分間は、同じく転移魔法が弾かれる。これらの処置は、敵の転移魔法による侵略を受けないためものであり、オルヴィア王国内の辺境伯領地で多く見られる。全領地で行えないのは、この処置に莫大な資金が必要であるためだ。 その莫大な資金を投じるほど、辺境伯領地は防衛設備並びに侵入対策を怠っていない。この基地にしたって、魔法で変装したまま入れば警報が鳴るようにできている。潜入調査などを担当する第5部隊員が真っ先に教えられることは『変装魔法を解かないまま、基地に入るな』だ。師団で働く第5師団員と同じである。 ――まぁ、そもそも変装魔法は見るところを見れば綻びがあるので、潜入には向いてない魔法ですしねぇ。 変装魔法を使うと、わずかにだが主に体の後ろ側に画像がブレたような綻びが出る。一般人が見れば気づかない程度であるが、騎警団員が注意して見ればバレる程度の綻びだ。なので変装魔法の堅実な用途は、逃亡中のめくらましである。 考えれば考えるほどに、外部からの侵入は難しいように思えた。やはり内部の人間が情報を洩らしている可能性の方が高い。 ――可能性。別の視点……。 「クランケ部隊長。第4師団がフェンナーの件で本格的に動けば、事件の内容からして貴方がたと捜査を共にすることになるでしょう。フェンナーや令嬢の証言の中には麻薬に関するものがありますからね。ですが、今ならば我々はまだここに来ていないことにできます」 「はい」 幾人かに顔を見られたが、任務内容まで知られたわけではない。部屋の扉の外に人の気配がないか常時探っているクランケ分隊長とロンカが何も言わないので、今までの話を誰かに聞かれた恐れもない。 シェストレカはにっこりと笑って告げた。 「ですので、我が師団のクランケ君を里帰りさせます」 「………………は?」 さしものクランケ部隊長も、唖然としてシェストレカを見つめた。 否、クランケ分隊長もロンカもぽかん、としてシェストレカを見ている。 「クランケ君、君は今から有給休暇 クランケ分隊長はこと男女関係の機微に関してはめっぽうポンコツぶりを発揮するが、仕事においては言外にあるものを察する鋭さがある。 彼はその場にいる誰よりも先に、シェストレカの『命令』を汲み取った。 「了解しました。リャラン子爵のご機嫌伺いに行って参ります」 遅れて、ロンカが理解した。 「んんっ、あー……ではぁ、僕は使用人ってところですかー」 「そういうことですね」 要するにクランケ分隊長は非番のフリをして、事件を知っていて当然なはずのリャランの村長、リャラン子爵に会って話を聞いてこい、という命令である。 最後に理解したクランケ部隊長が、ためらうように口を挟んだ。 「お言葉ですが、リャラン子爵は事件当時は他領を遊歴していたようでして……詳しいことは知り得ないかと思います」 「資料によるとそうだったらしいですね。ですが、当時その場にいなかったとしても仮にも村を預かる子爵です。帰郷した後は村人たちから事情を聞いたはず。その際に感じた違和感を子爵に尋ねたいのと、それと同時に村の様子をロンカ君に探ってほしいのですよ」 クランケ部隊長は眉をひそめた。 「村の様子を?第2部隊員の報告によれば、特に変わった様子はなかったらしいですが」 「それは部隊員が行ったからですよ。何かやましい隠し事があったとして、それを騎警団の制服を着た人間に見せると思いますか?」 「……制服を着ていないロンカ君が行けば、素の村が見れる、と」 「そうです。使用人は平民ですからね。村人たちも騎警団員や貴族を相手にするほど取り繕わないでしょう」 貴族の家を訪問する際は、先に手紙を出して訪問の許可を得るのが礼儀であり常識なので、ロンカにはその手紙を渡す使用人を演じてもらう。 この作戦の利点は、取り繕うべき相手を誤認させてしまえる、という点だ。本来ならロンカが訪れた時点で村人たちはよそ者を警戒し、内情を見せることはないだろう。だがしかしロンカがメイファルバ辺境伯家の使いであることを知り、直系の人間が間を置かずして訪れるとなれば、確実に上を下への大騒ぎとなる。 子爵は社交の場に出てくる機会がほぼないし、例えリュラン子爵が他の子爵よりも社交に励んでいたとしても、しょせんは子爵なのだ。辺境伯家の人間と話す機会はかなり少ない。そんな存在を村に迎える、となればロンカの存在を気にする暇などなく、ありのままの様子を見せてくれるはずだ。 つまりクランケ分隊長は囮であり、本当に村の様子を見る役目を担うのはロンカなのである。 ――後は純粋に、どこで情報が洩れるか、それを確認するためにも情報を持っている人間を限定した方がいいんですよね。 メイファルバ家の本物の使用人を貸してもらえることは可能だろうが、情報を握っている人間が少なければ少ないほど事態が把握がしやすい。どの時点で情報が洩れたのか、という推測が容易になる。 クランケ部隊長はシェストレカの策に理解を示し、こくり、と頷いた。と、そこでロンカが挙手する。 「分隊長と僕の役割はわかりましたが、師団長はどうなされるんですか?本部にお戻りに?」 「いえ。私は単独でクォータン基地へ向かいます」 「令嬢の実家へ向かうのですか?」 クランケ分隊長の問いに、シェストレカは首を横に振った。 「ロロフォ伯爵家を訪れたところで、今回の事件に関しての情報は出ないでしょう。彼女の死亡が偽装され、貴族籍を抜かれたことは関係ありません。向かうのは教会です」 「あー、神父様ですかぁ」 「令嬢の証言によると何か知っているみたいですから、訪ねてみる価値はあるでしょう?脅しをかければポロッとしゃべったりするかもしれませんし」 ――売人と違って、神父を殺すのは難しいですからね。こちらの情報を掴まれる前に、接触しておくに越したことはない。 表で生きている者、とりわけ聖職者が殺されたとなれば世間は注視するし、騎警団の捜査も厳しいものになる。裏で生きている者を闇に葬る危険性とは比べ物にならない。騎警団の情報を抜き取っている人間、もしくはそれと繋がっている人間が理知的であれば、神父を殺すのは最終手段だと考えるだろう。 ――実に腹立たしい話だ。 腹の奥底で、ふつりと怒りが煮える。 シェストレカは組織に害をなす人間が大嫌いだ。否、その感情はもはや嫌悪の域に達していると言って過言でない。 戦時中に味わわされた苦い経験が、自分にそういった感情を起こさせることは理解している。なので無様に表情に出すことはしないが、ここにいたのが勘の鋭さが野生動物並みのファルガ・イザラントか、第4師団の古株であるドストロ分隊長ならば察していたかもしれない。 特にドストロ分隊長ならば、嫌悪の原因となった事件まで容易に想像しているだろう。 ――この手で確実に殺せていれば、ここまで拗らせなかったものを。 シェストレカの脳裏に吊り目の赤い瞳が思い浮かんだが、まばたき一つでその姿を消した。 ******** 「お疲れさまです」 「お疲れさまです」 夜間受付の第6部隊員に挨拶をして、男はメイファルバ基地を後にした。 外に出て、冷えた空気を肺に取り込む。スッと脳が冷えた気分がして、思った以上に自分が高揚していた事実を知った。 男は苦笑して青い髪を掻きながら、領都端にある支部から 夜を眠らぬ人間たちで騒めく繁華街で、目当ての店を見つけた男は戸惑いなく店に入り、適当に空いていた机の前に立った。店員を捕まえて、とりあえず一杯酒を頼んで飲んでいると背後から声をかけられた。 「何か面白いことはあったかね?」 男は青い目を細めて、振り返らずに答えた。 「『欄外』の閣下が部下を引き連れて来てたぜ」 「ほう。第4師団長御自ら?それは確かなことかい?」 「おう。この目で見たし、挨拶もした。『セハンヘナクト』のことを嗅ぎつけられたかもな。閣下は勘が良くて困る。この辺りでポカしたのは誰だった?」 少し間を置いて、背後からまた声がする。 「リャランの自警団長にしてやった男だろうね。自警団員を一人逃がしたと言っていただろう?」 「あー、あいつか。色々手助けしてやったのに、結局ダメだったのかよ。機転の利かねぇ馬鹿はどうしようもねぇなぁ」 自警団長を思い出しながら、男は酒をぐびりと飲んだ。 確かに自分たちは、村人をなるべく殺さず洗脳しろとは命令した。小さな村で不審な死が続けば、騎警団に目をつけられるからである。 だが恐怖で支配したり洗脳したりすることができない人間がいるならば、さっさと殺すべきだった。悪徳に染まらぬ精神が厄介であることを、男はよく知っている。むしろそれを知らずに悪事を働く人間などいるのか、と思っていたが残念ながらいたようだ。 「悪いことっつうのは、本当馬鹿にゃできねぇわ」 「彼を誘ったのは君だったじゃないか」 「あんだよ、あれが馬鹿なのは俺のせいじゃねぇぞ。だってよぉ、普通わかるだろ。問題にぶち当たったらどう対処すりゃあいいのかくらい」 「まぁ、そうだね。君のせいではない」 「あーあ、上手くいきゃあ辺境の村が丸ごと手に入ったのによ」 「仕方がない」 愚痴る男に応える声は、軽い。 「引き際が肝心だ。堕落した村など、また気が向いたときに作ればいいさ。元々目的も何もなかったのだからね。それに極論を言えばあの男が馬鹿だろうと、計画が破綻しようと、最終的に我々に火の粉がかからなければどうでもいいことだと思わないか?」 「……そうだな。どうでもいいな」 男は苦笑した。 「そんじゃあ、火の粉がかからねぇように後始末して来るわ。あー……俺、あの馬鹿と 「茶髪。目元が元の顔に近い姿で、傭兵だと言って知り合った」 あぁ、そうだったな、と思い出した瞬間に、男の姿が一瞬溶ける。 周りで騒がしく飲む人間たちの関心を少しも惹くことなく、騎警団の服を着ていた青髪碧眼の男の姿は、旅装した茶髪に赤い吊り目の男に変わった。 「こんな感じだったか。じゃあ『欄外』に見つかる前に片付けてくるぜ」 「気をつけて行きたまえ」 酒を呷り、男は代金を机に置いて店を後にした。 その肩から滑るように地に落ちた金色の羽根は、誰にも見られることなくスッ、と溶けて消えた。 |