シャルロアの知る限りで、これほどまでに緊迫感のある取り調べは経験したことがない。 何せ狭い取調室に存在するのは、手錠をかけられたドルキ・フェンナー、それに対峙するように座るシェストレカ師団長と扉の前で仁王立ちのファルガ・イザラントである。 シャルロアは心の底から思う。逃げたい。シャルロアを呼びに来た第4師団員、ウォーバン・シェイ・ロンカだってのほほんと、しかしはっきりと「かわいそうだねぇ」と同情を口にしたほどだ。 部屋の片隅で記述を取るシャルロアですらこの威圧感に恐れ戦いているというのに、この状況を自ら望んだフェンナーは大した度胸の持ち主か、そうでなければ愚か者かのどちらかだろう。 「イザラント君、君ね」 重苦しい空気の中、シェストレカ師団長が口火を切った。 「うちに引っ張ってくる案件じゃないものを引っ張ってくるのはよせ、と毎度口を酸っぱくして言ってるんですが?どうやったらその優秀なオツムに私の言葉を叩き込めるんでしょうかね?」 管轄外の仕事を拾ってきた部下に対して、師団長はお怒りだった。 が、ファルガ・イザラントはそんな怒りなどどこ吹く風で、にやりと笑う。 「そうは言ってもこいつ、師団長以外には何もしゃべんねぇぜ。時間と手間を短縮させたんだ、褒めてくれよ」 まったく悪びれない部下にこれ以上何を言っても無駄だと悟ったのか、シェストレカ師団長は軽くため息をついてからフェンナーに改めて視線を向けた。 「貴方はメイファルバ領のリャラン自警団員ドルキ・フェンナーですね?」 「はい」 先ほどまで固く閉ざしていた口をすんなりと開いたので、シェストレカ師団長は片眉を上げた。 誰々になら話す、と言っておきながら、実際そうなったところでしゃべらない人間は大勢いる。あるいはこの青年もそうかもしれない、と思っていたのだが、フェンナーは意外にも、本当にシェストレカ師団長には話すつもりであるようだ。 シャルロアは速記で、紙に会話を書いていく。 「貴方にはしゃべる気があるようですね。無駄骨に終わりそうではないとわかり安心しました。辺境の地メイファルバから遥々我が第4師団へようこそ、ドルキ・フェンナー。記憶違いでなければ、私は貴方と関わりを一切持っていないはずなのですが、これは私の勘違いでしょうか?」 「いいえ」 「貴方、自分が指名手配されているのを知らなかったのですか?」 「いいえ、知っていました」 シェストレカ師団長は、手元の指名手配書を一瞥した。 「貴方を取り押さえた第2師団員から、師団の前をうろつく怪しい男をよく見ていたら髪の色は違うものの、その他の部分が指名手配犯と一致したので緊急逮捕したと聞きましたよ。指名手配理由は、団内のいざこざによる刃傷沙汰。傷害罪並びに殺人未遂容疑がかけられています」 ぴく、とフェンナーの眉宇が動いた。 「……指名手配されているのを知っていて、師団の前をうろつくなんて貴方、何を考えているんですか?」 「第4師団長に会いに来ました。俺にとって、信じられるのは第4師団しかなかったんです」 まっすぐと赤い瞳に見つめられ、シェストレカ師団長は少々げんなりとした様子で「ふぅん」と声を漏らした。 「第2師団も信頼に値する師団ですよ」 「第2は、第1とも協力関係にあるから信頼できなかった」 フェンナーの言葉に含むものがあるのを、シェストレカ師団長もファルガ・イザラントも、シャルロアでさえも感じ取った。 ――この人は、第1を信頼してないのかしら? げんなりした様子だったシェストレカ師団長は、その瞳にわずかに剣呑な光を宿らせた。 当然だ。第1師団、第1部隊は騎士。その品行方正さは国民から尊敬の眼差しを受けるに値する。だというのに、目の前の青年はその第1を信頼していないと仄めかしたのだ。 何かが、ある。 「我が師団も第1とは協力関係にありますよ」 「昔住んでいた隣の家のおっさんが、元騎士だった……んです。その騎士が、第4師団は独立した師団だから、協力関係にはあっても馴れ合いはしないって言ってたんです」 「それを信じてここまで来た、と。その意気込みは買いますが、賢いとは言えませんね。話ならイザラント君が聞くと言ったでしょう?彼、英雄ですよ?信用なら十分だと思うんですがねぇ」 「英雄を、従える上官こそ信頼できると思ったんです」 「――なるほど」 シェストレカ師団長は薄く微笑み、椅子に深く座り直した。ファルガ・イザラントの威厳は刺すような鋭いものだが、シェストレカ師団長の威厳は、首を絞めてくるような圧迫される威厳である。 真正面に座るフェンナーが、ごくり、と喉を鳴らした。フェンナーは見る限り、まだ20歳にもなっていない青年だ。強者と対峙するには圧倒的に足りない経験が、彼に緊張をもたらしているのは明白だった。 シャルロアは密やかに魔女の異能を発動させて、桃色の蝶をフェンナーの肩にとまらせる。 「では、聞きましょうか。私に話したいこととは何ですか?」 ふ、と息を短く吐いてから、フェンナーは口を開いた。 「リャランの自警団長に、罪もない伯爵令嬢の殺害を命令されました」 ******** ドルキ・フェンナーは今から19年前、西の辺境メイファルバ領の中でも西に位置するイサンという町で生を受けた。 母親の白髪、赤目という特徴的な外見要素を受け継ぎ、フェンナーも、その2年後に生まれた妹も、白髪と赤目を持って生まれた。特に妹であるフォーランは本当に父親と母親の子なのか、と疑うくらいの美貌で、それに加えて薄い色素が神秘的な雰囲気を作り上げるものだから、幼いころから変質者を寄せつけた。 ――俺が、守らねぇと。 妹を面倒ごとから守るために、フェンナーがしっかり者の世話焼きとなったのは必然のことだった。 幼いながらも大抵の面倒ごとからは妹を守れていたフェンナーだが、彼にもどうにもできなかったことがある。 それは、戦争だ。 辺境メイファルバには、先の大戦の戦端となった村があった。 そこから戦火は広がり、フェンナーたちが住む町にも銃弾と魔法が降り注いだ。自警団に入っていた父は自分たちを逃すために町に残り、魔法の炎に焼かれてこの世を去った。 父が死んで、自分たちが悲しみに暮れても、この世界は残酷なほど何も変わらなかった。周りには家族を亡くした人間は山ほどいたが、だからと言って戦争が止むことはない。父親を亡くした非日常がフェンナーたちに襲い掛かっても、周りは、戦況は昨日と何も変わらない。それがフェンナーが父を亡くす前から続いている、日常だった。 母は愛した父を亡くした悲しみに暮れながらも、親縁を頼って幼い自分たちを連れ、リャランという村に辿り着いた。 同じメイファルバ領地内ではあったが、リャランは比較的戦火から遠くて平和だった。それに過疎化が進んでいたその村は、大黒柱を亡くした若いフェンナーたちに優しくしてくれたし、同じように戦火から逃れてきた者たちが数家族いた。彼らと大事なものを亡くした悲しみを癒し合っているうちに、戦争は終わった。 母がこのままここに住むことにしようと思う、と聞いてもフェンナーは反対しなかった。 フェンナーはリャランにて畑を耕しながら成長し、成人するとリャランの自警団に入った。 入団したのはなにも、フェンナーばかりではない。同じように、戦火から逃れてきた者たちの中で、成人した男は皆入団した。 自警団の入団は、騎警団にように職として就くわけではない。皆別の仕事を持ちながら、祭りの準備にあたったり、有事の際には村や町を守るために剣や銃を持つ、いわば地域奉仕の一環である。 リャランの自警団はほぼ半数が50歳を超える者ばかりだったので、祭りの準備や防衛面から鑑みても、若手が入団するのは当然の流れであったのだ。 そしてそれを見届けるようにして、母が急病で亡くなった。 父も母も亡くし、フェンナーの家族は妹1人だけとなってしまった。 ――フォーランのことを任せられる男が現れるまで、俺が守ってやらねぇと。 妹の結婚式の金くらいは稼いでおきたい、とフェンナーは俄然畑を耕し、町へ農作物を売りに行って堅実に金を稼ぐ毎日を送っていた。 その日常に異変が起きたのは、今から3カ月前の夏の頃。 村に1人の男がやってきた。 メイファルバ基地第1部隊分隊長の紹介状を持って現れた男は元傭兵で、終の棲家を探していたところ、戦争中に親交があった分隊長からリャランのことを教えられたと言う。 ちょうどそのころ、リャラン自警団の団長が老いを感じて引退したいと言っていたのだが、極端に過疎化が進んだ自警団では彼の後釜になれるような、経験豊富な団員がいなかった。やってきた男は30代半ば、元傭兵ということで荒事に対する経験も豊富であったため、これは助かる、と村は彼を喜んで受け入れ、団長になってもらった。 フェンナーは最初、彼を気のいい男だと思っていた。 気安いし、剣の指導はしてくれるし、銃の扱いも上手いし、統率力がある。この男に従っておけば間違いない、と思わせてくれるだけの器を感じられた。 しかし1カ月も経つと、フェンナーは男に対して何か引っかかることが多くなった。 年老いた者たちが退き、若い者ばかりになった自警団。20代になる者の方が少ない中で、元傭兵の男だけが色々と経験豊富な男である故か。男は自警団の青年たちに、酒と女をしきりに勧めるようになった。 青年たちは勧められると、あっという間にその味に虜になった。フェンナーも元傭兵の男や、酒や女の味を覚えた仲間たちに幾度かそういう店に誘われたことがあるが、断った。自分も男であるため興味がない訳ではないが、誘うときの、元傭兵のどろりと濁った目が気に食わなかった。 何が一番気に食わないかと聞かれれば、その目を妹であるフォーランに度々向けることである。 美しい妹を見る目は昔、騎警団に突き出してやった変質者の目をしていた。 フェンナーは、そういう目で妹を見る輩を絶対信用しなかった。彼の辞書の中には『魔が差す』という言葉はないのである。欲望など、常々腹の底で蓄えていなければ表面化するはずがない。考えてもいなかった欲望が表面化することはない。 フェンナーはなるべく妹のそばにいるように努めていたが、狙われているフォーランはそれでも安心できなかったらしい。 ある日、畑から帰ると妹の腕や首に包帯が巻かれていた。血相を変えてどうした、と問い詰めると、肌がかぶれる毒草を塗ったのだと言う。もしものときはその爛れた肌を見せ、接触感染する皮膚病だと脅してやるつもりなのだと。 そうまでしないと己の身を守れないほどなのか、とフェンナーが愕然としたちょうどその時期、村のあちこちで年頃の娘が自警団の青年たちによって暴行を加えられる事件が頻発した。結果的に妹は毒草を塗ったおかげで難を逃れたし、数人の娘は妹の勧めにより同じく毒草を塗ったことで最悪を免れた。 しかし村がおかしくなっているのは明白だった。 気付けば、フェンナー以外の青年たちは元傭兵の男を神か何かのように慕い、盲信し、彼が命じればどんな非道もやってのけるようになってしまっていた。年老いた男たちは知らぬ間に、酒に溺れて使い物にならなくなっていた。女子供は自警団を恐れて怯えるばかりで、優しかった村は元傭兵の男を支配者とする悪徳の村に成り果てていた。 ――なんで、こんなことに。どうにかしねぇと。 そう思っても、フェンナーはどうすればいいのかわからなかった。騎警団に知らせようにも、自警団の仲間に一挙手一投足を見張られていて、村から出ることができない。村の外に出ようとすると、自警団の青年が家の戸を叩いて脅しをかけるように妹の名前を呼び出すのだ。 それに元傭兵の男は、第1部隊の分隊長が寄こした男だ。下手をすればメイファルバの部隊に訴えても、揉み消されるかもしれない。 仲間であったはずの青年たちに、元傭兵の男はおかしい、目を覚ませ、と何度も説得したが無駄だった。青年たちは皆、あの人は知らない世界を教えてくれた、いい人だ、と言い、あまつさえフェンナーに向かってお前も意地を張っていないで早く同志になれよと言う。 その『同志』とやらが、日がな一日酒を浴びるように飲み、腹が立てば女子供を殴る、という者ならばこちらからご免被る。いっそ自警団を抜けてやろうかとも考えたが、己が抜けてしまえばそれこそ歯止めがなくなりそうで恐ろしく、戸惑われた。 身動きできぬまま、息が詰まるような日々を送っていた。 そのフェンナーを動かす事態が起きたのは、1カ月前のことである。 日が暮れたころ、村に修道女がボロボロの体で駆け込んできた。 正しく言うなれば修道女ではなく、リシーナイン・ロロフォ・サリアという行儀見習い中の貴族のお嬢様であったのだが、ともかく駆け込んできたときはフェンナーも自警団連中も、彼女を修道女だと思っていた。 保護されたリシーナインは村の家の一室で手当てを受けると、犯罪者に狙われている、と話した。 なんでも、彼女がいた教会で麻薬の取引を見てしまったらしい。神父がそれに関わっていたようで、取引の現場を見たことがバレてしまい、夜中に部屋へ侵入してきた男に殺されかけた、と震えながら言った。どう考えても神父が手引きしたとしか考えられず、リシーナインは教会から逃げ出し、ここまでやってきたらしかった。 フェンナーはその話を聞いて、早く騎警団に知らせなければと考えたが、元傭兵の男はリシーナインがいた教会の名前を聞くと、表情を凍らせた。 そしてその場にいた数人の青年たちに、殺せ、と命じた。 その女を殺せ、殺す前に好きにして構わない、と。 フェンナーは刹那、頭が真っ白になって――次の瞬間、激しい怒りに包まれた。 ――殺せだと?修道女を?神や精霊に仕える聖職者を殺せっつったのか! この世界は、父が死んでも残酷だった。悲しみに暮れる自分たちを置き去りにした。 けれど神父や修道女たちは、父の安息を祈ってくれた。ともに悲しんでくれた。 あの祈りがなければ、フェンナーは今もまだ父を亡くした悲しみに囚われていただろう。神父や修道女たちの祈りは死者のためではなく、生者の心の平穏のためにあった。 下卑た笑みを浮かべながらリシーナインに近寄る青年たちに対峙するように、リシーナインを背中に庇うように、フェンナーは行く手を阻んだ。 ――もう限界だ。 リシーナインは父の安息を祈ってくれた修道女ではない。 けれど神と精霊に仕えるその身に危害を加えるというのであれば、見逃さない。それがフェンナーなりの、かつて神父たちに感じた恩義の返し方だ。 幸い、リシーナインが駆け込んできたときに何事か、と警戒し、武器は持ってきたままだった。 気色ばむフェンナーに、青年たちはなんだよ、と気圧されたようだった。フェンナーはかつての仲間を冷たく一瞥してから、腰から武器を引き抜いて――元傭兵の男に投げつけた。 男も青年たちも、フェンナーが抜くのは腰の剣だと思っていたのだろう。しかしフェンナーが抜いたのは、服の中に巧妙に隠していた投げナイフだった。昔、まだイサンに住んでいたころ、隣人だった元騎士が「あまり褒められた技ではないが、妹を守るには役立つだろう」と言って剣術と同時に教えてくれたものだ。 その元騎士はナイフが使えることは人に言うな、と厳命した。ナイフは一撃目が外れれば、当たる確率が極端に下がる。だから普段は剣を使い、ナイフは隠して、いざというときの一撃必殺技にしろと助言をくれた。 おそらく達人が使えば、二撃目でも三撃目でも難なく当てられるのだろう。しかし未熟で子供だったフェンナーにそれほどの技量が見込めるはずもない。故にそういった助言であったのではないか、と気付いたのはずいぶん後になってからだった。 あの元騎士は正しかった。 フェンナーが投げたナイフは、無防備だった元傭兵の左肩を深く刺し、男は叫び声を上げながら倒れた。それに動揺した青年たち相手に、フェンナーは剣を抜いて次々に斬り捨てた。 見知った人間を斬るのに抵抗感はあった。だが、踏みとどまるには彼らの行いが悪すぎた。 彼らが、彼ら自身の母親や姉妹に手を上げていたのを知っている。 村の女子供に乱暴をしたのを知っている。 村に来た当初、悲しみで身を寄せていたときは、あんなにも優しかったのに。 彼らは変わってしまった。 なるべく腕を狙って斬れば、相手は騎警団員のような戦闘訓練を専門的に受けた人間ではなかったので、痛みでうずくまり、大人しくなった。 フェンナーは呆然としているリシーナインの腕を取って部屋を飛び出し、自分の家に向かった。けたたましい音を立てて戻ってきた兄に妹は酷く驚いていたが、家を出るからついてこいと言うと、すぐに有り金と売れそうなものを掴んできたので、そのまま3人は村から逃げ出した。 ******** 「村を出て、すぐにメイファルバの騎警団に通報しようと思いました。けど、自警団長は教会で行われた麻薬の売買について何か知っている様子だったうえに、メイファルバの第1部隊分隊長と知り合いだったから、下手をすると第1部隊も麻薬売買に関わっているかもしれないと思って、迷ったんです。とりあえず村に一番近い町の宿で一泊して、一晩頭を冷やして、メイファルバ基地の第1部隊全員が麻薬に関わっているわけがないから大丈夫と結論付けました。それで翌朝支部に行こうとしたら、すでに俺が自警団の仲間を斬って逃げたとして指名手配されてることに気づきました」 悔し気な表情を浮かべるフェンナーに対し、シェストレカ師団長は呆れた顔をした。 「初動を間違えましたね。何が何でも、貴方は誰よりも真っ先に騎警団に事情を話すべきでした」 部屋の片隅で記録を取るシャルロアもそう思うが、しかし果たして彼の立場になったとき、おいそれと騎警団に駆け込めるかというと、自信がない。 フェンナーはこれまで、事実を述べている。彼が言ったことは異能が伝えてくる映像と矛盾しない。 元傭兵の男は、第1部隊分隊長の紹介状を本当に持って現れた。騎士、つまり貴族が紹介状を書いてくれるのはよほどのことで、紹介した人物の身元や人柄を保証する面が強い。故に、紹介状を持っている人間とは懇意の仲であることが多いのだ。 だからフェンナーが、紹介元の第1部隊分隊長を強く疑う気持ちはよくわかる。しかも、分隊長という地位だ。もしその分隊長も麻薬に関わっていたら、かなりの権力を有していることになる。訴えが揉み消されてしまう可能性だって考える。 否、訴えを揉み消されるだけならまだしも、自分の存在を消されるとなったら失敗した、では済まない。 これがフェンナー自身だけで終わることならば強硬に訴えたのかもしれないが、生憎彼には守るべきものが二つできてしまった。 妹と、伯爵令嬢。 記憶を読んだ限り、フェンナーは幼いころから妹の面倒をよく見る、責任感が強くて世話焼きな男であった。しかしそうなるのが当然であろう、と思うほどに彼の妹は美少女だった。 老人の白髪とは違う、輝きのある白髪。宝石のように美しい赤い目は二重でぱっちりしていて愛らしく、頬と唇が薄紅色でなければ人形かと見間違うほどの美貌。それに透明感のある白い肌が儚げで、神秘的なのだ。記憶を覗いたとき、その美しさに声が漏れそうになるのを我慢しなければならないほどだった。 ――ぜひ、エレクトハさんと並んでみてほしい。 おそらくそこだけ、別世界になる。 思考が逸れたが、ともかく可憐な妹がいるだけに、フェンナーは面倒見がいい青年に育った。そんな彼が、身を寄せていた教会と助けを求めた自警団から殺されかけた女性を見て、捨て置けるわけがない。 「確かに今なら……騎警団に駆け込むべきだった、そう思う、思えますけど、指名手配された当時は世界中が敵に回ったような気がして、追い詰められて、メイファルバの騎警団は信用できない、と思ってしまって……」 フェンナーは苦々しげに、そう言った。 善良に生きてきた人間が、ある日突然指名手配犯となれば疑心暗鬼に陥るのも仕方がない。おそらくフェンナーには、自警団の証言を信じたメイファルバ部隊が悪に染まっているように見えたのだろう。 「メイファルバ領外の基地に駆け込む手もあったはずですが?」 「……リシーナインが身を寄せていた教会はクォータン領にあった教会です」 「ロロフォ町がある領ですね。メイファルバの隣接領地でしたか」 「はい。俺、せめてリシーナインだけは親元に帰そうと思ったんです。俺たちといるより、貴族として守ってもらった方が安全だと思ったから。だからメイファルバを脱出して、クォータンに入りました。それでなんとかロロフォに着いて、彼女の家まで送ったんです。そうしたら……」 シャルロアの脳内に、映像が流れてくる。 家の令嬢が戻ったというのに、門番は屋敷の門を開けなかった。 「リシーナインは、数日前に教会に入った賊にさらわれて、死亡したって言われました。葬式もすでに済んだって」 シェストレカ師団長は眉をひそめ、ファルガ・イザラントは目を眇めた。 「つまり、貴方が連れていた修道女の格好をした女性は伯爵令嬢ではなかったと?」 フェンナーはわずかに戸惑いを見せたが、すぐに「いえ」と否定した。 「本人はリシーナイン・ロロフォ・サリアだと名乗ったし、振る舞いや口調や仕草がその辺の平民と違う感じがするから、彼女は少なくとも貴族階級の女性だと思います」 視界の隅でファルガ・イザラントが静かに扉を薄く開き、外に立っていたらしい第4師団員に何か指示をしているのにシャルロアは気づいた。 何を指示したのかはわからなかったが、師団員が頷いて去ったのは見えた。 一方で、シェストレカ師団長は思案顔で腕を組む。 「貴方が、その女性に騙されている可能性は全くないわけではありませんよね。振る舞いや口調などは習得しようと思えば習得できるものです。何か企んでいて、伯爵令嬢を名乗っている可能性も……」 「あの人は!」 がた、とフェンナーは激高したように身を乗り出し、ファルガ・イザラントが速やかに銃を抜いてフェンナーに照準を合わせた。引き金に指をかけている。彼は、いつでも撃てる。 シャルロアは息を呑んで成り行きを見守るしかできない。 一触即発の状況下であっても、フェンナーは赤い瞳に煌々と怒りの炎を灯していた。 「旅の資金を捻出するために、キレイな髪を切って売ったんだ!そんな、優しい人を、馬鹿にするのは許さねぇ!」 「座りなさい。貴方が死ねば、彼女のその行為も無駄になる」 フェンナーはシェストレカ師団長の言葉を噛みしめるようにして、ゆっくりと椅子に座り直した。 それに伴い、ファルガ・イザラントも銃を収めた。 「まぁ、本人確認はすぐにできるでしょう。貴族のご令嬢ならば本人証明のための手立てはいくらでもあります。それで、そのことが何故私を頼ってきた理由に?」 「……リシーナインは、門番と外に出てきた執事に自分は見ての通り生きている、と言ったんです。特に執事はリシーナインの顔を知っていたはずなのに彼女の言葉を無視して、家の前で不審者が騒いでいる、と言って使用人に騎警団を呼びに行かせました。折が悪かった、って言うのか、ちょうど第1部隊員が町に来てたらしくて、すぐに駆けつけてきたんですけど……2人来たうちの1人とリシーナインは顔見知りだったみたいで。ちっさいころ、自分の家が主催した茶会?に来たことがある男だったらしくて、彼女はその男にも自分がリシーナイン・ロロフォ・サリアだって名乗ったんです。貴方は知っているはずだ、って。男の方も一瞬ハッとしたんだけど、執事にリシーナインは死んでいて、葬儀も済ませた、って言われたら……冷たい目をして『自分は知らない』っつってリシーナインの訴えを切り捨てた」 「あぁ……貴族と言っても、大抵第1部隊の騎士は権力なんてさほどない次男か三男ですからねぇ。面倒事は御免だったんでしょう」 フェンナーは顔をしかめた。 「明らかにリシーナインを知っていたのに?」 「事なかれ主義というか、長いものに巻かれろというか、寄らば大樹の陰というか。大抵の貴族は、伯爵の娘よりは現伯爵の方につきますよ。しかしわかりました。貴方、それで騎警団というか、騎士への印象が悪くて信用できず、ここまで来たんですね」 「騎士道っつうのはなんなんですかね。弱き人を助けるのが騎士の精神なんじゃないですか」 「足りない精神を補い、絞り出すための装置みたいなものです。元からあるものなら教えとされるはずがないでしょう」 シャルロアは速記しながら、この会話記録は決して騎士に見せられないな、と胃が痛くなった。間違いが起きてこの記録が見られる事態になったら、読んだ騎士は絶対に泣く。というか、泣いていい。 ちら、と戸口に立つファルガ・イザラントを盗み見ると、口角が微妙に上がっていた。明らかに笑いを堪えている。 「……いや、俺だってわかってるんです」 眉根を寄せていたフェンナーは、ふと憂鬱げにため息をついた。 「俺に剣術やナイフを教えてくれた騎士のような、高潔な騎士もいるんだってことは。それに俺だって、村の女子供を助けずに妹とリシーナインだけを連れて出てきました。他は見捨てたも同然です。俺があの騎士に何かを言う資格なんてない」 そう自分を責めるフェンナーだが、シャルロアは彼を責める気にはなれなかった。 彼1人で守れる人数など、たかが知れている。むしろ妹以外の令嬢を連れて逃げて来ただけ、よくやった方だろう。 ただ、その後の対処が悪すぎたのが痛いところだ。結果的に逃亡しているわけだから、罪は重くなる。たとえ無実だったとしても、無実と証明されるまでの罪状はかさむし心証も悪い。 シェストレカ師団長はそれには触れず、別の質問を投げかけた。 「それで、貴方がここまで来た理由はわかりましたけれど、肝心のご令嬢はどこにいるんですか?それと妹さんの姿もありませんよね?」 フェンナーはそれまで真っ直ぐな視線を師団長に向けていたのに、その質問には気まずげに視線を泳がせた。 「……言う必要が?」 「あるに決まっているでしょう。どちらになるでしょうね?」 「は?」 シェストレカ師団長は、にっこりと笑みを浮かべた。 「妹さんとご令嬢の扱いですよ。無実が証明されるまで、貴方は容疑者なんですよ。容疑者の逃亡を手助けをしたのなら犯人蔵匿罪及び隠避罪は免れませんが、人質として連れ回したのであれば被害者及び重要参考人として手厚く保護することになります」 「人質として連れていました」 シャルロアはその発言を記録しながら、苦々しくなる。 フェンナーは完全に、シェストレカ師団長の手のひらの上で遊ばれている。そして、それに気づいていない。 いったいどこの世界に、人質を家に帰そうとする犯人がいるというのか。人質だと信じるには証言が揺れすぎているし、矛盾している。第4師団の長たる人物がそんなことに気づかないはずがないのに、フェンナーは師団長の脅しから妹と令嬢を守るのにいっぱいいっぱいで、己の発言のおかしさに気づけないでいるようだ。 そしてシェストレカ師団長は――矛盾を追求しなかった。 なんとはなしに、師団長は妹と令嬢を保護する名目を引き出したかったのではないか、とシャルロアは考えた。 ――師団長は、この人の言い分を信じてる……? シャルロアは記憶を見ているから信じられるが、シェストレカ師団長は違う。後に捜査となれば証拠も出揃うだろうが、現在のところは彼の証言で真偽を判断しなければならない。 そして残念なことに、フェンナーの言動だけを見ると天秤が信用に傾く方が難しい、と思う。だがしかし、シェストレカ師団長は割と彼の言を信用しているように見えるのだが、その理由はさっぱりわからない。 「で、どこにいるのですか?」 「……宿に……置いてきました……」 そう言うフェンナーの視線が、気まぐれな魚を追うように泳ぐ。 「嘘をついてもすぐにバレますよ。どこに置いてきたんです?」 いくら信用に傾いている、と言えど、容疑者の不審な様子を見逃すほど甘い師団長ではない。すぐさま鋭い指摘が飛ぶと、フェンナーはさらに気まずそうに視線を彷徨わせた。 「いや、本当に……王都内の『フェイヅランの宿』ってところに……」 蝶が伝える映像は、確かに彼の言う通りの宿である。 検問所を抜けて、一度本部前を通って王都に入った彼らは宿を取った。ここまではおかしな点はない。 しかし彼は自室で荷物を整理してから、別室の妹達には声をかけずに本部前まで戻ってきた。 シャルロアの異能は、記憶の音までは届かない。 しかし察することは十分可能である。 ――この人、黙って出てきたんだわ。 出頭を覚悟して本部前まで戻ってきたフェンナーは、おそらくこうすることを2人に話さず来てしまったのだ。だから出頭したことがバレるのが非常に気まずく、口が重くなった。そういうことだろう。 ふ、と視線を戸口のファルガ・イザラントに向けると、金色の瞳がこちらを見ていた。 ――えっ、何っ!? 内心ギョッ、としたが、すぐに彼の視線はフェンナーに戻った。 「もう一つ聞きたいのですが」 「はい」 「ご令嬢から、麻薬の名前を聞いていませんか?」 問われたフェンナーは「あぁ」と何かを思い出したように口を開き――閉じた。 じわじわ、とその表情が曇っていく。 「えっと……ええ……えっと……」 「……隠したりしても、有利にはなりませんよ」 「いや、そうじゃなく!……えっと」 しばらく沈黙したのち、フェンナーは耳を赤くしながらつぶやくように白状した。 「……ド忘れしました……」 ――気丈に振舞ってたけど、師団長と副師団長相手の取り調べだもんね……。 シャルロアが同情的な視線を送り、シェストレカ師団長とファルガ・イザラントが呆れたような表情を浮かべると、フェンナーはますます耳を赤くして小さくなった。 「……ひとまず貴方の妹さんとご令嬢を保護したいので、いったん取り調べは切り上げるとしましょうか」 「そうだな」 シェストレカ師団長の提案にファルガ・イザラントが同意したので、シャルロアは速記を止めた。 「では、私が彼を留置場まで連れて行きましょう」 「あん?そんなこと、あんたがしなくてもいいだろ。勤務室で寝転がってる奴らにやらせるぜ?」 ファルガ・イザラントの言葉は酷いが、まったくもってその通りではある。容疑者を留置所へ移動させるなんて仕事、師団長自らやることではない。 しかしシェストレカ師団長は、いえ、と首を横に振る。 「クランケ君を呼んでください。戻りがてら、彼と少し話がしたいので」 ――あぁ、なるほど。クランケ分隊長か。 シャルロアが納得すると同時に、ファルガ・イザラントは扉を開けて、外に立っていたらしい人物に「ご指名だぜ」と声をかけた。 呼ばれて顔を出したのは、30代前半の男性――アモン・メイファルバ・クランケ分隊長である。 金色の短髪が清潔感を感じさせ、切れ長の灰色の目が騎警団員らしい厳しさを醸し出しており、性格も団員らしくサバサバしていてハッキリした物言いを好む。 「何か?」 「メイファルバ領に関する事件ですので、君がいた方が何かと便利だと思いまして」 「私が担当に?」 「ええ」 了解、と頷くクランケ分隊長はその名の通り、件のメイファルバ領を治める辺境伯家の者である。 辺境伯とは、オルヴィア王国では国境線の要となる領地を預かる貴族のことを指す。この辺境伯は貴族の中でも少々特殊な権利を持っており、本来領主が騎警団を動かすには国王の承認が必要となるのだが、辺境伯は緊急時に限り国王の承認なしに第1部隊を動かせる権利を持っている。そうでなければ国境を守れないからだ。 その他、私兵の数が他の貴族より多くともお咎めはない、などなど様々な権利が多々与えられているのだが、その辺境伯の中でもメイファルバ辺境伯家は、非常に変わった家として騎警団員に知られている。 なにせ、メイファルバ辺境伯家は代々直系から第4師団員を輩出する武官の名門なのだ。 と、言うのは表であり、裏では『第4師団狂い』とまで言われている。 その証拠にメイファルバ辺境伯家の長男は第1師団勤務、次男はメイファルバ基地第1部隊勤務、三男のクランケ分隊長はいわずもがな、四男は王国魔法団所属、五男は騎警団専属医師、六男は画家であるという。こうなってくると六男は何があって芸術の道を選んだのかが謎なほどだ。 ちなみに現辺境伯はその昔第1師団に勤めていたが、家を継ぐため泣く泣く辞職したらしい。そもそも他の貴族に言わせるならば「後継ぎが死ぬ可能性のある騎警団に入るなよ」であるらしいが、辺境伯家からすれば十分自重しているのだと言う。曰く「長男は第4師団に入ってない」と。 シャルロアがそれを知っているのは、あまりにも騎警団内で有名な話だからである。 「彼を留置場に連れて行きます」 クランケ分隊長はシェストレカ師団長の言葉に眉を上げたが、言葉少なに「了解」とだけ返した。団員らしい対応である。 シェストレカ師団長たちがフェンナーを連れて出て行ったのを見送ってから、シャルロアは会話記録用紙をまとめて――顔を上げて驚いた。 部屋から出て行ったと思っていたファルガ・イザラントが、残っていたからだ。 「な、何か、ご用が?」 「あいつ、嘘をついてたように思うか?」 にやにやとファルガ・イザラントは笑って、シャルロアに問う。 「お前、浮気男の嘘がわかるんだろ?」 ――アートレート分隊長何言ってくれてんの!? シャルロアが過去、そういうことを言った相手はアートレート分隊長以外になく、その話をファルガ・イザラントが知っているということはアートレート分隊長が話したということである。 シャルロアは少々動揺したが、要するにこれはなんてことない雑談だろうと自身に言い聞かせた。 ――まぁ、映像と証言に矛盾はなかったし……。 「あくまで勘ですが、嘘をついてるとは思いませんでしたね」 「ふぅん?なるほどな。それからこうなった以上、残業してもらうぜ。とりあえずその会話記録書き起こしておけ」 「了解しました」 それは覚悟していたので頷くと、ファルガ・イザラントはようやく部屋から出て行った。 |