※グロ表現有り。ご注意ください。


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「――殺っちまったか」

 ドストロ分隊長が狙撃銃を担ぎ、家の中に入って来た。その銃口からは火煙の臭いがする。
 彼の青い目が睨む先には、眉間から血を流して倒れているダレッタ・クラインの姿があった。瞳孔が開き切り、息もなく、脈もない。即死だ。
 ファイズは煙を上げる銃を下ろして「すみません」と謝った。

「この距離の散弾銃は洒落にならないので、他を狙う余裕がありませんでした」
「いや、いい。正当防衛の基準は満たしてる」

 イザラント副師団長もそう言って、銃を下ろした。
 彼の銃口からは煙の臭いがしない。ファイズの方が銃を抜くのが速く、照準を定めるのも早かったからだ。
 早撃ち。これがファイズの武器である。剣のほうはてんでダメだが、不思議と銃の方は性に合ったらしい。早撃ちなら師団の誰にも負けない腕前になった。命中精度の方は、ドストロ分隊長に軍配が上がるが。
 ――自分の上官ながら、化けもんだって思うわー……。
 ドストロ分隊長は早撃ちでなく、狙撃が尋常じゃなく上手い。その命中精度たるや、ファイズが押し開いた扉の隙間から、クラインが持っていた銃に銃弾を当てるほどである。
 正直言って、犯人の銃がドストロの弾によって弾き上げられたとき、ファイズはひやっとした。確信を以って言えるが、あの分隊長、部下に当たったらどうしようとか絶対に考えてない。当てられるから撃った、そんなことしか考えてない。
 ドストロ分隊長も大概だが、しかしイザラント副師団長はそれを軽々上回る。

「片付きましたかね?」

 そう言って、裏口から家の中に入って来たのはケドレ副分隊長と、青い顔をしたジレニアである。
 ファイズは思わず声をかけた。

「おい、ジレニア。死にそうな顔してんぞ。大丈夫か」
「だいじょうぶです」

 ジレニアの呂律はかなり怪しい。気の毒なことに、転移魔法をギリッギリ魔法配置(パスラ)できてしまったことで、魔法過配置(トフパスラ)状態に陥っているらしい。容器(クラ)が満杯になった弊害で、口内が若干痺れるのだという。魔法過配置状態に慣れてしまえば治まるらしいが、慣れるには最低1カ月の時を要するらしく、当然ながら現在まで痺れは治まっていない。
 本当に、変なところで運が悪い男である。いっそ魔法配置できなければ、イザラント副師団長は戸惑いも見せず、すっぱりと置いて行ってくれたはずだ。
 だが変に魔法配置できてしまったから、イザラント副師団長はあっさり告げた。
 『口内の痺れだけなら仕事できるな。ついてこい』と。
 ――いや。確かに言ってることは正しいよ?
 口内の痺れだけなら仕事はできる。
 しかし、この人悪魔だ、とその場にいた第4師団員全員が思ったのは間違いない。
 ちなみにドストロ分隊長とファイズは転移魔法を魔法配置しても、容器に少々の余裕があったので弊害はない。ケドレ副分隊長は魔法配置できなかったので、イザラント副師団長が連れてきた。ジレニアだけが酷い目に遭っている。
 酷い目に遭わせた張本人は、悪びれもせずにケドレ副分隊長とジレニアに家の捜索を命じた。

「魔法探知機の反応からすると、帰ってきたばかりだった。家の中に血液を置いているはずだ。探せ」

 魔法探知機とは、魔法の発動を探知する機械のことだ。機械に反応があったため、ファイズたちはクラインが玄関を使わずとも帰宅したを知ることができた。

「了解」

 ケドレ副分隊長とジレニアは頷いて、家の奥に向かった。そう大きくはない家だ。すぐに血液は見つかるだろう。
 ファイズも命じられる前に銃を拳銃嚢に戻し、家を捜索する。
 クラインの家は、猟師の家らしく獣の匂いに満ちていた。
 壁には剥いだ毛皮がいくつかかけられているが、装飾品としてかけられているのではないのが明らかだ。処理したものを置いているだけ。そう思わせるほどに、居間には飾り気というものがなかった。
 実用的で頑丈な机と椅子、わずかな食器。その食器も洒落っ気がない。台所は使い込まれた形跡があったので、料理はする男だったのだろう。
 流し台の下を見ていると、床に扉があることにファイズは気付いた。開けてみると、箱が収納されていた。
 取り出し、ふたを開けて――怖気立つ。

「副師団長、分隊長」

 強張った声で呼ぶと、ファイズの様子に気付いた2人がすぐさま寄ってきた。
 ファイズは箱の中身を見せた。

「……血の腸詰です」

 鮮度が命の食品だけに、血の腸詰は猟師からしか買えないものとして知られている。もちろん、猟師であるクラインが血の腸詰を所持していても、おかしなことはない。
 しかし、血だ。
 肉の腸詰ではなく、血、なのだ。
 嫌な予感がする。
 ドストロ分隊長も、さすがに嫌悪を露わにした。

「まさか……嘘だろ……」
「これ……動物の(・・・)ですよ、ね……?」

 ファイズの宙を舞う問いに、イザラント副師団長はしかめ面で、いっそ冷淡に返す。

「鑑識に回せば、はっきりする」

 束の間、室内に嫌な沈黙が下りた。
 それを破ったのは、ケドレ副分隊長だった。

「副師団長!地下で例の少年を発見しました!生きてます!」

 ――生きてたのか!
 イザラント副師団長の金色の目が煌めいた。さっ、とケドレ副分隊長の声がした方に歩き出した彼を追って、ファイズとドストロ分隊長も動き出す。
 物置となっていた部屋の床に、扉があった。梯子を下りると、そこが手ごろな広さの地下室だということがわかった。
 少年は床に寝かされていた。聞いていた話だと、髪は青だったはずだが赤色に染められている。
 ―― そうか。母親の男に見つからないよう変装してたのか。
 どうりで見つからなかったわけだ。もしかすると、他にも小細工があったのかもしれない。
 そばに縄が落ちていることからすると、縛られていたのだろう。ファイズはそう予想したが、ケドレ副分隊長はもっと恐ろしいことを告げた。

「逆さに吊られていました」
「…………魔法探知機用意して、よかったですね」

 ファイズはぞっとして、思わずつぶやいた。魔法探知機がなかったらクラインが帰ってきたことに気付かず、少年の血抜きが終わるのを見過ごすことになったかもしれない。

「しかし、気絶してるな。頭を殴られたかもしれねぇ」

 ドストロ分隊長の言葉に、ケドレ副分隊長も頷いた。

「俺もそう思います。あまり動かさないのが一番だと思いますが、早く病院に連れて行った方がいいですよ」
「おれ、おうえんをよんできましょうか」
「いや、お前に行かすなら俺が行くわ。ジレニア、マジで呂律が回ってないから、無理してしゃべんな。いい歳した男の舌ったらず聞いてもげんなりするだけだからな?」
「ふぁいずさん、ひっどい」

 後半は半分冗談だが、実際ジレニアを伝令に使うのは、ない。悪手である。この呂律の回らなさで現場の状況が伝えられるとは到底思えなかった。それならファイズが行く方がマシだ。
 だがファイズの提案を、イザラント副師団長は訂正した。

「そうだな、ファイズは第2部隊分隊長にこっちの状況を伝えて、応援を寄こすように言え。鑑識は必要だ。それから俺はこいつを附属病院に運ぶ。この中で2人用転移魔法を持ってんのは俺だけだからな。ここの指揮は一旦ドストロに任せるが、まぁ、すぐ帰ってくる。引き続き、他の被害者や証拠がないか探れ」
「了解」

 師団員が頷いたのを見て、イザラント副師団長は少年に近寄り、魔法を使った。

展開(コン・パルト)『リューラン・フェディネクトラ』」

 ふっ、とイザラント副師団長と少年の姿だけ、地下室から溶けるように消えた。





********





 シャルロアが、24人の人間を殺した犯人をチラリとでも見られたのは、やはり今回の事件がそれだけ大きく、関連書類が膨大であったからだった。

 保護するべき少年の似顔絵を描いたあと、シャルロアはドストロ分隊長に「書類を……書類をどうにかしていってくれ……特にケドレが書いたやつ……。こっちの事務員はケドレの文字を解読できない……」と遠い目をしながら泣きつかれるという奇怪な目に遭い、資料や書類整理を手伝ったのである。
 ケドレ副分隊長が作成した書類は本当に酷くて、シャルロアは半ギレで文字を解読し、清書しなおした。後は本人に署名してもらうだけの状態だ。ちなみにドストロ分隊長の書類は日にちが曖昧な部分が多く、ファイズは誤字脱字、ジレニアは計算間違いが多い。『よいこのためのしょるいさくせいこうざ』を開催しようかと久々に血迷った。
 ともかく夜を徹して(主にケドレ副分隊長が作った)書類を整理、作成し直していたおかげで(ケドレ副分隊長が作った)書類はどうにかなった。窓の外に朝陽を見たとき、あれ、私は人相書きを命じられてきたはずなのにな、と哀愁を交えて思っていたりなどしていない。思っていないったら思っていない。そして解読不能だった書類が片付けられ、ミッシュ基地第6部隊員たちが涙ながらに喜んだのも、見なかったことにした。

 徹夜で書類を仕上げたあと、15分の眠りについて目が覚めたシャルロアは、朝のさわやかな空気を吸って体に活を入れようと思い、支部の玄関に向かった。
 そこでちょうど、犯人の遺体が運び込まれる場面に遭遇したのだ。
 早朝だったため騎警団基地の周りに一般人の姿はあまりなく、静かに遺体は運ばれた。その周りを囲む部隊員の話を漏れ聞くに、遺体は24人を殺害した犯人であることがほぼ確定。家の物置部屋から、被害者の遺留品がざくざくと出てきたらしい。
 それから捜索と保護命令が出ていた少年は、無事に発見され、病院に運ばれたようだ。それを聞いて、シャルロアはほっとした。
 基地の遺体安置所に運ばれる犯人の全身には布がかけられていたが、その隙間から髪の毛が見えていた。
 シャルロアは、なんとはなしにそこに目を奪われる。
 金色の髪。朝陽によってきらきらしている。まるでまだ、生きているかのように。
 しかしすぐに違和感を覚えた。髪の艶で光っているというよりは、何か――金色の粉が乱反射しているような、煌めきだったのだ。
 ――あれ、なんだろう。
 強烈な既視感。
 自分は、以前、あれをどこかで見たような気がする。思い出せない。

「メル?」

 ハッ、とすると、すでに遺体は基地の中に運ばれた後だった。代わりに、今現場から帰ってきたらしいファイズが、シャルロアの前で手を軽く振っていた。

「ぼーっ、として突っ立ってるから、何かと思った」
「あ、いえ、すみません。徹夜明けなもので。現場から戻られたんですね」
「んー。まぁ、とりあえず片が付いたからなぁ。あー……悪いけど、一本吸っていい?」

 シャルロアは意外な問いに目を丸くしながら、どうぞ、と頷いた。
 ――ファイズさん、煙草(ラッツ)を吸う人だったのか。
 シャルロアの風下に移動して、取り出した煙草に火をつける仕草は手慣れていた。すぅ、と吸って、煙を細く吐き出した彼はシャルロアを見て苦笑を浮かべた。

「意外だった?」
「ええ、まぁ。第4師団の人が吸っているの、あまり見たことがなくて」
「結構喫煙者いるけど、だいたいは仕事終わりに吸うくらいの人が多いからね。俺も騎警団に入るまでは興味なかったんだけど、戦争中に味を覚えちゃってさ」
「あぁ……」

 オルヴィア王国で普及している煙草(ラッツ)に使われている葉は、鎮静作用を持つ薬草だ。煙の香りは仄かに甘く、味も甘いと聞く。それが爆発的に普及したのは100年前の戦争のときで、主に戦場に立つ騎警団員の精神安定剤として支給されたことが始まりらしい。
 以降、煙草と戦争と騎警団は、切っても切れぬ関係となっている。
 しかし第4師団員の精神はたくましいものだ、と感じていたので、シャルロアには彼らが煙草を吸う姿を想像できなかったのだ。だからいざ目の前でその光景を見ると、ものすごく驚いてしまったが、同時にどこかで納得もした。
 彼らも人間だ。彼らなりに息抜きを上手く見つけているからこそ、この過酷な仕事をやれているのだろうと。

「ファイズさんは……大戦に参加されていたんですね」
「ん?うん」

 ふぅ、とファイズは煙を吐いた。

「つっても、末期にちょろっと参加したくらいだけどね」
「末期に……」
「そう、よりにもよって末期に」

 よりにもよって、という言葉が重い。
 先の大戦は、ファルガ・イザラントが活躍するまでは負け戦だった。そして彼が活躍したのは戦争末期と言っても、終結の間際だったのだ。正確に言うなれば、彼が活躍したから戦争が終結に導かれた。そんな戦争の、終結間際を除く末期と呼ばれる時期は、戦場で多くの死者が出ていた時期だ。

「俺、実家は商家なんだけど、外戚の方に貴族がいてね。その貴族の家の坊ちゃんが戦死したんで、新しく騎警団員を輩出しなきゃいけないってことになって、俺にお鉢が回ってきたんだ。次男坊だったし、どうせ家なんて継げねぇから貴族になって騎士になった方がいいか、って思って養子縁組してもらって、第1部隊員として戦場に出たまではよかったんだけどねぇ」
「ファイズさん、貴族だったんですか!」
「名前だけ貴族ってやつ。分家でも端の方の家の養子になったから、家督相続とは程遠い立場だよ。まぁ名前だけでも騎士になれる条件は満たされるから、別に不満なんかないんだけど」

 ふと、眼鏡の奥にある紫色の瞳が遠くを見つめる。

「正直、戦場ってもんを甘く見てた。上手くいけば一旗あげられるかとも思ってたけど、とてもじゃない。引っ張り出された戦場は味方の死体の山、戦況はぐっちゃぐちゃ。俺なんてろくに剣の練習もできずに戦場入りだったから、初っ端から剣を折っちゃって、そこらに落ちてた銃で応戦してたよ。でもそれだって付け焼刃だったもんで、結局弾切れになってね。もう殺されるな、って覚悟したときに助けてくれたのがドストロ分隊長」

 シャルロアは、え、と思わず声を漏らした。
 ――ドストロ分隊長が?

「あの、ドストロ分隊長は、元は第1にいらっしゃったんですか?」

 ファイズは煙草を吸って、笑う。

「いやいや、ドストロ分隊長は猛者だよ、猛者。信じられる?大戦前から第4師団にいて、大戦中も第4師団員として任務について生き抜いてるんだよ、あの人。しかも定年まで勤められそうだし。今、大戦を経験した第4師団員で残ってる人なんか、ドストロ分隊長とシェストレカ師団長くらいらしいよ」

 それは初めて聞く話だった。
 シャルロアは驚いてから、あれ、と小首を傾げた。

「他の方は?」
「第4師団員は激戦地に飛ばされたらしいから、だいたい戦死か、ケガで戦えなくなって退役かのどっちかだったって聞いたことがある。戦前の第4師団って十個分隊いたらしいけど、終わってみたら二個分隊しか残ってなかったってさ」

 ―― そうか。そうだよね……。
 シャルロアは改めて、思い出した。
 第4師団は精鋭だ。だからこそ、戦況が厳しい場所に投入されたに違いない。たとえそこで戦うことが悪手であっても、そこで敵の侵攻を止めなければならない戦いは、ある。
 オルヴィア王国の中でも、主に戦場となったのは西の領地と港を持つ領地だった。特に国境がある領地は激戦地となった。
 しかし東寄りの領地は戦火が遠く、シャルロア自身も戦争で大切な人を亡くす、という喪失感は理解から遠いところにある。それは幸いなことだとわかっているが、こういう話を聞くたびに、シャルロアは身の置き所がない気持ちになる。
 申し訳ないような、情けないような。そんな感情が湧くのだ。

「お前な、新米に年寄りの昔話を聞かせるんなら、儂のかみさんが美人だって話にしろ」

 背後から発せられた錆声にシャルロアが振り向くと、呆れたような表情を浮かべたドストロ分隊長と、その後ろにケドレ副分隊長、ジレニアが立っていた。
 ファイズはへら、と笑う。

「お揃いで」
「あー、ファイズ。俺にも煙草寄こせ」
「自分の吸ったらいいじゃないですか」
「切れた」

 横柄に手を出すケドレ副分隊長に、ファイズは煙草を一本差し出した。

「火、つけましょうか?」
「いらん。美人な姉ちゃんにつけてもらうならともかく」
「部下の気遣いですよ」
「そこはお前、尊敬からだとか言っとけ」

 軽口を叩き合うファイズとケドレ副分隊長を横目に、ドストロ分隊長は懐から写真を取り出す。その隣で、ジレニアが微苦笑を浮かべていた。

「メル、見ろ。これが儂のかみさんだ」

 写真には、若かりし頃のドストロ分隊長と―― それはそれは、女神も裸足で逃げ出さんばかりの美女が仲睦まじく写っていた。

「ふぁっ!?えぇぇっ、ドストロ分隊長、奥様すっごい美人ですね……!」

 同性のシャルロアでさえ、自分が男であったら結婚を申し込みたいと思うほどの美人であった。シャルロアの反応に、ドストロ分隊長は満足げに笑う。

「だろう。町一番の美人だったが、口説き倒した。これでなおかつ我慢強くて優しい。最高のかみさんだ」
「まさに女神……」
「女は焦がれられて結婚するくらいが幸せにしてもらえるぞ、メル」

 ドストロ分隊長は、急に真面目な顔つきになって、言う。

「副師団長に熱烈に口説かれてるうちに頷いちまった方がいい」
「ドストロ分隊長、副師団長から何か賄賂をもらってたんですか?」
「高ぇ酒だ」
「いっそここまで宣伝行為をされると、清々しいですね……!」

 シャルロアの問いに潔く答えてくれたのはいいが、もっと隠す努力をしてほしかった。
 ――でも、それ、無駄なんだよなぁ。
 シャルロアは生温かい目で、ドストロ分隊長を見つめた。

「あのですね、副師団長ならもう、求婚するつもりはないと思いますよ」
「は?」

 呆気にとられたような声が漏れたのは、ドストロ分隊長だけではない。隣に立つジレニアも、軽口を叩き合っていたファイズやケドレ副分隊長も、目を丸くしてシャルロアを注視していた。
 ――え。なに、この反応?
 疑問に思うシャルロアだが、彼らもまた思うところがあったらしい。

「いやいやいやいや、ありえねぇから」

 ドストロ分隊長、ジレニア、ケドレ副分隊長、ファイズは異口同音にそう詰め寄ってきた。正直言って、鍛えられた肉体を持つ図体のでかいの男に詰め寄られると、暑苦しくて敵わない。あと何故に、ジレニアは呂律が回っていないのだろう。
 シャルロアはひっそりと後ろに下がりつつ、冷静に根拠を述べた。

「最初に求婚されたときに、言われてたんです。同級生が卒業するまでに婚姻届けにサインさせてやるって。同級生はもう卒業しましたし、期限切れでしょう」

 シャルロアの言に、男4人は―― 一斉に阿呆の子を見る目になった。

「メル、ふくしだんちょうのこうかつさをぜんっぜんわかってないなぁ……」

 ジレニアがため息を吐く。
 ――狡猾さ?

「『同級生が卒業するまで』だろ?メル、知ってると思うけど、今年の士官学校生はほとんど卒業できてない」

 ファイズが憐みの目を向けてくる。
 ―― そういえ、ば……同級生のほとんどは、卒業が来年に……。

「なんなら一生卒業できねぇ同級生も出るわな」

 ケドレ副分隊長が、遠い目をしている。
 ――……確かに、卒業する前に辞めてしまう同級生も、いるわね。しかも今年は色々問題があったし……。それでも一緒に入学したから『同級生』では……ある……うん……。

「つまりだ、副師団長のその発言は一生口説くって言ってんのと同じだ」

 ドストロ分隊長のセリフに、シャルロアは眩暈がした。
 一気に顔色が悪くなった少女に、男たちはおざなりに慰めを口にした。

「うけいれたほうが、らくになるとおもう」
「気の毒だけど、諦めた方がいいんじゃないかなぁ」
「どうせ結果は見えてる。とっとと嫁いじまえ」
「家庭を作るのは楽しいぞ」

 慰めじゃなかった。





********





 鑑識結果を読んで、ドストロは重いため息を吐いた。
 腸詰は豚の腸、鹿のレバー、塩、スパイス、ハーブ。
 そして人間の血でできていた。
 犯人は死亡したが、これで動機は決まったも同然だ。
 このイカれた男は、人間の血の腸詰を食べたかった。だから人を殺した。
 げんなりとしながら遺体安置所に入室すると、先客がいた。

「なんだ、あんたも確認に来たのかよ」

 ファルガ・イザラントは人相書きを手に、にやりと笑った。

「ええ、まぁ」
「鑑識結果はどうだった」
「人間の血の腸詰でした」
「はっ、イカれてやがる。犯行も狩り気分だったんだろうよ」

 吐き捨てるようにファルガ・イザラントが言う。ドストロも同意見であった。

「……今回はメルのお手柄でしたね」

 彼女が猟師の話をしなければ、少年は遺体となって発見されただろう。あの閃きと勘の鋭さは、事務員にしておくにはあまりにも惜しい。
 ――ああいう生徒を拾い忘れねぇようにするのが、士官学校じゃなかったのかよ。

「士官学校は腐りすぎましたね。あの博識と勘の良さは『犬』かうち向きでしょう。今からでも引っ張ってきたらどうです?」
「事務員引っこ抜いて、師団長に殺されろってか?」

 ゴロゴロと喉を鳴らし、『雷鳴獅子』は不穏な笑みを浮かべた。絶対に、ただでは殺されない、というか返り討ちにしそうな凶悪な笑みである。
 しかし彼の返答は、ドストロにとって少々意外であった。

「そのつもりで資料を見せたんじゃないんですか?」

 彼が捜査資料を彼女に見せたのは捜査能力を試したかったからだと思っていたが、ファルガ・イザラントは軽く手を振り、否定した。

「いい加減推理がドン詰まってたんで、気まぐれに資料を見せて意見を聞いただけだ。ありゃ士官学校時代は本の虫だったし、今回のは知識と状況が偶然一致した結果生まれた推理だろ。いわばフライメヌを見たっつう感じだな。そもそもうちに引き抜くには弱すぎる。ジレニア未満を入れる気はねぇぞ」
「銃の腕前は?」
「あんたほど命中率が高いか、ファイズほど早く撃てりゃ考えるが、及ばねぇな」

 ファルガ・イザラントがこうもきっぱり言い切るということは、シャルロア・メルは第4師団の師団員には向いていない、という結論が出ているのだろう。
 ドストロもメルが第4師団に入団することを強く勧めるわけでない。彼女の普段の振る舞いから剣術や武術は期待するだけ無駄であろうことは、予想できている。だが銃か魔法か、どちらかが飛びぬけていれば可能性はあると思っていたが、副師団長のお眼鏡に敵わないのであれば仕方ない。彼女に戦闘は期待できないのだろう。
 それに、現時点で第4師団から事務能力を削ぐのは非常にうまくないのも事実だ。ドストロは今回、ケドレの直された書類を見て強く感じた。あの能力は、第4師団にこそ必要である。どこにも持っていかれたくない。
 ――しかしなぁ。
 ドストロは頭を掻いた。

「うちの人員不足もどうにかしてほしいもんですが。儂は来年の今頃には引退ですからね」
「あんたが現役を退くのは痛ぇが、だからってほいほい無能を入れられるか」
「今のうちにめぼしい奴に唾つけて、育ててください」
「いたらな」
「頼みますよ」

 ふぅ、とドストロがため息を吐くと、室内の空気が変わった。

「にしても、妙な犯人だったな」

 ファルガ・イザラントはそう言って、犯人の遺体に視線を向けた。
 ドストロも彼が持つ人相書きと犯人の顔を見比べる。
 メルの描いた似顔絵は、よくできていた。犯人の特徴を掴むどころか、見たそのままを描いたような素晴らしい出来映えで、誰が見てもこれはクラインを描いたものだ、とわかるほどだ。
 だがクラインの普段を知る人間たちは、この人相書きを見て微妙に違う、そっくり、など、色々と感想が出たらしい。少し離れたクラインの隣家にも人相書きを見せたが、彼らも少し印象が違う、と言ったそうだ。
 その印象も、誠実そうだったり、暗そうだったり、微妙に違う。
 だからドストロは改めて顔を確認に来たのだが、やはり感想は同じで、シャルロア・メルの描いた人相書きはクラインを見て描いたのか疑うほど似ている、であった。
 おそらくはファルガ・イザラントもその確認に来たのだろう。そしてドストロと同じ結論に至ったに違いない。

「こうも詳細に1人1人印象が違う、となると気にはなりますね。めずらしいっちゃめずらしい」
「…………いや。以前もあったな」
「いつです?」
「自鳴琴事件のときに。あのときもメルが似顔絵を描いたが、犯人への印象はてんでバラバラだった。凶悪事件を起こす奴の特徴なのかもしれないな」

 ファルガ・イザラントは目を伏せ、束の間思案顔になった。

「……メル」
「メルですか?おそらくもう師団に帰還したと思いますが、何か用事がありましたか?」
「いや、たいしたことじゃねぇ」
「そうですか?あぁ、それと一応メルには副師団長との結婚を勧めておきましたがね、本人、口説かれる期間が終了したと思ってるみたいですよ」

 めずらしくファルガ・イザラントはきょとん、としたあと―― 失笑した。

「ぶはっ、くくっ、口説かれる期間!なぁるほどなぁ、構うのを控えたからじゃなく、それがあったから若干警戒心が薄かったのか」

 ニヤニヤとご機嫌な様子のファルガ・イザラントに、ドストロは少々、否、正直に言って多大に引いた。

「ちょっと口説くの止めたら、ホッとした顔して俺のこと安全な男だと思い込んでるんだぜ?かわいいやつだろ」
「かわいいというか、哀れな……」
「次に口説いたとき、どんな顔するだろうな?」

 ――この男、小娘相手に遠慮なく男女の駆け引きを使ってやがる。
 押してダメなら引いてみろ。たぶん、士官学校の卒業式が行われて以降、ファルガ・イザラントは意図的にメルとの接触を断ったのだろう。それで油断させて、警戒心を解かせたところで、狩りに行く。えげつない。
 あの恋愛経験値ゼロな小娘に、策を弄ずることに罪悪感は、ない、のだろうな、とドストロは悟った。何せファルガ・イザラントの反応を見る限り、メルは彼が狙ったとおりの反応をしたに違いない。おそらくガチガチだった警戒心を緩めて接したのだろう。うまくいったことを喜ぶこの男が、手を緩めるなど想像できなかった。
 ――メル、お前、もう嫁ぐ覚悟した方がいいと思うぞ。
 呆れたドストロは、「仕事に戻ります」と告げて遺体安置所から出て行った。
 ファルガ・イザラントはその背を見送り、ドアが閉まったところで――笑みを消した。
 しん、と静寂が広がる。
 やがて『雷鳴獅子』は、ぽつりとつぶやいた。

「……フライメヌを見た、か」





********





フライメヌ
学名:アイベル・ポリータ
分布:ジェレン王国山間部原産
花期:4月〜5月(開花は数十年に一度。栽培環境により年数が異なる)
花言葉:証・証拠

――レンブント社出版 植物図鑑より














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