※暴力表現有り。ご注意ください。


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 クラインが、家に地下室があることに気付いたのは2年前のことだった。
 狩りに便利だからと借りた一軒家は、1人で住むには少し広く、二人で住むのに少し手狭、くらいの大きさだ。クラインは独身なので、広々と使っている。
 家具やじゅうたんも、以前の住人が使っていたものをそのまま引き継いで使っている。前の住人が何故この家を手放したのかは聞いていない。興味は特になかった。
 食事と寝れる広さがあればいい、と思い、ろくに家の中を調べていなかったクラインだが、2年前のある雨の日、ふと部屋の模様替えでもしてみるか、と思い立ち、家を大掃除した。
 そのとき、見つけたのである。
 絨毯の下に、地下への入り口があったことに。
 下りてみると、以前住んでいた人間の性格が垣間見えた。どうやら縦横高さ3メートルの地下空間を、保存食を貯めこむのに使っていたらしい。棚を押しつぶすように並べられた保存食は、全部ダメになっていた。
 だが面白いものも見つけた。保存食の作り方を書いたメモだ。その中に様々な腸詰肉の作り方も書いてあった。
 クラインは猟師だが、その肉はもっぱら焼くか、煮るかのどちらかで済ますことが多い。加工は獣が少なくなる冬季前、塩漬けにするくらいだった。実践してみたところ美味かったので、時折露店にも出すようになった。まぁまぁ売れている。

 バシャン、と派手な水飛沫が上がる。
 獲物の体温が下がるのを待ちつつ、クラインは空を見上げた。木々の隙間から見える空は、橙色に染まりつつある。秋になって日が暮れるのが早くなってきた。
 ふと、付き合いを申し込もうと思っていた少女の姿を見てないことに気付いた。彼女はいつから姿を見せなくなってしまったのか、覚えていない。覚えていない、ということは、この数年のあいだかもしれない。その間、クラインは体が腐っていくことに怯え、周りを気にする余裕がなかった。
 今、彼女はどこにいるのだろう。会いたい。恋人や夫ができていないなら、付き合いたい。
 運び屋の副業をすることで、少々懐に余裕ができた。彼女となら、結婚し、あたたかい家庭を持てる気がした。
 あぁ、でも、とクラインは思いを馳せる。
 目下、食料(・・)を何とかしなければならない。彼女を養えるだけの食料を調達できるだろうか。今まで二週間に一度だった狩りを、一週間に一度に増やさなければいけないかもしれない。
 けれど妻と、おいしいものを食べる幸福は、何にも勝るだろう。
 とりあえず、今日の夜の狩りまでに、この獲物を捌いておかなければ。
 クラインは湖から、息絶えた鹿を引きずり出した。





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 シャルロア・メルが描いた人相書きを手に、騎警団はアラダルの町を走り回ったが、ルダという少年を発見することはできず、空が濃紺に覆われた。
 ドストロは重いため息を吐いた。
 日が落ちた。夜と呼ばれる時間だ。
 秋の夜は、いかに南にあるミッシュ領地と言えどそれなりに肌寒いはずだが、少年を探して動き回った体は熱を持っている。
 少年を探す騎警団員は少なくなかったはずだが、その全員から逃げ延びた少年は、もしかすると第5向きの資質を持っているのかもしれなかった。あるいは、その種の才能が芽吹かざるをえないほど、日常の生活が危険に満ちていたのか。
 どうであれ、時間切れだ。
 正確には、少年が運び屋と会うまでは時間切れではないが、太陽の下で探しきれなかった人間を月の下で探すのは、難易度が跳ね上がる。諦めはしないが、生存していない覚悟はしておいた方がいい。
 ドストロは、斜め前でアラダルの通りをじっと見つめるファルガ・イザラントを盗み見た。
 通行の邪魔にならないよう、通りの端に避けてはいるものの、その存在感は筆舌に尽くしがたい。ただでさえ威圧的な男だというのに、ファイズたちの報告を聞いてからは、纏う緊張感で周りのものを焦がす勢いだ。
 しかしふと、ファルガ・イザラントは熱した金の瞳を路地に向けた。

「『猫』か」

 遅れて、ドストロも路地に気配を感じた。
 細い路地から、すっ、と第5部隊員が姿を現す。

「報告致します。ダレッタ・クラインの顔を確認しました。人相書き通りです」
「居場所は」
「猟から家に帰ってきたところで顔を確認しました。しかし、家に灯りがつきません」

 ドストロは苦々しい表情を浮かべた。
 ――警戒されたか?いや、奴は転移魔法を持っている。殺しに出かけたか。
 せめて少年がどこで運び屋――クラインと落ち合うつもりなのかわかっていれば、逮捕できたのだが。
 ファルガ・イザラントは束の間思案し、『猫』に「ご苦労」と声をかけて下がらせた。

「……帰るのを待ちますか?」

 騎警団の動きに気付いていなければ、クラインは必ず家に帰ってくる。猟の獲物を持ち帰っていることから、そう考えても良いだろう。
 だが、クラインが帰るのを待つ、ということは――少年の命を諦めるということだ。
 クラインは森の水場で死体の処理をする。家に帰って来たときには、少年の命はない。

「ドストロ。あんたの部下は、転移魔法を魔法配置(パスラ)できるか」

 ファルガ・イザラントの質問の意図は考えず、ドストロは部下たちの容器(クラ)を考える。普段使っている魔法の容量(レージ)から、想像するしかないが――。

「儂とファイズは魔法配置(パスラ)しているものを全部外すなら、なんとかってところでしょうね。ケドレとジレニアはギリギリ足りるか、足りないか……。加護魔法(パッケージ)を覚えてたら、ファイズも無理です」
「俺とあんた、それからもう一人だけ、クラインの家に連れて行けるとしたら誰が欲しい?」
「ファイズです」

 クラインの家に、ということは逮捕を考えての質問だろう。その場合、連れて行く部下は戦力で言えばケドレが欲しいが、彼の得意武器は槍である。剣も銃も人並みにこなせはするが、獲物武器が向いていないことを考えれば、ファイズを推すのが道理だ。ファイズの得意武器は銃。家の中でも使える。
 ジレニアは戦闘に向いていないので、論外である。
 ファルガ・イザラントはドストロの方を向き、団服のポケットから紙片を取り出し、寄こした。

「転移魔法の呪文だ。魔法配置(パスラ)しろ」

 こんなものを用意していた、ということは、ファルガ・イザラントもこのような事態になる可能性を考えていたのだろう。ドストロは頷いて、続きを促した。

「第2部隊が動員できる部隊員は全員捜索に回したい。逮捕に行くのは第4師団員だけだ。クラインが家に戻るまで、見張りを兼ねて近くに潜んで待機する」
「儂と副師団長はどうにかなるとして、もう一人の師団員はどうやって連れて行くんです?」
「外せる魔法を全部反魔法配置(グ・パスラ)して、空いた容器(クラ)に2人用転移魔法を魔法配置(パスラ)して俺が連れて行く。これでギリッギリだ。3人用転移魔法はさすがに王国魔法団の魔法使い級じゃなきゃ無理だな」

 ――いや、2人用転移魔法が発動できるだけで十分だからな?
 転移魔法の容量は、洒落にならないほど高い。
 1人用の転移魔法は、平均的な容器(クラ)よりも少し容器が多い人物が、加護魔法(パッケージ)を覚えていない状態であれば魔法配置(パスラ)できる。
 2人用となると求められる容量は1人用の2倍。3人用ともなれば4倍、と尋常でなく要求容量が増えていくのである。だからこそ運び屋に支払う金は、高いのだ。
 2人用転移魔法を使える騎警団員。これが敵なら、大人しく魔法使いになっておけよ!という至極まっとうな指摘とともに暴言を吐くと確信するほど、恐ろしい。まぁ、これに関してはアートレートにも同様のことが言えるのだが。
 ともかくドストロは改めて、上官の人外っぷりに呆れるしかなかった。

「令状はどうなってます?」
「手配してる。罪状は拉致及び殺人未遂容疑だ」
「生死は?」
「問わない。転移魔法を使う気配があれば迷わず殺せ」
「わかりました。じゃあ、早いところケドレたちと合流しましょう。第2部隊の分隊長にもこっちの指揮を命じないと」
「ああ」

 言葉少なにファルガ・イザラントは頷いて、踵を返し、歩き出した。
 その背に、怒りめいた炎が見える。昔、彼自身をも焦がすだろうと思っていた、苛烈な炎だ。通行人たちはそれを敏感に感じ取ったのか、自分たちを避けて歩いた。
 ファルガ・イザラントの怒りめいたものは、無くなったわけではない。シェストレカ師団長はそれを無くすのではなく、上手く抑え、隠す方法を教えただけだ。だから何か彼の逆鱗に触れるものがあれば、それは一気に噴き出す。
 ドストロも、ファルガ・イザラントの怒りめいたものはある程度抑えられるのであれば、消さなくともいいと思っている。彼がそれを向ける矛先を間違えたことがないからだ。
 戦時中は敵に。今は犯罪者に。それさえ間違えなければ、彼が排されることはないだろう。精神的な危うさもない。むしろ、少し精神が揺らいでくれる方がまだ苛烈さが和らぐであろうに、とさえ思うほどだ。
 ――まぁ、いい。
 彼が冷静さを失ってさえいなければ、今更とやかく言ったりしない。そしてファルガ・イザラントは冷静かつ適切に命令を下せている。文句はない。とりあえずは24人も殺した男を捕らえること、それに集中して大丈夫そうだ。
 物騒な気配をまき散らす男の後を追いながら、ドストロも来るべきときに向け、心の牙を研ぎ始めた。





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 町に流れ込む川のそばで、ルダは頬に詰めていた綿を行儀悪く吐き出した。町の中であればそれに顔をしかめる人間もいただろうが、ルダがいるのは人気のない川辺。さらさらと静かに水が流れ、その周りには夏に茂り伸びた草が、だらりと葉を垂らし枯れていた。冬になれば枯れ葉さえ残らないだろう。
 ルダは鼻をすすった。喉の奥がひりりと痛む。秋になって空気が乾いてきたからに違いなかった。
 それに月が高くなり始めたこの時間、川の近くはかなり寒い。だが、致し方ない。町の中にいれば母親の恋人が自分を探し、何かと組織に入れようとするので、なるべく会いたくなかったのだ。どうやら奴に、錠開けの技術があることを知られたらしい。
 元はと言えば、母親に鍵を奪われて家から閉め出されるのに、その当の母親がルダを追い出したまま恋人と家を空けるので、自宅に入るために身につけた技術だ。必要に迫られて会得したこの特技には幾度も助けられたが、今ばかりはそんな技術、会得しなければよかったと思う。あんなクズに目をつけられるくらいなら。
 なんとか、成人する15歳まで生きてこれたのだ。ここで道を誤り、クソみたいな世界に浸かるつもりはさらさらない。
 男癖が悪いうえ、男運もない母親に見切りをつけ、独立しようと思ったのは10歳のころだった。それからずっと耐えてきたのだ。あんな男に人生をめちゃくちゃにされて堪るものか、とルダは憤慨する。
 変装のために、頬に綿を詰め、青い髪を赤く染めてしばらく町の外に潜んでいたのが幸いしたのか、ここ数日、男の気配はなかった。変装せずに町の中に隠れていれば、男の子分から報告が上がり、見つかっただろう。そろそろ強引にでも組織に入れられそうになっていた。
 そして母親もそれを歓迎していた。ルダが男と関わるようになれば、母親はもっと恋人と親密になれるとでも思ったのだろう。相変わらず自分の子供を生き物として見ていない、とんでもない女である。
 まったくもって、冗談じゃない。
 頼りない弟分の面倒を見なければならないのだ。あのままだと、イーデルは父親の暴力で死んでしまう。
 大人は助けてくれない。我慢しろ、養ってもらってるんだから文句を垂れるな、いつもそう言うだけだ。絶望すら超えて、端から希望を持たないようになるのに時間はかからなかった。
 くそったれの大人ども。
 自分は違う。ひねくれて育った自覚はあるが、屑にまでなっていない。
 早く健康的な生活を整えて、あいつを迎えに行ってやらなければ。
 だから、格安で魔法を使ってくれる運び屋の話は、渡りに船だった。ちまちま溜めていた金で別の領地に逃げられ、しばしの生活費も心配しなくていい。大人は敵だと思って生きてきたルダだが、彼だけは認めよう。いい大人だ。

 新天地での生活について考えていると、プレッヅェルと待ち合わせた時間になった。
 プレッヅェルとの待ち合わせは、町に入る前にある、橋の上。この河原からほど近い。
 人工的な明るさなどまったくない、飲み込まれそうな夜の中、ルダは歩を進め、橋にたどり着いた。
 橋の中央に、丈の長いフードがついた上着を着た男が立っている。それがプレッツェルだと、ルダはすでに知っていた。前に会ったときもフードを深く被り、視線は合わなかった。けれどそれくらいのことでは不快にならない。何せ彼は、格安でケネット領まで連れて行ってくれるのだから。

「悪い、遅れたか?」
「いや」

 プレッヅェルは首を横に振った。

「準備はできたか?」
「おう。料金は後からで本当にいいんだな?」
「構わない。こっちに来てくれ」

 招かれ、男のそばに寄る。近くで見ても鼻から上は見えなかったが、顔の下半分はなんとなく整っていると感じる男だった。

「では、行くぞ」
「おう」

 ほんの少しだけ、ルダは町の方を振り返った。
 母親のことは頭にない。弟分が、迎えに行くときまで生きていることを願った。

展開(コン・パルト)『リューラン・フェディネクトラ』」

 魔法が発動すると、景色が解けていくように見えた。
 刺繍でできていた絵が糸に戻っていくように、するすると解けていく。
 はた、と気づくと、ルダは窓のない部屋に立っていた。

「……どこだ、ここ?倉庫か何かか?」

 しかし、にしては部屋が小さすぎる。縦横高さ、それぞれ3メートルほど。左右を見渡すと、部屋の四隅には明かりが設置されており、大きなたらいやバケツが無造作に床に置かれていた。それから、使い込まれた散弾銃が壁に立てかけられている。
 視界の端に揺れる物を感じ、ルダはふと上を見上げた。

 輪付きねじに、頑丈な縄が括り付けられている。

 ルダはプレッツェルに視線を戻しながら、話しかけた。

「なんだ、ここ。変なへ」

 ばきっ。





********





 上手くいった。

 クラインは手にしていた散弾銃を床に置き、頭を殴られ気絶した少年の足に縄を手早く巻き付けていく。
 大人になりたての人間は、警戒心が幼くて扱いやすい。
 この人間も最初は自分に対して警戒心を露わにしていたが、格安で転移魔法を使ってやる、と言えば、ころりと信用した。男癖の悪い母親を捨てて、出ていきたいと言っていた。友人と言える人間も少ないようだったので、消えたところで怪しまれはしないだろう。
 今までだって大丈夫だった。今回がダメなはずがない。
 それよりも、とクラインは作業を急いだ。昏倒している間に血を抜かなければならないのだ。ゆったりしている暇はなかった。
 気がつかれて暴れられると面倒だし、それで貴重な血が零れるのも避けたい。それに血は傷むのが早いのだ。さらに、獲物の体温が35℃以下になる前の血でなければあの甘美な味にはならないものだから、早く、早く、と気が急いてしまう。
 もう血の腸詰の予備はほとんどない。これを逃すと、断食しなければならなくなる。
 子供のころに体験した飢餓を思い返すと、ぶるりと全身が震えた。あんな思いは二度としたくなかった。あれは避けなければ。
 クラインは少年に巻き付けた縄を引っ張り、逆さに吊るして固定した。床につけた輪付きねじと縄が、少年の重さにみし、と音を立てる。これは改良が必要かもしれない。縄も、ねじも、もっと頑丈なものに変えるべきだろう。少年の体重で悲鳴をあげているのなら、これ以上の体重は支えられない。
 少々不安になって、少しの間様子を見ていたが、とりあえず今のところは大丈夫そうだった。
 少年の頭の下に大きなたらいを設置し、受け皿とする。
 血を抜いたら、すぐさま腸詰にしよう。
 他の材料はそろっているのだ。豚の腸、鹿のレバー、塩、スパイス、ハーブ。そして人間の血液。これがクラインにとって最高の血の腸詰になる材料だった。それらを思い浮かべるだけで、舌の上に極上の味が広がる。

 さぁ、仕事をしよう。

 昂る気持ちそのままに、クラインはナイフを少年の首にあてた。

 がんがん、がんがん。

 刃を滑らせようとした手が止まる。
 物音がする。上からだ。
 何かが落ちたのか、と思ったが、音は断続的に響いてくる。
 落ちた、というよりも、何かが叩いている音に思えた。
 例えば、そう、ノックのような。
 クラインは眉根を寄せた。
 時間はもう夜更け。人を訪ねてくるには非常識な時間帯だ。寝ていることにして無視するのがよさそうだが、それをするには音が大きすぎた。何せ、地下にまで聞こえてくる。どんな人間でも飛び起きるくらいの音量だろう。
 それでも諦め悪く、クラインは地下でじっとしていたが、音は止まない。むしろ、断続的だったものが連続的になるほど激しくなってきた。
 仕方ない。
 クラインは舌打ちをして梯子を上り、1階に出た。

「すみませーん!ダレッタ・クラインさーん!ご在宅ですよねー?」

 若い男の声が聞こえる。
 クラインは部屋に明かりをつけず、カーテンの隙間からそっと外を覗き見た。
 騎警団員だ。
 眼鏡をかけた男が扉を叩き、褐色肌の男が灯りを持ってその後ろに控えている。
 窓から離れ、クラインはイライラして金色の髪の毛を混ぜ返した。

 何故。何故、騎警団員がここにいる?
 偶然か?何か聞きたいことがあるだけか?

 しかし、ふと嫌な予感がした。
 クラインは今まで獲物を逃がしたことがなかったが、先日1人だけ逃した。
 川に落ちた少女。あの娘はもしかして――生きていたのではないか?
 いや、そんなまさか、とクラインはすぐに否定した。
 川は雨で増水していた。それに頭を殴ったことで、多少なりとも娘は弱っていたのだ。そんな状態であの流れに呑み込まれたなら、生きているはずがない。
 とは思うが、もしかして、と不安が染みのようにじわりじわりと広がる。冷静さを保てない。
 こんな不安に苛まれるくらいなら面倒臭がらずに、下流にまで行って死体を確認してくるべきだった。溺死した死体からは血を採る気にもなれなくて、探すことを怠った。
 それを今、悔やんでも遅い。

「クラインさーん?いらっしゃいますよねー?」

 ドンドンドンドン、と扉を叩く音がうるさい。
 目的のわからない騎警団員の訪問は、クラインを焦らせた。
 どうする?どうすればいい?
 こんな夜中に訪問してくるなんて、どう考えてもちょっとした用事ではない。何か、自分に聞きたいことがあるに違いない。その聞きたいことが――処理に関することかどうかが、重要だ。
 イライラする。
 食料に余裕がない。今まさに調達するところだったのに。

 食料。

 ああ。クラインはほぅ、とため息を吐いた。
 そうだ、彼らにも血が流れている(・・・・・・・)ではないか。
 きっと新鮮で、赤い、美味しい血だ。
 とりあえず話を聞いてみて、何事もなかったらそのまま帰ってもらう。
 何かあれば、食料にしてしまえばいい。
 素晴らしい閃きに、クラインは酔いしれた。食料が増える。それは幸福なことだ。
 笑みをこぼしながら、クラインは1階の寝室に置いておいた散弾銃を手にした。こちらは猟銃としてではなく、護身用に使う銃だ。先の大戦以降、オルヴィア王国内では誰かに勧められるでもなしに、銃を家庭に常備する者が多くなった。
 それを持って、玄関へ向かった。
 相変わらず扉を叩く音と、自分を呼ぶ声が絶え間なく響いている。クラインは散弾銃を後ろ手に持ち、玄関扉をわずかに内に開いた。この位置からならば、銃は扉と自分の体に隠れて見えない。

「……何か、ご用ですか?」

 薄く開いた隙間から尋ねると、眼鏡の騎警団員はその隙間に足を捩じ込ませ、扉を押し開く。
 手にした紙を見せながら。

「ダレッタ・クライン。拉致及び殺害未遂容疑で逮捕する」

 意味を理解する、その前に。
 冷えた、敵意のある声音。それだけで十分だった。
 クラインは後ろに下がり、散弾銃を迷わず騎警団員に向け、構えた。

 つもりだった。

 眼鏡の騎警団員の、遥か後方でパッ、と火花が散ったのを見た。
 直後、手に痺れるような衝撃が響く。
 銃口が、知らぬ間に上を向いていた。同時に外からパンッ!と聞き慣れた渇いた音が響いた。
 狙いが外れている。わかっていても引き金を引く力を抑えられず、そのままクラインは銃を撃ってしまった。
 当然狙いは大きく外れ、天井にバラバラと穴が開く。
 何が起こったかわからず、眩暈がした。体のバランスが崩れる。
 自身を支えることが出来ずに、クラインは後ろに倒れた。今まで自分がいた場所に、褐色肌の騎警団員が手を伸ばしていたことに気付き、倒れたのは幸いだったかもしれない、と思う。褐色肌の騎警団員が舌打ちしたのが聞こえた。
 クラインはそのまま家の中に転がり入り、態勢を立て直す。
 起き上がり、銃を構え直した。

 血だ。
 血が欲しい。
 あの甘美な味を、今一度。
 手に入れる邪魔をするな!

 引き金を引く寸前。
 眼鏡の騎警団員が、こちらに銃を向けたのを見た。












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