「絶対捕まえてくれるなら、証言する」 頭に包帯を巻いた少女は、ベッドで上半身を起こした状態でそう言った。 昨夜は怯えた状態だったと聞いていたが、今朝目を覚まして食事を終えるころには、彼女の精神はひとまず落ち着きを取り戻したらしい。一晩ずっとジレニアを掴んで離さなかったことを看護師から聞いて、頬を真っ赤にするくらいには余裕もできたようだ。 おかげで彼女はすんなりと、犯人の似顔絵を描くことに協力してくれることになった。 ただ、ジレニアや駆けつけてくれた騎警団員たち以外の男性は、少し怖くなってしまったらしい。一緒に病院の個室に入ったファイズを見ると緊張したように感じたので、シャルロアはファイズには同席を遠慮してもらった。その代わり、個室の扉は薄く開いておき、そこから話を聞く、ということでまとまった。附属病院の個室は基本的に防音らしいが、それは扉を完全に閉めなければそうならない。 それにこの少女は、現在追っている事件で唯一生きている被害者だ。その重要性から、個室の前にはケドレ副分隊長とジレニアが護衛として立っていた。他でもない第4師団員を護衛にあてる辺り、ファルガ・イザラントがどれほどこの少女を重要視しているかがわかる。 そして今回はそれが実に上手く働く形となった。扉を開けておけばファイズはおろか、扉の外にいるケドレ副分隊長とジレニアも話を聞けるのだ。一石二鳥だろう。 ファイズが部屋を出た後、シャルロアは用意されていた簡易な椅子に腰かけて描画長を開いた。彼女の肩に桃色の蝶を留まらせて、彼女の話を促す。 「それでは、まずは少し世間話でも。何故、運び屋を使おうと思ったのですか?」 「……あたし、母親に嫌われてたの」 冷え冷えとした声音で、彼女は吐き捨てた。 「あたしが出来たせいで、結婚するつもりじゃなかった男と結婚するハメになった、って毎日聞かされた。あたしからしたら知ったもんか、って感じだったけど。結局離婚してるし。でも父親があたしを引き取らなかったから、いらない子供を育てることになったって、ずっと八つ当たりされて育った。だから、大人になったらこんなクソみたいな家、絶対出ていってやるって思ってたの。どうせ家を出るなら、町の外、なんならあの女に一生会わないように別の領地に行きたいって思ってた。でも旅費とかすごくかかるし、着いた後の生活費とかもいるし、あたしが稼いでたお金はあの女にほとんど取られてたから、別の領地に行くなんて、夢のまた夢かも、って思ってた。けど……友達から、プレッヅェルって転移魔法屋なら安く運んでくれるって聞いたのよ」 桃色の蝶が、女友達の顔を映した。プレッヅェル、の話を聞いたときの光景だろう。 「最初は、そんなの怪しいって鼻で笑った。だって、転移魔法ってすっごく高いの知ってたもの。でも、そのプレッヅェルに払うお金は町の安宿の3泊代くらいで済むし、その子の友達の友達もプレッヅェルを使ったけど、ちゃんと無事で、今も手紙が届くって聞いて……。それにプレッヅェルは、子供とか成人して間もない子を、大人から守ってくれる人だって聞いたの。大人たちが逃げ出した子をどこに連れて行ったのか聞きに行っても口を割らないし、さっと姿を消しちゃうって。あたし、母親にこれ以上お金をせびられるのが面倒だったから、それってすごく都合がいいって思っちゃって……成人もしたし、友達に紹介してもらった」 記憶が移る。路地にて、女友達に引き合わされたのは――男性であるようだ。背が高い。フードを深く被り、顔ははっきりとしないが、肩幅は広かった。フードから零れる髪の色は、金色だ。 「お金は後払いでいいって言うから、転移してもらった……」 女友達と別れて、運び屋に連れられ、町の外で魔法を使ってもらったらしい。光景が流れてくる。 しかし、その光景が暗い森へと変わる。 「予定では、カランタ領のウェイズの町はずれに転移してもらう予定だった。でも、連れて行かれたのはどこか知らない森の、湖のそば。予定と違うって、あたし怒ったんだけど、あいつ、あたしを無視して、草むらに隠してた銃を持って殴りつけてきた」 蝶が伝える映像からも、そのときの異様さが子細に見えた。 森に連れてきた男は、少女を無視して草むらに屈むと、ぬっと散弾銃を取り出した。そして腰を伸ばしてこちらを向く動きそのまま、少女を戸惑いなく銃床で殴りつけた。 視界が揺れる。 倒れた少女は、それでもなんとか起き上がってすぐさま逃げ出した。 男はそれに驚き、その際、フードがずれた。 一瞬、顔が見える。金色の髪。緑の目。 ――あれ? シャルロアは、強烈な既視感を覚えた。 ――この、男を、どこかで見たことが、ある……。 「なんとか逃げたけど、あの男、ナイフを持って追って来たのよ」 前を向いて走っては、振り向いて男を視認する。その光景から、彼女はそのとき相当に追い詰められていたのがわかる。 振り向くたびに、男の顔が見えた。金色の髪。緑の目。 やはり、どこかで見覚えがある。 「それから逃げ回って、結局崖から足を滑らせて川に落ちたみたい。その後の記憶は曖昧だけど、犯人の顔はちゃんと覚えてる」 「そう……ですか。では、お願いしても大丈夫ですか?」 シャルロアは男をどこで見たのかうまく思い出せず、もやもやとしながら描画長と鉛筆を持った。 少女は頷いて、犯人の特徴を伝える。 「髪は金色で、短くも長くもない。目は緑色で、ちょっと吊り目気味だった」 「顔の輪郭はどうでした?卵型?四角い?丸い?」 「卵型だった。あと、基本的に顔は良かったと思う」 「整ってたわけですね。ということは、鼻とか口も男性的に整っていた感じですか?」 「うん。そうね、雰囲気的に騎警団の人っぽい……ピリピリした感じの格好良さって言うの?」 シャルロアはなんとなく、彼女が言いたいことがわかった。おそらく、精悍な顔立ちと言いたいのだろう。 ――精悍、な……。 稲妻のような衝撃が、体に走る。 精悍な顔立ち。金色の髪。緑の目。 シャルロアは見た。見たのだ、この男を。 エッテル領地出身の祖母を持つ、と言った女性の記憶の中で。 いたではないか。 露店で。 鹿の肉を売っていた。 女性が仄かで微笑ましい恋心を向けていた男。 あの、露店の店主。 猟師。 「……あの?」 少女に声をかけられ、シャルロアは手が止まっていたことに気付いた。 「あぁ、すみません。ピリッとした格好良さをどう反映させようかな、と思って」 笑って、手を動かす。蝶から伝えられる記憶をなぞるように、描く。 手が、わずかに震えていた。 ――運び屋、なんかじゃない……犯人の本当の職は猟師だ。 オルヴィア王国を転々とする謎の運び屋として追うよりも、ミッシュ領地の北部にいる猟師たちに聞いた方が早い。きっとすぐに犯人は見つかる。男の住処は、おそらくミッシュ領地の北部、あの女性が住んでいた土地だ。持っていた散弾銃は、きっと猟銃として使っているのだろう。 伝えなければ、と思うと同時に、無理だ、と叫ぶ自分がいる。 「眉は太いと感じました?」 「ううん、どちらかと言えば細めだった」 「黒子があった印象はありますか?」 「目立ったところにはなかった」 ――どう、伝えろと? 動揺がわずかに鉛筆に伝わり、紙を削るような筆圧になった。何気なく、その筆圧を元に戻す。 ――だって、誰も知らないのよ。 あの女性は、何も話さなかった。昔好きだった猟師のことなんて、一言も。それはジレニアも見ている。そしてシャルロアは、彼女とはあのとき以外接触していない。 つまりシャルロアが、猟師である犯人を知っているのは、おかしいことなのだ。 本来、知るはずのないことなのだから。 ――だからといって、見逃すの? 犯人は2週間置きに殺人を行っているとみられている。実際、目の前の少女はその周期に殺されかけた。殺せなかった以上、犯人は近々同じことをするだろう。何せ妄想癖を患っている、だろうから。 放っておけば、確実に犠牲者が出る。 シャルロアは犯人を知っている。 でも、本来知っていてはおかしいことなのだ。 だから、言えない。 ――だから、見逃すの……? 「……こんなもので、どうでしょう?」 シャルロアが少女に描画長を見せると、彼女は顔をしかめて唸った。 「似てるけど……何か違う気がする……」 「そうですか……。唇はこれより厚いとか、薄いとかありますか?」 「あぁ、そういえば……もう少し厚かったかな。で、頬骨がもう少しゴツッとしてたかも」 わざと似せて描かなかった部分を指摘され、シャルロアは記憶通りに修正した。 もう一度描画長を見せると、彼女は肩を強張らせた。 「……この、男よ」 出来上がった似顔絵の男は、端正な顔立ちをしているが、少々痩せているように感じた。それが、不気味に感じる。だから少女も少し肩を強張らせたのだろう。 「では、これでよろしいですか?」 「うん……あ、ちょっと待って」 出来上がった似顔絵を、外にいるファイズに預けようと椅子から腰を浮かせたところで、少女に止められた。似顔絵自体はそっくりに出来上がったので何だろう、と思いながら腰を下ろし、彼女に続きを促す。 少女は言い辛そうに、口を開いた。 「あの、さ……あたし、ケガしてここに来たわけだけど。その、治療費の支払いってどうしたらいいの?荷物とか、全部あの森に置いてきたから、お金が……」 あぁ、とシャルロアは納得した。確かにそれは、気になることだろう。 「今回貴女は刑事事件に巻き込まれ、犯人逮捕のために似顔絵作成に協力していただきましたので、情報提供料として報酬がわずかながら出ます。指名手配犯に賞金がついていたりするでしょう?あれも逮捕につながる情報を提供すると、一部が支払われたりするんですよ。そういった扱いになります。おそらく、そのお金でとりあえずの治療費は支払えるはずです」 「そう、なんだ……」 少女はホッとしたように力を抜いた。 「それから、犯人が逮捕された場合は加害者に請求が出来ます。これで騎警団から支払われた報酬が貴女に戻るとお考え下さい。病院に加害者請求書類を作ってもらうように伝えておきますね。あと、第2部隊員をこちらに寄こしますので、失った持ち物をなるべく事細かに伝えてください。森を捜索してそれらが見つかった場合、貴女の物だと判明したら手元に戻ります。それともう一つ、これからの生活費のことですが」 「え、うん……」 「本来なら、ご家族に入院後の生活などを看てもらう、のですが……」 「それは嫌だ」 断固とした拒否をする少女に、シャルロアも頷いてみせた。 シャルロアも、彼女を親元に返すのはあまり気が進まない。彼女はこのまま逃げた方がいい。 「ならば、ご家族に連絡するのは避けましょう。そもそも成人なさっているとのことでしたから、ご家族への連絡義務を騎警団は持ちません。代わりに、事件被害者支援団体と、成人自立支援団体を頼ることが出来るのを覚えておいてください」 「事件被害者支援団体、と、成人……?」 「成人自立支援団体、です。事件被害者支援団体は、刑事事件に巻き込まれた被害者たちが、別の被害者を支援する団体です。共同生活を送れる家を提供したり、当面の生活費を貸してくれます。成人自立支援団体も同じようなものですが、こちらは家庭の事情があって、成人しているのに自立を拒まれ、家を出られない人を支援する団体です。同じように家や生活費を貸してくれます。ですがどちらも支援を受けた場合、一定額の寄付か、一定期間の奉仕を求められます。と言っても、常識の範囲内の寄付額と奉仕となっていますので、ご安心ください。詳しいお話は団体の方に聞いてみるのが一番かと思います。よろしければ、午後からでも団体の方に来て、お話を聞かせてもらうように手配しましょうか?」 「あ、うん……お願い、します……」 「ではそのように。……頼れるものは頼って、貴女の幸せを求めてください」 「……うん」 目に涙を浮かべて、少女は静かに頷き、ベッドに潜った。 自分の身に降りかかったことを整理するには、まだ時間がいるだろう。シャルロアはあえて彼女にはそれ以上声をかけずに、描画帳を持って個室を出た。 「……?」 しかし、小首を傾げる。外に、ファイズも、ケドレ副分隊長も、ジレニアもいなかったのだ。 どこに行ったんだろう、と左右を見て、ギョッとした。 個室の扉横、壁にもたれるようにしてファルガ・イザラントが立っていた。 あまりの気配のなさに、悲鳴が漏れるところだった。というか、「んぐっ」と悲鳴一歩手前の変な声は漏れた。 ――この人、威圧感を出したり、気配を消したりするの止めてくんないかな! 別に文句を言っているのがわかったわけではないのだろうが、ファルガ・イザラントはシャルロアを睥睨し、くい、とわずかに首を傾げてみせた。一瞬何だろう、と悩んだが、それが扉を閉めろという仕草なのだと気付いて、シャルロアは静かに扉を閉めた。これで、個室に廊下の音は漏れない。 しかし廊下はしん、としており、微妙な緊張感が漂っていた。 否、緊張感はシャルロアだけが感じているのかもしれなかった。何せ、祭りの夜から会っていなかったので、どうにも調子が狂う。 「で?それが似顔絵か?」 「あ、はい」 手を差し出され、シャルロアは描画帳を渡した。 それだけの言動だったのに、なんだかホッとしてしまった。普段と変わらない『副師団長』だったからかもしれない。 出来上がった似顔絵を見るファルガ・イザラントに、シャルロアは辺りを見渡しながら尋ねた。 「いつ、こちらにお出でになられたんですか?」 「お前が世間話をするか、っつったところから」 「ほぼ最初からじゃないですか……あの、ファイズさんたちはどこに?」 「お前が支援団体について説明してる間に、手配してた第1部隊員がつく時間になったんで、ケドレとジレニアは迎えと情報引継ぎに行かせて、ファイズは先に捜査に戻した。ケドレたちにも情報を引き継ぎしたら、そのまま捜査に戻れと言ってある。短時間なら俺だけで護衛は事足りるしな。しかしまぁ、特徴のねぇ顔だな」 「えっ、結構端正な顔立ちだと思いますが」 「端正だから言ってんだよ。エレクトハくれぇ整ってたら別だが、大抵の美形っつうのは『平均が整った顔立ち』だからな。顔の特徴を覚えにくい」 なるほど、とシャルロアは納得した。確かに存外、美形とは顔の特徴を述べにくいものである。美しいと評判の舞台俳優や女優の顔を思い出すと、何人かの顔とごっちゃごちゃになって混ざることさえあるのだ。探す方としては、割と難しい顔立ちなのかもしれない。 ――探す、か……。 胃に重いものを感じる。 ――……言うべきじゃ、ない。 この犯人が猟師である、と言うべきではないのはわかっている。騎警団は今、この男のことを運び屋としてしか見ていない。猟師だなんて欠片も思っていないのだ。長く捜査に関わった人間が考えていないのに、関わっていなかったシャルロアが何の根拠もなく猟師だと言うのは、あまりにおかしすぎる。 けれど。心が揺れる。 このまま口をつぐんで、犠牲者が出たら、自分は正気でいられるだろうか。 魔女と同じ弱者を見殺しにして、平気でいられるのか。 「お前、何か気付いたことあるか?」 ファルガ・イザラントの問いと、まっすぐ向けられた金色の瞳に、心臓が破裂するかと思った。 「……え?」 「ねぇのか?」 ――ある。 事件の犯人は、猟師だ。転移魔法屋、運び屋を捜索するより、ミッシュ領地の北部の猟師を調べた方がいい。 あるけど、言えない。言えるはずがない。 「わた、しは、事務員なんですが」 「ねぇならいい」 金の瞳が、逸らされる。 同時に、彼の、興味の糸がふつり、と切れかけたのがわかった。 ――これを、逃せば。 もうこの男は、シャルロアの言葉など聞いてくれない。 歯牙にもかけない。 「待ってください」 視線が戻される。 興味の糸は、まだ残っていた。 「何かあるのか?」 ――考えろ。 瞬く間に、目まぐるしく思考の断片が消えては浮かぶ。 少女。猟師。森。水場。猟銃。転移魔法。こじつけろ。 自分のせいで失われる命があっては、ならない。 「疑問に思う点があります」 声が震えなかった自分を、褒めてやりたかった。けれどそんな暇もなく、ファルガ・イザラントが厳しい視線で続きを促してくる。 この、獰猛で賢い獣に、餌を食わせなければならない。 賽は投げられた。否、投げてしまった。やらなければ。 「何故、彼女は森の水場に連れていかれたんでしょうか?」 「何故それを疑問に思う?」 「移動魔法を使えるなら、森でなくても、人気のない場所にどこへでも連れて行けたはずです。廃倉庫とか、自宅とか、人目を避けられる場所ならいくらでもあります。でも実際、被害者が連れて行かれて殺されかけたのは森の水場です。確認ですが、その運び屋が殺したのではないかと思われる被害者たちも、水場で殺されていましたか?」 ファルガ・イザラントは双眸を細くして、シャルロアを見つめた。 「そうだ。最初は別の場所で殺されたと見られていたが、現場をくまなく調べると被害者を吊るしたとみられる縄の跡が見つかった。少なくとも犯人は、バラバラになる前の被害者を現場の木に吊るしてる」 その話を聞いて、シャルロアに鋭い閃きがよぎる。 ――いける。説得してみせる。 「あの少女の話を聞いて、水場で獲物を殺す、というのは猟師に似ていると私は感じたんです。副師団長の話を聞いて、それがますます強くなりました」 「……猟師?」 はい、とシャルロアは頷いた。 そう、猟師を思わせる行動だ。シャルロアは、親戚のおじさんが猟師だったから聞いたことがある。 「猟師は獲物を狩るとき、水場の近くで狩ると聞いたことがあります。狩ったあとに血生臭くなるのを防ぐため、水場に獲物を放り込んで体温を急激に下げるらしいです。だから腕のいい猟師は森や山にある水場を必ず知っている、と」 シャルロアを見つめる金色の瞳は、静かに凪いでいる。 けれどそれは、シャルロアの話に興味がないからではない、とわかる。この話が、捜査に必要か必要でないかを冷静に見極めている目だ。 ――まだだ。まだ、足りない。 この男を動かすには、材料が足りていない。 他に、何か。 ――銃。 「それに彼女は男が散弾銃を持っていたと言いましたよね。散弾銃はオルヴィア王国で先の大戦以降、護身用として広く販売されている銃でもありますが、猟師も使用します」 金色の瞳が、揺らめいた。 まるで炎が灯ったかのように。 「なるほど?お前は、水場と銃の関連性から男の本業は転移魔法屋じゃなくて、猟師なんじゃねぇかって言うんだな?」 「はい。愚考ですがそういうことになります」 一瞬、心臓が痛くなるような間が開いて、ファルガ・イザラントが口を開いた。 「……いや、愚考とは言い切れねぇな。最初の水場を地元以外の猟師が知っていたかあたるか。それから全国の猟師組合に人相書きの手配書を回してみる」 「え……」 夢かと疑うほど、シャルロアにとって最高すぎる言葉だった。 しかし自分の言葉が捜査に影響されるとなると、途端に不安になる。 「あ、あの、でも、本当に愚考なんですが、大丈夫ですか?」 「まぁ、引っかかれば儲けもんくれぇだ。あんまり期待するなよ」 「は、はい……」 戦場で手柄を立てたような、不思議な高揚感が身を包む。 頭がふわふわする。達成感で。 あの『雷鳴獅子』に、餌を与えた。 「それから今回の事件は被害者があちこちにいるんで、資料が各基地に散らばってる。手が足りてねぇみてぇだから、整理を手伝って行け」 「はい……」 なんとか返事をしたところで、第1部隊の隊員がやって来たので、ファルガ・イザラントはシャルロアに背を向けて、その場を後にした。 シャルロアは、その広い背をしばし見つめていた。 ******** ミッシュ領地出身の被害者の情報を、ミッシュ基地の第2部隊員に伝えながら、少々雑談を交わしていると、背後から鋭い声が飛んできた。 「ファイズ」 「はい」 イザラント副師団長は、捜査支部室の入り口で、くい、と首を傾げた。それはこちらに来い、という意味だと知っていたので、ファイズは一緒にいた部隊員との雑談を止め、イザラント副師団長の元へ駆け寄った。 しかしイザラント副師団長はファイズを待つことはせず、サッサッと先を歩いて行ってしまう。追いつくのがいつも一苦労であるので、もう少し気長になってほしい、と思っている。 イザラント副師団長が足を止めて入室したのは、使われていない小会議室だった。中には誰もいない、と思っていたが、いつのまにこちらに到着したのか、ドストロ分隊長の姿があった。 「あれ、ドストロ分隊長。引継ぎは終わったんですか?」 「おう。あそこの分隊長はやり手だ。思ったより早く済んだ」 犯人と思わしき人物の情報が、ミッシュ領から出たので、必然、捜査の中心となる第4師団員もこちらに移ることになった。しかしあくまで本部はカランタ領にあるので、指揮が出来る人間を選出し、任せてこなければならなかったのである。その関係でドストロ分隊長は、ミッシュ領地入りが少々遅れた。 ――まぁ、それ、本来はイザラント副師団長がやることなんですけどねー。 この司令官ときたら、誰よりも真っ先にこちらに来て情報の子細を確認している。ぶっちゃけ、それは下っ端のやることなのだから、司令官は動かず、指揮に集中してほしい。連絡なく『雷鳴獅子』を迎えることになったミッシュ領地には平謝りするしかない心境である。 「それで?被害者の話から、何か新たにわかったことが?」 ドストロ分隊長の問いを、イザラント副師団長は一度流した。 「ファイズ。お前、メルを迎えにいったときに被害者を襲った男が ファイズはきょとん、としてから、ズレた眼鏡を直しつつ否定した。 「いやいや。話してませんよ」 「捜査資料は?」 「見せるわけないじゃないですか。指揮官じゃあるまいし。まぁ、二週間に一回のペースで殺人が起こってるかもしれない、っていうのは話しましたけど」 「そうか。俺はいい加減、考えがどん詰まりになったんでな、気晴らしにメルに事件資料を見せた」 「気晴らしで捜査資料を見せるのは止めてください」 思わず、といったふうにドストロ分隊長がツッコんだ。ファイズも思わずツッコむところだった。 一応、シャルロア・メルは今回の事件に関して似顔絵描きに参加しているし、捜査に関わっていると言えば関わっているので構わないが、本来なら捜査に関係してない事務員や、資料整理を命じていない事務員に資料を見せるのは好ましくないことである。というか、単刀直入に言うなれば、やるな、である。 その暗黙の不文律を、平気な顔して破りそうな副師団長は、にやりとあくどい笑みを浮かべた。 「まぁ、聞け。すると面白い話をしてくれてな。腕のいい猟師は獲物を狩るとき、水場の近くで狩るらしいぜ」 しん、と小会議室が沈黙に包まれた。 ――なんだって? 鑑識から上がった新たな情報は、被害者は遺体放棄現場で殺害された可能性がある、だ。どうやら被害者を吊るした縄の跡が見つかったらしい。あの森の中、鑑識員たちは木の一本一本、枝葉に至るまで調べ上げていた。 つまり被害者――獲物は水場の近くで死んだ可能性が視野に入る。 だが、あまりに突拍子もない話だった。 ――いや、だって、怪しい男は運び屋っつう見当はついてるし……。 けれどファイズ自身、腑に落ちない点は確かにあったのだ。何故、犯人は森の水場に固執しているのか。 水場は、人が集まる危険性も高い。なのに、犯人はそこを遺体放棄場とした。何故なのか。 それは猟師ゆえの性だった、と考えると――腑に落ちるのだ。 犯人は、水場が解体に適した場所だと思っていた。猟師だからだ。実に単純でわかりやすい。 それに、もう一つ。 「……猟師って散弾銃使う人間いますよね?」 「いるな。つうか、8割がたはそうだろ」 「転移魔法から追うより、猟師として追った方が、結果早いかもしれませんね」 運び屋の話は、全国に散らばっていて、実態がつかめない。どこに住んでいるのかわからない。 だが猟師ならば、住まいを転々としない。獲物を獲るには、一か所に拠点を構えて、地理を把握した方がいいからだ。毎日山や森に入り、どこを獲物が歩いているか、観察する必要がある。だから居場所を特定しやすい。 ファイズがドストロ分隊長を見ると、彼もまた一考し、頷いていた。 「そういうわけだ。転移魔法屋も追いながら、猟師の観点からも追え」 「了解」 「しかし犯人がもし猟師だった場合、被害者が逆さで死んでた理由は想像できるな」 副師団長の言葉に、ファイズは眉根を寄せた。 「どういうことです?」 その問いに、イザラント副師団長はあっさりと、血の気の引くような推測を述べる。 「血抜き」 「あぁ……確か獣の血抜きっつうのは、昏倒させてから喉元切るんだったか?」 ドストロ分隊長の言葉で、ファイズも思い出した。そういえば、そういう感じだった気がする。きっと詳細は違うのだろうが、方向性としては間違っていないはずだ。 イザラント副師団長は、冷えた笑みを浮かべた。 「死因と似てるだろ。頭部に殴打痕、首に切り傷、失血死」 「……これ、猟師なんじゃないですか?」 ますます猟師説が濃厚になってきた。 が、ドストロ分隊長はイライラしながら頭を掻く。 「だが、血痕が少ない理由がわからねぇ。血抜きなら、血は捨てるだろ。血痕が少ねぇことを考えると、そもそも器か何かに血を集めてて、若干こぼれたのが現場の血痕だっつう可能性が出てこねぇか?」 「集めて、池にぽいってしてたんじゃ?」 「それもありうるが、そもそも捨てるつもりなら集めねぇだろって話だ。血だまりが出来たって、そこは土だ。地面が血を吸うし、吸わなかった分は上から土や草を被せて隠しておきゃあいい。が、そんな形跡はない」 イザラント副師団長が、横から口をはさんだ。 「つまりもともと、犯人は血を採るつもりだったんじゃねぇのかって推理に行き着くな」 ―― それは。 せり上げた苦い気持ちを抑えつつ、ファイズはなんとか軽口を叩いた。 「それはまた……吸血鬼みたいな話ですね」 「吸血鬼なんておとぎ話の化け物より、もっと血生臭そうだがな。雑談は終わりだ、捜査に戻るぞ」 イザラント副師団長の合図で、ファイズたちはそれぞれ捜査に戻る。 小会議室を出て廊下を歩きながら、ファイズは新米事務員のシャルロア・メルについて考え始めた。 ――あの子がよくもまぁ、副師団長と事件について雑談めいたことをできたもんだ。 ファイズがこの数カ月間メルを見ていて感じたのは、彼女は社交的なようで人見知りが激しい、ということだ。 話しかければ普通に応じるし、こちらに話しかける様子にも躊躇はない。だが非常に、私事について触れられることを拒んでいる気がする。師団員同士で私事についての話が盛り上がると、彼女はひっそりと存在感を消し、自分にその水が向けられないようにしているようだった。 そしてときどき、こちらの何かを探っているような目を向ける。その根本にあるのは警戒心、なのだろう。 そんなメルが、まさに彼女の私事に興味津々のイザラント副師団長と雑談を交わせるとは思えなかったのだが。 ――なんだろうな、メルの……あれ。人見知りっつうか、人間不信? そう、最初は人間不信かと思ったのだ。大抵、警戒心の奥には恐怖心が隠されているものだ。彼女も昔、親しい人間に何か裏切られたことで、そういった警戒が解けないようになったのかと思っていた。 けれど見ているうちにわかってきたのだ。人間不信、というには、メルには悲壮感がなさすぎる。 せいぜいあの警戒心は、『人を見たら泥棒と思え』を幼いころから擦り込まれてきただけ、程度の重さしか感じられない。本当に裏切られた経験があるなら、探るときの目は、もっと昏くなる。 故に人間不信と呼ぶには軽すぎるので、彼女のあれは人見知り、と定義づけているのだが。 ――まぁ、害はないからいいけどねぇ。わからねぇ子だなぁ。 だが、あの謎加減が、『雷鳴獅子』の心を射止めたのかもしれない。 ファイズはそう、適当に結論づけた。 ――早く副師団長の嫁になって、あの人を丸くしてくれねぇかなぁ。 シャルロアが聞いていたら絶対零度の目で避難されるようなことを思ってから、捜査へ向かった。 |