率直に言うなれば、リダ―ドン・ジレニアはドストロ分隊一どころか、第4師団一弱い師団員である。
 剣や徒手格闘の手合わせをしても、全師団員に負ける。狙撃の腕は第4師団一悪い。魔法もろくに使えない、というか、実践になると魔法を使うタイミングを完璧に逃す鈍臭さ。見かけがなよっとしているエレクトハにも余裕で負けるし、一番年下のウルグにも瞬殺される。イザラント副師団長と手合わせすると、いつのまにか地面に寝転がっているのは常だ。
 他者だけでなく、ジレニア自身も己はめっちゃくちゃに弱い、ということをわかっている。
 一応、部隊の分隊を倒すことくらいは何とかできる(ように訓練された)が、それでも第4師団一弱いことには変わりない。
 そんな彼が、何故精鋭と呼ばれる第4師団に入団できたのか。

 それはずばり、ジレニアがとんでもない『幸運男』であるからだ。

 ジレニアは元々、ミッシュ領地の第2部隊員として騎警団に入団した。士官学校を経てではなく、試験を突破しての入団だったので、階級は新兵から。それからコツコツと真面目に働き、無事一等兵にまでなれた。
 一等兵になってから、より一層犯罪抑止のために力を費やした、と思っている。町へ真面目に巡視に出かけたし、地域の人との交流を持ち、どんな情報も逃さないようにした。
 そのためジレニアは、食い逃げ犯や町の往来で喧嘩している人間を逮捕する機会が多かった。
 そして逮捕した連中は不思議と――とんでもない余罪を持っている者が多かったのである。
 ただの食い逃げ犯だと思っていたら、人を3人殺した殺人犯だったり。
 喧嘩をしていた人間たちが、麻薬なんてかわいいと思えるくらいのヤバい薬を売りさばく連中だったり。
 冗談抜きで、逮捕した罪より重い罪を隠していた人間を逮捕した確率は、90%に届く。
 ジレニアが犯人を逮捕したおかげで、迷宮入りしていた事件が解明される事態が何度かあった。
 第4師団にも、ジレニアが犯人を逮捕したことがきっかけで解決した迷宮入り事件がいくつかあった。そうとなれば、解決に導いた部隊員を、あのシェストレカ師団長が見逃すわけがない。
 直々にお出ましになって「うちに来ませんか?」と誘われたときはなんの冗談かと思って断ったのだが、翌日第4師団への異動辞令が言い渡された。「お前がここで頑張りたいなら守ってやるさ」と言っていた頑固な分隊長が、爽やかな笑顔で「頑張れ」と言ってきた瞬間に、ジレニアは悟った。シェストレカ師団長に逆らってはいけない、と。
 そういった経緯でシェストレカ師団長に引き抜かれたジレニアだが、彼の『幸運』っぷりを第4師団員に知らしめたのは、イザラント副師団長だった。
 忘れもしない初任務だ。第4師団が扱うにふさわしい猟奇的な現場にいきなり放り込まれ、吐き、人体実験という名の殺人を楽しんでいた犯人たち(恐ろしいことに組織犯罪だったのだ)との交戦で死にかけた。主に「てめぇたった1人拘束するのに何分かけてやがる!」と言う先輩師団員が怒声と共に打ってくる雷魔法と、「あと1分以内に拘束できてなかったらてめぇごと焦がす」という言葉を有言実行してくれたイザラント副師団長の炎魔法を交わしながら、戦ったので。拘束した後?もちろん吐いた。
 しかし交戦した後になって、組織のリーダーは双子の男だったことがわかった。つまり、リーダーは2人いたのだ。
 片方は逮捕できたが、もう片方はちょうど所用でアジトを離れていた。騎警団との交戦をその片割れは察知して、そのまま逃げてしまったのだ。
 事件解決かと思いきや、リーダーの片割れはすでに遠くに逃げているだろうと予測され、ジレニアは憂鬱な気分になった。控えめに言って、頭がおかしい人間が世間に隠れている恐怖を思うと、夜も寝られなかった。
 寝不足で聞き込みのために町を駆けずり回ったせいか、気分が悪くなり、たまたま目に入った大きな酒場でトイレを借りた。しかしそこで吐いてすっきりし、扉を開けたところで、そのトイレに駆け込もうとしてきた人間が、リーダーの片割れだったときの衝撃ときたら。
 相手は酷い腹痛で死にかけていたので、弱いジレニアでも楽々と逮捕でき、基地に連れ帰れた。しかもその途中、ひったくり犯も見つけたので、現行犯逮捕した。
 ジレニアが何故この事件を覚えているか。それは初任務だったからではない。

 あの『雷鳴獅子』が犯人たちを連れたジレニアを見て唖然とし、捕まえたひったくり犯に殺人の余罪があったことがわかると「お前それ幸運っつうか、呪われてる級に犯罪に好かれてねぇか」とドン引きした表情を浮かべたからである。

 ちなみに先輩師団員もドン引きしていた。
 それ、ドン引きした副師団長にドン引きしてるんですよね?とは聞けなかった。間違っても、『雷鳴獅子』をドン引きさせた自分にドン引きしていたわけではない、とジレニアは思うことにしている。
 なお、その先輩師団員に「イザラント副師団長がドン引きしてんの初めて見た」と言われ、ジレニアの上官であるドストロ分隊長にさえ、「お前みたいな理由で第4師団に入団できた人間は、史上初」と言われたおかげで、師団員にはしばらくの間『初めての男』と呼ばれるハメになった。女性師団員がジレニアがそう呼ばれるのを見るたびに、非常に微妙な表情になっていたので、あの時期は自分の中で暗黒時代である。

 ともかく、犯罪――仕事に関してジレニアは『幸運な男』である。

 が、日常において幸運かと問われると、そうではない。
 シャルロアが被害者女性から話を聞き、似顔絵が出来上がってから12日経った。その間に、緻密に描かれた似顔絵は十分に効力を発揮し、犯人の男の所在を明らかにした。
 犯人は人目を避けて、山間に近い宿に逗留していたようだ。宿を転々としなかったのは、移動することで人に顔を見られるのを恐れたからなのかもしれない。しかし、そんな山間の田舎宿だからこそ、旅をしているふうには見えない客の姿が強く不審に思われたようだ。宿の者から通報を受け、先ほど第2部隊の一個分隊とケドレ副分隊長とで、男を逮捕してきたところだった。
 山間に近い宿、というのは本当で、ほとんど山の裾野にぽつんと建っている宿だ。おそらく、山を越してきた人間が泊まるための宿なのだろう。
 宿が町から遠かったため、ジレニアたちは馬に乗って来たわけなのだが、どういうことか、宿の前で待たせておいたジレニアの馬がいなくなっていた。それも、ジレニアの馬だけだ。

「は!?あいつ、どこ行きやがった!?」

 片手に農耕地、片手に森が広がる景色を見渡すが、どこにもいない。しっかりと手綱を柵に結び付けておいたはずなのだが、どうやらそれが外れて逃げてしまったらしい。
 ケドレ副分隊長と数名の第2部隊の隊員は先に帰っており、ジレニアと一緒に宿に残っていたのは事件の後処理を任された、元同僚たちだった。彼らもそれぞれ後処理に追われていたので、馬を見張っている余裕などなかった。

「あー、森の方に逃げたんじゃねぇの?」
「逃げたって……おい、どうしろっつうんだ」
「探すしかねぇだろ」

 あっさりと言いながら、自分の馬に乗る同僚たち。一緒に探してくれる気配は微塵もなさそうだった。
 ジレニアだって逆の立場ならそうする。何せ捕り物の後だ。時刻も夕方を過ぎている。帰ってさっさと眠りたい。
 それに馬を逃がしたのは、おそらくジレニアがしっかりと手綱を結んでいなかったからだろう。結んだつもりになっていたものが、緩んでしまったのだ。そんな初歩的な自分の失敗に、彼らを巻き込むのも気が引けるのも事実。
 ジレニアはため息をついて、森の方に歩き出した。
 農耕地の方は平地だ。そこに馬の姿は全く見えない。それに餌となる草が生い茂るのは森の方。故に逃げたのであれば、そちらの方に逃げた可能性が高いとみた。
 冷淡な同僚たちに背を向けて、森に入ってしばらく歩くと、茂った草が踏み倒されているのを見つけた。真新しい、獣道になりかけ、と呼べそうな痕跡。ほぼ間違いなく、馬が通った跡だ。
 案外早く見つかったな、とジレニアはホッとして、その跡を追う。
 馬は喉が渇いていたのか、水の音がする方向へ向かっていた。
 しっとりとした空気が肌を撫でるようになると、視界に川が現れた。さらに、川辺でのんびりと水を飲む馬の姿もある。川の水は先日の雨の影響からか、少し濁って水量が増しているように見えた。

「お前なぁ、軍馬っつうならもうちょっと我慢ってもんを覚え……」

 ジレニアの文句は、宙に消えた。
 馬の足元。

 下半身が水につかった、女性が倒れ伏していた。

 それを視認したと同時に、ジレニアは彼女に駆け寄った。

「君!君!大丈夫か!」

 細い肩を叩いて、意識を確認する。閉じられていた瞼がわずかに動いた。
 それを確認したジレニアは軍馬に向かって叫ぶ。

呼んで・戻れ(ケル・ウェイン)!」

 騎警団で調教された軍馬は、団服を着た人間を判別できる。戦況を司令官に伝えなければならないが、騎手が何らかの理由でそれが難しくなったとき、戦況を伝えるものを馬に託せることができるようにだ。『行け(レド)』と命令すれば、前線から遠い場所で見つけた騎警団員に近寄るように躾けられている。
 今回ジレニアが下した命令も、そういった類のものだった。『他の騎警団員を』呼んで・『連れて』戻れ、と。
 軍馬が嘶いて、森の中へ消えていくのを目の端に捉えつつ、ジレニアは女性を仰向けにして気道を確保した。女性、というよりもまだ少女といった方が正しいかもしれない。成人して間もない年頃だろう。
 心音と呼吸を確認すると、生きていた。思ったよりも力強い。弱っているが、今にも死にそうな音ではない。
 ――上流から、流されてきたのか?
 どう考えても、溺れて流され、ここで運よくひっかかったとしか思えない。
 肩までしかない青い髪が水に濡れ、額には血がついていた。額に傷、というよりは頭に傷を負っているようだった。
 ――頭の傷は、素人が治すわけには……。
 医師の診断がなければ、傷を魔法で塞ぐわけにはいかない。塞いだ結果、頭の中に血が溜まっていたことに気付かず、後に死亡することもありうるからだ。
 頭を動かさないように慎重に髪をかき分けてみると、やはり額ではなく頭の方に傷があった。幸い出血は止まっている。
 青いまつげが揺れて、瞼が開いた。橙色の瞳がジレニアをぼんやり捉えた。

「あ……あぁ……っ」

 びく、と震えた彼女が混乱したまま起き上がろうとしたので、ジレニアは彼女の肩を押さえた。

「動かない方がいい。俺は騎警団員だ。団服がわかるか?見えるか?」
「あ……」

 どうやら目は問題なく見えているらしい。緊張していた体が虚脱する。

「わた、わたし、そこ、そこに、おとこ、いな、いない?」
「男?いや、君一人だけだった。恋人か?一緒に流されたのか?」
「こいびとじゃない!いや!いるの!?そこにいるの!?」

 ――嫌?よくわからないが、これ以上興奮されるのはまずい。
 興奮状態の女性に、ジレニアは根気よく言い聞かせた。

「流されてきたのは君だけのようだった。君だけだ。君が気にしている男の姿は見ていない。君は頭を打ってるから、あまり興奮しない方がいいんだ。安静にしていてくれ」
「いな、いなく、ても、くる。あのおとこ、おって、くる」
「大丈夫。俺が守る。俺は騎警団員だ。君を何からも守って見せる。その男が来たら絶対に君には指一本も触れさせない。俺を信じて、今は安静にしてくれ」

 そこまて言って、彼女はようやく少しの落ち着きを取り戻したようだった。それでも不安げに震える手で、ジレニアの服の裾に縋りつく。

「おね、おねが、い、まも、まもって。ころ、される」

 ――殺される?
 ジレニアはその単語に内心反応したが、表情には出さなかった。

「大丈夫。守るよ。だから君は、今は体のことを考えるんだ。気分が悪いとか、どこか折れてる感じはある?」
「な、い。だから、はやく、ここから、にげないと」
「落ち着いて。今、人を呼んだから」

「はやく……!あの、おとこ、おってこれる、の!はこびや、だから……!」





********





 ――アイツ、もう『幸運』じゃなくて『犯罪吸引機』だろ。
 ケドレは煙草(ラッツ)を吸いながら、騎警団付属病院を見上げ、そのまま静かに街を照らす月まで視線を上げた。
 甘い味とともに思い出されるのは、ミッシュ基地で部下であるジレニアの帰りを待っていたというのに、彼と一緒に事件の後片付けを任せたはずの第2部隊員から、ジレニアが犯罪に巻き込まれたらしい少女に連れられて騎警団附属病院に向かったとの報告を聞かされたことだ。

 少女に連れられて、っていうのはどういうことなんだと問うてみれば、どうやら被害者は軽い錯乱状態にあるらしく、ジレニアを掴んで離さなかったため、そのまま一緒に病院に運ばれたという。転移魔法を使える男に追われている様子なので、念のため警護がしやすい騎警団附属病院に入れたことも伝えられた。つくづく犯罪に好かれる男である。正直言って、まったく羨ましくはない。
 とりあえずジレニアの帰還が少々遅れそうだ、ということをシェストレカ師団長に報告しておこう、と面倒くさがりの自分がめずらしく気を回した。そのことすら、おそらくジレニアの『幸運』に巻き込まれていたのだろう。
 普段ならば先に師団に帰還して、そこでシェストレカ師団長に報告するのだが、その頃にはあの男はいなかったはずだ。
 だがケドレがシェストレカ師団長を通信で呼び出したとき――『雷鳴獅子』がそこにいたのである。
 普段、任務を受ければ滅多なことで師団に帰還しないあの男が、何故かその時間、シェストレカ師団長のそばにいた。それもまた、ジレニアの『幸運』に巻き込まれた結果なのかもしれなかった。
 ケドレはシェストレカ師団長に、ジレニアが転移魔法を使う男に殺されかけたという少女に付き添い、附属病院に向かったので帰還が遅れることを伝えた。すると、その通信相手がシェストレカ師団長から『雷鳴獅子』に変わった。
 『雷鳴獅子』の興味を惹いたのは、転移魔法を使う男(・・・・・・・・)という言葉だった。
 ケドレは知らなかったのだが、どうやらイザラント副師団長が受け持つ事件の犯人が、転移魔法を使う男ではないかという目星をつけたところだったらしい。
 すぐにそちらに向かう、と告げられて通信を切られ、ケドレは一瞬呆けた。
 ――向かう?
 つまり、ファルガ・イザラントが来る。すぐに。
 ――馬鹿じゃねぇのかあんた副師団長だぞそんなひょいひょいと身軽に一師団員みてぇに来られて堪るかこっちは第4師団副師団長を迎え入れる準備なんか何一つ整ってねぇっつうのにミッシュ第2部隊員全員を胃痛で病院送りにするつもりか!
 ケドレ自身、気遣いなんて言葉とは程遠い人間だという自覚はあるが、だからといって常識とまで遠い人間だとは思っていない。
 お偉いさんを現場が迎え入れるには、それなりの準備と心構えが必要なのだ。あの男には、自分がその『お偉いさん』であるという自覚が足りなさすぎる、と常々思う。
 否、ともかく、第2部隊が混乱する前に自分があのどうしようもない爆弾を処理しなければならない。
 ケドレは通信機の受話器を置いて、すぐさま転移室へ向かった。そこで間一髪、部屋から出てきたファルガ・イザラントを捕獲することができたので、第2部隊の勤務室には寄らずに、そのまま附属病院まで連れてきた。
 その後の処理はジレニアにぶん投げである。そもそも、ケドレ自身だってジレニアが発見した被害者についてろくに知らない状態なのだ。現時点で事情を一番理解しているジレニアに投げても、文句を言われる筋合いはない。

 ふぅ、と細く煙を吐くと、病院の玄関扉が開いた。ケドレの夕陽色の目に映ったのは、先ほど送り出したファルガ・イザラントであった。

「望んだ情報はありましたかね」

 吸っていた煙草(ラッツ)を携帯灰皿に押し付けて消しながら問うと、『雷鳴獅子』は一笑して答えた。

「やっぱアイツは俺付きにして、捜査が詰まった分隊に送るようにしようぜ」
「やめてください。それ前にやって、面倒臭ぇ事件が同時多発したの覚えてるでしょうが」
「面白かっただろ」
「連続殺人犯と連続放火魔と結婚詐欺師と投資詐欺師と下着泥棒がごちゃごちゃに逮捕されるような事態が一週間続いたあの件を面白いと言えるのは、副師団長くらいなもんですからね。勘弁してくださいよ」
「安心しろ。最初は俺もドン引いた」

 くつくつと喉を鳴らして笑うファルガ・イザラントに対し、ケドレは無精ひげを撫でながら、ため息を吐いた。
 ジレニアの幸運をあてこんで、一度、自由に各地を飛び回れるファルガ・イザラント付きにしてみたことがある。
 するとジレニアは各地で『幸運』っぷりを発揮した。連続殺人犯を捕まえた現場近くで指名手配されていた連続放火魔を発見し、その犯人が逃げたので追いかけて逮捕した地点で、同じく指名手配されていた結婚詐欺師と投資詐欺師を発見、逮捕。おまけに近くで下着泥棒していた犯人も現行犯逮捕することにになった。ちなみに連続殺人犯以外は、ジレニアが全員手錠をかけている。
 これに似たことを任務地すべてでやられたので、各現場は完全に混乱し、ファルガ・イザラントは次から次に湧いてくる仕事に大喜びだった。
 よってシェストレカ師団長の命令により、ジレニアはすぐさまドストロ分隊に戻されたのである。ファルガ・イザラントは各地を飛び回るが、分隊はそれほど動き回らない。どちらの下にいた方が混乱を抑えられるかは、火を見るより明らかであった。

「ジレニアに事情を聞いてきた。被害者はルイダン領地出身。母親と折り合いが悪くて、家出をしてきたらしい。格安で転移魔法を使ってくれる運び屋の存在が決め手になったんだとよ」
「はー、格安。そりゃまた、怪しいこって」

 騎警団に入ってまず教えられるのは『人を見たら泥棒だと思え』である。それくらいの疑心を持って人と接しなければ、見逃すべきでないことを見逃す。だから疑え、が騎警団の教えだ。それを基準にして考えると、ケドレはとてもじゃないがその運び屋は怪しすぎて使う気になれない。
 だが、怪しいものにしか縋れない立場や状況もある、ということをケドレは知っている。どんな状況であろうが、悪いのは被害者ではなく、加害者だ。それを忘れたら、騎警団員として名乗る資格を捨てたも同然だ。
 故に一概に、その少女の短慮だと非難する気はさらさらなかった。

「案の定、指定した領地の町じゃなく知らねぇ森の中に連れて行かれて、散弾銃の銃床でぶん殴られた。が、被害者は加護魔法(パッケージ)を空包魔法・ハルトドミアに指定していたらしくてな。殴られた衝撃が空気の層で弱まって、気を失わずに済んだ」

 ケドレは、ははぁ、と感心した。
 空包魔法・ハルトドミアは、浮き輪を全身に纏うような認識で間違いない。今までは溺れたときくらいしか使えない魔法だと思っていたので、カナヅチくらいしか加護魔法(パッケージ)に指定する意味がないと思っていたが、まさか打撃からも守ってくれるとは思わなかった。

「そりゃ幸運でしたね。そんな使い道があるとは」
「その後、被害者は犯人から逃げてる最中に崖から転落して、増水した川に流されたから本来の魔法としても機能してる。あの加護魔法(パッケージ)がなけりゃ、確実に死んでたな」
「それで?副師団長が持ってる事件と、関連性はありそうなんですか?」
「あると睨んでる。ファイズが10代の人間を狙った魔法転移屋の存在を掴んできた。他にもこっちの事件と符合するものがある。あの被害者は今回の事件で唯一、生きている人間だろうと思うぜ」
「何人殺されてるんです?」
「24人。今回の被害者が殺されてりゃ、25人になったかもしれねぇな」

 ケドレは絶句した。
 『雷鳴獅子』が受け持っている事件の詳細は今まで知らなかったが、その話を聞けばこの男がわざわざここへやってきた意味が分かる。
 ジレニアの顔が頭をよぎった。
 ――アイツ、とんでもねぇ『幸運』を引っ張ってきやがった。

「ジレニアは今、どこにいるんです?」
「被害者に拘束されたまんまだ。薬がよく効いて寝てるらしいが、裾をがっつり掴まれて動けねぇもんで、小便に悩んでたぜ」
「相変わらず変なところで不運な奴だな……」
「そりゃ、あんたもだな。残念だがまだ働いてもらう。任務上がりの酒はおあずけだ」

 ファルガ・イザラントはにやり、と人の悪い笑みを浮かべた。





********





 シャルロアが呼び出されたのは、ドストロ分隊長たちが捜査する事件の重要参考人がミッシュ領地で見つかった次の日の、早朝のことだ。
 朝日が昇ってすぐの時間だったが、魔女であるシャルロアは当然のごとく起きて、自室で読書をしていた。そこに伝令の者がシェストレカ師団長が呼んでいる、と告げに来たのだ。
 シャルロアは即座に、しかし同室のローレンノを起こさないように静かに支度して、第4師団勤務室に向かった。
 勤務室でシャルロアを待っていたのは、シェストレカ師団長とファイズだった。

おはようございます(ウラーヴァ・デッヘン)、シェストレカ師団長、ファイズさん。お呼びだと聞きました」
おはようございます(ウラーヴァ・デッヘン)。早速で悪いのですが、ファイズ君と一緒にミッシュ領地へ。詳細は彼から聞いてください」
「了解しました」

 ――ドストロ分隊長とファイズさんの任務地はカランタ領だったはず。
 シャルロアは疑問に思ったが、詳細は彼から聞けというシェストレカ師団長の言葉を受けて、それを問わなかった。おそらくファイズが説明してくれるはずだ。
 行こう、と声をかけられ、ファイズの後をついて勤務室を出る。そのまま転移室へ向かう歩みを止めることなく、今回の呼び出しについての説明が始まった。

「俺とドストロ分隊長が受け持った事件について覚えてるか?」
「24人の遺体がカランタ領の池で発見された事件ですよね」
「そうそう。遺体の身元判明に躓いて、捜査が難航してたんだ。犯人らしき人物の検討もつかなかったのも関係してる。でも昨夜、この事件に関する被害者見つかった」

 シャルロアはぎくりとした。

「……25人目の遺体が見つかったんですか?」
「いや。ミッシュ領地で生きている被害者が見つかったんだよ。つまり目撃者だ」

 ――なるほど。
 シャルロアはその言葉で自分の役割を理解した。

「似顔絵、ですね」
「そういうこと」

 ミッシュ領地に着くと、基地は慌ただしい様子だった。資料を持った第6部隊員や第2部隊員が早歩きであちこちを回っていたり、通信を伝える声があちこちから響く。
 シャルロアたちはそれを縫うようにして、基地の外へ向かった。

「こっちの基地でも捜査支部が出来たからな。情報伝達やら……引継ぎでちょっとゴタゴタしてる」
「え、でもミッシュとカランタって隣接領地じゃないですか。なんでそんなに……」

 眼鏡の奥の瞳が、どこか遠いところを見ている気がする。
 シャルロアはその表情をよく見る状況を思い出しながら、頬を引きつらせ、尋ねた。

「ゴ、ゴタゴタ、してる、んですか?」
「うん……副師団長が嵐のようにここに来たからねぇ……」

 ――やっぱりか!そうだろうと思ったよ!
 あとからファルガ・イザラントと合流してもらう、とシェストレカ師団長が言っていたのを覚えていたこともあるが、それを覚えていなくともわかる。第4師団員が遠い目をしていれば、それは高確率でファルガ・イザラントが関わっていると思った方がいい。それがこの数カ月でシャルロアが学んだことである。
 そして何をやらかしたのかは、聞かない方が精神安定上良い、ということもしっかり学んでいた。
 ので、シャルロアはさらっと流した。

「被害者はもう聴取室に?」

 まだ朝早い時間だが、被害者に負担がかかっていないだろうか。シャルロアが心配すると、ファイズは首を横に振った。

「身辺警護も兼ねて、附属病院に入院してもらってる。あそこなら重要参考人を守りやすいし」
「あぁ、それで私はちょっと早めの出勤だったんですね」

 病院に行くまでの時間を加味し、なるべく早く聞き取りがしやすいように調整されたのだろう。

「被害者の状態はどうですか?怯えていたりはしてませんか?」
「ちょーっとわかんないな。聞いた話では、ジレニアが見つけたときは若干錯乱してて、ジレニアを掴んで離さなかったらしいけど。今朝起きたら、落ち着いてればいいんだけどねぇ」
「えっ、ジレニアさんが被害者を保護したんですか?」

 よくよく重要参考人に接触する人だ、と目を丸くすると、ファイズは苦笑いを浮かべた。

「あー……そうか、メルは知らないのか。ジレニアはなぁ、くっそ弱いが、あの見た目から想像できないほど『幸運』っつうか……『犯罪収集体質』なんだよ」
「……は?」
「逮捕した奴に余罪が見つかることは珍しくないし、重要参考人もほいほい引っかけてくるし、なんなら犯人本人も寄ってくる。そのあまりの犯罪収集体質っぷりに、イザラント副師団長をもドン引かせたっつう、とんでもない男だぞー」

 普通ならば、いやまさかそんな、と笑うべきだったかもしれない。
 しかしシャルロアは、先に知っているのだ。ジレニアが、たまたま立ち寄った酒場で、たまたま重要参考人を保護したことを。
 それに加えて、今回のことである。そんな偶然が、この短期間に何度も起こるだろうか。
 たぶん、起こらない。
 ――本当、とんでもなかったぁっ!
 シャルロアは思わず頭を抱えるところだった。誰だ、彼を常識人だとか言ったのは。自分である。そろそろ、第4師団には常識人は存在しないと、脳髄にまで叩き込むべき時期が来たのだろう。
 もう絶対に騙されない、とシャルロアは固く誓った。

「しっかし、ミッシュ領地で重要参考人が見つかるとは思わなかった。さすがジレニア、何を呼ぶかわからん男」
「……何をするかわかんない人もいますよね……」
「やめてくれ。それ思い出すだけで、マジで胃が痛い」

 どちらが胃痛の比重が重いかと問われれば、間違いなく何をするかわからない人の方だ。ファイズもそれは重々承知らしく、憂鬱げなため息を吐いた。

「……お疲れですね」
「うーん……なんつうかねぇ、ちょっと嫌な予想がたってきてたところだったから、焦る気持ちもあるっていうか」
「嫌な予想?」

 ファイズは少々思案するように視線を彷徨わせたが、これくらいなら話して構わないと判断したのだろう。口を開いた。

「確実、ではないけど……骨を調べたら、一番古い状態の骨が1年前くらいだろうって結果が出てさぁ。そうなると、1年間の間に24人死亡してるってことになる。それはつまり、2週間に一度のペースで殺されてるってことになるんだよね」

 シャルロアは、ファイズが何を危惧しているのかわかった。
 ――直近の被害者は、いつ殺された……?
 もし半月ほど前なら――そろそろまた、殺される可能性が高い。
 ――いや、でも……全国紙にもちらりと事件は載ったし……。
 それは事件を捜査する者からすれば、ほんの少しだけの真実。カランタ領の溜池で、死体が発見された。それだけの記事だった。
 何人殺されたか、までは載っていない。けれど犯人がその記事を読めば、もはやあの溜池は遺体放棄場として使えなくなったのだ、と知るだろう。
 そして、警戒心を抱くはずだ。今、殺すのはまずい、と。
 ――でも、生きた被害者が昨日発見された。
 それはつまり――騎警団が事件を捜査していようが、犯人は気にすることなく殺しをしようとしているということ。
 普通ではない。
 その普通ではない、ということをファイズは、第4師団員は、危惧している。
 苦い感情が、喉奥からせり上げた。
 ――犯人を、早く見つけないと。
 シャルロアにだってわかる。今回の犯人は、自鳴琴事件のときと同じように――狂っている。ファルガ・イザラント風に言うのであれば、妄想癖を患っている。そういう輩だ。
 そんな人間が起こす、事件の悲惨さを知っている。殺害の記憶を見たのだ。犯人以外で、シャルロアが一番その惨さを知っているだろう。
 ――早く犯人を見つける。そのためには、この魔女の異能を上手く使わないと……。
 被害者が恐怖から記憶を見つめることを拒めば、魔女の異能は上手く発動しない。それは避けなければ。
 シャルロアは被害者への接し方を幾通りも想像しながら、ファイズとともに病院へと向かった。












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