※グロ表現有り。ご注意ください。


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 ずらり、と並べられた骨や遺体を前に、さしものドストロも眉根が寄った。
 ドストロとファイズがいるのは、カランタ基地の遺体検分室である。他殺が疑われる遺体はここに運ばれ、鑑識によって詳しく調べられる。しかしこれほどの数の遺体が一度に調べられるのは、今回が初めてだろう。鑑識員が、あちらこちらを足早に行ったり来たりしていた。
 ――こんな事態、そうそうあってたまるか。
 このような事件が頻発しているのであれば、それはもはや国家として治安が保たれていないのと同義語だ。オルヴィア王国はそこまで終わっていない。
 入室したドストロに、壮年の鑑識員が敬礼してから情報を伝えた。

「一番新しい遺体ですが、身元は判明しておりません。年齢は15歳から18歳程度、女性。殺された時期は2日前でしょう。時間に関しては、水につかっていたせいで特定不可能です」
「持ち物は?」
「見つかっていません」

 ドストロが視線を向けた先にいる遺体。それは水没していたにしては損傷が少ない方に見えた。と言っても、その体はバラバラ状態で、鑑識員が体を繋ぎ合わせているのだが。

「2日前、ってぇのは、確かか?」
「あの溜池のみならず、この地域では面白い特性を持つ魚が生息しておりまして。そいつらは腐肉を好んで食うのですが、3日経った腐肉しか食わんのです。この遺体は魚に食われた形跡が見当たりませんので、死んで3日以内であることは確実です」
「なるほど、それは知らなかったな。さすが地元の鑑識だ、勉強になった。他に?」
「あのバラバラ遺体から予測されているでしょうが、死因は溺死ではありません。失血死だと思われます」

 ドストロは首を傾げた。

「失血死だと?」
「首に深い切り傷があります。頭部に死斑が出ているので、おそらく被害者は逆さ吊りにされた状態で首を切られたのだと。頭部にあった殴打痕もなんとかわかりました。殴って昏倒させたところを逆さ吊りにしたんでしょう」
「それはまた、随分と悪趣味な殺し方だ」

 嫌そうにドストロがつぶやけば、鑑識員も「まったくです」と苦い顔で同意した。

「しかし死因がはっきりとわかっているのは、この遺体だけです。他は腐敗が酷いか、ほとんど骨になっています。どの骨にも切断痕はありますが、それは死因特定できた遺体もそうですから。これが死因だ、といった傷が見られないので、死因の特定は困難ですね」

 その事実は、非常に不穏なものを示唆している。
 刺し傷や打撲が死因となった遺体の骨には、傷がある。頭部を殴られれば頭蓋骨が砕け、胸を刺されればあばら骨に刃物の傷が残るのだ。
 しかし内蔵の損傷や失血死であった場合には、骨に傷は残らない。
 どの骨にも傷が残っていない、となると、唯一死因が特定できている失血死したという遺体と関連性が出てくる。
 ――連続殺人か?
 しかもわざわざ失血死、という非常に面倒な死なせ方を選んでいるあたり、快楽殺人である可能性が濃厚になってきた。目的のために殺している、というよりも、殺すために殺している、という印象をドストロは受けた。

「それともう一つ」
「なんだ?」
「現場に血痕が少ないことから、犯人はどこかで被害者を殺してから、ここまで運んできた可能性が高いです」

 ――あぁ?人目のつかない山奥で殺したんじゃなく、どっかで殺してバラして運んできたのかよ。
 1人、2人の遺体ならそれでも納得できるが、今回発見された遺体の数は24。一個人にしろ、一組織にしろ、それだけ人間を殺したのなら要領というものを覚えるはずだ。どこかで殺すより、山奥に連れてきて殺す方が人目につかないし、処理も楽だ。血など地面に吸わせればいい。
 しかし一番新しいとみられる遺体と現場がその状況であるなら、それ以前もそうしていた、と考えるのになんらおかしなことはない。
 ドストロが微妙に苦い表情を浮かべると、鑑識員も同じような表情になった。

「言わせていただくなら、要領が悪い犯人かと」
「儂も同意見だな」

 黙って話を聞いていたファイズに視線を送ると、口を開いた。

「白骨化した遺体の性別は、判明してますかね?」

 鑑識員は手元の資料をめくりながら頷く。

「男性が15人、女性が9人です。男女合わせてほぼ成人はしていますが、2人……これはどちらも男の子ですね、12歳から14歳程度の骨も混じっています」
「成人してる方の年齢の平均は?」
「20歳未満、というところでしょう」

 ――よりにもよって、若いのばかりか。
 オルヴィア王国は先の大戦で若者を多く失った。おかげで現在、慢性的な若者不足だ。なのに今回の事件の被害者は、その貴重な若者ばかりである。
 もちろん、老いた者が死んでもいいというわけではない。わけではないが、現状、若者を失うのはオルヴィア王国にとっては深刻な事態なのだ。
 ドストロは重くため息を吐いた。

「とりあえず、お前さんたちのおかげで遺体のことについてはわかった。あとは身元がわかりそうなものを、なんとか見つけてくれ。こっちも全力で捜査する」
「了解しました」

 ドストロは遺体たちに視線をやり、黙とうを捧げてから部屋を後にした。

「ドストロ分隊長、どう思います?」

 後ろをついてくるファイズに一度視線をやってから、ドストロはがしがしと頭を掻いた。

「手詰まる気がする」
「止めてくださいよー、ドストロ分隊長の勘って当たるんですから」

 ドストロの勘は天啓めいたものではなく、長年第4師団で捜査してきた経験値からくるものだ。経験則、というべきなのかもしれない。
 その経験則が、この事件は暗礁に乗り上げる気がする、と告げているのだ。
 ――どうにも、全体像が見えにくい事件だ。

「お前はどう見る?」

 ファイズに尋ねると、彼は顔をしかめて唸った。

「俺は、今のところ裏組織の死体捨て場の可能性を捨てきれませんね。あの解体具合、けっこうその道の人間っぽいでしょう?素人があんなに丁寧にバラすとは思えませんよ」

 それはドストロも同意するところであった。そこら辺の人間が、上腕部、前腕部、手、とご丁寧に死体をバラバラにすることはそうはない。しかし遺体はほぼ、それをされているようだった。他の部分も説明するまでもなく、切り分けられている。
 その手口を見るに、犯人は現時点で、殺しに慣れていると見て間違いがない。
 24人もの人間を殺しておいて慣れていない、というのもおかしな話だ。しかしだからこそ、死体の処理に疑問符がつく。
 解体はプロ。死体処理は要領が悪い。実にちぐはぐだ。

「分隊長はどの線をお考えで?」

 ファイズの問いかけに、ドストロは重い口を開いた。

「……単独犯のような気がしてなぁ。なんというか、手口に統一感を感じる」
「裏組織が徹底して、そうやって処理するようにしてるだけかもしれませんよ」
「そうとも言える。これはあくまで予断の域を出ねぇ」
「単独犯と見て、とりあえず追ってみますか?」

 ファイズは別意見を持ちながらも、ドストロの意見を尊重したのか、単独犯として追うことを推してきた。
 ドストロは少し悩んで、首を横に振る。

「いや、お前は組織の犯行って線で事件を追え。被害者の持ち物が見つかってねぇってことは、犯人が持ってる可能性が高ぇってことだ。組織なら伝手のある質屋に流すだろう。盗品を扱う質屋をあたれ」
「了解。ドストロ分隊長は?」
「何せ被害者が24人もいるんだ。とりあえず失踪届をつぶさに確認。あとは、誰かが歯の治療してることを祈って、歯医者に診療記録をあたってみる」

 そう言いながらも、ドストロはそれが空振りに終わるような気がしていた。





********





 嫌な予感ほど外れないものだ。
 ドストロたちが捜査に入って5日経ったが、依然として被害者の身元が判明しない。事件現場近辺の歯科医だけでなく、カランタ領全域の歯科医に診療記録を提出してもらったが、どの被害者とも一致しなかった。
 比較的無事だった遺体から似顔絵をとることも検討されたが、水死体は生前の面影を残していない。カランタ領の似顔絵描き担当員からは、難しいと言われた。
 今年入団したばかりだが、似顔絵描きに定評のあるシャルロア・メルに応援要請をすることも考えたドストロだが、結局要請は見送った。アートレート分隊長から、彼女は似顔絵を描くとき、対象の雰囲気を参考にしているようだ、という話を聞いたことがあったからだ。雰囲気がつかめないと似顔絵の精度が著しく落ちる、とも。
 故に物言わぬ死体の似顔絵を描くには向いていないだろう、と考え、ドストロは彼女を呼ばなかった。
 しかしそうなると、捜査は一向に進展しない。
 カランタ領の失踪届を逐一確認しても、被害者と一致しなかった。
 ファイズの方も手詰まりらしく、質屋をあたってもめぼしいものは流れていなかったと言う。あまりに苛ついたので、盗品を扱う質屋を逮捕してくるところだった、と聞かされ、ドストロはファイズを一発しばいておいた。ああいう連中は泳がしておくに限るのだ。重大な事件が起こった時に、何かと役に立つ。
 捜査本部室で、ドストロはぐったりとソファにもたれかかり、目頭を揉んだ。
 秋が訪れたというのに、カランタ領には夏の名残の暑さがある。領地が南にあるから仕方ないとはいえ、若い頃は何も思わなかった寒暖の差が、ドストロに疲労を蓄積させていた。
 ――儂も年だな……。
 最近、疲れると愛妻の顔が思い浮かぶ。昔、町一番の美人だった妻は、今でも町一番の美女である、とドストロは思っている。しかし仕事の休憩中にそう思うようになってから、ドッと年を感じた。
 はぁ、とため息を吐くと、ふと茶の香りがした。

「ドストロ分隊長、どうぞ」

 顔を上げると、若い第2部隊員が茶を入れて持ってきてくれていた。

「あぁ、すまんな。年寄りの使いっぱしりみてぇなことさせた」
「いえ、分隊長が寝る間を惜しんで自ら捜査なさっていること、俺たちは知ってます。夜も深まってきたところですし、少し休んでください」

 ――あー、そんなふうに気を遣われるようになってきたか。
 しかし寝不足であることは自覚していた。この5日間の睡眠時間の合計は10時間強、といったところかもしれない。
 ――確かに、大人しく休むか。

「うえっ!?いいい、イザラント副師団長ぉぉっ!?」

 捜査本部室の外から聞こえてきたファイズの叫びに、ドストロは飲みかけていたお茶を噴き出した。
 間髪入れずに扉が開き、空気が一瞬で締まる。
 それも当然のことだ。一歩部屋に入る、その前から威圧感をたっぷり醸し出す男を視認して、気を引き締められない馬鹿は騎警団を辞めるべきである。

「……何見てんだ、仕事しろ」

 ――いや、あんた、そんだけ注目させといてそりゃねぇよ。
 顔を盛大にしかめ、犬を追い払うように手を振る上官ファルガ・イザラントに、ドストロはため息を吐いた。
 聞いていない。師団長から、今日、彼が来ると、一言も、一っ言も聞いていない。
 捜査本部室内にいた第2部隊員たちは緊張した面持ちで、それぞれの仕事に戻った。ファルガ・イザラントはそれをちら、と確認しつつ、ドストロの座る向かいのソファに腰を下ろし、口を開いた。

「現状は?」

 ――しかも、なんでここにいるのかっつう説明もねぇのかよ。ねぇわな。
 ドストロは諦めて、濡れた髭を擦る。視界の端に、ファルガ・イザラントの後に続いて入ってきたファイズが現状を説明する資料を手にしたのを捉えたので、余計なことは言わずに視線だけでその様子を指した。
 すぐにファイズが資料をそろえ、ファルガ・イザラントに手渡す。
 金色の目が資料に向かい、素早く左右に動き始めたところで、受話器を持った第2部隊員から「ドストロ分隊長!第4師団長より通信です!」と声をかけられた。
 ドストロが重い腰を上げて受話器を受け取り、通信をかわると、シェストレカ師団長の第一声はこうだった。

「まさかとは思いますが、そちらにイザラント君が行っていませんよね?」
「来ています」

 受話器の向こうが、束の間沈黙する。絶句している、と言い換えても支障はないだろう。
 『あのクソ狂犬が』という幻聴さえ聞こえた気がした。

「事前連絡がないので、おかしいと思いました」
「報連相の報連は出来てるのがクソ忌々しいです。私が席を外している間に事件を解決して戻ってきたらしく、完璧な報告書とカランタ領に行くという書置きを残して行きましたからね」
「事件解決したらこちらに来るように、と言っておいたんですか?」
「何も言ってませんよ。私の机の上にある書類をざっと見て、自分が投入される確率が高いものを選んだんでしょう。仕事が出来る部下を持つと、嬉しくて泣けてきますね」

 声音が全然感動していないのは、あえて指摘しないことにした。

「まぁ、今は捜査が行き詰まって、そろそろ捜査範囲を広げる頃合いでしたんで、副師団長が来たのは重畳ってなところですかね。権限は副師団長に移るってことでよろしいですか?」
「それで結構です。手綱をよろしくお願いします」

 無茶を言う、と思いながらも、ドストロは了解、とだけ返して通信を切った。
 ファルガ・イザラントの前に戻ると、書類を読み終わったところだった。彼はファイズに紙を戻しながら、話を切り出す。

「あんたももう考えてただろうが、こりゃあ、捜査範囲を全国に広げた方がいいな。草の根を分ける勢いで探しても被害者の情報が出てこねぇんだ、どう考えても被害者はカランタ領の人間じゃねぇ」
「犯人は地元の者だという予測の元、被害者も同様だと思って今までは捜査してきましたが、ここまで情報が出てこないとなると、確かに領地外の人間の可能性も視野に入れた方がよさそうです。24人全員の身元が分からない、というのは異常ですからね」

 ドストロは同意したが、ファルガ・イザラントはドストロの他の発言に引っかかりを覚えたようだった。片眉をあげて、目を眇めた。

「犯人は地元の人間なのか?」
「現場となった溜池は、山の奥地にあるんです。あんなところに池があるなんて、自分たちくらいしか知らないだろう、と地元の人間が言っていました。好奇心や冒険心の強い子供がへとへとになって辿り着くくらいの距離です。最も、この時期は猟師たちの狩場になるらしいので、地元の大人は入らないようにしているらしいですし、子供にもそう教えているらしいですよ。やむを得ず入る場合は、獲物に間違われて撃たれないように、派手な色の服と帽子をつけて入るそうです」

 つまり第一発見者の少年たちは、大人たちの言うことに逆らい、冒険心を満たすために溜池へ行ったのだ。ドストロ自身も在りし日は悪ガキだったため、その気持ちは十分にわかる。しかし彼らの場合、その冒険心の勉強代が死体発見である。心的外傷になっていないことを祈るばかりだ。
 ファルガ・イザラントの疑問はその回答で解けたらしい。それ以上は追求してこなかった。

「全国に捜査網を広げる、っつっても、まずは隣の領地に出された失踪届の照合からだな」

 ファルガ・イザラントがそう言うと、傍に立っていたファイズが顔をしかめる。

「うえぇ。それって、もちろん歯の診療記録と質屋への聞き込みもですよねぇ……」

 ファイズの弱音めいた言葉に、『雷鳴獅子』は獰猛な笑みを浮かべた。その笑みに、周りの第2部隊員が若干怯んだのをドストロは感じた。なお、張本人はそんな反応お構いなしである。

「今すぐ犯人をここに引きずって来れるっつうなら、照合を免除してやるが?」
「そうだな。おら、とっとと連れて来いファイズ」
「照合しますんで若者をいじめないでくださいますかね?」

 ずれた眼鏡を直しながら、ファイズは降参したように片手をあげてひらひらと振る。
 そんな反応に鼻白んだらしく、『雷鳴獅子』は不満げにふん、と鼻を鳴らし、立ち上がった。

「カランタ第2部隊分隊長はいるか?」
「はい」

 ファルガ・イザラントに呼ばれて、資料を読んでいた分隊長が前に出た。

「これからは俺が指揮を執る。こんだけ丁寧な捜査で被害者の情報が一つも出ねぇことから、被害者は領地外の人間の可能性を視野にして捜査する。今まで以上にお前らの力が頼りだ。気合を入れろ」
「了解しました」
「部隊員を診療記録を調べる者、質屋への聞き込みをする者、失踪届の照合をする者に分けろ。お前が適材適所だと思うように、人員を配置して構わねぇ。だが全員を振り分けるなよ。地元からの情報を拾う部隊員も数人残しておけ。ファイズ、お前は俺を現場に案内しろ。その帰りにもう一度聞き込みをする。それから俺が留守の間はあんたに指揮権を預ける」

 指名され、第2部隊分隊長はわずかに緊張しながらも「はい」と頷いた。

「小事であればお前が対応、大事ならドストロと相談しながら対応し、俺に伝令を寄こせ。ドストロ、あんたはこれから4時間仮眠してこい。眠気で思考能力が落ちたままのあんたに部隊は預けねぇ。いいな」

 ――はっ。悪たれが、よくぞここまで人を使えるようになったもんだ。
 ドストロは苦笑を浮かべながら「了解」と返した。
 ファルガ・イザラントの第4師団入団時を知っているドストロからすれば、『雷鳴獅子』は化けたものである。
 入団当初の彼は身の内に激しい怒りのようなものを抱え、誰ともわかり合おうとしなかった。怒りのようなもの、と評したのは後に第4師団に入団したレッティスであり、それまでドストロはあの激しいものをなんと呼ぶべきかわからないでいたため、それを聞いたときはなるほど、と納得したものだ。
 ともかく、ファルガ・イザラントが在籍していた第2部隊は、あの苛烈さをことごとく否定、拒否し、近づこうとしなかったのかもしれない。
 それに嫌気がさしていたのか、それとも彼なりに諦念を覚えていたのか。第4師団に入っても、しばしファルガ・イザラントは他の団員と仕事以外の関わりを持とうとしなかった。ドストロはその様子を見て、誰の手にも負えない、嵐を呼ぶだけの猛獣に成り果てるかと思っていた。
 何故なら『雷鳴獅子』の持つ苛烈さは、戦に身を置く男のうち極一部が持つ一面でもあったからだ。だが、その一面は戦場から離れるか、年を経れば穏やかになるものでもある、とドストロは知っていた。
 そのどちらでもない場合は、狂うしかない、ということも。
 だから戦場から離れているにも関わらず、苛烈過ぎる部分が冷めないファルガ・イザラントは、年を経る前に狂うだろうとさえ思っていた。しかし、上官にシェストレカがいたことが彼にとっては良い環境となったようだ。
 シェストレカはファルガ・イザラントにとって、自分の能力と本質を理解し、余すことなく『雷鳴獅子』という存在を使える有能な上官だった。まるで手負いの猛獣だった『雷鳴獅子』は、シェストレカの下で狂犬となれたのだ。
 よくぞここまで副師団長の皮を被れるようになった、と最近では感動を覚える。
 結構な頻度で、こちらの度肝を抜いてくるのも事実ではあるが。
 『雷鳴獅子』の破天荒ぶりは、目をつむることにしなければこちらの身が持たないので、ドストロはそこは触れずにそっとしておくことにした。シャルロア・メルと結婚でもすれば、さらに多少丸くなるだろう。多少。

「ファイズ、案内しろ」
「はい」

 ファルガ・イザラントは夜も深い時間帯だというのに、今から現場を見に行くつもりらしい。
 ――ま、副師団長なら大丈夫だろ。
 猛獣が出ようが、魔物が出ようが、盗賊が出ようが、何もかもなぎ倒して帰ってくるに決まっている。
 ファイズを連れて捜査本部室を出たファルガ・イザラントの後を追って、ドストロも部屋を出た。

「副師団長」

 背中に呼びかけると、ファルガ・イザラントは歩みを止めずに、後方のドストロをちら、と見る。
 ドストロは足を速めて彼の傍に行き、暗い廊下に溶けそうなほど小さな声で問いかけた。

「今回、単独犯か組織ぐるみの犯罪かで意見が割れてるんですが、副師団長はどちらだとお考えで?」

 ドストロ自身は単独犯ではないかと考えているが、決定打がない。複数犯、組織の犯行だという可能性も十分視野に入る。だからこそ、捜査の方向性を絞れない。どちらかの可能性を捨てることが出来ない。
 ファルガ・イザラントは束の間、思案顔になって目を伏せ、すぐに視線を前に戻した。

「単独犯を推す」

 ――儂と同じか。
 ドストロは、錆声をさらに低くして問う。

「その理由は?」
「遺体の処理の仕方に統一性を感じる。これが組織の犯行なら、ずいぶん規律が行き渡った組織だな。被害者の誰一人として、バラバラにされたとき以外の無駄な傷が骨に入ってねぇんだろ?解体傷も骨の状態から察するに、うまくやってやがる。組織ぐるみなら、複数人で処理するはずだ。その内の一人が殺しや解体が下手くそでもおかしくねぇっつうのに、どうだ?殺し方に失敗なんざしてねぇ。規律や手順が行き渡りすぎてる。複数の犯行だった場合、そいつらをうちに勧誘してぇぐらいには、決まりごとに従順な奴らだと思うだぜ」

 ファイズがドン引きした表情で懇願した。

「犯罪者をうちに引き抜くのは止めてください」
「冗談に決まってる。有能な犯罪者と有能な一般人なら後者を取るに決まってんだろ」

 くっくっ、と喉を鳴らして笑う『雷鳴獅子』だが、彼の言葉は冗談に聞こえないので止めてほしい。ここまで冗句と相性の悪い人間もいないだろう。
 ドストロはどっ、と疲れて、投げやりに尋ねた。

「ちなみに有能な犯罪者と無能な一般人なら?」

 ファルガ・イザラントはひやりとするような笑みを浮かべた。

「どっちも取らねぇ」





********





 照合作業を全国規模に広げると、被害者の顔が見え始めた。
 それが意味することは、被害者は全員カランタ領の人間ではなかった、ということだ。捜査を全国に広げて3日経った現在、身元が判明したのは24人中、19名。全員カランタ領以外の人間で、別の領地で失踪届が出されていた。
 ドストロは判明した被害者の情報を前にして、眉根を寄せた。
 ――あまりに、被害者が全国に散らばりすぎている。
 被害にあった人間の出身領地に規則性がない。どの被害者も親と喧嘩したり、家庭環境が悪かったりして、家を出ることを周囲に仄めかしていたようではあるが、それは犯罪に巻き込まれた人間ならば、ありふれた共通性だった。20歳になる前の若者ばかりというのも、ありふれた共通性だ。
 それに、身元がわかった被害者の関係者に聞き込みをしたところ、カランタ領に行きたい、と言っていたわけではないとの証言が取れた。
 家出して、カランタ領を目指したわけではないのに、カランタ領で遺体が発見されている。
 ――くそ。犯人が地元の人間じゃない気もしてきた。
 遺体放棄現場は、地元の人間にしか知られていないような溜池だった。だからそこを利用した犯人も、地元――少なくともカランタ領の人間であり、人がめったに来ない穴場だから死体を隠せると考え、遺体放棄場にしていたのだろうという予測を立てていた。
 だがこれは――あまりに露骨すぎないか、という気になってきた。
 もし仮に、地元の人間が犯人だとして、これほど人間を殺したのであれば、捨てる場所は分散させた方がいいと普通なら考える。一か所に捨てると今回の事件のように、発覚したときに大騒ぎになる。1人、2人なら、少なくとも第4師団が投入される事態にはならないので、大規模な捜査になることはない。必ず目を向けられる地元への捜査を掻い潜れる可能性だって、十分考えられるだろう。
 逆に第4師団が投入されれば、その可能性は著しく落ちる。と、大抵の人間は考えるはずだ。第4師団が『凶悪』を追う師団であるのは、オルヴィア王国民全員が知っていて当然なのだから。
 なのに犯人は第4師団が投入される危険性を考えずに、一か所に遺体を放棄している。カランタ領の人間に疑惑の目が向いても構わない、と言っているかのように。

 ――犯人は、カランタ領地の人間に捜査の目を向けさせたいだけじゃねぇのか?
 ――犯人は、カランタ領地外にいて、安全なところから捜査の混乱を嗤ってるんじゃねぇか?

 だがそれでも、やはり遺体を一か所に捨てた意味がわからない。いくらカランタの人間に罪を擦り付けたくとも、そもそもの話、捜査は大きくならない方がいいに決まっているのだ。それなら一か所にまとめて捨てるより、あちらこちらに捨てたほうが遺体が発見され、第4師団が投入される危険性は低くなる。
 犯人は、そこまで考えが至らなかったのか。
 ――ああ、くそ。嫌な予感がしやがる。
 喉の奥が苦くなるこの感覚を、ドストロは長年の捜査経験上、何度も味わった。

「こりゃあ、犯人は狂ってる。そうだろ?」

 同じく、被害者の情報を眺めていたファルガ・イザラントが、同意を求めてドストロを直視する。
 夕暮れになって、捜査から帰ってきた部隊員でざわついていた捜査本部室が、しん、と静かになった。

「コイツは俺たち(きけいだん)をさほど気にしてない。そう振舞えるのはよほど知恵が回る奴か、よほど阿呆かのどっちかだが、どちらにせよイカれてやがる」

 ―― そうだろうとも。
 第4師団どころか、騎警団の存在自体が視野外。そんな連中を、腐るほど見てきた。
 ドストロの経験が告げている。

 犯人は狂っている、と。
 逆さまに吊るして失血死。
 それで得られるものがこの世の至上だという、快楽や趣味というものを軽々と超えた、醜悪な妄想癖を患っているような奴が犯人なのだと。





********





 溜池が近くにある町の通りで聞き込みをしていると、逆に声をかけられた。

「ねぇ、いいひと(プレッヅェル)っているの?」

 12歳か13歳くらいの少女にそう問われ、ファイズはきょとん、とした後に苦笑を浮かべた。
 騎警団の制服を着ていると、極稀にいいひと(プレッヅェル)――恋人はいるか、と聞かれることはある。本当に、極稀にだ。エレクトハはよく聞かれているが、大抵の第4師団員は、1年に1回聞かれるかどうか。その程度の頻度である。
 ――しかしまぁ、いいひと(プレッヅェル)なんて大人な表現をよく知ってたな。
 いいひと、なんて今日日言うのは、30歳以上の人間か水商売や酒場の女性くらいだ。ずいぶんとおしゃまで古めかしい質問をしてきた少女に、ファイズはいつのまにかズレていた眼鏡のブリッジを押さえつつ、答えを返した。

「まぁ、ね。モテなさそうだろうけど、一応結婚を考えてる彼女はいるよ」

 モテない男の妄想ではなく、女神のような彼女は本当にいて、付き合っている。
 この、いつ休みを取れるかわからないどころか、最後の別れの挨拶すら出来ずに死ぬかもしれない第4師団の勤務に理解を示してくれる、女神のごとき度量を持った芯の強い女性である。強すぎて、若干尻に敷かれている感はあるが、まぁその強かさもいいと思っているので気にしていない。つまりベタ惚れだった。
 苦笑しつつ答えたつもりだったが、いつのまにか笑みがデレッとした締まりのないものになっていたのかもしれない。
 少女は目を丸くした後、大笑いしながら手をひらひらと振って笑った。

「やだー、恋人がいるかなんて聞いてなぁい!プレッヅェルだよ、プレッヅェル!貴方、知らないの?」

 その言葉に、今度はファイズの方が目を丸くする。
 ――あちゃー。勘違い、つうか、世代間のズレか。んー、プレッヅェルってのは一種の若者言葉(ハルバ)かね?26歳って若ぇほうだと思ってたけど、この子らから見たらもうおっさんだよなぁ。
 ファイズも10代のころは、大人たちが理解不能な若者言葉(ハルバ)をガンガン使って友人と会話したものだが、衣服と同じように言葉にも流行り廃れがある。そのころ使っていた言葉は、今はほとんど使わなくなってしまった。なので、今の子たちが使う若者言葉(ハルバ)などさっぱりわからない。

「ごめんな、知らないんだ。そのプレッヅェル、ってのはなんなんだい?」

 今まで笑っていた少女は問いかけに、むぅ、と眉根を寄せる。

「私も、私の周りの子も、プレッヅェルを見たことがないの」
「ほうほう」

 このくらいの年の子が、結論を早々に教えてくれないことは多々ある。ファイズは『プレッヅェル』というものがなんなのか少々気になったため、辛抱強く、彼女の話に耳を傾けた。

「でも、この間ラゲン領から引っ越してきた子がいて、その子は周りでプレッヅェルを知らない子なんていなかったって言うの。ラゲン領の子たちはみんな噂話くらい聞いたことがあるって。でも、ここではみんな知らないから、不思議がってて、おかしいって言うのよ。だから、色んな所に行く団員さんなら知ってるかなって思ったの」
「噂話ってのは、どんな?」
「えっとね」

 少女は記憶を探すように、うろうろと視線を彷徨わせた。

「確か『プレッヅェルはとってもいい運び屋さん』って言ってた」
「いい運び屋?」
「そう。運び屋さんに転移魔法を頼むとすっごく高いけど、プレッヅェルはすっごく安い値段で転移魔法を使ってくれるって。でもお父さんとかお母さんに知られるといなくなっちゃうから、大人にはこの噂を話しちゃだめ、って言ってた……あ」

 少女はそこまで言って、目の前の人間がまさしく『大人』であることに気付いたようだ。しまった、と言わんばかりに手を口で覆って、黙り込んでしまう。
 ファイズはその頭を撫でてやりながら笑った。

「大丈夫、そもそも君たちが知らなかったってことは、カランタ領にはプレッヅェルはいないってことだろ?元からいない人間のことをしゃべったところで、いなくなったりしないって」
「そっか」

 つられて笑う少女を前に――ファイズは内心、心臓に冷や水を浴びせられたような気分になっていた。
 目の前の子は12、3歳くらい。その友人がラゲン領から来た子で、その子の周りでは『プレッヅェル』という運び屋の噂話が飛び交っていた。おそらく、せいぜい10代の子くらいまでしか知らない噂だろう。15歳で成人と言っても、20歳になるまでは精神的に未成熟。この年頃の子供たちは、大人の干渉を酷く嫌ううえ、噂話自体がそれを増長させている。
 現在調査中の事件に、カランタ領の被害者はいない。
 ラゲン領には、いる。幾人か。
 全国に散らばる被害者。
 転移魔法持ちなら、移動に事欠かない。
 それを仕事にしているなら、言い訳が立つ。
 ――おいおい、これ……偶然か?
 偶然かもしれない。
 しれない、が、その判断をするのはファイズ自身ではない。
 ――ドストロ分隊長と、イザラント副師団長に報告だな。
 ファイズは少女に気を付けて家に帰るように言ってから、不穏な予想を隠したまま、笑顔で別れた。












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