フライメヌを見る【ふらいめぬをみる】
 初心者が得る幸運のこと。
<語源由来>
 数十年に一度しか花を咲かせぬフライメヌを、庭で懸命に世話をする愛好家が花を見るより、野花に紛れて咲いているフライメヌを愛好家でも何でもない人が目にすることが往々にしてあることから。

――オルヴィア王国出版 オルヴィア国語辞典より







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 気づけば夏草の濃い香りが薄くなっていて、代わりに勢いが衰え枯れ始めた草と、伴って露出し始めた土の香りがするようになった。
 祭りの喧騒が去って、三日経つ。オルヴィア王国では独立記念祭が終わると、秋の訪れが本格化し始める。
 どこか浮足立っていた王都も落ち着きを取り戻し、それに伴い騎警団の警備態勢も通常に戻った。
 シャルロアは特段気が緩んだりだとか、ピリピリしていただとか、そういったものは師団から感じないと思っていたが、警備が通常に戻ると師団内の空気が少し穏やかになった気がした。やはり大きな祭りや催事があるときは安全を守る側は知らず緊張するものなのだと、守る側になって気がついた数日だった。
 そしてこの三日の間に、嬉しい出来事があった。
 卒業したローレンノが、寮で同室となったことだ。
 まさか同室になれると思っておらず、通知が来たときはかなり驚いたが、ローレンノの方も負けず劣らず驚いていた。卒業生は同室の人間がどんな人間か知らされずに来るらしく、部屋の玄関で出迎えると彼女は持っていた荷物を落とした。ガチャン、と嫌な音がしていたが、大丈夫だっただろうか。
 どうやらローレンノは第2師団付きの事務員となったことで、第6師団勤務の人間と比べると勤務時間が不規則になることが予想されるため、同じく勤務時間が不規則になることがあるシャルロアと同室の方が、問題ごとが少ないだろうとみられたらしい。早朝や深夜に物音がしても、お互い様なので気を遣わずに済むだろう、と。
 祭りの後の雰囲気と、思わぬ嬉しい出来事が重なって、ここ数日は少々自身を落ち着けることを意識していたシャルロアだったが、ようやっといつも通りに仕事ができる、という感覚が戻った。
 と言っても、第4師団に持ち込まれる任務は過酷なものばかりなので、付随してシャルロアが見る書類も過酷なものになるのだが、まぁ、それはそれ。深く考えたらやっていけない。
 そんなふうに割り切りつつ、シャルロアは勤務のために第4師団勤務室の扉を開けた。

「おはようございます」

 室内に向けて挨拶をすると、すでに仕事を開始していた師団長が「おはようございます」と挨拶を返してくれた。床で寝転がっている師団員たちは眠っているので、死体のように沈黙したままである。この光景にも慣れたものだ。
 シャルロアがいつものように勤務記録機を押した、まさにそのときだった。
 師団長の机の上にある通信機が鳴った。

もしもし(ダー)、こちら第4師団」

 受話器を取ったシェストレカ師団長は、相手の話に耳を傾けているようだった。シャルロアはその様子を見ながら自分の席に着こうとしたが、寸でのところで師団長に制止される。
 その表情が硬い。

「メル君。仮眠室にいるファイズ君を起こして、ドストロ分隊長とすぐさま勤務室に来るように伝えてください」
「了解しました」

 シャルロアが頷いたのを見ると、シェストレカ師団長は通信に戻った。
 ――これは大きい事件だな。
 そんな予感がして、シャルロアは足早に勤務室を出て、1階にある仮眠室へ向かった。
 師団の仮眠室は簡素なベッドが並ぶだけの、とても飾り気のない部屋だ。窓も小さく、陽光は最低限しか入らない。それはどの時間帯でも質の良い眠りを提供できるように、という配慮からなのだが、第4師団員の多くはこの部屋までたどり着けない。陽光が入りまくっている勤務室の床で、死んだように眠っている。
 しかしシェストレカ師団長の指示を聞く限り、第4師団員であるファイズは仮眠室にたどり着いて、眠れているらしい。
 仮眠室の前に立ったシャルロアは、静かに扉を開いて中に入った。
 室内は薄暗く、いくつかのベッドで師団員が眠っている。
 その中からシャルロアは目的の人物を慎重に探し出し、そのベッドに近寄った。

「ファイズさん、ファイズさん。お休みのところ申し訳ありませんが、師団長がお呼びです」

 他のベッドで眠っている人を起こさないよう、ごくごく小さな声で呼びかけると、ファイズはぴくりと身動きして、目を瞬かせた。次いで、目を擦りながら起き上がり、枕元に置いてあった眼鏡をかけた。
 ファイズは第4師団ではめずらしく眼鏡をかけた師団員であることから、名前と顔を一発で覚えた人物である。首を覆うくらい長い赤毛で、寝起きでなくとも普段から眠そうに垂れている瞳は紫色。左に泣きぼくろがあり、首からはゴツい保護眼鏡を下げている。

「あー……シェストレカ師団長が呼んでる?」
「はい」

 擦れた声の問いにシャルロアが頷くと、ファイズは赤毛を掻きながらベッドの柵にかけてあった板金鎧を取り、手早く装着する。

「呼び出しは俺だけ?」
「ドストロ分隊長もです。どこにいるかご存じですか?」

 師団長の指示からして、ドストロ分隊長も仮眠室にいるものだと思っていたのだが、見渡しても分隊長の姿がない。
 ファイズは団服の上着を手に、思考のためにしばし固まった。

「……同じく仮眠してたはずなんだけねぇ。便所かな……いや、射撃場……?」
「すみません。師団長は『すぐさま』と仰いました」
「はいはい、怒られんのはヤだからなぁ。まず射撃場に行ってみるべきかな。分隊長、暇さえありゃ訓練してっから」

 上着を羽織ってベッドから降りたファイズは、分隊長が射撃場にいなかった場合、次にどこを探すべきかを考えながら仮眠室を出ていく。シャルロアもそれに続いて部屋を出た。
 しかしすぐに、その歩みを止める。先に部屋を出たファイズが、足を止めたからだ。

「ファイズさん?」
「あ?その声、メルじゃねぇか。なんでファイズと一緒にいる?」

 趣ある錆声を聞いて、ファイズの背中から顔を出してみれば、ちょうどドストロ分隊長が仮眠室へ戻って来るのと鉢合わせしたところだった。
 ドストロ分隊長は全第4師団員中、最年長の45歳の男性である。見た目は青目の三白眼、もう少し刈れば坊主頭になりそうなほどの黒い短髪で、口ひげを蓄えた厳めしい顔つきだ。体格も筋骨隆々としており、一般人からすれば少々近づき難い風貌なのだが、師団員からの信頼は厚い分隊長である。
 物言いも若干乱暴なところはあるが、ファルガ・イザラントと違って声が威圧的ではないので、自分に向けられた問いにシャルロアは冷静に答えを返すことができた。

「師団長がお呼びです」

 その一言でドストロ分隊長は踵を返し、すたすたと第4師団勤務室へ向かう。実に緊急招集に慣れきった反応である。
 シャルロアとファイズもその後に続く。

「事件について何か聞いてるか?」

 先を歩くドストロ分隊長の質問に、シャルロアは首を横に振った。

「いえ。ただ、緊迫したご様子ではありました」
「メルにそれを悟らせてるんなら、でけぇヤマになるな」
「さすが、師団長と仲が良いだけありますねぇ」

 ドストロ分隊長のつぶやきに茶々を入れるのは、寝癖のついた赤毛を手櫛で梳かすファイズだ。ドストロ分隊長は顔をしかめて、背後のファイズを鋭く睨む。

「気色悪いこと言うんじゃねぇよ。儂と師団長は付き合いが長いだけだ」
「でも師団長の思惑を理解するのが早いのって、副師団長と分隊長じゃないですか」
「アートレートもだいたいわかってるが、顔に出さねぇだけだ。レッティスは深く考える気がねぇんだろうからアレだが」

 ――他の分隊長にそう思われてるレッティス分隊長って……。
 シャルロアはわずかに頬を引きつらせた。
 心底不安になる評価なのだが、それで分隊長を務められているのがレッティスのすごいところなのかもしれない。

「やっぱお貴族様は腹芸得意ですよねぇ」
「おま……まぁいいか。副師団長も立派に腹芸できてんだろ」
「あの人の場合は腹芸っていうより、普段からとんでもねぇことやらかすんで何考えてんのかわからなくなった結果、師団長以外が探るのを諦めたって感じでしょう」
「そういや、アートレートからこの前の独立記念祭の祝賀会のとき、陛下入場前にいつのまにか副師団長がいなくなってて、胃痛で死にそうになったとは聞いたな」

 ――なにやってんだ、あの人!
 その件に関して若干関係があるシャルロアは、ひやりとした。
 普通、常識ある人間は国王陛下入場前に、勝手に帰ったりしないものだ。ましてや王城で開かれる祝賀会は主催が国王陛下である。主催者になんの挨拶もなく帰るなど、貴族のしきたりを知らぬシャルロアでさえ言語道断な行いであることは知っているくらいだ。貴族であるアートレート分隊長はさぞ肝が冷えたことだろう。
 ――あぁぁ、何か、本当、すみません、アートレート分隊長!
 その場にいたわけでもないシャルロアの胃も、キリキリと痛んだ。

「そういや、祭りの日ってメルもいなかったよな。副師団長と逢引とかしてたり?」
「ありえないです」

 ファイズの言葉を真顔で即座に切って捨てるシャルロアだが、内心は穏やかでいられない。あれを逢引だなんて決して認めたくないが、それに近しい状況であったことは客観的事実だ、と理解する程度の分別はある。だから絶対に、祭りの日にファルガ・イザラントと会ったことは、師団員に知られてはならない。
 胃を密かにさすりながらドストロ分隊長とファイズの後を追って階段を上り、勤務室に戻ると、待ちわびていた様子でシェストレカ師団長が顔を上げた。

「お呼びだと聞きましたが」

 ドストロ分隊長がそう言って机の前に立ち、ファイズも並ぶと、師団長は硬い表情を崩さずに口を開いた。

「昨日の午前11時21分、カランタ領の山奥にある溜池で釣りをしていた少年二人から『人の手を釣りあげた』と通報を受けたそうです」

 シャルロアは自分の席に座りながら、わずかに顔をしかめた。
 ――なんとまぁ、運の悪いというか……かわいそうに。
 もちろん、彼らのおかげで事件が発覚したのだから、本来は称えられて然るべきではあるのだが、本人たちからしてみればたまったものではないだろう。騎警団員でないのにそんな目にあったら、どう軽く見積もっても心的外傷となりえる。少なくともその体験をシャルロアがしたのであれば、もう二度と釣りには行かない。
 ファイズもシャルロアと同じように考えたのか「気の毒に」と言ってため息をついた。

「正直言って、今回一番気の毒なのは捜査に関わった部隊員ですよ」

 しかしシェストレカ師団長はファイズに賛同せず、苦々しい表情のまま話を続ける。

「通報を受けて、カランタ第2部隊は溜池の捜査を行いました。結果、1人分の遺体を発見」
「うへぇ」
「加えて、23人分の白骨がバラバラの状態で見つかりました」

 しん、と室内に冷たい静寂が広がる。
 シャルロアも凍り付いたように固まった。

「……計、24人分のバラバラ死体が一つの溜池から出てきたってわけですかい」

 重いため息を吐いた後、ドストロ分隊長は短髪の頭をガリガリと掻きつつ、師団長に確認を取る。シェストレカ師団長は戸惑いなく頷いた。

「そういうことです」

 その簡潔な肯定が、事態の重さを表していた。
 犠牲者、24人。その数は多い、を通り越して異常だ。
 一か所にて発見された遺体の数は、オルヴィア王国犯罪史上最多となる数字である。
 何十年もかけて、24人が殺されたのか。
 はたまた、1年の間に24人を殺したのか。
 それとも、裏社会で遺体捨て場として利用されていたのか。
 犯人は単独なのか、複数なのか。
 どうであれ、第4師団に回ってくる案件としては十分すぎるほどに凶悪な事件だ。
 シェストレカ師団長は凍えそうなほどに冷厳な視線をドストロ分隊長に向ける。

「現時点で、新聞・雑誌社には緘口令を敷いています。間違っても1つの池で24人分の死体が発見された(・・・・・・・・・・・・・・・・・・)などと、領民に漏れてはなりません。捜査は慎重に進めなさい」

 シェストレカ師団長の指示に、ファイズは明らかな渋面を作った。

「無茶をおっしゃる」
「君が領民の不安からくる暴動を治められる自信があるなら、真実を公開しながら捜査しなさい。そちらの方が捜査しやすい、ということには同意しますよ」

 ファイズは両手を上げて、ひょうひょうと降参の意を示した。

「大人しく非公開に努めます」
「それと」

 シェストレカ師団長が、ちら、とドストロ分隊長を見る。その視線を受けて、わずかにドストロ分隊長の頬が引きつったようにぴく、と動いた。

「イザラント君の担当している事件が終結するかキリが良くなった時点で、君たちと合流させます」
「……」
「ドストロ分隊長。手綱は任せましたよ」

 分隊長は非常に重いため息を長く吐いてから、「了解」と返した。
 これほどの大きな事件だ。副師団長が関わらずにいる方が問題である。それをよくわかっているので、ドストロ分隊長もファイズも合流について異議は唱えなかった。
 ドストロ分隊は蓄えた口ひげを撫でてから踵を返し、部屋を出ていく。それにファイズも続いた。

「まず、どの線で調べます?」
「とりあえずは近辺にでけぇ犯罪組織がないかどうかを洗い出すべきだな。まるで遺体のゴミ捨て場だ。組織ぐるみで利用していたとすれば、考えられねぇ話でも……」

 シャルロアが推理する二人の声が遠ざかっていくのを聞いていると、「メル君」とシェストレカ師団長に呼びかけられた。

「はい」

 少々慌てながら立ち上がり、シェストレカ師団長の前に立つと、彼は書類を見ながら話を切り出した。

「君が二人を呼びに行っている間に、ケドレ副分隊長から応援要請がありました」

 ケドレ副分隊長、と言われると、シャルロアは真っ先に字の汚さを思い出して口の中が苦くなる。あのミミズが死ぬ間際にのたうちまわったように見える字に、どれほど頭を悩まされたか。もはやあれは暗号の域に達している。彼が書く書類がなければ、もう少し仕事が潤滑に進んだはずなのに、と思わずにいられない。
 ちなみに、ケドレ副分隊長はドストロ分隊の分隊員である。ドストロ分隊長の書類は間違いが多いものの、まだ人の字の体を成している。あの上官から、なぜあのような部下が育ったのか。
 ―― そのケドレ副分隊長から応援要請?……書類仕事か?

「ケドレ君が現在捜査している事件に関して、知っていることを簡潔に述べなさい」
「ミッシュ領地にて任務中、としか存じません」
「わかりました。説明しましょう。彼は今、ミッシュ領地で3人の死者が出た強盗殺人事件を追っています」

 ミッシュ領地の強盗殺人事件、と聞いて、シャルロアは先日新聞の一面の片隅飾った記事を思い出した。確か、被害者は麻薬を無理やり摂取させられた形跡があったと記述されていた。薬で朦朧となったところを殺し、金品を奪うという非常に悪質な事件であったが故に、第4師団の管轄となったらしい。
 シャルロアが頷くと、シェストレカ師団長は話を続けた。

「そしてつい先ほど、犯人と思われる男の恋人の保護に成功したと連絡が入りました。彼女から男の人相を聞いて描きだして欲しい、ひいては君を領地に寄こしてほしいと言われたので了承しました。ただちにミッシュ第一基地へ向かってください」
「了解しました」

 予想した仕事内容と違って面食らったが、シャルロアがすべき仕事であることに間違いはない。
 シャルロアはシェストレカ師団長から転移許可書を受け取ると、勤務室を後にした。





********





 ミッシュ領地はオルヴィア王国の中では随一の広さを持つ領地であり、その広大な領土を守るために領都と第二領都に騎警団の施設が置かれている。
 故に施設名はミッシュ第一基地とミッシュ第二基地となっており、シャルロアが転移してきたのは第一基地、つまり領都にある基地だ。単にミッシュ基地、と言えば騎警団内ではこの第一基地を指すのが暗黙の了解である。
 転移した処理を終えて転移室から出ると、廊下は本部と同じように堅固な印象を受ける造りになっていた。壁の石材が青黒いのではなく、青紫に近い色合いであることに目をつむれば、本部そのままである。
 ――これは……なんだっけ。あぁ、魔紫石(ましせき)かな?
 南に位置するミッシュ領地は、秋が本格的に訪れたと言うのに、まだ夏の名残の暑さが肌を撫でる。冬も場所によってはあまり雪が降らず、全体的に温暖な気候が続くこの土地ではいかに涼を取れるかが重要視され、建築材そのものが太陽の熱を貯めこまない性質を持つものが多いと聞いたことがある。魔紫石はまさしく熱を保持しにくい石であり、さらにそれなりに硬い。基地にはふさわしい建築材として採用されたのだろう。
 師団の基地とはほんの少し違うからこそ感じる違和感を流し、シャルロアは筆箱と描画帳を持ち直すと、第2部隊の勤務室を訪ねた。
 何はともあれ、まずはケドレ副分隊長の居場所を聞かないことには始まらない。シャルロアに応援要請を寄こした以上、おそらくは事件捜査本部室にいるとは思うのだが、その捜査本部室がどこにあるか聞かなければわからない。ここで尋ねなければ。
 失礼します、と断って第2部隊勤務室に入ると、シャルロアはその目に見覚えのある人物を捉えた。

「ジレニアさん」

 何人もの部隊員が行き交う勤務室の中央付近で、第2部隊員から書類を受け取っている男性。
 彼の名はリダ―ドン・ジレニア。第4師団に籍を置く師団員であるのだが、彼は第4師団員にしてはめずらしく気さくな人物だった。気さくと言うならエレクトハやウルグも当てはまるのだが、ジレニアはそれに加えて常識人かつ良い人でもある。この数カ月の間にシャルロアに何度も話しかけてくれて、第4師団の事務勤務で困っていることはないかと気を遣ってくれた。
 ―― そうか、そういえばジレニアさんもドストロ分隊員だっけ。
 ケドレ副分隊長と二人組になって行動しているのは、ジレニアなのだろう。そう理解したところで、ふとジレニアが勤務室の入り口に佇むシャルロアの方を見た。

「メル」

 一瞬驚いた後、ほっと安堵したような笑みを浮かべてジレニアはシャルロアに駆け寄った。
 彼は第4師団の中では希少な性格をしているのに反し、その姿容はまさに平凡という言葉に尽きる。団員らしいピシッとした空気をまとっていなければ、農作業をしている優しいお兄さんにしか見えないほどの、親しみのある顔立ちだ。シェストレカ師団長とは違う、春の森のようなやわらかい緑色の垂れ目がそれに拍車をかけている。少し長い黒髪を後ろで1つにくくっている、というのも短髪の男性騎警団員よりも男性感が薄れ、これまた親近感が湧きやすいのである。
 ジレニアはシャルロアに、目尻を和らげ微笑んだ。

「久しぶりだな」
「はい、お久しぶりです」
「応援要請を聞いてここに?」
「はい」

 シャルロアが頷くと、ジレニアが何かを言おうとした。

「なんだ、ジレニア。彼女か?」

 しかしジレニアの後方、先ほど彼に書類を渡していた第2部隊員が囃し立てる。その言葉にジレニアは顔色を真っ青にして振り返り、間髪入れず「違う!」と否定した。そのあまりにも必死な表情に、囃し立てた部隊員が引いている。
 揚げ句、きょどきょどと周りを見渡すジレニアへシャルロアは生ぬるい視線を送りながら、落ち着かせた。

「ジレニアさん、副師団長はこちらに来ていませんので……」
「あ、ああ……。メル、頼むから今の話は副師団長には内密に」
「言いませんから。必要もないですし」
「本当にか?うっかり口を滑らせないでくれよ?」
「言いません」

 ――もう口説いてくることもないだろうし。
 シャルロアは祭りの日以降から、ファルガ・イザラントと話していない。おそらくファルガ・イザラントは自身で決めたことに従って、シャルロアを口説くことを諦めたのだろう。
 そもそも元から彼は副師団長らしく事件解決に奔走しているし、向こうが接点を作ろうと思わなければ、事務員であるシャルロアと毎日顔を合わせてしゃべる機会などあまり生まれない。
 今までにだって顔を合わせて話をしていない期間が長く続いたことがあるが、これからはそういった状況が当たり前になっていくだろう。顔を合わせても業務のことしか話さなくなる。
 肩の荷が下りたような心地になる反面、胸のどこか片隅でわずかに息が詰まる感覚がした。
 それを振り払うように、シャルロアは口早にジレニアに話を促した。

「何か先ほど言いかけませんでしたか?」
「ん、あぁ。そうだった。すぐに迎えに行くつもりだったんだけど、予定外に仕事が押してな。悪かった」
「いえ、平気です。ではさっそく任務に取り掛かっても?」
「仕事熱心で良いことだ。こっちだ」

 先導され、部屋を出て廊下を歩いていると、すぐに廊下ですれ違う部隊員からジレニアに対して軽口がかけられる。

「なんだ、ジレニア!女の子連れて歩いてるじゃねぇか!」
「第4師団長付きの事務員ですよ」

 ジレニアは軽口に足を止めることなく、気軽に答えて先を進む。
 その様子にシャルロアは少し驚いてから、おずおずと尋ねた。

「……ずいぶん、ミッシュ基地の部隊員と仲が良いんですね?」

 仲が良いのは仕事が潤滑になるのでいいことであるが、今までの他の師団員たちの任務を見て来たシャルロアには、あまりにも親しいという印象を受けた。仲良くなった、と言うよりは、元々仲が良かったかのようだ。
 ジレニアは視線をシャルロアに向けて、照れたように微笑んだ。

「俺、第4師団に入るまではここの第2部隊にいたんだ。だから顔馴染みが多くてね。師団長がこの任務を俺たちに振ったのは、そういうことだと思う」
「なるほど……。話は変わりますが、保護した犯人の恋人について詳しくお聞きしてもよろしいですか?」
「あぁ。彼女を見つけたのは幸運だったんだ」

 ジレニアは頭を掻きながらそう言った。

「幸運ですか?」
「俺が聞き込みで立ち寄った酒場に駆け込んできたところを保護したんだ。なんでもちょっとした口論から殺されかけたらしい。実際、彼女の首には絞め痕が残っている。最初は彼女の恋人が捜査中の犯人だってことに気付かず、暴行の容疑で逮捕しようと家まで行ったんだ。でも、すでにもぬけの殻だった。逃げるのがあまりに早すぎるんで何かおかしいと思って彼女に詳しく話を聞いたら、犯人と符合するような情報が色々出てきてね。捜査に協力してもらうことになったんだが、殺されかけたせいで……その……」

 とジレニアは言い辛そうに周りを見渡して、シャルロアにだけ聞こえるように小声で続きを話した。

「……厳つい顔の男に対して酷く怯えるもんで。犯人の情報を聞き出そうにもミッシュ基地の第2部隊員は厳つい顔の奴が多いし、女性隊員は別の任務で引き払ってるし、ってわけでケドレ副分隊長が『ちょうどいいからメルに似顔絵捜査の経験を積ませる』って言って応援を頼んだんだよ」
「よくわかりました」
「ケドレ副分隊長は捜査に出たけど、俺が聴取に付き合うから」
「はい」

 ケドレ副分隊長に関して、書類の出来は最悪だと思っているシャルロアだが、今回の判断には素直に感謝したい。こうやって経験を積ませてもらった方が師団の役に立てることになり、なおかつ仕事が出来るということを見せられる。
 ――ケドレ副分隊長も、ちゃんと後進を育てるつもりがあるんだな。
 アートレート分隊長も組んでいたウルグをしっかり育てている様子だった。顔を掴まれて潰されそうになっているのを見たが、まぁ、あれも教育の一環だろうということにしておこう、とシャルロアは密かに頷いた。後進を育てる気持ちがある上司に恵まれるのは、幸運なことだ。





********





 聴取室で待っていたのは、怯えた青い目と首の絞め痕が痛々しい女性だった。
 湯気の立つ珈琲(キャラバ)が入ったコップを縋るように持ち、きれいに巻かれた金色の髪の毛を無造作に一つにくくっているその姿は、まだ恐怖の時間に置き去りにされたままであるようだった。
 それでも彼女は、自分を助けてくれたジレニアと、女性であるシャルロアの姿を見て体の強張りを解いた。
 シャルロアは彼女を怖がらせないように、女性が座る椅子の傍らにひざまずいて微笑みかけた。

「はじめまして、シャルロア・メルと申します。あなたに起こった出来事についてお話をお聞かせ願いたいのですが、まずは少し落ち着くために別のお話をしましょうか」

 戸惑う女性に、改めて微笑みかけ、シャルロアはちらりとジレニアを見た。

「世間話でも軽くしませんか?どうでしょう、女同士の会話は彼に聞かれて嫌でしょうか?」

 女性はしばし考え、緩く首を横に振った。

「そうですか、それはよかった。ジレニアさん、仲間外れにはならなさそうですよ」
「やったね。男ばっかの職場だと女の子同士の会話に癒されるからさぁ」

 シャルロアの軽口にジレニアも乗ってくれて、室内に和やかな雰囲気が流れる。女性のどこか張り詰めていたような表情も緩み、20歳にも満たないであろう彼女の印象が、より幼くなる。母親に会えた迷子のような表情だ。シャルロアはジレニアの機転の速さに感謝した。
 さらにジレニアは女性を怖がらせないように、彼女の斜め向かいに椅子を移動させて座ってくれたので、シャルロアは女性の隣に椅子を移動させて座った。
 と同時に、桃色の蝶を発動させて女性の肩に乗せる。シャルロアの頭に浮かんだのは、霞がかってはいるが、まさしく男に首を絞められそうになっている場面だった。

「お名前を聞かせていただいても?」

 シャルロアの問いかけで女性は気が逸れたのか、映像がぶつんと切れた。

「……ミーゼル・ラインです」
「ミーゼルさんですね。肌が白くてとてもおきれいです。もしかして北の出身ですか?」

 一概には言えないが、オルヴィア王国の人間は北に行くほど肌が白くなる。だからもしかして、と思って尋ねれば、彼女は首を横に振った。
 シャルロアの頭の中に、蝶から送られてきた映像が広がる。
 雪だ。
 村の片隅で、薄く積もった新雪を踏む光景が見える。

「私、ミッシュ領地でも北の方の出身なんです……。確かに祖母がエッテル領地の出身なので、その血が濃く出たんだと思います」
「そうだったんですか。おばあさまは随分と遠くの領地まで来られたんですね。行動力があって素敵です」
「祖母は新天地を求めて旅に出て、この領地で祖父と出会ったらしいんです」

 エッテル領地とミッシュ領地は正反対の位置にある。女性が故郷を離れて動くのはめずらしいことだ、とシャルロアが思っていると、映像が雪から父親らしき人物と対峙した場面に入れ替わる。
 読み取れるのは父親の険しい形相だ。叫んでもいるように見える。けれどどこか、目の前の女性に似ていた。顔立ちは似ていないのだが、目の色と髪の色がそっくりだからかもしれない。視界が急に動き、家から飛び出す流れが見えた。

「それに比べて、私は、父親と、喧嘩別れをして……家を出た勢いで、そのままこの辺りに流れて来たんです。若くて……馬鹿だった。成人したばかりの子供同然の私に、知らない土地で働き口を見つけるのは難しくて、結局柄の悪い酒場で働くしかなくて……。知り合う人もそんな人ばっかりになって、でも独りでいるよりつるんでる方がマシだったから、そのまま、ずるずると付き合って、あの、男に、会って」

 映像が不穏に揺れて、恐ろしい表情を浮かべた男を鮮明に映した。
 女性の手が震え始めるのを見て、シャルロアは話題を変える。

「エッテル領地の家庭料理はイヴァラーヌでしたっけ?鹿の肉の煮込み料理だそうですね」
「……はい。私の家は、よく祖母や母が出してくれました」
「おばあさまから、お母さまにもレシピが受け継がれたんですね。私は食べたことがないので、一度食べてみたいです」

 シャルロアの頭の中に流れる映像がまた変わった。
 隣を歩く女性は母親だろう。こちらは顔が似ていた。少し釣り目の気の強そうな、けれど目に優しい光を持った女性だ。母親と女性は買い物かごを持っていた。歩く場所は露店が並ぶ市場。一緒に買い物に来たのだろう。
 女性が母親の服の裾を引っ張り、とある露店の前で止まる。解体された肉が並ぶ露天だった。家畜の肉ではなく、狩猟した肉を扱う露天らしい。
 しかし女性の視線は肉ではなく、露天の店主にやたらと固定される。金髪緑目の、精悍な顔立ちの青年だ。
 体つきががっしりしていることから、おそらく自分で狩ったものをこの露店で売っている、猟師だと思われる。
 ――あぁ、この男性のことが好きだったのかな。
 好き、まではいかずとも好ましく思っていたのかもしれない。だから肉は、この店で買いたかったのだろう。母親もそれを理解しているのか、苦笑しながら鹿の肉を買う。
 どこまでも優しい光景だった。
 女性の表情も穏やかになり、震えが落ち着いたようだ。
 彼女の精神が安定したと見て、シャルロアは本題を切り出した。

「ラインさん。恐ろしい記憶を思い出していただかなければならない故に、不愉快な質問をすると思います。ですが貴女が勇気を以って証言していただいた情報は、決して無駄にしません。どうか、捜査にご協力をお願いいたします」

 シャルロアの真摯な要請に、女性は視線を彷徨わせてから――瞳にしっかりとした光を宿し、頷いた。













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